2013年 06月 23日
![]() ニンファ・モデルナ――包まれて落ちたものについて ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 森元庸介訳 平凡社 2013年6月 本体3,000円 A5判上製230頁 ISBN978-4-582-70280-4 帯文より:ヴァールブルク未完の研究『ニンファ・フィオレンティーナ』の本歌取り。時の無意識を見つめ、イメージのパトスを時間と地理を超えたドレープとして繰り広げる華麗な縁部。イメージ=徴候=落下の等式から、「人間の生が意欲することなくしてそこにこめる、不思議な美しさ」を救済する。アナクロニズムにもとづく歴史記述の大胆な実践、イメージ人類学の見事な成果。記憶、欲望、時間を横切るニンファ――パラドクスにみちた時の残存、アウラを放つその特性なきヒロインの運命。 目次: ニンファについて、その落下について 聖女について、その遺物について モードについて、そこから捨てられたものについて 街路について、その臓腑について 歩道について、それが表現するものについて 形なきものについて、それを包むものについて コーダ――屑拾いのミューズ(歴史と想像力) 原註 訳註 訳者あとがき 図版一覧 人名索引 ★発売済。原書はNinfa Mederna: Essai sur le drapé tombé(Gallimard, 2002)です。比較的に小さめの著書ではあるものの、相変わらず濃密な内容で、詩的ですらある独特のエクリチュールが日本語としても心地よく読めます。「「落ちた布」というモティーフに注目し、ルネサンスから現代にかけてそれが辿ることになった命運を、ニンファというすぐれて夢幻的な形象を呼び出しながら、数多の絵画と写真、さらには小説と詩をつうじて追いかけること」(「訳者あとがき」214頁)を試みた本書では、ヴァールブルクが幾度となく言及されます。昨年刊行されて話題を呼んだ『ムネモシュネ・アトラス』のパネルも言及されていて、例えばパネル77については「古代のメディアと現代の「ハウスフェー」〔トイレット・ペーパーの銘柄〕を隔てる極限的な距離のうちで、時間と地理の境界を超えるイメージの感染的な作用がわたしたちに提示されている」(162頁)と述べています。「時間と地理の境界を超えるイメージの感染的な作用」、この探求こそディディ=ユベルマンの「イメージ人類学」の眼目ではないかと思います。 ★「ヴァールブルクが見た古代のニンファ、残存の産物であるこの女は人文主義の時代には絵画と彫刻を駆け巡るが(ボッティチェリ、あるいはドナテッロ)、やがて歩みをゆるめ、ついに近代の表象の閾で落下する(ティツィアーノ、あるいはプッサン)。彼女はいまや神話画の片隅に横たわる。いずれはブーシェやウァトーの描く奔放な褥にくずおれようし、さらにはクールベやロダンのポルノめいたヌードの題材ともなろう。しかし同時に、ニンファは己の落下から残されたもの、つまり襞や襤褸布のうちにその身を隠しもする。こうして落下の運動はセクシュアルな気配と同時に死の気配にも彩られる。この運動が、ゴミ屑と形なきもののうちで終えられることはすでに予想されるところである。/おそらく、それこそが残存する形態の運命なのだ」(29頁)。 新訳 ラーマーヤナ 6 ヴァールミーキ著 中村了昭訳 東洋文庫(平凡社) 2013年6月 本体3,300円 全書判上製函入508頁 ISBN978-4-582-80836-0 帯文より:いよいよ全編のクライマックス。ラーマ率いる猿軍団とラーヴァナ率いる羅刹軍団とが激突し、両軍の死闘とラーマの勝利、シーターとの再開、アヨーディヤーへの既刊と即位までが描かれる。 ★発売済。全7巻なので、本書の刊行後、残すは最終巻のみとなります。第6巻は猿と羅刹との間の戦争のめくるめく描写がメインであり、一大スペクタクルが展開されています。両軍の武将たちはお互いに様々な種類の矢を猛烈な雨の如く射かけあい、とんでもない数の傷を負うのですが、ただラーマとラーヴァナは例外で、ラーマは矢を額に受けても平然としていますし、ラーヴァナの甲冑はいかなる矢も貫き通すことができません。そのひとつひとつを描写する文字たちから立ち昇って、読者の脳内で再生される超絶的な戦いの光景は、いかなる映像をも絶する迫力があります。しかもついに救出されたシーターは彼女の身の潔白を証明するために炎に身を投じてなおも焼かれません。実にすさまじい物語です。次回配本は7月、余嘉錫『目録学初微――中国文献分類法』(古勝隆一・嘉瀬達男・内山直樹訳)です。すでにアマゾン・ジャパンでは予約受付を開始しています。 ルイス・ブニュエル 四方田犬彦(1953-)著 作品社 2013年6月 本体4,800円 A5判上製680頁 ISBN978-4-86182-442-5 帯文より:危険な巨匠! シュルレアリスムと邪悪なユーモア。ダリとの共作『アンダルシアの犬』で鮮烈にデビュー。作品ごとにスキャンダルとセンセーションを巻き起こした伝説の巨匠。過激な映像と仮借なき批評精神を貫いたその全貌を解明する。 目次: ジュフロワ小路――本書の構成について 前衛の顕現 前衛の顕現――『アンダルシアの犬』 前衛とスキャンダル――『黄金時代』 前衛の変容――『糧なき土地』 ブニュエルとスペイン戦争 聖性と流謫 メキシコ流謫――『忘れられた人々』 神学の横断――『のんき大将』から『銀河』まで 聖者の懐疑――『ナサリン』を中心に 聖女の受難――『ビリディアナ』と『トリスターナ』 悪夢と覚醒 狂気の愛、その廃墟――『エル』『犯罪の試み』『欲望の曖昧な対象』 地獄の無限――ゴシック・ロマンスと『嵐が丘』脚色 ブニュエルの頑固さ 補遺 カランダまで 三人はアイドル――ブニュエル、ロルカ、ダリ ※ トレドへの偏愛 ※ ルイス・ブニュエルへの新しい接近 ※ ブニュエルのメキシコ ※ 自伝『映画、わが自由の幻想』書評 ※ ルイス・ブニュエルを追悼する ※ 『ルイス・ブニュエル著作集成』書評 ※ 実現できなかった遺作『アゴニア』 ブニュエルの実際の臨終 エリセとサウラ 『昼顔』の続編 ※ 日本におけるブニュエル受容 後記 ブニュエル 年譜 フィルモグラフィー 参照引用文献 ★発売済。著者が中学生の頃から耽溺しつづけ、半生に近い時間をそれとの格闘に捧げてきた「ブニュエル映画」についての一書がついに完成しました。目次で※印を付けてあるのが既出テクストの再録で、あとはすべて書き下ろしです。本書の成立事情については「後記」に詳しいですが、ネタバレはやめておきます。この「後記」で明かされるエピソードの数々がそれぞれ出版史の貴重な一頁であることを知っている人は幸いだと言わねばなりません。まさに渾身の、愛と万感と奇蹟によって出現した書物です。「ルイス・ブニュエルが想像した性が世界に足を踏み入れることは、〔・・・〕幾重にも重なりあった謎の内部へと参入することにほかならない。そこには説明もなければ、因果律もない。〔・・・〕だがそこに、いかに偶然のように見えてもある必然が働いていることも、否定できない事実なのである。その必然とは運命的なもののように、わたしには思われる。読者がこれから捲ろうとする頁は、ブニュエルという映画人にとり憑いて離れなかった、その運命をめぐる素描である」(13頁)。映画人の運命についての、めくるめく映画愛が呼び寄せた運命的な書物。 ★なお、本書は帯を取るとカバーに大写しのブニュエルとにらめっこができる仕様となっています。眼力に気おされて思わず本を裏返すと、今度は『アンダルシアの犬』の例のとても有名な怖いシーンの「直前」が大きく掲載されています。インパクト大です。 ジル・ドゥルーズの哲学――超越論的経験論の生成と構造 山森裕毅(やまもり・ゆうき:1980-)著 人文書院 2013年6月 本体3,800円 4-6判上製382頁 ISBN978-4-409-03080-6 帯文より:新たなドゥルーズ研究が、ここから始まる。補論として、『機械状無意識』を詳細に読み解いたフェリックス・ガタリ論(150枚)を付す。 帯文(裏)より:ドゥルーズは哲学史家として、スピノザ、カント、ベルクソン、プルーストなどと格闘することで自らの思想を練り上げていった。本書では、それをもう一度哲学史に差し戻す。焦点となるのは、ドゥルーズ哲学前期ともいうべき、『経験論と主体性』(1953年)から『差異と反復』(1968年)までの15年間。その間の著作を、時間軸に沿って綿密に検討し、ドゥルーズ哲学の中心を「能力論」と見定めることで、後期にまで及ぶ思想全体を根底から読み解く。次世代の研究の幕開けを告げる、新鋭による渾身作。 ★発売済。目次詳細と「はじめに」は書名のリンク先でご覧になれます。著者の山森裕毅さんは大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。現在、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター招聘研究員で、本書は2012年に大阪大学で受理された博士論文「ドゥルーズの習得論」を改訂したものです(指導教官は檜垣立哉教授)。「あとがき」の言葉を借りて正確に言うと、「読みやすく書き直し、注も増やしたが、論旨そのものに変更はない。補論は本書のための完全な書き下ろしである」とのことです。 ★本書冒頭の「はじめに」で、著者は次のように自著を紹介しています。「本書は、ジル・ドゥルーズがその哲学的主著である『差異と反復』において提示した「超越論的経験論」(empirisme transcendantal)を、「学ぶこと」あるいは「習得」(apprentissage)と呼ばれる具体的経験に着目することで、解明しようとするものである。/なぜ習得という経験に着目するのか。それは、ドゥルーズが超越論的経験論を論じていくなかで「習得こそ真の超越論的構造である」(DR, p. 216)と宣言するからである。このことから本書は、超越論的経験論とは習得が実際に成立する条件や構造を探求した理論であるというシンプルな主張をめぐるものとなる。習得は超越論的経験論の特権的なモデルであり、習得の構造の解明が『差異と反復』のひとつの主題なのである。事実、『差異と反復』では、超越論的経験論の例として繰り返し水泳や外国語の習得の経験が挙げられている。論点を「習得」に絞り込むことで、私たちは問題を「超越論的経験論とは何か」という抽象度の高いものとしてではなく、「習得という経験はどういう構造のもとで成立しているのか」というより経験に即したものとして提起することができるようになる。そしてこれが本書の主軸となる問題である」(7-8頁)。 ★「超越論的経験論」というのはドゥルーズの初期から自死直前の絶筆「内在:ひとつの生・・・」に至るまで、その哲学を貫徹する通底音と言えるかと思いますが、超越と経験という一見対立する術語が組み合わさったその概念上の難解さから、分かったような分からないような第一印象を読者に残してきたと思います。山森さんのこの本では、ドゥルーズの哲学における超越論的経験論の成立過程を第一部で追い、第二部ではその内容と構造を「習得」の観点から解明します。そこではドゥルーズ哲学を「非本質主義的問題論」という新しい枠組みで捉える独創的な分析も展開されています。第II部第五章「問題としての理念――潜在的なものの現働化の第三ヴァージョン」(183-206頁)がその提示であり、本書の肝です。書き下ろしのガタリ論を加えられた点にも要注目で、必読です。 ★周知の通りこのところ、人文業界ではドゥルーズ論が次々と刊行されています。先月はジャン=クレ・マルタン『ドゥルーズ――経験不可能の経験』(合田正人訳、河出文庫)が発売され、先週は國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書、2013年6月)が配本されたばかりです。同書では第II章「超越論的経験論──原理」において、まさにドゥルーズの哲学原理としての超越論的経験論が解説されています。ドゥルーズのみを論じたものではありませんが、弊社が先月刊行した廣瀬純『絶望論――革命的になることについて』は、「ドゥルーズ、革命的になること――不可能性の壁を屹立させ、逃走線を描出せよ」というドゥルーズ論が支柱となっています。また、月刊誌「現代思想」6月号では、ドゥルーズの盟友であるフェリックス・ガタリの特集が初めて組まれました。書店さんでドゥルーズ・フェアをおやりになるなら、まさに今、ではないかと思います。 ![]()
by urag
| 2013-06-23 02:47
| 本のコンシェルジュ
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Comments(2)
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