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ポール・ド・マンの『美学イデオロギー』が
平凡社さんよりついに刊行されました。訳者の上野成利さんが「あとがき」でお書きになっていますが、この本は当初、
太田出版の「批評空間叢書」の一冊で刊行されるはずのものだったそうです。ところが、季刊誌「批評空間」は、株式会社批評空間の発足のもとで、太田出版から離れ、第III期が創刊されます。
「おそらく編集者の内藤裕治さんがきわめて多忙な環境に置かれるようになったからだろう、(……)本書の出版計画も何となく宙に浮いたような状態がしばらく続くようになった。」(「訳者あとがき」391ページ)
第III期においては、内藤さんや浅田彰さんに私たち月曜社は何かとお世話になりました。いつの日だったか、水道橋の事務所にお邪魔して、内藤さんに『美学イデオロギー』の刊行について伺ってみたことがあります。「うん、早く出したいんだよね」と仰っていた内藤さんは、編集業務だけでなく、営業販売についてもさまざまに心を砕かれ、全体的な観点から会社を円滑に運営するための激務のさなかにおられました。単行本はまず柄谷行人さんの『トランスクリティーク』の刊行から始める心算でいらしたように記憶しています。
内藤さんには自らに課していた「やるべきこと」がたくさんあり、常に前進しようとするお姿から私はたくさんの力をもらった気がします。2002年5月19日、内藤さんは38歳でお亡くなりになります。この日付が忘れがたいのは、内藤さんと「小出版社どうしの共闘」を話し合った思い出が甦るからですし、私自身の誕生日だからでもあります。
『美学イデオロギー』の刊行がどうなるのかを気にしている編集者は私が知る限り複数いましたが、訳者の上野さんの旧知の編集者である松井純さんが引き取られました。人文書をよく読んでおられる読者の方なら、松井さんの名前は
人文書院や平凡社の書籍で目にしたことがあるのではないかと思います。私から見た松井さんはヴァイタリティあふれる編集者で、いつもいい刺激をいただいています。
本を読んでいて、ある特定の編集者の名前をよく目にするようになることがあると思います。その編集者がほかにどういう本を出しているのかが気になり、手がけている本は必ず読みたくなる、ということもあるでしょう。出版社で編集をやりたいと心底希望されている方は、自分が好きになった編集者にファンレターを出してみてはいかがでしょう。出版社への就職は狭き門ですから、心構えを聞いてみるのもいい経験になるかもしれません。(H)