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2016年 07月 31日

市田良彦訳、アルチュセールの新刊2点同時刊行、ほか

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★市田良彦さんによるアルチュセールの訳書2冊が以下の通り同時刊行されました。市田さんによるアルチュセール再評価の数々のお仕事は、論考にせよ(『アルチュセール ある連結の哲学』白水社、2010年)にせよ、数々の翻訳にせよ、注目に値するものばかりです。

哲学においてマルクス主義者であること』ルイ・アルチュセール著、市田良彦訳、航思社、2016年7月、本体3,000円、四六判上製320頁、ISBN978-4-906738-18-2
終わりなき不安夢――夢話1941-1967』ルイ・アルチュセール著、市田良彦訳、2016年7月、本体3,600円、四六判上製320頁、ISBN978-4-906917-56-3

★『哲学においてマルクス主義者であること』はシリーズ「革命のアルケオロジー」の第6弾。原書は、Étre marxiste en philosophie (PUF, 2015)です。帯文はこうです。「理論における政治/階級闘争」から「政治/階級闘争における理論」へ! 革命の前衛であるはずの共産党が「革命」(プロレタリア独裁)を放棄する――1976年のこの「危機」に対抗すべく執筆されたまま生前未刊行だった革命的唯物論の〈哲学史〉、偶然性唯物論の萌芽とともに綴られる幻の〈哲学入門書〉が、今ここに明かされる。哲学者は哲学者としていかに政治に現実的に関わりうるのか」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★同書は市田さんによる巻末の「危機をまえにした哲学――あとがきにかえて」によれば、アルチュセールの生前未刊行であった「非哲学者向けに掛かれた哲学入門書」には2つの草稿群があり、ひとつが「マルクス主義の教本」プロジェクトで、もうひとつが本書『哲学においてマルクス主義者であること』とその全面改稿版『非哲学者のための哲学入門』(PUF, 2014;未訳)であるとのことです。『終わりなき不安夢』への繋がっていく視点を、市田さんは次のように記しておられます。「「闘争」が空転した果てに「真理」を明らかにするかのような出来事が、本書から数年後の1980年、確かに起きたのである(妻エレーヌ殺害事件)」(314頁)。

★『終わりなき不安夢――夢話1941-1967』の原書は、IMECより昨年(2015年)刊行された、Des rêves d'angoisse sans fin : Récits de rêves (1941-1967) suivi de Un meurtre à deux (1985)です。版元紹介文にはこうあります。「20年以上にわたるアルチュセール遺稿編集出版の最後において、妻殺害事件の核心がついに明かされる。夢の記録と夢をめぐる手紙や考察、そして1985年に書かれた主治医作を騙るアルチュセールの手記「二人で行われた一つの殺人」を集成。市田良彦による解説「エレーヌとそのライバルたち」「アルチュセールにおける精神分析の理論と実践」長編論考「夢を読む」を加えた日本語版オリジナル編集。年表および死後出版著作リストを併録」。

★同書の目次詳細は書名のリンク先にてPDFで公開されています。読者にとってアルチュセールの心の中を覗くことになる貴重なテクスト群です。ごく私的な内容であるため、随所に市田さんによる訳注や解説が配されており、原書以上に親切な一冊となったのではないかと思われます。悪夢すら(すべてではないせよ)記録し続けたアルチュセールのこだわりを感じるとともに、彼自身の数々の理論書とは異なる人物像が浮かび上がるものとなっています。

★『哲学においてマルクス主義者であること』の思想的背景を知る関連文献としては、アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』(加藤晴久訳、新評論、1979年)や、バリバール『プロレタリア独裁とはなにか』(加藤晴久訳、新評論、1978年)』などを挙げておくのが良いかもしれませんが、いずれも絶版書です。また、『終わりなき不安夢』の関連書としては『エレーヌへの手紙:1947-1980』(IMEC, 2011)がありますが、未訳です。アルチュセールの翻訳は今後もしばらく続くのではないかと思われます。再刊や文庫化、新訳にも期待したいところです。

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★このほか、以下の思想誌新刊に注目しています。近年、新しい思想誌が増えつつあるのと並行して、従来の雑誌も編集体制の若返りが見られ、大きな刺激を受けています。

ゲンロン3:脱戦後日本美術』東浩紀編、ゲンロン、2016年7月、本体2,400円、A5判並製++頁、ISBN978-4-907188-17-7
年報カルチュラル・スタディーズ vol.4 特集〈資本〉』カルチュラル・スタディーズ学会編、航思社、2016年6月、本体3,000円、A5判並製324頁、ISBN978-4-906738-19-9
現代思想2016年8月臨時増刊号 総特集=プリンス 1958-2016』青土社、2016年7月、本体1,500円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1325-7
現代思想2016年8月号 特集=〈広島〉の思想――いくつもの戦後』青土社、2016年7月、本体1,300円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1326-4

★『ゲンロン』第3号は発売済。特集は「脱戦後日本美術」。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。編集後記によれば「紙を変えて厚みを抑え、50ページ増の内容をなんとか1冊に凝縮した」とのこと。第2号の束幅が約22mm、同じ斤量の本文用紙であれば50頁分は約3mmなので第3号は約25mmとなるところを17mmと約8mm減です。定価は変わらないのでヴォリュームアップは悪くはないような気がするものの、紙が薄くなった分、頁の開き具合は向上していていい感じです。3折も増えれば当然印刷製本費は上がるわけですが、定価を維持する方針かと推察できます。

★奥付頁の近刊紹介によれば、東浩紀さんによる『ゲンロン0:観光客の哲学』は鋭意執筆中とのこと。「ベストセラー『弱いつながり』を更新する東思想の新展開」と。『弱いつながり』は来月5日に幻冬舎文庫で再刊予定。『ゲンロン3.5』は友の会の会員特典非売品で8月上旬発送。友の会メールによれば「非売品の『ゲンロン3.5』が読めるのは、第6期から第7期へ更新いただく方のみ。『ゲンロン観光通信』『ゲンロンβ』から厳選収録した豪華執筆陣による原稿に、東浩紀の書き下ろし巻頭言を加えた、100頁超の『ゲンロン』別冊特別版です」とのこと。第6期の入会は先月末で締め切られているので、第7期から新規入会してももらえない冊子ということかと思います。『ゲンロン4:現代日本の批評III(仮)』は2016年11月刊行予定。現代批評史シリーズの完結篇で、浅田彰さんのお名前が見えます。

★『年報カルチュラル・スタディーズ』第4号は発売済。特集は「資本」。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。編集後記によればカルチュラル・スタディーズ学会は日本学術会議の協力学術研究団体に登録され、正式に学会となったとのことです。第4号では新たな試みとして展覧会評が加えられていますが、今後は「創作や詩などの「クリエイティヴ・ライティング」、活動や運動などの現場ルポ、討論会の記録、写真や絵画などのアート作品をフィーチャーしたページの拡充など、これからやってみたい企画がたくさんあります」とのこと。たいへん楽しみです。

★『現代思想』8月臨時増刊号「プリンス」と8月号「〈広島〉の思想」は発売済。それぞれの目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。リニューアルされた青土社さんのウェブサイトはたいへん見やすくなっており、好印象です。「プリンス」の書容設計は羽良多平吉さんによるもの。「現代思想」の今後の発売予定は以下の通り。8月12日発売予定:2016年9月臨時増刊号「総特集=安丸良夫」、8月27日発売予定:2016年9月号「特集=精神医療の新風景(仮)」、9月7日発売予定:2016年10月臨時増刊号「総特集=未解決問題集(仮)」。「未解決問題集」は数学がテーマ。リーマン予想、ラングランズ予想、ABC予想、P≠NP予想、ポアンカレ予想などを扱うようです。

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★さらに最近では以下の新刊との出会いがありました。

「百学連環」を読む』山本貴光著、三省堂、2016年8月、本体3,200円、A5判並製528頁、978-4-385-36522-0
分身入門』鈴木創士著、作品社、2016年8月、本体2,800円、46判上製318頁、ISBN978-4-86182-591-0
宇宙と芸術』森美術館編、平凡社、2016年8月、本体2,778円、A4変判並製320頁、ISBN978-4-582-20685-2

★山本貴光さんの『「百学連環」を読む』はまもなく発売、明日8月1日取次搬入。あとがきによれば本書は「2011年から2013年にかけて、三省堂が運営するウェブサイト「ワードワイズ・ウェブ」で全133回にわたって連載した「「百学連環」を読む」を単行本にしたもの」で「まとめるにあたり、全篇を見直し加筆・修正を加えてい」るとのことです。目次は以下の通り。

はじめに
第1章 どんな文書か
第2章 「百学連環」とはなにか
第3章 「学」とはなにか
第4章 「術」とはなにか
第5章 学と術
第6章 観察と実践
第7章 知行
第8章 学術
第9章 文学
第10章 学術の道具と手法
第11章 論理と真理
第12章 真理を知る道
第13章 知をめぐる罠
第14章 体系と方法
第15章 学術の分類と連環
あとがき
附録
 『西周全集』(宗高書房)目次一覧
 百学連環総目次
 百学連環総論原文および現代語訳
 参考文献
 索引

★山本さんは第15章の最終節「新たなる百学連環へ向けて」でこう書かれています。「ある学術の位置や価値を知るには、学術全体の様子、他の諸学術との違いを確認してみるに越したことはない〔・・・〕。これは考えてみれば当たり前のことのようです。しかし、実際にどうかといえば、とても自明視できる状況ではないとも思うのです。そもそも私たちは、小中高あるいは大学や専門学校などでなにかを学ぶ際、学術が複数の科目に分かれていることについて、「なぜそうなっているのか」と、考える機会は存外少ないのではないでしょうか」(441頁)。「細分化が進めば進むほど、知識が増えれば増えるほど、その全体を見渡すための地図が必要なのではないだろうか。一つにはそんな関心から、「百学連環」をじっくり読んでみるということに取り組み始めました。そこには、新たな地図をつくるための手がかりがあるのではないかと思ってのことです」(442頁)。全体図の不在は教育問題にとどまらず、書店や図書館の絶えざる課題でもあります。百学連環の思想と、実際の書籍の分類を対照させてみることは非常に興味深いテーマです。『「百学連環」を読む』には未来の書店像や図書館像への示唆が必然的に含まれています。なお西周(にし・あまね:1829-1897)の『百学連環』は、宗高書房版『西周全集』第4巻(1981年)や、日本評論社版『西周全集』第1巻(1945年)に収録されています。山本さんが指摘されている通り、入手困難な一冊。文庫版が出ていてもおかしくない古典です。

★また、『「百学連環」を読む』の刊行記念を記念し、対談&サイン会が以下の通り行われるとのことです。「著者である山本貴光さんと、武蔵野人文資源研究所所長で明治賢人研究会を主宰する竹中朗さんをお迎えして、なぜ「百学連環」に着目するのか、現在の私たちにどう関わるのか、語り合っていただきます」と。

150年前の知のマップを眺望してみよう

日時:2016年8月8日(月) 午後7時〜(開場:午後6時45分)
会場:ブックファースト新宿店 地下2階 Fゾーン イベントスペース
定員:先着 50名
参加費:500円(税込)
イベント整理券販売場所:ブックファースト新宿店 地下1階 Aゾーン レジカウンター
お問い合わせ:ブックファースト新宿店 電話 03-5339-7611

★鈴木創士さんの『分身入門』は発売済(7月28日取次搬入済)。帯文に曰く「記憶のなかの自分、存在のイマージュ、時間と反時間、表層の破れとしての身体、光と闇、思考の無能性、書かれたもののクォーク、そして生と死……。「分身」をキー・ワードに、文学・美術・舞踏・映画・音楽etc...を縦横に論じる、未曾有の評論集!」と。「言葉、分身」「イマージュ、分身」の2部構成。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。2012年から2016年にかけて各媒体で発表されたテクストに一部加筆し、未発表「分身残酷劇「カリガリ博士」趣意書」や、書き下ろし「分身とは何か 序にかえて」「分身がいっぱい 結びにかえて」を加えたもの。

★鈴木さんは「序にかえて」で、アルトーから分身の着想を得たと書かれています。「私の眼前を最初によぎった分身の概念は、アルトーの言う「分身 Le double(二重のもの、写し)」から直接もたらされたはずである。それは一種の形而上学のように見えて、〔・・・〕アルトーが生涯格闘し続けた身体=物体の裏面のようでもあり、二重のものでありながら、生身の身体から出てきたのに、身体と同じ資格をもつその反対物のようでもあった」(9頁)。「本書におさめたエッセー群は分身のとりあえずの実検である。書かれたもの、描かれたもの、撮られたもの……とうとうは、そもそも分身による実践である」(16頁)。

★『宇宙と芸術』はまもなく発売(8月3日頃)。昨日(7月30日)から来年1月9日まで、六本木ヒルズ森タワー53Fの森美術館で開催されている「宇宙と芸術展――かぐや姫、ダ・ヴィンチ、チームラボ」の図録を兼ねた一冊です。デザインはマツダオフィスによるもの。曼荼羅から天文図・天球図、鉱物・化石から現代アート、紙上建築から宇宙工学まで、多様な表象がイマジネーションの層を成しており、非常に喚起的です。牛若丸の書籍で図像学の新たな試みを実践されてきた松田行正さんならではの造本設計を堪能しました。個人的にツボだったのは、江戸時代の奇譚、かの「虚舟」に、フランス人アーティストのローラン・グラッソ(Laurent Grasso, 1972-)による立体造形作品があるということでした。「Soleil Noir: ローラン・グラッソ展」(銀座メゾンエルメスフォーラム、2015年11月11日~2016年1月31日)以来の、再びのチャンスです。






★なお、現在開催中の展覧会では、JR東京駅丸の内北口改札前の東京ステーション・ギャラリーで9月4日(日)まで開催されている「12 Rooms 12 Artists――UBSアート・コレクションより」をお薦めします。いずれも印象的な作品ばかりですが、特に台湾の芸術家、陳界仁(チェン・ジエレン:1960-)による30分50秒の映像作品「Factory」(2003年)や、イタリアの画家ミンモ・パラディーノ(Mimmo Paladino, 1948-)の作品「三つの流れ星」などに惹かれました。「Factory」は無音の作品なのですが、会場の都合上、何分かおきに列車がホームに入ってくる音が潮騒のように響いてきます。幸運にもこの作品にとってはそれがほどよい効果音になっていました。同展の図録は同ギャラリーのショップにて販売されています。お金に余裕のある方は同ショップで「没後30年 鴨居玲展 踊り候え」(2015年)の図録もお求めになることを強くお勧めします。この画家の図録や画集は何冊持っていても良いものです。







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by urag | 2016-07-31 17:31 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 30日

7月31日(日):月曜社フェア最終日です

月曜社フェア@八重洲BC本店4F人文書売場(電話03-3281-8204)もいよいよ7月31日(日)が最終日です。店頭のみ(店頭のみ在庫ありで版元在庫なし)と、僅少(版元在庫僅少)の書目に絞って最後の在庫状況を列記しておきます。

売切=店頭売切、版元在庫あり
品切=版元在庫なし

羅独-独羅学術語彙辞典|哲学書房|24,272|僅少
他自律〔暴力論叢書2〕|W・ハーマッハー|2,200|僅少

到来する共同体【初版黄色本】|G・アガンベン|1,800|店頭のみ
ポストコロニアル理性批判|G・C・スピヴァク|5,500|店頭のみ
新宿|森山大道|7,200|店頭のみ
新宿+|森山大道|1,905|店頭のみ
大阪+|森山大道|1,810|店頭のみ
汎音楽論集|高柳昌行|3,600|店頭のみ
表象08 ポストメディウム映像のゆくえ|岡田温司ほか|1,800|店頭のみ

ブラック・アトランティック|P・ギルロイ|3,200|店頭のみ→売切・品切
ミクロコスモス 第1集|平井浩編|3,000|店頭のみ→売切・品切
書物の不在【第二版鉄色本】|M・ブランショ|2,500|店頭のみ→売切・品切

購入特典のノベルティ小冊子(60部限定)、まだあります。ご来店になれない方は八重洲BCより代引通販可能です。皆様のご利用をお待ちしております。

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by urag | 2016-07-30 21:35 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 29日

終了まであと三日:月曜社フェア@八重洲BC本店

東京駅前の八重洲ブックセンター本店4F人文書売場(電話03-3281-8204)、上りエスカレータ脇のフェア台にて今月いっぱい(7月31日まで)開催中の「月曜社フェア」も、本日を含め、残すところあと3日となりました。購入者特典小冊子『死なない蛸』、まだあります。絶版本も残部がございます。皆様のご来店をお待ちしております。
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by urag | 2016-07-29 10:51 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 25日

備忘録(30)

◆2016年7月25日13時現在。
このところ拝読した業界関係者による記事で感銘を受けた3件について何回かに分けて書こうと思います。まずは1件目。

結エディット・野末たく二さん「「閉じた書店のシャッターを再び上げるぞ!」の背景にあるもの」(版元ドットコム「版元日誌」2016年7月20日)

有限会社結エディットさんは「「地域とひとを結びつける」をコンセプトに2001年より出版事業、地域コンサルティング事業などを展開」されているつくば市の会社。地元の視点、業界の視点から、友朋堂書店の来し方と現在について詳しく書いておられます。最近の「版元日誌」の中ではもっとも力作の記事ではないでしょうか。野末さんによる数々の分析の中で印象的だった言葉を以下に引きます。

ひとつめ。「2011年3月11日の東日本大震災は、本の位置づけを大きく変えた。誤解を恐れずにいえば「家に本は必要か?」という問いだ。出版社がこんなことを言っては「身も蓋もない」が、たとえば百科事典を応接間にでんと並べたところで、それが一瞬でごみになってしまう。核家族化が定着し、高齢化するなかで、実家の本棚にある本たち。遺産として手渡されたとき、だれが引き取るのか? だれもがうすうすと感じていたことを、地震や津波はそれを意識化させた」。

仰る通りです。紙の本は場所を取りますし、湿気にも火気にも弱く、日焼けもすれば経年劣化もします。たくさんの書籍を揃えた書斎、という存在への願望は実際のところ、いま、どれくらいの人々が持っているのでしょうか。どんな人々が「たくさんの本のある自宅」に憧れを持っているのか。小宇宙としての書斎(私の場合、本のない書斎は書斎と呼びたくありません)に大きな意義を見出している私は、もちろん願望を持っている側の人間ではあるのですが、少数派かもしれません。

個人的に自宅に十全な図書室を作れるような人は一握りのお金持ちか好事家か研究者でしょう。「自宅にはなくていい」「図書館にありさえすればいい」という方ももちろんおられることでしょう。現状では図書館は網羅的には出版物を取り揃えることができません。図書館が本の世界のすべてだと読者に勘違いされたくない、というのが私の本音です。野末さんが指摘されている「実家の本棚にある本たち」は、救済されることもなく散逸したり廃棄されていくのかもしれません。図書館が引き取ることはほとんどないでしょう。何とももったいないことです。

ふたつめ。「これらの情報が一定のセキュリティが確保された上で共有できれば、出版社はいつ何冊売れたのか、書店は何冊在庫があるのかが「一目瞭然」だ。さらに、この手の本だったら何部くらい刷ればいいか? 現在の「獲らぬたぬきの皮算用」的戦略から、ちょっとはましな科学に基づいた有効なデータがつかめる(ほんとうか?)。少なくともこのことで返本という日の目を見ない本を少なくできるはずだ(もし実現を阻むとすれば、情報の共有化で、一目瞭然となることに不都合を感じるひとたちだろう)」。

書籍流通におけるトレーサビリティについてはそれこそ何十年も前から業界の議題に挙がっていて、これについて考えない業界人はいない、とすら言えるほどではないかと思います。妥当に思えるそうした情報の共有化がいまなお業界全体ではなぜ実現されていないのか、自分なりに分析してみます。

その昔、どの商品がどこの書店から返品されたかが分かるようになれば、爾後の配本に活かせるだろう、ということを取次最大手に相談したことがあります。独立前のことです。先方の答えは「版元がデータを受け取るテーブルを用意してくれればいつでも提供できる」とのことでした。結局、私の勤めていた会社ではシステムを構築するまでには至りませんでした。出版VANですらそうですが、システム導入にはお金がかかります。小零細版元の出版規模にとってはほとんど自己満足にしかなりようがない過剰な出費です。

その後、データを受け取るシステムはダウンサイズし続けていると思いますが、それでも第二の障害があります。「データを版元が本当に有効活用できるか」という問題です。野末さんが正しくも「(本当か?)」と反問しておられる通りです。書店での売上というのは「お店自体の力」だけではなく、「売場担当者の力」によることも多いです。つまり単純に計数管理をしていても、「売場担当者の力」という変数を考慮に入れない限り、どんぶり勘定の販売戦略に留まりがちです。担当者が交代すれば、Sランクの書店さんでも売れ行きが伸びないことがありますし、Bランクの書店さんでも驚異的に伸びることがあります(ちなみに弊社はパターン配本はやっていないので、ランク付けは実施していません)。

実際のところ版元は(書店も?)どんぶり勘定に甘んじるほかなく、すべての関連データを人力で詳細に分析している時間も余裕もない、というのが現実ではないかと思います。では分析を人工知能に任せたら、とも言えますが、いつ実現できるやら、ですね。

「情報の共有化で、一目瞭然となることに不都合を感じるひとたち」というご指摘については、ひょっとすると、不都合に感じる人はそこらじゅうにいるのかもしれないと想像しています。つまり、私たち版元を含む、ということです。頼りにしている取引先から同意の上で受注したのに、期待を裏切るような大量返品が発生していた、などという話が続々と噴出しうるでしょう。しかしそのことだけで取引先を過不足なく評価できるものなのかどうか。不確定性を少しでも排除しうるような有意なデータ分析というのは計数管理からというより、書店と書店員さんへの長期的な絶えざる実検(親密なお付き合い)の積み重ねによる経験則から生まれるのかもしれません。業界全体で人員削減が進むなか、そうした親密なお付き合いが困難になりつつあることも忘れずにいようと思います。

みっつめ。「事務所と自宅のチャリ通で、路面店の友朋堂書店はぶらり立ち寄れたが、それがかなえられなくなった瞬間、買う権利を奪われたと思った。大げさにいえば選択の余地を奪われたのだ。/この現実に直面したとき、「消費者は消費者のままで良いのか?」という疑問が湧いた。少なくとも、わがままな消費者と言わせないためにも、市民として何か行動を起こす必要があると。〔・・・〕書店だけでなく、商店街がもの凄いスピードで失われていく。この問題は、たんに大型ショッピングセンターが悪いという一言で片付けられないくらい、大きく、複雑だ。ただ、地域の顔の見える範囲で書店が無くなるとことは、まちの問題で、看過できない。ならばどうする? 変えるには仲間の力、ネットワークしかない」。

この課題に取り組もうとしている書店員さんや司書さん、版元さんは少しずつ増えつつあるような徴候をそこかしこに感じますが、世間一般ではどう認知されているのでしょうか。個々人の課題として引き受けるなら、まずは、倦まずたゆまず「仲間」を探すところから、でしょうか。野末さんはこうも書かれています。「営業上のロス以上に大切なのは、「まちにとって書店とはなんだろう?」という問いに対する答えを見つけることだ。/この問いの答えを見つけることは、おおげさに言えば、ひとつの社会実験だと思っている。ロスを抑え、市民が考える必要なまちの書店の機能を新たに加え、魅力を発信していくこと、そんな「気宇壮大」なこと、自分にできるのか? ここは仲間を信じたい」。

まさに「社会実験」ですね。私が思い浮かべる具体的な一例を言えば、地元の版元と書店が直取引をする「製販同盟」の道ですが、これはしかし「地元密着」と「地元を外部に開く」ことの意味と意義をとことん考えねばならないだろうと思います。野末さんの記事に色々な触発を受けた自分でした。

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◆2016年7月25日15時現在。
最近感銘を受けた記事の2件目です。

有志舎・永滝稔さん「高円寺を「本の街」に!」(版元ドットコム「版元日誌」2016年7月13日)

有限会社有志舎さんは2005年に創業された歴史書専門の「一人出版社」。代表の永滝さんが「今年の春からは東京都杉並区の高円寺という街で活動している「本が育てる街・高円寺」(略称:本街)というボランティアグループに参加」されている経緯についてお書きになっておられます。

曰く「このグループは、「高円寺を本の街にしよう」という目標を掲げて、本の交換市(文字通り、本と本と交換するイベント)やブックシェア(高円寺の商店に「交換棚」を置いてもらい日常的に本が交換されるようにする)、さらに本に関する様々なイベントを日夜行っています。/本が読まれなくなったという事が言われて久しいわけですが、それをただ嘆いていてもダメなので、ローカルな地域から日常生活の中に本があり、読まれていく環境をつくっていこうと思い、仲間たちとワイワイ楽しく活動しています」と。

そして、こうも書かれています。「私の生まれ故郷であり、今も住んでいる地元・高円寺を「出版の街」「本を生み出す街」にすることです。たくさんの出版社や出版関連会社、ライターさんやデザイナーさんが住み、そういう事務所も置かれて協同して仕事をしていけるような「高円寺出版工房村」(仮称)をここにつくること、さらには書店や古書店もいっぱい出来て、高円寺が神田神保町のような街になること。それが私の夢です」。長期にわたる計画となるため、神保町にある事務所を来年に高円寺に移転されるとのことです。神保町に負けないような「本の街」を「本街」のボランティア仲間や地元の住民の皆さんや商店街の方たち、それに行政ともタイアップしてやっていきたい、との抱負を述べられています。なんという壮大な計画でしょうか。

「私は来年で53歳になりますので、それほど長くないであろう残りの出版人生は「有志舎」と「本街」という「二足のワラジ」で歩んでいきたいと思っています」。これは小規模出版社にとっては非常に大きな決断のはずです。二足のワラジというのは第三者が想像するほど容易なものではないと思われます。それを承知の上で立ち上がろうとされている永滝さんの御決意に勇気を分けていただく心地がします。生活拠点が仕事の拠点でもある小規模出版社はそれなりの数いることと思いますが、そうした中で「自分の住んでいる地元を盛り上げたい」という気持ちを持っている出版人もまた、それなりにいると想像します。私自身もそうで、胸中では色々なことをこれまで妄想してきました。ただしその実現のために一歩踏み出せるかどうかというと、妄想と実現との隔たりは大きいと言わざるをえません。

結エディット・野末たく二さんの記事からも同様に示唆をうけたポイントは、「仲間」を作っていくことの大切さです。せめて自分の生活拠点では他人との距離を保っていたい、と思う方もいることでしょう。故郷愛には独りではぐくむたぐいの側面もあって、誰かと簡単に分け合えるものではない場合があります。誰かが愛しているものは誰かが憎んでいるものであるかもしれないからです。しかし、現代社会においてその構成要素たる様々なコミュニティが、コミュニティ同士だけでなく、それ自身の内部でもバラバラに分裂したままでいい、というわけでもありません。地域コミュニティは住民自身が参画し、育て、革新するとともに持続的に保守せねばならない時代に、ますますなりつつあるようにも感じます。

なお、ボランティア団体「本が育てる街・高円寺」(略称:本街〔ほんまち〕)との提携で有志舎さんが行っておられるという「研究者の方を対象にした、古書寄贈・買取りの仲介」については有志舎さんのウェブサイトの2016年2月22日付告知「「本が育てる街・高円寺」プロジェクトとの提携による、研究者の皆さんの蔵書(古書)買取りについて」に詳しいです。曰く「このプロジェクトは、東京の高円寺(杉並区)を拠点に、本を通してコミュニティの絆を作り直そうという試みです。/単なる商店街振興だけのような「街おこし」ではなく、オルタナティヴな「街おこし」を目指していきたいと思います。〔・・・〕①お手元の本で、ご不要になったものを無料でご寄贈いただければ有り難いです。/②ご寄贈が無理な場合、古書として適切な値段で買い取らせていただきます(スタッフの中にプロの古書販売業者がいます)。なお、集荷にうかがえるかどうかは改めてご相談させていただきます。/皆さんからのご寄贈本もしくは買い取り本を元に「本の交換市」を開催したり、古書市場などで販売して資金を作り、それを元手に様々な本に関するイベントをやったり、地域の社会活動の支援を行なったりしていきたいと思います」。

私が私の地元で何ができるか、自問する機会を永滝さんに与えていただいた気がします。

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◆2016年7月25日16時現在。
最近感銘を受けた記事の3件目。

ジュンク堂書店難波店店長・福嶋聡さん「書店は面倒くさい。民主主義は面倒くさい。されど、さればこそ」(「日本の古本屋メールマガジン第208号」2016年7月25日配信「自著を語る(168)」)

福嶋自身さんの最新著『書店と民主主義』(人文書院、2016年6月)をめぐる記事です。曰く「高橋源一郎がいう「民主主義」の定義=「たくさんの、異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、一つの場所で一緒になっていくシステム」を採用するならば、それぞれの著者がさまざまな主張や思いを籠めた多くの本たちが所狭しと並ぶ書店店頭こそ、民主主義そのものの顕現の場ではないだろうか。/だからぼくは、自分の信念に基づいて、堂々と商品を並べアピールする。一方で、自分の主張と敵対するような書物も、排除するつもりはない。意見を持つことと、他の意見を排除することは違う。民主主義は、限りない議論と説得という、とても面倒くさいシステムなのだ。その面倒くささに耐え切れなくなると、「正義」が他を制圧しようとする。/書店は面倒くさい、民主主義は面倒くさい、だがその面倒臭さゆえにこそ、大切にいとおしまなければならない。『書店と民主主義』というタイトルに、ぼくはそんな思いを託した」。

この「面倒くささに耐え切れなくなると、「正義」が他を制圧しようとする」という《真理》は現代において世界中で目にするものではないでしょうか。反ヘイト本だけでなくいわゆる「ヘイト本」を店頭に置くことが、「儲けることしか考えておらず、ヘイトを助長しているだけ」だという意見をネットで見かけたことがありますが、私は同意できません。対立する双方の陣営が互いに「ヘイト」を排撃していく果てには最悪の言論弾圧が待ち受けています。言論の自由が風説の流布や誹謗中傷を含むのではないことは自明ですし、風見鶏・日和見・八方美人であることが必ずしも美徳ではないこともまた自明ですが、だからといって書店を攻撃するのは筋違いです。文化の多様性がそもそも冒涜的なものを含んでしまうのだと断罪するとしたら、もはや書店は誰かの信念を満足させるようなあらゆる意図のための攻撃対象にしかならないでしょう、特定の原理主義的集団によって破壊されていくいにしえの他者の文化遺跡のように。書店や図書館がテロや圧力の標的であってはならないし、不寛容さに屈する必要はない、と私は思います。事態がエスカレートするような未来が到来しないことを祈るばかりです。ヘイト側からだけでなく、反ヘイト側からも書店にクレームが入るというのは実に興味深い、皮肉なことです。

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by urag | 2016-07-25 13:52 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 24日

注目新刊:マラブー『新たなる傷つきし者』河出書房新社、ほか

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新たなる傷つきし者――フロイトから神経学へ 現代の心的外傷を考える
カトリーヌ・マラブー著 平野徹訳
河出書房新社 2016年7月 本体3,400円 46判上製372頁 ISBN978-4-309-24767-0

帯文:アルツハイマー病、脳に損傷をうけた人々、戦争、テロ、いわれなき暴力の被害者たち……過去も幼児期も個人史もない、新しい人格が、脳の損傷からつくられる可能性を思考。フロイト読解をとおして、現代の精神病理学における、《性》から《脳》への交代現象の意義を問う画期的哲学書。

推薦文(千葉雅也氏):過去の痕跡が爆破され、私は別人になる。ストレスとダメージの時代に、徹底的に変身するとはどういうことか? フランス現代思想の根本テーマ「差異」「他者」をいちど爆破し、そして新たに造形する衝撃の書だ。

目次:
はしがき
序論
第一部 神経学の下位におかれる性事象
 序 因果性の「新しい地図」
 第一章 脳の自己触発
 第二章 脳損傷――神経学的小説から意識不在の劇場へ
 第三章 先行段階なき同一性
 第四章 精神分析の異議申し立て――破壊欲動なき破壊は存在しうるか
第二部 脳事象の無力化
 序 フロイトと《あらかじめ存在する亀裂の線》
 第五章 心的出来事とは何か
 第六章 「リビドー理論」そして性事象の自身に対する他性――外傷神経症と戦争神経症を問い直す
 第七章 分離、死、もの――フロイト、ラカン、出会いそこね
 第八章 神経学の異議申し立て――「出来事を修復する」
第三部 快楽原則の彼岸をめぐって――実在するものとしての
 序 治癒や緩解には最悪の事態を忘れさせるおそれがある
 第九章 修復の両義性――弾性から復元性へ
 第十章 反復強迫の可塑性へ
 第十一章 偶発事故の主体
結論
訳者あとがき
原注
文献
人名索引

★まもなく発売。原書は、Les nouveaux blessés : De Freud à la neurologie, penser les traumatismes contemporains (Bayard, 2007)です。カトリーヌ・マラブー(Catherine Malabou, 1959-)の単著の邦訳は、『わたしたちの脳をどうするか――ニューロサイエンスとグローバル資本主義』(桑田光平・増田文一朗訳、春秋社、2005年6月;Que faire de notre cerveau ?, Bayard, 2004)、『ヘーゲルの未来――可塑性・時間性・弁証法』(西山雄二訳、未來社、2005年7月;L'Avenir de Hegel : Plasticité, temporalité, dialectique, Vrin, 1994)に続く待望の3冊目。ポスト・デリダ世代の最重要哲学者の一人であり、哲学・精神分析・神経科学を横断する挑戦的な思想家であることは周知の通りですが、ここ十年近く訳書が出ていませんでした。とはいえ、フランス現代思想の日本受容において未邦訳のキーパーソンはほかにもいますから(マラブーに学び、本書に推薦文を寄せておられる千葉雅也さんが近年再評価されてきたフランソワ・ラリュエル〔François Laruelle, 1937-〕はその一人ですし、同じくLの欄には例えば人類学者のシルヴァン・ラザリュス〔Sylvain Lazarus, 1943-〕がいるでしょう)、マラブーへの関心がむしろ継続しているのは注目に値します。

★マラブーはこう書きます。「脳にはそれに固有の出来事がある」(54頁)。「脳にかかわる事象に対して、性事象はもはや特権的地位を享受できない〔・・・〕。何らかの音や外から察知できる信号を発することなく自己を触発し、事故をこうむった場合にのみあらわになる脳のありよう、すなわちその絶対的脆弱性においてのみ自身の無意識を露呈するという特異な脳のありよう、それが本書の分析の中心、フロイトなら差しむけたはずの批判を先取りしつつおこなわれることになる分析の中心となるだろう」(56頁)。「昔日の医学における悪魔憑きや狂人、精神分析における神経症者にとって代わるのは、脳損傷をうけた新たなる傷つきし者である」(42頁)。「精神分析に根底からの変化を迫る新しい事実」(317頁)に向き合おうとする本書の試みは、現代人にとって非常に示唆的です。

★「心の変容の決定因として傷に可塑的な力がそなわっているとするなら、さしあたって可塑性の第三の意味、爆発と無化という意味をあてるしかない。損傷後の同一性の想像があるなら、それは、かたちの破壊による創造ということになる。よってここで問題になっている可塑性は、破壊的な可塑性である。/このような可塑性は、逆説的ではあるが依然としてかたちの冒険である。例をあげるなら、アルツハイマー病者は、まさに傷の可塑性の典型であるといえる。この疾病のために同一性は完全に崩壊し、別の同一性が形成されるからだ。それはかつての形式を補う似姿ではなく、文字通り、破壊の形式である。破壊が形式をつくりだすということ、破壊がみずからの心の生活形式を構成しうるということの証しなのである。われわれがここで考えている、傷のもつ形成し破壊する可塑的力は、以下のように言いあらわすことができよう。あらゆる苦痛は、その苦痛を耐えるものの同一性の形成物である、と」(43頁)。

★「こうしたわけで、時間をかけて〈新たなる傷つきし者〉の相貌を描いてみせる必要があった。苦痛への同一化が、この検証作業の中核をなしている。現代の心的外傷の特徴――地政学でもあることが明らかとなった特徴――の描写は、あらゆる治療の試みに向けた準備的仕事である。/その原因が生物的要因であれ、社会・政治的要因であれ、破壊的出来事は、情動的な脳に不可逆的な転倒を、したがって、同一性の完全な変容をもたらす。それは、たえず私たちのだれをも脅かす実存的可能性としてあらわれている。私たちはいまこの瞬間にも、〈新たなる傷つきし者〉になりうるのだ。同一性の過去の形式との本質的つながりをたたれ、私たち自身の祖型と化してしまうことが、起こりうるのだ。こうした喪失をはっきり示すのは、アルツハイマー病である。この生の形式は、主体の過去のありようと訣別してしまう。/死へのこうした変容のかたち、過去を引き継がない生存は、重い脳損傷の症例にのみ見られるわけではない。それは、外傷のグローバル化した形式でもある。戦争、テロ、性的虐待、抑圧と奴隷化のあらゆる類型から帰結するものとしての形式なのだ。現代の暴力は、主体をその記憶の貯蔵庫から切り離すのである」(315~316頁)。

★「拙著『わたしたちの脳をどうするか』の結論部における議論を敷衍して、私が擁護しつづけてきた主張は、現在、哲学の唯一の方途は新たな唯物論をつくり上げることにある、というものだ。そしてこの唯物論は、脳と思考を、脳と無意識を、わずかにでも引き離すことを拒絶する。/したがって、本書で脳事象/脳の特性〔セレブラリテ〕を規定してきた唯物論は、新たな精神哲学の基礎であり、ニューロンの変形と結合の形成作用において明らかにされた価値論的原理である。〔・・・同一性や歴史が構築される、脳の自己触発の〕過程がラディカルに露呈されるのは、脳を破壊し、ひいては人格の心的連続性を切断しうる偶発事故〔アクシデント〕においてである。こうした脳の脆弱性が、現代の精神病理学の主要問題となっている。脳損傷の研究によって、新たなる傷、心的外傷の意味が明らかにされている。現在進行する心の苦痛を取り逃さないというのであれば、精神分析は、もはやこの成果を無視することはできないはずである」(314頁)。

★メイヤスー『有限性の後で』(人文書院)やシャヴィロ『モノたちの宇宙』(河出書房新社)で開示された唯物論の新次元や、ドイジ『脳はいかに治癒をもたらすか』(紀伊國屋書店)が明かす神経可塑性研究の最新成果、マラブーの師であるデリダの『精神分析のとまどい』(岩波書店)におけるフロイトとの対峙など、最近立て続けに出版された新刊は、マラブーの本書とともに読むことに喜びと深みを与えてくれるものです。同時代の知の大地に走った複数の線が交差しています。書店はいわばその交差が顕現するリアルな場です。

★なお、河出書房新社さんの今後の発売予定には以下のものがあります。

7月27日発売予定:ル・コルビュジエ『輝ける都市』白石哲雄訳、B4変形判352頁、本体10,000円、ISBN978-4-309-27621-2
8月8日発売予定・河出文庫:アントナン・アルトー『ヘリオガバルス――あるいは戴冠せるアナーキスト』鈴木創士訳、文庫判並製224頁、本体800円、ISBN978-4-309-46431-2
8月24日発売予定:ジル・ドゥルーズ『ドゥルーズ書簡その他』宇野邦一・堀千晶訳、46判400頁、本体3,500円、ISBN978-4-309-24769-4
8月29日発売予定:ガブリエル・タルド『模倣の法則 新装版』池田祥英・村澤真保呂訳、46判600頁、本体6,000円、ISBN978-4-309-24772-4

アルトー『ヘリオガバルス』の訳者の鈴木創士さんはまもなく次の新刊を上梓されます。7月28日取次搬入:鈴木創士『分身入門』作品社、2016年7月、本体2,800円、ISBN978-4-86182-591-0

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

戦争に負けないための二〇章』池田浩士文、髙谷光雄絵、共和国、2016年7月、本体1,800円、A5変型判並製128頁、ISBN978-4-907986-37-7
時代区分は本当に必要か?――連続性と不連続性を再考する』ジャック・ル=ゴフ著、菅沼潤訳、藤原書店、2016年7月、四六変上製224頁、ISBN978-4-86578-079-6
絶滅鳥ドードーを追い求めた男――空飛ぶ侯爵、蜂須賀正氏 1903-53』村上紀史郎著、藤原書店、2016年7月、本体3,600円、四六判上製352頁、ISBN978-4-86578-081-9
ビッグデータと人工知能――可能性と罠を見極める』西垣通著、中公新書、2016年7月、2016年7月、本体780円、新書判並製232頁、ISBN978-4-12-102384-1
大転換――脱成長社会へ』佐伯啓思著、中公文庫、2016年6月、本体980円、文庫判並製360頁、ISBN978-4-12-206268-9
乞食路通』正津勉著、作品社、2016年7月、本体2,000円、46判上製248頁、ISBN978-4-86182-588-0
ようこそ、映画館へ』ロバート・クーヴァー著、越川芳明訳、作品社、2016年7月、本体2,500円、46判上製263頁、ISBN978-4-86182-587-3

★『戦争に負けないための二〇章』はまもなく発売。池田浩士(いけだ・ひろし:1940-)さんはドイツ文学者で、ルカーチやブロッホの翻訳でも知られています。緊急出版と言っていい本書の表紙にはこう記されています。「さあ戦争だ。あなたはどうする? ついに「戦争する国」になった日本。とはいえ、戦争には負けられない。じゃあ、どうすれば戦争に負けない自分でいられるのか? ファシズム文化研究の第一人者と、シュルレアリスムを駆使する染色画家による、共考と行動のための20の絵物語」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。目次だけ見ているとあたかも好戦論であるかのように読めるのですが、それほど単純な本ではありません。1章ずつは見開き2頁と短いもので、論旨も明快です。やっぱり戦争肯定論ではないか、となおも感じる読者はそれなりにいるでしょう。しかしながら、痛烈な皮肉として読むこともできるのです。書名は「敗戦しないため」とも読めれば、「戦争そのものの存在に魂を打ち負かされないため」とも読めます。確信犯的なこの「問題の書」をめぐっては、おそらく今後様々なメディアが著者に真意を問おうとするかもしれませんが、細部に目を凝らせば著者の意図はおのずと了解できるのではないか、とも思えます。各章に付された参考文献や、巻末のブックガイド「戦争に負けないために読みたい20冊」とそれに付された紹介文が興味深いです。イマジネーションを掻き立てられる髙谷さんによる挿絵の数々も非常に印象的です。オールカラーでこの廉価。版元さんの気合いが窺えます。同社の『総統はヒップスター』を「楽しめた」方は本書の毒/薬にも気付くはずです。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と著者は書いています。大きな釣り針を垂らして遊ぼうというのではありません。戦い方にも色々ある、ということかと思います。

★藤原書店の7月新刊2点はいずれもまもなく発売。ル=ゴフ『時代区分は本当に必要か?』の原書は、Faut-il vraiment découper l'histoire en tranches ? (Seuil, 2014)です。帯文には「生前最後の書き下ろし作品」と。巻頭の「はじめに」で著者はこう述べています。「この試論は学位論文でも集大成でもないが、長いあいだの研究の成果である。〔・・・〕これは私が長いあいだ温めていた著作で、それを私が気になっているアイデアで膨らませた。〔・・・〕歴史も、歴史の素材である時間も、まずは連続したものとしてあらわれる。しかし歴史はまた変化からつくられてもいる。だから専門家たちは昔から、この連続のなかからいくつかの断片を切り出すことで、こうした変化をしるし、定義しようとしてきた。これらの断片はまず歴史の「年代」と呼ばれ、ついでその「時代」と呼ばれた。/「グローバル化」の日常生活への影響が日に日に感じられるようになっている2013年に書かれたこの小著は、連続、転換といった、時代区分を考える際のさまざまなアプローチについて再考する。歴史の記憶をどう考えるかという問題である。〔・・・〕ある時代から別の時代への移行という一般的な問題をあつかいながら、私は特殊事例を検討する。つまり「ルネサンス」の新しさと言われているもの、「ルネサンス」と中世との関係をどうとらえるかだ。〔・・・〕「ルネサンス」の「中心的役割」がこの試論の中心主題になっており、私が情熱を込めて研究生活を捧げた中世についての、われわれのあまりに狭い歴史観を一新することを呼び掛けているのだが、提起されている問題はおもに、「時代」に区分けできる歴史という概念そのものに関わっている。/というもの、歴史はひとつの連続なのか、あるいはいくつかのます目に区分けできるのかは、依然として決められない問題だからだ。言いかたを変えるなら、歴史を切り分けることは本当に必要なのか、ということになる」(7~10頁)。目次詳細については書名のリンク先をご覧ください。

★村上紀史郎『絶滅鳥ドードーを追い求めた男』はあとがきによれば、もとになった原稿は「島に憑かれた殿様」というタイトルで、年三回発行の同人誌『十三日会』に2011年4月から2012年12月まで5回にわたって連載されたもので、加筆のうえ一冊としたもの。帯文ではこう紹介されています。「謎の鳥「ドードー」の探究に生涯を捧げた数奇な貴族の実像。戦国武将・蜂須賀小六の末裔にして、最後の将軍・徳川慶喜の孫、海外では異色の鳥類学者として知られる蜂須賀正氏(はちすか・まさうじ:1903-1953)。探検調査のため日本初の自家用機のオーナーパイロットにもなり、世界中で収集した膨大な標本コレクションを遺しながら、国内では奇人扱いを受け、正当に評価されてこなかったその生涯と業績を、初めて明かす」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者の村上紀史郎(むらかみ・きみお:1947-)さんはフリー・エディターでありライター。単著に『「バロン・サツマ」と呼ばれた男――薩摩治郎八とその時代』(藤原書店、2009年)や『音楽の殿様・徳川頼貞』(藤原書店、2012年)があります。

★西垣通『ビッグデータと人工知能』は発売済。カヴァーソデ紹介文は次の通り。「ビッグデータ時代の到来、第三次AI(人工知能)ブームとディープラーニングの登場、さらに進化したAIが2045年に人間の知性を凌駕するというシンギュラリティ予測……。人間とAIはこれからどこへ向かっていくのか。本書は基礎情報学にもとづいて現在の動向と論点を明快に整理し分析。技術万能主義に警鐘を鳴らし、知識増幅と集合知を駆使することによって拓かれる未来の可能性を提示する」。第一章「ビッグデータとは何か」、第二章「機械学習のブレイクスルー」、第三章「人工知能が人間を超える!?」、第四章「自由/責任/プライバシーはどうなるか?」、第五章「集合知の新展開」、の全五章立て。西垣さんは同じく中公新書より2013年に『集合知とは何か――ネット時代の「知」のゆくえ』という著書を上梓されています。『ビッグデータと人工知能』第五章で西垣さんは「ビッグデータと人工知能と集合知とは三位一体なのだ」と明言しておられます。集合知(collective intelligence)は集団的知性とも訳されます。多数の人々の参加による協力的な問題対処により生まれるもので、「多くの人の知識が蓄積したもの。また、その膨大な知識を分析したり体系化したりして、活用できる形にまとめたもの」とデジタル大辞泉では定義されています。西垣さんはこう書いています。「集合知とは、現代文明のこうした欠陥〔極度な専門化による大局的判断の困難〕を補うための手段として位置づけられるだろう。一般の人々の多用な知恵が、適切な専門知のバックアップをうけて組み合わされ、熟議を重ねて問題を解決していくのが、21世紀の知の望ましいあり方なのだ。〔・・・〕人手にあまる膨大なビッグデータを分析し、専門家にヒントとなる分析結果を提供しつつ、集合知の精度や信頼性をあげていくことこそ、その〔人工知能の〕使命」だと(188~189頁)。この議論には重要な細部があるのですが、それはぜひ本書をひもといていただければと思います。

★なお、中央公論新社さんの今月新刊には、マルクーゼ『ユートピアの終焉――過剰・抑圧・暴力』(清水多吉訳、中公クラシックス、2016年7月、本体1,800円、新書判並製204頁、ISBN978-4-12-160166-7)もあります。これの親本は1968年に合同出版から刊行された同名の書籍かと思います。

★佐伯啓思『大転換』の親本は2009年、NTT出版刊。文庫化にあたって、「文庫版のためのあとがき」と、竹谷仁宏さんによる解説「脱成長社会の構想を大胆に示した書」が付されています。カヴァー裏の紹介文は以下の通り。「「文明の破綻としての経済危機」に再々襲われる不安定な時代にあって、本書はそれをもたらした理由を明確に示す。そのうえで「豊かさ」に関する価値観に転換を求め、「脱成長社会」への道を説いていく。グローバルな大競争時代において、破局を避ける方向を見いだすために、本書が説く論点は決定的に重要である」。佐伯さんは本書を次のように結ばれています。「今回の経済危機〔リーマン・ショック〕こそは、「大転換」の準備を行うためには絶好の機会なのである。そして、そのためには、われわれの「観念の枠組み」を変えてゆかねばならない。ケインズが述べたように、長期的に社会を動かすものは、結局、われわれがどのように社会を考えるか、という「観念」そのものnほかならないからだ。「大転換」への道とは、まずは、われわれの「観念」や「価値」の転換から始めなければならないのである」(332頁)。

★このほか、中央公論新社さんの既刊書では最近、トルコでのクーデター事件を受けて、クルツィオ・マラパルテ『クーデターの技術』(手塚和彰・鈴木純訳、中公選書、2015年3月、本体2,400円、四六判並製336頁、ISBN978-4-12-110021-4)が再注目されているようです。「国家権力を奪取し、防御する方法について歴史的分析を行った」(帯文より)本書は、1971年にイザラ書房より刊行された書籍の全面改訂版です。原著は1931年にフランスで刊行されており、日本では幾度となく翻訳されてきました。ソレル『暴力論』やマルクス『フランスの内乱』『哲学の貧困』のほかレーニンやジョレスなどの翻訳を手掛けられた木下半治(きのした・はんじ:1900-1989)さんがお訳しになった『近世クーデター史論』(改造社、1932年)が一番古く、そのあとに1971年にイザラ書房版が刊行され、さらにその翌年に海原峻・真崎隆治訳『クーデターの技術』(東邦出版社、1972年)が出版されています。

★クーデター研究の関連書には色々あるのですが、ルトワック『クーデター入門――その攻防の技術』(遠藤浩訳、徳間書店、1970年、絶版)もそうした一冊です。近年、戦略学者の奥山真司(おくやま・まさし:1972-)さんが再評価されてきたのは周知の通りですが、奥山さんのブログ「地政学を英国で学んだ」の2016年7月17年付エントリー「トルコのクーデターはなぜ失敗したのか」では、「フォーリン・ポリシー」誌のルトワックによる記事「Why Turkey's Coup d'État Failed: And why Recep Tayyip Erdogan's craven excesses made it so inevitable」(2016年7月16日付)の要訳を掲載されるとともに、エントリー末尾にこう記されています。「ルトワックは最近になって英語版の「クーデター入門」の新版を出したわけですが、私もいずれ近いうちにこれを翻訳できればと考えております」。奥山さんによる新訳がいずれ読めるようになるというのは朗報です。

★正津勉『乞食路通』はまもなく発売(26日取次搬入)。帯文に曰く「乞食上がりの経歴故に同門の多くに疎まれながら、卓抜な詩境と才能で芭蕉の寵愛を格別に受けた蕉門の異端児。《肌のよき石に眠らん花の山》(路通句126点収録)。つげ義春氏推薦!」と。目次を列記すると、前書/(一)薦を着て/(二)行衛なき方を/(三)火中止め/(四)世を捨も果ずや/幕間――芭蕉路通を殺せり/(五)寒き頭陀袋/(六)ぼのくぼに/(七)随意〱/(八)遅ざくら/後書/資料1:芭蕉路通関係年表/資料2:路通句索引。正津さんはこう書かれています、「乞食路通。芭蕉が生き得なかった、風狂を生き貫きつづけた。芭蕉と、路通と。一枚の硬貨の裏表。〔・・・〕いうならばアナザー芭蕉とでもいうところか」(228頁)。

★クーヴァー『ようこそ、映画館へ』は発売済。原書は、A Night at the Movies, or, You Must Remember This (Simon & Schuster, 1987)。帯文にはこうあります。「ポストモダン文学の巨人がラブレー顔負けの過激なブラックユーモアでおくる、映画館での一夜の連続上映と、ひとりの映写技師、そして観客の少女の奇妙な体験!」。目次は「プログラム」と記されており、以下のラインナップが並びます。「予告編『名画座の怪人』/今週の連作『ラザロのあとに』/冒険西部劇『ジェントリーズ・ジャンクションの決闘』/おすすめの小品『ギルダの夢』『フレームの内部で』『ディゾルヴ』/喜劇『ルー屋敷のチャップリン』/休憩時間〔インターミッション〕/お子様向けマンガ映画/紀行作品『一九三九年のミルフォード・ジャンクション――短い出会い』/ミュージカル『シルクハット』/ロマンス『きみの瞳に乾杯』。巻末の訳者あとがきで訳者は本書の特徴を3点挙げておられます。「スクリーンの内と外の境界が曖昧になる」、「性的なグロテスク・ユーモアが横溢したドタバタ劇喜劇の中で、レジェンドの主人公や俳優がつぎつぎと失墜し、偶像が破壊される」、「伝統的な価値観や倫理観の転覆がはかられる」。これらを訳者は「小説の脱構築」と端的に表現されています。
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by urag | 2016-07-24 13:06 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 22日

月曜社フェア@八重洲BC本店、最終追加出品とノベルティ残部

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東京駅前の八重洲ブックセンター本店4F人文書売場(電話03-3281-8204)、上りエスカレータ脇のフェア台にて今月いっぱい(7月31日まで)開催中の「月曜社フェア」の非売品小冊子の残部についてと、店頭在庫状況・特別最終出品などについて最新情報をお知らせいたします。

◎非売品小冊子『死なない蛸』

フェアを記念した非売品小冊子『死なない蛸』を限定60部(ナンバリング付)はまだ残部がございます。弊社の書籍をフェア期間中(2016年7月1日~7月31日)にお買い上げのお客様にノヴェルティとしてお渡しします。金額に関わらず、1回のお買い上げにつき1冊差し上げます。お会計の際にレジ係員にお申し付けください。なお、ナンバリングはご指定いただけませんので、ご了承ください。今日までのフェア期間に弊社書籍を八重洲ブックセンター本店にてお買い求めいただいた方でこの小冊子を受け取りそびれたお客様は、ご購入いただいた書籍のレシートを4Fレジまでお持ちいただければ、レシート1枚につき1冊差し上げます。また、同本店の4F以外のフロアで弊社書籍をお買い求めになられたお客様も同様に、4Fレジまでレシートをご持参いただきますと、1冊謹呈いたします。

遠方にお住まい等の理由でご来店になれないお客様には、通販(ただし国内発送のみ)をご利用いただけます。お支払方法の概要や送料、代引手数料などにつきましては「特定商取引法に基づく通販の表記」をご参照ください。『死なない蛸』は弊社書籍をお買い上げのお客様へのノベルティなので、『死なない蛸』のみの発送および通販は承っておりません。店頭で取り扱いのない弊社書籍をフェア期間中に取り寄せ注文いただいた場合も、小冊子をお付けいたします。

非売品小冊子『死なない蛸』は弊社刊行予定に関するネタバレを含むため、店頭ではサンプルを置いておりません。同冊子は萩原朔太郎の詩と散文、71篇を弊社編集部がリミックスし、製作秘話として小林浩による跋文「シグマの崩壊」を掲載したものです。文庫サイズの中綴じ本で、表紙を含め全64頁です。


◎店頭在庫状況(月曜社フェア@八重洲BC本店出品一覧)

ブランショ『書物の不在 第二版鉄色本』、平井浩編『ミクロコスモス:初期近代精神史研究 第1集』、『表象08:ポストメディウム映像のゆくえ 』、森山大道『新宿』は追加出品によりかろうじて各1冊ずつ残っています。また、フェア最終週の特別出品として、哲学書房『羅独-独羅学術語彙辞典』(発売元在庫僅少、本体24,272円)を明日7月23日より展開いたします。

店頭のみ=店頭のみ在庫ありで版元在庫なし
売切=店頭売切、版元在庫あり
品切=版元在庫なし
僅少=版元在庫僅少

羅独-独羅学術語彙辞典|哲学書房|24,272|発売元在庫僅少

到来する共同体【初版黄色本】|G・アガンベン|1,800|店頭のみ
ポストコロニアル理性批判|G・C・スピヴァク|5,500|店頭のみ
ブラック・アトランティック|P・ギルロイ|3,200|店頭のみ
ミクロコスモス 第1集|平井浩編|3,000|店頭のみ

ルーツ|J・クリフォード|3,800|売切・品切

瀆神(とくしん)【新装版】|G・アガンベン|僅少
アウシュヴィッツの残りのもの|G・アガンベン|2,400
バートルビー|G・アガンベン+H・メルヴィル|2,400
思考の潜勢力|G・アガンベン|5,200
到来する共同体【新装版】|G・アガンベン|1,800
芸術とマルチチュード|T・ネグリ|1,900
闘争のアサンブレア|廣瀬純+コレクティボ・シトゥアシオネス|2,200
絶望論|廣瀬純|1,600
民衆防衛とエコロジー闘争|P・ヴィリリオ|1,800
ソドム〔暴力論叢書5〕|L・サラ-モランス|3,200
公然たる敵|J・ジュネ|5,600
マルチチュードの文法|P・ヴィルノ|2,400|売切・僅少

他自律〔暴力論叢書2〕|W・ハーマッハー|2,200|僅少
破壊と拡散〔暴力論叢書1〕|S・ウェーバー|売切
条件なき大学|J・デリダ|2,400
デリダと文学|N・ロイル|2,800
友愛と敵対|A・G・デュットマン|2,200
思惟の記憶|A・G・デュットマン|4,800
暴力と証し〔暴力論叢書4〕|H・デ・ヴリース|2,500
自分自身を説明すること〔暴力論叢書3〕|J・バトラー|2,500
権力の心的な生〔暴力論叢書6〕|J・バトラー|2,800
いまだない世界を求めて|R・ガシェ|3,000
翻訳について|J・サリス|3,400
盲目と洞察|P・ド・マン|3,400

エコ資本主義批判|S・ショルカル|3,200
空間のために|D・マッシー|3,600
戦争の教室|松本彩子編|1,800
統治性|W・ウォルターズ|2,500
境界を越えて|C・L・R・ジェームズ|3,000
ブラジルのホモ・ルーデンス|今福龍太|1,800
文化と暴力|清水知子|2,800

初期ストア哲学における非物体的なものの理論|E・ブレイエ+江川隆男|3,400
具体的なものへ|J・ヴァール|3,800
関係主義的現象学への道|E・パーチ|3,200
カヴァイエス研究|近藤和敬|3,600
論理学と学知の理論について|J・カヴァイエス|3,200
ヘーゲル弁証法とイタリア哲学|スパヴェンタほか|3,800
ジョルダーノ・ブルーノの哲学|岡本源太|3,800
カール・ヤスパースと実存哲学|デュフレンヌ+リクール|7,000
ヤスパース入門|W・シュスラー|3,200
影像の詩学|青木敦子|3,500
存在とロゴス|阿部将伸|3,700

書物の不在【第二版鉄色本】|M・ブランショ|2,500|店頭のみ
ブランショ政治論集|M・ブランショ|3,200
謎の男トマ 1941年初版|M・ブランショ|2,800
問われる知識人|M・ブランショ|1,800|売切
書物の不在【初版朱色本】|M・ブランショ|2,500|売切・品切
オディール|R・クノー|2,200|売切
棒・数字・文字|R・クノー|2,800
パリ南西東北|B・サンドラール|2,600
ドラマ|Ph・ソレルス|2,400
労働者|E・ユンガー|2,800
ユンガー政治評論選|E・ユンガー|2,800
パリ日記|E・ユンガー|3,800|売切・品切

アンフォルム|ボワ+クラウス|3,200
写真の映像|B・シュティーグラー|3,400
マネ|G・バタイユ|3,600
原子の光(影の光学)|リピット水田堯|3,400
不完全なレンズで|R・ドアノー|2,200

時代の未明から来たるべきものへ|間章|4,600
〈なしくずしの死〉への覚書と断片|間章|5,600
さらに冬へ旅立つために|間章|6,400

モノクローム|森山大道|4,600
新宿|森山大道|7,200|店頭のみ
新宿+|森山大道|1,905|店頭のみ
大阪+|森山大道|1,810|店頭のみ

汎音楽論集|高柳昌行|3,600|店頭のみ
地図|川田喜久治|12,000|売切・品切

表象01 人文知の現在と未来|松浦寿輝ほか|1,600|売切・品切
表象02 ポスト・ヒューマン|松浦寿輝ほか|1,800|売切
表象03 〈文学〉のメタモルフォーゼ|松浦寿輝ほか|1,800
表象04 パフォーマンスの多様体|松浦寿輝ほか|1,800|売切・品切
表象05 ネゴシエーションとしてのアート|岡田温司ほか|1,800|売切・品切
表象06 ペルソナの詩学|岡田温司ほか|1,800|僅少
表象07 アニメーションのマルチユニヴァース|岡田温司ほか|1,800
表象08 ポストメディウム映像のゆくえ|岡田温司ほか|1,800|店頭のみ
表象09 音と聴取のアルケオロジー|佐藤良明ほか|1,800
表象10 爆発の表象|佐藤良明ほか|1,800

月曜社の刊行書籍のウェブ目録はこちらをご覧ください。
表象文化論学会の発行物のウェブ目録はこちらをご覧ください。
哲学書房の発行物のウェブ目録はこちらをご覧ください。

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by urag | 2016-07-22 17:32 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 19日

デリダ動物論シンポジウム

弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆さんに関する最近の催事をご紹介します。

★ジャック・デリダさん(著書:『条件なき大学』)
★宮﨑裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』)
★西山達也さん(訳書:サリス『翻訳について』)
★西山雄二さん(訳書:デリダ『条件なき大学』、共訳:『ブランショ政治論集』)
★佐藤嘉幸さん(共訳:バトラー『自分自身を説明すること』『権力の心的な生』)
★郷原佳以さん(共訳:『ブランショ政治論集』)

◎動物をめぐる形而上学的思考の行方――ハイデガーとデリダ
ハイデガー研究会×脱構築研究会共催シンポジウム
Symposium on Heidegger and Derrida: The Animal and the Problem of Metaphysics

日時:2016年7月31日(日)14:00-17:30
場所:立正大学品川キャンパス 5号館521教室(当日は正門よりご入場下さい)
料金:入場無料・予約不要

内容:ハイデガーの1929/30年冬学期講義『形而上学の根本諸概念 世界-有限性-孤独』は、1983年の公刊以来、わけてもその独特な「動物論」によって多くの論者の注目を集めてきた。なかでもこの動物の問題に正面から対決を試みた者として、デリダの名前を挙げないわけにはいかないだろう。『精神について』(1987年)をはじめ、『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(2006年)、そしてセミネール『獣と主権者I・II』(2008、2010年)と、晩年に至るまでデリダはハイデガーにおける動物の問題を繰り返し論じ続けた。動物をめぐる形而上学的思考は、いまどこへ向かおうとしているのか。今回のシンポジウムでは、ハイデガー研究とデリダ研究双方の視角からハイデガーの動物論を読み解き、徹底した議論を交わすことにより、その意義と制限を明らかにすることを目指す。

プログラム:
14:00-14:45 提題1:齋藤元紀(高千穂大学)
14:45-15:30 提題2:宮﨑裕助(新潟大学)
15:30-15:40 休憩
15:40-16:10 セッション1:西山達也(西南学院大学)
16:10-16:40 セッション2:川口茂雄(甲南大学)
16:40-17:30 オープンセッション
司会: 瀧将之(東京女子大学)


◎Workshop ジャック・デリダ『獣と主権者 II』を読む

日時:2016年 7月30日(土)13.00-18.00
場所:東京大学(駒場) 18号館4階コラボレーションルーム1
料金:入場無料、事前予約不要
主催:脱構築研究会

内容:ジャック・デリダの死後、講義録(全43 巻)が続々と刊行されており、今回『獣と主権者II』の日本語訳が出版された。『獣と主権者II』では、主要参考文献はわずか二つ、ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』とハイデガー『形而上学の根本諸概念──孤独、世界、有限性』に限定される。十八世紀の漂流記文学と二十世紀の存在論哲学というこの意外な組み合わせを基調としつつ、獣と主権者の問いは世界の問いへと深化していく。今回のワークショップは、翻訳者による各回の解説、識者によるコメント、デリダ研究者による討論で構成される。未読者も既読者も『獣と主権者II 』の魅力に触れることができる、入門的かつ応用的なワークショップである。

プログラム:
13.00 趣旨説明:西山雄二(首都大学東京)
13.10-14.20 セッション1
 第1-2回 解説= 西山雄二  第3-4回  解説=亀井大輔(立命館大学)
 コメント=武田将明(東京大学)
14.20-15.30 セッション2
 第5-6回  解説=荒金直人(慶應義塾大学) 第7回 解説= 西山雄二 
 コメント=佐藤朋子(関東学院大学)
( 15.30-15.45 休憩)
15.45-17.00 セッション3
 第8回  解説=荒金直人 第9-10回  解説=佐藤嘉幸(筑波大学)
 コメント=齋藤元紀(高千穂大学)
17.00-18.00 セッション4
 総合討論: 藤本一勇(早稲田大学)、宮﨑裕助(新潟大学)、郷原佳以(東京大学)

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なお、脱構築研究会のウェブサイトには、第5回Derrida Today国際会議(2016年6月8-11日、ロンドン大学ゴールドスミス校)についての西山雄二さん、宮﨑裕助らによる報告が掲載されています。また、脱構築研究会の論集やデリダの訳書数点が進行中とも聞きます。

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by urag | 2016-07-19 11:03 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 17日

注目新刊:マルクス『資本論 第一部草稿』光文社古典新訳文庫、ほか

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資本論 第一部草稿――直接的生産過程の諸結果』マルクス著、森田成也訳、光文社古典新訳文庫、2016年7月、本体1,240円、463頁、ISBN:978-4-334-75335-1
英米哲学史講義』一ノ瀬正樹著、ちくま学芸文庫、2016年7月、本体1,200円、384頁、ISBN978-4-480-09739-2
論理学――考える技術の初歩』エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック著、山口裕之訳、講談社学術文庫、2016年7月、本体860円、240頁、ISBN978-4-06-292369-9
杜甫全詩訳注(二)』下定雅弘・松原朗編、講談社学術文庫、2016年7月、本体2,300円、960頁、ISBN978-4-06-292334-7
利休聞き書き「南方録 覚書」全訳注』筒井紘一訳、講談社学術文庫、2016年7月、本体740円、192頁、ISBN978-4-06-292375-0

★マルクス『資本論 第一部草稿』は発売済。光文社古典新訳文庫でのマルクス新訳は本書で4点目。森田さんの訳では2014年の『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』に続く『資本論』入門シリーズ第2弾です。同草稿の既訳書である岡崎次郎訳『直接的生産過程の諸結果』(国民文庫、1970年)や向坂逸郎訳『資本論綱要他四篇』(岩波文庫、1953年)はすでに品切となっているため、新訳はありがたいです。カヴァー紹介文はこうです。「マルクスは当初、『資本論』を「商品」から始まり「商品」で終わらせる予定だった。資本主義的生産過程の結果としての「商品」は単なる商品ではなく、剰余価値を含み資本関係をも再生産する。ここから見えてくる資本主義の全貌。『資本論』に入らなかった幻の草稿、全訳!」。帯文は次の通り。「『資本論』第一部の全体を簡潔に要約しつつも、「生産物が生産者を支配する」という転倒した姿を克明に描き出す。『資本論』では十分に語りつくせなかった独自の論点が躍動的に展開される必読の書。『資本論』の"もうひとつの結末"がここに」。

★「本書を構成しているのはいずれも『資本論』第一部の原稿断片」(訳者まえがき)であり、三部構成のうち中核をなすのは、もっともまとまった原稿である『資本論』第一部第六章「直接的生産過程の諸結果」で、第II部として収められています。この第六章は『資本論』第一部と第二部を橋渡する章であったものの割愛された原稿です。第I部「第六章以前の諸原稿」は『資本論』第一部の印刷原稿を執筆する際に使われなかったり、第六章に統合するつもりで原稿に挟み込まれた部分などで、第III部「その他の諸断片」は「『資本論』第一部の蓄積論の印刷用原稿を執筆する過程で採用されなかったいくつかの注」(訳者まえがき)とのことです。巻末には訳者による長編解説「中期マルクスから後期マルクスへ――過渡としての第一部草稿」(340~440頁)とマルクス年譜、訳者あとがきが配されています。

★なお、光文社古典新訳文庫の続刊として、C・S・ルイス『ナルニア国物語』(土屋京子訳、全7巻)が予告されているのに驚きました。同作品は岩波少年文庫の瀬田貞二訳『ナルニア国ものがたり』全7巻がロングセラーとなっています。学術書以上に文学作品の新訳は既訳と厳しく比較されますし、岩波少年文庫の価格帯(700~800円台)と張り合わなければならないわけで、なかなか挑戦できるものではありません。新訳第1巻が『魔術師のおい』であると予告されているということは、著者がかつて読者に教えた、年代順の読み方を踏襲するのでしょう。

★一ノ瀬正樹『英米哲学史講義』は発売済。奥付前の特記によれば本書は、放送大学教材『功利主義と分析哲学――経験論哲学入門』(放送大学教育振興会、2010年)に増補改訂を施したもの。文庫化にあたって加えられたのは全16章のうち第12章「プラグマティズムから現代正義論へ」で、巻頭の「まえがき」も新たに加えられたものです。章立ては書名のリンク先に掲出されています。巻末には人名と事項を一緒にした索引が付されています。まえがきに書かれているように「本書は「功利主義」と「分析哲学」という二つの哲学・倫理学の潮流について、両潮流の源流に当たる「経験論哲学」に沿いながら論じ、なおかつ「計量化への志向性」という見地から功利主義と分析哲学が融合していく様子を追跡していくことを主題として」います。一ノ瀬さんの著書が文庫化されるのは意外にも今回が初めてです。

★講談社学術文庫3点はいずれも発売済。今月も「古典へ! 創刊40周年」と大書された帯がまぶしいです。コンディヤック『論理学』は文庫オリジナルで、1780年に出版されたLa logique, ou les premiers développements de l'art de penser の初訳です。底本には、ジョルジュ・ルロワ校訂によるPUF版コンディヤック哲学全集第2巻(1948年)が使用されています。「本書は、コンディヤックがポーランド国民教育委員会の要請を受けて執筆した論理学の初等教科書」(訳者解説221頁)であり、「数世代にわたってポーランドの教育に影響を与えただけでなく、フランスでも標準的な教科書として使用されることになった」(同222頁)もの。そして「こうした教育を受けてコンディヤックの学説を受け継いだ人々は「観念学派(イデオローグ)」と呼ばれ、フランス大革命前後の学界で中心的な位置を占めることになる」(同頁)とも説明されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。二部構成のうち、第一部は「人間が持つすべての知識は感覚に由来するという経験論哲学の思想が簡潔に述べられ」ます(同223頁)。第二部では「人間が思考するためには言語が不可欠であること、それゆえ正しく思考するためには言語をよく作ることが必要である」と主張されています(同頁)。

★『杜甫全詩訳注(二)』は全4巻のうちの第2回配本。カヴァー紹介文にはこうあります。「戦禍による社会秩序の崩壊や政治の堕落は、ついには杜甫の運命をも巻き込み、生涯にわたる漂泊の旅がここに始まる。〔・・・〕本巻は、生活の場としていた大唐のまほろば洛陽、長安を去り、蜀道の難所を越えて、成都の草堂で安らかな生活を手にする時期の作品を収載する」。

★『利休聞き書き「南方録 覚書」全訳注』は、『すらすら読める南方録』(講談社、2003年)が親本。文庫化にあたり、新たにまえがきとあとがきが付されています。帯文に曰く「利休が大成した茶法、茶禅一味の「わびの思想」を伝える基本の書」と。「南方録」は筑前福岡藩、黒田家家老の立花実山が、大阪・堺の南宗寺の南坊宗啓による利休からの聞き書きである秘伝書を「発見した」としていたもので、実際は実山の創作ではあるのですが、広く文献を渉猟研究したものとしてこんにちでも高く評価されている古典です。全7巻のうち「利休のわび茶を理解するうえでの入門」(学術文庫版まえがき)となる巻一「覚書」を現代語訳し懇切な解説を添えたのが本書です。底本は実山自筆書写本。巻七「滅後」の解説もできればよい、と筒井さんはまえがきに書かれており、これはぜひ実現を待ちたいところです。ちなみに筒井さんは「滅後」については現代語訳を『南方録(覚書・滅後)』(淡交社、2012年)で実現されています。なお「南方録」の現代語訳には、戸田勝久訳(『南方録』教育社新書、1981年、絶版)や、熊倉功夫訳(『現代語訳 南方録』中央公論新社、2009年)などがあります。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

路上のジャズ』中上健次著、中公文庫、2016年7月、本体900円、304頁、ISBN978-4-12-206270-2
最強の社会調査入門――これから質的調査をはじめる人のために』前田拓也・秋谷直矩・朴沙羅・木下衆編、ナカニシヤ出版、2016年7月、本体2,300円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7795-10793
『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア()』エマニュエル・トッド著、石崎晴己監訳、片桐友紀子・中野茂・東松秀雄・北垣潔訳、藤原書店、2016年6月、本体4,200円/4,800円、A5上製416頁/536頁、ISBN978-486578-072-7/ISBN978-4-86578-077-2

★中上健次『路上のジャズ』はまもなく発売。奥付前の編集付記によれば「本書は、著者のジャズと青春の日々をめぐるエッセイを独自に編集し、詩「JAZZ」、短篇小説「灰色のコカコーラ」、小野好恵によるインタビューおよび集英社文庫版『破壊せよ、とアイラーは言った』解説を合わせて収録したものである。中公文庫オリジナル」。ちなみに『破壊せよ、とアイラーは言った』(集英社文庫、1983年)はすでに絶版。中上のジャズ関連のエッセイや作品をまとめて読みたい読者には今回の新刊はうってつけの一冊かと思います。巻頭のエッセイ「野生の青春――「リラックスィン」」はマイルス・デイヴィスの1956年のアルバム「Relaxin'」をめぐる思い出。「野生の青春のすべてがここにある」(帯文より)という本書はデイヴィスやアイラーを聴きながら読みたい一冊です。18歳の時に執筆したという若さ溢れる処女小説「赤い儀式」は「アイラーの残したもの」というエッセイの中に挿入された「初出」のままのかたちで読めます。

★なお今月の中公文庫では上記新刊のほか、会田弘継『増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち』、水木しげる『水木しげるの戦場――従軍短篇集』、大岡昇平『ミンドロ島ふたたび』などが発売予定です。

★『最強の社会調査入門』はまもなく発売。本書のテーマは「面白くて、マネしたくなる」(まえがき)とのことで、社会調査の「極意を、失敗体験も含めて、16人の社会学者がお教え」(帯文より)するとのこと。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。社会調査のリアルな体験談が満載で、調査対象は様々でなおかつ特異ですが、それぞれに体当たりで挑んでいる様が分かります(本書に出てくる一例として、30歳前後で暴走族のパシリになるなど、なかなかできることではないように思います)。社会調査はジャーナリストや新聞記者などによる「取材」や「裏取り」に通じるものがあります。やや極端な話をすると、本書はユーチューバーになりたい人にとっても有益なはずです。ただし本書が教えるように「好きなものを研究対象にすることで、趣味の活動に差し障りが出たり、対象を嫌いになってしまうこともある」(東園子「好きなものの研究の方法」137頁)という言葉は「研究」を「仕事」に置き換えても真実であると感じます。なお、本書に関する「特設サイト」が開設されていますので、ご参照ください。

★トッド『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア(上・下)』は発売済。L'Origine des systèmes familiaux, tome I : L'Eurasie (Gallimard, 2011)の翻訳です。上巻では中国とその周縁部/日本/インド/東南アジアを扱い、下巻ではヨーロッパ/中東(古代・近年)を扱っています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。上巻巻頭の「日本語版への序文」で、トッドは以下のように述べています。「本書は、全く通常とは異なる、ほとんど逆の、とさえ言えそうな、人類の歴史の姿を提示するものである。ユーラシアの周縁部に位置する、現在最も先進的である国々、とりわけ西欧圏が、家族構造としては最も古代的〔アルカイック〕なものを持っているということを、示しているからである。発展の最終局面におけるヨーロッパ人の成功の一部は、そうした古代的な家族構造はかえって変化や進歩を促進し助長する体のものであり、彼らヨーロッパ人はそうした家族構造を保持してきた、ということに由来するのである。このような逆説は、日本と中国の関係の中にも見出される」(3頁)。

★そしてこうも述べています、「今後は家族システムの歴史のこうした新たな見方を踏まえた人類の社会・政治・宗教史の解釈を書くことが必要となるのだ」(同)と。また、下巻末尾の「第II巻に向けて――差し当たりの結論」にはこう書かれています。「本書第二巻は、その完成の暁には、人類の再統一〔再単一化〕を促進することになるだろう。監訳者の石崎さんは「訳者解説」で次のように評価されています。「「世界のすべての民族を単一の歴史の中に統合」しようとする試みは、発見と創見に満ちたダイナミックな知的冒険として展開しつつある。第二巻の完成が待たれるとともに、「家族システムの歴史のこうした新たな見方を踏まえた人類の社会・政治・宗教史の解釈」(序文)が掛かれることも、大いに期待したいものである」(838頁)。来たるべき第二巻は「L'Afrique, l'Amérique et l'Océanie」を扱うようです。
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by urag | 2016-07-17 00:47 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 14日

書評『倫理学研究』、寄稿『出版ニュース』

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関西倫理学会編『倫理学研究』第46号(晃洋書房、2016年)に、弊社2015年刊の阿部将伸『存在とロゴス』の書評「初期ハイデガーによるアリストテレス解釈の可能性と限界」が掲載されました(213~216頁)。評者は山本與志隆さんです。「本書の主張によって、少なくとも1924年/25年までの時期の、アリストテレスに取り組むハイデガー像は一新されたと言っても過言ではない。こうした研究が、阿部氏のような若手研究者の手によって生み出されたことは日本のハイデガー研究、ひいて哲学研究にとって極めて喜ばしいことである」と評していただきました。

一方、手前味噌で恐縮ですが、月3回発行の出版総合誌「出版ニュース」の2016年7月中旬号に、小田光雄さんの『出版状況クロニクルIV』(論創社、2016年)についての拙評を寄稿いたしました(24~25頁)。出版ニュース社の清田さんのご依頼により執筆したものです。小田さんが2013年に記した「カニバリズム的出店」について言及しています。複合書店チェーン最大手の戦略もしくは事情にとどまらず、そうした傾向は全国各地での大型書店の新規出店において、互いに商圏を食い合う熾烈な競争として立ち現われています。ほどなく閉店が伝えられる、紀伊國屋書店新宿南店(8月7日和書売場閉店)や、オリオンパピルス(7月31日)などから、まとまった返品や返品依頼が次々と舞い込み始めている今日この頃です。パルコブックセンター渋谷店(8月7日)からもいずれ依頼が入るものと予想しています。この三軒はいずれも日販帳合。まとまった返品が立て込むと売上が当然減るので、キツいです。
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by urag | 2016-07-14 14:18 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 10日

注目新刊:『考える人』第57号、ほか

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考える人 57号(2016年夏号)
新潮社 2016年7月 本体907円 B5判並製184頁 雑誌12305-08

★発売済。リニューアル第2弾となる57号のメイン特集は「谷川俊太郎」。夏季の二か月を過ごされるという北軽井沢の緑に囲まれた別荘はただただ美しく、うっとりさせます。養老孟司さんによる全国の森巡りを写真とエッセイで綴る新連載「森の残響を聴く」も素敵です。誌面からマイナスイオンが放出されているかのような山野のカラー写真の数々に郷愁をそそられます。これは仕事中に見ちゃいけないやつだ(『考える人』を鞄に入れて今すぐ旅に出たくなります)。

★前号に掲載された、山本貴光さんと吉川浩満さんによる対談「生き延びるための人文① 「知のサヴァイヴァル・キット」を更新せよ!」に続いて、今号では第2回となる「人文の「理想」と「現実」」が掲載されています(46~53頁)。見出し*と抜き書き#のみを拾っていくと次のようになります。

*「人文の危機」は、今に始まったことではない:科学偏重、実利重視――実は百年前からずっとピンチ
*社会で人文は求められているのか:「理想」の人材の中身はからっぽという、恐るべき「現実」
#姿勢は求めるけど、そのために必要なものは要らない――そもそも歴史と哲学を抜きに異文化を理解できるのか。
#事態は思ったよりねじれている。人文的なものは横領され、それがお守りとしてかえって有り難がられている。これが真の危機。
*「人文軽視」問題と取り組むために――国の違いを超えて通用する人材を育てる鍵は「知識」
*ままならない現実から出発する:汎用人工知能vs.身体――未知の状況のなかで役立つ知識を装備するために
#組織で個々人がどう生きるか、これ自体が人文的な課題。他者の立場を想像するにも、手がかりとなる経験や知識なしにはできない。

★国策や教育にとってだけでなく、出版社と書店の双方にとって重要な論点が提起されており、業界人必読かと思います。お二人の対談は今後も続いていくようで、これからもますます楽しみです。


呉越春秋――呉越興亡の歴史物語
趙曄著 佐藤武敏訳注
東洋文庫 2016年7月 本体2,900円 B6変判上製函入344頁 ISBN978-4-582-80873-5

★発売済。東洋文庫第873弾。帯文に曰く「本邦初の全訳注。中国古代、南方の呉と越の地に伝わる民間伝承を取り入れ、二国の興亡を語る著名な書物が、今ようやく日本語で読める! 呉の賢臣伍子胥(ごししょ)と、越王勾践の圧倒的な復讐譚」。中国春秋時代末の二つの国、呉と越の抗争と興亡を、後漢の趙曄が記した書で、今回の訳注書では原典上下巻を一冊にまとめています。上巻の内容は順番に、呉の太伯の伝記、呉王寿夢の伝記、王僚の伝記と公子光・伍子胥が王僚を殺した顛末、闔閭の伝記、夫差の伝記。下巻は、越王無余の伝記、勾践が呉の臣(どれい)となった伝え、勾践帰国後の決意。勾践の陰謀、勾践が呉を伐った次第と後日譚。

★有名な故事「臥薪嘗胆」の「嘗胆」についてのエピソードが、下巻第七「勾践入臣外伝」に記されています。曰く「越王が呉に復讐しようと思ったのは一朝一夕のことでなかった。身を苦しめ、心をいためることが日夜つづいた。ねむくなると、蓼〔たで〕をなめて目をさまし、足が寒いと、むしろ足を水に浸けた。冬はつねに氷をいだき、夏はまた火を握った。心に愁いをもち、志に苦しみをもった。また胆〔きも〕を戸に懸け、出入の折はこれを嘗め、口に絶やさなかった。深夜さめざめと泣き、泣いてはまた大声で叫んだ」(226頁)。嘗胆を記した前例には前漢の司馬遷『史記』巻四一があります。

★東洋文庫次回配本は8月、『エリュトラー海案内記2』とのことです。

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★このほか、ここしばらく取り上げることのできていなかった注目既刊書には以下のものがありました。

盗まれた廃墟――ポール・ド・マンのアメリカ』巽孝之著、彩流社、2016年5月、本体1,800円、四六判並製222頁、ISBN978-4-7791-7061-4
妄想と強迫――フランス世紀末短編集』エドゥアール・デュジャルダン著、萩原茂久訳、彩流社、2016年4月、本体2,000円、四六判上製184頁、ISBN978-4-7791-2227-9
エマソン詩選』ラルフ・ウォルドー・エマソン著、小田敦子・武田雅子・野田明・藤田佳子訳、未來社、2016年5月、本体2,400円、四六判並製246頁、ISBN978-4-624-93446-0
怪談おくのほそ道――現代語訳『芭蕉翁行脚怪談袋』』伊藤龍平訳・解説、国書刊行会、2016年5月、本体1,800円、四六判並製292頁、ISBN978-4-336-06011-2
カラダと生命――超時代ダンス論』笠井叡著、書肆山田、2016年2月、本体3200円、四六変判上製460頁、ISBN978-4-87995-933-1
透明迷宮』細江英公写真、笠井叡舞踏・文、平凡社、2016年2月、本体6,800円、A4変判上製筒函入80頁、ISBN978-4-582-27821-7

★巽孝之さんの『盗まれた廃墟』はシリーズ「フィギュール彩」の第58弾。日本人研究者によるド・マン論は、土田知則さんによる『ポール・ド・マン――言語の不可能性、倫理の可能性』(岩波書店、2012年)に続くもので、ド・マンの孫弟子にあたる巽さんならではの待望の一書です。「盗まれた廃墟 ――アウエルバッハ、ド・マン、パリッシュ」「水門直下の脱構築――ポー、ド・マン、ホフスタッター」「鬱蒼たる学府――アーレント、ド・マン、マッカーシー」「注釈としての三章――ワイルド、水村、ジョンソン」の四部構成。詳細目次は書名のリンク先をご覧ください。なお、法政大学出版局さんではド・マンの高弟バーバラ・ジョンソンの主著『批評的差異――読むことの現代的修辞に関する試論集』が、土田知則さんによる訳で今月(2016年7月)刊行予定だそうで、慶賀に堪えません。

★デュジャルダン(Édouard Dujardin, 1861-1949)の『妄想と強迫』は、短編集『Les Hantises』(初版1886年、第二版1897年)の翻訳。帯文に曰く「マラルメに賞賛され、ジェイムズ・ジョイスに影響を与えた、知られざる「内的独白」の原点。19世紀末フランス――妄想と強迫観念に追い詰められる精神を、怪才デュジャルダンが描く」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。宗利淳一さんによる不気味な装丁が目を惹く一冊です。デュジャルダンの訳書は、『内的独白について――その出現、起源、ジェイムズ・ジョイスの作品における位置』(鈴木幸夫・柳瀬尚紀訳、思潮社、1970年)や 『もう森へなんか行かない』(鈴木幸夫・柳瀬尚紀訳、都市出版社、1971年;原題『月桂樹は切られた』)以来絶えていたそうで、驚くばかりです。巻頭に掲げられた初版の序言が印象的です。「ただひとつ、想念だけが存在する。私たちが生きる世界は、私たちのありふれた作りものなのだ、がときおり、私たちは別の想念によって、別の世界に生きる」(3頁)。

★『エマソン詩選』はシリーズ「転換期を読む」の第26弾。エマソンほどの偉人であればその詩集もどこかの文庫でとっくの昔に当然刊行されて版を重ねているに違いない、と思いきやそうでなかったというのは意外でした。小田敦子さんによる巻末解説「エマソンの詩」によれば、「日本では大正時代にエマソンの詩の選集が出版されて以来、「吹雪」、「バッカス」など代表作が先週に収められることはあったが、今回はじめて翻訳された詩が多い」とのことです。国会図書館で調べると、『自然論――附・エマソン詩集』(中村詳一訳、越山堂、1920年)、『エマスン詩集』(中村詳一訳、聚英閣、1923年)などが目に付きますが、戦後は平凡社版『世界名詩集大成(11)アメリカ』(1959年)で『五月祭その他』の抄訳がエマソン以外の作家たちの作品とともに収録された程度です。ということはほとんど百年ぶりの訳詩選集の出版と言うべきなのかもしれません。

★なお未來社さんでは先月、「ポイエーシス叢書」第67弾として、佐々木力さんの『反原子力の自然哲学』が刊行されています。近年、一ノ瀬正樹さんの『放射能問題に立ち向かう哲学』(筑摩選書、2013年1月)や、佐藤嘉幸さんと田口卓臣さんの共著『脱原発の哲学』(人文書院、2016年2月)が出版されているのは周知の通りです。

★『怪談おくのほそ道』は、江戸後期に成立したという『芭蕉翁行脚怪談袋』の現代語訳に、鑑賞の手引きとなる各話解説を加えた一書です。底本は鶴岡市郷土資料館所蔵本とのことです。同作は芭蕉とその門人を主人公にした奇譚集で、作者は不詳。巻末解題によれば、同系統の作品である『芭蕉翁頭陀物語』や『俳諧水滸伝』などに比べても虚構性が強いとのことで、「従来の俳諧研究では取り上げられてこなかった」し「取り上げようがなかった」ろうとのこと。「史実の芭蕉は須磨明石(現・兵庫県)よりも西に足を運んでいない」けれども、本書での芭蕉は「西国諸国も訪れている」と。全二四話はいずれも興味深いですが、なかでも目に留まったのは、蕉門十哲の一人である各務支考が本を枕にして寝たところ悪夢にうなされたという第十七話「支考、門人杜支が方へいたること」です。夢からやっと解放された支考は枕にした本を見て「誰が書いたのかは知らないが、さだめし心が入っていたのだろう」(186頁)と呟きます。言霊ゆえに書霊も存在する、と言うべきでしょうか。

★笠井叡さんのエッセイ集『カラダと生命――超時代ダンス論』と笠井さんを撮った細江英公さんの写真集『透明迷宮』はいずれも二月刊行。前者は『カラダという書物』(書肆山田、2011年)に続く、シリーズ「りぶるどるしおる」からの一冊。帯文に曰く「混迷と変容の真只中に在る21世紀の人間──植物生命動物生命を摂取することで鉱物を体内に獲得する人間生命は、今や、悠久の鉱物生命の一環としてのみ在り得るのではないか」と。圧倒的な思考の奔流が、ダンス、アート、ポエトリー、ミソロジー、フィロソフィの諸領域を貫通してカラダから発出し、カラダへと還流していきます。『透明迷宮』で笠井さんは「人のカラダは音楽の結晶体だ」と書いておられます。また、「カラダの筋肉の内部は、コトバによって織られている。〔・・・〕内臓はコトバの織り物である。〔・・・〕コトバとカラダは一度も分離したことがない」とも。『カラダと生命』の最終章「単性生殖の時代」では「コトバの死滅」について論じられています。笠井さんがシュタイナー思想を掘り下げ続けておられる独自の営為というのは、日本現代史において特記すべきことです。
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by urag | 2016-07-10 17:07 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)