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2018年 12月 31日

月曜社最新情報まとめ(ブログの最新エントリーは当記事の次からです)

◆公式ウェブサイト・オリジナルコンテンツ
◎2011年6月28日~:ルソー「化学教程」翻訳プロジェクト。

◆最新刊と近刊
◎2018年6月27日発売:岡田温司『アガンベンの身振り』本体1,500円、哲学への扉第2回配本。
◎2018年5月22日発売:荒木優太『仮説的偶然文学論』本体2,000円、哲学への扉第1回配本。
◎2018年4月24日発売:岡田聡/野内聡編『交域する哲学』本体3,500円
◎2018年4月23日発売:『表象12:展示空間のシアトリカリティ』本体2,000円
◎2018年4月5日発売:ジャン=リュック・ナンシー『ミューズたち』本体2,700円、芸術論叢書第5回配本。
◎2018年3月16日発売:佐藤真理恵『仮象のオリュンポス』本体3,400円、シリーズ・古典転生第17回配本、本巻16。
◎2018年2月16日発売:『多様体 第1号:人民/群衆』本体2,500円
 宮﨑裕助氏書評「現代日本の思想誌の最良の命脈を継承」(「週刊読書人」2018年4月13日号)
◎2018年1月31日発売:ヴィンフリート・メニングハウス『生のなかば』本体2,500円、叢書・エクリチュールの冒険第10配本。
◎2017年11月29日発売:ジャン・ウリ『コレクティフ』本体3,800円
◎2017年11月1日発売:南嶌宏『最後の場所』本体3,500円
◎2017年10月16日発売:甲斐義明編訳『写真の理論』本体2,500円
◎2017年10月6日発売:森山大道『』本体2,500円
◎2017年8月4日発売:ポール・ギルロイ『ユニオンジャックに黒はない』本体3,800円
 酒井隆史氏書評「不変と変化、この30年――レイシズムとナショナリズムの不可分な力関係」(「図書新聞」2017年11月4日号)
 石田昌隆氏書評(「ミュージックマガジン」2017年11月号「RANDOM ACCESS BOOK」欄)
 野田努氏書評(「ele-king」WEB版2017年10月4日付「Book Reviews」欄)
 無記名氏書評(「河北新報」10月1日付読書欄「新刊抄」)
◎2017年7月4発売:ジャコブ・ロゴザンスキー『我と肉』本体4,800円、シリーズ・古典転生第16回配本。
 廣瀬浩司氏書評「あらたな思考の出発点をうちたてる――現象学的身体論の刷新へと波及する潜在性」(「週刊読書人」2017年9月8日号)

◆販売情報(重版・品切・サイン本、等々)
◎品切重版検討中:『ミクロコスモス第1集』2刷、ユンガー『パリ日記』2刷、ギルロイ『ブラック・アトランティック』4刷。
◎品切重版未定:『舞台芸術05』『舞台芸術08』『表象01』『表象02』『表象04』『表象05』『表象08』『表象09』、毛利嘉孝『文化=政治』、クリフォード『ルーツ』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』、ハーマッハー『他自律』、ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』、片山廣子『燈火節:随筆小説集成』『新編燈火節』、竹内てるよ『静かなる夜明け』、ブランショ『書物の不在 初版朱色本』『書物の不在 第二版鉄色本』『謎の男トマ 初版本』、高柳昌行『汎音楽論集』、大里俊晴『マイナー音楽のために』、大竹伸朗『ネオンと絵具箱』、森山大道写真集『新宿』『新宿+』『大阪+』『オン・ザ・ロード』『何かへの旅』、森山大道フォトボックス『NOVEMBRE』、やなぎみわ作品集『WHITE CASKET』、川田喜久治写真集『地図』、遠藤水城編『曽根裕|Perfect Moment』、熊木裕高写真集『吠えない犬』、瀬戸正人写真集『picnic』、菱田雄介写真集『ある日、』。※書店からの返品で在庫がまれに生じる場合があります。直接、弊社までお電話かメールなどでお尋ね下さい。

◆出版=書店業界情報:リンクまとめ
◎業界紙系:「新文化 ニュースフラッシュ」「文化通信
◎一般紙系:Yahoo!ニュース「出版業界」「電子書籍」「アマゾン
◎話題系:フレッシュアイニュース「出版不況」「電子書籍」「書店経営
◎新刊書店系:日書連 全国書店新聞
◎雑談&裏話:5ちゃんねる 一般書籍

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# by urag | 2018-12-31 23:59 | ご挨拶 | Trackback(1) | Comments(21)
2018年 07月 18日

注目新刊:アガンベン『実在とは何か』、シモンドン『個体化の哲学』、ほか

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★ジョルジョ・アガンベンさん(著書:『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『涜神』『思考の潜勢力』『到来する共同体』)
★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
アガンベンさんの近著『Che cos'è reale?: La scomparsa di Majorana』(Neri Pozza, 2016)が上村忠男さんによって翻訳されました。附録の二篇、エットレ・マヨラナ「物理学と社会科学における統計的法則の価値」、ジェロラモ・カルダーノ『偶然ゲームについての書』は、前者が原著でも収録されていますが、後者は訳書において新たに付されたものです。アガンベンさんの論及があった重要テクストなので、全訳での収録はたいへん参考になります。

版元さんの内容紹介文によれば本書は「マヨラナの論文を手がかりにして、アガンベンは失踪の原因が「不安」や「恐怖」といった心理に還元されるべきものではなく、《科学は、もはや実在界を認識しようとはしておらず──社会科学における統計学と同様──実在界に介入してそれを統治することだけをめざしている》という認識にマヨラナが至ったことと関係している、という地点に到達する。その果てに見出されるのは、「実在とは何か」という問いを放つにはどうすればよいか、ということにほかならなかった」と。メイヤスーやガブリエル、マラブーらの新刊と併せてひもときたい本です。同書の議論との交差については、同じく講談社選書メチエで『AI原論――神の支配と人間の自由』を4月に上梓された西垣通さんと、メイヤスー本の訳者・千葉雅也さんの対談「AIは人間を超える」なんて、本気で信じているんですか?」「AIが絶対に人間を超えられない「根本的な理由」を知ってますか」「AIが「人間より正しい判断ができる」という思想、やめませんか?」(「現代ビジネス」7月16~18日)が参考になります。アガンベンへの言及はないものの、問題圏は重なっています。

アガンベンさんは本書の末尾をこう結んでおられます。「ここでわたしたちが示唆しようと思う仮説は、もし量子論力学を支配している約束事が、実在は姿を消して確立に場を譲らなければならないということだとするなら、そのときには、失踪は実在が断固としてみずからを実在であると主張し、計算の餌食になることから逃れる唯一のやり方である、というものである。〔…〕1938年3月の夜、無のなかに消え去り、彼の失踪の実験的に明らかにしうるあらゆる痕跡を見分けがつかなくさせる決断をすることによって、彼は科学に、実在とは何か、という未済の、しかしまた避けて通るわけにはいかない回答をいまもなお期待している問いを提起したのだった」(45~46頁)。

実在とは何か マヨラナの失踪
ジョルジョ・アガンベン著 上村忠男訳
講談社選書メチエ 2018年7月 本体1,350円 四六判並製176頁 ISBN978-4-06-512220-4

★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエス『論理学と学知の理論について』)
フランスの哲学者ジルベール・シモンドン(Gilbert Simondon, 1924-1989)による1958年の博士論文『L'Individuation à la lumière des notions de forme et d'information』がついに全訳されました。底本は2013年のMillon版の本論ですが(附録※は分量の都合で訳出されていません)、2017年版での変更箇所も反映されているとのことです。近藤さんは第一部「物理的個体化」の訳出と、結論の共訳、訳注の整理と調整を担当されたそうです。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。これを契機に副論文『技術的諸対象の実在様態について』の翻訳も期待したいところです。※附録・・・「個体化概念から帰結する事柄についての補足的な覚え書き」「個体概念の歴史」「個体性の基準の分析」「アラグマティック」「形、情報、ポテンシャル」の5篇で、それぞれ本論から割愛された部分や草稿や準備稿ですが、最後の「形~」のみ1960年の講演録。

個体化の哲学――形相と情報の概念を手がかりに
ジルベール・シモンドン著 藤井千佳世監訳 近藤和敬/中村大介/ローラン・ステリン/橘真一/米田翼訳
法政大学出版局 2018年7月 本体6,200円 四六判上製638頁 ISBN978-4-588-01083-5

★竹峰義和さん(訳書:メニングハウス『生のなかば』、共訳:シュティーグラー『写真の映像』)
先月末発売された岩波書店の月刊誌「思想 2018年7月号:ヴァルター・ベンヤミン」において、論文「サンチョ・パンサの歩き方――ベンヤミンの叙事演劇論における自己反省的モティーフ」を寄稿されるとともに、ベンヤミンの「技術的複製可能性の時代における芸術作品――第一稿」の翻訳を手掛けておられます。ほとんどが抹消線で埋め尽くされた第一稿は、『新批判版全集』(2008年~)で活字化された新たな草稿で、『旧全集』(1972~1999年)の第一稿はこんにちでは第二稿とされています。ちなみに岩波現代文庫の『パサージュ論』全5巻(2003年;単行本版は93~95年)は第5巻を除いて現在品切で、岩波文庫の『ベンヤミンの仕事』2巻本(1994年)も品切。新全集に基づく新訳がいずれ刊行されることになるのでしょうか。

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# by urag | 2018-07-18 15:59 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 17日

8月上旬発売予定新刊:マラルメ『詩集』柏倉康夫訳

2018年8月10日取次搬入予定 *外国文学・フランス詩

詩集
ステファヌ・マラルメ著 柏倉康夫訳
月曜社 2018年8月 本体:2,200円 B6変型判並製176頁 ISBN: 978-4-86503-056-3

アマゾン・ジャパンにて予約受付中


ステファヌ・マラルメの死の一年後に刊行された『詩集』(エドモン・ドゥマン書店、1899年刊)収録の全49篇の詩と、マラルメ自身による書誌解題の新訳。「ユリイカ」誌連載、青土社電子版、限定私家版を経て、最新改訂普及版がここに成る。『詩集』の初版本や石版刷、組見本、マラルメの肖像、名刺や封筒に書かれた四行詩など、訳者秘蔵品を含む貴重な写真8点を併載。多年に及ぶ研究の画期を為す「理解可能なマラルメ」の提示。【叢書・エクリチュールの冒険:第11回配本】


ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842-1898):19世紀のフランス象徴詩を代表する詩人。若くしてボードレールとエドガー・アラン・ポーに魅せられて詩作をはじめ、地方の高等中学校の英語教師をしながら創作に没頭するが、「詩とは何か」という根源的な問いに苦しみ、精神的・肉体的な危機に見舞われた。1871年パリに出て以後は交友関係も広がり、「牧神の午後」や「エロディアード」など代表作となる絶唱を生み出した。ローマ通りのアパルトマンの食堂兼サロンに、毎週火曜日に内外の文学者、画家、音楽家たちが集うようになり、マラルメの談話は彼らに多大な感銘を与えた。その芸術論は今日なお広い分野で影響を及ぼしている。


柏倉康夫(かしわくら・やすお、1939-):東京大学文学部フランス文学科卒業。NHKパリ特派員、解説主幹の後、京都大学文学研究科教授を経て、放送大学教授、副学長、図書館長、現在同大学名誉教授。京都大学博士(文学)。フランス国家功労勲章叙勲。ジャーナリズムでの仕事のかたわら、原典批判に基づくマラルメ研究を続けてきた。マラルメに関する著訳書に、『マラルメ探し』、『生成するマラルメ』(以上、青土社)、『マラルメの火曜会』(丸善出版)、ネクトゥ編『牧神の午後~マラルメ、ドビュッシー、ニジンスキー~』(平凡社)、J・L・ステンメッツ『マラルメ伝』(共訳、筑摩書房)、『マラルメの「大鴉」』(臨川書店)、モレル編『S・マラルメ:賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう』、G・ミラン『マラルメの火曜会~神話と現実~』(以上、行路社)など。

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# by urag | 2018-07-17 10:41 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 16日

注目新刊:ついに刊行、イェーガー『パイデイア』、まず第Ⅰ~Ⅱ部収録の上巻から、ほか

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何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』栗原康著、角川書店、2018年7月、本体1,800円、四六判並製368頁、ISBN978-4-04-106125-1
感性は感動しない――美術の見方、批評の作法』椹木野衣著、世界思想社:教養みらい選書、2018年7月、本体1,700円、4-6判並製208頁、ISBN978-4-7907-1713-3
漢文研究法――中国学入門講義』狩野直喜著、狩野直禎校訂、平凡社:東洋文庫、2018年7月、本体2,900円、B6変判上製函入240頁、ISBN978-4-582-80890-2

★栗原康『何ものにも縛られないための政治学』はまもなく発売(20日頃)。栗原さんは先週、映画のノベライズである『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』をタバブックスより上梓したばかりで、来月上旬には『狂い咲け、フリーダム――アナキズム・アンソロジー』をちくま文庫より発売予定でもあります。本作ではいきなり猿の自慰行為の話から始まります。続く第一章は著名な友人の異様な言動の紹介から。栗原節は健在という以上に進化しています。どんどん自由度を増し、リズムはますます小気味よく刻まれ、思考は猛烈に速く継起するようでいて、ちゃんと歌は聞こえています。

★「若者の未来のためだか、日本の未来のためだかしらないが、そんなもののために、わたしたちはいまやれること、いまやりたいとおもったことを犠牲にさせられてしまう。時間の奴隷になるのである。これが政治だ、動員だ。デモにいけばいくほど、ひとがたんなる数になってしまう。イヤだね」(34頁)。このあと富山での破天荒なデモ行進の話で盛り上がり、そこから社会契約の批判へと向かいます。クロポトキン、サーリンズ、グレーバーが召喚されますが、理論臭い話ではありません。社会契約の裏に隠された奴隷制なんてうんざりだ、という話。これが第一章です。

★著者自身による本書の主要ポイントの説明は以下の通りです。「いまの権力をぶちこわすためにっていって、その目的のために、ひとを動員しはじめたら、かならずあたらしい権力が構成されてしまう。あたらしい支配がうまれてしまう。だったら、あらゆる動員を拒否するしかない、権力の脱構成だってね。じゃあ、どうしたらいいか? 本書では、三つのやりかたを紹介してきた。(一)国家の廃絶:破壊とは創造の情熱である。(二)パルチザン:国家とは非対称なたたかいをしよう。(三)戦闘的退却主義:パルチザンシップを生きろ」(354~355頁)。しかし本書の本当の味わいは章ごとのディテールにあります。時代の閉塞感を突き抜けて、この世界の未聞の外側である混沌へと躍り出ていくさまは、『菊とギロチン』で主人公たちが目指したものでもあるように思えます。

★「あらゆる権力から離脱せよ。神と世界から離脱せよ。そして、さらにそのさきまで離脱してゆけ。目のまえには、カオス、カオス、カオス。そしてさらなるカオスだ、カオスしかねえ」(344頁)。「目的、動員、クソくらえ。あらゆる支配にファックユー。自由なんかぶっとばせ。アナキズムにもしばられるな。自発性だけで暴走しようぜ。がまんができない。さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」(354頁)。本書の最後には再び「さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」が繰り返されます(361頁)。見事に次の新刊、ちくま文庫へと繋がっています。

★椹木野衣『感性は感動しない』はシリーズ「教養みらい選書」の第3弾。「絵の見方、味わい方」「本の読み方、批評の書き方」「批評の根となる記憶と生活」の三部構成。ごく平易な言葉で書かれており、椹木さんの著書の中でもっとも取っつきやすい本になっているという印象があります。表題作「感性は感動しない」はもともと『世界思想』第39号「特集=感性について」(2012年春号)に寄稿されたもので、日本全国の国公私立大学25校の入試問題に使われたという話題作。「新潮45」の特集企画で、受験生と同じ条件で椹木さん自身が問題を解いたところ、半分しか正解できなかったという逸話つきの名編です。

★「私がこの本を通じて伝えたいことは、煎じつめて言えば、あなたにとっての世界が、まだ手つかずの未知の可能性の状態としてここにある、ということの神秘なのです。それを発見することができるのはあなただけだ、ということでもあります。絵を見たり文を書いたりすることは、ものを食べたり空気を吸ったりするのと違って、しなければそれで済んでしまうことです。しかし同時に、人生にとって無駄とも思えるそういう領域のなかに、私の言う神秘はひっそりと隠れていて、いつかしっかりと見つけられるのを待っているのです。/さあ、これからこの本を通じて、世界への新しい扉を開いてみて下さい。世界の入り口へと通じる扉は、実は一枚ではありません。その先にある隠し扉こそが、本当の扉なのです」(はじめに、v頁)。

★「感性など、みがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とは「あなたがあなたであること」以外に根拠を置きようのないなにものかだ」(「感性は感動しない」7頁)。「本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかない。気づこうとしない」(同9頁)。本書は様々な気付きを与えてくれる本ですが、その中には次のような言葉もあります。

★「いま私たちが使っている携帯やスマホのようなモバイルフォンの原型は、もともと軍事用の連絡装置で、戦場で一刻も早く情報を共有するため、とくに湾岸戦争のときに広く投入され、実践でその精度が高められたものなのです。そんな代物を日常で使うというのは、日常を準戦時下の心理に置くことになります。LINEなどのやりとりですぐに返事がこないと言って一喜一憂するのは、言ってみれば兵士の心理なのです。ただし作戦には終了がありますが、日常に終わりはありません。そんな兵士の心理を終わりなく続けていたら、やがて疲れ果て、心身のバランスを失調してしまってもまったく不思議ではありません」(116頁)。

★携帯電話以前の時代を自分なりに思い出してみると、手紙のやりとりは一ヶ月に一往復がせいぜいだった気がしますが、それなりに時候の挨拶から前段、本文から末筆まで分量がありました。Eメールでは当日中に返信しないと遅くなって文章も簡潔になり、LINEになるともっと早く短くなっていると思います。この即時性と短文化が何かしらの影響を思考や感性に与えているとしても不思議ではないのかもしれません。ちなみに、本書の刊行を記念して来週、以下のトークイベントが行なわれます。

◎椹木野衣×伊藤ガビン「ゆる硬トーク アート人生リミックス祭り

日時:2018年7月23日(月)20:00~
場所:本屋B&B(下北沢)
料金:前売1,500円+1 drink order|当日店頭2,000円+1 drink order

内容:会田誠、村上隆ら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた美術批評家・椹木野衣さん。初のエッセイ集『感性は感動しない』(世界思想社)で、絵の見方と批評の作法を伝授し、批評の根となる人生を描いています。大学時代にプロのレッスンを受けていたほど音楽にのめり込んでいたことも明かされています。本屋B&Bでは、本書の刊行を記念したトークイベントを開催します。お相手は、伊藤ガビンさん。世界初の音ゲー(音に合わせて遊ぶゲーム)「パラッパラッパー」やドラえもん全巻レビューなど、斬新な発想で人を驚かせる企画をかたちにし続けています。「コップのフチ子」のタナカカツキさんのDVDや展覧会のプロデュースも。硬派な美術批評家と脱臼系クリエイターという異色の組み合わせですが、90年代にクラブカルチャーマガジン『REMIX』の発行元株式会社アウトバーンをともに立ち上げ、伝説のクラブ芝浦ゴールドで夜な夜な朝まで踊りあかした仲。作品の本質の見抜き方から創作者としての生き方まで、縦横無尽に語り尽くす夜祭りトークショー。ぜひ現場でこの一瞬を全身で感じてください。

★狩野直喜『漢文研究法』は東洋文庫第890番。帯文はこうです。「内藤湖南と並ぶ京大東洋学の創始者、狩野直喜。本書は彼がほぼ百年前におこなった一般向け講義を嫡孫が書物にしたもの。文学・史学・哲学・地理等を総合する、不朽の中国学入門書」。表題作である「漢文研究法」全5講、さらに「経史子概要」「漢文釈例」、そして狩野直禎による解説が収められています。凡例や目次を参照すると、本書はみすず書房より1979年に刊行された単行本の翻刻であり、旧字体を新字体にあらため、古勝隆一さんによる補注と巻末解題「『漢文研究法』を読む」が加えられています。副題は編集部の判断で新たに付したもの。東洋文庫の次回配本は8月、『周作人読書雑記4』とのことです。

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★また、ここ二か月ほどでは以下の書目に注目しました。

パイデイア――ギリシアにおける人間形成(上)』W・イェーガー著、曽田長人訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年7月、本体6,500円、新書判上製864頁、ISBN978-4-86285-276-2
パイドロス』プラトン著、脇條靖弘訳、京都大学学術出版会:西洋古典叢書、2018年7月、本体3,200円、四六変上製288頁、ISBN978-4-8140-01712
模倣と他者性――感覚における特有の歴史』マイケル・タウシグ著、井村俊義訳、水声社:人類学の転回、本体4,000円、四六判上製412頁、ISBN978-4-8010-0349-1
変成譜――中世神仏習合の世界』山本ひろ子著、講談社学術文庫、2018年7月、本体1,460円、464頁、ISBN978-4-06-512461-1
科学者と世界平和』アルバート・アインシュタイン著、井上健訳、佐藤優/筒井泉解説、講談社学術文庫、2018年7月、本体680円、160頁、ISBN978-4-06-512434-5
仕事としての学問 仕事としての政治』マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳、講談社学術文庫、2018年7月、本体880円、232頁、ISBN978-4-06-512219-8
社会学的方法の規準』エミール・デュルケーム著、菊谷和宏訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体950円、264頁、ISBN978-4-06-511846-7
意識と自己』アントニオ・ダマシオ著、田中三彦訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体1,480円、448頁、ISBN978-4-06-512072-9

★イェーガー『パイデイア』上巻は、同書全3部のうち、第Ⅰ部「初期のギリシア」と第Ⅱ部「アッティカ精神の絶頂と危機」を収録(原著初版は1934年)。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻末の訳者解説によれば、第Ⅲ部は続刊予定の下巻で全訳されるとのこと。底本はドイツ語の合本版(1973年)の写真製版による復刻版(1989年)。「本書の題名である「パイデイア」とは、元来、子供の教育、後には教育一般、教養、文化などを意味するに至った古代ギリシア語である。この言葉は前4世紀のプラトン、イソクラテス、特にヘレニズム、ローマ帝政期の著作において重要な役割を果たすに至った。イェーガーは『パイデイア』において、この概念が人口に膾炙する時代よりもはるか前の時代に遡り、古代ギリシアにおける教育の精神史的な展開を、主に市場や哲学、国家や共同体とのかかわりに注目することによって明らかにしている。同書の考察の範囲は、時代的にはホメロスからデモステネスに至るほぼ数百年、ジャンル的には文学、哲学、歴史、宗教、医学、政治、法学、経済その他の領域まで及ぶ」(解説、715頁)。名のみ高く一般読者には手の届かなかった古典的大冊がついに日本語で読めるようになったのは、2018年の人文書における壮挙の一つと言えるのではないでしょうか。

★なお関連書としては、イェーガー自身の死去の前年である1960年のハーバード大学での講演録である『初期キリスト教とパイデイア』(野町啓訳、筑摩書房:筑摩叢書、1964年、絶版)があります。同書の訳者あとがきによればこの本は「序文からの明らかなように、より膨大な形でまとめられ、大著『パイデイア』の最終巻となるべきはずのものであり、そのひな形の役をはたすべきものであった」とのことです。イェーガーの序文は、自身の年齢による限界を自覚しつつも、なおも一歩進み、研究の燈火を掲げようとする意志を示しており、感動的ですらあります。

★プラトン『パイドロス』は、先月発売されたプルタルコス『モラリア4』に続く「西洋古典叢書2018」全6巻の第2回配本。同叢書でのプラトン新訳はこれで5点目。「恋(エロース)の賛否を手掛かりに、魂不死説・魂三区分説・想起説などプラトンの主要思想の宇宙的規模での展開を通じて、最終的に「本当の弁論術」とは何がが探求される。著者の作品内で初めて、自己運動者としての魂という後期に受け継がれる考えが提示される一方、中期の特徴をなすイデア論が積極的に表明される最後の作品という点でも興味深い位置を占めている」(カバー表4紹介文より)。付属する「月報134」には早瀬篤さんによる「学問の誕生を告知する『パイドロス』」と、連載「西洋古典雑録集(8)』(國方栄二さん担当)が収録。次回配本はクイントス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚』とのことです。

★タウシグ『模倣と他者性』は、叢書「人類学の転回」の最新刊。『Mimesis and Alterity: A Particular History of the Senses』(Routledge, 1993)の全訳。オーストラリア生まれで、現在、コロンビア大学教授をつとめる文化人類学者タウシグ(Michael Taussig, 1940-)の著書の翻訳は、同叢書の既刊『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子遊ほか訳、水声社、2016年)に続くもの。「文化相対主義はここでは選択肢でないのは明らかである(「彼らの信じたいものを信じさせておきなさい、そして私たちは自分が信じたいものを信じよう」)。なぜなら、さまざまな反応はお互いに深く関係し合っているからである。すなわち、それぞれの反応は、それら「自身の文化的コンテクスト」と私たちがかつて呼んでいたものと「関係している」以上に、お互いに「関係しているからである」(350~351頁)。「技術的に複製されたイメージでできた世界のスクリーンに映る粉々に砕け散った他者性が放つ次々と流れ去ってゆくわずかな兆候以外に、もはや「コンテクスト」が存在しない〔…〕。この世界では、引用された発言や残像のようなわずかな兆候こそが、行為が存在する場所である」(351頁)。「境界線は溶解し、かつて分断されていた土地土地を覆うように拡大し、すべての土地は境界地帯となる」(同)。

★「私が提案してきたように、もし模倣を、文化が第二の自然を作り出すために使う自然なのだと考えることが有効なのであれば、いまの現状は、この名高い第二の自然は沈没しかかり、非常に不安定である。自然と文化のあいだ、本質主義と構築主義のあいだで右往左往しつつも――あらゆる場所で今日証明されているように、民族的な政治意識の高まりから人工的に作られたものの楽しみに至るまで、次々に新しいアイデンティティーが紡がれて実体となっている――模倣の能力は劇的に新しい可能性のすぐそばにいることに気づかされる」(356頁)。四半世紀前の本ですが、現代人の置かれている状況を考える上で、ベンヤミンを再読する上でも示唆的な内容ではないかと感じます。

★講談社学術文庫の7月新刊より3点。山本ひろ子『変成譜』は春秋社より1993年に刊行された単行本の文庫化。あとがきによれば「「一部直しを入れ、読みやすくし」、「誤記・遺漏が細やかに訂正され、付録の「大神楽次第対照表」の一部も整理・修正」したとのことで、著者は「ただの復刊ではなく、よみがえったといえる」と述懐されています。なお、来年度に春秋社より摩多羅神についての単著を上梓されるそうで、「その最終章は、『変成譜』第二章「大神楽「浄土入り」」の続編、展開版」だとのことです。

★アインシュタイン『科学者と世界平和』は巻末の特記によれば「『世界の名著』66(湯川秀樹・井上健責任編集、中央公論社、1970年)所収の「科学者と世界平和」「物理学と実在」を底本としています。講談社学術文庫に収録するにあたり、新たに佐藤優「アインシュタイン『公開書簡』解説」、筒井泉「『物理学と実在』解説」を付加しました」とのこと「科学者と世界平和」は、国連総会へのアインシュタインの公開状、アインシュタインに対するソ連の科学者たち4名(ヴァヴィロフ、フルムキン、ヨッフェ、セミィヨノフ)による公開状、そしてそれに対するアインシュタインの返事、の3篇から成ります。帯には「〈文明最大の問題についての対話〉シリーズ第二弾」とあります。一昨年に同文庫から発売されたアインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』が第一弾ということだろうと思います。

★ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』は文庫オリジナルの新訳。高名な講演であるこの二篇が一冊にまとめられるのは文庫としては初めてです。コミック版ではイースト・プレスの文庫シリーズ「まんがで読破」で『職業としての学問・政治』として2013年に発売され、近年での単行本新訳では中山元訳『職業としての政治 職業としての学問』が日経BP社の日経BPクラシックスの1冊として2009年に発売されていました。定番である岩波文庫では別々の本として刊行されています。今回の新訳本の訳者あとがきによれば「2019年は「仕事としての政治」の講演から100年にあたり、2020年はマックス・ウェーバー没後100年ということになる」とあります。

★最後に講談社学術文庫の6月新刊より2点。デュルケーム『社会学的方法の規準』は学術文庫のための新訳。原著は1895年刊、底本はPUFのカドリージュ叢書第14版(2013年)ですが、フランソワ・デュベの序文が訳出されていません。既訳文庫には宮島喬訳(岩波文庫、1978年)があります。基準ではなく規準(règles)であることに注意。ダマシオ『意識と自己』は、『無意識の脳――自己意識の脳』(講談社、2003年)の文庫化。原著は『The Feeling of What Happens: Bodyh and Emotion in the Making of Consciousness』(Harcourt Brace & Company, 1999)。訳文を見直したことが巻末の訳者解説に記されています。両書とも目次は書名のリンク先でご確認いただけます。

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# by urag | 2018-07-16 23:21 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 13日

「図書新聞」にメニングハウス『生のなかば』の書評

図書新聞」(2018年7月21日付)に弊社1月刊、ヴィンフリート・メニングハウス『生のなかば――ヘルダーリン詩学にまつわる試論』(竹峰義和訳)の書評「すぐれた教師による「精読」の集中講義――ヘルダーリン詩学全体、そして同時代の思想へと開かれた一書」が掲載されました。評者は大谷大学文学部准教授の廣川智貴さんです。

「わずか14行の詩におよそ200頁の紙幅が費やされる。〔…〕メニングハウスは、韻律分析というきわめてオーソドックスな手法でテクストを分析し、隠された構造をあきらかにしようとする。さながら推理小説のような分析から見えてくるのは、ヘルダーリンの意外な一面である。〔…〕博識な著者に手引きされる読者は、きっと創作の現場に居合わせるような興奮を覚えるにちがいない」と評していただきました。

同書は「叢書・エクリチュールの冒険」の第10弾ですが、第11弾は8月刊、ステファヌ・マラルメ『詩集』柏倉康夫訳、となります。まもなく当ブログにて近刊告知を開始します。

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# by urag | 2018-07-13 16:12 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 11日

フェア棚「じんぶんや 川越」が紀伊國屋書店川越店に誕生

2004年9月に紀伊國屋書店新宿本店で始まった「じんぶんや」というフェア棚の第1回に私も参加させていただいたことがありましたが、今般、堂書店の川越店人文書棚のリニューアルに伴い「じんぶんや 川越」が誕生したとのことです。その記念すべき第1回が開催中。弊社の本はフェアではおいていませんが、ご紹介します。


期間:2018年7月4日(水)~9月30日(日)
場所:紀伊國屋書店川越店2階人文書コーナー

概要:本フェアでは、T.V.O.D.のお二人に1970年代から2010年代(現代)までのサブカルチャーの変遷を解説していただきます。現在語られる「サブカル」は一体、どういう文脈を持つのか? そして、サブカルチャーの未来とは? T.V.O.D.による、約70冊の選書を通したサブカル戦後史入門講義の開講! 1万字におよぶ解説冊子も配布中。

T.V.O.D.(てぃーゔぃーおーでぃー):コメカ+パンスのテキストユニット。2017年、政治とサブカルチャーをごちゃまぜに語る場を作ろうと結成、ブログ「T.V.O.D.」 を開設する。現在は、北尾修一氏主宰の出版社「百万年書房」サイト内で「ポスト・サブカル焼け跡派」連載中。ほか、タブロイド・ジン「Making-Love Club」にも寄稿。5月にWWW/GALLERY X BY PARCOで開催された「THE M/ALL」では精神科医・香山リカさんと鼎談を行う。

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# by urag | 2018-07-11 15:35 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 09日

「週刊金曜日」に荒木優太『仮説的偶然文学論』の書評

週刊金曜日」2018年7月6日号(1191号)の「きんようぶんか」欄に、弊社5月刊、荒木優太『仮説的偶然文学論』の書評「偶然のもたらす妙なる僥倖」が掲載されました。評者は批評家の高原到さんです。「一見雑多な〈触れ‐合い〉のさなかに著者が見出すのは、外部へと開かれた境界的な場所において、断片化された接触にときめく感性の、はかないが確かな煌めきだ。〔…〕寺田〔寅彦〕の称揚する「偶然」が、日本の風土というナショナリスティックな観念によって制御されていると論証する第九章では、テクストの「必然」を見透かす批評家の眼力に思わずうならされてしまう」と評していただきました。

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先週土曜日は、下北沢の本屋B&Bで荒木さんと吉川浩満さんによるトークセッション「クリナメンズ作戦会議」でした。皆様のご来場、ありがとうございました。お二人によって以下のような議論が提示されました。「偶然の出来事を運命だと認識させる装置として、古くは宗教があり、現代ではベネディクト・アンダーソンが指摘するようにナショナリズムがあるが、ジョン・ロールズは「愛」を強調する。しかし果たして愛は偶然を偶然のままにしておけるのだろうか(『仮説的偶然文学論』では中河与一の恋愛至上主義に論及)。偶然と運命を縫合してしまうのではなく、切開してその間に様々なグラデーションとスペクトルがあることを注意深く観察すべきではないか」(趣意)。会場からの質問では多宇宙論との関係性について問う声もあり、非常に興味深い一時でした。

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なお、来週の金曜日には代官山蔦屋書店で荒木さんと来場者が自由に語らうことのできる「人文カフェ」が開催されます。

◎第4回代官山人文カフェ:荒木優太「人生を左右しない偶然について考えよう

日時:2018年7月20日(金)19:00~
場所:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
問い合わせ先:電話03-3770-2525
料金:コーヒー1杯付イベント参加券(1,000円/税込)をご予約頂いた先着50名様に参加券をお渡しいたします。

内容:「代官山人文カフェ」人文書の様々なテーマについてコーヒーを片手に語り合い、いっしょに考える。話を聴いて新たな視点を得たり、思考を深める。第4回テーマは「人生を左右しない偶然について考えよう」。偶然の出会いや事故によって人生は劇的に変わる...のですが、それ以上に私たちの日常は何気ない偶然の連続でできあがってもいます。今朝の電車が少し遅れたのも偶然、昼間訪れたコンビニのバイトがいつもと違う青年に変わっていたのも偶然、いまあなたがこの文章を読んでいるのもきっと偶然。偶然偶然、偶然ばっかり。それになのに私たちは、ある偶然を「運命だ!」「奇跡だ!」と騒ぎ立てる一方で、そうではない偶然はまるで当たり前のことのように無視してすごします。この区別のメカニズムを、荒木優太さんは最新著『仮説的偶然文学論』のなかで「偶然のフィルタリング」と呼んでいます。そもそも偶然を表象するということはどういうことなのでしょう? ちょっと印象に残ってる偶然エピソードを胸に、ぜひお立ち寄りください。

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# by urag | 2018-07-09 23:10 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 08日

注目新刊:ぷねうま舎版『死海文書』全12巻刊行開始、ほか

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死海文書 Ⅷ 詩篇』勝村弘也/上村静訳、ぷねうま舎、2018年6月、本体3,600円、A5判上製30+245+4頁、ISBN978-4-906791-82-8
訳注 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』松長有慶著、春秋社、2018年7月、本体3,500円、四六判上製336頁、ISBN978-4-393-11346-2
処女崇拝の系譜』アラン・コルバン著、山田登世子/小倉孝誠訳、藤原書店、2018年6月、本体2,200円、四六変上製224頁、ISBN978-4-86578-177-9
菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』栗原康著、瀬々敬久・相澤虎之助原作、タバブックス、本体2,200円、四六判並製432頁、ISBN978-4-907053-25-3
NO BOOK NO LIFE Editor's Selection――編集者22人が本気で選んだ166冊の本』雷鳥社、2018年6月、本体1,500円、四六判並製256頁、ISBN978-4-8441-3737-5
文藝 2018年秋季号』河出書房新社、2018年7月、本体1,300円、A5判上製662頁、ISBN978-4-309-97949-6

★『死海文書 Ⅷ 詩篇』は全12巻中の第1回配本。「感謝の詩篇」勝村弘也訳、「バルキ・ナフシ」上村静訳、「外典詩篇」勝村弘也訳、「外典哀歌」勝村弘也訳、「神の諸々の業と共同の告白」上村静訳、を収録。帯文に曰く「最新の校訂・解読を踏まえた、原典からの初めての日本語訳」と。『死海文書』は1940年代後半から1950年代かけて死海北西岸の11の洞窟から発見された羊皮紙およびパピルスの文書群で、ユダヤ教の一派「エッセネ派」と見なされるクムラン教団が伝え、書写したという説が広く支持されています。昨年(2017年)には文書が盗掘されたらしい痕跡を残す12番目の洞穴が発見されたといいます。

★写本は大まかに分類して、ヘブライ語聖書関連、外典・偽典の原語版および未知の古代ユダヤ文献、クムラン教団独自の文書などがあり、古代ユダヤ教のみならず原始キリスト教との関連においても第一級の史料であり、最古の聖書写本を含んでいることは周知の通りです(ただし、初代キリスト教会とクムラン教団との間に直接的な接触があった形跡はないというのが定説)。800余りの文書のうち200本強が聖書写本と同定されており、ぷねうま舎版『死海文書』では「聖書写本以外の約600文書のうち、或る程度意味を成す分量の文章が残っているものすべてを訳出する。また、『ダマスコ文書』についてはカイロ・ゲニザから発見されたものを、さらにクムラン文書と関連のあるいくつかのマサダ出土の写本についても必要に応じて訳出した」、と巻頭の「序にかえて 死海文書とは何か」に記されています。

★『死海文書』は今なお執拗に再生産され続ける陰謀論系の言説やフィクションの影響で学術研究外からの関心も高いため、興味本位で購入される読者もいるかもしれませんが、それはそれで構わないと思います。失われてしまった宗教遺産の異形性もさることながら、ところどころ読解不能な文書の数々に、読む者の想像力を掻き立てる側面があるのは否定しようがなく、教文館版『聖書外典偽典』シリーズや岩波書店版『ナグ・ハマディ文書』シリーズ、さらには『マリアの福音書』『ユダの福音書』『グノーシスの神話』『ヘルメス文書』などとともに、今後も様々な分野のクリエイターにとって霊感の源泉となることが予想できます。

★松長有慶『訳注 秘蔵宝鑰』は凡例によれば「内容について広く江湖の理解を得るために、もとになる漢文を、まず「現代的な表現」に改めて提示し、ついで「読み下し文」を加え、さらに原文中の難解な用語を解説する「用語釈」を付す三段の構成からなる。ただし必要に応じて、「要旨」、「解説」などを付け加えた」と。本書における「現代的な表現」での再提示というのは単純な現代語訳に留まるものではなく、たとえば序の13句中の有名な「生れ生れ生れ生れて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終りに冥し」と読み下されている箇所(「生生生生暗生始 死死死死冥死終」)は、「生から死へと幾度か、輪廻転生を繰り返し、見極めつかぬ漆黒の、始終なき旅を続ける」という風に記述されています。その解釈の根拠については直後の解説に詳しいですが、まさに「現代人が抵抗なく読み得る現代表現」(あとがき)となっていると感じます。「画期的な現代語訳」と帯文が謳っている通りです。

★コルバン『処女崇拝の系譜』は『Les filles de rêve』(Fayard, 2014)の全訳。原題は「夢の乙女たち」とでも訳せそうですが、『処女崇拝の系譜』というのは一昨年お亡くなりになった訳者の山田さんのご発案とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序でコルバンはおおよそこう述べています。見かけたりすれ違ったりしただけの魅惑的な乙女たちが男たちの「感傷的な追憶のうちに刻みこまれ」、現実の恋人や妻の印象を凌駕するようなイメージまで膨らむことがある、と。「このような夢の乙女の姿は、読書したり、絵画や彫刻を見たり、演劇やオペラに通ったりして培われたモデルからきている。これらのモデルへの憧れは、心身ともにステレオタイプ化した肖像となって表れ、またその感受性のありかたにも表れており、それ以上に、床を共にする女たちのところでは決して見出せないような決定的な美質に表れている。本書の目的はまさにここにあるのだ。すなわり、直接に性欲にうったえることなく恋心をかきたてるように導いた一連の紙上の乙女たちを選び出して、その姿を描き出すことである。/精神に占めるその存在感の大きさの順に、こうして選ばれた乙女たちを検討してゆきたい」(12頁)。

★またこうも書いています。「今日、彼女たちのおよぼした影響力を良く理解するのは難しいと思うので、夢の乙女たちの本質的な特性について詳述しなければならない。つまり私が語りたいのは、処女性のことである。残念ながら、かくも長い世紀にわたって重大であったこの概念について書かれた、新しい決定的な歴史は存在しない。そもそもからして、男たちの精神にあって、夢の乙女は処女であり、無傷で、護られているのだ。「すべての時代、すべての国の人びとは、処女性について素晴らしいという思いを抱いている」。フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンは1802年に書いている」(13~14頁)。小倉さんによる訳者解説によえば「コルバンのいう「夢の女」とは、美、慎ましさ、やさしさ、美徳、純潔をすべて備えた女であり、男たち、とりわけ青年たちが理想化し、時として天使のような相貌を付与してしまう女のことである。彼女にはしばしば男を寄せつけないような凛とした佇まいが漂い、その身体は男の欲望から隔離されているかのように守られている。聖母マリアがそうだったと言われるように、永遠の処女性を保持している女――それが「夢の女」ということになる。/西洋の歴史において、そのような女はいつ頃、どこにいたのか? 現実には、生身の人間としてはどこにも存在しなかったが、男たちの想像力――あるいは妄想――のなかでは古代から常に存在してきた」(193頁)。

★「古代神話に登場する月の女神アルテミス(ディアーナ)から、中世イタリアのダンテとペトラルカ、17世紀のシェイクスピア、18世紀のリチャードソンとゲーテ、19世紀のシャトーブリアンとネルヴァルを経て、20世紀のアラン=フルニエまで、時代と国(したがって言語)の多様性に配慮しながら、19人の「夢の女」たちの姿を描き出す」(194頁)。なお、同解説によれば、本書の原稿が版元に手渡されたのは、山田さんの逝去のわずか二日前だったそうです。小倉さんが「校正刷りに目を通し、若干の加筆修正を施し、訳注を追加した」とのこと。女性の性の商品化がしばしば問われるこんにちですが、コルバンが辿った崇拝の系譜は単純に商品化の歴史と同一視するわけにはいかないと思われます。異性の理想像を神聖化することにおいては、女性にとっての男性像というものも一方であるわけで、人文書だけでなく文学、コミック、アニメ、映画、写真集まで話題を広げると、男女の理想像をめぐる興味深いコーナーやフェアができそうです。

★なお、藤原書店さんの直近の注目情報が二つあります。ひとつは藤原良雄社長が今般、アカデミー・フランセーズより「2018年フランス語フランス文学顕揚賞(Prix du Rayonnement de la langue et de la littérature françaises)」を授与されるということ。もうひとつは9月に新雑誌『兜太 TOTA』が創刊されることです。新雑誌第1号の特集名は「金子兜太とは何者か」。筑紫磐井さんが編集長で、編集委員は、井口時男・伊東乾・坂本宮尾・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川・黒田杏子の各氏。黒田さんが(編集主幹)をおつとめになるとのことです。菊大判並製240頁、定価1,944円。寄稿予定者は誌名のリンク先でご確認いただけます。『環』(第Ⅰ期:2000年4月~2015年5月)の後に創刊される新雑誌であるだけに、どんな誌面になるのか、注目したいです。

★栗原康『菊とギロチン』はまもなく発売(7月11日頃)。瀬々敬久監督の映画作品「菊とギロチン」(7月7日よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開中)を、気鋭の政治学者・栗原康さんが評伝的小説として書き上げたもの。「菊とギロチン」の内容は同映画の公式サイトの解説によれば「物語の舞台は、大正末期、関東大震災直後の日本。混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へとむかう時代。登場するのは、かつて実際に日本全国で興行されていた「女相撲」の一座と、実在したアナキスト・グループ「ギロチン社」の青年たち。女だという理由だけで困難な人生を生きざるを得なかった当時の女たちにとって、「強くなりたい」という願いを叶えられる唯一の場所だった女相撲の一座。様々な過去を背負った彼女たちが、少し頼りないが「社会を変えたい、弱い者も生きられる世の中にしたい」という大きな夢だけは持っている若者たちと運命的に出会う。立場は違えど、彼らの願いは「自由な世界に生きること」。次第に心を通わせていく彼らは、同じ夢を見て、それぞれの闘いに挑む――」というもの。


★栗原さんの本はその小説化ですが、版元ウェブサイトに掲載された原作者の瀬々監督のコメントが本書の輝きをもっとも端的に表現していると思います。曰く「脚本の書き直しをやっている時、栗原康さんの著作の数々を心震わせて読んだ。現代をアナキズム的生き方で切り拓こうとする彼の態度に勇気づけられたのだ。そして幸運にも遊撃的著作を書いてもらえることとなる。今回も栗原さんの文章は独特のいわば講談調とも呼ぶべき檄文で、映画『菊とギロチン』が見事なほどに栗原流の血沸き肉躍る菊ギロに読み替えられている。ノベライズとかそんな生易しいものではない。化学変化極まり爆破寸前の爆弾であり、脳天へズドーン小説なのだ。それに感化されてか、自分も思わず戦後史総ざらいの「その後の菊とギロチン」を書いてしまった。乞うご期待!」と。目次詳細や栗原さん自身のコメントは書名のリンク先をご覧ください。

★栗原さんの『菊とギロチン』の出だしはこうです。「人生はクソである。人糞じゃない、犬の糞だ。水洗便所できれいさっぱりとながされることなんてなく、道端にコロッコロしていて、ただただ侮蔑の目でみられるようなあのクソである。この物語は、そんなクソたちによる、クソたちのための、クソったれの人生だ。コロッコロしようぜ、クソくらえ。さあ、はじめよう」(13頁)。予告編にもある東出昌大さんが演じるギロチン社の中濱鐵が語る熱い言葉のくだりは小説ではこうです。「十勝川が腰をゆらしながら、中浜のまわりをまわりはじめた。ウヒョオ、エロいね! 気分上々の中浜は、十勝川にむかって自分の夢をかたりはじめた。「オレの夢はな、満州にいって自分たちだけの国をつくる。そこじゃなにもかも平等で、食うのも平等、はたらくのも平等、貧乏人もカネもちもいない。共存共栄の理想郷だ。」それをきいた十勝川は、わらいながらこういった。「ホントにできるのかい、そんな国。」そんなふたりを古田がジッとみつめている」(229頁)。

★また、予告編につながる別の場面。「花菊がちかづいてきて、こういった。「たいへんなんだよ・・・、十勝川が兵隊みたいな男たちにつれていかれて!」「ナニぃー!」中浜がおどろきの声をあげた。「しばられて、たたかれて・・・、血だらけで・・・。」そういって、花菊は涙をながした。それをきいて、中浜はもういてもたってもいられない。「どこだ! 花菊、つれていけ!」花菊がはしりだす。中浜がついていくが、古田がピクリともうごかない。それに気づいて、花菊が心配そうにたちどまった。てめえ、なにやってんだよと、中浜が檄をとばす。「大さん、いくぞぉ!」それでも古田は微動だにしない。「ダメだよ。オレみたいな男は、なにをやったってダメなんだ!」それをきいて、マジギレした中浜。きょうはじめて、本気でどなった。「バッカヤロォォー! 女ひとり、たすけられねえで、なにが革命だァ!」(267~268頁)。

★なお、映画公開と本書の刊行を記念して、以下の通りイベントが開催されます。

◎栗原康×瀬々敬久×小木戸利光「女相撲とアナキスト――社会に風穴を!

日時:2018年7月15日(日)19:00~21:00 (18:30開場)
会場:本屋B&B(下北沢)
内容:著者の栗原康さん、瀬々敬久監督、大杉栄役の小木戸利光さんが激論!『菊とギロチン』を自主企画として三十年温め続け、ようやく公開まで漕ぎつけた瀬々敬久監督。本作を元にいまだかつていない破壊的評伝小説をかきあげた栗原康さん。映画の中で大杉栄を演じ観客に鮮烈なイメージを与えた小木戸利光さん。それぞれの立場から“菊ギロ”への思いを語っていただきます。震災、国粋主義、貧困、格差など、現代との共通性も感じられる『菊とギロチン』。観るならいましかねえ、読むならいましかねえ。トークイベント、来るならいましかねえ!

★『NO BOOK NO LIFE Editor's Selection』は、2014年に刊行された全国の書店員さんによるブックガイド『NO BOOK NO LIFE――全国の本屋さんが選んだ!僕たちに幸せをくれた307冊の本』の姉妹編で、今度は20社22名(フリーランス含む)の編集者が15のテーマごとに合計166冊を選んで紹介してくれます。さらに「編集者へのQ&A」として15本のコラムも散りばめられています。15のテーマとQ&Aの詳細については、書名のリンク先の「立ち読み」からご確認いただけます。選書テーマは、本の企画性やタイトル、装丁、取材力、独自性、刊行のタイミングなど様々な切り口があって、おそらく書店さんや読者にとって興味深いだけでなく、同業者もしくは出版社を目指す方にとっても参考になる一冊です。

★版元さんのウェブサイトには寄稿者22名の詳細がないようなので、以下に列記しておきます。敬称略にて失礼します。滑川弘樹(多聞堂)、奥川健太郎(三省堂)、三上丈晴(学研プラス)、小林みずほ(KADOKAWA)、天野潤平(ポプラ社)、小塩孝之(洋泉社)、川﨑優子(廣済堂出版)、石毛力哉(原書房)、宮崎博之(淡交社)、木瀬貴吉(ころから)、北島彩(地球丸)、小林えみ(堀之内出版)、古川聡彦(猿江商會)、出口富士子(ビーンズワークス)、安永則子(小さい書房)、鈴木収春(クラーケン)、中岡祐介(三輪舎)、成田希(星羊社)、㓛刀匠(立東舎)、中村徹(雷鳥社)、望月竜馬(雷鳥社)、谷口香織(フリーランス)。

★ブックガイドといえば、角川ソフィア文庫で5月に発売された松岡正剛さんの『千夜千冊エディション 本から本へ』『千夜千冊エディション デザイン知』が6月にははやばやと再版されています。取り上げられている本の書目は書名のリンク先に掲出されていますが、一部正確ではないので、「試し読みをする」の方をご確認いただいた方がいいです。個人的にツボだったのは、『本から本へ』では小川道明『棚の思想』(影書房、1990年)、『デザイン知』ではルネ・ユイグ『かたちと力』(潮出版社、1988年)です。

★松岡さんはリブロ黄金期の社長・小川道明さんの『棚の思想』をめぐって、こうコメントされています。「おもしろい書店というものは、さまざまな棚組みやフェアや組み替えに躍起になってとりくんでいるものだ。もしも、行きつけの書店にそういう雰囲気がないようなら、そういう書店にはいかない方がいい。〔…しかし…〕、ネット書店に頼っていたのでは感覚に磨きはかからない。ぜひとも本屋遊びをし、「棚の思想」を嗅ぎ分けたい」(217頁)。『棚の思想』は出版業界をめぐる小川さんのエッセイをまとめたもので、松岡さんの著書のように本の情報に満ちた編集哲学が開陳されているわけではありませんが、リブロの歴史を知る上では、田口久美子『書店風雲録』(ちくま文庫、2007年)、今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社、2010年)、中村文孝『リブロが本屋であったころ』(論創社、2011年)、辻山良雄『本屋、はじめました』(苦楽堂、2017年)などとともに必読文献と言えます。

★ユイグ『かたちと力』については松岡さんは「それにしても、こういう本、やっぱりぼくとスタッフで作ってみたかった」(51頁)と嘆息されています。テーマもヴィジュアルもすぐれているこの名著は古書価がさがりようがない素晴らしい本で、大げさに言えば本書が書斎にあるかどうかで蔵書世界が変容してしまう類の本です。長い間品切になっているのは出版文化にとって損失ですらあります。なお「千夜千冊エディション」は帯表4の情報によれば、今後、『文明の奥と底』『情報生命』『少年の憂鬱』『面影の日本』などが刊行予定となっています。

★『文藝 2018年秋季号』ではやはり、山本貴光さんの文芸時評「季評 文態百版」(第2回:2018年3月~5月)に注目。「膨大なデータを分類・整理して、活用できる状態にすること。とりわけ、文芸の歴史のなかに現在の状況を定期的に測定し、位置づけるという作業が必要だ〔…〕。まずは事実としてどのような作品がどこにあるか、それはどのようなものかということを見てとりやすくするのがよいだろう。肝心なことは、そうした膨大な材料を、人間の身の丈で把握しやすく表現し、操作しやすくすることだ。/いま私は無理を言っているかもしれない。だが、できる範囲でいいから、この場で観測を続け、少しずつ足場を広げながら、誰もが使える文芸のマップをつくりたいと念じている」(494頁)。こうした構想は研究者のみならず、出版社や書店、図書館にとっても有益なはずで、やめようにもやめられない重大な作業領域に山本さんは足を踏み入れられたのではないかという印象があります。

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★まもなく発売(7月9日)となる、ちくま学芸文庫の7月新刊に注目。

『20世紀の歴史――両極端の時代(下)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,900円、672頁、ISBN978-4-480-09867-2
『古代の鉄と神々』真弓常忠著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、272頁、ISBN978-4-480-09870-2
『餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、288頁、ISBN978-4-480-09875-7
『隊商都市』ミカエル・ロストフツェフ著、青柳正規訳、ちくま学芸文庫、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-480-09878-8

★ホブズボーム『20世紀の歴史(下)』は文庫オリジナルの新訳版の完結篇。下巻は第Ⅱ部「黄金時代」の続きで第10章「社会革命――1945-90年」からはじまり、最終章となる第Ⅲ部「地滑り」第19章「新しいミレニアムに向けて」まで。巻末に読書案内、参考文献、索引など。ホブズボームは本書の最終章で私たちが生きる21世紀についてこう書いています。「新しい千年紀、人類の運命は公的な権能が復活できるか否かにかかっている」(576頁)。「歴史とは、他の多くの重要なことにもまして、人類の罪と愚行の記録である」(588頁)。「われわれが生きている世界は、著しい影響力をここ二、三世紀奮ってきた資本主義の発展というきわめて大きな経済的・科学技術的変化によって捕らえられ、根を奪われ、形が変わった世界である。それが永遠に続かないことはわかっている。少なくとも、そう思うのが合理的である。〔…〕いま、科学技術を用いる経済が生み出す力はあまりにも大きく、環境、つまり人間の生活を物質的に支えている基盤を破壊している。人間が住む社会の構造そのものが、資本主義経済を支える社会的基盤も含め、人類が過去から継承したものが蝕まれていくなかで、壊されようとしている。〔…〕そのような世界は、変わらねばならない」(589~590頁)。「もし人類に未来が与えられるとすれば、それは過去や現在を延長して可能になるのではない。そのつもりで第三千年紀を築こうとすれば、失敗するほかない。そしてその失敗の代償は、つまり、社会を変えることができなかった時に残るのは、暗闇である」(590頁)。

★真弓常忠『古代の鉄と神々』は、同名の親本(学生社、1985年;増補第三版、2012年)の文庫化。「『片葉の葦に生まれる鉄』の発見」は削除され、文庫版あとがきと上垣外憲一さんによる解説が付されています。上垣外さんは本書の論点の核心について次のように書いておられます。「日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在したこと、そしてそれは、日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるということである」。「本書の最初の刊行(昭和60年)が、五斗長垣内遺跡の発見(平成13年:2001年)にはるかに先行するものであることは、本書の先進性を物語って余りある。考古学が、真弓先生の祭祀学を後追いしているのである」。著者は宮司であると同時に大学教授も務めた研究者。初版に付された「はしがき」で著者はこう書いていました。「21世紀に向かって新しい文化の形成のために発想の転換が求められているとき、もっとも古く、もっとも保守的とみなされている神道の学問にたずさわるものよりする、新たな問題の提起であり、古代史研究における従来の方法とは異なったあらたな視点の提供である。いうならば闇に閉ざされた古代の謎を解くため、ここに一灯を掲げて博雅の万灯を待とうとするにほかならない」(7~8頁)。

★藤原彰『餓死した英霊たち』は2001年に青木書店より刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「文庫化に際しては、明らかな誤記を訂正した。そのほか、文脈を明らかにするために編集部による補注を施した箇所がある」とのことです。本書の目的については著者が巻頭の「はじめに」でこう述べています。「この戦争〔第二次世界大戦〕で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、餓死地獄の中での野垂れ死にだったのである。〔…〕戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦争の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質を見ることができる。悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である」(9~10頁)。一ノ瀬俊也さんは解説で次のように述べておられます。本書が明らかにしたのは「1937年に始まった日中戦争、41年に始まって45年まで続いた太平洋戦争の日本側戦死者230万人のうち、実に140万人の死因が文字通りの餓死と、栄養失調による戦病死、いわば広義の餓死の合数であったこと」であり、「2001年の刊行時、この数字は衝撃をもって社会に受け止められた。そして今日に至るまで、先の戦争の惨禍を語る際にはよく引用されている」と。軍人だった著者が敗戦後に研究者となり、晩年に執筆したのが本書でした。「本書を読む者は、戦争に対する著者の深い疑問と怒りが、いっけん淡々とした叙述の背後から立ち上ってくるのを感じ取るだろう」と一ノ瀬さんは評しておられます。また一ノ瀬さんは、かの戦争における飢えと病死の苦しみについての理解を深めるために、著者自身の遺著『中国戦線従軍記』(大月書店、2002年)の併読を薦められています。

★ロストフツェフ『隊商都市』は、1978年に新潮選書の一冊として刊行されたものの文庫化。1931年に刊行されたロシア語版から英訳された1932年の『Caravan Cities』の全訳ですが、底本となる英訳版は、著者自身による部分的書き直しや加筆を反映しているとのことです。文庫版訳者あとがきと、前田耕作さんによる文庫版解説「『隊商都市』多声と深さの復権」が新たに付されています。著者は「序」で「本書は1928年に書いた一連の紀行文を纏めたものである」と書いています。目次を列記しておくと、第一章「隊商貿易とその歴史」、第二章「ペトラ」、第三章「ジェラシュ」、第四章「パルミュラとドゥラ」、第五章「パルミュラの遺跡」、第六章「ドゥラの遺跡」。巻頭には訳者の青柳正規さんによる「隊商都市随想」が置かれています。「メソポタミア、エジプト、ギリシア、地中海、文明揺籃の地に囲まれキャラバン交易で反映した古代オリエント都市の遺跡に立ち、往時の繁栄に思いを馳せた紀行」(カバー表4紹介文)。

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# by urag | 2018-07-08 23:51 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 05日

ブックフェア「『エコラリアス』刊行記念フェア」@東京堂書店神田神保町店

ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』(関口涼子訳、みすず書房、2018年6月)の刊行記念ブックフェアが東京堂書店神田神保町店の3F哲学思想書コーナーで来月(2018年8月)末まで開催中です。弊社本ではアガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』、同『思考の潜勢力』、星野太『崇高の修辞学』、岡田温司『アガンベンの身振り』が並んでいます。店頭ではみすず書房さんが制作された冊子「ダニエル・ヘラー=ローゼンとは何者か?――『エコラリアス』読書案内&ブックリスト」が無料配布されています。同冊子には、星野太さんが「新たな文献学――アガンベンとヘラー=ローゼン」という文章を寄稿しておられます。星野太さんは同フェアの選書協力にも尽力されたと伺っています。


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# by urag | 2018-07-05 15:04 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 02日

「週刊読書人」にナンシー『ミューズたち』の書評

「週刊読書人」2018年6月29日号に、弊社4月刊、J-L・ナンシー『ミューズたち』の書評「「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性――複数の読者に開かれた書 新たなナンシー像を伝える」が掲載されました。評者は渡名喜庸哲さんです。渡名喜さん、ありがとうございます!

「本書の眼目は、いわば「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性についての省察にあるということができる。/ただし、いっそう興味深いのは、この問題を考えるために、ナンシーが、みずからの哲学的な道具立てのすべてを動員して考察を展開していることだ。〔…〕本書は「芸術の終焉」についてのナンシーの論として読めるばかりか、「芸術の終焉」を緒にしたナンシー哲学への導入としても読めるだろう。〔…〕とくに洞窟壁画については、いみじくも九〇年代にフランスで発見された二つの洞窟壁画とナンシーを結びつけて論じる巻末の暮沢剛巳氏による日本語版解説が参考になる。/ナンシーの芸術論としては、すでに『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳、以文社、二〇〇六年)が読めるが、それに先立つ時期のナンシーの芸術観をまとまって示す本訳書の公刊により、哲学・神学・政治・科学・芸術と幅広い視座で考察を続けるナンシーの思想が、いっそう有機的に理解できることになった。『私に触れるな ノリ・メ・タンゲレ』(荻野厚志訳、未來社、二〇〇六年)に続き、新たなナンシー像を日本の読者に伝えてくれた訳者の功績を讃えたい。難解で知られる哲学者だけに、内容的には難しい箇所がないわけではないが、現代において「芸術」の「根拠」についての根本的な考察を試みる本書は、哲学や美学を専門とする読者ばかりでなく、「芸術」とはいかなるものかを考える複数の読者に開かれているだろう」。

なお同日号の1面と2面には、マルクス・ガブリエル来日インタビュー「入門マルクス・ガブリエル」(聞き手・解説=浅沼光樹)が掲載されており、必読かと思います。

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# by urag | 2018-07-02 12:06 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)