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2017年 09月 04日

「ふらんす」に、金澤忠信『ソシュールの政治的言説』の書評

白水社さんの月刊誌「ふらんす」2017年9月号で、弊社6月刊の金澤忠信『ソシュールの政治的言説』について、加賀野井秀一さんが書評「〈一般言語学〉から遠く離れて」を寄せて下さっています。「金澤氏は10世紀の小新聞・雑誌にいたるまで実に丹念に追跡して」いると評して下さいました。また同書評では同月刊の金澤さん訳によるソシュール『伝説・神話研究』と、7月刊のロゴザンスキー『我と肉』(松葉祥一ほか訳)にも言及して下さり、弊社について「敢闘賞もの」とのお言葉を頂戴しました。『我と肉』は同誌の情報コーナー「さえら」でも書誌情報をご掲載いただいています。加賀野井先生、白水社さん、ありがとうございます。




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# by urag | 2017-09-04 18:12 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 03日

注目新刊:『魅了されたニューロン』『禁書』、ほか

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魅了されたニューロン――脳と音楽をめぐる対話』P・ブーレーズ/J-P・シャンジュー/P・マヌリ著、笠羽映子訳、法政大学出版局、2017年8月、本体3,600円、四六判上製358頁、ISBN978-4-588-41032-1
禁書――グーテンベルクから百科全書まで』マリオ・インフェリーゼ著、湯上良訳、法政大学出版局、2018年8月、本体2,500円、四六判上製204頁、ISBN978-4-588-35233-1

★『魅了されたニューロン』は『Les Neurones enchantés: Le cerveau et la musique』(Odile Jacob, 2014)の全訳。作曲家ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925-2016)と、神経生物学者シャンジュー(Jean-Pierre Changeux, 1936-)、作曲家マヌリ(Philippe Manoury, 1952-)による鼎談本。第一章「音楽とは何か?」、第二章「「美」のパラドックスと芸術の規則」、第三章「耳から脳へ──音楽の生理学」、第四章「作曲家の頭の中のダーウィン」、第五章「音楽創造における意識と無・意識」、第六章「音楽的創造と科学的創造」、第七章「音楽を学ぶ」、の全七章構成です。

★シャンジューは一時期、作曲家アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905-1974)に作曲を習っていた(24頁)と明かしており、ブーレーズに次々と興味深い質問をぶつけています。マヌリはしばしば緊張感あふれるブーレーズとシャンジューの間(あいだ)をところどころで巧みに取り持っていて、二人の時折沈思する間(ま)をうまく引き受けているように思えます。二人の距離感が一気に縮まるように見える瞬間が最初に到来するのはようやく第二章の途中になってからです。次のようなやりとりがあります(75~77頁)。

シャンジュー:革新はあなたの作品の根本的な要素であるように思われますが、作曲家としてのあなたの広範なキャリアを通じて、あなたがつねにとりわけ革新に腐心してこられたのは、どのような理由のためなのですか?

ブーレーズ:それは生物学的必要だと言いましょうか。〔・・・〕まったく単純にいつも同じ動作を繰り返すことはできないのです。それは自分自身に対する不快感の問題です。「もうそれはすでにやった」とそこで考えるわけです。

シャンジュー:問題になるのは、不快感、あるいは退屈、疲労ですか?

ブーレーズ:不快感ですね。それがしまいには耐えがたくなるのです。〔・・・〕偶発事を予期し、それを活用すべきです。予想外の何かが眠りを妨げにきて、反応を促すのです。「おや、その通りだ、私はそんなことを考えたことがなかった」と思うわけです。〔・・・〕新しいものを捕まえ、それを飼いならす必要があります。作曲家は言ってみれば捕食者です。〔・・・〕それらのものと自分との間に突如現実性が生じるのですが、後になるともはやその現実性は理解できないので、それをまさにその時に捉えなければならないのです。自分が何をしたかを意識しているとはいえ、後戻りすることはできません。〔・・・〕。

シャンジュー:そうした革新は科学的進歩と比べられるでしょうか?

ブーレーズ:問題になっているのは革新であって、進歩ではありません。モーツァルトより私たちが進歩するということはありません。けれども、革新という意味で、新しさの重要性を強調するということであなたにまったく同意します。言い換えれば、いくつかの恒常性とともに行動範囲が変わるのです。

★こうしたやりとりのあとブーレーズはこう答えます。「芸術的な創作活動においては、進歩はなく、あるのは、とくに西洋においてですが、絶えず変形している文法的規則に応じた視点の変化です。それらの発展的変遷は人為的ではなく、育まれるのだとでも言えるでしょう。それらは、個々人の行為であり、個々人は個人として自己を表現することを望み、むろん、それらを取り巻く世界と繋がってはいますが、自分を取り巻く世界を、個人として表現します」(78頁)。

★本書にはこのほかにも興味深いやりとりがあちこちに見いだされ、シャンジューの人間観や文明観、そしてブーレーズの音楽観を読み取ることができます。ブーレーズの音楽観の一端は例えば次のような発言にも表れているかもしれません。「音楽は非物質的であり、あるいはもっと正確には、売ったり買ったりでき、自宅の壁に掛けたり、ナイトテーブルに置いておける物のかたちで提供されません〔・・・〕。音楽の市場は存在せず、したがって金銭的な投機もありません。〔・・・〕それは音楽の唯一の利点なのです。音楽はたしかに投機から守られています。投機はずっと後になって、まず自筆譜に、第二に入場者数、興行成績に関わることに介入してくるだけです。ヴァーグナーの作品を上演すれば、ホールは満杯になりますし、新作初演をやろうとすると、ホールの三分の二は空席です。したがって、作品はあるがままの存在、つまり新しさへの侵入なのですから、作品が損をするだろうという意味でも競争はありません。けれども〔・・・〕目下話題の出来事なら、人々は押し寄せます。重要なのは当節の流行であり、流行に賛成であるか反対であるかなのです。流行に適った何かを提供すれば、公衆は好奇心からやって来ます。もしそれが流行に逆らう何かだったり、一層難しく、取っつきにくい何がだったりすれば、公衆は、新しさを怖れるので、やって来ません。そして新しさに対する恐れは新しさに対する欲求よりもはるかに大きいのです」(70頁)。

★シャンジューとの対比から見て、ブーレーズの言葉は折々に厳しく、安易な協調や楽観を退けます。時に冷徹なリアリズムに響くブーレーズの最晩年の言葉は、どれも印象的です。

★『禁書』は、『I libri proibiti da Gutenberg all'Encyclopédie』(Laterza, 1999)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきの文言を借りると本書は「主にトレント公会議前後から本格的に始まった禁書目録の作成や対応を通して、統治する側の論理と統制の組織化、そして管理に対する人々の対策や統制の網の目を逃れていく方法について、イタリア半島のみならず広くヨーロッパ社会の地域ごとの事情を解き明かした歴史書である。第一章の「出版規制」では、出版物の管理・監督について主に検閲という観点から明らかにし、第二章の「文化追放」では、各地域に対して個別に作成され、適用された禁書目録の内容について扱い、第三章の「検閲の限界」では、検閲制度では、検閲制度の限界と十六世紀末以降の時代の変化を指摘し、第四章の「絶対主義と検閲」では、教会主導から国家による統制への変化、そして出版の自由へといたる時代の流れを扱う。全章を通じてイタリア半島の諸国家の事情だけでなく、ヨーロッパ各国の状況について比較・検討を行っている」ものです。

★情報統制や検閲や規制(自己規制を含む)が活きている現代社会の淵源を考える上で重要であるだけでなく、表現の自由や知る自由を獲得してきた歴史を振り返る上でも参照すべき基本書であると思われます。巻頭の「著者から日本の読者へ」で著者はこう書いています。「社会の全階層における書籍の伝播、購読と著述の増加、そしてラテン語に替わる各国の言語の確立は、社会と権力の間のこれまでとは異なる関係性の基盤を作り出します。十七世紀から十八世紀の間、読書を行う大衆は引き続き増加していきますが、彼らは統御に関する規定に従う姿勢をつねには見せていなかったのです。こうした状況は、活発な非合法市場のおかげでもあり、この市場はヨーロッパ中で組織され、枝分かれし、当局の課す購読に有効な形で代替となるものを提供できたのです。/著述と購読が自由でなければならないという考え方は、こうした背景から生まれ、発展しました。意見表明や表現の自由の権利が現代文明の主要原則の一つとなり始めたのは、まさにその瞬間であったのです」(vi頁)。著者のインフェリーゼ(Mario Infelise, 1952-)さんはイタリアの出版史家。ミラノ大学やヴェネツィア大学で教鞭を執られています。

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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

松本圭二セレクション(1)ロング・リリイフ』航思社、2017年9月、本体2,500円、四六判上製112頁、ISBN978-4-906738-25-0
松本圭二セレクション(3)詩篇アマータイム』航思社、2017年9月、本体2,600円、四六判上製106頁、ISBN978-4-906738-27-4
松本圭二セレクション(8)さらばボヘミヤン』航思社、2017年9月、本体2,400円、四六判上製236頁、ISBN978-4-906738-32-8
心は燃える』ル・クレジオ著、中地義和/鈴木雅生訳、作品社、2017年8月、本体2,000円、四六判上製198頁、ISBN978-4-86182-642-9
ヤングスキンズ』コリン・バレット著、田栗美奈子/下林悠治訳、作品社、2017年8月、本体2,400円、四六判上製292頁、ISBN978-4-86182-647-4
誰が何を論じているのか――現代日本の思想と状況』小熊英二著、新曜社、2017年8月、本体3,200円、四六判並製554頁、ISBN978-4-7885-1531-4
ワードマップ 現代現象学――経験から始める哲学入門』植村玄輝/八重樫徹/吉川孝編著、富山豊/森功次著、新曜社、2017年8月、本体2,800円、四六判並製318頁、ISBN 978-4-7885-1532-1
現代思想2017年9月号 特集=いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方』青土社、2017年8月、本体1400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1352-3
現代思想2017年9月臨時増刊号 総特集=かこさとし――『だるまちゃん』『からすのパンやさん』から科学絵本、そしてあそびの大研究まで…広がり続ける表現の世界』青土社、2017年8月、本体1,800円、B5変型判並製284頁、ISBN978-4-7917-1351-6
現代思想2017年8月臨時増刊号 総特集=恐竜――古生物研究最前線』青土社、2017年7月、本体1,800円、A5判並製254頁、ISBN978-4-7917-1350-9
現代思想2017年8月号 特集=「コミュ障」の時代』青土社、2017年7月、本体1,400円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1349-3

★まず航思社さんの新刊。『ロング・リリイフ』『詩篇アマータイム』『さらばボヘミヤン』は「松本圭二セレクション」の第1回配本(3冊同時発売)。同セレクションは月報付きで全9巻、隔月刊予定で、詩人でありフィルム・アーキヴィストの松本圭二(まつもと・けいじ:1965-)さんの詩集、小説、評論およびエッセイを集めた選集です。前田晃伸さんさんによる瀟洒な造本が際立っています。『ロング・リリイフ』(七月堂、1992年)、『詩篇アマータイム』(思潮社、2000年)の2点は詩集の再刊で、『さらばボヘミヤン』は表題作(『新潮』2009年7月号)、「タランチュラ」(『すばる』2011年12月号)、「ハリーの災難」(『すばる』2012年6月号)の3本をまとめた小説集です。出色なのは『詩篇アマータイム』で、著者解題の言葉を借りると「テクストを重層的に配置」した「交響楽のスコア」のような紙面は必見です。

★次に作品社さんの新刊。『心は燃える』はル・クレジオの中短篇小説集『Cœur brûle et autres romances』(Gallimard, 2000)の全訳。「心は燃える」「冒険を探す」「孤独という名のホテル」「三つの冒険」「カリマ」「南の風」「宝物殿」の7本を収め、巻末に訳者による解題が付されています。『ヤングスキンズ』はアイルランド文学界の期待の新星だというバレット(Colin Barrett, 1982-)のデビュー作『Young Skins』(Stinging Fly Press, 2013)の翻訳。ガーディアン・ファーストブック賞、ルーニー賞、フランク・オコナー国際短編賞などを受賞している話題作で、帯文によれば「経済が崩壊し、人心が鬱屈したアイルランドの地方都市に暮らす無軌道な若者たちを、繊細かつ暴力的な筆致で描きだす、ニューウェイブ文学の傑作」と。カヴァーの個性的な装画は葉山禎治さんによるもの。

★続いて新曜社さんの新刊。『誰が何を論じているのか』は巻頭におかれた著者による「読者の方々へ」によれば、「私が本書に収録された論評を書いたのは、2013年4月から2016年3月である。私はこの時期、朝日新聞の論壇委員という仕事をしていた。この仕事のため、私のもとには、毎月毎週、朝日新聞社からさまざまな雑誌が送られてくる。それを読み、これはと思った論文をとりあげながら論評するのが論壇委員の仕事だ。〔・・・送られてくる様々な雑誌の〕ほぼ全てに目を通し、傍線を引き、付箋を貼り、切り抜き、メモをとる作業を、この六年ほど続けている。論評にとりあげたのは、そのなかのごく一部だ」。目次は書名のリンク先をご覧ください。

★『現代現象学』はシリーズ「ワードマップ」の最新刊で、まえがきによれば「第1部・基本編……現象学的哲学の基本的な発想や概念の解説」「第2部・応用編……哲学の諸問題に対する現象学からのアプローチの試み」という二部構成。同書の刊行を記念し、紀伊國屋書店新宿本店3階哲学思想書エンド台にてブックフェア「いまこそ事象そのものへ!――現象学からはじめる書棚散策」が先月より今月末まで開催中です。同書は新宿本店総合ランキング9位に入る売行で、フェア全体の売上も絶好調と仄聞しています。フェア用に作成された36頁もの力作ブックガイド(第一部「現象学:源流から現代へ」、第二部「哲学の古典的主題」、第三部「現代の哲学・諸学との接点」)が配布されています。ぜひ店頭にてご確認下さい。

★最後に青土社さんの月刊誌「現代思想」でのここ2ヶ月の間に発売された通常号2点と臨時増刊号2点。先日も言及した8月通常号「「コミュ障」の時代」は、國分功一郎さんと千葉雅也による討議「コミュニケーションにおける闇と超越」や、新連載として磯崎新さんによる「瓦礫(デブリ)の未来」などを掲載。8月臨時増刊号「恐竜」では、吉川浩満さんの「私の恐竜」、大橋完太郎さんの「怪物・化石・恐竜――フランスにおける近代自然史の展開から」などを掲載。9月臨時増刊号「かこさとし」では、國分功一郎さんによる、かこさとしさんへのインタビュー「学ぶこと、生きることの意味を求めて――子どもと社会のあいだから」をはじめ、中村桂子さんによる「生活の中での子どもをよく見て、子どもの声を聞く――加古里子さんと生命誌の出会い」、篠原雅武さんの「かこさとしにおける不信と怒り――「怒りの時代」を生き抜くために」などを掲載。9月通常号「いまなぜ地政学か」では、伊勢崎賢治さんと西谷修さんいよる討議「「非戦」のための地政学」や、中野剛志さんへのインタビュー「地政経済学の射程――グローバリゼーションの終焉以後を読み解く」などを掲載。10月通常号の特集は「ロシア革命」と予告されています。

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# by urag | 2017-09-03 14:25 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 27日

注目新刊:ラング『夢と幽霊の書』作品社、ほか

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夢と幽霊の書
アンドルー・ラング著、ないとうふみこ訳
作品社、2017年8月、本体2,400円、四六判上製304頁、ISBN978-4-86182-650-4

帯文より:ルイス・キャロル、コナン・ドイルらが所属した心霊現象研究協会の会長による幽霊譚の古典、ロンドン留学中の夏目漱石が愛読し短篇「琴のそら音」の着想を得た名著、120年の時を越えて、待望の本邦初訳!

目次:
はじめに
第一章 夢
第二章 夢と幻視
第三章 水晶玉による幻視
第四章 幻覚
第五章 生き霊
第六章 死者の幽霊
第七章 目的を持って現れた霊
第八章 幽霊
第九章 幽霊と幽霊屋敷
第一〇章 近世の幽霊屋敷
第一一章 さらなる幽霊屋敷
第一二章 大昔の幽霊
第一三章 アイスランドの幽霊
第一四章 さまざまなおばけ
原註
訳註
訳者あとがき
一二〇年の時を経てあらわれた幻の本(吉田篤弘)

★原書は1897年に刊行された『The Book og Dreams and Ghosts』で、1899年の第2版の前書きも訳出されています。「〔民話・説話・童話の〕蒐集家と語り部としてのラングの力がフルに発揮された、怪異にまつわる古今東西の実話集」(訳者あとがき)です。全14章に75篇を収めています。晩夏の暑気払いに味読したい一冊です。

★アンドルー・ラング(Andrew Lang, 1844-1912)はスコットランドの詩人・小説家・文芸批評家。先に引いた訳者あとがきでないとうさんはラングについて「日本では、『あおいろの童話集』をはじめとする色名のついた童話集の編纂者として最もよく知られている。また童話以外でも、『書斎』(生田耕作訳、白水社)、『書物と愛書家』(不破有理訳、図書出版社)といった、書物へのマニアックな愛を語るすぐれた随筆が紹介されている。だが、ラングの業績は、これだけではとうてい網羅できないほど多岐にわたっている」と記し、さらに詳しい経歴を紹介しています。特に本作との関係では心霊現象研究協会に1882年の設立当初から会員として所属し、逝去する前年には会長も務めたとのことです。

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★また、最近では以下の新刊との出会いがありました。

戦う姫、働く少女』河野真太郎著、堀之内出版;POSSE叢書003、2017年7月、本体1,800円、四六判並製240頁頁、ISBN978-4-906708-98-7
明治・大正期の科学思想史』金森修編、勁草書房、2017年8月、本体7,000円、A5判上製472頁、ISBN978-4-326-10261-7
エドワード・ヤン――再考/再見』フィルムアート社編集部編、蓮實重彦ほか著、フィルムアート、2017年8月、本体3,000円、A5判並製472頁、ISBN 978-4-8459-1641-2
パリに終わりはこない』エンリーケ・ビラ=マタス著、木村榮一訳、河出書房新社、2017年8月、本体2,400円、46変形判304頁、ISBN978-4-309-20731-5
定版 見るなの禁止――日本語臨床の深層』北山修著、岩崎学術出版社、2017年8月、本体3,700円、A5判上製304頁、ISBN978-4-7533-1121-7
臨床心理学 増刊第9号 みんなの当事者研究』熊谷晋一郎編、金剛出版、2017年8月、本体2,400円、B5判並製200頁、ISBN978-4-7724-1571-2
はじめてまなぶ行動療法』三田村仰著、金剛出版、2017年8月、本体3,200円、A5判並製336頁、ISBNISBN978-4-7724-1571-2
古都の占領――生活史からみる京都 1945‐1952』西川祐子著、平凡社、2017年8月、本体3,800円、4-6判上製516頁、ISBN978-4-582-45451-2
故郷』李箕永著、大村益夫訳、平凡社;朝鮮近代文学選集8、2017年8月、本体3,500円、4-6判上製552頁、ISBN978-4-582-30240-0
国民再統合の政治――福祉国家とリベラル・ナショナリズムの間』新川敏光編、ナカニシヤ出版、2017年8月、本体3,600円、A5判上製310頁、ISBN978-4-7795-1190-5
功利主義の逆襲』若松良樹編、ナカニシヤ出版、2017年8月、本体3,500円、A5判上製272頁、ISBN978-4-7795-1189-9
講義 政治思想と文学』堀田新五郎/森川輝一編、ナカニシヤ出版、2017年8月、本体4,000円、4-6版並製400頁、ISBN978-4-7795-1191-2

★『戦う姫、働く少女』は『〈田舎と都会〉の系譜学――二〇世紀イギリスと「文化」の地図』(ミネルヴァ書房、2013年)に続く、河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-;一橋大学大学院商学研究科准教授)さんの単独著第二作。『POSSE』誌で2014年から2015年にかけて連載された「文化と労働」を加筆修正したものです。発売後目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ジブリやディズニーなど映画作品から現代の女性像を読み解く話題作で、発売1ヶ月で早くも重版とのことです。著者が最終的に取りつかれたアイデアだという「連帯とは他者の欲望や願望を受け取ることであり、その願望はそれが他者のものであるがゆえにより強いものになる」(236頁)という言葉が印象的です。刊行記念トークイベント「戦闘美少女はなぜ働くのか」が来月9月7日19時から、Readin'Writin'(銀座線・田原町徒歩3分)にて行われます。参加費500円当日現金精算、定員20名要予約です。

★『明治・大正期の科学思想史』は科学思想史研究の第一人者、金森修(かなもり・おさむ:1954-2016)さんの編書三部作である『昭和前期の科学思想史』2011年、『昭和後期の科学思想史』2016年、に続く完結編論文集です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。奥村大介さんによる巻末附記によれば、三部作にさらに遡る編著書『科学思想史』2010年、と合わせて四冊で「勁草・科学思想史」シリーズと括っておられます。今回刊行された遺作には金森さんの序論やあとがき、さらに「疾病の統治――明治の〈生政治〉」と仮題を付された論攷が掲載予定だったものの、逝去によって叶わなかったことが説明され、さらに論攷の内容構想についても言及されています。

★『エドワード・ヤン――再考/再見』は台湾の映画監督で、今年生誕70年を迎えるエドワード・ヤン(楊徳昌:1947-2007)をめぐる論文集。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。現在、1991年の作品『牯嶺街〔クーリンチェ〕少年殺人事件』の4Kレストア・デジタルリマスター3時間56分版が都下では下高井戸シネマで9月1日(金)まで上映されています(2K変換上映)。その他劇場情報はこちらでこちらをご覧ください。また同作品と『台北ストーリー』(1985年)のブルーレイとDVDが11月2日に発売となるとのことです。今回の論集では同作品をめぐる論考を丹生谷貴志さんがお書きになっているほか、監督のインタビュー2本「映画はまだ若い」(聞き手=坂本安美)と「人生のもう半分を映す窓」(聞き手=野崎歓)のほか、監督と四方田犬彦さんの対談「JAMMING WITH EDWARD」が収められています。巻末にはフィルモグラフィ、バイオグラフィ、関連図書が配されています。

★『パリに終わりはこない』は『París no se acaba nunca』(Barcelona: Anagrama, 2003)の翻訳。帯文に曰く「現代文学の再前衛『バートルビーと仲間たち』以後の代表作。暴走するアイロニー、パリのスペイン人。〈ヘミングウェイそっくりさんコンテスト〉最下位の「私」がデュラスの屋根裏部屋での青春を回想? 講演? 小説?する」と。訳者あとがきではこう説明されています。「彼の小説は自伝的要素が織り込まれたフィクションで、自らも自身の作品を《自伝的フィクション》autoficciónと呼んでいる〔・・・〕。〔・・・『パリに~』は〕1974年からパリで2年間文学修行した時のことがさまざまなエピソードや引用をまじえながら語られている」と。バルセロナの作家ビラ=マタス(Enrique Vila-Matas, 1948-)の既訳小説2点はいずれも今回と同じく木村榮一さんによって訳されています。『バートルビーと仲間たち』(新潮社、2008年)、『ポータブル文学小史』(平凡社、2011年)。『パリに~』はこれらに続く3点目となります。

★『定版 見るなの禁止』はまもなく発売。1993年に刊行された『北山修著作集:日本語臨床の深層』第1巻をもとに再編集された決定版。それぞれの目次を比べてみても旧版とは異なっていることが分かりますが、より詳しくは、旧版の各章が今回の定版でどのように変更されているのかを記してある、291頁の旧版目次をご確認ください。「見るなの禁止」というのは、見てはいけないという禁止であり、「動物が人間の姿で嫁に来るけれども、正体を見られて去る」という形式を持つ「異類婚姻説話」に見られるものです。定版で新たに加えられた工藤晋平さんによる解説にはこうあります。見るなの禁止とは「対象の二面性に急激に直面し、幻滅することを防ぐ設定である」(282頁)。「対象の二面性に直面した時の、嫌悪感、罪悪感、環境の失敗を噛みしめる、抑うつポジションでのワークスルーが、見るなの禁止を巡る課題である。それがはかなく消えゆく媒介的対象をはさんで間を置く移行の作業に他ならないことを、北山は説いている」(285頁)。工藤さんはこのテーマをめぐる北山さんの歩みを「長い旅をみているよう」だ(281頁)と評しておられます。

★『臨床心理学 増刊第9号 みんなの当事者研究』と『はじめてまなぶ行動療法』は金剛出版さんの今月新刊です。前者は『臨床心理学』誌の増刊号で、國分功一郎さんと編者の熊谷晋一郎による対談「来たるべき当事者研究」をはじめ、河野哲也さん、村上靖彦さん、上野千鶴子さん、坂口恭平さんほか、多数の論考を収録した必読号です。『はじめてまなぶ行動療法』は版元紹介文に曰く「「パブロフの犬」の実験から認知行動療法、臨床行動分析、DBT、ACT、マインドフルネスまで、行動療法の基礎と最新のムーブメントをていねいに解説する研究者・実践家必読の行動療法入門ガイド」であり、「はじめて読んでもよくわかる,行動療法の歴史・原理・応用・哲学を学べる教科書」と。巻末に充実した「用語解説・定義」と300冊強の引用文献一覧あり。

★『古都の占領』と『故郷』は平凡社さんの今月新刊。『古都の占領』は帯文に曰く「1952年の講和条約発効までは休戦期であり、戦争状態はつづいていた――国は忘却に躍起となり、人々は故意に忘れたいと願った占領の事実から戦争そのものの構造を問う」という、非常に興味深い力作です。『故郷』はシリーズ「朝鮮近代文学選集」の第8巻で、版元紹介文の文言を借りると「朝鮮プロレタリア文学を代表する作家」である李箕永(イ・ギヨン:1895~1984)の最高傑作。日本統治下の荒廃する農村に生きる小作人の群像を描いたものとのことです。

★『国民再統合の政治』『功利主義の逆襲』『講義 政治思想と文学』はナカニシヤ出版さんが今月刊行されたアンソロジー。収録作品詳細は書名のリンク先をご覧ください。『国民再統合の政治』は帯文によれば「各国で移民問題が深刻化し排外主義が台頭するなか、新たな統合の枠組みとして、リベラル・ナショナリズムが提唱されている。国民統合戦略の以降のなかで、福祉国家の弱体化、極右政党の台頭、多文化主義の実態を、各国の事例をもとに分析する」論集。『功利主義の逆襲』は「反直観論法は成功しているか」「功利主義の動学」「功利主義的な統治とは何か」の三部構成による論文集で、『法哲学年報2011』(日本法哲学会による2011年の「功利主義ルネッサンス」と題した学術大会の成果をまとめたもの)の続編とのことです。『講義 政治思想と文学』は、カミュ、シェストフ、ディドロ、バーク、ヴェイユ、フロベール、メルヴィルらの作品を「政治と文学」という視点から読み解く7本の論考に加え、作家の平野啓一郎さんによる特別講義「『仮面の告白』論」(『新潮』2015年2月号に掲載された同題の三島由紀夫論に加筆修正したもの)と、京都大学名誉教授の小野紀明さんによる最終講義「戦後日本の精神史――三島由紀夫と平野啓一郎」を併載しています。

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# by urag | 2017-08-27 17:58 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 24日

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる本屋さん

2017年9月15日(金)オープン
ブックスMOA大曲店:図書422坪、文具122坪、カフェ50坪
秋田県大仙市飯田字堰東219番地
日販帳合。弊社へのご発注は写真集数点。取次の発注依頼書および挨拶状によれば、大曲店は秋田県下にて「ブックスMOA」屋号で4店舗を運営している秋田トヨタが展開する5店舗目。国道105号線(大曲西道路)の飯田インターチェンジ出入口から100メートルほどの郊外に位置し、県内陸部の横手、大仙、湯沢エリアで一番店を目指すとのことです。また秋田トヨタと丸善ジュンク堂書店の連名による挨拶状には、什器レイアウト・選書・ジャンル構成・棚詰・研修に至るまで、業務提携先である丸善ジュンク堂書店の全面協力を得ているとのことです。ブックスMOAの特徴はトヨタのディーラーが併設されている点。

弊社のようなパターン配本を実施していない版元が気になるのは、今後の新刊の取り扱いについてです。同チェーンでは支店さんから新刊の事前発注が入ったことがないため、初期在庫のみのお付き合いに終わってしまいがちなのです。せっかく新規開店用に出品したものの、その先が続かないという。その辺を日販さんや書店さんには分かっていただけたら、と願っている次第です。

2017年10月28日(土)オープン
ジュンク堂書店秋田店:図書507坪
秋田県秋田市千秋久保田町4-2 秋田オーパ 6F
トーハン帳合。弊社へのご発注は芸術書および人文書の主要商品。今年2月26日に閉店した旧秋田店でしたが、秋田フォーラスが耐震工事によって秋田オーパへと生まれ変わるのに伴い、6Fに出店。丸善ジュンク堂書店の挨拶状によれば、「再オープンに際しまして売場が2フロアから1フロアになり売場面積が643坪から507坪に変更となりますが基本コンセプトは変更することなく専門書をはじめとした商品の充実を計り、地域一番の品揃えを目指」すとのことです。営業時間は10時から21時。

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このほか、短冊のみのご発注では福岡市の六本松蔦屋書店さんや、中央区日本橋のHAMA HOUSEさんから芸術書のご発注を頂戴しました。

前者の六本松蔦屋書店は、「西日本新聞」2017年2月2日付記事「六本松九大跡地に「蔦屋書店」と「ボンラパス」 今秋開業、JR九州が発表」によれば、JR九州は福岡市中央区六本松の九州大キャンパス跡地に複合ビルと分譲マンションを建設中で、複合施設の低層棟である「六本松421」(10月オープン予定)の1Fにスーパー「ボンラパス」、2Fに蔦屋書店や学童保育施設やクリニック、3Fに九州大学法科大学院、5Fに福岡市科学館が入るそうです。

後者のHAMA HOUSEは、株式会社good morningsがプロデュースする「街のリビング」を目指すと謳う複合施設の名称で、一階は書店兼カフェ、二階はキッチンスタジオ兼オフィス、三階はスモールオフィスからなる、 三階建ての拠点とのことです。安田不動産のプレスリリースによれば9月9日オープン。

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一方、閉店情報も入ってきています。8月31日で閉店するのは大阪屋栗田帳合のブックカフェ「BOWL」の富士見店(125坪、2015年4月10日開店)と海老名店(172.52坪、2015年10月29日開店)の2店舗。素敵なお店だっただけに2年での撤退は残念です。日本紙パルプ商事の子会社でBOWLの経営主体である「リーディングポートJP」はどうなるのでしょうか。また、BOWLの運営主体である大阪屋栗田の子会社「リーディングスタイル」が手がけるブックカフェでは、すでにソリッド・アンド・リキッドテンジンが今年1月15日に閉店しており、同町田店は昨年8月5日にコミコミ・スタジオとしてリニューアルしています(参照:「町田経済新聞」2016年8月6日付記事「町田の書店「ソリッド・アンド・リキッド」改装 ボーイズラブ作品に特化」)。そして今月末BOWLの2店舗が閉店と。なんとなく嫌な流れではあります。あれだけきれいに作り込んでも継続困難なら、そもそも巨大SC内のブックカフェに未来はあるのか、と思わなくもないです。

ちなみに今日の「朝日新聞」ではこんな記事が出ました。2017年8月24日付、赤田康和・塩原賢氏記名記事「書店ゼロの自治体、2割強に 人口減・ネット書店成長…」です。曰く「書店が地域に1店舗もない「書店ゼロ自治体」が増えている。出版取次大手によると、香川を除く全国46都道府県で420の自治体・行政区にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占める。「文化拠点の衰退」と危惧する声も強い」と。
 
「トーハン(東京)の7月現在のまとめによると、ゼロ自治体が多いのは北海道(58)、長野(41)、福島(28)、沖縄(20)、奈良(19)、熊本(18)の順。〔・・・〕全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減った(書店調査会社アルメディア調べ、5月現在)。人口減や活字離れがあるほか、書店の売り上げの6~7割を占める雑誌の市場規模は10年前の6割に縮小。紙の本の市場の1割を握るアマゾンなど、ネット書店にも押される。経営者の高齢化やコンビニの雑誌販売なども影響する。日本出版インフラセンターの調査では、過去10年で299坪以下の中小書店は減少したものの、300坪以上の大型店は868店から1166店に増加。書店の大型化が進む」。

実際のところ砂漠化が進んでいるのは地方だけではなく、東京都下でもどんどん街ナカ書店が閉店しています。また、大型書店が増えているとはいえ、本の売上は増えていませんから、大ざっぱに言えば、売上が回復していないのに無理やり大型書店を作っている、という状況が続いているわけです。

記事では続けて、「街の書店は、子どもが絵本や児童文学を通じて活字文化の魅力に接する場であり、ネットが苦手な人の情報格差を埋める機能もある。地方都市では地域の人が集い交流する場でもあった。手にとって未知の本を読み、関心の領域を広げる機会も得られる」という風に、書店の社会的役割を指摘し、文字・活字文化推進機構副会長の作家、阿刀田高さんの「書店は紙の本との心ときめく出会いの場で、知識や教養を養う文化拠点。IT時代ゆえに減少は避けられないが、何とか残していく必要がある」というご発言で記事を締めくくっています。

本屋を何とかなくしたくない、という思いは多くの出版人が共有するものかと思いますが、文化拠点としての書店は図書館のように行政が支えるものではなく、市民が直接支えるものなので、商売にならない場合はたちまち消え去っていくのだということを覚悟する必要があると思います。

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# by urag | 2017-08-24 17:39 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 23日

ブックツリー「哲学読書室」に杉田俊介さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、『ジョジョ論』(作品社、2017年6月)の著者・杉田俊介さんによる選書リスト「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」が追加されました。下記リンク先一覧よりご覧ください。


◎哲学読書室

星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む

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# by urag | 2017-08-23 11:25 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 22日

「週刊読書人」にソシュール関連書2点の書評

「週刊読書人」2017年8月18日号に、弊社6月刊2点、金澤忠信『ソシュールの政治的言説』と、ソシュール『伝説・神話研究』金澤忠信訳、の書評「ソシュールとは何者だったのか?:私たち自身に突きつけられた問題――「歴史と伝説」」が掲載されました。評者は『フェルディナン・ド・ソシュールーー〈言語学〉の孤独、「一般言語学」の夢』(作品社、2009年)で、渋沢・クローデル賞(第27回)と和辻哲郎文化賞(第22回)をダブル受賞され、その後も『エスの系譜─―沈黙の西洋思想史』(講談社、2010年)でサントリー学芸賞(2014年)を受賞するなど、著述家・編集者として多面的にご活躍されている、互盛央(たがい・もりお:1972-)さんです。「金澤氏は「第一のソシュール」から「第五のソシュール」まで五人のソシュールを区別している。その分類に従って言えば、スタロバンスキーの訳書と今回の二冊によって、日本の読者は「第三のソシュール」から「第五のソシュール」をようやく本格的に知ることができるようになった。この功績は幾度も強調したい」と評していただきました。互さん、まことにありがとうございました!

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# by urag | 2017-08-22 14:26 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 20日

注目新刊:ボイル『無銭経済宣言』紀伊國屋書店、ほか

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★まもなく発売となる注目新刊を列記します。

nyx 第4号』山本芳久/乙部延剛ほか著、堀之内出版、2017年8月、本体2,000円、A5判並製275頁、ISBN978-4-906708-71-0
五つの証言』トーマス・マン/渡辺一夫著、中公文庫プレミアム、2017年8月、本体800円、文庫判224頁、ISBN978-4-12-206445-4
無銭経済宣言――お金を使わずに生きる方法』マーク・ボイル著、吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2017年8月、本体2,000円、46判並製496頁、ISBN978-4-314-01150-1
動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』フランス・ドゥ・ヴァール著、柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2017年8月、本体2,200円、46判上製416頁、ISBN978-4-314-01149-5

★『nyx 第4号』は第一特集が「開かれたスコラ哲学」(主幹=山本芳久)、第二特集は「分析系政治哲学とその対抗者たち」(主幹=乙部延剛)。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。大学の紀要や「中世哲学研究」のような学会誌ではない、一般発売されている思想誌でスコラ哲学が主題になるのは哲学書房の『季刊哲学』以来ではないでしょうか。第一特集では、アラスデア・マッキンタイア(Alasdair MacIntyre, 1929-)の論文集『The Tasks of Philosophy』(Cambridge University Press, 2006)の第九章「自らの課題に呼び戻される哲学――『信仰と理性』のトマス的読解」(野邊晴陽訳;Philosophy recalled to its tasks: Thomistic reading of Fides et Ratio)が訳出されています。

★『五つの証言』は、巻末の編集付記によれば、トーマス・マンの『五つの証言』(渡辺一夫訳、高志書房、1946年)と第一部とし、渡辺一夫のエッセイおよび「中野重治・渡辺一夫往復書簡」(『展望』誌1949年3月号)を第二部として独自に編集したもの、とのことです。帯文に曰く「古典名訳再発見。不寛容な時代に抗い、戦闘的ユマニスムのほうへ。ナチスと対峙した精神のリレー」と。目次を以下に掲出しておきます。

目次:
トーマス・マン『五つの証言』に寄せて(渡辺一夫)
五つの証言(トーマス・マン著、渡辺一夫訳)
 一 トーマス・マンの最近の文章を読んで(アンドレ・ジード)
 二 ボン大学への公開状
 三 ヨーロッパに告ぐ
 四 イスパニヤ
 五 キリスト教と社会主義
寛容について(渡辺一夫)
 文法学者も戦争を呪詛し得ることについて
 人間が機械になることは避けられないものであろうか?
 中野重治・渡辺一夫往復書簡
 寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか
解説 第六の証言(山城むつみ)

★中公文庫プレミアムの既刊書については同レーベルのブログ「編集部だより」をご覧ください。続刊は10月予定で、ヴェーバー/シュミット『政治の本質』清水幾太郎訳、とのことです。

★マーク・ボイル『無銭経済宣言』は『The Moneyless Manifesto: Live Well. Live Rich. Live Free』(Permanent Publications, 2012)の翻訳で、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2011年;The Moneyless Man: A Year of Freeconomic Living)に続く、ボイル(Mark Boyle, 1979-)による待望の第二作です。「「お金がないと生きられない」というのは、ぼくらの文化が創りだした物語にすぎない。自然界や地域社会とのつながり、生の実感、持続可能な地球を取りもどすための新しい経済モデルを提起した、フリーエコノミー運動創始者による「カネなしマニフェスト」。貨幣経済によらない生活のノウハウも多数紹介」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序文は、『聖なる経済学』(Sacred Economics: Money, Gift, and Society in the Age of Transition, North Atlantic Books, 2011;非営利の日本語訳)の著者であるチャールズ・アイゼンスタイン(Charles Eisenstein, 1967-;アイゼンシュタインとも)が寄せています。曰く「実際に会って話してみたら、〔ボイルは〕聖人ぶったところがまったくなく、傲慢さとも無縁の人物だった。だからこそ、マークのメッセージは多くの人の共感を呼ぶのだろう。〔・・・〕彼いわく、金銭の放棄は、つながり、親密なつきあい、冒険、真の人生経験にいたる道である。善人と認められんがために身を犠牲にする道どころか、喜びの道であり、豊かさの道とすらいってもいい。/本書のひとつの意義は、その道をほかの人にも開いた点にある」(13頁)。「マークの著作は、つながりと喜びにあふれた生き方の単なる解説にとどまらない重要性を持つ。新しい体制の精神的いしずえを築いた点でも意義がある。来るべき革命も、マークの論じた深みに到達するものでなければ加わるに値しない。生命の流れに身をまかせ、寛大さこそが人間性の本質であると認識し、与える者は与えられると信じる次元まで踏みこんだ変革でなければ」(16頁)。

★ボイルはアイゼンスタインの序文に続く「はじめに」でこう書き綴っています。「本書の存在意義はもちろん、人間とカネの関係の再検討が必要だと信じる論拠を説明するのみにとどまらない。究極の目的は、読者が金銭ぬきで生活のニーズを満たせる(または少なくとも金銭への依存を小さくできる)方法を幅広く紹介することにある。自分自身の生きかたをもっと自分で決められるような、豊かな創造性を発揮できるような方法。自然界と地域社会に与えるマイナスの影響をおさえて、プラスの影響をふやす方法。喜びを感じなくなった仕事から自分を解放してやる方法。あるいはただ、自分のなかに存在することすら気づいていなかった未知の領域への道すじを」(27頁)。

★ボイルはこうも書いています。「いずれにしろ100%ローカルな生きかたを、ぼく自身は強く望んでいる。〔・・・〕全面的なローカル化が極端な経済モデルだと感じられるのは、極端にグローバル化した今日の経済と比較するからであり、ローカル化できない最新の電子機器に身も心も奪われた人の視点で見るからである。/ブラジルのアマゾンに住むアワ族のように、人どうしのきずなも大地との結びつきも強い民族から見たら、極端なのは、今日の工業化社会における暮らしぶりのほうだ。極端なのは、地球上の栄えある生命を、採鉱、皆伐、トロール漁にとって効率的に現金化できる資源の一覧表としか見ない世界観のほうだ。極端なのは、気がねなく隣人に助けを求めるどころか、近所にどんな人が住んでいるかすら知らない現実だ。極端なのは、空き部屋のある家があふれている地域で、路上に寝起きする人がいることだ。極端なのは、銀行にカネを返済するために、やりたくもない仕事をして人生をすごすことだ。そもそも銀行が無から作りだしたカネなのに。極端なのは、タダで与えられたものの代金を、同じ自然界に属する他者に請求することだ。自分の受けた贈り物を分けてやるのは引きかえに何かをくれる相手にかぎると言って。極端なのは、善人気どりで食品の紙パックをリサイクルしながら、がけっぷちにむかって歩いていくことだ。極端なのは、自分の力では止めようがないとばかりに、事態の進展に手をこまねいていることだ」(92頁;原書では42~43頁)。

★「子どもに価値ある未来を残してやるやめには、ただちに、皆の力で新しい物語を創造しはじめなくてはいけない。持続可能で、いまの時代にふさわしい物語を。〔・・・〕ユダヤの賢者ヒレルはこう言った。「きみがやらねば、誰がやる。いまやらねば、いつやる」。次世代に必要なのは、自己認識を拡張し、立ちあがっていまの文化を変えていく勇者だ。/そのひとりになろうではないか」(150頁)。本書は理論編と実践編の二部構成で、フリーエコノミーの思想と方法を読者に教えます。これはおそらく人類にとって、本気のサバイバルのためのバイブルです。

★ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』は『Are We Smart Enough to Know How Smart Animals Are?』(Norton, 2016)の翻訳。帯文に曰く「ラットが自分の決断を悔やむ。カラスが道具を作る。タコが人間の顔を見分ける。霊長類の社会的知能研究における第一人者が提唱する《進化認知学》とはなにか。驚くべき動物の認知の世界を鮮やかに描き出す待望の最新作」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください(リンク先では試し読みもできます)。「私の主要な目的は、進化認知学への熱意の高まりを伝え、この分野が厳密な観察と実験に基づく立派な科学へと成長する過程を描き出すことだ」(362頁)と著者は書きます。訳者解説によればドゥ・ヴァールの提唱する進化認知学とは「人間とそれ以外の動物の心の働きを科学によって解明するきわめて新しい研究分野」であり、本書は「その格好の入門書」だと評されています。

★ドゥ・ヴァールはこう書きます。「それぞれに神経が通っていて独立した動きをする八本の腕の一本一本に行き渡ったタコの認知機能や、自分の発する甲高い鳴き声の反響を感じ取り、動き回る獲物を捕まえることを可能にするコウモリの認知能力と比べると、私たち人間の認知だけが特別だなどとははたして言えるだろうか」(12頁)。「私たちは自らの研究に生態学的な妥当性を求め、他の種を理解する手段として人間の共感能力を奨励したユクスキュル、ローレンツ、今西の助言に従っている。真の共感は、自己の焦点を合わせたものではなく他者志向だ。私たちは人間をあらゆるものの尺度とするのではなく、他の種をありのままのかたちで評価しなければならない」(359~360頁)。人間中心主義を乗り越える新たな地平が読者に提示されます。

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★続いて、既刊と新刊の中から注目書を列記してみます。

月刊ドライブイン vol.04』橋本倫史取材/撮影/文、2017年7月、本体463円、A5判並製40頁、ISBNなし
魔法をかける編集』藤本智士著、インプレス、2017年7月、本体1,600円、四六判並製240頁、ISBN978-4-295-00198-0
フリーメイソン――秘密結社の社会学』橋爪大三郎著、小学館新書、2017年8月、本体840円、新書判304頁、ISBN978-4-09-825315-9
映画とキリスト』岡田温司著、みすず書房、2017年8月、本体4,000円、四六判上製376頁、ISBN978-4-622-08624-6
HUMAN LAND 人間の土地』奈良原一高写真、復刊ドットコム、2017年8月、本体8,000円、A4変判上製176頁、ISBN978-4-8354-5504-4

★『月刊ドライブイン vol.04』はリトルマガジン『HB』の編集発行人である橋本倫史(はしもと・ともふみ:1982-)さんが取材、写真、文章、構成をすべてお一人でやられている、その名の通りドライブイン専門のユニークな月刊誌の第4号です。この号では沖縄の「A&W」と「ドライブインレストランハワイ」を取り上げています。取扱書店は約30店で、私は松本市の「本・中川」さんで購入しました。表紙も本文紙も共に灰色で文字はスミで刷られていますが明るく落ち着いた印象があります。味わい深い文章と写真で、旅の気分が味わえます。「いくら沖縄を訪れたところで、何かが分かるわけではない。それは沖縄という土地に限らず、誰のことだって「わかる」と言える日が来るとはとうてい思えない。わかりきることなんてできないのに、それでも足を運んだり、視線を注いだりしてしまう。この時間はいったい何なのだろう」(編集後記より)。このしなやかな感性に好感を持ちます。いずれ一冊の書籍にまとまりそうな予感がします。

★『魔法をかける編集』は、ミシマ社さんが編集し、インプレスさんが発行するレーベル「しごとのわ」の最新刊。著者の藤本智士 (ふじもと・さとし:1974-)さんはは編集者で、有限会社りす代表。帯文はこうです。「一過性で終わるイベント、伝わらない商品、ビジョンのないまちづくり・・・足りないのは、編集です。マイナスをプラスに、忘れられていたものを人気商品に、ローカルから全国へ発信する・・・etc. 誰もが使えるその技術を、「Re:S」「のんびり」編集長がすべて公開!」。松本市のブックカフェ「栞日」で見つけて購入しました。藤本さんは「はじめに」でこう書いています。「僕は、編集とは魔法であり、編集者は魔法使いだと本気で思っているのですが、それが魔法であるがゆえに、これまでは一部の人だけが持つ特権的能力として扱われてきたように思います。/しかし編集力というのは、何もホグワーツに通わなくても、すべての人がすでに備えている能力であり、意識することで鍛えられるのです。〔・・・〕僕が思う編集力とはズバリ、「メディアを活用して状況を変化させるチカラ」です」(3頁)。こうした職能は業界人なら経験的に理解しているものであり、松岡正剛さんや後藤繁雄さんをはじめとする先人によっても言及されてきたものですが、その力を意識的に統御し活用できているかどうかは人によるかもしれません。藤本さんは「ローカルメディア」にこだわり、その戦略と戦術を本書で惜しみなく明かしています。同時代人のエールとして、業界人の必読書だと言っていいのではないかと思います。

★『フリーメイソン』はメイソンをめぐる23の疑問をそのまま章立てにして、橋爪大三郎さんが簡潔に答える体裁の入門書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「テンプル騎士団は、フリーメイソンなのですか」「イルミナティは、フリーメイソンなのですか」「マッカーサーは、フリーメイソンなのですか」「フリーメイソンは、陰謀集団なのですか」などの問いがあります。橋爪さんの考えがもっとも表れているのは「日本人はなぜ、フリーメイソンをよく理解できないのですか」という最初の問いと、「フリーメイソンを理解すると、なぜ世界がよく見えてくるのですか」という最後の問いではないかと思います。「フリーメイソンは、日本人が西欧キリスト教文明をみる場合の、盲点である」(まえがき、5頁)、また「フリーメイソンについて理解を深めること。それは、日本人が、21世紀の国際社会を生きていくための基礎教養だと思う」(294~295頁)と橋爪さんは指摘されています。日本グランドロッジも見学し、取材されたことがあとがきで明かされています。特にメイソンの幹部である片桐三郎さんの『入門フリーメイスン全史――偏見と真実』(アムアソシエイツ、2007年)には「とても助けられた」とお書きになっていますが、この本は残念ながら絶版の様子。本書が参考にしている新書には、吉村正和さんの『フリーメイソン』(講談社現代新書、1989年)や、荒俣宏さんの『フリーメイソン――「秘密」を抱えた謎の結社』(角川oneテーマ21、2010年)があります。

★『映画とキリスト』は「欧米における映画の発展は、キリスト教のテーマ系と切り離すことができないし、二千年にわたる美術の伝統も多かれ少なかれそこに影を落としている。その意味でこの本は、前著『映画は絵画のように――静止・運動・時間』〔岩波書店、2015年〕の延長線上にくるものでもある」(おわりに)とのこと。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「まず第Ⅰ章では、両者〔映画とキリスト〕の関係性を理論的な観点から概観しておきたい。つづく第Ⅱ章から第Ⅳ章は、サイレントの時代より現代にいたるまで、いわゆるイエスのビオピック(伝記映画)の代表的な作品を取り上げ、それぞれ異なる視点から分析と記述を試みる。具体的には章の順に、サイレント映画、パゾリーニの『奇跡の丘』、1970年代以降の多様化するイエス像、マリアの出産シーン、そして名脇役としての「裏切り者」ユダと「娼婦」マグダラのマリア、である。映画におけるイエスの表象が、たんなる歴史(物語)の挿絵ではなくて、いろんな意味で、いかにアクチュアルにしてかつ解決困難な問題系を引きずってきたかが明らかになるだろう。/さらに第Ⅶ章から第Ⅸ章までの三つの章では、固有名詞としてのイエスその人というよりも、「油を塗られた人」すなわち「メシア」としてのキリストのイメージが投影されている作品が対象となる。〔・・・〕数ある作品に篩をかけながら、「キリスト」との同一化――その可能性と限界」がいかに映像化され、そこにいかなる意味が託されているかが問われるだろう。最後の章は、神学上のみならず、社会的で政治的でもあるキリスト教内部の問題をパロディやアイロニーも交えつつ鋭くえぐりだす作品に捧げられている」(はじめに)。

★また岡田さんはこう書いてもいらっしゃいます。「現代は、近代における宗教の「世俗化」にたいして、「ポスト世俗化」の時代と呼ばれることもある。もちろん映画もこの状況と無関係ではありえない。/さらにこうした現況下、哲学者たちも近年、開かれたキリスト教の可能性(とその限界)を新たに模索しはじめている。代表的な名前だけを挙げるなら、ジャン=リュック・ナンシー、ジョルジョ・アガンベン、ジャンニ・ヴァッティモ、ジョン・カプートらがいるが、本論でわたしは、必要とあれば彼らの議論にも応答しようと試みた」(おわりに)。

★『HUMAN LAND 人間の土地』はリブロポートより1987年に刊行された、奈良原一高さんのデビュー作となる写真集の復刊。被写体はまだ人が住んでいる時代の「緑なき島」軍艦島と、鹿児島県の桜島東部に位置する「火の山の麓」黒神村(現在は黒神町)。いずれも1950年代に写されたものです。復刊ドットコムのウェブサイトより購入すると、非売品のポストカード1枚が付いてきます。作家性の強い写真集は絶版になると古書価が高くなりなかなか手が届きにくいので、ぜひ今後も復刊ドットコムさんには写真集復刊の分野でぜひ頑張っていただきたいです。ちなみに本書は「復刊ドットコム×代官山蔦屋書店 コラボ企画」の第2弾であり、第1弾は永井博さんのイラスト作品集『Time goes by…』、第3弾は『犬神家の人々 寺山修司・幻想写真館』が刊行済み。第4弾には、和田唱/和田誠の親子コラボ作品集『親馬鹿子馬鹿』 が10月中旬刊予定だそうです。充実しています。復刊ドットコムを傘下におくCCCの増田宗昭社長は「SPA(製造小売業)をやらなければアマゾンには勝てない」と今春の年次会合で話したそうですが、復刊事業の活用は実に正しいと思います。名作はまだまだ数多く埋もれているからです。
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# by urag | 2017-08-20 23:56 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 16日

今週末開催:講演「出版人・中野幹隆と哲学書房の魅力」@塩尻市市民交流センター

いよいよ催事が今週末に迫りました。中野幹隆さんと哲学書房さんの業績について公的な場で発表するのは今回が初めてです。月曜社で哲学書房さんの「羅独独羅学術語彙辞典」「季刊哲学」「季刊ビオス」の在庫の直販をお引き受けしたご縁もあり、このような機会を頂戴することになりました。会場の席にまだ残りがあるようなので、ご関心のある方々とお目に掛かれたらたいへん幸いです。お申込み方法はイベント名のリンク先に明記されております。参加無料です。どうぞよろしくお願いいたします。

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◎講演「出版人・中野幹隆と哲学書房の魅力」(信州しおじり本の寺子屋地域文化サロン)

日時:2017年8月19日(土曜日)13:30~15:30
場所:塩尻市市民交流センター(えんぱーく)3階多目的ホール
参加費:無料

内容:東京で出版社「哲学書房」を創業した、塩尻市宗賀地区出身の出版人・中野幹隆さんをご存じですか。塩尻市立図書館では、このたび、中野さんの功績を振り返る講演会を開催します。講師は、有限会社月曜社取締役の小林浩さんです。お気軽にご参加ください。

講師からのメッセージ:20世紀後半の現代思想ブームにおいて先端的な役割を果たした編集者・中野幹隆(塩尻市大字宗賀出身)の業績を振り返り、中野が興した哲学書房の出版物の魅力について紹介します。出版界の変化についてもお話しします。

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# by urag | 2017-08-16 13:36 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 15日

注目新刊:ギャロウェイ『プロトコル』人文書院、ほか

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エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』プラトン著、朴一功/西尾浩二訳、
京都大学学術出版会、2017年8月、本体3,000円、四六変判上製278頁、ISBN 978-4-8140-0095-1
不当な債務――いかに金融権力が、負債によって世界を支配しているか?』フランソワ・シェネ著、長原豊/松本潤一郎訳、芳賀健一解説、作品社、2017年8月、本体2,200円、46判上製244頁、ISBN978-4-86182-620-7

★『エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』は「西洋古典叢書」2017年第3回配本(G101)。『エウテュプロン』西尾浩二訳、『ソクラテスの弁明』朴一功訳、『クリトン』朴一功訳、の三篇を収録。目次詳細および正誤表は書名のリンク先をご覧ください。同シリーズでのプラトン新訳は、『ピレボス』山田道夫訳(G044、2005年6月)、『饗宴/パイドン』朴一功訳(G054、2007年12月)、『エウテュデモス/クレイトポン』朴一功訳(G084、2014年6月)に続く4点目です。帯文(表4)に曰く「敬虔とは何かをめぐり、その道の知者を自負する人物と交わされる対話『エウテュプロン』。不敬神と若者を堕落させる罪で告発された老哲学者の裁判記録『ソクラテスの弁明』。有罪と死刑の判決を受けて拘禁中の彼が、脱獄を勧める竹馬の友を相手にその行為の是非について意見を戦わす『クリトン』。ソクラテス裁判を中心に、その前後の師の姿を描いたプラトンの3作品が鮮明な新訳で登場」と。付属の「月報129」は須藤訓任さんによる「ソクラテスを廻る切れ切れの思い」と、連載「西洋古典雑録集(3)」として國方栄二さんによる「エウタナシアー」の解説を収載。「エウタナシアー」とは古代ギリシア語で「よき死」の意。次回配本はアンミアヌス・マルケリヌス『ローマ帝政の歴史1』山沢孝至訳。

★ソクラテスに対する告訴状にはこう書かれていました。「ソクラテスは国家の認める神々を認めず、別の新奇なダイモーン(神霊)のたぐいを導入する罪を犯している。また若者たちを堕落させる罪も犯している。究明は死刑」。告発者である無名の青年の後ろ盾には政治家や弁論家がいました。裁判員(30歳以上)は500名で、票決は「有罪」とするものが280票、「無罪」が220票。さらに量刑については「死刑」とするものが360票、「罰金」が140票。

★ソクラテスはこう述べます。「私が真実を語るのに憤慨しないでください。実際、あなたがたに対してであれ、他のどんな多数者に対してであれ、本気になって反対して、国家のうちに多くの不正や違法が生じるのをどこまでも阻止しようとすれば、世の人々のなかで生きのびられるような人はだれもいないのです。むしろ、正しいことのために本当に戦おうとする者は、たとえわずかの時間でも生きのびようとするなら、私人として行動すべきであって、公人として行動すべきではないのです」(「ソクラテスの弁明」103頁)。「実際、もしあなたがたが人を殺すことによって、あなたがたに生き方が正しくないとだれかが非難するのをやめさせようと思っているなら、その考え方は適切ではないのです。〔・・・〕他人を押さえつけるのではなく、自分自身ができるかぎりすぐれた者になるよう心がけることこそ、最も美しく、最も容易なのです」(127~128頁)。

★『不当な債務』は発売済。原書は『Les dettes illégitimes : Quand les banques font main basse sur les politiques publiques』(Raisons d'Agir, 2011)です。シェネ(François Chesnais;『別のダボス――新自由主義グローバル化との闘い』〔柘植書房新社、2014年〕では「シェスネ」)はフランスの経済学者でパリ第13大学の名誉教授。ATTACの学術顧問も務めておられます。かつてカストリアディスやルフォールらが創設し、一時期リオタールらが参加していたグループ「社会主義か野蛮か」のメンバーだったとも言います。多くの著書がありますが、日本語訳は本書が初めてです。主要目次を列記しておきます。はじめに|第Ⅰ章 金融権力、その現実における組織的な土台と形態|第Ⅱ章 ヨーロッパの債務危機と世界的危機|第Ⅲ章 正当性なき公的債務|おわりに 借金棒引き――最終的には、欧州規模の社会運動へ?|用語解説|「訳者後書き」に扮して――ユビュ王とギゾー首相の「金持ち」(長原豊)|日本語版解説 国家の債券市場への隷従――財政赤字、国債、中央銀行(芳賀健一)。解説者の芳賀さんは本書について「先進国とくにフランスの政治債務が「汚れた債務」である所以を分析し、その解決策とそれを実現する政治・社会運動の結集を説得的に訴えている」と評しています。増え続ける日本の公的債務と今こそ向き合うための必読書かと思われます。

★「多くの国が債務というきわめて重大な課題に直面している。そうした事態にまだ直面していない国々も、遅かれ早かれ、直面することになるだろう」(171頁)とシェネは警告します。「本書の狙いは、今日、新自由主義を標榜する西欧諸国への従属を強いられている人びとが、自分たちの生産手段と交換手段(したがってまた、ユーロ)を民主的に共有するといったスタイルで管理するという目標に向かって社会的・経済的闘争をおこなうための結集軸を創り上げることに寄与すること、これである」(32頁)。「欧州連合とは「異なる(私たちの)ヨーロッパ」の構築という展望のもとで、例えば債務を返済しないこと、欧州中央銀行を含めた銀行を組み伏せること、そして銀行を効果的に統御するために社会化すること、これらを共通目標として掲げることができるのではないだろうか」(同)。

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★このほか、まもなく発売となる注目新刊には以下のものがあります。

プロトコル――脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』アレクサンダー・R・ギャロウェイ著、北野圭介訳、人文書院、2017年8月、本体3,800円、4-6判並製420頁、ISBN978-4-409-03095-0
フランスを問う――国民、市民、移民』宮島喬著、人文書院、2017年8月、本体2,800円、4-6判上製258頁、ISBN978-4-409-23058-9
日本のテロ――爆弾の時代60s-70s』栗原康監修、河出書房新社、2017年8月、本体1,000円、A5判並製128頁、ISBN978-4-309-24820-2
パルチザン伝説』桐山襲著、河出書房新社、2017年8月、本体1,800円、46判上製178頁、ISBN978-4-309-02600-8
狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』松下竜一著、河出書房新社、2017年8月、本体2,200円、46変形判並製272頁、ISBN978-4-309-02601-5
サンシャワー――東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』国立新美術館/森美術館/国際交流基金アジアセンター編、平凡社、2017年8月、本体3,600円、A4変判上製320頁、ISBN978-4-582-20711-8

★まずは人文書院さんの2点。『プロトコル』は『Protocol: How Control Exists after Decentralization』(MIT Press, 2004)の翻訳。ミシェル・フーコー以後の管理社会論の地平を拓く野心的な試みです。ギャロウェイ(Alexander R. Galloway, 1974-)はニューヨーク大学准教授で、哲学者、プログラマー、アーティストなどの肩書を持っています。『プロトコル』はギャロウェイの処女作にして初の訳書です。目次詳細は書名のリンク先をご覧下さい。巻頭の序言「プロトコルは、その実行のただなかでこそ存在する」はギャロウェイとの共著があるユージン・サッカー(Eugene Thacker; タッカーとも)によるもの。サッカーはこう書いています。「すべてのネットワークがそもそもひとつのネットワークであるのは、それがプロトコルによって構成されているからである。〔・・・ネットワークには〕諸々の属性が出現することを可能にする下部構造がある〔・・・〕。ネットワークではない。プロトコルなのだ。/このことを踏まえると、『プロトコル』を政治経済についての書物として読むことができるだろう」(13~14頁)。このあとサッカーはフーコーに言及しつつ「プロトコルにかかわる生政治の次元は、今後取り組むべき課題として開かれている」(17頁)と書いています。「生物学と生命科学がますますコンピュータやネットワーク化したテクノロジーに統合されていくにつれて、身体とテクノロジーのあいだに引かれた馴染みのある境界線、すなわち生物体と貴会のあいだに引かれた馴染みのある境界線は、一群となった諸変容を被り始めている」(同)。

★序章でギャロウェイは本書の目的についてこう書いています。「君主=主権による中心的な管理にも、監獄や工場における脱中心的な管理にももとづいていない〔・・近代以後の〕この第三の歴史の波がもつ固有性を、そこで生じたコンピュータ技術の管理=制御に焦点をあわせることによって具体化して論じることである」(35~36頁)。ギャロウェイは近代から現代への歴史的推移を、中心化(君主=主権型社会)から脱中心化(規律=訓練型社会)へ、さらに分散化(管理=制御型社会)へ、と捉えており、「プロトコルとは歴史的には脱中心化の後に生じるマネジメントのシステムである」(60頁)と指摘しつつ、「プロトコル/帝国の論理にもとづくネットワークの制御をきわめて容易にしているもの」こそが「分散型のアーキテクチャ」なのだと言います(66頁)。本書はここから七章に渡って本論を展開していき、「中心化され秩序付けられた権力と分散化された水平的なネットワークとのあいだ」にある「現行の世界規模での危機」(334頁)と向き合おうとしているように見えます。訳者あとがきで北野さんは「プロトコルをめぐる考察が及ぶ範囲はかなり広い」と指摘し、本書について次のように評しておられます。「単に抽象度が高い話をするという素朴なレヴェルでの哲学的思惟ではなく、個別具体的なものへの思考を活性化させてくれる仕事、しかも優れて今日的なテーマ――インターネットのみならず、人工知能から、生命操作にいたるまで――をめぐる思考を弾力化させる仕事であるだろう」(414頁)。

★ギャロウェイの活躍については、千葉雅也さんによるギャロウェイ本人へのインタヴュー「権威〔オーソリティ〕の問題――思弁的実在論から出発して」(小倉拓也/千葉雅也訳)を「現代思想」2016年1月号(特集=ポスト現代思想)でもご確認いただけます。

★宮島喬『フランスを問う』は、現代フランス社会の「現状を批判的に捉え返し、移民の統合と多文化(多民族)共生への道を見出すことができるのか」(「はじめに」iv頁)を問うもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。収録された8つの論考のうち、「同時的に起こっているヨーロッパの危機と変動」「ナショナルポピュリズムとそれへの対抗力――フランス大統領選の社会学から」「オリジンを問わないということ――フランス的平等のディレンマ」「フランスの移民政策の転換――“選別的”政策へ?」「デラシネとしての移民?――バレース、デュルケム再考、ノワリエルを通して」の5本が書き下ろしで、3本は各誌に近年発表済の論考に加筆したもの。「共存、共生してきて、これからもそれを続けていくほかない人々を、不確かな根拠の下に「彼ら」化、「他者」化し、排除、または交わらぬ並行関係に追いやろうとする(日本でも、それに近いことは最近の小政治グループの誕生によって起こりそうである)」(「あとがき」241頁)。ナショナル・ポピュリズムの台頭が懸念される日本社会を考える上で示唆となる一冊です。

★次に河出書房新社さんの3点。『日本のテロ――爆弾の時代60s-70s』はまさに書名通りの歴史と人物、参考文献について簡潔に教えてくれる手頃な一冊です。歴史解説は「ですます調」で書かれ、人物紹介はイラスト付きで柔らかく、巻末のブックガイドは丁寧で、何より廉価なので、若い読者にも親しみやすいのではないかと思います。同時期に河出さんでは桐山襲『パルチザン伝説』と、松下竜一『狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』の2点を復刊。前者『パルチザン伝説』は「文藝」誌に掲載後に単行本化が中断され、他社から刊行されたいわくつきの作品(詳細は省略します)で、30数年ぶりの初出版元への回帰となります。友常勉さんが解説を担当されています。後者『狼煙を見よ』は1974年に起きた「東アジア反日武装戦線」による連続企業爆破事件前後の軌跡を追ったもの。解説は斎藤貴男さんがお書きになっておられます。この3点はいわば新刊セットなので店頭でバラバラに扱うのはあまり意味がありません。戦後を考える視座として、避けて通れないものがあります。

★最後に平凡社さんの『サンシャワー――東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』は、ASEAN(東南アジア諸国連合)の設立50周年を記念して国立新美術館と森美術館で開催中の東南アジア現代美術展の展覧会図録です。「時代の潮流と変動を背景に発展した東南アジアにおける1980年代以降の現代アートを、9つの異なる視点から紹介する、史上最大規模の展覧会」とのこと。展覧会について以下に概要を特記しておきます。リンク先では9つのセクションや出展作家、見どころなどについて確認できます。


会期:2017年7月5日(水)~10月23日(月)
会場(2館同時開催):
国立新美術館 企画展示室 2E(東京都港区六本木7-22-2)
 開館時間:10:00~18:00(毎週金曜日・土曜日は21:00まで)※入場は閉館の30分前まで
 休館日:毎週火曜日
森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53階)
 開館時間:10:00~22:00(毎週火曜日は17:00まで)※入場は閉館の30分前まで
 会期中無休
主催:国立新美術館、森美術館、国際交流基金アジアセンター
巡回:2017年11月3日(金・祝)~12月25日(月)/福岡アジア美術館

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# by urag | 2017-08-15 02:14 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 13日

注目新刊:ノイラート『アイソタイプ』BNN新社、ほか

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★人文書売場だけを見ているだけでは見つけにくいここ二か月ほどの間の新刊をまとめてみます。

ISOTYPE[アイソタイプ]
オットー・ノイラート著、永原康史監訳、牧尾晴喜訳
BNN新社、2017年6月、本体3,200円、四六判上製320頁、ISBN978-4-8025-1065-3

帯文より:インターナショナルな世界を支える〈言語〉の統一に、〈デザイン〉の力で挑んだ哲学者の知られざる思想。事象と意味をつなぐ視覚化(=絵文字化)のシステムの結実、アイソタイプ。大戦の狭間に埋もれたノイラートの言葉が、いま蘇る。本邦初となる完訳訳『International Picture Language』(1936)、『Basic by Isotype』(1937)に『Modern Man in the Making』(1939)のすべての図版を収録した、合本版。

目次:
アイソタイプの科学――ふたたび世界をみる窓として(永原康史)
International Picture Language 国際図説言語
Basic by Isotype アイソタイプによるベーシック英語
Modern Man in the Making 近代人の形成(図のみ収録)

★ノイラート『ISOTYPE[アイソタイプ]』は某新規店の店内をふらついている際に、芸術・デザイン書の棚で偶然目に留まって釘付けになった一冊。「世界の表象:オットー・ノイラートとその時代」展(2007年9月25日~10月21日、武蔵野美術大学美術資料図書館1階展示室)以来、いつか翻訳されるかもしれない、されてほしいと期待してきたことがついに現実となり、舞い上がってしまいました。

★オットー・ノイラート(Otto Neurath, 1882-1945)は、オーストリア出身でのちにイギリスに亡命した哲学者。論理実証主義や統一科学運動で知られる「ウィーン学団」の一人です。アイソタイプとは「International System Of TYpographic Picture Education」の略で、視覚的な図記号による図説言語のこと。トイレで使われる、男女の姿を抽象化した標識を思い浮かべていただければよいかと思います。「誰から見てもわかりやすい絵は、言語の限界から自由だ〔・・・〕。それは国境を越えているのだ。言葉はへだたりをつくり、絵はつながりをつくる」(27頁)とノイラートは主張します。背景には「脱バベル化」(オグデン)を目指した国際言語創造の試みからの触発があるようです。グローバリゼーションが様々なひずみを引き起こしている時代だからこそひもとき、振り返り、原点を確認しておきたい、貴重な一冊。

★ノイラートの試みはグラフィック・デザイン史の一頁とも言えるでしょうけれども、同時に普遍言語や人工言語の末裔とも言えます。ライプニッツの普遍記号学や結合術、コメニウスの汎知学に通じる回路もあると思います。「ノイラートの船」で高名な論文「プロトコル言明」(Protokollsaetze; 竹尾治一郎訳、坂本百大編『現代哲学基本論文集Ⅰ』勁草書房、1986年、165-184頁)を収めた論文集は、大型書店なら哲学思想棚に基本書として置いてあると思いますが、本書『ISOTYPE』も哲学思想棚に置いてあるお店は、相当分かっていらっしゃる書店員さんがいるはず、と見ていいでしょう。

★なお『Modern Man in the Making 近代人の形成』は図版のみ収録ですが、論説部分を読みたい方は既訳書『現代社会生態図説』(高山洋吉訳、慶應書房、1942年)をご参照ください。古書市場ではかなり見つけにくい部類の本なので、図書館での閲覧が手っ取り早いです。ご参考までに同書の目次を掲出しておきます。

◎ノイラート『現代社会生態図説』(高山洋吉訳、慶應書房、1942年)目次
訳者序(1-2頁)
原著者序(1-4頁)※新たにノンブルが振り直されています
Ⅰ 叙述(1-108頁)※新たにノンブルが振り直されています
 過去と現在
 人類の統一化
 現代を生む諸潮流
 世界の現状
 社会環境
 人の日常生活
Ⅱ 図示(109-188頁)
Ⅲ 付録 文献及び註釈(189-228頁)
感謝の言葉(229頁)

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★このほか、理学書、建築書、ビジネス書などの新刊で、人文書売場にもスイッチできる新刊をいくつか挙げておきます。

ノースフェーラ――惑星現象としての科学的思考』ヴラジーミル・ヴェルナツキイ著、梶雅範訳、水声社、2017年7月、本体4,500円、四六判上製442頁、ISBN978-4-8010-0274-6
ユートピア都市の書法――クロード=ニコラ・ルドゥの建築思想』小澤京子著、法政だ学出版局、2017年7月、本体4,000円、A5判上製286頁、ISBN978-4-588-78609-9
2030年 ジャック・アタリの未来予測――不確実な世の中をサバイブせよ』ジャック・アタリ著、林昌宏訳、プレジデント社、2017年8月、本体1,800円、四六判上製224頁、ISBN978-4-8334-2240-6
続・哲学用語図鑑』田中正人著、斎藤哲也監修、プレジデント社、2017年6月、本体1,800円、A5判変型並製400頁、ISBN978-4-8334-2234-5
反脆弱性――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』(上巻、ナシーム・ニコラス・タレブ著、望月衛監訳、千葉敏生訳、2017年6月、本体各2,000円、46判上製412頁/424頁、ISBN978-4-478-02321-1/978-4-478-02321-1)

★『ノースフェーラ』は《叢書・二十世紀ロシア文化史再考》(桑野隆責任編集)の最新刊。前回の配本がヴィゴツキイ『記号としての文化――発達心理学と芸術心理学』(柳町裕子/高柳聡子訳、水声社、2006年)ですから約10年ぶりの配本(第6回)となります。このシリーズをちゃんと全点扱っている書店さんは信頼して良いと思います。ヴラジーミル・ヴェルナツキイ(1863-1945)はソビエト連邦時代の地球化学者でウクライナ科学アカデミー初代総裁。帯文は以下の通りです、「《科学的思考と人間の労働の影響の下に、生物圏は、叡知圏(ノースフェーラ)という新たな状態に移行しようとしている。》人類の科学的知識の増大を惑星地球の「進化」と位置づけ、人間思考の発展の歴史を辿りながら、生命と非生命のダイナミックな交流に着目した、新たな学問領域「生物地球化学」をうち立てる。人間理性への信頼が揺らぐ第二次世界大戦前夜、人類の未来への希望を科学研究の絶え間ない営為の中に見いだした、ヴェルナツキイの思想的到達点を示す草稿集」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお同シリーズの次回配本は、フレイデンベルグ『プロットとジャンルの詩学』杉谷倫枝訳、となるようです。

★『ユートピア都市の書法』は『都市の解剖学――建築/身体の剝離・斬首・腐爛』(ありな書房、2011年)に続く、小澤京子(おざわ・きょうこ:1976-)さんによる著書第二弾。東大大学院総合文化研究科に2014年に提出された同名の博士論文から、前著『都市の解剖学』と重複する部分を除外し、大幅に加筆修正したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。美麗な装丁は奥定泰之さんによるもの。本書を見かけたのは私は理工書売場の建築書棚においてでしたが、人文書売場の哲学思想棚においてはユートピア思想ないし啓蒙思想の研究書の近くに置くことで棚を豊かにしてくれると思います。ルドゥ(Claude Nicolas Ledoux, 1736-1806)はその特異な紙上建築によって有名ですが、紙上建築を扱った近年の研究書と言えば、本田晃子さんの『天体建築論――レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』(東京大学出版会、2014年)を思い出します。数年のうちに、奥行きのある卓抜な建築思想研究に再び出会えた喜びを感じます。

★『2030年 ジャック・アタリの未来予測』の原書は『Vivement après-demain !』(Fayard, 2016)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。アタリは第一章「憤懣が世界を覆い尽くす」の冒頭でこう書いています。「自分の人生に意義をもたせるつもりなら、そして余生を楽しむだけの暮らしに甘んじるつもりがないのなら、世界を理解すべきだ」(18頁)。「現在、世界は悪の勢力によって支配されているといえる」(19頁)と厳しく指摘するアタリは本書の目的を次のように明言しています。「誰もが世界の明るい展望と脅威を知る術をマスターし、それらの機会とリスクを推し測ることができるようにすることだ」(11頁)。第四章「明るい未来」では、本書が予見する世界の大惨事を回避するために個人が達成すべき精神的な10段階や、その先にある社会制度改革のための10の提案、さらに国家(本書の場合はフランス)が実行すべき10の提案を簡潔に列記しています。「とにかく、私はすべてを語った」(205頁)、これが本書の結びの言葉です。猛烈に濃い絶望的な闇の中でアタリが掲げる剣の輝きを信じることができるのかどうか、困難に立ち向かう勇気が私たち一人ひとりに問われています。

★なおプレジデント社さんではベストセラー『哲学用語図鑑』(2015年)の続編として『続・哲学用語図鑑』を6月に刊行されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「中国・日本・英米分析哲学編」と銘打たれていますが、『哲学用語図鑑』でも扱われていた重要な哲学者の何人かは再説されており、前作の周到な補完となっています。優れた人文系入門書を長らく手掛けられてきたフリーエディターの斎藤哲也さんのご活躍に深い敬意を覚えます。田中正人さんという才能豊かな適任者によって専門家では成し得ない図鑑が作成されたことは、出版史における画期的な業績として記憶され、刻まれるべきことでしょう。田中さんの図鑑にはまさにノイラート的な図説の感性が溢れているように思います。

★アタリの著書『2030年 ジャック・アタリの未来予測』と合わせて読んでおくのが良いかもしれない本には、訳者の林さんがまもなく上梓される近刊書、ダニエル・コーエンの『経済成長という呪い――欲望と進歩の人類史』(東洋経済新報社)を挙げてよいでしょう。また、既刊書ではタレブの最新作『反脆弱性』上下巻を挙げておきたいと思います。原書は『Antifragile: Things that Gain from Disorder』(Random House, 2012)です。アタリ(Jacques Attali, 1943-)は人文書からビジネス書に進出した思想家であり経済学者、政治家ですが、タレブ(Nassim Nicholas Taleb, 1960-)はトレーダー出身の金融工学の専門家で、ランダムネス、確率、不確実性をめぐる思想家でもあり、ビジネス書から人文書に越境してくるキー・パーソンです。主著であるベストセラー『ブラック・スワン――不確実性とリスクの本質』(上下巻、望月衛訳、ダイヤモンド社、2009年)のほか、すでに何冊も訳されています。

★明日をも知れぬ世界の混迷について鋭く警告し、そこからの脱出を示唆する点において、アタリとタレブはそれぞれに分析と処方を提示し、不確実性と変化がもたらすものを教えます。『ブラック・スワン』を『反脆弱性』の補助的な作品であり付録である(『反脆弱性』上巻39頁)と位置づけているタレブが教えるのは、「変動制や不確実性によって損をする」(同下巻294頁)脆さについてです。「何より不思議なのは、脆いものはすべて変動性〔ボラティリティ〕を嫌うという当たり前の性質が、科学や哲学の議論からすっぽりと抜け落ちてしまっていることだ。〔・・・〕この点を自然に会得しているのは、たいてい実践家(物事を実行する人)だけなのだ」(上巻36頁)とタレブは書きます。「衝撃を利益に変えるものがある。そういうものは、変動性、ランダム性、無秩序、ストレスにさらされると成長・反映する。〔・・・〕本書ではそれを「反脆弱」と形容しよう」(22頁)。「すば抜けて頭はよいけれど脆い人間と、バカだけれど反漸弱な〔訳書通りに転記すると「反脆い」〕人間、どちらになりたいかと訊かれたら、私はいつだって後者を選ぶ」(22~23頁)。平たく言えば、変化による危機をチャンスに変えることができる能力を反脆弱性として理解していいでしょうか。

★タレブの本書では「観光客化 touristification」という造語が出てくるのですが、ここで言う「観光客 tourist」は東浩紀さんが『観光客の哲学』(ゲンロン、2017年3月)で使用したキーワードとは大きく意義が異なっているように感じます。それを踏まえた上で、タレブと東さんの本を隣合わせで置いている本屋さんがいらっしゃるとすれば、その方は旬の新刊を横断的に見ることができる方でしょう。タレブの「観光客化」は下巻巻末の用語集によれば「人生からランダム性を吸い取ろうとすること。教育ママ、ワシントンの公務員、戦略プランナー、社会工学者、ナッジ使いなどのお得意技。反義語は「分別ある遊び人」」(下巻416頁)。本文では次のように記述されています。「この単語〔観光客化〕は私の造語であり、人間を機械的で単純な反応を返す、詳しいマニュアルつきの洗濯機のようなものとして扱う、現代生活のひとつの側面を指している。観光客化は、物事から不確実性やランダム性を体系的に奪い、ほんの些細な点まで予測可能にしようとする。すべては快適性、利便性、効率性のためだ。/観光客が冒険家や遊び人の対極にあるとすれば、観光客化は人生の対極にある。観光客化は、旅行だけでなく、あるとあらゆる活動を、俳優の舞台のようなものへと変えてしまう。システムや有機体からランダム性を最後の一滴まで吸い出し、不確実性を好むシステムや有機体を骨抜きにしておきながら、それがよいことなのだという錯覚まで与える。その犯人は、教育制度、目的論的な科学研究の助成計画、フランスのバカロレア資格、ジムのマシンなどだ。〔・・・〕現代人は、休暇中でも囚われの生活を送らざるをえなくなっている。金曜の夜のオペラ、スケジュールされたパーティー。お約束の笑い。これも金の牢獄だ。/この”目的志向”の考え方は、私の実存的な自我を深く傷つけるのだ」(上巻122~113頁)。

★一方、東さんは「連帯の理想を掲げ、デモの場所を求め、ネットで情報を集めて世界中を旅し、本国の政治とまったく無関係な場所にも出没する21世紀の「プロ」の市民運動家たちの行動様式がいかに観光客のそれに近いか、気がついていないのだ。〔・・・〕観光客は、連帯はしないが、そのかわりたまたま出会ったひとと言葉を交わす。デモには敵がいるが、観光には敵がいない。デモ(根源的民主主義)は友敵理論の内側にあるが、観光はその外部にあるのだ」(160頁)とお書きになっておられます。「観光客は大衆である。労働者であり、消費者である。観光客は私的な存在であり、公共的な役割を担わない。観光客は匿名であり、訪問先の住民と議論しない。訪問先の歴史にも関わらない。政治にも関わらない。観光客はただお金を使う。そして国境を無視して惑星場を飛び回る。友もつくらなければ敵もつくらない」(111頁)。「観光客はまさに、20世紀の人文思想全体の敵なのだ。だからそれについて考え抜けば、必然的に、20世紀の思想の限界は乗り越えられる」(112頁)。「観光客の哲学を考えること、それはオルタナティブな政治思想を考えることである」(116頁)。

★タレブが観光客を、主体性を奪われたただのお客=部外者として見ているのとは対照的に、東さんはその部外者にも主体性があり、自由に動けるのだと評価しておられるように思われます。東さんの言う「観光客」はむしろ、タレブがそれ(観光客)と対置している「分別ある遊び人 the rational flaneur」に近いように思われます。「「自分は行き先を完璧にわかっている」「過去に自分の行き先を完璧にわかっていた」「過去に成功した人はみんな行き先をわかっていた」という錯覚を、本書では「目的論的誤り」と呼ぼう。/また、「分別ある遊び人」とは、観光客とは違って、立ち寄った先々で旅程を見直し、新しい情報に基づいて行動を決められる人だ。ネロは自分の嗅覚を頼りに、旅でこの方法を実践していた。遊び人は計画の囚人ではない。観光は、文字どおりの意味であれ比喩的な意味であれ、目的論的誤りに満ちている。計画は完璧であるという家庭のもとで成り立っていて、人間を、修正の難しい計画の囚人にしてしまう。一方、遊び人は、情報を獲得するたびに絶えず理性的に目標を修正していく」(上巻281頁)。

★タレブの言う「目的論的誤り the teleological fallacy」を東さんは積極的に評価しておられるように思います。「誤配こそが社会をつくり連帯をつくる。だからぼくたちは積極的に誤配に身を曝さねばならない」(9頁)。「21世紀の新たな抵抗は、帝国と国民国家の隙間から生まれる。それは、帝国を外部から批判するのでもなく、また内部から脱構築するのでもなく、いわば誤配を演じなおすことを企てる。出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した枝をもういちどつなぎかえ、優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる。そして、そのような実践の集積によって、特定の頂点への富と権力の集中にはいかなる数学的な根拠もなく、それはいつでも解体し転覆し再起動可能なものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々につねに思い起こさせることを企てる。ぼくには、そのような再誤配の戦略こそが、この国民国家=帝国の二層化の時代において、現実的で持続可能なあらゆる抵抗の基礎に置かれるべき、必要不可欠な条件のように思われる。21世紀の秩序においては、誤配なきリゾーム状の動員は、結局は帝国の生権力の似姿にしかならない。/ぼくたちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。ぼくはここでそれを観光客の原理と名づけよう。21世紀の新たな連帯はそこから始まる」(192頁)。

★タレブは先述の通り「遊び人〔フラヌール〕」を評価しますが、一方でこう警告もしています。「ひとつ注意がある。遊び人の日和見主義は、人生やビジネスではうまくいく。でも私生活や人間関係ではうまくいかない。人間関係では、日和見主義の反対は忠誠だ。忠誠を尽くすことは立派な心がけだが、人間関係や道徳のようなふさわしい場面で発揮してこそ意味がある」(上巻281~282頁)。これについては東さんの『観光客の哲学』では、第2部「家族の哲学(序論)」を参照すべきかと思われます。「観光客が拠りどころにすべき新しいアイデンティティとは、結局のところなんなのだろうか。/実はぼくがいまその候補として考えているのは家族である」(207頁)。これ以降の比較はネタバレを含まざるをえないのでやめておきますが、タレブさんと東さんの思考を往還することで得るものは色々とあるような気がします。

★ちなみにタレブの議論とメイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年)をリンクさせている思想家にエリ・アヤシュ(Elie Ayache、1966-)がいます。著書に『The Blank Swan: The End of Probability』(Wiley, 2010)や『The Medium of Contingency: An Inverse View of the Market』(Palgrave, 2015)などがあり、邦訳論文に「出来事のただなかで」(安崎玲子/杉山雄規訳、『ザ・メディウム・オブ・コンティンジェンシー』Kaikai Kiki、2014年、25~40頁;アヤシュの未訳著書とは別物)や、「現実の未来」(神保夏子訳、『Speculative Solution』東京都現代美術館、2012年、62~75頁)があります。アヤシュもまた実業家なのですが、哲学者としての横顔も持っています。タレブと同じくレバノン出身で、アタリと同様にエコール・ポリテクニークで学び、さらにソルボンヌ大学でも学位を取り、デクシア・アセット・マネジメントを経て1999年にテクノロジー・カンパニー「ITO 33」を創業しています。『Collapse』誌第8号(Urbanomic, 2014)では彼のインタヴュー「The Writing of the Market」を読むことができます。私が今もっとも注目している思想家の一人ですが、もし関心を共有する方がいらっしゃいましたらぜひご連絡下さい。

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# by urag | 2017-08-13 17:49 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)