
パリの出版社
リーニュ・エ・マニフェストから、今月、フェリックス・ガタリの『「アンチ・オイディプス」草稿』が刊行されました。510頁の大冊。定価は30ユーロ。
アマゾンや
アラパージュや
フナックなどのオンライン書店で買えますが、そのうち国内の
フランス図書さんなどの店頭で現物を見れるようになるのではないでしょうか。
かつて、ドゥルーズとガタリは『千のプラトー』の序章である「リゾーム」の冒頭でこのように述べていました。
われわれは『アンチ・オイディプス』を二人で書いた。二人それぞれが数人であったから、それだけでもう多数になっていたわけだ。そこでいちばん手近なものからいちばん遠くにあるものまで、なんでも手あたりしだいに利用した。見分けがつかなくなるように巧みな擬名をばらまいた。なぜ自分たちの名前をそのままにしておいたのか? 習慣から、ただもう習慣からだ。今度はわれわれ二人の見分けがつかなくなるように。われわれ自身ではなく、われわれを行動させ感じさせ、あるいは思考させているものを、知覚できなくするために。それにみんなと同じようにお喋りし、太陽が昇る、などと言うことは楽しいからだ、みんながそんなのは話の糸口にすぎないと承知しているときに。人がもはや私と言わない地点に到達するのではなく、私と言うか言わないかがもはやまったく重要でないような地点に到達することだ。われわれはもはやわれわれ自身ではない。それぞれが自分なりの同士と知り合うことになる。われわれは援助され、吸いこまれ、多数化されたのである。
※強調の太文字は引用者による。
このように、彼らはどのセンテンスがドゥルーズもしくはガタリに帰属するか、という文献学的な関心を一顧だにしなかったわけですが、今回刊行されたこの『草稿』で、ガタリがドゥルーズに書き送っていた覚書やメモが公開され、読者は『アンチ・オイディプス』の舞台裏を垣間見ることができるようになるわけです。その意味で非常に貴重な本だと言えるでしょう。
なお、この本は『アンチ・オイディプス』の直接的な草稿だけでなく、その周辺の草稿も多数収録しているので、ガタリ自身の著書とドゥルーズとの共著の間の連環がよりいっそう有機的に見えてくるのではないでしょうか。
草稿群を整理し、序文を書いたのはステファヌ・ナドー。ガタリの遺稿管理を行っているのは、かの
IMECです。アルチュセール文庫もこのIMECにありますよね。ロラン・バルト、バンヴェニスト、ヴァール、マルセル・モース、セリーヌなどの文書群も管理しています。
時間があったら、参考のために目次画像をアップしようと思います。