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2014年 08月 31日

注目新刊:ナンシー『思考の取引』岩波書店、など

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初期哲学論集
マックス・ホルクハイマー著 青柳雅文訳
こぶし書房 2014年8月 本体3,600円 4-6判上製328頁 ISBN978-4-87559-290-7

帯文より:ホルクハイマーがレーニンと出会う。若きホルクハイマーが、1920年代の思想的激動のただ中で格闘したゲシュタルト理論、現象学、唯物論(マルクス主義)。批判理論の萌芽をなす最初期の哲学論考と講義、そして青年期の苦悩を刻みこんだ哲学日記を収録する、初々しい論考集!

★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。アルフレート・シュミットとグンツェリン・シュミット・ネーア(ネルというカタカナ表記も過去にありました)が編者を務めるフィッシャー版ホルクハイマー全集第11巻「遺稿集 1914-1931」(1987年刊)より、1920年代に執筆された未刊草稿、講演原稿、書評、日記など10篇を抽出し収録しています。それぞれの冒頭に付された編者による「出版に際しての前書き」も訳出されており、さらに編者のアルフレート・シュミットが第11巻の巻末に寄せた論考「ホルクハイマーのレーニン受容」が付録として併載されています。なんと言っても目を惹くのは日記でしょうか。公刊を目的としたテクストではないため、ホルクハイマーの内省に一歩深く接近できるかもしれません。

★「覚えておくことのできる記憶の蓄えを量的に増やしたからといって、それだけで学習や仕事がはかどるのではない。古びた箱の中をいっぱいにしても、――その点ではむしろベルクソンのほうが正しい――認識は豊富にならない。古くならないこと――いつもまったく新しいものを見ること――、いつも異なる観点から問いを立てること――自分の見解に疑問を感じられること――、これこそ学ぶ者の姿勢なのだ」(1926年7月10日;本書253頁)。


怨霊とは何か――菅原道真・平将門・崇徳院
山田雄司著
中公新書 2014年8月 本体760円 新書判並製224頁 ISBN978-4-12-102281-3

カヴァーソデ紹介文より:怨霊とは死後に落ち着くところのない霊魂である。古来、日本では怨霊が憑依することによって、個人的な祟りにとどまらず、疫病や天変地異など社会に甚大な被害がもたらされると信じられてきた。三大怨霊と称される菅原道真、平将門、崇徳院は死後、いかに人々を恐怖に陥れたのか。そして、どのように鎮魂がなされたのか。霊魂の存在から説き起こし、怨霊の誕生とその終焉、さらに近代の霊魂文化まで概観する。

★発売済。副題にある通り、本書は菅原道真、平将門、崇徳院を『北野天神縁起』『将門記』『保元物語』などの文献をひもときつつ取り上げています。日本の三大怨霊の由来と変遷、その文化的背景が本書の論じる主題であり、慰霊と鎮魂の歴史が辿られています。著者の山田さんは三重大学人文学部教授で、日本中世史がご専門です。新書の書き下ろしは今回は初めてとのこと。今年は『忍者の教科書――新萬川集海』(監修、笠間書院、2014年2月)、『忍者文芸研究読本』(共編著、笠間書院、2014年5月)や、『怨霊・怪異・伊勢神宮』(思文閣出版、2014年5月)などを上梓されています。

★「怨霊のあり方は時代とともに変遷してきたが、日本人の心の中には、絶対的悪もなければ絶対的善もなく、その中で迫害を受けて死に追いやられた人は、時の社会情勢や力関係によりたまたま憂き目に遭ったのだという思いから、安住の地に赴けない霊魂が怨霊となって現世に祟って登場すると考えられていた。怨霊は人々の心が創り出したものであり、怨霊となる原因を作った側の人物にとっては、常に恐怖におびえて暮らすことを強いられるのであった。けれども、怨霊は単に恐ろしい存在であるだけでなく、怨霊を認識することによって、ある事態が一方的に進みすぎないようにバランスを保つ役割も果たしていたと指摘することができよう。われわれはさまざまな霊に取り囲まれて調和を保って暮らしてきた日本人のあり方をもう一度考える必要があるのではないだろうか」(200頁)。


◎作品社さんの新刊より

ジェレミー・スケイヒル『ブラックウォーター――世界最強の傭兵企業』益岡賢・塩山花子訳、作品社、2014年8月、本体3,400円、46判上製536頁、ISBN978-4-86182-496-8
ロジャー・E・バックハウス+ブラッドリー・W・ベイトマン『資本主義の革命家 ケインズ』西沢保監訳、栗林寛幸訳、作品社、2014年8月、本体2,400円、46判上製256頁、ISBN978-4-86182-493-7

★『ブラックウォーター』は発売済。原書は、Blackwater: The Rise of the World's Most Powerful Mercenary Army(Nation Books, 2007)で、2008年に改訂されたアップデート版の内容も反映させているとのことです。帯文に曰く「殺しのライセンスを持つ米の影の軍隊は、世界で何をやっているのか? イラク戦争での民間人の虐殺、アルカイダ幹部など反米分子の暗殺、シリア反体制派への軍事指導などの驚くべき実態、そして米の政財界の暗部との癒着を初めて暴き、世界に衝撃を与えた書!『NYタイムズ』年間ベストセラー」。ブラックウォーターは米海軍特殊部隊出身のエリック・プリンス(Erik D. Prince, 1969-)が1997年に創立したアメリカの民間軍事企業で、現在はアカデミと社名変更しています。その悪名高き活動の履歴を暴いて見せたのが本書で、ブラックウォーターに関する詳細情報としては日本で初めての書籍です。目下シリアでイスラム国(ISIS)に拘束されている日本人男性が国外限定のセキュリティサービスを謳う民間軍事会社(PMC)の最高経営責任者だと報じられていることもあり、そもそも民間軍事会社とは何なのかという関心が日本でも高まりつつあると思われるなか、非常にタイミングの良い出版ではないでしょうか。

★「戦争はビジネスであり、そのビジネスは極めて良好である。調査し、摘発し、起訴しなくてはならないのは、ブラックウォーターをはじめとする傭兵企業の行為だけではなく、この制度全体である。評判の悪い攻撃的な征服戦争から生じる、これらの傭兵「サービス」への際限のない需要に対して、強力な異議を唱えないならば、ブラックウォーターをはじめとする傭兵企業にとって怖れるものはほとんど何もない。ストリート風に言えば、奴らは売人で、政府は中毒者だ。これらの会社は、ただの腐った悪党ではなく、強い毒のある木の実である」(59頁)。

★P・W・シンガー『戦争請負会社』(NHK出版、2004年)、松本利秋『戦争民営化――10兆円ビジネスの全貌』(祥伝社新書、2005年)、ロルフ・ユッセラー『戦争サービス業――民間軍事会社が民主主義を蝕む』(日本経済評論社、2008年)、ソロモン・ヒューズ『対テロ戦争株式会社――「不安の政治」から営利をむさぼる企業』(河出書房新社、2008年)、スティーヴ・ファイナル『戦場の掟』(講談社、2009年)、安田純平『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』(集英社新書、2010年)、菅原出『民間軍事企業の内幕』(ちくま文庫、2010年;『外注される戦争――民間軍事会社の正体』〔草思社、2007年〕に新章「ブラックウォーター・スキャンダル」を増補し文庫化)など、ここ10年間で注目すべき関連書が続々と刊行されてきましたから、書店さんでもミニ・コーナーを作りやすいかもしれません。

★『資本主義の革命家 ケインズ』は発売済。原書は、Capitalist Revolutionary: John Maynard Keynes(Harvard University Press, 2011)です。帯文は以下の通り。「なぜ、ケインズは世界経済を救う“答え"であり続けるのか? ステレオタイプ化したケインズ解釈を超えて、ケインズの実像を提示。リーマン・ショック後のグローバル経済と経済入門の決定版。海外の書評で、絶賛。「経済思想の“革命家”ケインズをわかりやすく解説。ケインズのアイデアは、現在ますます重要」(エコノミスト誌)。「実に、タイムリーで刺激的なケインズ再評価の書」(ニューヨーカー誌)」。2008年のリーマン・ショックの直後に執筆されたという本書は、これまで幾度となく解釈され直してきたケインズが金融危機以後ふたたび注目されつつある今こそ、異なる視点から再読解することが必要であることを教えてくれます。

★「以下の各章で示すように、ケインズとケインズ主義は多元的であった。経済学者としてきわめて異例なことに、ケインズは学問、ジャーナリズム、政府、実業の世界をまたいで活躍した結果、彼をたんなる経済政策の立案者として、あるいは資本主義経済のしくみを支配する根本原理を探求したひとりの重要な経済理論家として片づけてしまうことはできない(そうすべきではない)。彼はこれらのいずれでもあったわけで、どちらか一方の像を除外すると全体像が歪んでしまうのである。さらに言えば、ケインズは資本主義の道徳的批判を行った哲学者でもあった」(15頁)。道徳哲学者としてのケインズについては本書第三章で論じられています。「それ自体(道徳的に)好ましくない社会と経済的破綻とのあいだのジレンマ」(未刊草稿より)を見つめて、資本主義を批判的に検証しつつも改善の余地がまだあるはずと考えたケインズの模索に迫っています。


◎岩波書店さんの新刊より

ジャン=リュック・ナンシー『思考の取引――書物と書店と』西宮かおり訳、岩波書店、2014年8月、本体1,900円、四六判上製88頁 ISBN978-4-00-025990-3
テリー・イーグルトン『文学とは何か――現代批評理論への招待(上)』大橋洋一訳、岩波文庫、2014年8月、本体840円、文庫判並製318頁、ISBN978-4-00-372041-7

★『思考の取引』は発売済。原書は、Sur le commerce des pensées: Du livre et de la librairie(Galilée, 2005)です。もともとはストラスブールの書店「ケ・デ・ブリュム」の創業20周年を記念して顧客に贈るために執筆依頼された書籍だったのが、挿絵を加えて刊行された新版を訳したのが本書です。訳書の帯文では柴田元幸さんが推薦文を寄せておられます。漆黒のカヴァーにオペークインクで刷られており、本文は余白をしっかり取った美しいレイアウトで、誰かにプレゼントしたくなる本です。装丁はサイトヲヒデユキさんによるもの。本書は書物と読書、書店、出版社をめぐる哲学的考察であり、業界人のみならず読者への素敵な贈り物となっていると思います。

★「読者のもとに来たるのは、一個の世界である。この世界は、彼がみずからのうちに宿らせている世界の複数性に混じりに来る。読書とは、複数世界の組んず解〔ほぐ〕れつであり、生滅のただなかにある宇宙進化論〔コスモゴニー〕であり、書物の内部での、また、書物とその時間の宇宙形状誌〔コスモグラフィー〕とのあいだにも生ずる、最初にして最後の合同の特徴を、ポテンシャル、指数、それに漸近線で描き出そうという試みなのだ」(38頁)。本書は難解であり、再読三読を必要とすると思いますが、ナンシー哲学のエッセンスが凝縮されている分、本書はナンシーの他の著作を読み解く糸口になりえます。

★『文学とは何か』上巻は発売済。全2巻で下巻は来月17日発売です。原書は、Literary Theory: An Introduction. 25th Anniversary Edition(Blackwell, 2008)です。同書の1983年初版の日本語訳は1985年に岩波書店から刊行され、1996年第2版の日本語訳は1997年に同じく岩波書店から新版として刊行されてきました。存命の海外思想家の学術的著作が岩波現代文庫ではなく岩波文庫になるというのは、あまり見かけないように思います。ついにイーグルトンが岩波文庫になる時代か、という感慨を覚えずにはいられません。イーグルトンは文庫という体裁で本屋を眺めてみても、平凡社ライブラリーから『イデオロギーとは何か』(大橋洋一訳)が1999年に刊行されているのを認めることができるだけです。文庫版『文学とは何か』では、巻頭に「記念版へのはしがき」という8頁強のテクストが加えられています。文学理論や批評理論がたいへん刺激的で先端的なものとして受け止められていた時代のベストセラーが、歴史的遺物や遺産という次元を超えて再び知を賦活しうること、理論の転倒的な潜在力をイーグルトンは認めていて、鋭敏な読者がそれを見抜くだろうと信じています。これを単なる自尊心と見るか、人間の知的創造力そのものへの信仰と見るかは読者の自由でしょうが、カヴァーに記されている通り本書を「20世紀の古典」として読むことは、まぎれもないひとつの知的経験たりえるはずです。


◎藤原書店さんの新刊より

ダニー・ラフェリエール『吾輩は日本作家である』立花英裕訳、藤原書店、2014年8月、本体2,400円、四六上製304頁、ISBN978-4-89434-982-7
ダニー・ラフェリエール『甘い漂流』小倉和子訳、藤原書店、本体2,800円、四六変型判上製328頁、ISBN978-4-89434-985-8

★『吾輩は日本作家である』および『甘い漂流』はいずれも発売済。前者はJe suis un écrivain japonais(Grasset & Fasquelle, 2008)、後者はChronique de la dérive douce(Grasset & Fasquelle, 2012)の翻訳です。ラフェリエールはハイチのジャーナリストでしたがカナダに亡命し、1985年に作家デビューを果たします。昨年はアカデミー・フランセーズに選出されました。日本語訳はいずれも藤原書店から刊行されており、『ハイチ震災日記――私のまわりのすべてが揺れる』(立花英裕訳、2011年)、『帰還の謎』(小倉一子訳、2011年)、『ニグロと疲れないでセックスする方法』(立花英裕訳、2012年)があります。『吾輩は日本作家である』は文学的ナショナリズムを手玉に取って軽やかに越境を試みている分、日本文化を小馬鹿にしているようにも、読者を無責任に挑発したいだけのようにも読めますが、そうした反応は作家には織り込み済みです。

★「私はただ、本を書くと言っただけだよ。そしたら、タイトルを教えてほしいと言うから、教えただけなんだ」「どんなタイトルなの?」「『吾輩は日本作家である』。でもタイトルだけだよ」「なに、それっ! やばいわよ、それっ。今ね、向こうじゃ、アイデンティティについて議論がすごく盛り上がっているのよ。そこへ、あなたが澄まし顔で、そんな本をもって現われたら、そりゃただじゃ済まないわよ」「本はないんだって。さっきからそう言ってるだろ」「ま、落ちつきなさいよ・・・むこうじゃね、まさにそれが問題になっているのよ・・・アイデンティティ問題で侃々諤々になるの」「アイデンティティなんて、そんなもの、くそくらえだ」「そんなこと言って、そんなタイトルの本を書くんだから・・・もうあなたってほんとに困った人ね・・・いったいどういうつもりなのよ?」「まさにそんな穴ぐらから出るためにやっているんじゃないか。国境なんて、そんなものないってね。文化ナショナリズムにはうんざりだ。私が日本作家になるのを止められるやつなんかいるものか。誰一人」(205-206頁)。

★一方『甘い漂流』は、1976年に母国ハイチからカナダ・モントリオールに逃れた23歳の黒人青年であった自身の一年間描いたもの。あたかも長編詩のような体裁が目を惹きます。もともと本書の1994年初版は「日々の出来事を一日一句、俳句を詠むように書いたもので、366篇の断章から成っていた」(訳者解説)ものが、2012年の新版では大幅に増補改訂され「一件自由死と見える部分と明らかな散文とが混在」(同)しています。これは訳者によれば、「フェリエールが敬愛し、親近感を抱いている旅の俳人、芭蕉の俳句と俳文の組み合わせを意識しているようにも思われる」とのことです。本書の巻頭には江戸前期の俳人、立花北枝の俳句が掲げられ、さらに「新しい町に到着したばかりの人へ」という著者の献辞が記載されています。本書の最後の方にはこんな一節があります。

★「故郷を離れて/別の国に行き、/劣った状態で/すなわち保護ネットなしで/故郷に戻ることもできずに/生活することは/人間の大冒険の/究極のものであるように思える。〔中略〕母親の/言葉ではない/言葉ですべてのことを/いわなければならない/それこそが旅というものだ」(305-307頁)。
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by urag | 2014-08-31 23:41 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 23日

注目新刊:ガザニガ『〈わたし〉はどこにあるのか』紀伊國屋書店、ほか

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〈わたし〉はどこにあるのか――ガザニガ脳科学講義
マイケル・S・ガザニガ著 藤井留美訳
紀伊國屋書店 2014年8月 本体2,000円 46判上製304頁 ISBN978-4-314-01121-1

帯文より:〈あなた〉を動かすものの正体。これまでの脳科学の歩みを振り返りつつ、自由意志と決定論、社会性と責任、倫理と法など、自身が直面してきた難題の現在と今後の展望を、認知神経科学の世界的権威が総括する。私たちは責任ある動作主だ――とはいえ、誰かが脳のなかにいて、判断を下し、レバーを引いていると感じることがある。いったい〈わたし〉の統括責任者は誰なのか? それは脳のなかのどこにあるのか? 英国スコットランドの伝統ある一般公開講座「ギフォード講義」で語られた内容をもとにまとめられた、認知神経科学の父とも言われるガザニガの集大成。

★まもなく発売。原書は、Who's in Charge?: Free Will and the Science of the Brain(Ecco, 2011)です。目次は書名のリンク先をご覧ください。2009年のギフォード講義「肉体を制約する精神の科学」をまとめた本書は、版元紹介文によれば「脳科学の足跡を辿りつつ、精神と脳の関係、自由意志と決定論、社会性と責任、法廷で使用されはじめた脳科学の成果の実態など」を論じたもの。特に原書副題にある「自由意志」が本書の議論の中核にあり、脳科学が従来のコギト(考える自分)やらその存在と時間と自由と倫理にまつわる哲学的基盤をことごとく崩していきかねない科学的知見の進歩がかいま見えてきます。左脳にあるインタープリター・モジュールの統合的機能によってもたらされた「自己=わたし」という幻影。意志を持つ単一の自己、そして、その自己の行動を自由に選択し決定する主体性。最新の脳科学によればこれらは脳の作用であるらしいのです。

★「脳が精神を存在させ、機能させているというのが最新の見解である。つまり「あなた」とは、中央指令センターを持たず、並列分散処理を行う脳なのである。「あなた」という装置に亡霊は入っていないし、謎の部分もない。あなたが誇りに思っている「あなた」自身は、脳のインタープリター・モジュールが紡ぎ出したストーリーだ。インタープリターは組みこめる範囲内であなたの行動を説明してくれるが、そこから外れたものは否定するか、合理的な解釈をこしらえる。/人間の機能性は自動的に発揮される。知覚も呼吸も、血球生成も消化も、それについて考えたりすることなく実行されている。〔・・・〕左半球のインタープリターがストーリーを紡ぐのも自動的なプロセスで、そこから後づけで統一感や目的の幻想が生まれる。ということは、私たちはただ尻馬に乗っているだけ? 自動操縦状態? 私たちの人生と、そこでの行動や思考は、すべて規定路線なのか? そんな・・・。だが脳の仕組みに関する知識を得た私たちは、自由意志を持つことの意味について、問いかけの枠組みそのものをつくりかえる必要がある」(136頁)。

★ガザニガは単純な決定論者ではありません。科学的知見を踏まえつつ、それでもなお「私たちは人間であって、脳ではないのだ」(272頁)という感覚を捨てていません。社会や他者との交わりのインターフェイスへの注視によって、責任や道徳をめぐる脳の進化は説明できるものの、それでも人間の社会的行動のすべてが解明されたわけではないと留保するのです。そのあくなき探究の姿勢は、手っ取り早く答えを欲しがる向きには面倒くさく見えるかもしれません。結局まだよく分かっていないんじゃないか、などと怒らずに探究の過程を順番通りになぞるのが本書の楽しみ方として妥当かと思います。今月は岩波書店さんからクリストフ・コッホ『意識をめぐる冒険』(土谷尚嗣・小畑史哉訳)も刊行されましたし、こうした本こそ人文書売場やビジネス書売場に深みとインパクトを与えるのではないかと想像します。今月ちょうど新書化された、中野信子さんの『脳はどこまでコントロールできるか?』(ベスト新書)が動いている本屋さんなら、その脇にコッホとガザニガをさりげなく置くのも良いかもしれませんね。


赤の書 テキスト版
C・G・ユング著 ソヌ・シャムダサーニ編 河合俊雄監訳 河合俊雄・田中康裕・高月玲子・猪股剛訳
創元社 2014年8月 本体4,500円 A5判並製688頁 ISBN978-4-422-11577-1

版元紹介文より:原寸大の美しく精密な複写が収録された『赤の書』原版が公刊されて5年。以来、より詳細な研究のために、持ち運びに適したテキスト版の刊行を求める声が高まっていた。本書はそうした要望に応え、手頃な大きさと価格で『赤の書』を提供しようとするものである。原版のテキスト、序論、注釈はそのままに、より読書に適した形に本文レイアウトを変更し、携帯可能なサイズにまとめた。ユング理解に欠かせない最重要テキストにじっくり向き合いたい読者にとって必須の一冊。

★発売済。目次は書名のリンク先をご覧ください。原書は、The Red Book: A Reader's Edition(Norton & Company, 2012)です。ドイツ語原文のテキスト版は未刊ですが(英訳版と日本語版しかまだ存在しないようです)、英訳から重訳したものではなく、本の体裁を英訳版に倣ったかたちです。親本はフルカラーの図版付きの大型判で、4年前に刊行されました。4万円を超える豪華本でしたから、約10分の1の値段で発売された今回のテキスト版は図版がないとはいえ、待ち望まれていたものだと思います。私自身そうなのですが、親本は汚すのがもったいなくて頻繁にはひもとかなくなっているのではないでしょうか。テキスト版の刊行にあたって、冒頭にC・G・ユング著作財団のウルリッヒ・ヘルニィさんによる「テキスト版への序」と、巻末に河合俊雄さんによる「テキスト版への監訳者あとがき」が付されています。さらにシャムダサーニさんによる序論および編集ノートのあとには無記名で「テキスト版への付記」と「邦訳テキスト版への付記」が新たに加えられていますが、これは内容的に見て前者がシャムダサーニさんら英語訳版の編集サイドの付記で、後者は日本語版の監訳者サイドで本書の構成について特記したものだろうと思います。いずれ将来的に、カラー図版をも収録した廉価版というのも市場のニーズに応じて出版されるかもしれませんけれども、それまでこのテキスト版を存分に活用しておきたいと思います。


◎平凡社さんの新刊より

井上順孝編『21世紀の宗教研究――脳科学・進化生物学と宗教学の接点』平凡社、2014年8月、本体2,400円、4-6判上製216頁、ISBN978-4-582-70330-6 
樋口広芳『日本の鳥の世界』平凡社、2014年8月、本体3,000円、B5判並製152頁、ISBN978-4-582-52735-3

★『21世紀の宗教研究』はまもなく発売。「サイエンスで宗教はどこまで理解できるのか。進化生物学、比較神話学、脳神経科学の成果を用いて「信じる心」の起原に迫る、最新の宗教研究」と帯に謳われています。収録されているのは、「宗教研究の新しいフォーメーション」(井上順孝:国学院大学教授)、「神話の「出アフリカ」――比較神話学が探る神話のはじまり」(マイケル・ヴィツェル:ハーヴァード大学教授)、「進化生物学から見た宗教的概念の心的基盤」(長谷川眞理子:総合研究大学院大学教授)、「脳神経科学と宗教研究ネットワークの行方」(芦名定道:京都大学教授)、の合計4本の論考です。もともとは日本宗教学会の第72回学術大会の第1日目(2013年9月6日)に國學院大學渋谷キャンパスで行われた公開学術講演会「ネットワークする宗教研究」でのヴィツェル、長谷川、芦名の三氏の講演が元になっており、それらが加筆訂正されて掲載され、さらに司会者の井上さんがまとめ役として一番長い書き下ろしを寄せておられます。芦名さんの発表では社会脳(ソーシャル・ブレインズ)と宗教の関係が取り上げられており、今回ご紹介している上述のガザニガの新刊や、後述のシュタイナーの新刊の議論と交差する視点を得ることができると思います。

★『日本の鳥の世界』はまもなく発売。帯文に曰く「日本の多様な環境に生きる鳥たちについて学ぶことができる最良の本。美しい写真とともに鳥の生活をめぐる様々な話題を紹介」。2014年8月18日(月)から8月24日(日)まで、池袋の立教大学で行われている第26回国際鳥類学会議(IOC2014)の開催記念出版でもあります。IOCは130年もの歴史を持つ国際会議です。まもなく本書本文の全英訳が平凡社さんのウェブサイトからダウンロード可能になるようです。紙媒体の方は美しいカラー写真が満載です。個人的にツボだったのはミゾゴイやヨシゴイの写真。顔を真正面から撮っているのでまるで別の謎の生物に見えてしまうんですね。記事では、特にハシブトガラスの生態の紹介が興味深いです。ゴミ漁りだけでなく、線路への置き石や、ロウソクを盗んだ放火など、習性や理由などがバッチリ写真付きで解説されています。カラスの「知恵」には本当に驚かされます。


◎水声社さんの新刊より

ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーが協会と自由大学に託したこと』入間カイ訳、水声社、2014年8月、本体3,500円、四六判上製287頁、ISBN978-4-8010-0055-1
パウル・マッカイ『アントロポゾフィー協会の進化について』入間カイ訳、水声社、2014年8月、本体2,500円、四六判上製167頁、ISBN978-4-8010-0054-4
エリック・ファーユ『わたしは灯台守』松田浩則訳、水声社、2014年8月、本体2,500円、四六判上製256頁、ISBN978-4-8010-0053-7
フリオ・コルタサル『八面体』寺尾隆吉訳、水声社、2014年8月、本体2,200円、四六判上製240頁、ISBN978-4-89176-955-0
熊木淳『アントナン・アルトー 自我の変容――〈思考の不可能性〉から〈詩への反抗〉へ』水声社、2014年8月、本体5,000円、A5判上製368頁、ISBN978-4-8010-0052-0

★『シュタイナーが協会と自由大学に託したこと』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきの言葉を借りると本書は「シュタイナーが晩年に書き綴った「アントロポゾフィー協会」と「精神科学自由大学」についての手紙、箴言、講演」を一冊にまとめたものです。第一部「協会員への手紙」は、ゲーテアヌムが発行する週刊紙『ダス・ゲーテアヌム』に折り込まれた「協会員のための通信」に毎週掲載されたもので、1923年「クリスマス会議」において従来のアントロポゾフィー協会に代わり「普遍アントロポゾフィー協会」を発足させた経緯や基本的構想が紹介されています。第二部「精神科学自由大学について」は、アントロポゾフィー(人智学)の深化と教育を目的とした自由大学について、入会希望者にその基本的構想と課題を語った講演等が収録されています。さらに付録として「アントロポゾフィー指導原理」の第1項から第78項まで併録しています。クリスマス会議においてシュタイナーは「考えられる限り深い秘教性と、もっとも広い公共性をひとつにつなぐこと」が課題だと話したと言います。この連結こそ宗教の普遍的駆動原理の一つではないかと思われます。シュタイナーを一度も読んだことがない方にとっても、興味深い内容に違いありません。

★『アントロポゾフィー協会の進化について』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者は銀行家としてのキャリアを持ち、普遍アントロポゾフィー協会の理事やゲーテアヌム精神科学自由大学の社会部門代表を務められています。彼の二冊の講演録『秘教性と公共性――アントロポゾフィー協会の「明らかなる秘密」について』(1999年)と『ミカエル共同体としてのアントロポソフィー協会――礎石のことばにおける「私たち」について』(2002年)を全訳合本したのが本書です。巻頭には、自由大学に留学された経験をお持ちで建築論の観点からシュタイナーを研究された複数の著書がある東海大学工学部建築学科教授、上松佑二さんが「まえがき」を寄せておられます。「シュタイナーの多くの講演集が日本語に訳されている今日、「アントロポゾフィー協会」に関するものは少ないので、本書は大変貴重な訳業です」とコメントされています。『ミカエル共同体~』には付録として、クリスマス会議におけるシュタイナーの締め括りの言葉である「礎石のことば」と、上松さん訳によるシュタイナーの「定礎の言葉」(これは上述の『シュタイナーが協会と自由大学に託したこと』には入間さん訳で収録されています)、そしてシュタイナーの黒板絵からの抜粋「黒板に書かれたリズム」が収録されています。

★『わたしは灯台守』は8月27日発売予定。シリーズ「フィクションの楽しみ」の最新刊です。原書は、Je suis le gardien du phare(José Corti, 1997)で、著者のフィクション作品では三冊目です。刊行の翌年にドゥ・マゴ賞を受賞しています。「列車が走っている間に」「六時十八分の風」「国境」「地獄の入り口からの知らせ」「セイレーンの眠る浜辺」「ノスタルジー売り」「最後の」「越冬館」「わたしは灯台守」といった合計9つの短篇と中篇が収録されています。帯文に曰く「世界から隔絶された男の魂の叫びと囁きを、陰鬱でありながらユーモラスに綴る表題作をはじめ、不条理で幻想的、ときには切なくノスタルジックな珠玉」を集めたものです。いずれも印象的な作品ですが、個人的な感想からひとつだけ上げると「国境」と題された作品では、境界は水平にあちらとこちらを隔てているのではなく、垂直にそびえたって階層化し旅人を厳しく拒みます。果てのないこの徒労感はどこか、カフカの世界に似ています。つまり、誰しもが人生で体験しうる悪夢のような現実が、そこには象徴となって表れているように思います。

★『八面体』は8月27日発売予定。シリーズ「フィクションのエル・ドラード」の最新刊です。『八面体 Octaedro』(1974年)に収められた8篇の短篇「リリアナが泣く」「手掛かりを辿ると」「ポケットに残された手記」「夏」「そこ、でも、どこ、どんなふうに」「キントベルクという名の町」「セベロの諸段階」「黒猫の首」の全訳に加え、『最終ラウンド Último Round』(1969年)から3篇「シルビア」「旅路」「昼寝」、さらに同書から実践的な短篇小説論「短篇小説とその周辺」を付録として訳出されています。「短篇小説とその周辺」は上記シリーズの今年2月の既刊書『対岸』の付録「短編小説の諸相」の続篇とも言えるエッセイだそうです。「別次元に投げ出された子供たち〔作家にとっての自分の作品〕は、逆説的な言い方だが、そこで普遍的な存在を獲得するとともに、ストローからシャボン玉を吹き飛ばし終えた語り手の及び知らぬ、河の向こう側へ到達する。あらゆる短編小説の傑作、とりわけ幻想的作品が神経症の産物であり〔・・・〕書くという作家に許された唯一の解決策で悪魔払いをしているかのようだ」(215頁)。今年は著者フリオ・コルタサルの生誕百周年にあたり、記念シンポジウムが2014年9月15日(月)14:00からセルバンテス文化センター東京の地下1階オーディトリアムで開催されます。本書の訳者である寺尾さんも登壇されるとのことです。入場無料。こちらのサイトから予約を入れる必要があります。

★『アントナン・アルトー 自我の変容』は8月28日発売予定。著者の熊木さんは1975年生まれで、現在早稲田大学等で非常勤講師を務めておられます。本書の目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文にはこうあります。「明晰なる狂気のストラテジー、系譜なき〈場〉の詩学。テクスト/俳優、父/子、思考/言葉……〈前のもの〉による〈後のもの〉への支配を自身の〈病〉として引き受けたアントナン・アルトー。初期の書簡から演劇論、そして晩年の思考までをつらぬくものは、先立つ〈起源〉への徹底的な反抗であった。あらゆる系譜を逆転させる戦略的な視点から現代詩への影響を論じた最もアクチュアルなアルトー読解」。日本人によるアルトー研究は論文単位ではともかく一般発売されている書籍単位ではとても少なく、鈴木創士さんの『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社、1995年;現代思潮新社、2007年)や、宇野邦一さんの『アルトー――思考と身体』(白水社、1997年;新装復刊、2011年)くらいしかありません。熊木さんの第一作となる本書は「診断と治療」「残酷の変容」「詩への反抗」の3部構成で、それぞれおおよそアルトーの20年代、30年代、40年代の活動に対応しています。「アルトーの思想の変遷は一言でいえば、自我の肥大であるということができる。しかしこの肥大は時間空間的な位置のずれを同時に引き起こすのである。アルトーにとっては原則として「今ここ」しか存在しない。しかしそこから自我が彼岸や過去、未来などをでっち上げることができるのだ。〔・・・〕彼の自我の肥大は自我そのものの幻想性に対する強い意識のもとでなされたものであり、それは彼の思想的な戦略でもあったのだ」(304頁)と熊木さんは分析されています。
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by urag | 2014-08-23 18:14 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 19日

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる予定の本屋さん

2014年9月12日(金)リニューアルオープン
未来屋書店八事店:図書185坪
愛知県名古屋市昭和区広路町石坂2-1 イオン八事 4F
日販帳合。弊社への御発注は写真集1点。八事(やごと)店は2009年10月にオープン。今回のリニューアルは、未来屋書店の羽牟秀幸社長と名古屋日販の林紀夫支店長の連名の挨拶状によれば、「未来屋書店の中心戦略である「GG」世代へのアプローチを実現する店舗として」、「多彩な趣味や教養を提案する「オトナラウンジ」をメインに、「GG」世代をはじめとする多くのお客様に指示される店舗を目指」す、とのことです。この、当たり前のように使用されている「GG」世代ですが、55歳以上のシニア層「グランド・ジェネレーション」を意味しており、小山薫堂さんが提起したものだそうで、イオン系列ではすでに「G.G感謝デー」なるものが毎月15日に設定されています。GG世代ですか・・・確かに若い世代よりかはお金を持っているかもしれませんし、読書家も相対的には多いかもしれません。ただ、55歳以上という括りはかなり大雑把過ぎる気がします。GG世代へのアプローチについてもう少し具体的にご構想が聞けたらよかったのですが。

++++

一方、閉店情報です。リブロ宇都宮南店さんが6月30日で閉店されました。宇都宮市内ですと、弊社の本は、喜久屋書店宇都宮店さんや、くまざわ書店宇都宮店さんなどでお世話になることがあります。栃木県下で見ても、このほかは時折、鹿沼市のブックマート興文堂さんや、小山市の進駸堂中久喜本店さんにお世話になるくらいで、弊社の本をほぼ網羅的に扱っていただいている書店さんは県内にはありません。
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by urag | 2014-08-19 15:01 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 18日

パブリシティ情報:『戦争の教室』『デリダと文学』、ほか

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弊社の今月新刊、『戦争の教室』が2014年08月15日早朝のTBSラジオ番組「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」で取り上げられました。インターネット書評サイトHONZ副代表で書評家の東えりかさんが電話で生出演し、5分余にわたって内容を詳しく紹介して下さいました。お盆明けの本日からひんぱんに客注のお電話を書店さんや取次さん、図書館さんよりいただいております。在庫にはまだ余裕がありますので、順次出荷いたします。

また、弊社6月刊のニコラス・ロイル『デリダと文学』の書評「巣穴の底で夢見るデリダ――刺激的な読みの実戦」が「週刊読書人」2014年8月8日号に掲載されました。評者は郷原佳以さんです。「〔少数の例外を除いて文学研究の枠組みでのデリダ読解が立ち遅れている〕日本のデリダ受容の状況に風穴を開けてくれる格好の論集である」。「本書によれば、小説好きこそデリダを読むべきなのだ」と評していただきました。郷原先生、ありがとうございました。

続いて、弊社出版物の著訳者の皆さんのご活躍をご紹介します。

★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『瀆神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
今月、ジョルジュ・ソレル(Georges Sorel, 1847-1922)の論考三篇を収めた共訳書『プロレタリアートの理論のために――マルクス主義批判論集』を未來社さんのシリーズ「転換期を読む」の第23弾として上梓されました。上村忠男訳「労働組合の社会主義的将来〔"L'avenir socialiste des syndicats," L'humanité nouvelle, II (1898)〕」、竹下和亮訳「マルクス主義の分解〔La décomposition du marxisme (Paris, Marcel Rivière, 1908)〕」、金山準訳「『プロレタリアートの理論のための素材』へのまえがき〔"Avant-propos," in: Matériaux d'une théorie du prolétariat (Paris, Marcel Rivière, 1919)〕」の三篇を収め、上村さんが解説「ソレルとマルクス主義」を執筆されています。

プロレタリアートの理論のために――マルクス主義批判論集
ジョルジュ・ソレル著 上村忠男・竹下和亮・金山準訳
未來社 2014年8月 本体2,800円 四六判並製240頁 ISBN978-4-624-93443-9

帯文より:19世紀末~20世紀初め、フランスのサンディカリストたちが推進する総罷業をはじめとする実践活動に社会主義の新たな可能性を見いだしたソレルは、教条主義的なマルクス主義者たちと一線を画しながら、独自に理論化を進めていく――。革命的サンディカリズムに接近して以降の著作群のうち3篇を訳出。日本語版独自論集。


★鵜飼哲さん(共訳:ジュネ『公然たる敵』)
八戸市美術館で2014年8月22日から9月15日にかけて開催される展覧会「矢野静明――種差 enclave」に連動したイヴェントで、8月23日(土)15:00~15:40にレクチャー「ジャンの墓・ジャッキーの墓(仮)」を担当されます。ジャンというのはジャン・ジュネ、ジャッキーというのはジャック・デリダのことかと思います。鵜飼さんはこのレクチャーのあとに行われるトークセッションや、前日と翌日に行われるトークセッションにも登壇されます。市民アートサポートICANOFが主催するこの企画展の詳細についてはこちらをご覧ください。


★ジャック・デリダさん(著書:『条件なき大学』)
ロイル『デリダと文学』に収録されている来日講演でも言及されている動物論『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』が9月26日発売で筑摩書房さんから刊行されるようです。e-honの予約紹介ページによれば「聖書の解読やデカルトやラカンの検討を経て、多岐にわたるテーマと横断し人間と動物の境界をさぐる晩年デリダの論考四篇」と。さらに、仄聞するところによると『獣と主権者』第1巻、『哲学への権利』上巻の翻訳が進んでいるとか。弊社でも80年代の重要論文「スクリブル」の翻訳作業が進んでいます。


★馬場智一さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
★渡名喜庸哲さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
★宮﨑裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』)
★西山雄二さん(訳書:デリダ『条件なき大学』、共訳:『ブランショ政治論集』)
さ来月中旬に早大文学部キャンパスで行われるワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス」で発表者や司会者をお務めになられます。

◎ワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス

日時:2014年10月11日(土)10.00-18.00
場所:早稲田大学戸山キャンパス(文学部)33号館第一会議室
主催:脱構築研究会、ハイデガー研究会、レヴィナス研究会

内容:1964年、若きデリダは高等師範学校にて講義「ハイデガー――存在の問いと歴史」を実施し、レヴィナス論「暴力と形而上学」を発表し、彼らとの哲学的対話を深化させていた。それから半世紀経った今年、デリダの没後10年に際して、これら三人の思想家に関するワークショップを脱構築研究会、ハイデガー研究会、レヴィナス研究会の共同主催で開催する。

第1部「ハイデガー×デリダ」10:00-12:00 司会:齋藤元紀(高千穂大学)
川口茂雄(青山学院大学)「前代未聞、音声中心主義」
峰尾公也(早稲田大学)「ハイデガー、デリダ、現前性の形而上学――その批判の解明」
亀井大輔(立命館大学)「自己触発と自己伝承――デリダの『ハイデガー』講義をめぐって」

第2部「レヴィナス×デリダ」13:00-15:00 司会:藤岡俊博(滋賀大学)
馬場智一(長野県短期大学)「融即から分離へ――ハイデガー講義『哲学入門』(一九二八~二九年)の聴講者レヴィナス」
小手川正二郎(國學院大學)「暴力と言語と形而上学――「暴力」をめぐるレヴィナスとデリダの対決」
渡名喜庸哲(慶応義塾大学)「デリダはレヴィナス化したのか」

第3部「全体討論 デリダ×ハイデガー×レヴィナス」15:30-18:00 司会:西山雄二(首都大学東京)
藤本一勇(早稲田大学)、宮﨑裕助(新潟大学)、齋藤元紀(高千穂大学)、藤岡俊博(滋賀大学)
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by urag | 2014-08-18 14:29 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 17日

注目新刊:『日亜対訳 クルアーン』作品社、ほか

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日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解
中田考監修 中田香織・下村佳州紀訳 黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集
作品社 2014年8月 本体4,800円 A5判上製788頁 ISBN 978-4-86182-471-5

帯文より:イスラームの聖典を正統派の最新学知で翻訳。【本書の三大特徴】正統10伝承の異伝を全て訳す、という、世界初唯一の翻訳。スンナ派イスラームの権威ある正統的な解釈に立脚する本格的翻訳。伝統ある古典と最新の学知に基づく注釈書を参照し、教義として正統であるだけでなく、アラビア語文法の厳密な分析に基づく翻訳。

推薦文(内田樹氏):「モロッコからインドネシアまで拡がり、人口16億人を擁するイスラム共同体を理解することなしには21世紀の国際社会の見通しを立てることはもうできなくなった。これから私たちは『クルアーン』を必須のレフェランスとして座右に置かなければならない。」

★発売済。日本語-アラビア語の対照新訳です。スンナ派が正統と認めるクルアーンの十通りの読誦法「正統十読誦注解」(松山洋平訳著)が付され、巻末には索引もあります。本書はまずパイロット版『訳解クルアーン』が2011年3月に黎明イスラーム学術・文化振興会より刊行され関係者に配布されましたが、このたび一般発売が叶い、私たちも読めるようになりました。イスラームへの理解がますます必要になっている現代社会への大きな贈り物ではないでしょうか。

★これまでの代表的な既訳には、井筒俊彦訳『コーラン』(岩波文庫、1957-1958年)、藤本勝次・伴康哉・池田修訳『コーラン』(中央公論社『世界の名著15』、1973年;中公バックス『世界の名著17』、1979年;中公クラシックス、全2巻、2002年)、三田了一 訳・注解『聖クルアーン 日亜対訳・注解』(日本ムスリム協会、1983年)などがあります。今回の新訳の方針として「アラビア語の原文に可能な限り忠実に逐語的に訳すことと、邦訳の本文だけを読んでも意味が通る読み易い訳」を心がけたとのことです。

★周知の通り作品社さんではヘーゲル、カント、ハイデガーの新訳を手掛けられてきただけでなく、田川建三さんによる新約聖書の新訳を刊行中です。今回はさらにクルアーンの新訳ということで、時代が要請する古典や聖典の新訳を着実に進めておられます。新訳を監修された中田さんは推薦文を寄せられた内田樹さんとの共著『一神教と国家――イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書、2014年2月)があるほか、『正典としてのクルアーン――ヘブライ語聖書・新約との比較分析』(ムスリム新聞社、2007年)、『イスラームのロジック――アッラーフから原理主義まで』(講談社選書メチエ、2001年)などの著書を上梓されています。


新版 アリストテレス全集(3)トポス論/ソフィスト的論駁について
山口義久/納富信留訳
岩波書店 2014年7月 本体5,800円 A5判上製函入542頁 ISBN978-4-00-092773-4

版元紹介文より:ソクラテスとプラトン以来の哲学的方法である「ディアレクティケー」(問答法)を理論的に整備し、討論での特定の言明への賛否を論証する方法を論じた『トポス論』。誤謬推論を系統的に述べ、現代の「批判的思考」の核となる『ソフィスト的論駁について』。両著作はアリストテレスの思想形成を考えるための重要資料である。

★発売済。新訳全集第5回配本です。2月発売第3回配本の時点では本書は第4回配本予定でしたが、第13巻『問題集』(丸橋裕・土屋睦廣・坂下浩司訳、岩波書店、2014年6月)と順番が入れ替わりました。「トポス論」は山口義久訳、「ソフィスト的論駁について」は納富信留訳です。これらは岩波版旧訳全集では第2巻に収録されており、「トピカ」村治能就訳、「詭弁論駁論」宮内璋訳でした。ちなみに現在入手可能な「トポス論」の既訳には、池田康男訳『トピカ』(京都大学学術出版会「西洋古典叢書」第IV期第2回配本、2007年)があります。今回の配本の「月報5」は、清水哲郎さんによる「状況に向かう姿勢と状況把握――アリストテレス的行動分析から臨床現場へ」と、伊勢田哲治さんによる「クリティカルシンキングの系譜」が掲載されています。なおご紹介しそびれた前回配本『トポス論』付属の「月報4」に掲載されていたのは、酒井建雄さんの「人体を理解することが問題だ」と、中務哲郎さんの「感覚理論とギリシア語表現」でした。

★第1回配本の『カテゴリー論/命題論』と今回の『トポス論/ソフィスト的論駁について』、そして現在は未刊である第2巻の『分析論前書/分析論後書』が出版されればアリストテレス哲学を学ぶ上での基礎となるいわゆる「オルガノン」が新訳全集で出揃うことになります。『トポス論/ソフィスト的論駁について』は現代社会に生きるビジネスパーソンにも有効な議論が展開されています。会議や討論において屁理屈や水掛論に終始しないための教養を身につけるための一巻であると言っても極論ではありません。次回配本は8月27日は第15巻『ニコマコス倫理学』です。

★岩波書店さんの今月の新刊には、19日発売予定のテリー・イーグルトン『文学とは何か (上)』(大橋洋一訳、岩波文庫、2014年8月)、26日発売予定のジャン=リュック・ナンシー『思考の取引――書物と書店と』(西宮かおり訳、岩波書店、2014年8月)などがあります。特に後者は業界人にとって楽しみですね。書店員の皆さんと一緒に読みたい本です。


神学大全(
トマス・アクィナス著 山田晶訳
中公クラシックス 2014年7月 本体各1,950円 新書判並製416頁/444頁 ISBN978-4-12-160148-3/160149-0

帯文(上巻)より:「神は存在するか」と問われトマスは頷く。その「聖なる教」の意義と価値、信仰と理性の統合。
帯文(下巻)より:「神はどう認識されるか」、その問いにトマスは〈存在〉の形而上学から答えて神の本質を語る。

版元紹介文より:西洋中世の精神世界に聳立した「聖なる教」。「神」とは何か。存在するのか。神を巡るさまざまな回廊を最大のスコラ哲学者トマスが先導しながら遺した畢生の大作。「神」とは何であるか。何でないか。神は被造物にどういう方法で認識されるのか。また、「神の知」とは何か。神を知り、その意義を語るトマスの「存在」の思想。

★発売済。『世界の名著(続5)トマス・アクィナス』(中央公論社、1975年)からのスイッチです。凡例によれば、親本で省略された第16問「真理について」の新訳および訳註を京大の川添信介教授が担当されています。川添さんは本文や註の補完や訂正も担当され、さらに巻頭の解説「『神学大全』 西洋哲学への最良の入門書」(5-33頁)も寄稿されています(親本にあった山田さんの巻頭解説「聖トマス・アクィナスと『神学大全』」は収録されていません)。さらにそれぞれの巻末には「本書を読み終えたら」と題された同じ内容のブックガイドが付されており、聖トマスの既訳本や入門書、研究書、関連書が紹介されています。

★聖トマスの著作の訳書は手頃なものでは岩波文庫の2点、『形而上学叙説――有と本質とに就いて』(高桑純夫訳、1935年)や『君主の統治について――謹んでキプロス王に捧げる』(柴田平三郎訳、2009年)くらいしかありませんでしたから、中公クラシックスに『神学大全』が入ったのはとても意義深いと思います。関連書では先月、エティエンヌ・ジルソンの晩年作『キリスト教哲学入門――聖トマス・アクィナスをめぐって』(山内志朗監訳、松本鉄平訳、慶應義塾大学出版会、2014年7月)が刊行されています。同出版会では来月、山本芳久さんによる『トマス・アクィナス 肯定の哲学』を発売予定だそうです。


神曲 天国篇
ダンテ・アリギエリ著 原基晶訳
講談社学術文庫 2018年8月 本体1,480円 A6判並製672頁 ISBN978-4-06-292244-9

版元紹介文より:神の力が横溢する天国でのダンテの神秘体験。天国でダンテは、ベアトリーチェに代わる聖ベルナールの案内によりついに神を見る。そして神との合一を果たし、三位一体の神秘を直観して、三界をめぐる旅は終わる。

★発売済。ついに完結です。人生の大半をこの翻訳に費やしたという訳者の努力にはただただ頭が下がります。ダンテによる天国の描写は圧倒的で神々しく、神とのコンタクトはそれ自体が哲学的です。特に私が好きなのは次のくだりです。「おお、あふれるほどの恩寵よ、そのおかげで私は尊大にも/永遠の光の中に視線を打ち込んだのだ、/そこで我が視力の限りを尽くしきるまで。/その深淵の中に私は見た、/宇宙全体に散り散りになって散逸している紙片が、愛によってただ一冊の書物に綴じられ、収められているのを。」(第三十三歌、500頁)。愛による全世界の結合=製本、などと言い換えると陳腐になりますが、この美しいヴィジョンを私は一出版人として切実なまでに、胸に抱いていたいと感じます。

★訳注と解説によって抽象的な表現も理解しやすくなっており、これまでの訳書では得られなかった表現の奥行きを感じることができるのではないかと思います。一方で自己流に解釈したい読者もおられると思うので、そうした方々はほかの訳書も手に取ってみるのもいいかもしれません。以前書いた通り、現在『神曲』は入手可能な文庫版だけでも岩波文庫、集英社文庫、河出文庫、角川ソフィア文庫、そして講談社学術文庫と5種類も併存しています。これは実際、驚くほど恵まれた時代と言わざるをえません。紙媒体のエディションは、今この時が頂点なのかもしれないのです。


必然的にばらばらなものが生まれてくる
田中功起著
武蔵野美術大学出版局 2014年9月 本体3,000円 A5判変型上製288頁 ISBN978-4-86463-018-4

帯文より:言ってみれば前衛美術史の構造そのものというか、ひとつ前の定義されたものを疑い、再定義し直し、芸術とは何かをそのつど見出していくことが「アヴァンギャルド」の教科書的な見方ですが、こうしたコンテンポラリー・アートに充填されている思考は、「自分の場所を疑う」というぼく自身の態度に親和性があります。

版元紹介文より:いまこの時代に「つくること」の意味を記録し続ける田中の作品に出逢う時、あなたは何を思うだろう。第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013)日本館代表アーティストとして特別表彰を受賞した田中功起の本。ヴェネチア・ビエンナーレのコラボレーション(協働作業)とコレクティヴ・アクト(集団行為)から1998年の初期の映像作品まで、現在から過去へ年代順に遡り、27のテーマに分けて「作品」と「制作行為」を具体的に論じた書き下ろしテキストを収録。また展覧会カタログや美術雑誌への寄稿のほか、2000年に野比千々美名義で発表した評論を再録。東京国立近代美術館キュレーターの蔵屋美香、美術家の藤井光、評論家の林卓行との対話も収録し、アーティスト田中功起の真髄に迫る。

★8月28日発売予定の新刊です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。年代ごとに4色に刷り分けられ、最後の2014年パートは2色刷りで、合計6色を使ってのカラフルな印刷となっています。大きさとヴォリュームの割に手に取って軽やかなのは本文用紙やカヴァーなどの資材の選択を工夫されているため。デザインは寺井恵司さんが担当されています。田中さんのアート作品は個人的な模索にせよ集団的な協働作業にせよ制作過程そのものも作品を構成する要素として記録するところに問題提起のかたちが表れているようです。そのあくなき疑問符の行進はある意味でモノづくりに携わる自営業者の生きざまにつきまとうあの幽霊に似ています。それが堂々巡りの自分探しなのか、それとも《生きること=創ること》の否応ない本質的な困難さなのかは、書物という物体に束ねられたアーカイヴである本書がおのずから示していることのように感じます。月並みな言い方になりますが、田中さんの実践は、日常の中にある芸術性について気づかせてもくれるものであるように思います。


◎平凡社さんの新刊より

もりむらやすまさ『たいせつな わすれもの』平凡社、2014年8月、本体1,800円、B5判上製88頁、ISBN978-4-582-20675-3
ピエール=フランソワ・ラスネール『ラスネール回想録――十九世紀フランス詩人=犯罪者の手記』小倉孝誠・梅澤礼訳、平凡社ライブラリー、2014年8月、本体1,500円、HL判並製320頁、ISBN978-4-582-76816-9
雨森芳洲『交隣提醒』田代和生編注、東洋文庫、2014年8月、本体3,200円、全書判上製428頁、ISBN978-4-582-80852-0
子どもとつくる たのしい和食』栗栖正博監修、平凡社、2014年8月、本体1,700円、B5判並製120頁、ISBN978-4-582-83668-4

★『たいせつな わすれもの』は発売済。アーティスティックディレクターに森村泰昌さんを迎え、2014年8月1日~11月3日に横浜美術館や新港ピア(新港ふ頭展示施設)を主会場に開催している、ヨコハマトリエンナーレ2014「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」の公式ひらがなカタログです。展示されている作品の写真がただ並べられているのではありません。すべてひらがなで綴られた森村さんによるコンセプト説明や作品紹介や問題提起が絵本風に表現されています。「日ごろ忘れていることに気づかせてくれる。それが芸術の力です」と森村さんは仰っています。帯文には「美術家モリムラの「忘却」絵本、10のお話。こどもにかたる、げいじゅつの心」とあります。

★『ラスネール回想録』は発売済。平凡社ライブラリーのオリジナル新刊です。単独著の翻訳としては本邦初です。強盗にして人殺しであり、詩作もする代書人だった19世紀前半のフランスの一アイコンの回想録の初訳。ドストエフスキー『罪と罰』のラスコーリニコフ、ユゴー『レ・ミゼラブル』のモンパルナス、ルブラン「アルセーヌ・ルパン」シリーズのルパンのモデルとなったというラスネール。数え年で33歳の折に死刑となり、数カ月後に出版された回想録は当時ベストセラーになったそうです。家庭に問題がなかったとは言えない幼い時分の思い出から、一貫して偽善を憎み社会を憎んで成長とともに徐々に悪事と犯罪を重ね、処刑を待つ身になるまでが、不愉快なほどプライド高く饒舌に大胆に語られています。信仰の問題に差しかかるとしばしば検閲されて読めないのが残念です。先ごろアラン・セルジャン『アナーキストの大泥棒――アレクサンドル・ジャコブの生涯』(高橋治男訳、水声社、2014年6月)が出たばかりで、今度はラスネール。これで『ヴィドック回想録』(三宅一郎訳、作品社、1988年)が再刊されるか文庫化されるといいですね。

★『交隣提醒』はまもなく発売。東洋文庫の第852巻です。帯文に曰く「「欺かず争わず」「誠心の交わり」――江戸時代の朝鮮外交に携わった芳洲が説く善隣外交の真髄。詳細な校注と解説を加え、今こそ再読すべき外交指南書の名著が最良のテキストとして蘇る」。前半が「資料校訂編・解読編」、後半が「原文編」です。前半では読み下し文と注がありますが現代語訳はなく、巻末の解説「『交隣提醒』が語る近世日朝交流の実態」で要所が訳されています。表面的な友好関係ではなく、互いの違いを知り尊重しあってこその「誠心の交わり」であることを説いた本書は帯文にある通り今こそ読み直す価値があると思われます。東洋文庫次回配本は『バーブル・ナーマ(I)』です。

★『子どもとつくる たのしい和食』はまもなく発売。京都の高名な割烹料理屋「たん熊北店」の三代目、栗栖正博さんの監修による、イラストで分かりやすい和食料理指南書です。版元紹介文に曰く「親子で一緒に料理を作りながら、和食のおいしさや良さを楽しく自然に学べるマンガつき入門書」。小学生や中学生などのお子さんがいらっしゃるご家庭では、夏休みに自宅で調理実習を行う宿題が出ている場合もあるかと思います。そんな時に役に立つ一冊で、料理が苦手な男親でも「子どもと一緒にやってみるか」という気持ちになってくる内容です。監修者の栗栖さん曰く「和食の心とは、相手を思う心です。感謝の心こそが和食の基本であると私は考えています」と。美しい和食の写真の数々は見ているだけでも癒される気がするのは、作り手の思いやりのおかげかもしれません。

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by urag | 2014-08-17 23:28 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 05日

全3巻完結:9月予定『間章著作集Ⅲ さらに冬へ旅立つために』

■2014年9月5日取次搬入予定 * 音楽評論

間章著作集 Ⅲ(全3巻/第3回配本【全3巻完結、最終回配本】)
さらに冬へ旅立つために
月曜社 2014年9月 本体6,400円、四六判(タテ190ミリ×ヨコ133ミリ)上製736頁、ISBN978-4-86503-017-4

ジャズ、シャンソン、プログ・ロック、パンク、現代音楽、瞽女唄……あらゆる音楽に耳を傾け、その根源を問い続け、その実践は審美的なだけではなく、そのまま言語との闘争だった。最終巻は、デビュー原稿から思想論、絶筆までを網羅。講演、初期文集など、未発表原稿多数収録。付:須川善行「編集ノート」、装幀:佐々木暁。

主な内容:「シカゴ前衛派論」などジャズ論8編、「ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』」「暗黒のシャンソン セリーヌの歌について」などシャンソンについて14編、ビートルズ、ブライアン・ジョーンズなどロック論5編、マイク・オールドフィールド、ロバート・ワイアット、カン、ファウスト、タンジェリン・ドリームなどプログレッシヴ・ロックについて20編、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ヘヴィメタ、パンクについて7編、ディスク130枚余のレヴュー、初期詩編ほか25編など。

間章(あいだ・あきら:1946年8月18日~1978年12月12日)新潟県生まれ。音楽批評家。立教大学中退。在学中より批評・コンサートプロデュース活動を開始。音楽雑誌、新聞、ライナーノートなどに、幅広い教養と独自のレトリックを駆使した文章を発表、音楽批評にとどまらず多方面に大きな影響を与えた。72年、現代音楽祭「自由空間」開催、阿部薫、高柳昌行、土取利行、近藤等則らとの共同作業、スティーヴ・レイシー、ミルフォード・グレイヴス、デレク・ベイリーを招聘するなど、フリー・ジャズ・ミュージシャン、インプロヴァイザーとの実践的なかかわりを深めていった。1978年12月12日、脳出血により死去。享年32。没後に刊行された著書に、本書(イザラ書房版、1982年)、『非時と廃墟そして鏡』(深夜叢書社、1988年)、『この旅には終りはない』(柏書房、1992年)、『僕はランチに出かける』(同、1992年)。2006年には青山真治監督による間章についての7時間余にわたるドキュメンタリー映画「AA」が上映された。

*既刊*
■第1巻『時代の未明から来たるべきものへ』[2013年1月刊行]音楽・文学・哲学・批評の枠を超えて、「制度」との闘争=アナーキズムを宣言した主著。480頁、4600円
■第2巻『〈なしくずの死〉への覚書と断片』[2013年11月刊行]即興をめぐる新しい価値観を開示し、演奏の本質を追求したジャズ論集。572頁、5600円

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第3巻のアマゾン・ジャパンでの予約はこちらからどうぞ。
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by urag | 2014-08-05 12:03 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 03日

注目新刊:ジャック・アタリ『世界精神マルクス』藤原書店、ほか

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世界精神マルクス 1818-1883
ジャック・アタリ著 的場昭弘訳
藤原書店 2014年7月 本体4,800円 A5判上製584頁 ISBN:978-4-89434-973-5

帯文より:マルクスの実像を描きえた、唯一の伝記。“グローバリゼーション”とその問題性を予見していたのは、マルクスだけだった。そして今こそ、マルクスを冷静に、真剣に、有効に語ることが可能になった。その比類なき精神は、どのように生まれ、今も持続しているのか。

★発売済。原書は、Karl Marx ou l'esprit du monde(Fayard, 2005)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者は『超訳資本論』や『共産党宣言』の新訳を手掛けられてきた的場さんです。マルクスを再評価する研究書や入門書は数多いですが、アタリの本は伝記という体裁のためか研究書より断然読みやすく親しみやすいです。マルクスの生き様への理解を通じてその思想に再接近することができます。全7章構成で、最初の6章でカール・マルクスの誕生から死までを描写し、第7章で死後のマルクス思想の影響力に言及します。マルクスが文明化=資本主義のグローバル化の果てに展望した共産主義についてもマルクス自身の言葉を引きつつ分かりやすく説明してくれます。マルクス思想を「グローバリゼーションの思想」ととらえ、それがもつ曖昧さもまた彼が世界で広く読まれることになった原因だと分析しています。アタリは自分がマルクス主義者であったことはないとはっきり述べていますが、だからこそ、マルクスを過剰にありがたがらずに適度な距離感がある伝記を書きえたのではないかと思います。マルクスを信奉していない読者にこそ本書はお薦めです。なお、的場昭弘さんによるアタリの訳書としては『ユダヤ人、経済と貨幣の人類史』(予価2,800円)が作品社より2014年9月に刊行予定です。

★藤原書店さんの注目新刊にはこのほかに『なぜ今、移民問題か(別冊『環』20)』(宮島喬・藤巻秀樹・石原進・鈴木江理子=編集協力、藤原書店、2014年7月、本体3,300円、菊大判並製376頁、ISBN978-4-89434-978-0)があります。帯文に曰く「「移民問題」の歴史・現在・未来を正面から問う画期的論集。不可避的に迫る「移民社会」到来にどう向き合うのか? 短期的な労働力確保の問題としても、日本社会の長期的な人口維持の問題としても、「移民」というテーマから目を背けることが不可能となってきている現在、労働、教育、法・権利、レイシズムなどの主要な論点について、第一線の論者の寄稿により、長期・短期の歴史を踏まえつつ、多文化共生社会の実現への方途を探る」と。また、巻頭の「序」は、編集長の藤原良雄さんと編集協力の四氏の連名でこう読者に語りかけています。「ラディカルに(根底から)問う、歴史に遡って現在・未来を問う、という本誌の二大編集方針に沿い、この別冊ではこれまでの出入国管理政策や移民を巡る歴史を検証するとともに、日系南米人や外国人技能実習生の受け入れで何が起こっているかなど外国人集住地域の実態を分析し、人口減少、グローバル化時代の移民政策はどうあるべきかを問う。日本は人口減少を食い止め、活力ある社会として生きるのか、減少に甘んじて縮小社会への道をたどるのか、移民政策は「国のかたち」を左右する大テーマとの認識のもと、国民的議論を喚起したい」。


ランペドゥーザ全小説 附・スタンダール論
ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーザ著 脇功+武谷なおみ訳
作品社 2014年7月 本体5,400円 46判上製576頁 ISBN978-4-86182-487-6

帯文より:戦後イタリア文学にセンセーションを巻きおこしたシチリアの貴族作家、初の集大成! ストレーガ賞受賞長編『山猫』、傑作短編「セイレーン」、回想録「幼年時代の想い出」等に加え、著者が敬愛するスタンダールへのオマージュを収録。

目次:
山猫
 第一部 1860年5月
 第二部 1860年8月
 第三部 1860年10月
 第四部 1860年11月
 第五部 1861年2月
 第六部 1862年11月
 第七部 1863年7月
 第八部 1910年5月
 『山猫』解題
 『山猫』補遺
短編集
 幼年時代の想い出
 喜びと掟
 セイレーン
 盲目の子猫たち
 『短編集』解題
スタンダール論
 『スタンダール論』解題
『山猫』、『スタンダール論』訳者あとがき(脇功)
『短編集』訳者あとがき――トマージ・ディ・ランペドゥーザと〈『山猫』事件〉(武谷なおみ)

★発売済。ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーザ(Giuseppe Tomasi di Lampedusa, 1896-1957)の代表作『山猫』と四篇の短篇(本書の表記では短編)を集めた全小説集です。附録として「スタンダール論」が収められています。翻訳分担は、『山猫』と「スタンダール論」とそれらの解題と補遺が脇さん、短編集とその解題が武谷さんです。底本はモンダドーリ版『トマージ・ディ・ランペドゥーザ作品集』に依拠し、著作権継承者のジョアッキーノ・ランツァ・トマージ氏による解題はご本人の指示により縮小改変されているとのことです。これまでの既訳には、ランペドゥーサと表記されて『山猫』に河出文庫(佐藤朔訳)と岩波文庫(小林惺訳)の二種類があります。現物を確認できていませんが、国会図書館のデータベースによれば、同作は「ランペズーザ」作の「シチリアの豹」と題されて、『リーダーズダイジェスト名著選集』(1961年5月)に収録されたこともあるようです。また、ヴィスコンティによって1963年に映画化され、カンヌ映画祭でグランプリを受賞したのは周知の通りです。

★短篇の翻訳では、「リゲーア」(竹山博英訳、『世界幻想文学大系(41)現代イタリア幻想短篇集』所収、国書刊行会、1984年;小林惺訳、池澤夏樹編『世界文学全集(3-06)短篇コレクションII』所収、河出書房新社、2010年)や、「幼年時代の場所」(武谷なおみ訳、『短篇で読むシチリア』所収、みすず書房、2011年1月)、「鮫女(セイレン)」(西本晃二訳、『南欧怪談三題』所収、未來社、2011年10月)などがあります。「リゲーア」と「鮫女(セイレン)」は同じ作品で、前者がランペドゥーザの未亡人が付けた題名で、後者がもともとのランペドゥーザ自身の発案だそうです。今回の新訳では「セイレーン」と訳されています。武谷さんによる訳者あとがきによれば「リゲーア」には秋本典子訳もあるそうですが、書誌情報の詳細を知りません。

★作品社さんでは7月に、F・スコット・フィッツジェラルド『夜はやさし』(森慎一郎訳、村上春樹解説、本体4,200円)を刊行されています。村上春樹さんの解説「器量のある小説」と、附録として、フィッツジェラルドの小説の執筆が始まった1925年から作者が没する40年までの『夜はやさし』に関わる書簡を抜粋・選録した「小説『夜はやさし』の舞台裏――作者とその周辺の人々の書簡より」(森慎一郎編訳)が収録されています。さらに9月新刊として、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイらの論文を集めた『プラグマティズム基本文献集』(植木豊編訳、予価3,800円)が予告されています。


草叢の迷宮――泉鏡花の文様的想像力
三品理絵著
ナカニシヤ出版 2014年7月 本体3,800円 46判上製292頁 ISBN978-4-7795-0846-2

帯文より:『草迷宮』の植物的異世界。幻を見通す花の遠近法。
推薦文(野口武彦氏):泉鏡花の鏡花という言葉は水月とセットだ。本来、実体のない幻を実在よりもたしかな存在者に仕立てる。通常の周波数では見えない光で可視的にされた花々および人間たちの世界。いや、この視界には人と植物の対立さえない。女性がそのまま花であるような不思議な秩序がこの宇宙を支配している。三品理絵さんは最近この世界を透視する独自の遠近法を身につけて来たように感じられる。

★発売済。泉鏡花(1873-1939)の名作「草迷宮」を題材に「第I部〔「草叢の迷宮――文様的想像力の形成」〕では、同時代の文化史的な背景を踏まえつつ、『草迷宮』において鏡花が構築した絢爛たる植物的異世界、すなわち「草」の世界のありようを明らかにし、第II部〔「ことばのマニエリスム――文様的想像力の展開(一)」〕および第III部〔「かたちのマニエリスム――文様的想像力の展開(二)」〕では、そのような『草迷宮』の試みがの知の作品においてどのように展開されていくかを検討」(序論、x-xi頁)したのが本書です。もともと第I部は博士論文で、その他の章は「それを土台にして、さらに鏡花の作品を繙き解読していく試みを今に至るまで続け」た成果であり、「その行程をまとめたものが本書」(あとがき、257頁)であるとのことです。能楽や近世絵画の意匠との関係も取り上げられており、草の異世界の読解に深みを与えています。たいへんユニークな研究ではないかと思います。


◎水声社さんの新刊より

フウの会編『モダニスト ミナ・ロイの月世界案内――詩と芸術』水声社、2014年8月、本体4,000円、A5判上製392頁、ISBN978-4-8010-0042-1
アナイス・ニン『リノット――少女時代の日記 1914-1920』杉崎和子訳、水声社、2014年8月、本体2,500円、46判上製256頁、ISBN978-4-8010-0048-3
橋本陽介『ナラトロジー入門――プロップからジュネットまでの物語論』水声社、2014年7月、本体2,800円、46判上製248頁、ISBN978-4-8010-0049-0

★『モダニスト ミナ・ロイの月世界案内』は発売済。ロンドン出身の画家にして詩人であるミナ・ロイ(Mina Loy, 1882-1966)の詩篇と散文を、ロジャー・L・コノヴァーが編纂した『失われた月世界案内(The Lost Lunar Baedecker: Poems of Mina Loy)』(Farrar, Straus and Giroux, 1996)や『最新版 月世界案内(The Last Lunar Baedecker)』(The Jargon Society, 1982)をもとに翻訳した前半と、「ミナ・ロイとともに」と題してコノヴァーをはじめ国内の研究者たちの論文や年譜等を収録した後半で構成されています。絵画やアサンブラージュなどの作品のいくつかもカラー写真で収められています。帯文に曰く「エズラ・パウンド、T・S・エリオットらの賛辞を浴びた前衛詩人にして、マルセル・デュシャンにも影響を与えた芸術家の全体像を多面的に彫琢する本邦初の試み」。未来派、フェミニスト、モダニストなどの側面を持った詩人にして芸術家の魅力に迫るもので、丸々一冊をミナ・ロイに捧げたものとしては単行本レベルでは類書が皆無ですから、たいへん貴重な一冊だと思います。

★『リノット』は発売済。原文はフランス語の自筆原稿で、ジーン・L・シャーマンが英訳したLinotte: The Early Diary of Anaïs Nin, 1914-1920(Harcourt Brace, 1978)を底本とし、500頁を越える大著の半分ほどを抄訳しています。英訳本にはアナイスの弟、ホアキン・ニン=クルメルの序文がありますが、訳出されていません。大冊になるのを避け、広い読者層に手軽に手に取ってもらえるように、との配慮があったようです。訳者はアナイスと面識があり、アナイス・ニン・トラストの理事で、遺稿整理を担当したルーパート・ポール氏の助手も務められた方です。訳文は格調高く、なおかつ読みやすいです。11歳から17歳までの少女時代の心象風景を豊かに繊細に綴った本書は日本語版の日記選集の第一巻に位置づけられているようです。ちなみにリノットとはベニヒワという鳥を表すフランス語で、「粗忽者」の意味もあると訳者解説に説明があります。アナイスが自身につけたあだ名です。幅広い年齢層の女性読者を多数獲得しそうな予感がします。

★『ナラトロジー入門』は発売済。著者は1982年生まれの若手で現在、慶應義塾大学の非常勤講師として中国語を教えておられます。著書に『7カ国語をモノにした人の勉強法』(祥伝社新書、2013年8月)、『漢文は本当につまらないのか――慶應志木高校ライブ授業』(祥伝社新書、2014年3月)があります。今回発売された最新著では、「ロシアのフォルマリズムから、ヤコブソン、ソシュール、バンヴェニストの言語学など、ナラトロジーに至るまでの系譜をたどった上で、バルトやジュネットなどの理論を体系的に説明し〔・・・〕ナラトロジーを概観しながら」、著者が提案する「「比較詩学」についても簡単に紹介したい」と序で説明されています。この「比較詩学」というのは「今まで一般的なレベルでだけ語られていたナラトロジーを個別言語のレベルから見直そうという試み」で、本書でも「日本語という言語そのものに密着した「物語の比較詩学」の一端」が紹介されます。「「物語の構造」とは――プロップからバルトまで」「ナラトロジー誕生までの理論的背景」「「作者」と「語り手」について」「物語の「時間」」「視点(焦点化)と語る声」「日本語における焦点化の仕方とオーバーラップ」の全六章を「序」と「まとめ」で挟んだ構成となっています。さらなる「比較詩学」の発展を期した『物語における時間と語法の比較詩学――中国語と日本語からのナラトロジー』が続刊として水声社さんより予定されています。
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by urag | 2014-08-03 20:31 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 01日

注目新刊:『別冊水声通信 バタイユとその友たち』、ほか

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★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエス『論理学と学知の理論について』)
青土社さんの月刊誌「現代思想」2014年8月号「特集=科学者――科学技術のポリティカルエコノミー」に、金森修さんとの対談「科学批判学の未来」(126-144頁)が掲載されています。STAP細胞問題に始まり、STS(科学技術社会論)、そして科学倫理学、科学批判学、メタ科学へと議論が進みます。

近藤さんは対談の最後でこう発言されています。「カヴァイエスは完全にデュドネやアンドレ・ヴェイユ、カルタン、エミー・ネーターらと“一緒に”やっているんですよね。彼らにアイデアを与え、彼らからアイデアをもらって、一緒にやるわけです。これは今の科学哲学とは違うやり方です。そして彼の日記や手紙を読んでみると、正しいか正しくないかではなく、面白いか面白くないかみたいなところで、自分の研究とリンクさせている。このタイプのコラボレーションの可能性が本来エピステモロジーにあるのではないかと思いたい。20世紀前半のヨーロッパの科学哲学の知的文脈、バシュラールたちがいたヨーロッパの科学哲学のあの雰囲気――いろいろな科学者や哲学者もいっぱいやってきて、いろいろ言いながら、お互い変なことをやっているというような――を、学会とは別の仕方で局所的に実現する。科学者と哲学者が、コンパクトなところで、お互いの面白いことを通してお互いに違うことをやると、出てきたもの同士がまたお互いに共鳴するわけです」(144頁)。

近藤さんが上浦基さん(東京電機大学理工学部助教)、澤宏司さん(日本女子大学附属高等学校教諭)、竹之内大輔さん(株式会社イーライフ、シニアコンサルタント)、水越康介(首都大学東京大学院ビジネススクール准教授)らとともに「エウレカ・プロジェクト」を立ち上げ、今年6月に領域横断型のウェブ雑誌「E!」を創刊されたのは上記のご発言の趣旨と合致しているように思います。


★加治屋健司さん(共訳:クラウス+ボワ『アンフォルム』)
水声社さんの7月新刊、鈴木雅雄編『マンガを「見る」という体験――フレーム、キャラクター、モダン・アート』に「マンガと美術――現代美術批評の観点から」(159-182頁)を寄稿されています。

マンガを「見る」という体験――フレーム、キャラクター、モダン・アート
鈴木雅雄編
水声社 2014年7月 本体2,800円 A5判並製272頁 ISBN978-4-8010-0051-3

帯文より:何が〈マンガ〉を可能にしているのか? コマ/フレーム、キャラクターを通して、われわれはどのようにマンガを眺めているのか。マンガ批評、文学研究、美術史を専門とする気鋭の論者たちが、マンガをめぐる時間・運動・言説の問題を自在に語り、新たな理論的枠組から視覚体験としての〈マンガ〉を問いなおす。

目次:
まえがき
第I部 マンガの時間、絵画の時間
 消える男/帰ってくる男――マンガから見た絵画・シュルレアリスム |伊藤剛
 瞬間は存在しない――マンガ的時間への問い |鈴木雅雄
第II部 マンガのコマ、絵画のフレーム
 マンガにおけるフレームの複数性と同時性について――コマと時間をめぐる試論(一)|野田謙介
 分裂するフレーム――シュルレアリスム〈と〉マンガ |齊藤哲也
第III部 マンガをめぐる言説、美術をめぐる言説
 マンガと美術――現代美術批評の観点から |加治屋健司
 マンガ表現と絵画の境界をどう考えるか――フィギュールという接点 |中田健太郎
第IV部 シュルレアリスムの視覚体験とマンガ
 ロプロプが飛び立つ――動いてしまうイメージの歴史のために |鈴木雅雄


★郷原佳以さん(共訳:『ブランショ政治論集』)
★ジャン・ヴァールさん(著書:『具体的なものへ』)
★レーモン・クノーさん(著書:『オディール』『棒・数字・文字』)
水声社さんの7月新刊、『別冊水声通信 バタイユとその友たち』に書評や論考、翻訳が収録されています。「別冊水声通信」の既刊書には『坂部恵――精神史の水脈を汲む』(2011年6月)、『ジュリアン・グラック』(2011年12月)、『セクシュアリティ』(2012年8月)があり、郷原さんは『セクシュアリティ』にもご論文「ヴェロニカ、あるいはファリック・シスターの増殖――ブランショとセクシュアリティ」を寄稿されています。

別冊水声通信 バタイユとその友たち
水声社 2014年7月 本体3,000円 A5判並製424頁 ISBN978-4-8010-0046-9

帯文より:反抗か、共謀か。ソレルス、サルトル、ブルトン、ブランショ、ヴァール・・・同時代の思想家とバタイユとの知られざる関係を明らかにし、新たなバタイユ像に肉迫する! バタイユ「至高者」ほか、本邦初訳のテクストも多数収録。

目次:
I
 フィリップ・ソレルス インタビュー――偉大なるバタイユ |杉浦順子訳
 至高者 |ジョルジュ・バタイユ(濱野耕一郎訳)
 ジョルジュ・バタイユとの対談――文学における悪と幼児性 |ピエール・デュメイエ(岩野卓司訳)
 『文学と悪』を読んで |ジャン・ヴァール(大島ゆい訳)
 ジャン・ヴァール『フランス哲学便覧』評 |ジョルジュ・バタイユ(合田正人訳)
II
 1952年10月18日付のノート(ノート十一、未発表断章) |ジョルジュ・バタイユ(郷原佳以訳)
 アンリ・パストゥロー『人間の傷』評 |ジョルジュ・バタイユ(鈴木雅雄訳)
 アンドレ・ブルトン『時計のなかのランプ』評――詩と世界の終末の誘惑:マルコム・ド・シャザルと悦楽 |ジョルジュ・バタイユ(鈴木雅雄訳)
 コーズ『開幕からの決裂』評 |ジョルジュ・バタイユ(有馬麻理亜訳)
 メルロ=ポンティへの公開書簡 |ジョルジュ・バタイユ(澤田直訳)
III
 問われる共同体――ナンシーとブランショによるバタイユの共同体から出発して |岩野卓司 
 バタイユとブランショの分かちもったもの――1952年10月18日付のノート」から出発して |郷原佳以
 焼け残るものへの眼差し――1940年代のブランショはバタイユをいかに読んだか |門間広明
 共鳴とすれ違い――「コントル=アタック」前後のブルトン、バタイユそしてライヒ |有馬麻理亜
 ブルトンとバタイユにおける主体の位置 |ジャクリーヌ・シェニウー=ジャンドロン(齊藤哲也訳)
 バタイユとブルトン――イメージと芸術の誕生をめぐるふたつの思考 |長谷川晶子
 自由と瞬間――バタイユの「分身」サルトル? |永野潤
IV
 ヘーゲルちょ最初の格闘 |レーモン・クノー(加藤美季子訳)
 アレクサンドル・コジェーヴとの対話――哲学者に関心はなく賢人を探し求めています |ジル・ラプージュ(加藤美季子+丸山真幸訳)
 バタイユに宛てた七通の手紙 |アレクサンドル・コジェーヴ(丸山真幸訳)
 錯綜する友情 クノーによるバタイユ追悼文を読む |加藤美季子
 コジェーヴの反革命思想とそのバタイユとの差異 |丸山真幸
V
 バタイユとサルトル――カミュの「歴史に対する反抗」を巡って |伊藤直
 実存の眩暈――バタイユのレヴィナス読解をめぐって |伊原木大祐
 やさしき悲痛――レリス・バタイユ交流史における二人の女性の死から |大原宜久
 バタイユとカミュにおける反抗、至高性、遊び=賭け――概念論的研究 |レーモン・ゲ=クロズィエ(千々岩靖子訳)
 バタイユとユイスマンス |築山和也
 アンドレ・マルローの美術論批判――ゴンブリッチ、バタイユ、ブランショ、メルロ=ポンティ |永井敦子


★ニコラス・ロイルさん(著書:『デリダと文学』)
「図書新聞」2014年7月19日号(3167号)の「2014年上半期読書アンケート」欄で、琉球大学教授の新城郁夫さんが、弊社6月刊のロイル『デリダと文学』(中井亜佐子+吉田裕訳)を取り上げてくださいました。「シクスーをも召喚しつつデリダの「墓=クリプト」概念をもとに来るべき小説の政治的存在論を展開させようとする〔・・・〕」とご紹介いただき、さらに「〔デリダ+シクスー『ヴェール』(郷原佳以訳、みすず書房)とともに〕翻訳者それぞれの解説・対論ともども読み応え十分であった」と評していただきました。

また、立命館大学教授の西成彦さんも『デリダと文学』を、ご自身のfacebook「複数の胸騒ぎ Uneasinesses in plural by Nishi Masahiko」2014年7月26日付の投稿で取り上げてくださいました。「「文学キャノンの更新」という既成の制度的文脈を、「別の更新方法」へとするかえるための新しい方法の模索。つまり、過去の作品が「近未来」を「予言」するかのよう、まさにテキストとして私たちの目の前にあるかのように「提示」するための方法。それが「脱構築」だ。〔・・・〕、コンラッド論(おもに「秘密の同居人」The Secret Sharerと「台風」Typhoonを扱っている)が含まれており、そこで「フクシマ」に対する言及に絡めて上記のデリダの文章(《 来たるべき最悪のものの・・・》)が引かれているのだが、「核」と「他者の一言語使用」(要するに、ヒドラ化する植民地主義)の《脅威》は、だれにとっても決して目を背けてなどいられないものである」。

新城先生、西先生、ありがとうございました。

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by urag | 2014-08-01 15:21 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)