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2017年 07月 22日

注目新刊:ビフォの問題作『英雄たち』がついに翻訳、ほか

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大量殺人の“ダークヒーロー”――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?
フランコ・ベラルディ(ビフォ)著、杉村昌昭訳
作品社、2017年6月、本体2,400円、46判上製295頁、ISBN978-4-86182-641-2

★先月(6月29日取次搬入)発売済。原書は『Heroes: Mass Murder and Suicide』(Verso, 2015)であり、翻訳にあたってフランス語版『Tueries』(Lux Editions, 2016)も参照されています。目次を以下に列記しておきます。

[英語版への序文]なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?
[フランス語版への序文]人間を死に追いやる現代資本主義社会
第1章 “俺はジョーカーだ”――オーロラ銃乱射事件とホームズ
第2章 “人間は課題評価されている”――ヨケラ高校銃乱射事件とオーヴィネン
第3章 “死ぬ直前、一瞬だけ勝者に”――コロンバイン高校銃乱射事件とハリス&クレボルド
第4章 “私はイエスのように死ぬ”――ヴァージニア工科大学銃乱射事件とチョ・スンヒ
第5章 現代資本主義社会において“犯罪”とは?
第6章 “ロボットのように殺人を”――ノルウェー連続テロ事件とブレイヴェーク
第7章 “民族のために生命を捧げた”――マクベラの洞窟虐殺事件とゴールドシュテイン
第8章 “誰も安全ではない”――アメリカ同時多発テロ事件とアタ、ロンドン衛兵惨殺事件とアデボラージョ&アデボワール、ワシントン海軍工廠銃撃事件とアレクシス
第9章 “世界に広がる自殺の波”――横浜浮浪者銃撃殺人事件、ひきこもり、フランステレコム社、イタイア・タラント市、モンサント社、フォックスコン社・・・
第10章 最も自殺の多い国の希望――ソウルへの旅
第11章 何もなせることがないときに、何をなすべきか?
[フランス語版解説]X線撮影された社会的身体(イヴ・シットン)
[フランコ・ベラルディ(ビフォ)へのインタヴュー]大量殺人と自殺の分析を通して見えてくるもの(広瀬純=インタヴュー/翻訳)
本書で取り上げられた「大量殺人事件」の概要(作品社編集部)
訳者あとがき
参考文献・映画

★フランス語版解説でシットンはこう書いています。「本書は、いま現在、われわれの社会の中心部で起きていて、今後もそうした方向に向かっていくであろう社会崩壊と壊滅を、譲歩も容赦もなしに、あますところなくX線撮影したものである」。同様に、訳者の杉村さんは本書をこう紹介しています。「近年世界中を席捲している「自殺テロリズム」の心理的・社会的分析を克明に行ないながら、「絶対資本主義」時代の文明的不安の正体をえぐりだそうとした新作である」(訳者あとがきより)。「本書の核心的テーマは、『プレカリアートの詩』〔櫻田和也訳、河出書房新社、2009年、品切〕で展開された現代金融(記号)資本主義の社会分析に依拠して、そのネガティブな社会的様相をペシミスティックな観点から文明史的に描き出そうとしたものと言えるだろう」(同)。

★「悪魔は存在しない。存在するのは、このところますます“自殺”という形態に人々を追い込んでいる資本主義社会、そして漠然とした絶望のひろがりである」(15頁)とビフォは書きます。「現代のテロリズムは、確かに政治的文脈から説明することができるだろう。しかし、そうした分析の仕方だけでは不十分である。われわれの時代のもっとも恐るべきもののひとつであるこの現象は、何よりもまず自己破壊的傾向の広がりとして解釈されなくてはならない。もちろん「ジハード」(殉教あるいは自殺的テロリズム)は一見、政治的・イデオロギー的・宗教的な理由から発動する。しかし、この修辞的外観の下には、奥深い自殺動機が潜んでいて、その引き金となるのは、つねに絶望であり、屈辱であり、貧困である。自らの人生に終止符を打とうとする男女にとって、生きることが耐えがたい重荷になり、死が唯一の解決策、大量殺人が唯一の復讐になるのだ」(18~19頁)。「自殺者の数、とくに他人の生命を奪う自殺の数が増加しているのは、明らかに社会生活が、不幸を生産する工場になっているという事実に由来する。一方に「勝者」がいて、他方に勝者とはほど遠い意識の持ち主がいるという厳然たる状態において、勝利する(たとえ短い時間でも)ための唯一の方法は、自分の生命を犠牲にして、他者の生命を破壊することである」(19頁)。

★本書は読み方を間違えてはいけない本で、注意を要します。ビフォが書く通り本書は「われわれを取り巻く悲しみ、そして、しばしば侵略的・暴力的な大量殺人にまで至る激怒に変容する悲しみを解剖したものであ」り、「大量殺人と伴った自殺についての試論であり、今日の資本主義と呼ばれるものの本質――金融による抽象化、人間相互の諸関係の潜在化、不安定労働、競争主義など――を把握しようとしたものである」(19~20頁)であって、テロリストの行動と思想を賞讃する名鑑ではありません。原書名である「ヒーローズ(英雄たち)」というのは強烈な皮肉なのですが、読み間違えることを懸念してか、最終章「何もなせることがないときに、何をなすべきか?」の末尾で、あまりにも暗い絶望感が漂う本書の分析について「私の破局的な予感を、あまりまともに受け取らないでほしい」(242頁)とビフォは書いています。『大量殺人の“ダークヒーロー”』は今年刊行された人文書新刊の中でもっとも「問題作」だと言うべき一冊です。

★本書に関連する新刊がこのあと何冊か続きます。
7月26日発売予定:ガタリ『カオスモーズ 新装版』河出書房新社
8月15日発売予定:栗原康監修『日本のテロ――爆弾の時代 60s-70s』河出書房新社
ガタリの『カオスモーズ』はビフォが本書で重要な参照項としている本です。「カオスモーズは、社会的連帯の身体的再活性化、想像力の再活性化であり、経済成長という限定された地平を超えた新たな人間進化の次元を指し示す」(239頁)。また、水声社さんからビフォのガタリ論『フェリックス・ガタリ――そのひとと思想と未来図法(仮)』が刊行予定だと著者略歴に特記されています。

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★また、今月の新刊では以下の書目に注目しています。

ベルクソニズム 〈新訳〉』ジル・ドゥルーズ著、檜垣立哉/小林卓也訳、法政大学出版局、2017年7月、本体2,100円、四六判上製180頁、ISBN978-4-588-01063-7
マルセル・デュシャンとチェス』中尾拓哉著、平凡社、2017年7月、本体4,800円、A5判上製396頁、ISBN978-4-582-28448-5

★ドゥルーズ『ベルクソニズム』は発売済。『ベルクソンの哲学』(宇波彰訳、法政大学出版局、1974年、絶版)の後継となる新訳です。「近年の研究動向を取り入れた」(帯文より)、実に40数年ぶりの新訳。原書は『Le bergsonisme』(PUF, 1966)です。檜垣さんは訳者解説でこう本書を評しておられます。「ドゥルーズは、ベルクソン自身がおこなった以上にベルクソンの核心に接近し、それを独自の存在論的思索にまで高めていく。この書物はきわめてコンパクトなものであり、ドゥルーズという大思想家の作品群のなかでは、そのキャリアのほんのプロローグ的な位置づけに置かれるものでしかない。しかしそれにしてもここでのドゥルーズのベルクソンをあつかう切れ味には凄まじいものがある」(131~132頁)。「ドゥルーズは〔生涯の〕最後まで「内在の哲学」にこだわった。最後の原稿である「内在:一つの生・・・」にはさまざまな哲学者が登場するが、内在にせよ、生にせよ、その言葉をドゥルーズがもちいる根底にはつねにベルクソンがいる。そのことは初期の作品といえるこの書物以降、けっして変わることがないものである」(158頁)。

★中尾拓哉『マルセル・デュシャンとチェス』はまもなく発売。2015年に多摩美術大学大学院美術研究科に提出された博士論文に大幅な加筆修正を施したもので、帯文にはいとうせいこうさんの推薦文が刷られています。曰く「チェスとデュシャンは無関係だという根拠なき風説がこの国を覆っていた。やっと霧が晴れたような思いだ。ボードゲームは脳内の抽象性を拡張する」。主要目次を列記しておきます。序章「二つのモノグラフの間に」、第一章「絵画からチェスへの移行」、第二章「名指されない選択の余地」、第三章「四次元の目には映るもの」、第四章「対立し和解する永久運動」、第五章「遺された一手をめぐって」、第六章「創作行為、白と黒と灰と」、あとがき、註、参考文献、索引(人名・事項)。「なぜ、私のチェス・プレイが芸術活動ではないのですか。チェス・ゲームは非常に造形的です。それは構築される。それはメカニカルな彫刻ですし、美しいチェス・プロブレムをつくります。その美しさは頭と手でつくられるのです」(序章、18頁)とデュシャンは語ったと言います。「このデュシャンの言葉から、本書は開始される。これからのデュシャン論においては、チェスを「藝術の蜂起」の代名詞として「非芸術」へと分けるよりも、むしろその区分によって失われていたものを探し出すことが期待されるのである」(18~19頁)と著者は書きます。著者の中尾拓哉(なかお・たくや:1981-)さんは美術評論家。本書がデビュー作となります。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

反「大学改革」論――若手からの問題提起』藤本夕衣/古川雄嗣/渡邉浩一編、ナカニシヤ出版、2017年6月、本体2,400円、4-6判並製264頁、ISBN978-4-7795-1081-6
外国人をつくりだす――戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』朴沙羅著、ナカニシヤ出版、2017年7月、本体3,500円、4-6判上製296頁、ISBN978-4-7795-1185-1
イマ イキテル 自閉症兄弟の物語――知ろうとするより、感じてほしい』増田幸弘著、明石書店、2017年7月、本体1,600円、4-6判並製336頁、ISBN978-4-7503-4542-0

★まずはナカニシヤ出版さんの新刊2点。『反「大学改革」論』は発売済。巻頭の「はじめに」によれば本書は「「若手」に属する大学教員・研究者――基本的に40歳以下としたが、例外も含む――が集い、それぞれの立場から、大学の在り方を根本的に問いなおすことを試みて」おり、「大学論に加え、教育学の諸分野(教育哲学、教育史学、教育社会学、教育行政学)、さらには哲学、文学、科学史、物理学といった、文理にまたがる多様な専門をもつものが、「大学改革」を論じ、それを総合することをめざした」とのことです。目次詳細と寄稿者略歴は書名のリンク先をご覧ください。

★朴沙羅『外国人をつくりだす』はまもなく発売。2013年に京都大学大学院文学研究科へ提出した博士論文に大幅な加筆修正を施したものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「本書は、日本が中国やアメリカとの戦争に負け、連合国軍が日本を占領していた時期(すなわち1945年9月から1952年4月までのあいだ。以下「占領期」)に、日本へ渡航してきた朝鮮人がどのように発見され、どのように登録されたのかについて、個人の体験談と文献から明らかにする」(序章、3頁)。「本書は、いかにして入国管理体制は在日コリアンを対象としたのかという問題を、解放後の朝鮮から占領期の日本への「密航」と「密航」後の地位獲得プロセスから検討するものである」(同、17頁)。著者のブログの7月20日付エントリー「単著を出版します」では、巻末の「謝辞」とは異なる、未掲載の「あとがき」を読むことができます。

★増田幸弘『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語』はまもなく発売。著者がひょんなことから知り合った、自閉症の子供をもつ家族四人の生活を10年にわたる取材を通じて綴ったもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。知人や関係者による10の証言も随所に挿入されています。家族が向き合ってきた数々のエピソードに接するとき、自身の理解力の限界を感じ、安易な感想や印象を言うのが憚られます。本書は部分的に教訓を抜き出せるような類の軽い本ではなく、その全体を通読し再読することをもってしか接近しえない固有の重みを持っていると感じます。

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# by urag | 2017-07-22 22:06 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 20日

ハーマッハー追悼「D’avec ──ヴェルナー・ハーマッハーから/とともに」(宮﨑裕助)

D’avec ──ヴェルナー・ハーマッハーから/とともに
宮﨑裕助

 ヴェルナー・ハーマッハーが逝った。69歳であったからまだそんな年齢ではない。自分にとって氏は、同時代に存在し思考しているということ自体が励みになるような数少ない人々のひとりであった。あまりに唐突な死に、いまだどう受け止めてよいかわからないでいる。

 ハーマッハーとの出会い……それはテクストを通じてだった。大学院の修士課程の頃だっただろうか、私は、デリダの『法の力』を通じてベンヤミンの「暴力批判論」に次第に取り憑かれるようになっていた。「暴力批判論」はきわめて難解なテクストであり、当時の自分には到底太刀打ちできる代物ではなかったが、さまざまな註釈や解説を漁っているうちに出くわしたのが、ハーマッハーの「アフォーマティヴ、ストライキ」であった。

 この論文は、ベンヤミンのいう「神的暴力」を、あらゆる(法の)措定に内在する「純粋暴力」へと練り上げ直すことで『暴力批判論』を再読するという試みである。ハーマッハーは、「純粋暴力」の概念を「廃棄(Entsetzung 脱措定)の論理」において再定義し、国家権力を措定する暴力を中断し休止させる契機のうちに、真の革命的瞬間としての「アフォーマティヴ(afformativ)」の働きを見出す。「アフォーマティヴ」は、ハーマッハーが「パフォーマティヴ」という言語行為論の用語と区別すべく案出した造語だが、この語をベンヤミンのテクストの行間に読まれるべきものとして抽出しその余白に書き込むことにより、ハーマッハーは『暴力批判論』のうちに「超越論的ストライキ」の理論を解明するにいたるのである。

 これは、デリダの『法の力』第二部をなす「暴力批判論」読解と同じ雑誌に掲載されていた。デリダの読解がおおむねテクストの進行に沿った註釈であるのに対して、ハーマッハーの読解はベンヤミンの思考と言葉ひとつひとつの振幅からテクストの行間そのものを先取りして再構成したかのようなものとなっている。それは、当のテクストが明示するはずだったができなかった可能性を余すところなく展開しているようにみえた。要するに、デリダの代補的読解とは対照的に、ハーマッハーの読解は、たんなる代補たることにとどまらず、まさしくすべてを焼き尽くす思考の灰として謎めきつつ残っているベンヤミンのテクストに肉薄し、その焔を再演するかのように思われたのであった。

 いまとなってはハーマッハーがベンヤミンの読み手として世界で最高峰のひとりであることに疑いの余地はない。あとでわかったことだが、デリダのベンヤミン論も傍らにハーマッハーのような傑出した読み手がいてこそ産み出されたのであり、親しい友人であったジャン=リュック・ナンシーやジョルジョ・アガンベンにとってもハーマッハーの読みの仕方は一目置かれていた(ハーマッハーのツェラン論は珍しくもナンシーによって仏訳されている)。

 2002年のジャン=リュック・ナンシー・コロキウムでは、デリダとナンシーの有名な丁々発止の対談(「責任──来るべき意味について」)がメインイヴェントであったが、メシアニズムなどの繊細な話題の要所要所で彼らがハーマッハーに遠巻きに合図をしながら話を進めていたのを思い出す。あるいは、デリダ『マルクスの亡霊たち』の論文集にハーマッハーは寄稿しているのだが、論文集の最後でそれらに応答しているデリダ自身はといえば、自分のテクストの射程を見事に取り出し新たに展開しているハーマッハーの読解には返答なしに讃嘆することしかできないと述べていたのが印象的だった(ちなみにデリダは、テリー・イーグルトンのあまりに杜撰な読みに対してもハーマッハーとは正反対の意味でやり過ごしたのだったが。なお、デリダの応答は『マルクスと息子たち』として邦訳されている)。

 ハーマッハーの驚嘆すべき読解の重要な導き手として、ポール・ド・マンがいることもあとから知るようになった。ド・マンの死後直後に発表したハーマッハーのあるテクスト(「文学的出来事の歴史と現象的出来事の歴史とのいくつかの違いについて」)では、直接ド・マンに言及しているわけではないが、読み進めているうちに、ハーマッハーの企図と語彙がド・マンの『美学イデオロギー』のそれに驚くほど一致していることに気づいた。本人にそのことをメールで書き送ってみたところ、否定されることはなく、といってド・マンとの関係を明らかにしてくれたわけでもなかったが、返事の文面からは地理的にも文化的にも遠く離れた一人の日本人がなぜここまで細かく読んでいるのかを知って喜んでいるようにも思われた。いま思えば、もっと図々しくド・マンとのかかわりを質問しておくべきだったと悔やまれる。

 残念ながら、私自身はハーマッハーに直接教わる機会には恵まれず、近年は断続的にメールのやりとりをするだけであった。今年の3月の末突然氏からメールが届いて驚いたことがあった。そこには、長年かけて何度か書き継がれてきたジャン=リュック・ナンシー論(氏はこれを書物にまとめる予定だった)の最新部分が添付されてあった。翌月4月にナンシーが来日するというタイミングだった。

 タイトルは「D’AVEC──ジャン=リュック・ナンシーにおける変異と無言」。元は2015年のジャン=リュック・ナンシーを囲むコロキウムでの発表原稿だが、改稿につぐ改稿を経て、最近ようやく書き上げたのでぜひ日本語で紹介してほしいと添えられてあった。

 このようなことは初めてであった。こちらの求めに応じてテクストを送ってもらったことはあるが、なぜ直接の教え子でもない私に氏のほうからこのような申し出をしてきたのかはわからない。とくに深い意味はないのかもしれない。私は、最新のテクストを送ってもらったことに感謝の念を書き添えつつ、なんとか紹介できるよう手を打ちたいと返事をした。いま思えば、氏はひょっとするとみずからの死期が近いことを予感していたのかもしれない。熱心な読者には少しでも早く、大事なテクストを送り届けておいたほうがよい──そのような希望が託されていたのかもしれない……。

 タイトルの「d’avec」はフランス語を知る者なら一見して奇妙な言葉であることに気づくだろう。この言葉自体は「~からの(差異)」や「~とは(異なる)」の意味をもつ前置詞の一種として、二つのものを距てる相違を記しづける語である。しかしこの語にあっては、なぜ「de」が、その反対の意味をもつ「avec」(~とともに)と結びついているのだろうか。

 この語は、まさに「de」と「avec」の合成からなることで、いわば「距たりにおける共存」を示唆している。これは奇しくもハーマッハーのテクスト、あるいはテクストそのもののありかたを告げ知らせているように思われてならない。ナンシーの有名な概念に「partage」という分割と共有の両方の意味を併せもつ言葉があるが、「d’avec」はまさにそのようにテクストから距てられてあることで、私たちは「ともに」に結びついているのだと示すのである。

 人々を分かつ死もまたそのような距たりなのかもしれない。テクストとは死後に、死を超えてなお読まれ続けることをその本性としている。テクストの構造そのものに宿る死の契機はまさに死者とともに生きるための条件であり、そのような条件のもとでこそ遺された者たちもまた互いに結びつき生き延びるのだということを、この「d’avec」は合図している。

 いまや、ハーマッハーの遺した数多くの素晴らしいテクストとの対話を再開すべきであろう。だがその前に、というより前に進むためにこそ、しばらくはまだ、自分に差し向けられながら遺作となってしまったテクストとともに、この言葉をただ心の奥で反響するがままにしておきたい。D’avec Werner Hamacher...

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One 2 many “Ent-fernungen” !」(増田靖彦)2017年7月17日

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# by urag | 2017-07-20 11:02 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 19日

注目新刊:中山元訳『存在と時間3』『今こそ『資本論』』

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★中山元さん(訳書:ブランショ『書物の不在』)
ハイデガー『存在と時間』(全8巻、光文社古典新訳文庫)の第3巻と、ウィーン『マルクスの『資本論』』(ポプラ社、2007年)の改題新書版『今こそ『資本論』』(ポプラ新書)を先週上梓されました。

ハイデガー『存在と時間3』に収録されているのは、第一部「時間性に基づいた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的な地平としての時間の解明」第一篇「現存在の予備的な基礎分析」第三章「世界の世界性」第一七節「指示とめじるし」から、第四章「共同存在と自己存在としての世界内存在、「世人〔ひと〕」第二七節「日常的な自己存在と〈世人〉」まで。中山さん訳の『存在と時間』の最大の特徴は、長大な解説にあります。翻訳と懇切解説が一冊で読めることによって理解が深まるわけです。
なお光文社古典新訳文庫の9月新刊には、ソポクレス『オイディプス王』河合祥一郎訳、マキャヴェッリ『君主論』森川辰文訳、などが予告されています。

フランシス・ウィーン『今こそ『資本論』』は単行本刊行からすでに10年が経過している、という巻頭言にあらためて驚きます。巻頭言というのは、佐藤優さんによる「資本主義システムの下で生き残るために――新書化によせて」という一文です。「ウィーンの『資本論』解釈は、宇野〔弘蔵〕に近い」と佐藤さんは指摘しています。その理由については店頭で本書をご確認下さい。この巻頭言で佐藤さんはこうもしたためられています。「筆者は、学生時代だけでなく、外交官時代も、職業作家になった今も、『資本論』の論理は正しいと考えている。〔・・・〕自らの利潤を犠牲にして、労働者に回すような「人道的」資本家は、資本主義システムの下では生き残ることができないのだ。これが階級社会の本質だ」(5頁)。「資本主義が人間にとって理想的なシステムとは思わない」(6頁)。佐藤さんは親本刊行の時点で書かれた本書の巻末解説「『資本論』の論理で新自由主義を読み解く」において、「本書はこれから『資本論』の標準的な入門書になるであろう」とお書きになっています。なお本書では中山さんによる解説やあとがきの類は掲載されていません。

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# by urag | 2017-07-19 11:38 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 19日

重版情報:星野太『崇高の修辞学』3刷出来

星野太さんの『崇高の修辞学』の3刷ができあがりました。シリーズ「古典転生」で3刷に達したのは本書が初めてです。学術書の初版部数や重版部数が年々少なくなるなか、こうして売れていくことはたいへんありがたいことです。なお3刷にあたって新たな修正はありません。また、代官山蔦屋書店さんでは特別小冊子付の同書の在庫がまだ残っているそうなので、どうぞご利用ください。

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なお同書をめぐっては朝日カルチャーセンターで9月末に、星野さん自身による講義が行われます。リンク先でお申し込みが可能です。

講師:星野 太(金沢美術工芸大学講師)
講座内容:私たちは、「崇高」と聞いてどのようなものを思い浮かべるだろうか。素朴に考えれば、それは私たちの心を厳粛な畏怖によって満たす感情、あるいはそれを引き起こす対象のことだ、とさしあたりは言えるかもしれない。だが、そもそもこの「崇高」という概念は、遡れば古代の修辞家ロンギノスの『崇高論』という書物において論じられ、後に近代の哲学者カントの手により、美学の中心的な概念のひとつとして練り上げられたものである。本講座では、修辞学と美学という二つの分野にまたがるこの概念の歴史的変遷を、理論的な側面も含めて概説していくことにしたい。(講師・記)

日程:2017年9月30日(土)13:30-16:45 9/30 1回
場所:朝日カルチャーセンター新宿教室
受講料(税込):9月(1回) 会員6,048円 一般7,344円
注意事項:途中15分休憩あり。教室は変わる場合があります。10階と11階の変更もあります。当日の案内表示をご確認ください。

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# by urag | 2017-07-19 10:50 | 重版情報 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 19日

メモ(24)

すでに読まれた方も多いと想像しますが、「ねとらぼ」2017年7月16日付の九条誠一さんによる記名記事「Amazon“デリバリープロバイダ”問題、ヤマト撤退で現場は破綻寸前 「遅延が出て当たり前」「8時に出勤して終業は28時」」には戦慄を禁じえません。この記事では、デリバリープロバイダで配送業務に携わっているAさんと、Amazonの倉庫配送拠点であるFC(フルフィルメントセンター)で働くBさんの証言を紹介しています。すべての発言が重要なので出版業界人はぜひとも全文を読む必要がありますが、業界人が想像していた通りの現実に対する強烈な裏打ちとなる発言を一つずつ取り上げたいと思います。

まずAさん。「デリバリーステーションに所属している社員は、8時に出社して終業は28時というのが基本的な労働時間です。そのようなセンターが高品質なサービスを提供できるわけがありません。〔・・・〕大手企業でさえ撤退するような事業を、地域の中規模運送会社が行うのはやはり無理があります。今の運営は遅配ありきの運用であって、決して利用者のためにはなっていません」。

次にBさん。「Amazon自体はめちゃくちゃもうけているのに、そのAmazonを支えている会社はこんなに苦しい思いをしているのかと。ネット通販=配送料無料、注文すればすぐ届くのが当たり前……こういうイメージを創り上げてしまったことが、今回のような事態を招いてしまったのだと思います。しかし、Amazonとしてはそのイメージこそがブランド力ともいえるので、なかなか手放せないところなのでしょう」。

この記事のヤフーニュース版にはすでに5000近いコメントが寄せられていますが、トップコメントの一つにこんな声がありました。「もうAmazonはAmazonロジスティクスみたいな感じで専用の物流会社使ったほうが良いんじゃないかな?/物流の仕組みはあまり詳しくないからよく分からないんだけど。。」。実に正論です。ただ、アウトソーシングできるものはする、という姿勢を常としているように見えるアマゾンが一から物流会社を作ることは難しいのではないか、という見方が業界内にはあります。

「ねとらぼ」記事が言及している「はてな匿名ダイアリー」の2017年7月9日付エントリー「デリバリープロパイダの中の者だが人手不足で配送の現場はもうヤバイ」は、Aさんと同じくデリバリープロバイダの従業員さんの投稿ですが、これは匿名出版人の投稿「【再掲】アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、正味戦争の宣戦」と同様に、出版界を大いに震撼させている必読記事です。

従業員氏はこう証言しています。「皆さんはクロネコヤマトしか知らない人も多いですから、配送=日時通り届いて当たり前。不備があっても逐一、電話連絡があって当たり前…と思っていますよね。/残念ながら、それはヤマトだからこそ出来る芸当で、一般的な配送業者には真似出来ません。/ヤマトは、社員の教育、配送オペレーション、拠点の数まで全て完璧で、配送においてヤマトの横に出るものはいません」。「「時給300円で人を雇いまくれ。Amazonの荷物で稼ぐぞ!」/「ヤマトが逃げた今、うちらにスポットライトが当たり始めた」/等、社長は今の状況を喜んでいるようですが、現場は手取り12万(自爆あり)で休み無し14時間肉体労働、限界がもう来ています。疲弊しています」。

印象がとても悪いと感じるのは、こうした状況を恐らくは把握しているであろうにも関わらず、アマゾン・ジャパンのトップが対外的には次のように発言していることです。「配送遅延は実際に発生していたが、現在は解消した。まだスムーズになっていないところを直し、再発を防止したい」(「ITmediaビジネスオンライン」7月10日付、青柳美帆子氏記名記事「Amazon「プライムデー」、配送は「数カ月前から準備」」より、記者会見でのジャスパー・チャン社長の発言)。これはテレビニュースにもなっているのでご覧になった方もおられるかと推察しますが、「解消した」などとなぜ言えるのでしょうか。「そうした事実はない」が決まり文句の昨今の悪徳政治家かと見まごう発言に、利用者だけでなく、出版人も驚愕しています。もっと別の言い方はできなかったのでしょうか。いったいチャン社長は誰に向って「解消した」と宣言しているのか。

「弁護士ドットコムNEWS」7月11日付記事「アマゾンプライムデー、ドライバーたちは戦々恐々…「多くてさばけない」配達ミスも」では都内でプライムナウ(対象エリアでの買物が1時間以内に届くプライム会員向けサービス)の配送を担当する男性や、アマゾン利用客の主婦、ヤマト運輸のセールスドライバー、『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』や『仁義なき宅配 ヤマトVS佐川VS日本郵便VSアマゾン』の著者・横田増生さんらに取材しています。ここでも上記の記事で書かれていることを再度事実確認できます。ヤフーニュース版でのコップコメントにはこんな声があります。「普通の消費者だが、最近、アマゾンを使うとき、配送業者のことを一瞬考えるようになった。そろそろ考えて使いませんか。皆さん」。この言葉に尽きる気がします。

デリバリープロバイダ関連の記事では以下の配信に注目が集まっていることは周知の通りです。

先の青柳氏の記事でも指摘されている「消費者の「アマゾン離れ」を引き起こしかねない状況となっている」ことに対して、アマゾンが下請けへの無茶振りではなく自社で解決すると決めて根本的な対応を講じない限り、客もメーカーも現実的に「アマゾン離れ」へと傾かざるをえなくなるでしょう。アマゾンだけに頼る買い方や売り方から、複数の他の通販サイトを使い分ける選択の時代への変化の萌芽が表れつつあるように見えます。この件はアマゾンでのカート落ち問題と併せて、後日再度言及するつもりです。

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なお米国のアマゾン・コムにおける物流の現在を追った記事には以下のものがあります。米国版「WIRED」2017年7月11日付、Davey Alba氏記名記事「The Humans Making Amazon Prime Day Possible」の日本語訳版「アマゾンの「プライムデー」は、人力なくして成り立たない──配送の現場を支える人々に迫った」(2017年7月15日配信)。

また、英国アマゾンで始まったドローン配送サーヴィス「Prime Air」についての記事には以下のものがあります。英国版「WIRED」2016年12月14日付、Matt Burgess氏記名記事「Amazon has made its first Prime Air drone delivery in the UK」の日本語訳版「アマゾン、ついに「ドローン配送」を実施:英国で」(2016年12月14日配信)。

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# by urag | 2017-07-19 09:11 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 17日

ハーマッハー追悼「One 2 many “Ent-fernungen” !」(増田靖彦)

One 2 many “Ent-fernungen” !
増田靖彦

鋭利かつ精緻、しかも強靭でたゆまざるハーマッハーの思考の営みが、こんなにも早く途切れてしまったのは本当に残念です。『他自律――多文化主義批判のために』(拙訳、月曜社、2007年)は、昨今の世界にはびこる文化の単一性や同質性を排他的に希求する傾向に対して、そうした試みの虚構性や欺瞞を暴き出した小著です。その主眼は、個々の文化が、これまでも、いまも、そしてこれからも、多様性や異質性においてのみ存立しうるということに注がれています。ただし、多様性や異質性といっても、それは、単に他の文化と共存しているという意味ではありません。そうではなく、個々の文化には自らを動揺させ、解体し、再形成に誘う働きが潜在しており、そうした働きとの連関においてしか、個々の文化はそれとして存立しえないという意味です。アフォーマティヴと命名されたこの働きは、デリダの憑在論やアガンベンの潜勢力と共鳴するのみならず、ドゥルーズ/ガタリの機械論にも通底する理論的射程をもち、現行の資本主義や民主主義への批判の倫理的手掛かりを与えています。ナンシーやラクー=ラバルトが敬意を惜しまなかったことにも示唆されているように、ハーマッハーの思考の営みは、時間の経過に伴い色褪せていくどころか、その逆に、絶えざる知的刺激をいや増しにして読者に迫ってくるでしょう。それをどのように読み継いでいくのかは、ひとえに私たちにかかっています。

個人的な思い出を申し添えさせてください。必ずしも適切な訳者でなかったかもしれない――常にそうした危惧を抱きつつ『他自律』を翻訳していました。というのも、近現代フランスの哲学思想を専門とする研究者である私が『他自律』の翻訳に取り組むことになったのは、「訳者あとがき」に記したように、偶然の連鎖によるところが大きかったからです。訳出に際して何度も困難に直面し、そのつどハーマッハーさんにご教示を乞いました。そんな不肖な訳者に、ハーマッハーさんはいつも懇切丁寧に説明してくれました。質疑応答はメールで、しかも事柄の性質上、訳者から連絡して開始されます。そうした状況にもかかわらず、ハーマッハーさんは大抵の場合、私からの質問に対して三日以内に解答を寄せてくれました。返信が遅れたときは、その理由とお詫びの言葉が添えられていて、かえってこちらが恐縮してしまったほどです。そのようにしてやりとりを続けるうち、私はしだいにハーマッハーさんから個人的な、そしてまさしくent-ferntな授業を受けている感覚を抱くようになっていきました。とても学ぶことの多い充実したひとときでした。そのような濃密な時間を過ごさせていただいたことに衷心より感謝の言葉を贈らせていただきます。ハーマッハーさん、本当にありがとうございました。

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# by urag | 2017-07-17 07:17 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 16日

個人全訳:櫂歌書房版『プラトーン著作集』第10巻2分冊「書簡集・雑編」、ほか

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『プラトーン著作集 第十巻(書簡集・雑編)第一分冊 エピノミス/書簡集』水崎博明訳、櫂歌書房発行、星雲社発売、2017年6月、本体2,800円、46判上製311頁、ISBN978-4-434-23448-4
『プラトーン著作集 第十巻(書簡集・雑編)第二分冊 雑編』水崎博明訳、櫂歌書房発行、星雲社発売、2017年6月、本体2,800円、46判上製290頁、ISBN978-4-434-23449-1
アメリカ人はどうしてああなのか』テリー・イーグルトン著、大橋洋一/吉岡範武訳、河出文庫、2017年7月、本体850円、文庫判296頁、ISBN978-4-309-46449-7
僕らの社会主義』國分功一郎/山崎亮著、ちくま新書、2017年7月、本体800円、新書判240頁、ISBN978-4-480-06973-3

★『プラトーン著作集 第十巻』第一分冊「エピノミス/書簡集」は、『エピノミス(法律後篇)或いは哲学者』と『書簡集』の翻訳、読解、注釈を収録し、巻頭に「第十巻 前書き」を排しています。『書簡集』は全13通で、宛名を列記すると以下の通りになります。

『第一書簡』ディオニュシオス二世に
『第二書簡』ディオニュシオス二世に
『第三書簡』ディオニュシオス二世に
『第四書簡』ディオーンに
『第五書簡』ペルディッカスに
『第六書簡』ヘルメイアース・エラストス・コリスコスに
『第七書簡』ディオーンの身内並びに同志の諸君に
『第八書簡』ディオーンの身内並びに同志の諸君に
『第九書簡』アルキュタースに
『第十書簡』アリストドーロスに
『第十一書簡』ラーオダーマスに
『第十二書簡』アルキュタースに
『第十三書簡』ディオニュシオス二世に

★周知の通り『エピノミス』や書簡の一部は偽作であると疑われていますが、書簡のうちもっとも長編で内容的にも重要視されている『第七書簡』は「ほぼ真作であることは間違いないだろう」(xi頁)とされています。水崎訳『プラトーン著作集』は、1000坪以上の巨大書店で哲学思想棚を持っており、西洋古典にも場所を割いている書店ならば、在庫しておくのが妥当ではないかと私は思っていますが、あまり店頭で見かけることがないのはもったいないことです。

★第二分冊「雑編」は『定義集』『正しいものについて』『徳について』『デーモドコス』『シーシュポス』『エリュクシアース』『アクシオコス』の翻訳、読解、注釈を収録し、巻末には「第十巻 後書き」と「『プラトーン著作集』全十巻の後書き」が付されています。第一分冊の前書きによれば「『定義集』を除き〔・・・〕ほぼ決定的に偽書だと見ることが伝統的な常識」(x頁)とあります。水崎訳『プラトーン著作集』は全十巻二七分冊で、今回の第十巻二分冊を終えた今、残すところ未刊は第八巻三分冊『国家/クレイトポーン』と第九巻三分冊『法律/ミーノース』のみとなります。プラトンの個人全訳という前代未聞の偉業へと突き進まれる水崎先生のご健康をお祈りするばかりです。

★『アメリカ人はどうしてああなのか』は2014年に河出ブックスより刊行された『アメリカ的、イギリス的』の改題文庫化。原著は『Across the Pond: An Englishman's View of America〔大西洋の対岸から:ある英国人のアメリカ観〕』(Norton, 2013)です。新たに「文庫版への訳者あとがき」が付されていますが、訳文については「不備を正す程度にとどめ」たとのことです。ソリマチアキラさんによるカヴァー挿画ではかの国の現職大統領と思しき人物が描かれています。訳者が指摘している通り、本書にも就任前の彼について二度言及があります。「戯画が現実になった」ことに訳者は注意を喚起しています。今こそ読み返したい一冊です。

◎文庫で読めるイーグルトンの訳書
『アメリカ人はどうしてああなのか』大橋洋一/吉岡範武訳、河出文庫、2017年
『文学とは何か――現代批評理論への招待』上下巻、大橋洋一訳、岩波文庫、2014年8~9月
『シェイクスピア――言語・欲望・貨幣』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、2013年
『イデオロギーとは何か』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、1999年

★なお、河出書房新社さんでは今月下旬(7月26日)発売で、ヤニス・クセナキス『音楽と建築』(高橋悠治編訳)を刊行するとのことです。同書はもともと全音楽譜出版社から1975年に 出版されたもの。版元サイトでは「伝説の名著、ついに新訳で復活。高度な数学的知識を用いて論じられる音楽と建築のテクノロジカルな創造的関係性――コンピュータを用いた現代の表現、そのすべての始原がここに」と紹介されています。編訳者は変わっていませんから、新訳というのが全面改訳なのか増補分があってそれらが新訳なのかはまだ分かりません。

★ちなみに「ちくま学芸文庫」のツイッターアカウントの7月3日の投稿によれば「【単行本情報】ギリシア系作曲家ヤニス・クセナキスの理論的主著『形式化された音楽』(Formalized Music)の邦訳を刊行します!! 野々村禎彦監訳、冨永星訳、発売は今秋予定。刊行日や価格、装丁など詳細は決まり次第お知らせいたします」とのこと。こうした機会にオリヴィエ・ルヴォ=ダロン『クセナキスのポリトープ』(高橋悠治訳、朝日出版社、1978年)も再刊されてほしいところですが、高望みでしょうか。

★『僕らの社会主義』は哲学者とコミュニティデザインの専門家による異色対談。國分さんは「普通に考えたらあまり接点はない。でも僕らを結びつけたものがありました。それがウィリアム・モリスらの名前を通じて知られるイギリスの初期社会主義の思想です」(13頁)と発言されています。さらに続けてこうも仰っています。「21世紀の現在、社会の状況は19世紀に近づいてしまっています。労働者の権利が骨抜きにされ、貧困と格差が大きな問題になっている。19世紀は社会的なものが大きくせりだした時代でした。もっと具体的に言うと、人々が貧困と格差、そして労働者の権利という問題に直面した。その中で、多くの人の努力によってさまざまな権利が獲得されていった。ところがそれがいまや無きものにされつつある。まさしく温故知新の気持ちで19世紀の社会主義に目を向けるべきじゃないか。その活動はいまこそ見直されるべきではないかというのが我々の共通の問題意識ですね」(同)。

★山崎さんはこう答えておられます。「これまではラスキンやモリスのイギリス社会主義のことを語る相手が僕の周りにほとんどいなかったのです。モリスについて語っても、アーツ・アンド・クラフツ運動からバウハウス、モダンデザイン、ポストモダンという流れで語ってしまい、彼が実現しようとしていた地域社会について語ることはほとんどなかった。それを語ろうとすると、どうしてもモリスが社会主義者になったことについて触れなければならない。その途端「社会主義はちょっとね」という表情をされる。でも、國分さんと対談させてもらって、社会主義にもいくつか種類があって、十把一からげで社会主義を否定してしまうのは、そのなかに埋もれている大切な宝が見つけられないことになるんじゃないか。そんな気がしました」(14頁)。「時代が僕らを引き寄せたみたいな感じ」(14頁)と國分さんが応じるこの対談は社会主義への生理的嫌悪感自体が時代遅れだと気づかせてくれる、啓発的な一書です。

★なお来月のちくま新書新刊には、8月3日発売で合田正人『入門ユダヤ思想』(本体860円、272頁、ISBN978-4-480-06979-5)などが予告されています。

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★続いて、人文書院さんからまもなく発売となる新刊3点をご紹介します。

核の恐怖全史――核イメージは現実政治にいかなる影響を与えたか』スペンサー・R・ワート著、山本昭宏訳、2017年7月、本体6,800円、A5判上製432頁、ISBN978-4-409-24114-1
無意識の心理 新装版』C・G・ユング著、高橋義孝訳、人文書院、2017年7月、本体2,200円、4-6判上製200頁、ISBN978-4-409-33053-1
自我と無意識の関係 新装版』C・G・ユング著、野田倬訳、人文書院、2017年7月、本体2,200円、4-6判上製216頁、ISBN978-4-409-33054-8

★『核の恐怖全史』の原書は『The Rise of Nuclear Fear』(Harvard University Press, 2012)で、1988年に同じくHUPから刊行された『NUclear Fear: A History of Images』の改訂版とのことで、訳者あとがきによれば「前著は1980年代までの分析で終わっていたのに対し、改訂版では福島における原発災害以後までを射程に入れつつ、本の分量は前著よりもコンパクトになっている」とのことです。目次詳細は書名のリンク先でご覧下さい。リンク先では「はじめに」と「第1章」がPDFで立ち読みできます。核をめぐる表象の変遷を追った現代の古典です。著者のワート(Spencer R. Weart, 1942-)はアメリカの科学史家で、複数の訳書があります。ひとつ前の訳書が2005年の『温暖化の“発見”とは何か』(増田耕一/熊井ひろ美訳、みすず書房、現在品切)だったので、久しぶりの翻訳紹介になります。訳者の山本昭宏(やまもと・あきひろ:1984-)さんは神戸市外国語大学准教授で、5年前に人文書院より『核エネルギー言説の戦後史1945~1960』でデビューされ、その後『核と日本人』(中公新書、2015年)や『教養としての戦後〈平和論〉』(イースト・プレス、2016年)などを上梓されている、注目の若手です。

★『無意識の心理 新装版』『自我と無意識の関係 新装版』はユングの単行本の再刊。いずれも同社の「ユング・コレクション」には入っていない書目で、両書ともユング心理学の入門編として読むことができます。『無意識の心理』はもともと『人生の午後三時』という訳題で1956年に新潮社から出版されたものが、「若干の字句の訂正」のうえ、人文書院から1977年に再刊されたもの。底本は『Über die Psychologie des Unbewußten』の1948年版(初版は1916年)です。『自我と無意識の関係』は1982年に初版を刊行。原著『Die Beziehungen zwischen dem Ich und dem Unbewußten』は1933年刊行です。新装版2点の装丁は間村俊一さんが担当。美しい本へと生まれ変わっています。

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★最後に、平凡社さんからまもなく発売となる新刊本6点を列記します。

金澤翔子 伝説のダウン症の書家』金澤翔子=書、金澤泰子=文、平凡社、2017年7月、本体1,389円、B5変判120頁、ISBN978-4-582-20887-0
プレミアム アトラス 世界地図帳 新訂第3版』平凡社編、平凡社、2017年7月、本体1,500円、A4判並製184頁、ISBN978-4-582-41733-3
プレミアム アトラス 日本地図帳 新訂第3版』平凡社編、平凡社、2017年7月、本体1,500円、A4判並製184頁、ISBN978-4-582-41732-6
園芸の達人――本草学者・岩崎灌園』平野恵著、平凡社、2017年7月、本体1,000円、A5判並製120頁、ISBN978-4-582-36448-4
和算への誘い――数学を楽しんだ江戸時代』上野健爾著、平凡社、本体1,000円、A5判並製92頁、ISBN978-4-582-364477
江戸の博物学――島津重豪と南西諸島の本草学』高津孝著、平凡社、本体1,000円、A5判並製112頁、ISBN978-4-582-36446-0

★『金澤翔子 伝説のダウン症の書家』は、2017年9月23日から9月30日まで上野の森美術館で開催される予定の「ダウン症の書家 金澤翔子書展」の公式図録で、展覧会に先駆けて販売されます。NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を手掛けた彼女はもはや全国的な著名人と言うべきでしょうし、複数冊ある作品集や、いわき市の金澤翔子美術館、さらにお母様の泰子さんの数々の著書などに接したことのある方も多いかと想像します。知らなかった、という方はぜひ一切の予習なしに作品をご覧になることをお薦めします。「伝説」「ダウン症」「書の神様が降りた」といった言葉も無視して構わないと思います。大げさに言うのではなく、私はただただ圧倒され、胸が熱くなりました。どの書も素晴らしいですが、巻頭の「龍翔鳳舞」はまさに龍が天翔け、鳳凰が舞うのを目の当たりにする思いがしますし、10歳、20歳、30歳の「般若心経」の変遷は実に味わい深いです。原寸サイズで見たくなる素晴らしい作品集です。

★『プレミアム アトラス 世界地図帳 新訂第3版』『プレミアム アトラス 日本地図帳 新訂第3版』は、2008年版(初版)、2014年新版(第2版)に続く新訂版(第3版)。オールカラーで美しい地図帳です。平凡社さんではポケットアトラス、ベーシックアトラス、ワイドアトラスなど各種を制作されているほか、より詳細な日本地図が必要な方には『県別日本地図帳』があります。30冊の注文から表紙への名入れサービスを行っているとのことです。

★『江戸の博物学』『和算への誘い』『園芸の達人』は、ブックレット「書物をひらく」シリーズの第6巻~第8巻。新書よりも内容が簡潔で、図版が多いのが特徴です。それぞれの主要目次を列記しておきます。第6巻『江戸の博物学』は「一、薩摩の博物学と島津重豪」「二、琉球への視線」「三、大名趣味としての鳥飼い」。第7巻『和算への誘い』は「一、和算が始まる前」「二、和算の基礎を作った『塵劫記』」「三、日本独自の数学を作った関孝和」「四、円周率」「五、庶民に拡がった和算」「おわりに――和算から洋算へ」。第8巻『園芸の達人』は「一、きっかけは百科事典『古今要覧稿』」「二、日本で初めての彩色植物図鑑『本草図譜』「三、ロングセラーの園芸ハンドブック『草木育種』」「四、江戸の自然誌『武江産物志』と採薬記」「五、園芸ダイヤリー『種藝年中行事』」「おわりに――『自筆雑記』、『茶席挿花集』など」。

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# by urag | 2017-07-16 20:37 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 13日

講演「出版人・中野幹隆と哲学書房の魅力」(信州しおじり本の寺子屋)

◎講演「出版人・中野幹隆と哲学書房の魅力」(信州しおじり本の寺子屋地域文化サロン)

日時:2017年8月19日(土曜日)13:30~15:30
場所:塩尻市市民交流センター(えんぱーく)3階多目的ホール
参加費:無料
申し込み開始日:7月9日(日曜日)

内容:東京で出版社「哲学書房」を創業した、塩尻市宗賀地区出身の出版人・中野幹隆さんをご存じですか。塩尻市立図書館では、このたび、中野さんの功績を振り返る講演会を開催します。講師は、有限会社月曜社取締役の小林浩さんです。お気軽にご参加ください。

講師からのメッセージ:20世紀後半の現代思想ブームにおいて先端的な役割を果たした編集者・中野幹隆(塩尻市大字宗賀出身)の業績を振り返り、中野が興した哲学書房の出版物の魅力について紹介します。出版界の変化についてもお話しします。

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僭越ではあるのですが、月曜社で哲学書房さんの「羅独独羅学術語彙辞典」「季刊哲学」「季刊ビオス」の在庫の直販をお引き受けしたご縁もあり、このような機会を頂戴することになりました。お申込み方法はイベント名のリンク先に明記されております。どうぞよろしくお願いいたします。

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# by urag | 2017-07-13 14:27 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 13日

既刊書情報補完:2016年4月~7月刊

◎2016年7月7日発売:W・ウォルターズ『統治性――フーコーをめぐる批判的な出会い』本体2,500円。
書評1⇒ぷよまる氏書評「フーコーを使う、理論を使う」(「綴葉」352号、2016年11月)
書評2⇒山本奈生氏書評(『佛大社会学』第41号、2017年3月30日発行)

◎2016年7月1日発売:G・バタイユ『マネ』本体3,600円。
書評1⇒濱野耕一郎氏書評「期待を裏切る至高のタブロー――バタイユによるマネ論」(「週刊読書人」2016年9月9日号)
書評2⇒中島水緒氏書評「マネ作品の可能性を汲み尽した比類なき芸術論」(「美術手帖」2016年11月号BOOK欄)

◎2016年5月25日発売:『ユンガー政治評論選』本体2,800円。

◎2016年4月15日発売:『表象10:爆発の表象』本体1,800円。

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# by urag | 2017-07-13 10:41 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 11日

ブックツリー「哲学読書室」に高桑和巳さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、『ジャック・デリダ講義録 死刑I』(高桑和巳訳、白水社、2017年6月)の訳者・高桑和巳さんによる選書リスト「死刑を考えなおす、何度でも」が追加されました。下記リンク先一覧よりご覧ください。


◎哲学読書室

星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも

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# by urag | 2017-07-11 16:01 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)