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2016年 11月 29日

丸善お茶の水店に新設された2Fの芸術書売場

さる7月25日に、丸善お茶の水店が増床オープンしたのは皆様ご承知の通りです。2階フロア150坪が新設され、1階と合わせて約400坪に広がりました。新設された2階には芸術書のほか、語学書、洋書、学参、コミックが展開されています。お茶の水店さんから芸術書売場の店頭写真を何枚か頂戴したのでご紹介します。

1枚目は写真評論および写真家別写真集の棚です。日本の写真家を巨匠から若手まで、コンパクトにまとめておられます。弊社の今月新刊、森山大道×鈴木一誌『絶対平面都市』を面陳で置いていただいています。
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2枚目は1枚目の棚の裏側で動物写真の棚です。リボンで飾られている二段では年末年始のギフト向け商品を展開されています。3枚目はそのギフトコーナーの接写です。好評を博している某版元さんのパラパラブックスですね。
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芸術書売場では写真、美術、音楽、演劇、映画、デザイン書を陳列。鑑賞するだけでなく、実際に描いたり、作ったり、演じたりするための本も並べているとのことです。
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by urag | 2016-11-29 20:38 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 29日

メモ(9)

「日本経済新聞」2016年11月28日付記事「紙離れでも積極投資 凸版印刷100億円、神戸新聞は輪転機」に曰く「人口減や電子媒体の普及による「紙離れ」が進むなか、印刷会社や新聞社が積極投資に打って出る。凸版印刷は28日、雑誌や書籍の印刷を手掛ける川口工場(埼玉県川口市)での約100億円の設備投資を発表。〔・・・〕最新鋭の印刷機械を手に入れて業務を効率化、収益基盤を固める狙いだ。/凸版印刷が川口工場で導入するのは、高速オフセット輪転印刷機など。このほど延べ床面積1万7722平方メートルの新棟を建設。これまで全国に点在していた印刷・製本の設備を集約するという。新しい生産ラインは12月から稼働する予定だ。/最新型の印刷機を導入することで、これまで受注してきた雑誌などに加え、印刷数が数百から数千と少ない自費出版の書籍や高価な学術書の印刷にも機動的に対応する。幅広い印刷需要を掘り起こすことで、「紙離れ」に対抗する」と。

大手のやること以外はなかなか記事になりにくいのかもしれませんが、中規模印刷所でもこうした投資をし、縮小する市場規模の中での生き残りを賭けている会社があります。撤退する会社があれば、事業拡大を目指す会社もある、と。凸版印刷が「印刷数が数百から数千と少ない自費出版の書籍や高価な学術書の印刷にも機動的に対応する」というのは、大手版元の事情を如実に表していると想像できます。ことこの少部数出版の分野においては凸版が中小印刷会社と価格競争ができるのかどうかはよく分かりませんが、中小版元にまで凸版から営業がかかることはないような気がします。
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by urag | 2016-11-29 12:46 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 28日

メモ(8)

東京商工リサーチの「TSR速報」2016年11月28日付によれば、岩波ブックセンターを経営する(有)信山社が破産開始決定と。「設立平成12年8月、資本金300万円、故柴田信代表)は11月25日、東京地裁から破産開始決定を受けた。〔・・・〕負債は現在調査中。/東京・神田神保町で(株)岩波書店発行の書籍販売を中心とした「岩波ブックセンター」を経営していた(岩波書店との資本関係は無い)。人文・社会科学系の専門書、新書、文庫をはじめ岩波書店が刊行する書籍の大部分を取り扱っていることで広く知られ、多くの書店が集中する神保町界隈でもランドマーク的な存在として知名度を有していた。/しかし、28年10月に代表の柴田取締役会長が急逝。事業継続が困難となり11月23日より店舗営業を休業し、動向が注目されていた」と。

帝国データバンクの11月28日付「倒産速報」では、負債1億2732万円(債権者約28名)と伝えられ、「2000年(平成12年)8月に設立された専門書店運営業者。神田神保町にて「岩波ブックセンター」を運営していた。岩波書店と直接的な資本関係はないものの、岩波書店発行の歴史、文芸、政治、哲学、宗教、心理などの人文・社会科学系専門書を取り揃え、岩波書店が刊行する新刊本、流通している既刊本はすべて取り扱っていることを最大の強みとしていた。/しかし、出版不況下で慢性的な業績低迷が続き、毎期欠損計上を余儀なくされていた。財務体質は脆弱で、債務超過の状態を脱することが出来なかった」と報じています。

人文書業界にとってはけっして小さくないニュースです。取次は大阪屋栗田で、旧栗田の帳合店でした。大阪屋栗田と言えば、関東の流通拠点であるOKC(埼玉県戸田市氷川町3-4-15)とOKC第二物流センター(戸田市美女木1271-3;元「太洋社戸田流通センター」)を年内で閉鎖し、年明けから埼玉県川口市本蓮1-14-1の日の出運輸倉庫の1Fと3Fに「大阪屋栗田関東流通センター」を開所することになったばかり。2拠点分の物流をどうやって日の出倉庫に統合できるのか部外者には想像がつかないなか、大阪屋栗田が支えていくと宣言しているはずだった街ナカ書店のひとつである岩波ブックセンターが破産というのは、旧栗田帳合の書店さんへの取次の対応が思いやられ、さらに11月18日には株式会社出版物共同流通センターが解散したこともあり(「文化通信」2016年10月13日付記事「共同集品の出版物共同流通センターが解散へ」)、年末という区切りだけにいささか嫌な流れを感じるところではあります。また、岩波ブックセンターは店頭在庫の何割かが岩波書店の本や文庫、新書、ブックレット、雑誌だったのでしょうし、資本関係がないとはいえ、岩波書店との付き合いがどんなものだったのか、推理しようとする向きもあるようです。

【2017年2月追記:なお、大阪屋栗田の西の物流拠点は「関西流通センター」(旧称:川西流通センター)で、現在は兵庫県川西市久代3-6-1に所在する「プロロジスパーク」内1F、南バースs21に入居。川西流通センター時代(2016年2月22日に本格稼働:日書連「全国書店新聞」H28年3月1日号記事「大阪屋、新栗田出版販売を発足/統合会社は「大阪屋栗田」に」参照)には取次側は公式ウェブサイトの「会社概要」欄では「プロロジスパーク」ではなく「楽天フルフィルメントセンター川西」という名称で記載しており、そこの1Fおよび4Fに入居しているとあります。プロロジスが楽天専用物流施設「プロロジスパーク川西」を竣工式したのは2013年11月です。プロロジスの2013年11月22日付プレスリリース「プロロジス、兵庫県川西市で楽天専用物流施設「プロロジスパーク川西」の竣工式を挙行」をご参照ください。発注書を辿ってみると、2017年1月5日付発注書では宛名紙が「川西流通センター」、1月12日付発注書では宛名紙が「関西流通センター」と変わっています。大雑把に言えば、関東流通センターの開設にあわせて西側の拠点も2017年年明けから改称したということでしょう。さらに遡ると、川西流通センターが関西ブックシティを経由せずに自ら搬入口となったのは2016年5月からで、5月の発注書では大阪屋栗田の公式ウェブサイトでの記載「楽天フルフィルメントセンター川西」と異なり、最初から「プロロジスパーク」と記載しています。ちなみに大阪屋栗田の筆頭株主が楽天であることは周知の通りです。】

関連記事は以下の通り。「新文化」2016年11月28日付記事「岩波ブックセンター信山社が破産」に曰く「10月に柴田会長が急逝したことで事業継続が困難となり、11月23日から店舗を休業していた。同28日には、関係者らが店内の整理にあたっていた。白井潤子社長の姿もあったが、関係者に遮られ直接声を聞くことはできなかった」と。店内を整理する様子を窓の外から写した写真が何とも言えず物悲しいです。同紙11月22日付記事「柴田信氏の「お別れの会」、400人超が参列」。同紙11月14日付記事「大阪屋栗田、OKCの2拠点を統合」。

ちなみに版元の信山社出版株式会社さんはまったくの別会社で無関係であり、有限会社信山社との資本関係もないと聞いています。

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柴田信さんについては「東京新聞」2016年11月10日付夕刊社会面の記事「岩波ブックセンター会長 故柴田信さん 本愛した「神保町の顔」 21日にお別れの会」で手短かにまとめられています。

「J-CASTニュース」11月28日付記事「「岩波ブックセンター」運営会社が破産 神保町の名所「とても寂しい」」ではツイッターでの反響も拾われています。色々な声はあると思いますが、この記事配信後のツイートで個人的に胸にズキンと来たのは@lalalacozyさんのつぶやき「残念というのは容易いけれど、そう嘆く人の何割が最近岩波ブックセンターに足を運び購入したのだろう。本を買わなくなった我々が潰したのだ」、でした。

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「OKC 戸田」で検索すると比較的上位に掲出される某ブログ記事に戦慄を覚えました。怖い話なのでリンクできません。

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信山社関連記事。「読売新聞」11月28日付記事「岩波ブックセンター経営、信山社が破産手続き」、「毎日新聞」11月28日付「岩波ブックセンター 経営の信山社が倒産」、「時事通信」11月28日配信「神保町の信山社破産=「岩波ブックセンター」経営」などはごく簡単な報道。「朝日新聞」11月29日付記事「岩波中心の書店、運営社破産」は有料記事につき全文は読めませんが、ヤフーニュース版11月28日付記事「岩波ブックセンターの運営会社破産 「専門書の専門店」」と類似する内容かと推察されます。曰く「岩波書店や東京商工リサーチによると、岩波ブックセンターは1981年、岩波ホールに隣接する岩波書店アネックスに入居。当時は岩波の関連会社が運営していたが、2000年に岩波とは資本関係のない信山社が引き継いだ。同店のホームページでは「硬派出版社の新刊本・既刊本にこれだけ出会える書店は、他に例はない」とするなど「専門書の専門店」として知られてきたが、・・・」と。

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岩波ブックセンターのサイトトップにはごく簡単な「ご案内」が掲出されています。曰く「誠に勝手ながら、岩波ブックセンターは平成28年11月25日をもちまして閉店させていただきます。長年のご愛顧、まことに有り難うございました。岩波ブックセンター(有)信山社」。

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名古屋の榮進堂書店さんが自己破産との報。1965年の創業の地「星ヶ丘」から昨年11月に東山公園駅付近に「EiShiNDo BOOK FOREST」として移転されたばかりでした。店舗には愛知工業大学八草店、同大自由が丘店、雑貨を扱うSindy’s Doorアピタ上野店、同アピタ名張店がありました。「新文化」2016年12月8日付記事「榮進堂書店、自己破産申請へ」に曰く「榮進堂書店(資本金1200万円、名古屋・千種区、青木俊暁代表)は12月5日、事業を停止。〔・・・〕帝国データバンクによると、2000年初頭には売上高約20億円をあげていたが、16年6月期には4億6000万円にまで落ち込み、4年連続の赤字決算となっていたという。負債は約7億円」と。記事には明記されていませんが大阪屋栗田帳合と聞いています。

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by urag | 2016-11-28 17:16 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 27日

注目新刊:レヴィ=ストロースの再刊2点、ほか

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★今回は以下の3点の再刊書に注目したいと思います。

火あぶりにされたサンタクロース』クロード・レヴィ=ストロース著、中沢新一訳・解説、角川書店、2016年11月、本体1,800円、四六判上製124頁、ISBN978-4-04-400220-6
神話と意味』クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳、みすず書房、2016年11月、本体2,400円、四六判上製112頁、ISBN978-4-622-08591-1
心と身体/物質と記憶力――精神と身体の関係について』ベルクソン著、岡部聡夫訳、駿河台出版社、2016年11月、本体3,600円、B6判並製488頁、ISBN978-4-411-02241-7

★まずはレヴィ=ストロースの2点。『火あぶりにされたサンタクロース』は1995年にせりか書房から刊行されたものの新版で、巻頭に新たに置かれた「新版のための序文」によれば、「図版や写真や若干の表記を改めただけで、ほぼそのままのかたちで新しく出版し直す」とのことです。サルトルの依頼により「レ・タン・モデルヌ」誌77号(1952年3月)に寄稿された論考「Le Père Noël supplicié」の翻訳で、巻末にはせりか書房版と同様に、中沢さんの解説「クリスマスの贈与」が付されています。先述した新しい序文で中沢さんはこの論考について次のように紹介されています。「興味ふかい論文の中で、太陽の力が弱まる冬至をはさんでおこなわれた異教世界の死者儀礼が、どのようにしてキリスト教の祭りに組み入れられ、変形されていったかを、それまでにない斬新な着想にもとづいて明らかにしてみせている。とりわけ近代の資本主義化したヨーロッパが、いかにしてたくみにクリスマスを資本主義精神の表現者につくりかえていったかを、みごとに描き出してみせた。/資本主義という経済システムの深層には、「贈与」や「増殖」をめぐる人類のとてつもなく古い思考が埋め込まれている。クリスマスが図らずもそのことを露呈させる。つまりクリスマスとは、キリスト教的なヨーロッパが意識下に押し隠そうとした文明の「無意識」を、夢のようなしつらえをつうじて社会の表面に露呈させる、いささか不穏なおもむきをはらんだ祭りなのである。/レヴィ=ストロースはクリスマスのはらむその不穏なうごめきのようなものを、ヨーロッパ文明の本質をなす矛盾の表現と考えたのである」(2~3頁)。

★『神話と意味』は、1996年にみすずライブラリーの一冊として刊行されたものの新装版。再刊にあたって改訂があったのかどうかは特記されていませんが、訳者は1998年にお亡くなりになっています。原書は『Myth and Meaning』(University of Toronto Press, 1978; 2nd edition, Schocken Books, 1995)です。1977年12月にカナダのCBCラジオで放送された、神話をめぐる全5回の講話。帯文に曰く「ラジオでの講話を編集。『野生の思考』『神話論理』に対する質問に答える。率直かつ明快な、彼自身による入門書」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ウェンディ・ドニジャー(Wendy Doniger, 1940-)による「序」に付されたささやかな注でほのめかされている、レヴィ=ストロースとジーンズメーカーのリーヴァイ・ストラウス(レープ・シュトラウス)の「関係」については、どう理解するべきなのかよく分かりませんが、興味をそそられます。

★続いてベルクソンです。『心と身体/物質と記憶力』は、『物質と記憶――精神と身体の関係について』(駿河台出版社、1995年)の新版。巻末の「後記」によれば、旧版の「段落で見落としたところを補い、気づいた間違いは訂正し、また訳文もいくらか修正した」とのことです。また続けて「日本語として意味不明の訳文が、すべて誤訳であることはいうまでもない」ときっぱりとお書きになっておられ、その厳しいご姿勢に胸を打たれます。新版では新たに『精神的エネルギー』の第二論文「心と身体」の翻訳が掲載され、さらに巻末解説も一新されています。旧版では「脳と記憶――ベルクソンの失語論」(旧版345~362頁)と題されていましたが、新版では「自由な行為における記憶力と身体の関係について」(409~471頁)となっています。御参考までに新旧の訳者解説の詳細目次を以下に列記しておきます。旧版:Ⅰ「『物質と記憶』概観」、Ⅱ「局在論とその問題点」、Ⅲ「ベルクソンによる説明」、Ⅳ「形而上学の伝統的テーマについて」、後記。新版:第一部「記憶は脳のなかにある?」、第二部「心身関係――ベルクソンの場合」〔Ⅰ「記憶力の二つの形態について」、Ⅱ「再認の二つの形態について」、Ⅲ「イマージュの記憶から運動への移行について」〕、第三部「心脳関係――ペンフィルドの場合」、第四部「自由な行為と記憶力」、後記。なお、新版の刊行にあたって『物質と記憶』を『物質と記憶力』と改めたことについては、後記に「精神力の異名であるmémoireを「記憶力」あるいは「記憶力のはたらき」とし、souvenirを「記憶」あるいは「思い出」としたことによる」とお書きになっておられます。

★なお『物質と記憶』をめぐっては今月、注目すべき論文集が刊行されました。『ベルクソン『物質と記憶』を解剖する――現代知覚理論・時間論・心の哲学との接続』(平井靖史/藤田尚志/安孫子信編、書肆心水、2016年11月)。書名のリンク先で目次の閲覧と立ち読みができます。

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★このほか、最近では以下の書籍との出会いがありました。

ジャック・デリダと精神分析――耳・秘密・灰そして主権』守中高明著、岩波書店、2016年11月、本体2,900円、四六判上製256頁、ISBN978-4-00-061157-2
タイム・スリップの断崖で』絓秀実著、書肆子午線、2016年11月、本体2,300円、四六判並製312頁、ISBN978-4-908568-08-4
マイクロバイオームの世界――あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』ロブ・デサール/スーザン・L・パーキンズ著、パトリシア・J・ウィン本文イラスト、斉藤隆央訳、紀伊國屋書店、2016年12月、本体2,000円、46判上製298頁、ISBN978-4-314-01144-0

★守中高明『ジャック・デリダと精神分析――耳・秘密・灰そして主権』は発売済。本書の企図について巻頭の序「「科学」の時代における精神分析」にはこう説明されています。「ジャック・デリダの思考とフロイトに始まる精神分析の思考をあらためて出会わせ、そのことを通して人間という謎に満ちた存在の全的理解が試されるいくつかの限界的場面にその知を向き合わせること、そして同時に、制度化され学としての体系性を手に入れる代償として精神分析が失ったものが何であるかを、デリダの思考を一種の触媒として明らかにすること、つまりは脱構築的読解の介入によって精神分析を変容させ、この知に新たな別種の射程をもたらすこと」(1頁)。序に続く本書の構成は以下の通りです。第Ⅰ部「耳について」〔第一章「脱構築と(しての)精神分析――不気味なもの」、第二章「ラカンを超えて――ファロス・翻訳・固有名」〕、第Ⅱ部「秘密について」〔第一章「告白という経験――フーコーからデリダへ」、第二章「埋葬された「罪=恥」の系譜学――クリプトをめぐって」〕、第Ⅲ部「灰について」〔第一章「終わりなき喪、不可能なる喪――アウシュヴィッツ以後の精神」、第二章「ヘーゲルによるアンティゴネー――『弔鐘』を読む」〕、第Ⅳ部「主権について」〔第一章「絶対的歓待の今日そして明日――精神分析の政治-倫理学」、第二章「来たるべき民主主義――主権・自己免疫・デモス」〕、註、あとがき。

★絓秀実『タイム・スリップの断崖で』は発売済。扶桑社の文芸誌「en-taxi」(2003年~2015年)の第5号(2004年春号)から休刊号となる第46号(2015年冬号)にかけて連載された時評「タイム・スリップの断崖で」に加筆訂正を加えたもの。帯文は以下の通りです、「小泉政権下でのイラク邦人人質事件から安保関連法案をめぐる国会前デモまで、そこに顕在化したリベラル・デモクラシーのリミット=断崖を照射する!」。奥付前の特記によれば、連載第一回目の「さらに、踏み越えられたエロティシズムの倫理――大西巨人の場合」は「文芸評論として書かれており、本書の時評集という性格から外れるため、これを収録しなかった」とのことです。また、絓さんが「本書最大の読みどころ」と絶賛されている、本書の10万字以上に及ぶという脚注は、長濱一眞さんによるものだそうです。

★デサール&パーキンズ『マイクロバイオームの世界』はまもなく発売。原書は『Welcome to the Microbiome: Getting to Know the Trillions of Bacteria and Other Microbes In, On, and Around You』(Yale University Press, 2015)です。訳者あとがきの文言を借りると、本書は「アメリカ自然史博物館で2015年11月から2016年8月まで開催されていた、マイクロバイオームをテーマとして展示会に合わせて制作されたものらしい。展示会はその後、アメリカ国内のみならず国外へもツアーをおこなう予定とのことなので、いずれ日本で開催されることもあるかもしれない」。同じく訳者あとがきによれば、マイクロバイオームとは「私たちの体の内部や表面のほか、家庭や学校などの生活の場のそれぞれに存在する微生物の集まり」であり、そうした微生物のもつ遺伝子の総体を指すこともあるとのことです。目次詳細や本書の概要については書名のリンク先をご覧ください。

★今夏に刊行されたアランナ・コリンによる『あなたの体は9割が細菌――微生物の生態系が崩れはじめた』(矢野真千子訳、河出書房新社、2016年8月)が話題を呼びましたが、この本が踏まえている議論こそが「ヒトマイクロバイオーム・プロジェクト」であり、その詳細を『マイクロバイオームの世界』が教えてくれます。マイクロバイオーム関連の新刊は今後もますます増えていくものと思われます。近年では理系や医学系の雑誌で幾度となく取り上げられてきましたし、マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』(山本太郎訳、みすず書房、2015年7月)や、今月刊行されたデイビッド・モントゴメリー/アン・ビクレー『土と内臓――微生物がつくる世界』(片岡夏実訳、築地書館、2016年11月)など、単行本も増えています。『現代思想』2016年6月臨時増刊号「総特集=微生物の世界――発酵食・エコロジー・腸内細菌」などもその引力圏にあると言えるかと思われます。文理の別を問わない越境的な問題群に切り込む重要な鍵として書店さんの店頭をにぎわせていくことでしょう。
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by urag | 2016-11-27 16:46 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 25日

注目新刊:『終わりなきデリダ』法政大学出版局

弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆様の最近のご活躍をご紹介します。

◆ジャック・デリダさん(著書『条件なき大学』)
◆西山雄二さん(訳書:デリダ『条件なき大学』、共訳:『ブランショ政治論集』)
◆宮崎裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』)
◆渡名喜庸哲さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
◆馬場智一さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)

脱構築研究会とハイデガー研究会、レヴィナス研究会の共催によるワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス」(2014年10月11日、早稲田大学)、さらに脱構築研究会と日本サルトル学会との共催によるワークショップ「サルトル/デリダ」(2014年12月6日、立教大学)の成果が一冊にまとめられ、論文集『終わりなきデリダ』として法政大学出版局より刊行されました。第一部「デリダ×ハイデガー」、第二部「デリダ×サルトル」、第三部「デリダ×レヴィナス」の三部構成。詳しい書誌情報と目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

西山さんと渡名喜さんは編者を務められています。西山さんは総序である巻頭の「はじめに」を執筆されているほか、第二部にご発表「ポスト実存主義者としてのジャック・デリダ」が収められています。渡名喜さんは第三部に「序」をお寄せになっているほか、第三部にご発表「デリダはレヴィナス化したのか──「暴力と形而上学」から『最後のユダヤ人』まで」が収められています。デリダさんの講演録「出来事を語ることのある種の不可能な可能性」(9~41頁)は1997年4月1日にモントリオールのカナダ建築センターで発表されたもの。訳者は西山さんと亀井大輔さんです。宮崎さんの発表は「人間/動物のリミトロフィー──ジャック・デリダによるハイデガーの動物論講義」として第一部に収録されています。馬場さんは第三部に収録されたオリエッタ・オンブロージさんのご論考「犬だけでなく──レヴィナスとデリダの動物誌」(「レ・タン・モデルヌ」誌2012年3-4月号「特集=デリダ――脱構築という出来事」)の翻訳を担当されています。

終わりなきデリダーーハイデガー、サルトル、レヴィナスとの対話
齋藤元紀/澤田直/渡名喜庸哲/西山雄二編
法政大学出版局 2016年11月 本体3,500円 A5判上製406頁 ISBN978-4-588-15081-4

帯文より:動物、現前性、暴力、他者、実存主義、文学、弁証法、ユダヤ性、贈与・・・現代哲学をつらぬく主題をめぐり強靱な思考を展開した四者の思想的布置を気鋭の研究者たちが論じる。

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by urag | 2016-11-25 14:43 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 24日

ルソー『化学教程』連載第12回

ルソー『化学教程』連載第12回をまもなく月曜社ウェブサイトで公開します。

第一部 第三章 物体の凝着原理と物体の透明原理について

1 〔A:33, F:43, C:86〕自然のあらゆる現象を説明するために実に多くの努力をなしてきた哲学者たちは、万物にもっとも普遍的に備わっているもの、かつまずもって説明すべきであろうものについて理に適った仕方で語ることなどかつてなかった。私が言っているのは、各物体の諸部分の凝着cohésionである。例えば、それは一定量の金化粒子corpuscules aurifiques(1)から一つの金の塊を作るような働き〔操作opération〕のことである。ある物体の諸部分が絶対的静止repos absolu(2)の状態にあるとき、〔C:37〕これらの部分が凝着することはありえないという説に基づいて、凝着原理は運動であるとライプニッツは主張した。この静止や運動という言葉でライプニッツはいったい何を言わんとしていたのだろうか。ペリパトス派の形相、デカルトの微細な物質matière subtile、ニュートンの引力ですら、凝着原理の説明としては不十分な仮説のように私には思われる。物質が持つこの〔普遍的な〕特性について無意味な断定を企てる前に、原質の粒子corpuscules Principesの形象とあらゆる性質をよく知っておかなければならないし、その粒子の表面同士が接触する場合どのような種類の接触がありうるのか、また粒子同士の関係や差異が何であるかをよく知っておかなければならない。〔A:34〕動植物といった有機体に関して言えば、有機体の部分的構造、すなわち繊維や脈管のお陰で、〔凝着原理という〕難問にぶつからずに済むとも言える。脈管や繊維はひとつの組織によって支配されており、この組織はそれらからまとまりcohérenceを形成するのである。しかし、〔F:44〕〔有機体のまとまりを持ちつつ〕最も硬いものでもある採掘物〔化石〕corps fossilesや、接着appositionによってしかその部分が結合しない石や金属に対しては、〔動植物のと〕同じような説明はまったく通用しない。他方で、水やその他の液体はその部分同士がまったく無媒介に結合しており、このことは液体の透明さtransparenceが示している。こういった水やその他の液体が流動的であるということは、両者の部分の結合が組織に由来するものではないということを明示している。

(1)物質は粒子から成るという粒子論の議論をルソーは引き合いに出している。ゆえに、金化粒子は金の微小物質というよりは凝着により物質としての金に成る粒子のことを意味する。

(2)「自然的には実体は活動なしにはあり得ず、運動していない物体さえも決してありはしない、と私は主張するのである。経験も既に私に味方しているし、このことを納得するには、絶対的静止に反対して書かれたボイル氏の著作を参照しさえすれば事足りる。けれども、〔絶対的静止に反対する〕理由はまだ他にもあると私は思うし、〔その理由は〕私が原子論を破るために用いる証明の一つなのである」(ライプニッツ『人間知性新論』米山優訳、みすず書房、1987年、9頁)。

2 だが、かりに〔物体の〕部分間の完全な接着が物体のまとまりや安定性を生み出すと仮定してみよう。〔例えば〕二つの大理石の塊が、研磨され完璧に平らになった表面同士でくっつけられると、両者はひとつの大理石となり、まさにひと塊の大理石を形づくることになるだろう。大理石の表面のすべての部分一つひとつが接し合うのに必要な十分に研磨された平面を大理石に与えることができた場合、その結果として大理石がひとつにまとまるということが成立するのである。これは何人かの哲学者が大胆にも主張したことでもある。しかしながら、これこそ「経験に仇なすchicaner contre l’expérience」と言うべきものではないだろうか。今度は、どれだけ各々の部分が隣接しているかに比例して大理石の一体性が増してゆくと仮定してみよう。〔この場合〕たとえ〔隣接する〕研磨面が不十分であるとしても、つねに相当数の接点を二つの大理石が持つことで、分割に対するかなりの抵抗力をこの大理石は持ったと見なすべきであろうか。〔C:88〕しかし、経験によれば、この〔隣接数に由来する〕抵抗力は二つの大理石それぞれが持つ固有の重さから生じる抵抗力〔引力〕を超えることはない。

・・・続きは月曜社ウェブサイトで近日公開いたします。
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by urag | 2016-11-24 15:40 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(1)
2016年 11月 23日

ソラリス年報より

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by urag | 2016-11-23 18:45 | ご挨拶 | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 22日

京大生協「綴葉」誌にウォルターズ『統治性』の書評

京都大学生協の書評誌「綴葉」352号(2016年11月)に、弊社7月刊、ウォルターズ『統治性』の書評「フーコーを使う、理論を使う」が掲載されました。評者はぷよまるさんです。「フーコーの理論を「知る」ことと、それを「使う」こととの間にあるギャップ。これを埋める手助けをしてくれるのが本書『統治性』である。統治性という主題はフーコーの議論においてきわめて断片的に現れたに過ぎないが、英語圏では統治性研究という一領域として確立するほどの研究蓄積がある。本書はその名の通り統治性に的を絞った内容だが、理論の「適用主義」に警鐘を鳴らす議論は汎用性が高い。経験的研究に理論を活かそうとする、すべての人に読んでほしい一冊である」と評していただきました。同誌は誌名のリンク先でPDFがダウンロードできます。充実した投稿誌で活気を感じます。
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by urag | 2016-11-22 23:14 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 20日

注目新刊:カルプ『ダーク・ドゥルーズ』、グレーバー『負債論』、ほか

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ダーク・ドゥルーズ
アンドリュー・カルプ著 大山戴吉訳
河出書房新社 2016年11月 本体2,400円 46判上製232頁 ISBN978-4-309-24782-3

帯文より:ドゥルーズは喜びと肯定の哲学ではなく憎しみと破壊の哲学だ。暗黒のドゥルーズを召喚して世界の破壊を共謀する最も記念な哲学の誕生。ドゥルージアン4人による応答を併載。

目次:
イントロダクション
存在の絶滅
無に向って前進すること
崩壊、破壊、壊滅
〈外〉の呼びかけ
結論

解説(大山戴吉)
応答1 憎しみはリゾームを超えるか(宇野邦一)
応答2 反戦運動の破綻の後に――ダーク・ドゥルーズに寄せて(小泉義之)
応答3 破壊目的あるいは減算中継――能動的ニヒリズム宣言について(江川隆男)
応答4 OUT TO LUNCH(堀千晶)

★まもなく発売(11月28日予定)。原書は『Dark Deleuze』(University of Minnesota Press, 2016)です。アマゾン・ジャパンをご利用になっておられる読者の中には、この原書をドゥルーズ関連の和書へのレコメンド(この商品を買った人はこんな商品も買っています)としてご覧になった方がいらっしゃるかもしれません。英語圏の非常に幅広く多様で自由なドゥルーズ読解の前線を形成する本の中でも、書名の通り暗いオーラを放っています。「何よりもアンドリュー・カルプという名を一躍有名にしたのは、本書『ダーク・ドゥルーズ』であろう。その企図は、光と喜びに満ちた肯定の哲学者ジル・ドゥルーズを、破壊と崩壊をもたらす否定のダーク・ヒーローとして(再-)創造すること、あるいは、ドゥルーズ自身と「苗字を共有するダーク・ドゥルーズという子供を生みつけること」(本書8頁)である。この挑発的な試みは大きな反響を呼び、今や多くの読者のあいだで賛否や好悪の感情を巻き起こしている」(162頁)、と訳者の大山さんは解説で説明されています。

★カルプは彼のデビュー作である本書を「ドゥルーズ自身が絶対に書くことはなかった書物」(123頁)だと表現します。「というのも、彼が生きた時代は、現在のようにポジティブさが強制され、管理が浸透し、息苦しいほどにすべてがオープンである時代ではなかったからだ。私の基本的な議論はこうである。もはやドゥルーズの時代〔カルプはこのフーコーの言葉を嫌味だと解釈しています〕ではない現在にあって、新たな反時代性は、彼の仕事によって導入されたものの、結局は維持できなかった否定というプロジェクト、つまり「この世界の死」を要請することで示される。/この世界の終わりは、一連の死のうちで三番目のものである。すなわち、「神の死」、「人間の死」。そして「この世界の死」である。もちろん、これは物理的な世界破壊を求めることではない」(同)。「「この世界の死」は、世界を救おうというかつての試みの不十分さを認め、その代わりに革命に賭ける。〔・・・〕この世界の死ということで私が主張したいのは、繋がりとポジティブさの強制とに対する批判であり〔・・・〕コミュニズムという共謀である」(124~125頁)であるとカルプは述べ、「モノたちによる毛細状連結の拡大に乗じて、全てを統合して唯一の世界を築き上げようとする」、「繋がり至上主義」(125頁)を批判します。そして「要点は現在に固執することではなく、永遠に続く息苦しい現在を終わらせる新しい方法を見つけること」(129頁)なのだと書きます。

★本書の冒頭近くでカルプは本書の三つの機能(論争・回復・創造)を次のようにまとめています。「第一に、私は、繋がりを素朴に肯定する思想家としてのドゥルーズを言祝ぐ「喜びの規範」に反駁する。第二に、私は「この世界に対する憎悪を滾らせることで、否定性がもつ破壊的な力を回復する。第三に、私は創造と言う喜びに満ちた任務の反意語である共謀を提案する」(8頁)。ドゥルーズ哲学の無害化に抗い、あえて野蛮な読解を実践する本書は、現代人がうんざりしているすべての現実と徹底的に訣別するための否定性を駆動させることを積極的に称揚することによって、見事に時代の空気を捕まえているように感じます。その意味で言えば、本書はドゥルーズ研究に一石を投じるものである以上に、カルプ自身が言及しているエリック・シュミットとジャレッド・コーエンによる『第五の権力――Googleには見えている未来』(櫻井祐子訳、ダイヤモンド社、2014年2月)への彼なりの応答でもあるのでしょう。コーエンは1981年生まれですが、カルプも学歴から推察しておそらく80年代半ば頃に生まれた若い世代です。 千葉雅也さんによる推薦文にある通り、本書は「革命のマニフェスト」だと言えます。前世代との断絶を高らかに宣言する鮮やかな本で、次回作に期待したいです。メイヤスー『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』(千葉雅也/大橋完太郎/星野太訳、人文書院、2016年1月)に刺激を受けた読者がカルプをどう受け取るか、書店さんにとっても興味深い新刊だと思います。


負債論――貨幣と暴力の5000年
デヴィッド・グレーバー著 酒井隆史監訳 高祖岩三郎/佐々木夏子訳
以文社 2016年10月 本体6,000円 A5判上製848頁 ISBN978-4-7531-0334-8

帯文より:『資本論』から『負債論』へ。現代人の首をしめあげる負債(=ローン)の秘密を、古今東西にわたる人文知の総結集をとおして貨幣と暴力の5000年史の壮大な展望のもとに解き明かす。資本主義と文明総体の危機に警鐘を鳴らしつつ、21世紀の幕開けを示す革命的な書物。刊行とともに重厚な人文書としては異例の旋風を巻き起こした世界的ベストセラーがついに登場。

★発売済。原著は『Debt: The First 5,000 Years』(Melville House Publishing, 2011; Updated & expanded edition, 2014)です。もともと原書でも大著ですが、訳書では束幅55ミリの大冊となりました。このヴォリュームで本体6,000円というのは版元さんの努力以外の何物でもありません。巻末には監訳者の酒井さんと訳者の高祖さんによる長編論考「世界を共に想像し直すために――訳者あとがきにかえて」が収められています。目次詳細やピケティ、ソルニット、米国有名紙での評判は書名のリンク先でご覧いただけます。ピケティと言えば彼の代表作のひとつ『Les hauts revenus en France au XXe siècle』(Grasset、2001)の日本語訳『格差と再分配――20世紀フランスの資本』(山本知子/山田美明/岩澤雅利/相川千尋訳、早川書房、2016年9月)が先々月発売されましたが、本体価格17,000円という高額本で、多くの読者を悶絶させたかと想像します(私自身購読できておらず、地元の図書館にも所蔵されていません)。ピケティの『21世紀の資本』を読んで次に読むべき本を探しておられた読者にはグレーバーの本書『負債論』を強くお勧めします(ちなみにグレーバーによるピケティ批判については巻末の酒井/高祖論考で言及されています)。

★第一章冒頭の、IMFをめぐる女性弁護士との対話は本書の導入部として非常に興味深く、最初の10頁でグレーバーの考察の率直さに惹かれた読者は本書の続きも堪能できるだろうと思います。「本書が取り扱うのは負債の歴史であう。だが本書は同時にその歴史を利用して、人間とはなにか、人間社会とはなにか、またはどのようなものでありうるのか――わたしたちは実際のところたがいになにを負っているのか、あるいは、このように問うことはいったいなにを意味するのか――について根本的に問いを投げかける」(30頁)。本書は経済史をめぐる文化人類学者の挑戦であり、その姿勢は次の言葉に端的に表れていると思います。「真の経済史とはまたモラリティの歴史でもなければならない」(582頁)。「負債は〔・・・〕複数のモラル言説のもつれ合い」(同)であり、「約束の倒錯にすぎない。それは数学と暴力によって腐敗してしまった約束なのである」(578頁)。「金銭は神聖なものではないこと、じぶんの負債を返済することがモラリティの本質ではないこと、それらのことはすべて人間による取り決めであること、そしてもし民主主義が意味をもつとするならば、それは合意によってすべてを違ったやり方で編成し直すことを可能にする力にあること」(577頁)。グレーバーによる道徳批判は、別様にもありえた世界への道筋を閉ざしてきた幻想の歴史的所在を解明しようとする、非常に強力な検証として私たちに多くのことを教えてくれます。

★酒井/高祖論考の末尾には本書の関連書についての構想が明かされていますが、ネタバレはやめておきます。なおグレーバーの既訳書には、『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、以文社、2006年)や『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』(高祖岩三郎訳、以文社、2009年)があります。

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★このほかに最近では以下の新刊との出会いがありました。

古地図で見る京都――『延喜式』から近代地図まで』金田章裕著、作品社、2016年11月、本体3,200円、4-6判上製362頁、ISBN978-4-582-46819-9

★まもなく発売(11月28日予定)。著者の金田章裕(きんだ・あきひろ:1946-)さんは京都大学名誉教授で、人文地理学や歴史地理学がご専門です。近年の著書に『文化的景観――生活となりわいの物語』(日本経済新聞出版社、2012年4月)や、『タウンシップ――土地計画の伝播と変容』(ナカニシヤ出版、2015年2月)があります。今回の新著の帯文は次の通りです。「日本最古の地図から明治の近代測量図まで、京都市街地1200年の様相。平安京から現在の観光都市へとその姿を大きく変えていった、京都の深く長い歴史を古地図によって通覧する」。目次は以下の通り。

目次:
はじめに
第一章 宮廷人と貴族の平安京
 1 碁盤目状の街路と邸第――左京図と右京図】
 2 宮殿と諸院――宮城図と内裏図
第二章 平安京の変遷
 1 認識と実態/京の道、京からの道
 2 洛中の町と洛外の町
 3 御土居と間之町――外形と街路の変化
第三章 名所と京都
 1 洛外の名所
 2 コスモロジカルな京都――山と川に囲まれた小宇宙
第四章 観光都市図と京都
 多色刷りの京都図
 観光都市図の内裏と公家町
 多彩な観光地図――両面印刷と街道図の手法
 多彩な観光地図――鳥瞰図と新構成への試行
第五章 近代の京都図
 1 銅板刷りの京都図――京都と学区
 2 地筆と地番――地籍図
 3 近代測量の地図
 4 京都の近代化と地図
 5 大縮尺図と鳥瞰図
おわりに
あとがき

主要文献


ハンナ・アーレント「革命について」入門講義』仲正昌樹著、作品社、2016年11月、本体1,800円、46判上製384頁、ISBN978-4-86182-601-6

★発売済。2015年6月から12月にかけて早稲田大学YMCA信愛学舎で行われた是6回の連続講義に加筆したもので、2014年5月に上梓された『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』の姉妹編です。帯文は次の通り。「権力の暴走を抑制し、政治の劣化を阻止する〈永続する政治体〉とは? ポピュリズム、排外主義の蔓延、世の中を「いますぐ変えたい」願望の台頭。そして民主主義が機能停止しつつある、今。『人間の条件』と双璧をなす主著を徹底読解。その思想の核心を丁寧に掴み取る」。目次を下段に掲出しておきます。なおアーレント『革命について』はちくま学芸文庫で志水速雄訳を読むことができます。原典は『On Revolution』(Viking, 1963)です。

目次:
[前書き]アーレントの拘り
[講義第一回]「革命」が意味してきたもの
  ――「序章 戦争と革命」と「第一章 革命の意味」を読む
[講義第二回]フランス革命はなぜ失敗なのか?
  ――「第二章 社会問題」を読む
[講義第三回]アメリカ革命はフランス革命と何が違うのか?
  ――「第三章 幸福の追求」を読む
[講義第四回]「自由の構成」への挑戦
  ――「第四章 創設(1)」を読む
[講義第五回]アメリカとローマ、法の権威
  ――「第五章 創設(2)」を読む
[講義第六回]革命の本来の目的とは何か?
  ――「第六章 革命的伝統とその失われた宝」を読む
『革命について』をディープに理解するためのブックガイド
『革命について』関連年表
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by urag | 2016-11-20 23:58 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 18日

注目新刊:本邦初のガタリ入門書、上野俊哉『四つのエコロジー』

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★上野俊哉さん(著書『アーバン・トライバル・スタディーズ』)
本邦初となる、書き下ろしのガタリ入門書がまもなく発売されます(11月24日頃予定)。「ガタリは「活動家」であり、運動屋の文章をそんなに真面目にこねくりまわして読む必要はない、単に使えるところを使えばいいというアクティヴィスト系の読者や、ガタリの悪文の抽象性は度をこしており、まともに相手にするにはアカデミックでないどころか、論理的な厳密さに欠け、ドゥルーズの精密な哲学的苦闘を安直な政治的概念化に走らせたのではないかといぶかる「正しい」左翼やまともな学究のどちらとも違う視角からガタリを読むことはできるのか? 本書はこの無謀に、真面目にとりくんでみた試みである」(あとがきより、370-371頁)。

四つのエコロジー――フェリックス・ガタリの思考
上野俊哉著
河出書房新社 2016年11月 本体3,500円 46判上製376頁 ISBN978-4-309-24783-0

帯文より:自然、主体感、機械状アニミズム、カオスモーズ、地図作成、リトルネロ・・・難解なガタリの思想を解きほぐしながら、宇宙へと開かれたその思考の核心と可能性をさぐり、来たるべき分子革命としてのエコソフィー〔生成哲学〕を展望する〈全=世界〉リゾームの哲学。思考の前線とストリートを往還してきた〈思想の不良〉による未来へのマスターピース。

目次:
はじめに 『みどりの仮面』とエコロジー
序章 なぜエコロジーか? ガタリとは誰だったか?
第一章 自然を再考する
 第一節 仕組みとしての自然
 第二節 アンビエンスとしての主体感
 第三節 機械状アニミズムと反自然の融即
第二章 エコソフィーとカオソフィー
 第一節 分子革命からエコソフィーへ
 第二節 カオスとカオスモーズ
 第三節 潜在性と記号
第三章 分裂生成の宇宙
 第一節 美的なものと地図作製法
 第二節 DSM-V、あるいは発達原理の彼方に
 第三節 リトルネロと音楽のエコロジー
終章 ブラジルと日本を横切って・・・〈全=世界〉リゾームへ
あとがき

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★中平卓馬さん(写真集『都市 風景 図鑑』)
★森山大道さん(写真集『新宿』『新宿+』『ニュー新宿』『大阪+』『Osaka』『パリ+』『ハワイ』『NOVEMBRE』『にっぽん劇場』『何かへの旅』『オン・ザ・ロード』『カラー』『モノクローム』『犬と網タイツ』、著書『通過者の視線』、鈴木一誌さんとの共著『絶対平面都市』)
中平さんらが創刊し、森山さんが2号より参加した伝説的写真誌「Provoke〔プロヴォーク〕」(1~3号、1968~1969年)の縮小復刻を含む巨大なカタログ『PROVOKE』が、フランスのアートギャラリー「LE BAL」とドイツの出版社「Steidel」との共同で出版されました。これは、9月14日から12月11日までLE BALで催されている展覧会「Provoke : Entre contestation et performance - La photographie au Japon 1960-1975」の図録でもあります。同展はオーストリア、スイスなどを巡回済で、フランスの後は米国でも催されるのだとか。今回の図録はSteidlが2001年に刊行した『The Japanese Box』(『Provoke』1~3号、森山大道『写真よさようなら』、中平卓馬『来たるべき言葉のために』、荒木経惟『センチメンタルな旅』の復刻セット)に比べるとやや趣きを異にしていますが、それでも近年の資料としては購入しておいて損はないと思われます。LE BALから直接購入できますが(書籍代は60ユーロ)、送料が高く、ABEBOOKS経由で買った方が若干お得なようです。ちなみに私自身はLE BALから直接購入しましたが似姿は簡素で、配送トラブルや角のダメージ(書影にある通り背の地部分)などに見舞われ、面倒臭かったです。同書はナディッフでも販売していましたが、現在は扱いなしのご様子。

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ちなみに日本のリアル書店や古書店、ネット書店では購入できないものの実はまだ発売元から直接買える、という貴重なアート系書籍と言えば、『ハンス・ウルリッヒ・オブリスト|インタヴュー Volume 1[上]』(前田岳究/山本陽子訳、ジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダ発行、2010年1月)が思い浮かびます。同書は日本語版ではあるのですが、アーティストブックとして海外で発売されたため、日本での入手がたいへん困難でした。私は何年か前に発売元のBuchhandlung Walther Königから直接購入しました。書籍代は98ユーロ。まだ購入できるのかどうか、同社のサイトで検索してみたところ、まだ買い物カゴが残っているようです。同書は6年前の本なのですでに私が購入した時点でも一部本文紙の酸化や帯の経年劣化などが生じていましたが、今でも中身を読む分には問題ないはずです。オブリストのほかのインタヴュー集は日本でも既刊があり、ある程度認知されていますから、同書はあらためて日本の版元が再刊しても良いのではないかと思います。上巻だけが既刊なので、下巻も刊行されてほしいところです。

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by urag | 2016-11-18 12:00 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)