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2017年 08月 16日

今週末開催:講演「出版人・中野幹隆と哲学書房の魅力」@塩尻市市民交流センター

いよいよ催事が今週末に迫りました。中野幹隆さんと哲学書房さんの業績について公的な場で発表するのは今回が初めてです。月曜社で哲学書房さんの「羅独独羅学術語彙辞典」「季刊哲学」「季刊ビオス」の在庫の直販をお引き受けしたご縁もあり、このような機会を頂戴することになりました。会場の席にまだ残りがあるようなので、ご関心のある方々とお目に掛かれたらたいへん幸いです。お申込み方法はイベント名のリンク先に明記されております。参加無料です。どうぞよろしくお願いいたします。

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◎講演「出版人・中野幹隆と哲学書房の魅力」(信州しおじり本の寺子屋地域文化サロン)

日時:2017年8月19日(土曜日)13:30~15:30
場所:塩尻市市民交流センター(えんぱーく)3階多目的ホール
参加費:無料

内容:東京で出版社「哲学書房」を創業した、塩尻市宗賀地区出身の出版人・中野幹隆さんをご存じですか。塩尻市立図書館では、このたび、中野さんの功績を振り返る講演会を開催します。講師は、有限会社月曜社取締役の小林浩さんです。お気軽にご参加ください。

講師からのメッセージ:20世紀後半の現代思想ブームにおいて先端的な役割を果たした編集者・中野幹隆(塩尻市大字宗賀出身)の業績を振り返り、中野が興した哲学書房の出版物の魅力について紹介します。出版界の変化についてもお話しします。

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# by urag | 2017-08-16 13:36 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 15日

注目新刊:ギャロウェイ『プロトコル』人文書院、ほか

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エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』プラトン著、朴一功/西尾浩二訳、
京都大学学術出版会、2017年8月、本体3,000円、四六変判上製278頁、ISBN 978-4-8140-0095-1
不当な債務――いかに金融権力が、負債によって世界を支配しているか?』フランソワ・シェネ著、長原豊/松本潤一郎訳、芳賀健一解説、作品社、2017年8月、本体2,200円、46判上製244頁、ISBN978-4-86182-620-7

★『エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』は「西洋古典叢書」2017年第3回配本(G101)。『エウテュプロン』西尾浩二訳、『ソクラテスの弁明』朴一功訳、『クリトン』朴一功訳、の三篇を収録。目次詳細および正誤表は書名のリンク先をご覧ください。同シリーズでのプラトン新訳は、『ピレボス』山田道夫訳(G044、2005年6月)、『饗宴/パイドン』朴一功訳(G054、2007年12月)、『エウテュデモス/クレイトポン』朴一功訳(G084、2014年6月)に続く4点目です。帯文(表4)に曰く「敬虔とは何かをめぐり、その道の知者を自負する人物と交わされる対話『エウテュプロン』。不敬神と若者を堕落させる罪で告発された老哲学者の裁判記録『ソクラテスの弁明』。有罪と死刑の判決を受けて拘禁中の彼が、脱獄を勧める竹馬の友を相手にその行為の是非について意見を戦わす『クリトン』。ソクラテス裁判を中心に、その前後の師の姿を描いたプラトンの3作品が鮮明な新訳で登場」と。付属の「月報129」は須藤訓任さんによる「ソクラテスを廻る切れ切れの思い」と、連載「西洋古典雑録集(3)」として國方栄二さんによる「エウタナシアー」の解説を収載。「エウタナシアー」とは古代ギリシア語で「よき死」の意。次回配本はアンミアヌス・マルケリヌス『ローマ帝政の歴史1』山沢孝至訳。

★ソクラテスに対する告訴状にはこう書かれていました。「ソクラテスは国家の認める神々を認めず、別の新奇なダイモーン(神霊)のたぐいを導入する罪を犯している。また若者たちを堕落させる罪も犯している。究明は死刑」。告発者である無名の青年の後ろ盾には政治家や弁論家がいました。裁判員(30歳以上)は500名で、票決は「有罪」とするものが280票、「無罪」が220票。さらに量刑については「死刑」とするものが360票、「罰金」が140票。

★ソクラテスはこう述べます。「私が真実を語るのに憤慨しないでください。実際、あなたがたに対してであれ、他のどんな多数者に対してであれ、本気になって反対して、国家のうちに多くの不正や違法が生じるのをどこまでも阻止しようとすれば、世の人々のなかで生きのびられるような人はだれもいないのです。むしろ、正しいことのために本当に戦おうとする者は、たとえわずかの時間でも生きのびようとするなら、私人として行動すべきであって、公人として行動すべきではないのです」(「ソクラテスの弁明」103頁)。「実際、もしあなたがたが人を殺すことによって、あなたがたに生き方が正しくないとだれかが非難するのをやめさせようと思っているなら、その考え方は適切ではないのです。〔・・・〕他人を押さえつけるのではなく、自分自身ができるかぎりすぐれた者になるよう心がけることこそ、最も美しく、最も容易なのです」(127~128頁)。

★『不当な債務』は発売済。原書は『Les dettes illégitimes : Quand les banques font main basse sur les politiques publiques』(Raisons d'Agir, 2011)です。シェネ(François Chesnais;『別のダボス――新自由主義グローバル化との闘い』〔柘植書房新社、2014年〕では「シェスネ」)はフランスの経済学者でパリ第13大学の名誉教授。ATTACの学術顧問も務めておられます。かつてカストリアディスやルフォールらが創設し、一時期リオタールらが参加していたグループ「社会主義か野蛮か」のメンバーだったとも言います。多くの著書がありますが、日本語訳は本書が初めてです。主要目次を列記しておきます。はじめに|第Ⅰ章 金融権力、その現実における組織的な土台と形態|第Ⅱ章 ヨーロッパの債務危機と世界的危機|第Ⅲ章 正当性なき公的債務|おわりに 借金棒引き――最終的には、欧州規模の社会運動へ?|用語解説|「訳者後書き」に扮して――ユビュ王とギゾー首相の「金持ち」(長原豊)|日本語版解説 国家の債券市場への隷従――財政赤字、国債、中央銀行(芳賀健一)。解説者の芳賀さんは本書について「先進国とくにフランスの政治債務が「汚れた債務」である所以を分析し、その解決策とそれを実現する政治・社会運動の結集を説得的に訴えている」と評しています。増え続ける日本の公的債務と今こそ向き合うための必読書かと思われます。

★「多くの国が債務というきわめて重大な課題に直面している。そうした事態にまだ直面していない国々も、遅かれ早かれ、直面することになるだろう」(171頁)とシェネは警告します。「本書の狙いは、今日、新自由主義を標榜する西欧諸国への従属を強いられている人びとが、自分たちの生産手段と交換手段(したがってまた、ユーロ)を民主的に共有するといったスタイルで管理するという目標に向かって社会的・経済的闘争をおこなうための結集軸を創り上げることに寄与すること、これである」(32頁)。「欧州連合とは「異なる(私たちの)ヨーロッパ」の構築という展望のもとで、例えば債務を返済しないこと、欧州中央銀行を含めた銀行を組み伏せること、そして銀行を効果的に統御するために社会化すること、これらを共通目標として掲げることができるのではないだろうか」(同)。

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★このほか、まもなく発売となる注目新刊には以下のものがあります。

プロトコル――脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』アレクサンダー・R・ギャロウェイ著、北野圭介訳、人文書院、2017年8月、本体3,800円、4-6判並製420頁、ISBN978-4-409-03095-0
フランスを問う――国民、市民、移民』宮島喬著、人文書院、2017年8月、本体2,800円、4-6判上製258頁、ISBN978-4-409-23058-9
日本のテロ――爆弾の時代60s-70s』栗原康監修、河出書房新社、2017年8月、本体1,000円、A5判並製128頁、ISBN978-4-309-24820-2
パルチザン伝説』桐山襲著、河出書房新社、2017年8月、本体1,800円、46判上製178頁、ISBN978-4-309-02600-8
狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』松下竜一著、河出書房新社、2017年8月、本体2,200円、46変形判並製272頁、ISBN978-4-309-02601-5
サンシャワー――東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』国立新美術館/森美術館/国際交流基金アジアセンター編、平凡社、2017年8月、本体3,600円、A4変判上製320頁、ISBN978-4-582-20711-8

★まずは人文書院さんの2点。『プロトコル』は『Protocol: How Control Exists after Decentralization』(MIT Press, 2004)の翻訳。ミシェル・フーコー以後の管理社会論の地平を拓く野心的な試みです。ギャロウェイ(Alexander R. Galloway, 1974-)はニューヨーク大学准教授で、哲学者、プログラマー、アーティストなどの肩書を持っています。『プロトコル』はギャロウェイの処女作にして初の訳書です。目次詳細は書名のリンク先をご覧下さい。巻頭の序言「プロトコルは、その実行のただなかでこそ存在する」はギャロウェイとの共著があるユージン・サッカー(Eugene Thacker; タッカーとも)によるもの。サッカーはこう書いています。「すべてのネットワークがそもそもひとつのネットワークであるのは、それがプロトコルによって構成されているからである。〔・・・ネットワークには〕諸々の属性が出現することを可能にする下部構造がある〔・・・〕。ネットワークではない。プロトコルなのだ。/このことを踏まえると、『プロトコル』を政治経済についての書物として読むことができるだろう」(13~14頁)。このあとサッカーはフーコーに言及しつつ「プロトコルにかかわる生政治の次元は、今後取り組むべき課題として開かれている」(17頁)と書いています。「生物学と生命科学がますますコンピュータやネットワーク化したテクノロジーに統合されていくにつれて、身体とテクノロジーのあいだに引かれた馴染みのある境界線、すなわち生物体と貴会のあいだに引かれた馴染みのある境界線は、一群となった諸変容を被り始めている」(同)。

★序章でギャロウェイは本書の目的についてこう書いています。「君主=主権による中心的な管理にも、監獄や工場における脱中心的な管理にももとづいていない〔・・近代以後の〕この第三の歴史の波がもつ固有性を、そこで生じたコンピュータ技術の管理=制御に焦点をあわせることによって具体化して論じることである」(35~36頁)。ギャロウェイは近代から現代への歴史的推移を、中心化(君主=主権型社会)から脱中心化(規律=訓練型社会)へ、さらに分散化(管理=制御型社会)へ、と捉えており、「プロトコルとは歴史的には脱中心化の後に生じるマネジメントのシステムである」(60頁)と指摘しつつ、「プロトコル/帝国の論理にもとづくネットワークの制御をきわめて容易にしているもの」こそが「分散型のアーキテクチャ」なのだと言います(66頁)。本書はここから七章に渡って本論を展開していき、「中心化され秩序付けられた権力と分散化された水平的なネットワークとのあいだ」にある「現行の世界規模での危機」(334頁)と向き合おうとしているように見えます。訳者あとがきで北野さんは「プロトコルをめぐる考察が及ぶ範囲はかなり広い」と指摘し、本書について次のように評しておられます。「単に抽象度が高い話をするという素朴なレヴェルでの哲学的思惟ではなく、個別具体的なものへの思考を活性化させてくれる仕事、しかも優れて今日的なテーマ――インターネットのみならず、人工知能から、生命操作にいたるまで――をめぐる思考を弾力化させる仕事であるだろう」(414頁)。

★ギャロウェイの活躍については、千葉雅也さんによるギャロウェイ本人へのインタヴュー「権威〔オーソリティ〕の問題――思弁的実在論から出発して」(小倉拓也/千葉雅也訳)を「現代思想」2016年1月号(特集=ポスト現代思想)でもご確認いただけます。

★宮島喬『フランスを問う』は、現代フランス社会の「現状を批判的に捉え返し、移民の統合と多文化(多民族)共生への道を見出すことができるのか」(「はじめに」iv頁)を問うもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。収録された8つの論考のうち、「同時的に起こっているヨーロッパの危機と変動」「ナショナルポピュリズムとそれへの対抗力――フランス大統領選の社会学から」「オリジンを問わないということ――フランス的平等のディレンマ」「フランスの移民政策の転換――“選別的”政策へ?」「デラシネとしての移民?――バレース、デュルケム再考、ノワリエルを通して」の5本が書き下ろしで、3本は各誌に近年発表済の論考に加筆したもの。「共存、共生してきて、これからもそれを続けていくほかない人々を、不確かな根拠の下に「彼ら」化、「他者」化し、排除、または交わらぬ並行関係に追いやろうとする(日本でも、それに近いことは最近の小政治グループの誕生によって起こりそうである)」(「あとがき」241頁)。ナショナル・ポピュリズムの台頭が懸念される日本社会を考える上で示唆となる一冊です。

★次に河出書房新社さんの3点。『日本のテロ――爆弾の時代60s-70s』はまさに書名通りの歴史と人物、参考文献について簡潔に教えてくれる手頃な一冊です。歴史解説は「ですます調」で書かれ、人物紹介はイラスト付きで柔らかく、巻末のブックガイドは丁寧で、何より廉価なので、若い読者にも親しみやすいのではないかと思います。同時期に河出さんでは桐山襲『パルチザン伝説』と、松下竜一『狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』の2点を復刊。前者『パルチザン伝説』は「文藝」誌に掲載後に単行本化が中断され、他社から刊行されたいわくつきの作品(詳細は省略します)で、30数年ぶりの初出版元への回帰となります。友常勉さんが解説を担当されています。後者『狼煙を見よ』は1974年に起きた「東アジア反日武装戦線」による連続企業爆破事件前後の軌跡を追ったもの。解説は斎藤貴男さんがお書きになっておられます。この3点はいわば新刊セットなので店頭でバラバラに扱うのはあまり意味がありません。戦後を考える視座として、避けて通れないものがあります。

★最後に平凡社さんの『サンシャワー――東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』は、ASEAN(東南アジア諸国連合)の設立50周年を記念して国立新美術館と森美術館で開催中の東南アジア現代美術展の展覧会図録です。「時代の潮流と変動を背景に発展した東南アジアにおける1980年代以降の現代アートを、9つの異なる視点から紹介する、史上最大規模の展覧会」とのこと。展覧会について以下に概要を特記しておきます。リンク先では9つのセクションや出展作家、見どころなどについて確認できます。


会期:2017年7月5日(水)~10月23日(月)
会場(2館同時開催):
国立新美術館 企画展示室 2E(東京都港区六本木7-22-2)
 開館時間:10:00~18:00(毎週金曜日・土曜日は21:00まで)※入場は閉館の30分前まで
 休館日:毎週火曜日
森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53階)
 開館時間:10:00~22:00(毎週火曜日は17:00まで)※入場は閉館の30分前まで
 会期中無休
主催:国立新美術館、森美術館、国際交流基金アジアセンター
巡回:2017年11月3日(金・祝)~12月25日(月)/福岡アジア美術館

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# by urag | 2017-08-15 02:14 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 13日

注目新刊:ノイラート『アイソタイプ』BNN新社、ほか

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★人文書売場だけを見ているだけでは見つけにくいここ二か月ほどの間の新刊をまとめてみます。

ISOTYPE[アイソタイプ]
オットー・ノイラート著、永原康史監訳、牧尾晴喜訳
BNN新社、2017年6月、本体3,200円、四六判上製320頁、ISBN978-4-8025-1065-3

帯文より:インターナショナルな世界を支える〈言語〉の統一に、〈デザイン〉の力で挑んだ哲学者の知られざる思想。事象と意味をつなぐ視覚化(=絵文字化)のシステムの結実、アイソタイプ。大戦の狭間に埋もれたノイラートの言葉が、いま蘇る。本邦初となる完訳訳『International Picture Language』(1936)、『Basic by Isotype』(1937)に『Modern Man in the Making』(1939)のすべての図版を収録した、合本版。

目次:
アイソタイプの科学――ふたたび世界をみる窓として(永原康史)
International Picture Language 国際図説言語
Basic by Isotype アイソタイプによるベーシック英語
Modern Man in the Making 近代人の形成(図のみ収録)

★ノイラート『ISOTYPE[アイソタイプ]』は某新規店の店内をふらついている際に、芸術・デザイン書の棚で偶然目に留まって釘付けになった一冊。「世界の表象:オットー・ノイラートとその時代」展(2007年9月25日~10月21日、武蔵野美術大学美術資料図書館1階展示室)以来、いつか翻訳されるかもしれない、されてほしいと期待してきたことがついに現実となり、舞い上がってしまいました。

★オットー・ノイラート(Otto Neurath, 1882-1945)は、オーストリア出身でのちにイギリスに亡命した哲学者。論理実証主義や統一科学運動で知られる「ウィーン学団」の一人です。アイソタイプとは「International System Of TYpographic Picture Education」の略で、視覚的な図記号による図説言語のこと。トイレで使われる、男女の姿を抽象化した標識を思い浮かべていただければよいかと思います。「誰から見てもわかりやすい絵は、言語の限界から自由だ〔・・・〕。それは国境を越えているのだ。言葉はへだたりをつくり、絵はつながりをつくる」(27頁)とノイラートは主張します。背景には「脱バベル化」(オグデン)を目指した国際言語創造の試みからの触発があるようです。グローバリゼーションが様々なひずみを引き起こしている時代だからこそひもとき、振り返り、原点を確認しておきたい、貴重な一冊。

★ノイラートの試みはグラフィック・デザイン史の一頁とも言えるでしょうけれども、同時に普遍言語や人工言語の末裔とも言えます。ライプニッツの普遍記号学や結合術、コメニウスの汎知学に通じる回路もあると思います。「ノイラートの船」で高名な論文「プロトコル言明」(Protokollsaetze; 竹尾治一郎訳、坂本百大編『現代哲学基本論文集Ⅰ』勁草書房、1986年、165-184頁)を収めた論文集は、大型書店なら哲学思想棚に基本書として置いてあると思いますが、本書『ISOTYPE』も哲学思想棚に置いてあるお店は、相当分かっていらっしゃる書店員さんがいるはず、と見ていいでしょう。

★なお『Modern Man in the Making 近代人の形成』は図版のみ収録ですが、論説部分を読みたい方は既訳書『現代社会生態図説』(高山洋吉訳、慶應書房、1942年)をご参照ください。古書市場ではかなり見つけにくい部類の本なので、図書館での閲覧が手っ取り早いです。ご参考までに同書の目次を掲出しておきます。

◎ノイラート『現代社会生態図説』(高山洋吉訳、慶應書房、1942年)目次
訳者序(1-2頁)
原著者序(1-4頁)※新たにノンブルが振り直されています
Ⅰ 叙述(1-108頁)※新たにノンブルが振り直されています
 過去と現在
 人類の統一化
 現代を生む諸潮流
 世界の現状
 社会環境
 人の日常生活
Ⅱ 図示(109-188頁)
Ⅲ 付録 文献及び註釈(189-228頁)
感謝の言葉(229頁)

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★このほか、理学書、建築書、ビジネス書などの新刊で、人文書売場にもスイッチできる新刊をいくつか挙げておきます。

ノースフェーラ――惑星現象としての科学的思考』ヴラジーミル・ヴェルナツキイ著、梶雅範訳、水声社、2017年7月、本体4,500円、四六判上製442頁、ISBN978-4-8010-0274-6
ユートピア都市の書法――クロード=ニコラ・ルドゥの建築思想』小澤京子著、法政だ学出版局、2017年7月、本体4,000円、A5判上製286頁、ISBN978-4-588-78609-9
2030年 ジャック・アタリの未来予測――不確実な世の中をサバイブせよ』ジャック・アタリ著、林昌宏訳、プレジデント社、2017年8月、本体1,800円、四六判上製224頁、ISBN978-4-8334-2240-6
続・哲学用語図鑑』田中正人著、斎藤哲也監修、プレジデント社、2017年6月、本体1,800円、A5判変型並製400頁、ISBN978-4-8334-2234-5
反脆弱性――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』(上巻、ナシーム・ニコラス・タレブ著、望月衛監訳、千葉敏生訳、2017年6月、本体各2,000円、46判上製412頁/424頁、ISBN978-4-478-02321-1/978-4-478-02321-1)

★『ノースフェーラ』は《叢書・二十世紀ロシア文化史再考》(桑野隆責任編集)の最新刊。前回の配本がヴィゴツキイ『記号としての文化――発達心理学と芸術心理学』(柳町裕子/高柳聡子訳、水声社、2006年)ですから約10年ぶりの配本(第6回)となります。このシリーズをちゃんと全点扱っている書店さんは信頼して良いと思います。ヴラジーミル・ヴェルナツキイ(1863-1945)はソビエト連邦時代の地球化学者でウクライナ科学アカデミー初代総裁。帯文は以下の通りです、「《科学的思考と人間の労働の影響の下に、生物圏は、叡知圏(ノースフェーラ)という新たな状態に移行しようとしている。》人類の科学的知識の増大を惑星地球の「進化」と位置づけ、人間思考の発展の歴史を辿りながら、生命と非生命のダイナミックな交流に着目した、新たな学問領域「生物地球化学」をうち立てる。人間理性への信頼が揺らぐ第二次世界大戦前夜、人類の未来への希望を科学研究の絶え間ない営為の中に見いだした、ヴェルナツキイの思想的到達点を示す草稿集」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお同シリーズの次回配本は、フレイデンベルグ『プロットとジャンルの詩学』杉谷倫枝訳、となるようです。

★『ユートピア都市の書法』は『都市の解剖学――建築/身体の剝離・斬首・腐爛』(ありな書房、2011年)に続く、小澤京子(おざわ・きょうこ:1976-)さんによる著書第二弾。東大大学院総合文化研究科に2014年に提出された同名の博士論文から、前著『都市の解剖学』と重複する部分を除外し、大幅に加筆修正したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。美麗な装丁は奥定泰之さんによるもの。本書を見かけたのは私は理工書売場の建築書棚においてでしたが、人文書売場の哲学思想棚においてはユートピア思想ないし啓蒙思想の研究書の近くに置くことで棚を豊かにしてくれると思います。ルドゥ(Claude Nicolas Ledoux, 1736-1806)はその特異な紙上建築によって有名ですが、紙上建築を扱った近年の研究書と言えば、本田晃子さんの『天体建築論――レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』(東京大学出版会、2014年)を思い出します。数年のうちに、奥行きのある卓抜な建築思想研究に再び出会えた喜びを感じます。

★『2030年 ジャック・アタリの未来予測』の原書は『Vivement après-demain !』(Fayard, 2016)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。アタリは第一章「憤懣が世界を覆い尽くす」の冒頭でこう書いています。「自分の人生に意義をもたせるつもりなら、そして余生を楽しむだけの暮らしに甘んじるつもりがないのなら、世界を理解すべきだ」(18頁)。「現在、世界は悪の勢力によって支配されているといえる」(19頁)と厳しく指摘するアタリは本書の目的を次のように明言しています。「誰もが世界の明るい展望と脅威を知る術をマスターし、それらの機会とリスクを推し測ることができるようにすることだ」(11頁)。第四章「明るい未来」では、本書が予見する世界の大惨事を回避するために個人が達成すべき精神的な10段階や、その先にある社会制度改革のための10の提案、さらに国家(本書の場合はフランス)が実行すべき10の提案を簡潔に列記しています。「とにかく、私はすべてを語った」(205頁)、これが本書の結びの言葉です。猛烈に濃い絶望的な闇の中でアタリが掲げる剣の輝きを信じることができるのかどうか、困難に立ち向かう勇気が私たち一人ひとりに問われています。

★なおプレジデント社さんではベストセラー『哲学用語図鑑』(2015年)の続編として『続・哲学用語図鑑』を6月に刊行されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「中国・日本・英米分析哲学編」と銘打たれていますが、『哲学用語図鑑』でも扱われていた重要な哲学者の何人かは再説されており、前作の周到な補完となっています。優れた人文系入門書を長らく手掛けられてきたフリーエディターの斎藤哲也さんのご活躍に深い敬意を覚えます。田中正人さんという才能豊かな適任者によって専門家では成し得ない図鑑が作成されたことは、出版史における画期的な業績として記憶され、刻まれるべきことでしょう。田中さんの図鑑にはまさにノイラート的な図説の感性が溢れているように思います。

★アタリの著書『2030年 ジャック・アタリの未来予測』と合わせて読んでおくのが良いかもしれない本には、訳者の林さんがまもなく上梓される近刊書、ダニエル・コーエンの『経済成長という呪い――欲望と進歩の人類史』(東洋経済新報社)を挙げてよいでしょう。また、既刊書ではタレブの最新作『反脆弱性』上下巻を挙げておきたいと思います。原書は『Antifragile: Things that Gain from Disorder』(Random House, 2012)です。アタリ(Jacques Attali, 1943-)は人文書からビジネス書に進出した思想家であり経済学者、政治家ですが、タレブ(Nassim Nicholas Taleb, 1960-)はトレーダー出身の金融工学の専門家で、ランダムネス、確率、不確実性をめぐる思想家でもあり、ビジネス書から人文書に越境してくるキー・パーソンです。主著であるベストセラー『ブラック・スワン――不確実性とリスクの本質』(上下巻、望月衛訳、ダイヤモンド社、2009年)のほか、すでに何冊も訳されています。

★明日をも知れぬ世界の混迷について鋭く警告し、そこからの脱出を示唆する点において、アタリとタレブはそれぞれに分析と処方を提示し、不確実性と変化がもたらすものを教えます。『ブラック・スワン』を『反脆弱性』の補助的な作品であり付録である(『反脆弱性』上巻39頁)と位置づけているタレブが教えるのは、「変動制や不確実性によって損をする」(同下巻294頁)脆さについてです。「何より不思議なのは、脆いものはすべて変動性〔ボラティリティ〕を嫌うという当たり前の性質が、科学や哲学の議論からすっぽりと抜け落ちてしまっていることだ。〔・・・〕この点を自然に会得しているのは、たいてい実践家(物事を実行する人)だけなのだ」(上巻36頁)とタレブは書きます。「衝撃を利益に変えるものがある。そういうものは、変動性、ランダム性、無秩序、ストレスにさらされると成長・反映する。〔・・・〕本書ではそれを「反脆弱」と形容しよう」(22頁)。「すば抜けて頭はよいけれど脆い人間と、バカだけれど反漸弱な〔訳書通りに転記すると「反脆い」〕人間、どちらになりたいかと訊かれたら、私はいつだって後者を選ぶ」(22~23頁)。平たく言えば、変化による危機をチャンスに変えることができる能力を反脆弱性として理解していいでしょうか。

★タレブの本書では「観光客化 touristification」という造語が出てくるのですが、ここで言う「観光客 tourist」は東浩紀さんが『観光客の哲学』(ゲンロン、2017年3月)で使用したキーワードとは大きく意義が異なっているように感じます。それを踏まえた上で、タレブと東さんの本を隣合わせで置いている本屋さんがいらっしゃるとすれば、その方は旬の新刊を横断的に見ることができる方でしょう。タレブの「観光客化」は下巻巻末の用語集によれば「人生からランダム性を吸い取ろうとすること。教育ママ、ワシントンの公務員、戦略プランナー、社会工学者、ナッジ使いなどのお得意技。反義語は「分別ある遊び人」」(下巻416頁)。本文では次のように記述されています。「この単語〔観光客化〕は私の造語であり、人間を機械的で単純な反応を返す、詳しいマニュアルつきの洗濯機のようなものとして扱う、現代生活のひとつの側面を指している。観光客化は、物事から不確実性やランダム性を体系的に奪い、ほんの些細な点まで予測可能にしようとする。すべては快適性、利便性、効率性のためだ。/観光客が冒険家や遊び人の対極にあるとすれば、観光客化は人生の対極にある。観光客化は、旅行だけでなく、あるとあらゆる活動を、俳優の舞台のようなものへと変えてしまう。システムや有機体からランダム性を最後の一滴まで吸い出し、不確実性を好むシステムや有機体を骨抜きにしておきながら、それがよいことなのだという錯覚まで与える。その犯人は、教育制度、目的論的な科学研究の助成計画、フランスのバカロレア資格、ジムのマシンなどだ。〔・・・〕現代人は、休暇中でも囚われの生活を送らざるをえなくなっている。金曜の夜のオペラ、スケジュールされたパーティー。お約束の笑い。これも金の牢獄だ。/この”目的志向”の考え方は、私の実存的な自我を深く傷つけるのだ」(上巻122~113頁)。

★一方、東さんは「連帯の理想を掲げ、デモの場所を求め、ネットで情報を集めて世界中を旅し、本国の政治とまったく無関係な場所にも出没する21世紀の「プロ」の市民運動家たちの行動様式がいかに観光客のそれに近いか、気がついていないのだ。〔・・・〕観光客は、連帯はしないが、そのかわりたまたま出会ったひとと言葉を交わす。デモには敵がいるが、観光には敵がいない。デモ(根源的民主主義)は友敵理論の内側にあるが、観光はその外部にあるのだ」(160頁)とお書きになっておられます。「観光客は大衆である。労働者であり、消費者である。観光客は私的な存在であり、公共的な役割を担わない。観光客は匿名であり、訪問先の住民と議論しない。訪問先の歴史にも関わらない。政治にも関わらない。観光客はただお金を使う。そして国境を無視して惑星場を飛び回る。友もつくらなければ敵もつくらない」(111頁)。「観光客はまさに、20世紀の人文思想全体の敵なのだ。だからそれについて考え抜けば、必然的に、20世紀の思想の限界は乗り越えられる」(112頁)。「観光客の哲学を考えること、それはオルタナティブな政治思想を考えることである」(116頁)。

★タレブが観光客を、主体性を奪われたただのお客=部外者として見ているのとは対照的に、東さんはその部外者にも主体性があり、自由に動けるのだと評価しておられるように思われます。東さんの言う「観光客」はむしろ、タレブがそれ(観光客)と対置している「分別ある遊び人 the rational flaneur」に近いように思われます。「「自分は行き先を完璧にわかっている」「過去に自分の行き先を完璧にわかっていた」「過去に成功した人はみんな行き先をわかっていた」という錯覚を、本書では「目的論的誤り」と呼ぼう。/また、「分別ある遊び人」とは、観光客とは違って、立ち寄った先々で旅程を見直し、新しい情報に基づいて行動を決められる人だ。ネロは自分の嗅覚を頼りに、旅でこの方法を実践していた。遊び人は計画の囚人ではない。観光は、文字どおりの意味であれ比喩的な意味であれ、目的論的誤りに満ちている。計画は完璧であるという家庭のもとで成り立っていて、人間を、修正の難しい計画の囚人にしてしまう。一方、遊び人は、情報を獲得するたびに絶えず理性的に目標を修正していく」(上巻281頁)。

★タレブの言う「目的論的誤り the teleological fallacy」を東さんは積極的に評価しておられるように思います。「誤配こそが社会をつくり連帯をつくる。だからぼくたちは積極的に誤配に身を曝さねばならない」(9頁)。「21世紀の新たな抵抗は、帝国と国民国家の隙間から生まれる。それは、帝国を外部から批判するのでもなく、また内部から脱構築するのでもなく、いわば誤配を演じなおすことを企てる。出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した枝をもういちどつなぎかえ、優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる。そして、そのような実践の集積によって、特定の頂点への富と権力の集中にはいかなる数学的な根拠もなく、それはいつでも解体し転覆し再起動可能なものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々につねに思い起こさせることを企てる。ぼくには、そのような再誤配の戦略こそが、この国民国家=帝国の二層化の時代において、現実的で持続可能なあらゆる抵抗の基礎に置かれるべき、必要不可欠な条件のように思われる。21世紀の秩序においては、誤配なきリゾーム状の動員は、結局は帝国の生権力の似姿にしかならない。/ぼくたちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。ぼくはここでそれを観光客の原理と名づけよう。21世紀の新たな連帯はそこから始まる」(192頁)。

★タレブは先述の通り「遊び人〔フラヌール〕」を評価しますが、一方でこう警告もしています。「ひとつ注意がある。遊び人の日和見主義は、人生やビジネスではうまくいく。でも私生活や人間関係ではうまくいかない。人間関係では、日和見主義の反対は忠誠だ。忠誠を尽くすことは立派な心がけだが、人間関係や道徳のようなふさわしい場面で発揮してこそ意味がある」(上巻281~282頁)。これについては東さんの『観光客の哲学』では、第2部「家族の哲学(序論)」を参照すべきかと思われます。「観光客が拠りどころにすべき新しいアイデンティティとは、結局のところなんなのだろうか。/実はぼくがいまその候補として考えているのは家族である」(207頁)。これ以降の比較はネタバレを含まざるをえないのでやめておきますが、タレブさんと東さんの思考を往還することで得るものは色々とあるような気がします。

★ちなみにタレブの議論とメイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年)をリンクさせている思想家にエリ・アヤシュ(Elie Ayache、1966-)がいます。著書に『The Blank Swan: The End of Probability』(Wiley, 2010)や『The Medium of Contingency: An Inverse View of the Market』(Palgrave, 2015)などがあり、邦訳論文に「出来事のただなかで」(安崎玲子/杉山雄規訳、『ザ・メディウム・オブ・コンティンジェンシー』Kaikai Kiki、2014年、25~40頁;アヤシュの未訳著書とは別物)や、「現実の未来」(神保夏子訳、『Speculative Solution』東京都現代美術館、2012年、62~75頁)があります。アヤシュもまた実業家なのですが、哲学者としての横顔も持っています。タレブと同じくレバノン出身で、アタリと同様にエコール・ポリテクニークで学び、さらにソルボンヌ大学でも学位を取り、デクシア・アセット・マネジメントを経て1999年にテクノロジー・カンパニー「ITO 33」を創業しています。『Collapse』誌第8号(Urbanomic, 2014)では彼のインタヴュー「The Writing of the Market」を読むことができます。私が今もっとも注目している思想家の一人ですが、もし関心を共有する方がいらっしゃいましたらぜひご連絡下さい。

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# by urag | 2017-08-13 17:49 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 06日

注目新刊:『原典 ルネサンス自然学』上下巻、ほか

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原典 ルネサンス自然学(上)』池上俊一監修、名古屋大学出版会、2017年8月、本体9,200円、菊判上製650頁、ISBN978-4-8158-0880-8
原典 ルネサンス自然学(下)』池上俊一監修、名古屋大学出版会、2017年8月、本体9,200円、菊判上製656頁、ISBN978-4-8158-0881-5
メルロ=ポンティ哲学者事典 第一巻 東洋と哲学・哲学の創始者たち・キリスト教と哲学』モーリス・メルロ=ポンティ編著、加賀野井秀一/伊藤泰雄/本郷均/加國尚志監訳、白水社、2017年7月、本体5,400円、A5判上製436頁、ISBN978-4-560-09311-5

★『原典 ルネサンス自然学』上下巻は発売済。『原典 イタリア・ルネサンス人文主義』を2009年に同版元から上梓された池上俊一さんの監修による、原典で読むルネサンス思想のアンソロジー大冊の第二弾です(ちなみに『原典 イタリア・ルネサンス人文主義』はアマゾンではカート落ちでマケプレの高額出品しか表示されませんが、版元品切ではないので要注意です)。『原典 ルネサンス自然学』は凡例に曰く「15世紀から17世紀の代表的自然学者30人の作品を翻訳し、それぞれに訳者による解題と注を付したもの」。高額本ではありますが、その分中身は充実しており、買い逃す手はありません。収録作品は書名のリンク先でご確認いただければと思いますが、せっかくなので人名だけでも列記しておくと以下の通りになります。

★フランシス・ベイコン、コンラート・ゲスナー、プロスペロ・アルピーニ、オリヴィエ・ド・セール、プラーティナ、ウゴリーノ・ダ・モンテカティーニ、ジャン・フェルネル、ジローラモ・フラカストロ、アンドレアス・ヴェサリウス、マルチェッロ・マルピーギ、ウィリアム・ハーヴィ、アンブロワーズ・パレ、ヘンリクス・コルネリウス・アグリッパ、パラケルスス、トンマーゾ・カンパネッラ、ジョン・ディー、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ、ゼバスティアン・ミュンスター、マルシリオ・フィチーノ、ニコラウス・コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ヨハネス・ケプラー、ウィリアム・オートリッド、シモン・ステヴィン、マリアーノ・ディ・ヤコポ (タッコラ)、ヴァンノッチョ・ビリングッチョ 、伝トマス・ノートン、ロバート・ボイル、アイザック・ニュートン、ウォルター・チャールトン。まさに壮観としか言いようがありません。

★前代未聞の一大コーパスとなる本書の上巻巻頭に置かれた池上さんによる解説にはこうあります。「環境破壊問題や自然災害の多発に直面した現代文明の行き詰まり感の中で、自然と人間の関係の見直しが喫緊の課題となっている。それに伴って西洋近代科学の意義も見直されようとしており、とりわけ近代科学を準備したルネサンス期の「自然学」には、従来行われてきたような遡及的――近代主義的――な見方だけではとらえきれない豊かな側面があることが、近年ではしきりに強調されている。/そうした情勢の中、本書はルネサンス期の多面的な「自然学」の広がりを、現代に受け継がれたもの、否定されたもの、潜行して無意識のうちに影響を拡げていったものなどを含め、原典の翻訳紹介によって示すことを企図している」(1頁)。「誰しもが、いわば総合的な宇宙論・人間学を追究していた」(2頁)時代の豊かな発想力の数々は、科学技術の進展を少数の研究者に頼るほかない現代人の狭量な世界観に、大きな刺激をもたらすに違いありません。

★近年では白水社さんから『フランス・ルネサンス文学集』(1~3巻、2015~2017年)も刊行されており、「ルネサンス」を学び直す読書環境が整いつつあるように思われます。なお、くだんの白水社さんにおかれましては『メルロ=ポンティ哲学者事典』の第3回配本となる第一巻が発売となりました。詳細目次が版元サイトにまだ掲出されていないので、すべてを転記しておきたいところですが、なにぶん量が多いため、主要部分のみ以下に掲げておきます。

Ⅰ 東洋と哲学(モーリス・メルロ=ポンティ)
インドの二人の哲学者
ブッダ(ジャン・フィリオザ)
ナンマールヴァール(ジャン・フィリオザ)
インドの哲学
ヴェーダ哲学(紀元前1500~1000年)
ブラフマーナ哲学(紀元前1000年~600年)
ヴェーダとブラフマンから独立した思想家(紀元前6~5世紀)
ジャイナ教(紀元前6~5世紀)
正統派仏教
非正統派仏教
インドの古典哲学
ダルシャナ
タントラ哲学
インド・イスラーム時代(13~14世紀)
インド・西欧時代(19~20世紀)
インド哲学を論じたインド人歴史家
中国の二人の哲学者
荀子(マックス・カルタンマルク)
荘子(マックス・カルタンマルク)
中国の古代哲学(紀元前二世紀まで)
儒教、道教、仏教(紀元前2世紀~紀元後10世紀)
新儒教の開花とその支配的広がり(6~16世紀)
新儒教に対する反動(17~20世紀初頭)
Ⅱ 哲学の創始者たち(モーリス・メルロ=ポンティ)
ソクラテス以前の哲学者たち
ヘラクレイトス(ジャン・ボーフレ)
パルメニデス(ジャン・ボーフレ)
ゼノン(ジャン・ボーフレ)
ソクラテス(ヴィクトール・ゴルトシュミット)
プラトン(ヴィクトール・ゴルトシュミット)
プラトンと後継者たち
ソクラテス学派
アリストテレス(ミシェル・グリナ)
アリストテレスと後継者たち
エピクロス(ヴィクトール・ゴルトシュミット)
エピクロスと後継者たち
クリュシッポス(ヴィクトール・ゴルトシュミット)
古ストア主義
懐疑主義と実証的な知
プラトンの伝統
中期・新ストア主義
エピクテトス(ヴィクトール・ゴルトシュミット)
新プラトン主義
プロティノス(ミシェル・グリナ)
Ⅲ キリスト教と哲学(モーリス・メルロ=ポンティ)
キリスト教哲学のはじまり
アウグスティヌス(ポール・ヴィニョー)
中世初期
イスラーム哲学、ユダヤ哲学とビザンティン哲学
中世
トマス・アクィナス(オリヴィエ・ラコンブ)
ドゥンス・スコトゥス(ポール・ヴィニョー)
ルネサンス
ニコラウス・クザーヌス(モーリス・ド・ガンディヤック)

★『原典 ルネサンス自然学』で訳出されている人名の中で当事典第一巻にて立項されているのは、フィチーノとパラケルススです。次回配本は最終となる別巻「現代の哲学/年表・総索引」です。

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★また、以下の新刊にも注目しています。

あたらしい無職』丹野未雪著、タバブックス、2017年7月、本体1,400円、B6判変型並製172頁、ISBN978-4-907053-21-5

★「シリーズ3/4」の初回配本2点の内の1冊。もう1冊は山下陽光『バイトやめる学校』です。同シリーズは「3/4くらいの文量、サイズ、重さの本。それぞれのやり方で、余白のある生き方をさがすすべての方へ送る新シリーズです」とのこと。非正規雇用、正社員、アルバイト、無職と渡り歩いてこられた編集者でライターの丹野未雪(たんの・みゆき:1975-)さんの、39歳から41歳までの記録です。多彩なフリーランス層に支えられている出版界に棲息する者にとってはまさに他人事ではない現実の一側面を垣間見ることができます。初出はタバブックスさんの雑誌「仕事文脈」第5号(2014年11月)と第6号(2015年5月号)。

★「39歳無職日記」(第1章)と「41歳無職日記」(第3章)の間に挟まっている「社員はつらいよ」(第2章)の、こんな言葉が胸に残ります。「これは傷なのだろうか。傷だとしたら、癒えていないのだろうか。思い出しても痛みすらない。傷というより、もはや文様のようだ。刺青」(106頁)。本書の書名になぜ「あたらしい」という形容詞が入っているのか途中までよく分かりませんでしたが、読み終えてみて「無職」はいつだってその都度新しい冒険になるほかはなく、日常は単純な繰り返しのようでいて実はそうでもないのだ、と自分なりにじんわり得心した次第でした。本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。また発行元のタバブックスの宮川さんが登壇されるイベントについても特記しておきます。

日時:2017年8月11日(金・祝)19時~21時(開場18時30分)
会場:Readin' Writin' (台東区寿2-4-7)
定員:20名
料金:1,500円+1ドリンク
予約:リンク先をご覧下さい。

登壇:里山社・清田麻衣子/瀬谷出版・瀬谷直子/センジュ出版・吉満明子/タバブックス:宮川真紀
司会:よはく舎・小林えみ
日時:2017年8月23日19時~
会場:Readin'Writin'(リーディンライティン:田原町駅徒歩3分、台東区寿2-4-7)
料金:1000円(当日現金精算)+1ドリンク
定員:20名→30名に拡大しました(8/3修正)
申込:リンク先をご覧下さい。

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★さらに、最近では以下の新刊との出会いがありました。

EU崩壊――秩序ある脱=世界化への道』ジャック・サピール著、坂口明義訳、藤原書店、2017年7月、本体2,800円、四六判上製304頁、ISBN978-4-86578-133-5
ダダイストの睡眠』高橋新吉著、松田正貴編、共和国、2017年8月、本体2,600円、四六変型判上製264頁、ISBN978-4-907986-23-0

★『EU崩壊』は発売済。原書は『La Démondialisation』(Seuil, 2011)で、サピール(Jacques Sapir, 1954-:EHESS〔社会科学高等研究院〕主任研究員)の著書が訳されるのは今回が初めてです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の「日本語版への序」でサピールはこう述べています。「今日時点で確認しておくべきは、〔・・・〕今作動しているEUが厄介な障害物になっていることはすでに明白だということである。というのも、EUが進めた対外開放の政策は、1990年代以降、われわれの産業の構造的危機を加速してきたからである。長い間わが国の強みであったエネルギーや輸送の分野においてインフラ体系が次第に劣化してきたのは、一貫してEUのせいであった。こうした政策を変えることは可能である。しかし抵抗があまりにも強いようであれば、断固としてわが国の経済政策を再国民化しなければならないだろう。ヨーロッパ・レベルの行動がわれわれに最大の可能性を開く行動であることは確かだが、貿易相手諸国との合意が一時的に不可能であることが判明したときには、各国レベルでの行動も決して排除すべきではない」(16頁)。帯文にはこうあります。「グローバリズムと「自由貿易」礼讃で焼け野原と化したEUの現状に対し、フランスが主導するユーロ離脱と新たな「欧州通貨圏」構想により、各国の経済政策のコントロール奪回を訴える」。

★『ダダイストの睡眠』はまもなく発売。詩人の高橋新吉(たかはし。しんきち:1901-1987)の作品14編(短篇小説12篇と詩作品2篇)と、編者による3つの解説、さらに略年譜が加えられたオリジナル編集凡です。シリーズ「境界の文学」の最新刊。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。電子書籍やオンデマンド本、再刊を除くとずいぶんと久しぶりの新刊です。編者あとがきによれば、松田さんにとって高橋新吉の読解の鍵となったのはフェリックス・ガタリだったと言います。「彼の物語の背後には、「何もいうことはない」という言葉の発生源のようなものが見え隠れしており、そこから何度も「狂気」を語り起こそうとする姿勢が浮かび上がってくるのだ。〔・・・〕狂気を何度も語り直すこの果てしなき言い換えのプロセスが、個々の言葉を下支えする通奏低音のようなものとして絶えず機能している」(258頁)。「発狂も一つの芸術である。熟練を要する」(「桔梗」50頁)と新吉は書いています。本書に接する時、「不気味な運動」と題された作品にある次の言葉が胸に迫ります。「地下室のような薄暗い建物であったが、内部は馬鹿に広かった。此んな大きい建物が何時の時代に建てられたものか、それは不思議な建物であった」(145頁)。極薄の直方体の集積によって構成される書物というこの建築物の内部では「人類の絶滅を美しい芸術として空想する」(「悲しき習性」181頁)新吉の影が、現代の読者に読まれることによって転生を果たすべく様子を伺っている濃密な気配がします。

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# by urag | 2017-08-06 17:12 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 02日

取次搬入日確定:ギルロイ『ユニオンジャックに黒はない』

ポール・ギルロイ『ユニオンジャックに黒はない――人種と国民をめぐる文化政治』(田中東子/山本敦久/井上弘貴訳)の取次搬入日が決まりました。日販、トーハン、大阪屋栗田、いずれも8月4日(金)です。書店さんの店頭に並び始めるのは都心の超大型店では5日以降で、全国の書店さんでは8日(火)以降になるものと見込まれます。どの書店に入荷予定かは、地域を指定してお問い合わせいただければお答えします。

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# by urag | 2017-08-02 14:55 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 01日

注目新刊:廣瀬純映画論集『シネマの大義』フィルムアート社

★廣瀬純さん(著書:『絶望論』、共著『闘争のアサンブレア』、訳書:ヴィルノ『マルチチュードの文法』、共訳:ネグリ『芸術とマルチチュード』)
単行本未収録論考、国内未発表テクスト、講演、討議、座談会、等々を収めた、廣瀬純さんの映画論集がフィルムアート社さんから今月刊行されました。550頁強の大冊です。本書の刊行を記念し、青山ブックセンター六本木店では廣瀬純さんの選書によるブックフェアが開催中とのことです。また、同本店でのトークイベント情報も下段に掲出しておきます。

シネマの大義――廣瀬純映画論集
廣瀬純著
フィルムアート社 2017年7月 本体3,000円 四六判並製560頁 ISBN978-4-8459-1639-9

帯文より:シネマの大義の下で撮られたフィルムだけが、全人類に関わる。個人的な思いつき、突飛なアイディア、逞しい想像力といったものが原因(cause)となって創造されたフィルム〔・・・〕、個人の大義(cause)の下で撮られたフィルムはその個人にしか関わりがない。「シネマの魂」が原因となって創造されたフィルムだけがすべての者に関わるのだ。「ただちょっと面白いだけで、あとはさっぱり役立たずだった映画というものが、廣瀬純の言葉によって今ようやく何かの役に立とうとしている!」(黒沢清・映画監督)。
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日時:2017年8月10日 (木) 19:15~20:45 開場18:45~
場所:青山ブックセンター本店 大教室
料金:1,350円(税込)
定員:110名様
問合:青山ブックセンター本店 電話03-5485-5511(受付時間10:00~22:00)

内容:現時点までのキャリアを総括した初の映画論集『シネマの大義』を上梓した、批評家の廣瀬純さん。日本では蓮實重彦から安井豊作を通じて問われ続けてきた「シネマ」なるもの、その「大義」とはいかなるものなのかを問う本書は、廣瀬純のここ10年にわたる果敢な批評的実践の記録となっています。今回は、期せずして同時期に映画評論集『菊地成孔の欧米休憩タイム』を上梓する、菊地成孔さんをお招きし、「シネマ」とその大義はいまどこにあるのかについてお話しいただきます。映画を見ること、映画をつくること、そして映画を思考することは、いったいどのように人類に関わるのか──。どうぞご期待ください。

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# by urag | 2017-08-01 17:07 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 30日

注目新刊:クセナキス『音楽と建築』新編新訳版、ほか

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ヤニス・クセナキス著 高橋悠治編訳
河出書房新社 2017年7月 本体2,800円 46判上製184頁 ISBN978-4-309-27618-2
帯文より:「音楽が知性だった。建築は力だった。もう世界の終わりなき流動を怖れる必要はなかった。感じ考えていたのは世界だったのだから」(岡崎乾二郎)。高度な数学的知識で論じられる音楽と建築のテクノロジカルな創造的関係性。コンピュータを用いた現代における表現の、すべての始原がここに――。伝説の名著、新編・新訳。

目次:
訳者まえがき(高橋悠治)
音楽
 1 確率論と作曲
 2 三つのたとえ
 3 メタミュージックに向かって
 4 音楽の哲学へ
  一般事例
  事例《ノモス・アルファ》の分析
  《ノモス・ガンマ》――《ノモス・アルファ》の一般化[英語版から]
  天命の指針
建築
 5 フィリップス展示館――建築の夜明け
 6 「電子的運動表現」覚書
 7 宇宙都市
 8 見るための音楽《ディアトープ》
ヤニス・クセナキスの軌跡(高橋悠治)

★発売済。巻末特記によれば「本書は、1975年に全音楽譜出版社から刊行された同タイトルの書籍を、増補・改訳したものです」と。より詳しくは巻頭の「訳者まえがき」で説明されています。「この本は基本的には1975年に全音楽譜出版社から出した『音楽と建築』の再版だが、音楽についての第1部はフランス語の原文『Musique Architecture』(Casterman, 1976)と『Formalized Music』(Pendragon, 1975)中の英訳から、建築に関する第2部は『Music de l'architecture』(Éditions Parenthèse, 2006)のフランス語原文と『Music and Architecture』(Pendragon, 2008)の改訂版英訳から選択し、フランスワーズ・クセナキスとシャロン・カナークの了解のもとに、クセナキス入門とも言える独自の日本語版とした。《ディアトープ》についての講演と、そこで参照されたプラトン、パスカルなどの文章を新しく訳した」とのことです。

★参考までに旧版(底本はCastermanより刊行された『Musique Architecture』の初版1971年版。1976年版は増補新版)の目次を列記しておきます。

日本語版への序
序 「音列音楽の危機」より
第1部 音楽
 第1章 確率論と作曲
 第2章 三つのたとえ
 第3章 作曲の形式化と公理
 第4章 三つの結晶核
 第5章 超音楽へ
 第6章 音楽の哲学へ
  一般の場合
  特殊の場合――「ノモス・アルファ」の分析
  「ノモス・ガンマ」――「ノモス・アルファ」の一般化
  運命指示計
第2部 建築
 「電子詩」1958――ルコルビュジェ
 第1章 フィリップス館
 第2章 電子的身振りについて
 第3章 宇宙都市
年表ヤニス・クセナキス
訳者あとがき(高橋悠治)

★河出書房新社さんから再刊するにあたり「訳文を最初から作り直」したとのことで、底本も同一ではありませんから、旧版を持っている方も今回の「新編・新訳」版は購読された方がいいと思います。新版にあって旧版にないものは新たに訳出されたクセナキスの「見るための音楽《ディアトープ》」と、高橋さんによる「訳者まえがき」および「ヤニス・クセナキスの軌跡」です。逆に旧版にあって新版にないものは「日本語版への序」「序 「音列音楽の危機」より」「三つの結晶核」「「電子詩」1958――ルコルビュジェ」、そして「年表ヤニス・クセナキス」「訳者あとがき」です。これらのことを勘案すると、図書館さんにおかれましては今回の新版を配架したからといって旧版を除籍するのは妥当ではありません。

★高橋さんは「訳者まえがき」で本書の背景に「古代ギリシャ哲学、現代ギリシャの政治状況、独裁体制やファシズムとたたかった地下活動体験、亡命者の孤独のなかから作り出した思想と方法がある」とお書きになっています。「デモや武装闘争の記憶、複雑な自然現象や社会の暴力の経験から創られた独自の音楽や建築には、確率論や統計数学をはじめとする数学を使って、多数の粒子が一見無秩序に飛び交う空間、乱流やノイズを、意志と方向をもって統御している。安定した社会のいままでの音楽や建築が知らなかった、揺れ動く不安な社会、さまざまな文化がぶつかりあう難民や亡命者の世界が作り出した芸術のあたらしいかたちのひとつといえるだろう」。

★新訳「三つのたとえ」(1958年)から印象的な文章を引きます。「思想やエネルギー活動、人間にあたえられ人間が担う物理的現実を反映する精神過程と心理現象の光と影があり、音楽はそれらすべてのマトリックスだ。世界観の表現としては、波動、樹木、人間だけでなく、理論物理学・抽象論理学・現代代数学などの基礎理論もそこに入っている。哲学であり、存在するものの個的・普遍的側面でもある。闘争と対比、諸存在と現在進行中のプロセスとの折り合う地点は、19世紀の人間(神)中心主義的発想とは遠い。思考様式には物理学やサイバネティクスなどの現代的精神に支配されている。〔・・・〕音楽こそどんな芸術にも増して、抽象的頭脳と感性的実践とが、人間的限界内で折り合う場なのだ。音楽は世界の調和だとは個人の言い草だが、現代思想からもおなじことが言える。〔・・・〕20世紀前半の思想とプロセスの嵐に揉まれた後で、音楽的探究や実現の範囲を拡大することが絶対必要だ。伝統の息詰まる温室から出して、野外に解放しよう」(21頁)。

★河出書房新社さんの今月の再刊本では、本書のほかに、以下の新装版が刊行されています。

カオスモーズ 新装版
フェリックス・ガタリ著 宮林寛/小沢秋広訳
河出書房新社 2017年7月 本体3,800円 46判上製224頁 ISBN978-4-309-24816-5

帯文より:「生活とは、たくさんの異質な流れが絡み合ったものである。その複雑さを捉えるには、従来の学問では足りない。だからガタリは、独自の抽象思考に踏み出した。生活の細部に分け入ること、それが人間の未来像を見ることなのだ」(千葉雅也)。「フェリックスは稲妻だった」(ドゥルーズ)。没後25年、時代はようやくガタリに追いついた――その思考と実践のすべてを注ぎ込んだガタリの遺著にして代表作、復活。

目次:
1 主体感の生産をめぐって
2 機械性異質発生
3 スキゾ分析によるメタモデル化
4 スキゾなカオスモーズ
5 機械性の口唇性と潜勢的なもののエコロジー
6 美の新しいパラダイム
7 生態哲学〔エコゾフィー〕の対象
原注
訳者あとがき

★初版が2004年刊ですからもう13年も経過しているのですね。今回の再刊にあたり、特に追記等はありません。原書は『Chaosmose』(Éditions Galilée, 1992)であり、同年に死去したガタリの遺著です。河出さんでは関連書として昨年末、上野俊哉さんの『四つのエコロジー――フェリックス・ガタリの思考』を出版されています。

★ガタリは「機械性の口唇性と潜勢的なもののエコロジー」で現代社会のありようと課題を次のように述べています。「現在の世界は、環境論的にも人口論的にも都市論的にも行き詰っていて、それらを揺さぶっている技術や科学の驚くべき変貌を、人類の利益と両立可能なかたちで引き受けることができないでいます。深い奈落か根本的な更新かのあいだで、目もくらむような競争が始まっています。経済的、社会的、政治的、道徳的、伝統的な分野で磁石の針はすべて一つまた一つと狂いつつあります。価値の軸、人間関係や生産関係の基本的な目的を立て直すことが至上命令になっています」(146頁)。ガタリが構想した生態哲学〔エコゾフィー〕はこうした危機への果敢な挑戦です。「一般エコロジーもしくは生態の哲学〔エコゾフィー〕は、生態系の科学として、政治的再生を賭して作業しますが、同時に、倫理的、美的かつ分析的な行為参加としても作用します。それは新しい価値付けシステム、生に対する新しい嗜好、男と女の間、世代間、種族や民族間における新しくかつ優しい在り方を目指すのです」(146~147頁)。

★カオスとコスモスとオスモーズ(浸透)を一つにつないだものと訳者が説明する「カオスモーズ」は非常に興味深い概念です。例えば「美の新しいパラダイム」にはこんな記述があります。「無限の速度による連続的往還によって、多種多様な実体が、存在論的に異質な複合において互いに差異化しあうこと、同一の「在る-否-在る」の反復のなかで、姿かたちの雑多性を破棄しながら均質化しつつ、カオス化すること〔・・・〕。多様な実体たちはここで、外的な参照系や座標系とのつながりを失う混沌とした臍の地帯に向けた投身を繰り返しながら、その臍の地帯から新たな複雑性を充填して再び現れることができるわけです」(176~177頁)。

★本書の末尾でガタリは次のように書いています。「精神分析、制度論的分析、映画、文学、詩、革新的な教育法、都市整備、建築、クリエーター、これらの専門分野はすべて、それぞれにおける創造性を結集し、地平線上に現れつつある野蛮、精神の内部崩壊、カオスモーズ的な痙攣という試練を、打ち払い、不可知の豊かさと喜びに変えるという使命を担っています」(212頁)。専門性に閉じこもることなく横断し交流することを訴えるガタリの動き続ける魂が本書から今もなお立ち昇っています。

★ちなみに帯文にある千葉雅也さんの推薦文は、ガタリの思想を端的に表現しているとともに、千葉さんの『勉強の哲学』に続くことが予想される理論的著作への扉ともなっているように読めます。千葉さんは今月末発売された『現代思想』2017年8月号の特集「「コミュ障」の時代」で、「コミュニケーションにおける闇と超越」という討議を國分功一郎さんと行なっておられます(53~69頁)。先月創刊された、「芸術(体験)と言葉」を掲げた雑誌「NOUMU」の創刊号の主題が「不可能なコミュニケーション」でしたが、こうした一種の主題的共振は同時代性において不可避のものです。私事で恐縮ですが「多様体」第零号(八重洲BC本店「月曜社フェア」ノベルティ、2016年7月)所収の拙文「シグマの崩壊」で書いたこともこうした同時代性の磁場の内にあるものです。

★國分さんは討議で「「言葉の力」を訴えることは、ある種の精神的な貴族性を肯定することにつながると思うんです。〔・・・〕僕は今そのことばかり考えています。〔・・・〕僕にとって貴族的なものというのはずっとテーマとしてあって、『暇と退屈の倫理学』も一言で言うと、全員で貴族になろうという本だったんですね」(59頁)と発言されています。この貴族性、貴族的なものという言葉はこの討議のキーワードの一つになっていて、同時代の様々な議論と接続していく回路になっていると感じます。これはいわゆる「貴族階級そのもの」ではなく、「権威主義なき権威」(國分)や、「高貴な民衆」(千葉)といった問題圏と接しています。千葉さんは「貴族的なるものの再発明を旧来の既得権益の継承とは別のかたちで」考えること(63頁)を問うておられます。國分さんは「貴族的なものを僕は「徳」だと考える」(同)と。私自身の関心に変換して言うとそれは民主主義の発展形としての「アリストアナーキズム(貴族的無政府主義)」という圏域への困難だけれども必要な旅、ということになります。

★なお千葉さんと國分さんはガタリについて次のようにも語っておられます。千葉「最近僕もガタリを読み返していて、現代的に深読みができるなと思っています」。國分「ドゥルーズがそこに気づいて面白がっていたということなのでしょうね。ある意味では時代がガタリに追いついてきた」。帯の文言と一致していますが、これも一種の不可避な共振であり、共謀なき同意かと思います。

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★このほか最近では作品社さんの次の新刊2点(いずれも発売済)との出会いがありました。

クルアーン的世界観――近代をイスラームと共存させるために』アブドゥルハミード・アブー・スライマーン著、塩崎悠輝/出水麻野訳、塩崎悠輝解説、作品社、2017年7月、本体2,400円、四六判上製310頁、ISBN978-4-86182-644-3
ウィッシュガール』ニッキー・ロフティン著、代田亜香子訳、作品社、2017年7月、本体1,800円、四六判上製246頁、ISBN978-4-86182-645-0

★『クルアーン的世界観』の原書は『The Qur'anic Worldview: A Springboard for Cultural Reform』(International Institute of Islamic Thought, 2011)です。著者のアブー・スライマーン(AbdulHamid AbuSulayman, 1936-)はサウジアラビアの穏健派知識人で現在「国際イスラーム思想研究所」の代表であり、「米国児童育成基金」の代表でもあります。本邦初の訳書となる本書は「ムスリムの共同体が過去に持っていた世界観と歴史上の様々な段階を多様な側面から顧みる。そしてイスラーム文明の最初期における飛躍の根本的な原因をつきとめる。本書はまた、ムスリムの共同体が持つようになったさまざまな観念に影響した重要な原因と、現在直面している危機を示す」(4頁、「はじめに」より)ものです。

★目次を以下に列記しておきます。
日本語版へのメッセージ
はじめに
アラビア語版への序文
第一章 クルアーン的世界観と人類の文化
第二章 クルアーン的世界観で具体的に示された諸原則
第三章 クルアーン的世界観――改革と建設の基礎、出発点、インスピレーション
第四章 イスラーム的世界観と人道的倫理の概念
第五章 国際イスラーム思想研究所による大学カリキュラムの発展に向けた計画
付録Ⅰ 改革のための教育
付録Ⅱ 信仰――理性に基づくものなのか、奇跡に基づくものなのか
原註
解説「イスラーム独自の近代は可能か?」(塩崎悠輝)
訳者あとがき


★『ウィッシュガール』の原書は『Wish Girl』(Razorbill, 2015)で、アメリカの作家ロフティン(Nikki Loftin, 1972-)の初めての訳書です。冒頭部分を引用します。「十三歳になる前の夏、ぼくはあまりにもじっとしていたせいで、死にかけた。/ぼくは昔からずっと、静かだった。練習していたほどだ。息を殺して、頭のなかの考えさえ、そっとしとく。静かにしてることは、ぼくがだれよりもうまくできるだったひとつの得意分野だった。だけどたぶん、そのせいでぼくはへんなやつだと思われていた。家族は、ききあきるほどいってた。「ピーターは、どうかしたのかな?」/どうかしてるとこなんて、たくさんある。だけどいま、いちばん深刻な問題は、足の上にガラガラヘビがいることだ。/ぼくは、はじめて家を勝手にぬけだしてきた。もしかしたらこれが最後になるかもしれない・・・そう考えながら、地面をじっと見つめてた。ゆっくりとまばたきをする。目を閉じればヘビが消えてくれるみたいに」(5頁)。

★作品社さんのシリーズ「金原瑞人選オールタイム・ベストYA」は同書をもって第一期全10巻完結とのことです。言うまでもありませんがYAというのはヤングアダルトのこと。「1970年代後半、アメリカで生まれて英語圏の国々に広がっていった」ジャンル(「選者のことば」より)で、若い読者、高校生や大学生を主な対象としており、いわば児童書と文学書をつなぐブリッジの役目があります。ジュヴナイルやラノベ(ライトノベル)とも関連しており、大きな市場だと言えます。

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# by urag | 2017-07-30 14:15 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 28日

メモ(26)

アマゾン・ジャパンが日販や版元に申し立てている「引当率」の根拠がいかに(版元にとっては)ずさんなものかが分かる証言がここ最近改めて出始めています。某版元営業さんのツイートによれば「アマゾンより「貴社欠品状況と日販引当率をお知らせします」というメールがくるようになったけど、100点ばかりあげられている「需要高カート落ち商品リスト」の内容が、すべて旧版やVANでも品切れにしているものなんだが。日販に補充しろといわれてもな」と。

こうしたメールはまだ弊社には届いていませんが、他社さんからも同様の感想を聞いています。メールでお知らせが来るということは、おそらくベンダーセントラルに登録している版元を中心に、順次送っているのだと思われます。アマゾンはバックオーダー発注停止に伴う説明会の折に、数字を羅列しただけでまったく具体的な書名を挙げていない引当率のデータを版元に提示し、混乱した印象しか与えてきませんでした。さすがに各方面から突っ込みが入ったのか、ようやくカート落ち問題に関連して具体的な書名のリストを版元に送り始めた、ということでしょうか。

し・か・し、欠品の内容たるや、旧版や品切本ばかりというわけです。そんなのをカウントしていたらそりゃ引当率は下がりますよ。開いた口がふさがらない。実際このことは以前から版元サイドからは疑問視されてきました。これと同じことを2年前にもアマゾンはやらかしているのです。

2016年の夏、栗田が民事再生法適用を申請した後に行われた版元への「増売セミナー」で、アマゾンは販売機会欠損率ワースト30の書目リストを版元に提示しています。その昔当ブログでも明かしたかと記憶しますが、弊社に提示されたリストではワースト30のうち、25点は普通に送品できている本でワーストでも何でもなく無理やりリストアップされているものでした。そして、残りの5点は版元品切本だったのです。こんな馬鹿馬鹿しいことをいつまでアマゾンは続けるのでしょうね。

こうした品切本や旧版まで含めてアマゾンは日販に在庫しろ、と言っている(に等しい)のでしょうから、無茶にもほどがあります。日販さんはもっと怒っていいはずです。だって本当に無茶苦茶なんだから。アマゾンの発注方法に合理性を感じないなら、はっきりとそう内外に説明すべきです。

先述の版元営業マンさんはこうもお書きになっています。「取次の在庫ステータス22と32はアマゾンからの発注がでないって書いてるけど、もしかしてVAN関係なく、フル発注して引当率下げてるんじゃ?って疑いたくなる。欠品率で品切れ商品の無駄データを送ってくるぐらいなら、引き当て不能だった書籍のデータが欲しいわ。それちゃんと補充するから」。フル発注疑惑、これですね。引当不能書目が何だったか、それをきちんとアマゾンが版元に直接提示し確認できれば、問題はすぐに解決できるはずです。なぜそれをやらないのか。

直取引の有無に関係なく、アマゾンは版元に直接、在庫確認や発注を行えばいいのです。それだけでもずいぶんと混乱は収まるはずです。e託最優先思想から脱却しない限り、アマゾンの「すぐに調達、すべてを調達」というミッションは達成されようがありません。

別の版元さんからはこんな声も聞かれました。「絶版本をKINDLEかPODにしろと言われるが、改訂前のものを商品化して何の意味があるのか」。まったくその通りで、もう本当に椅子から転げ落ちそうになりますね。絶版本の中身を精査しないままで「すべてを調達する!」と言われても、そんなアバウトすぎる需要予測には、版元にとっては何の意味もありません。

アマゾンは毎日全単品の需要予測を独自に算出していると言っていますが、その需要予測にどんな要素が組み込まれているか、版元に開示するつもりはなさそうです。しかし、調達率や引当率を上げるためには、アマゾンの需要予測の精度がそもそも問題になってくるわけで、そこを精確にメーカーである版元に説明できなければどうしようもありません。なぜ旧版や年度落ち本が必要なのか、非常に興味深いので、その理由をぜひ詳しく教えて欲しい(こうした問いかけに既視感を覚えるのは・・・ツタヤ図書館のせいですね)。

アマ「くれよ」、版元「ないよ」、アマ「欲しいんだよ」、版元「なんでだよ」、アマ「売れる見込みがあるからだよ」、版元「どこかだよ」、これの繰り返しですよ、今のままでは(コント「アマゾンくん」)。

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一方ではこんなこともあります。あくまでも寓話です。

版元「この本はよく売れているからもっと在庫してもらった方がいいと思うんだけど」
アマ「そういうことは取次さんに相談してください」
版元「・・・(回りくどいわ~)」
版元「取次さん、そういうことなんでアマゾンさんに在庫してもらった方が」
取次「発注するしないはアマゾンさん次第なんで」
版元「・・・(これ以上どうしろっていうんだよ)」
アマ「e託(直取引)もご検討ください、バックオーダー止めるんで」
版元「はあ?(正気かよ)」
アマ「・・・(在庫なくなった)」
版元「・・・(やっぱりな。あとはアマゾンの発注待ちか)」
版元「・・・(カートが落ちると2~3週間は復活しないんだよな)」
取次「・・・(うちの倉庫だって扱える物量の限界はあるよ)」
アマ「10月に藤井寺FCと八王子FCを稼働させるよ」
版元「・・・(中小版元の本を在庫してくれるのか?)」
アマ「・・・」
取次「うちも在庫点数を増やすべく頑張ってますんで」
版元「・・・(MD契約してないから取次に何を何冊在庫してもらってるかわからん)」
版元「・・・(昔っからカート落ちって版元品切と勘違いされるんだよな)」
著者「出版社さん、なんでアマゾンで扱ってもらえないの?」
版元「はあ、扱ってもらえるかどうかはアマゾンの判断なんです」
著者「アマゾンさん、なんで?」
アマ「当社の需要予測に基づいています」
お客「出版社ではもう品切なんですか」
版元「ありますよ、全国の書店さんでご注文いただけます」
お客「本屋さん、この本欲しいです」
書店「取り寄せになるので多少時間かかります」
お客「・・・(早く欲しいのに)」
お客「出版社さん、アマゾンで買えないんですけど」
版元「かくかくしかじかの本屋さんでは在庫しているようですよ」
お客「考えてみます(アマゾンなら送料無料ですぐ届くのに)」
版元「・・・(なにかとアマゾンアマゾンって言われてかなわんな)」
運送「当日配送キツイわ、撤退したい」
アマ「・・・(代替をちゃんと探してあるもんね)」
お客「デリバリープロバイダから荷物届かない」
アマ「・・・(米英ではさらなる施策を試行錯誤してるし将来日本でも)」
新聞「配送トラブルが生じていると言われているが?」
アマ「現在は解消しています」
デリ「・・・(正直無理だわ)」

例えば今日現在、弊社5月刊『鉄砲百合の射程距離』(内田美紗=俳句、森山大道=写真)はアマゾンでは「通常1~4週間以内に発送します」と表示されています。「honto」では1~3日以内に出荷との表示。本書は弊社銘柄中、いまもっとも客注が多い書目で、おそらくアマゾンでも在庫すればそれなりに堅調に動くでしょう。ちなみに同書は版元在庫ありなので、もしアマゾンさんが弊社に直接発注を出してくれれば、午前中の受注で翌営業日、午後の受注で翌々営業日に取次搬入可能です。取次が在庫を持っていない場合でも取寄せ発注を出すよりかは多少は時短になると思うのですけれども。

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# by urag | 2017-07-28 10:59 | 雑談 | Trackback | Comments(2)
2017年 07月 25日

メモ(25)

「DIAMOND online」2017年7月25日付、須賀彩子(ダイヤモンドZAi編集部)氏記名記事「ヤマトがアマゾンに1.7倍の運賃値上げと総量抑制を要請、ヤマ場は9月」によれば、ヤマト運輸はアマゾン・ジャパンの宅配便数の4分の3を担っており、残り4分の1は日本郵便だと言います。記事ではアマゾンからの荷物の平均単価はヤマトの運賃表の4割程度であり、「これは2013年に佐川急便が利益が出ないとしてアマゾンの仕事から撤退したときの価格に等しい」と。ヤマトは値上げを要求し、さらに現在引き受けている宅配便のうち20%前後の荷物は引き受けられないとも伝えていると言います。詳しくは同記事をお読みください。コメント欄付のヤフーニュース版はこちら

記事によれば「アマゾンは、自前で物流網を築くとしているが、「そんなにすぐにはできない。4~5年は要するだろう」(物流関係者)という」。時間がかかるだろうことは明白ではありますが、アマゾンはそこまでは待てないでしょうから、何かしらの手を打つだろうと思われます。とはいえ、中小の運送会社にいくら頼ったところで・・・という各方面の嘆き節はしばらくは収まらないでしょう。自動運転やドローンによる配送が実現するのも、この日本では近い将来、とまではなかなか思えません。

直取引を開始している版元や検討している版元からすでに様々な「ボヤキ」が聞こえてくる昨今、とうとうバックオーダー発注停止から1ヶ月が経とうとしています。版元によっては日販の売上がどの程度変化しているかを見極めて、アマゾンとの直取引の是非を考えざるをえないでしょう。実際のところアマゾンが検討すべきなのは、直取引に固執しないもう一つの回路を作っておくことではないかと思います。すなわち、版元への直発注です。普通の書店ではやっていることをアマゾンがやらないのはなぜか。結局版元が納品するのは日販にであって、そこからアマゾンに届くまでの時間を何とかして短くしたいなら、手っ取り早いのはやはり直取引だ、ということだからでしょう。

しかし、日販との取引の積み重ねがある大方の版元にとっては、信義上、簡単に直取引に乗り換えられるものではありません。加えて、そもそもアマゾンが取引先として信頼に足る相手なのかどうか、版元には根強い不信感があります。その不信感は版元が一方的に抱いている偏見などではなく、アマゾン自身が引き起こしているものです。そのことにそろそろアマゾンは気づくべきです。なぜ緑風出版、水声社、晩成書房が今なお出荷停止をしているのか。学生への割引販売は大学生協でもやっていますから、学生が安く買える状況に文句を言いたいわけではないだろうと思います。そうではなく、アマゾンはおおむね、版元への事前相談なしに大事なことを決めてしまい、それについて版元と真摯に協議する姿勢が見られなかった。そこが一番の問題なのではないでしょうか。「アマゾンはいずれ再販制を無視して本の安売りを始めるに違いない」と疑われても仕方ない態度しか見せてこなかった、という版元にとっての「現実」に対して、アマゾン自身が何かしらの反省をしているようには残念ながら見えません。「それは誤解だ」と平然と言ってのけている内は、版元との距離感は縮まりようがないでしょう。

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バックオーダー発注停止から1ヶ月経とうとしている今、不思議なのは、アマゾンが在庫を持っていない商品についても買い物カゴがまだついている、ということです。いわゆる「カート落ち」になっておらず、取寄せ表示になっています。「通常9~14日以内に発送します」「通常1~4週間以内に発送します」「通常2~4週間以内に発送します」「通常1~2か月以内に発送します」だけでなく、「一時的に在庫切れ、入荷時期は未定」と表示していても、買い物カゴがついているケースを7月半ばまで見かけました。これはおかしい。取寄せはしないんじゃないの? 取寄せ発注しないのに在庫復活は無理でしょう。お客様とトラブルになりかねないではないですか。ところが25日現在、弊社本の場合、取り寄せはむしろ減って、1冊でも在庫しよう、と努力しているように見えます(それでもまだ取寄せ表示の銘柄が数点残っています)。

アマゾンにとってもカート落ちは怖いのだと見えます。それはそうでしょう。今のままアマゾンが発注をやめていれば、直取引版元以外で、日販ともMD契約をしていない版元の銘柄は間違いなくガンガン「カート落ち」します。驚いてしまうのは、「ロングテール喪失」のリスクというごく当たり前の展開を、アマゾンがさほど真剣には考えてこなかったらしいことです(アマゾンへの「誤解」が解ければ、出版社は直取引に応じるはずだ、という期待も、今となっては甘すぎました)。日販経由のバックオーダー短冊は止まったものの、日販のウェブブックセンターへの発注は止めていないのではないかと私は想像しています。そうでなければ、弊社銘柄の在庫の復活は説明できません。

とはいえ、今後どうなるのかは今しばし観察する必要があります。カート落ちが発生した場合、弊社がお客様にお薦めしたいのは、hontoとMJB(丸善、ジュンク堂、文教堂の店頭在庫)からの購入です。アマゾンしか通販の選択肢がないわけではない、というごくごく当たり前の事実をもう一度見直す必要があります。

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# by urag | 2017-07-25 10:50 | 雑談 | Trackback | Comments(2)
2017年 07月 24日

「本to美女」にアガンベン『到来する共同体』の書評が掲載されています

「本to美女」2017年7月21日付、西村歩さん記名記事「私たちって何なんだ。どこにいるんだ。思考を巡らす楽しさを味わってみない?『到来する共同体』」で、弊社既刊書、アガンベン『到来する共同体 新装版』(上村忠男訳、月曜社、2015年)を取り上げていただきました。モデルは小林真琴さん。「本to美女」は「美女と一緒に悩みを解決する書評メディア」というユニークなサイト。

運営者は「株式会社SENSATION」さんで、「「悩みを、ワクワクに。」をメッセージとして、多くの人々の悩みを解決することで、ワクワクが溢れた社会を創っていくために、私たちはサービスを提供し続けます」とのことです。代表取締役の有吉洋平(ありよし・ようへい:1990-)さんは東京大学工学部卒、コンサルティングファームの株式会社ローランド・ベルガーを経て、2015年に「株式会社SENSATION」を創業されています。

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# by urag | 2017-07-24 12:06 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)