現象学の根本問題
マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)著 木田元監訳解説 平田裕之+迫田健一訳
作品社 2010年11月 本体4,800円 A5判上製590頁 ISBN978-4-86182-068-7
◆帯文より:哲学は存在についての学である。未完の主著『存在と時間』の欠落を補う最重要の講義録。アリストテレス、カント、ヘーゲルと主要存在論を検証しつつ、時間性に基づく現存在の根源的存在構造を解き明かす。存在論の基礎理論、待望の木田元訳。
★11月26日(金)取次搬入の新刊です。書店店頭での発売が30日以降と聞いていますが、一部の大型書店やオンライン書店では発売開始しています。シンプルで美しい装丁は菊地信義さんによるもの。
★『現象学の根本問題 Die Grundprobleme der Phaenomenologie』はハイデガーの主著である『存在と時間』の刊行直後にマールブルク大学で行われた1927年の夏学期の講義です。未完かつ未刊である『存在と時間』の続き、すなわち第一部第三篇「時間と存在」の仕上げとして位置づけられています。既訳には、創文社版『
ハイデッガー全集(24)現象学の根本諸問題』(溝口兢一+松本長彦+セヴェリン・ミラー訳、創文社、2001年)がありますが、今回の作品社版は底本が違います。創文社版はクロスターマン社版全集の記念すべき第1回配本(1975年)である第24巻が底本。一方、作品社版は、講義の速記録(未公刊、私家版のみ存在)が底本です。この速記録は講義を聴講していた日本人留学生がドイツ人学生に速記とタイプ刷りを依頼したものだそうです。加筆訂正された全集版とは異なっており、さらに省略されている講義冒頭の「前回のおさらい」や最後の「次回予告」が残されています。
★木田元さんは著書『
ハイデガー『存在と時間』の構築』(岩波現代文庫、2000年)で『存在と時間』と『現象学の根本問題』の関係性について考察なさっています。『現象学の根本問題』の翻訳は木田さんにとって特別なものであり、闘病のさなかも作業を続けられたと聞きます。ともに未完に終わった『存在と時間』と『現象学の根本問題』は、哲学を完成させることの不可能性を示していると言えるのかもしれません。不可能性の深淵へと降り続けていくという途方もない超人的挑戦。限りなく「接近」(ヘラクレイトス断片122)しつつ、それでもなお到達せず、出会いを予感しつつ待機し続け、問い続けるしかない挑戦。それが哲学の本質だとしたら、いったい誰が耐えきれるのでしょうか。それは絶望であると同時にしかし希望でもあるはずです。
★創文社版『ハイデッガー全集』では、第24巻『現象学の根本諸問題』のほかに、今年1月に刊行された第58巻『
現象学の根本問題』(虫明茂+池田喬+ゲオルク・シュテンガー訳、創文社、2010年)があります。「諸」がないだけで作品社版と同じ書名ですが、こちらはフライブルク大学で行われた1919/20年冬学期の講義を収めたもので、内容は異なります。ハイデガーにとっては繰り返し掲げざるを得ない、回避することのできないテーマだったと言えるのかもしれません。
★1927年の講義に戻りますと、ハイデガーは講義の最後に「これぞまさに現象学、などといったものはない」と述べつつ、カントの小論『哲学において最近あらわれた尊大な語調について』※を長めに引用します。哲学によって人間が表せるのは夜明けの光だけであり、太陽そのものは予感しうるに過ぎない。本当は太陽を予感すらできないかもしれない。この星ではいつも空が曇っていて、一度も太陽を目にしたことがない、ということもありえるから。それでも哲学者は太陽の存在を推測できるだろう。太陽を直視することは失明を意味するけれど、せめてその反射を見ることはできるのではないか。――こうした途方もない挑戦を、幻惑されずに遂行することは困難であるとハイデガーは警告しているように見えます。
※「哲学における最近の尊大な語調」門脇卓爾訳、理想社版『カント全集(12)批判期論集』所収、1966年;「哲学における最近の高慢な口調」福谷茂訳、岩波書店版『カント全集(13)批判期論集』所収、2002年。
★作品社のドイツ哲学関連書では近刊予告に以下の書目が掲げられています。フランツ・ローゼンツヴァイク『健康な悟性と病的な悟性』村岡晋一訳、アルブレヒト・ヴェルマー『モダンとポストモダンの弁証法』、アドルノ『ヴァーグナー試論』高橋順一訳。このほか、書名は出ていませんが、たいへんな力作や労作があとに控えていますよ。