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2005年 03月 01日

シュミット=コジェーヴ往復書簡

昨日取り上げた新刊『ユンガー=シュミット往復書簡』(法政大学出版局)に収録されている、1957年1月26日付のエルンスト・ユンガー(1895-1998)宛のカール・シュミット(1888-1985)の手紙に付された注(2)にこんなことが解説してありました。

「シュミットは専門分野を離れて以前からコジェーヴに注目していて、51年10月7日のモーラー宛の手紙でもコジェーヴに言及している。シュミットの遺品にはコジェーヴの著書が二冊と、1955-1960年の手紙が15通含まれている。シュミットとコジェーヴの思想的な近親性がしばしば指摘される。トミッセン、『シュミティアーナ VI』9-143頁参照」。

シュミットとアレクサンドル・コジェーヴ(1902-1968)は手紙を交わしていたのですね。ここで思い出されるのは、近年アメリカで、ネオコンの思想的「元祖」と誤解されているレオ・シュトラウス(1899-1973)のことです。シュトラウスは、コジェーヴともシュミットとも交流がありました。

シュトラウスとシュミットとの物理的交流はほとんどささやかなものでしたが、知的次元においては抜き差しならない鋭い一瞥をシュトラウスはシュミットに向けていました。そのエピソードはハインリヒ・マイヤーの『シュミットとシュトラウス――政治神学と政治哲学との対話』(りぶらりあ選書/法政大学出版局、1993年)という興味深い小著で窺うことができます。

『シュミットとシュトラウス』には、シュトラウスによる「カール・シュミット『政治的なものの概念』への注解」と、「カール・シュミット宛の三通の書簡」が併録されていて、必読です。特に「注解」は最重要。

ちなみにシュトラウスがアメリカのネオコンの思想的源流と誤認されているのは、彼の弟子の中にかの『アメリカンマインドの終焉』(みすず書房)のアラン・ブルーム(1930-1992)がいて、ブルームの弟子の中に、ブッシュ政権二期目も国防副長官続投となったタカ派ポール・ウォルフォウィッツ(1943-)がフランシス・フクヤマ(1952-)などと並んでいるからで、ユダヤ人のウォルフォウィッツは亡命ユダヤ人のシュトラウスを崇敬しているというのですが、この件は私にとってはいまだ整理中の調査対象です。

さてそのシュトラウスには『専制について』という著書があり、英語版はシカゴ大学出版局から、仏語版はガリマールから刊行されていて、どちらも、コジェーヴとシュトラウスの往復書簡を併録しています。シュトラウスのこの本は、クセノフォンの対話編「ヒエロ」の読解研究書で、「ヒエロ」の翻訳とシュトラウスのコメンタリー、コジェーヴによるその批判と、シュトラウスの再応答を含み、後半に往復書簡がきます。

往復書簡といっても、1932年から1965年にかけての全58通のうちには、1通だけですがコジェーヴがアレクサンドル・コイレ(1892-1964)に宛てた手紙も含みます。このふたりも浅からぬ関係です。コイレの宗教哲学講座の後釜がコジェーヴのあの伝説的なヘーゲル「精神現象学」講義ですし、ふたりともロシア系で、コジェーヴはコイレを先達として慕っていたとどこかで読んだ覚えがあります。

話を戻すと、コジェーヴは『専制について』をこう評しました。クセノフォンは従来、やや退屈あったり平板であったりするように思われていたが、シュトラウスの解釈によって、明晰で繊細な書き手として再登場した。現代人にとっていまなお重要な問題である道徳や政治の諸問題が、忘れ去られていた対話編「ヒエロ」のうちに説かれていることを、シュトラウスは明らかにした、と。

アラン・ブルームはこの本を「われわれの時代の必読書」と言いました。アメリカにおけるシュトラウシアンの聖典のひとつと言っていいかもしれません。この『専制について』は幸運なことに、某社による日本語訳刊行の準備がここ数年来進められていると聞きます。楽しみですね!

ちなみにコジェーヴへのシュトラウスの再応答は、シュトラウスの政治哲学論集である『政治哲学とは何か』(昭和堂、1992年、品切)において、「再びクセノフォンの『ヒエロ』について――A・コジェーヴに答えて」と題されて、日本語訳されています。要チェックです。

シュトラウスは亡命前の若かりし頃、ハイデガーの影響を受けていました。ご承知のようにハイデガーはユンガーとも緊張を孕んだ友好関係にありました。ユンガー=ハイデガー=シュトラウス=シュミット=コジェーヴという連鎖は、より複雑に絡みあっている磁場のようです。

なお、私がなぜシュトラウスを「ネオコン」の思想的親玉と呼ばないかは、機会があればまた書きたいと思います。個人的には彼の論文や講演をまとめた大冊『ユダヤ哲学とモダニティの危機』(ニューヨーク州立大学出版局、1997年)にヒントが隠されているように思います。特に、1957年にイスラエル国家に言及したテクストなどは、短いですが示唆的です。

本当はそのあたりの話を、季刊誌「インターコミュニケーション」の連載で書こうと当時準備していたのですが、昨夏の誌面リニューアルのため、連載は終了。企画倒れになりました。

長ったらしい脱線をお許しください。(H)

by urag | 2005-03-01 01:53 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
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