2011年 05月 14日
★このところ常に枕元において繰り返しひもといている本があります。千葉大学教授の田島正樹さんの『正義の哲学』です。河出書房新社さんのシリーズ「道徳の系譜」の最新刊で、田島さんの著書としては7冊目になります。こんにち「革命的左翼」であるとはどういうことか、熱く、そして知的に語りつくしています。いわゆる左翼は現代では様々な批判を受けているわけですが、そもそも左翼とは何かという定義が曖昧すぎますね。政治について誰もが気易く話せる時代ではあるものの、右や左、保守やリベラルなど、あまり深く考察されないまま使われているのではないでしょうか。そういう生ぬるい言論状況にバッサリと切り込みを入れるのが、本書です。書名から分かる通り、ある意味、サンデル・ブームへの一撃と言えます。意見の対立を乗り越えて対話することの意義をサンデルは日本人にとくと教えてくれました。ではもう一歩踏み込んで社会をより良く変えていくためにはどんな行動規範や実践のための指針が必要なのだろう、と考えた読者も多いことでしょう。そんな読者にお薦めなのが『正義の哲学』です。私にとって本書が2011年上半期ベストワンです。 正義の哲学 田島正樹:著 河出書房新社 2011年4月20日発売 本体1,800円 46並製216頁 ISBN978-4-309-24547-8 帯文より:なぜ、我々の政治的構想力はここまで衰退したのか――。対立軸を失ったこの国で、社会の不完全性を「問題」として言い立て、実質的な状況変化を引き出す、真の〈正義〉を打ち立てる。正義とは語り合うものではない。 目次: 序――左翼の政治活動を哲学的に総括する 第I章 ギリシアの遺産 第一節 法と正義を手放してはならない 第二節 政治の意識・無意識 第三節 法生成の母胎〔マトリックス〕 第四節 英雄が為し、詩人が歌う インテルメッツォ 現実とは何か? 第II章 キリスト教の遺産 第一節 「悪との戦い」? 第二節 「問題」と「自由」 第三節 自分はどこに立つのか 第四節 正義と公共性 第五節 政治を支える非政治的徳 インテルメッツォ パンと葡萄酒 終章 哲学は政治に貢献できるのか 註 あとがき 田島正樹 (たじま・まさき:1950-)既刊著書 『ニーチェの遠近法』(青弓社、96年11月/新装版:03年1月) 『哲学史のよみ方』(ちくま新書、98年2月) 『魂の美と幸い――哲学的形式としてのエセー』(春秋社、98年12月) 『スピノザという暗号』(青弓社、01年6月) 『読む哲学事典』(講談社現代新書、06年5月) 『神学・政治論――政治哲学としての倫理学』(勁草書房、09年8月) 『正義の哲学』(河出書房新社、11年4月) ★先日ジョン・ホロウェイの新刊(『革命』河出書房新社)をご紹介しましたけれど、彼の代表作に『権力を取らずに世界を変える』がありますね。田島さんの『正義の哲学』にはこんな一節があります、「革命的左翼が「革命的」なのは、必ずしも多数を握ろうとはしないで決断する点です。実質的に状況を変えることを重視するのです」(92頁)。政治における「勝利」が多数派を掌握することを意味しているこんにち、政権が交代してもほとんど政治が変わらないのは、多数派工作のうちに必然的に孕まれる腐敗と打算の悪循環を「政官財」の癒着が打ち破れないことに一因があるような気がします。『正義の哲学』が混迷する政治状況に与える示唆は多いのではないかと思います。 ★かつて、80年代以降にニューアカや「知の技法」ブームや表象文化論を牽引したのが50年代生まれの書き手たちで、こんにち、311(東日本大震災)をもって終焉したと言えるかもしれないゼロ年代を牽引してきたのが70年代生まれの書き手だとすれば、60年代生まれの書き手は自分たちを歴史の中にどのように位置づけることができのでしょうか。自己規定しうる標識が何もないような気がするのは、「空白の十年間」とされる90年代の混迷に原因があるのかもしれません。空白と言っても、先に挙げたニューアカの後に論壇を刷新した雑誌『批評空間』や『インターコミュニケーション』が創刊されたのは90年代前半ですし、「知の技法ブーム」は90年代半ばのことです。しかし、わけても大きなメルクマールは95年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件だったろうと思います。論壇の変化よりも現実社会で起きた出来事の影響の方が大きかったのではないでしょうか。阪神・淡路大震災については311をきっかけに遡及的に再考されつつありますが、地下鉄サリン事件については徐々に忘却されつつあるように思います。そんななか、次のような注目すべき本がこの春に出ました。 オウム真理教の精神史――ロマン主義・全体主義・原理主義 大田俊寛:著 春秋社 2011年3月 本体2,300円 四六判上製283+11頁 ISBN978-4-393-32331-1 帯文より:「最終解脱者」なる人物を教祖に掲げ、超人類によるユートピア国家の樹立を目論み、ハルマゲドン誘発のために生物化学兵器テロに踏み切ったオウム真理教。その幻想は何処に由来し、何故にリアルなものとなりえたのか。オウムを現出した宗教・哲学・政治思想の流れを精査するとき、われわれは近代の内奥にひそむ漆黒の闇に直面して戦慄する。気鋭の宗教学者、渾身の現代宗教論! 目次: 序章 第1章 近代における「宗教」の位置 1 そもそも「宗教」とは何か 2 キリスト教共同体の成立と崩壊 3 近代の主権国家と政教分離 第2章 ロマン主義――闇に潜む「本当のわたし」 1 ロマン主義とは何か 2 ロマン主義の宗教論 3 宗教心理学 4 神智学 5 ニューエイジ思想 6 日本の精神世界論におけるヨーガと密教 第3章 全体主義――超人とユートピア 1 全体主義とは何か 2 カリスマについての諸理論 3 ナチズムの世界観 4 洗脳の楽園 第4章 原理主義――終末への恐怖と欲望 1 原理主義とは何か 2 アメリカのキリスト教原理主義 3 日本のキリスト教原理主義 4 ノストラダムスの終末論 第5章 オウム真理教の軌跡 1 教団の設立まで 2 初期のオウム教団 3 オウム真理教の成立と拡大 4 「ヴァジラヤーナ」の開始 5 国家との抗争 6 オウムとは何だったのか おわりに 主要参考文献 索引 大田俊寛(おおた・としひろ:1974-)既刊著書 『グノーシス主義の思想――〈父〉というフィクション』(春秋社、09年11月) 『オウム真理教の精神史――ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社、11年3月) ★オウム真理教を検証する本は今までに色々ありましたが、本書の実に有益なところは、「オウム以前」の思想史をしっかり勉強させてくれるところです。それは単純なオウムの「前史」というわけではなくて、「オウムという現象をできるだけ広い視野から捉えること、そしてそれが二〇世紀末の日本に出現した理由を、近代史の文脈のなかで立体的に描き出す」(23頁)試みです。目次だてを見れば、その視野の広さが推測できると思います。マジメな本ですが、勉強になるネタ=トピックが満載です。「異端思想史」研究家としての大田さんの今後のますますのご健筆に大いに期待したいところです。 ★311以前に書かれたものであるにもかかわらず「まさに311以後の世界を予示的に概念化したような内容」(担当編集者M氏)と紹介してもらった注目新刊『空間のために』が発売されました。書店さんの店頭では早いところでは今日あたりから、全国平均では16日以降に並び始めるのではないかと思います。篠原さんは前述したホロウェイの『革命』の共訳者でもあり、シャンタル・ムフやマイク・デイヴィスなども訳されています。 空間のために――偏在化するスラム的世界のなかで 篠原雅武:著 以文社 2011年5月 本体2,200円 四六判上製220頁 ISBN978-4-7531-0288-4 帯文より:空間が荒廃している――。「均質化」の時代が終わり、より過酷な「荒廃化」の時代が始まった今日、私たちはいかにして自らの生活世界を取り戻すことができるのか? 気鋭の若手理論家が新時代の思想の創造に挑む。 目次 はじめに 序章 生活世界の荒廃 第一章 空間と領土性 第二章 空間の質感 第三章 再領土化の諸問題 第四章 流動と停止 第五章 壁 第六章 虚構と想像 第七章 来るべきスラム化に備えて 第八章 空間的想像力の奪還 終章 黄金時代に秘められた地獄 篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)既刊著書 『公共空間の政治理論』人文書院、07年8月 『空間のために』以文社、11年5月 ★本書は編集担当者Mさんが明かしている通り、311以前に書かれたものです。しかし「はじめに」にある次のような文言は、確かに311以後の今、いっそうの重みを持って私たちの胸に響いてくる気がします。少し長いですが、本書のスタンスを良く表している箇所なので引用します。「環境的に破滅的な状況という前代未聞の事態が迫りつつある時代にあって、それを直視し理解しようとするだけでなく、悪化を克服する方法を発案するためには、すべての学問は、文学研究であれ、経済学であれ、社会学であれ、従来型の人文社会科学の枠組みを超えた学問領域へと展開せざるをえない。総合的な環境学とでもいうべきものを構想せざるをえない。/市場原理主義の徹底化の果てにたつ私たちがときに目にする荒廃した風景は、ひょっとしたら、慣れ親しんだ生活世界の終りの始まりなのかもしれない。慣れ親しんだ生活世界に適合している諸概念では理解できない事態が到来しつつあるのかもしれない。それは日本においては、高度経済成長以来つづいた生活世界の変容過程の徹底的な転換として、その綻びの始まりとして経験されることになるかもしれない。/つまり、成長、新品化、均質化、虚構化といった概念が意味をなさなくなるときがくる、ということだ。ならば〔マサオ・〕ミヨシがいうように、新しい概念の発案は急務といえるし、それに立脚した新しい学問体系の構想が必要とされるということになろう。/本書は、このような現代的な問題提起を踏まえつつ、生活世界の悪化について、空間という観点から考察しようとするものである」(10-11頁)。 ★ここまでご紹介したのは、既刊書のある著者の方々の最新作でしたが、以下にご紹介する二点はいずれもデビュー作となる新刊です。期せずして二点とも「労働」をめぐって考察を展開してるのは、時代のアトモスフィアが織りなしたわざと言えるでしょうか。 ガブリエル・タルド――贈与とアソシアシオンの体制へ 中倉智徳(なかくら・とものり:1980-)著 洛北出版 2011年4月 本体3,200円 四六判上製448頁 ISBN978-4-903127-13-2 帯文より:『経済心理学』を読む――。労働の喜びとは何か? それは、共にあり、共に作業すること、社交性が花を咲かせることである。そのためには、余暇の増大と、無数のアソシアシオンの群生が不可欠なのである。――タルドの〈欲望と信念に基づく富の理論・統治術〉を丁寧に読み解く。 目次: 序章 第1章 夢見る個人と社会の法則 第2章 政治経済学を裏返す 第3章 信念と欲望の経済的役割 第4章 労働と余暇の循環 第5章 貨幣と資本の循環 第6章 心理的対立と価格 第7章 闘争、競争、律動 第8章 発明と所有 ― 経済的適応 第9章 交換の体制からアソシアシオンの体制へ 終章 タルドの社会学と経済心理学 あとがき 参照文献一覧 索引(人名・事項) ★タルドをアソシアシオン論者として再評価する本書には、次のような美しいくだりがあります。「「喜びは富を必要としない。というのも、人は貧困のさなかでも、貧困を共有し、友愛をもって分有することで喜ぶことができるからである。つまり、喜び、それは団結と力である。喜び、それは信であり、自己への信、他者への信であり、生のなかの信頼である」(タルド)。/このような「真の人間的な喜び」を人びとのあいだに広めること、このことによって人びとのあいだの不和を減らし、心理的な調和をもたらすこと――これがタルドの「アソシアシオンの体制」が目指すものであったのである」(402頁)。本書は博士論文に加筆修正したものとのことです。主査は小泉義之さん。そして、以下の新刊は、ほかならぬその小泉さんの指導のもと書かれた修士論文(正確には博士予備論文)に加筆修正を加えたものです。 「労動」の哲学――人を労働させる権力について 濱本真男(はまもと・まさお:1983-)著 河出書房新社 2011年5月18日発売 本体2,000円 46判上製192頁 ISBN978-4-309-24549-2 帯文より:アレント、ネグリなどいままでのすべての労働論を根底から打ち砕き、近代を再審するいま最も必要な強靭にして挑発的な思考。思想界に80年代生まれの新星登場! 推薦文より:「労働を思考によって包囲せよ! 若き思索者による比類なき考察」(酒井隆史)。「就活・就業・過労死へ人をつき動かす〈労働させる権力〉。それを書き、暴く。若いのに、ではない。若いから、でもない。ただ、すぐれている」(小泉義之)。 目次: はじめに 第1章 労働を巡る闘争を不可視にするもの 1・1 労働の過小な定義と過剰な定義 1・2 イタリア・フェミニズム 1・3 「青い芝の会」 1・4 理論的前提としての小括 第2章 労働の「政治」性 2・1 「労動」(labor)と労働(job)の概念的区別 2・2 社会的生命の必要と余暇の時間 第3章 「労動」の政治性 3・1 社会的統治と自己統治の関係にみる思考の政治性 3・2 「労動」=芸術=「犯罪」 第4章 「過労死」――労働権力の場 4・1 社会の諸相で作用する労働権力と力同士の葛藤 4・2 社会的労働としての「過労」自殺 おわりに 注 引用文献 あとがき ★本書は来週半ばに店頭発売開始だそうです。「いままでにないタイプの理論家」(担当編集者Aさん)の本としてご紹介いただきました。Aさんが仰るのだから間違いありませんし、そもそも修論相当の研究書が一般書メインの版元から出るというのは異例のことです。労働=jobと「労動」=laborが区別されているのに気をつけねばなりません。アレントの『人間の条件』を参照しつつ、前者は賃労働=「生きる手段」、後者は「生そのもの」として区別されています。後者の創造性(芸術性/犯罪性)については、Bruno Gulli(本書ではブルーノ・グーリと表記)の未訳の労働論が参照されています。私はかつて毛利嘉孝さんの『文化=政治』(弊社刊)に触発されて、「労働=運動」としての出版について某大学で発表したことがありましたが、今後は濱本さんの「労動」論からも学びたいと思います。本書の「おわりに」にはこう書かれています、「問題なのは、「労働とは何か、生きるとは何か」と問うことが、確かに無駄であるということだ。ただし、それは「価値」こそが意味であるとする自明性を疑うことが無駄であるというよりも、自明性の誤謬をあばいたところで、本当の答えをえることができないということなのである。/「労働とは何か」という問いに対しては、仮に「生きる手段である」と答えることができよう。しかし「生きるとは何か」という問いに対しては、もはやそれに答えることができないのである。ところで、労働が「生きる手段」であるならば、その「生きる手段」の過剰によって死に至ることは皮肉の極みではないか。それゆえ、ある日ある者は無断欠勤に踏み切る。すると、どこかの精神科医が真先に声を上げるのだ。その労働の拒否の行為は「自殺の代理行為」である、と。しかしなぜ、殺人的な労働からの(生のための)逃避が、「自殺行為」だといわれなければならないのだろうか」(151頁)。この素朴で重い問いが本書を貫く叫びになっているように感じました。 ★なお、河出書房新社さんの今後の注目新刊には以下のものがあります。5月25日発売予定のテリー・イーグルトン『なぜマルクスは正しかったのか』(松本潤一郎訳、本体2,400円、46判248頁、ISBN978-4-309-24548-5)。版元紹介文によれば「思想界の巨人・イーグルトンがあらゆるマルクスへの批判をうけとめながら、ユーモアをまじえてそれに反論するかたちで、マルクスの可能性と魅力を伝える究極にして最高のマルクス入門」とのこと。 また、6月7日発売予定の河出文庫として、佐々木中『定本 夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(上下巻、本体各1,400円、ISBN978-4-309-41087-6/ISBN978-4-309-41088-3)が予告されています。
by urag
| 2011-05-14 23:52
| 本のコンシェルジュ
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