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2014年 05月 31日

デリダ没後十年で訳書や関連書などが続々と

★鵜飼哲さん(共訳:ジュネ『公然たる敵』)
みすず書房さんより先月『ジャッキー・デリダの墓』を刊行されました。デリダ、ナンシー、ジュネなどをめぐる18篇のテクストが収められています。2014年はデリダ没後十年目であり、これまでに関連書としてシクスー+デリダ『ヴェール』(郷原佳以訳、みすず書房、2014年3月)、グンター・トイプナーやクリストフ・メンケ、アントン・シュッツらの論文を収めた『デリダ、ルーマン後の正義論――正義は〈不〉可能か』(土方透監訳、新泉社、2014年3月)が刊行されています。6月には、弊社より18日頃発売でニコラス・ロイル『デリダと文学』(中井亜佐子・吉田裕訳、月曜社、2014年6月)、そして27日発売でデリダの大著『プシュケー――他なるものの発明(I)』(藤本一勇訳、岩波書店、2014年6月)が刊行されます。刊行時期が再調整のようですが、ブノワ・ペータースによる伝記決定版『ジャック・デリダ伝(仮)』(原宏之・大森晋輔訳、白水社、近刊)も予定されています。おそらく今後も次々に関連書や雑誌での特集などの情報が出てくるのではないかと思われます。

ジャッキー・デリダの墓
鵜飼哲著
みすず書房 2014年4月 本体3,700円 四六判上製304頁 ISBN978-4-622-07829-6


★宇平剛史さん(装幀:リピット水田堯『原子の光(影の光学)』
ブック・デザインを手掛けておられる芸術批評誌「ART CRITIQUE」の最新号が今月刊行されました。同誌は京都のconstellation booksが2010年に創刊したもので、櫻井拓さんが編集を担当されています。今般発売された第4号の特集は「メディウムのプロスティテューション」と題され、弊社発売の年刊誌『表象』で編集委員を務められた星野太さんの論考「メディウムをめぐるレッスン――吉田和生の作品(2008-2013)」をはじめ、ジャン=クレ・マルタンやルディネスコ、ネグリー、ナドー等の目覚ましい翻訳活動が注目されている信友建志さんの論考「都市と無意識――素描的試論」など、多数の意欲的なテクストが収められています。アマゾンなどから購入できるほか、同誌ウェブサイトからも買うことができます。詳しくは下記のリンク先をご覧ください。

ART CRITIQUE n. 04 メディウムのプロスティテューション
constellation books 2014年5月 本体2,200円 A5判並製232頁 ISBN978-4-9905499-4-7
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by urag | 2014-05-31 23:22 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2014年 05月 27日

6月下旬刊行予定新刊:ニコラス・ロイル『デリダと文学』

ただいまアマゾン・ジャパンにて予約受付中です。

2014年6月16日取次搬入予定 *人文・哲学・批評

デリダと文学
ニコラス・ロイル著 中井亜佐子・吉田裕訳
月曜社 2014年6月 本体2,800円 46判並製232頁 ISBN978-4-86503-015-0

【デリダ没後10周年記念出版、日本語版オリジナル編集】イギリスにおける脱構築批評の第一人者であり作家でもある特異な思想家による卓抜なデリダ論集。文学と哲学の制度的境界を抹消しつつ、クリプト美学的なるものの分析を通じて、亡霊たちのさざめく〈エクリチュールの時間〉を往還する試み。三つの講演論文「詩、動物性、デリダ」「ジョウゼフ・コンラッドを読む――海岸からのエピソード」「ジャック・デリダと小説の未来」に、貴重なオリジナル・インタヴュー「海岸から読むこと――文学、哲学、新しいメディア」を併録。

【叢書・エクリチュールの冒険、第7回配本】本書の造本について:クリーム色の本文紙に鮮やかな青紫色のインクで刷り、青い見返しと表紙でくるみました。カバーにはフリードリヒの名画「海辺の修道士」をあしらい、書名はメタリック・ブルーの箔押しを施しました。

目次:
詩、動物性、デリダ 【来日講演:2013年2月28日】
ジョウゼフ・コンラッドを読む――海岸からのエピソード 【来日講演:2013年3月3日】
ジャック・デリダと小説の未来 【海外講演:国際カンファレンス「こんにちのデリダ」2010】
海岸から読むこと――文学、哲学、新しいメディア 【オリジナル・インタヴュー】
訳者あとがき

著者:ニコラス・ロイル(Nicholas William Onslow Royle, 1957-)英国・サセックス大学英文学教授。専門は英米文学。著書に『テレパシーと文学――読書する精神に関する論考』(1990年、未訳)、『不気味なもの』(2003年、未訳)のほか、『ジャック・デリダ』(2003 年;田崎英明訳、青土社、2006年)をはじめとするデリダ論を三冊上梓している。また作家として長編小説『キルト』(2010年、未訳)を発表している。

訳者:中井亜佐子(なかい・あさこ)一橋大学教授。専門は英文学。著書に『他者の自伝――ポストコロニアル文学を読む』(研究社、2007年)、共訳書に『スピヴァク、日本で語る』(鵜飼哲監修、共訳、みすず書房、2009年)などがある。
訳者:吉田裕(よしだ・ゆたか)東京理科大学講師。専門は英文学、ポストコロニアル研究。
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by urag | 2014-05-27 20:42 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 26日

新しい出版社「株式会社共和国」ウェブサイトがオープン

水声社さんから独立された編集者の下平尾直さんが2014年4月2日に設立された出版社「株式会社共和国」(欧文名:editorial republica)が公式ウェブサイトを昨日(2014年5月25日)オープンされました。「文学、批評、思想、歴史、音楽、映画、美術、精神分析、コミックをはじめとする文化批判的な書物を通して、この現代社会と横断的/歴史的に向き合って参ります」との抱負が掲げられています。下平尾さん御自身がお書きになった開業までの経緯は5月9日にHONZに掲載された「出版社「共和国」」でお読みになれます。また、公式ウェブサイト内のブログ「共和国通信」で同社の活動が折々にアップされています。

出版第一弾は6月中旬2冊同時刊行で、都甲幸治『狂喜の読み屋』と藤原辰史『食べること考えること』が発売予定。小売店への流通はトランスビューや太洋社経由。版元からの直販も可能です。この2点は《散文の時間 Soul of Prose》というシリーズの本で、下平尾さん曰く「従来のジャンルや概念を超えた、まさに「散文精神」を体現したシリーズになってほしい」とのことです。

なお、下平尾さんと私で、7月17日(木)19:00~21:00に「編集者にとって「独立」の意味を考える」という対談を文京シビックセンター5Fでやります。これは、日本出版者協議会主催の「編集者連続講座」全3回の第2回目で、ほかの2回はデザイナーの鈴木一誌さんや、あゆみBOOKS小石川店の久禮亮太店長が講演されます。それぞれ参加費は1000円。詳細はこちらをご覧ください。
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by urag | 2014-05-26 11:16 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 25日

注目新刊:『完本 黒蜥蜴』藍峯舎、ほか

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◎藍峯舎さんの豪華「乱歩本」第3弾

完本 黒蜥蜴
江戸川亂步・三島由紀夫著
藍峯舎 2014年5月 税込19,000円 A5判変型函入396頁 220部限定/記番入 ISBNなし

版元紹介文より:江戸川亂步が残した唯一の「女賊物」の傑作長編『黒蜥蜴』と、三島由紀夫が亂步に捧げた美しきオマージュ『戯曲 黒蜥蜴』を初めてカップリング。多賀新のオリジナル銅板画一葉を添えて、亂步生誕120年に贈る豪華愛蔵版。

目次:
口絵 多賀新オリジナル銅版画「黒蜥蜴」(2014)署名・番号入
江戸川亂步「黒蜥蜴」(1934)5-225
「黒蜥蜴」劇化について 227-231
 原作者の期待(「黒蜥蜴」初演パンフレット、昭和37年3月)229
 チェスタトンと三島由紀夫(「黒蜥蜴」初演パンフレット、昭和37年3月)230-231
解説「推理小説ぎらひ」が愛した黒蜥蜴(新保博久)233-241
三島由紀夫「戯曲 黒蜥蜴」(1961)245-378
自作解題 379-383
 「黒蜥蜴」について(「西武生活」昭和37年2月)381-382
 関係者の言葉(「都民劇場」昭和37年3月)383
解説「乱歩と三島 女賊への恋」(中相作)385-393

★エドガー・アラン・ポー『赤き死の假面』(江戸川亂步譯、オディロン・ルドン口繪、藍峯舎、2012年12月、350部限定記番入、A5判変型122頁函入、定価税込10,000円【完売】)、江戸川亂步『屋根裏の散步者』(池田満寿夫挿畫、藍峯舎、2013年7月、350部限定記番入、A5判変型函入本文176頁(二色刷80頁、一色刷96頁)別丁四色刷挿画10点、定価税込14,000円、残部僅少)に続く、藍峯舎さんの新刊第3弾『完本 黒蜥蜴』が2014年5月15日(木)に発売になりました。本書の内容や造本仕様、書影については書名のリンク先をご覧ください。

★藍峯舎版『完本 黒蜥蜴』は、版元さんの解説をお借りすると乱歩生誕120年を記念するもので、「乱歩の原作と、三島が三十年来の想いをこめて乱歩に捧げた「戯曲 黒蜥蜴」を初めて一冊にカップリング」したもので、「乱歩のテキストは新保博久氏の校訂により、初出の「日の出」掲載分から単行本化の際に削除された部分を復元し、さらに連載の切り抜きに亂步の自筆で加えられた書き込みもすべて反映した初の「完全無削除版」で」あるとのことです。口絵は「春陽堂文庫の乱歩シリーズの表紙でお馴染みの版画家多賀新氏」によるもの。書籍本体は背が黒色染牛革に文字を本金箔押であしらい、表紙に濃紫色のなめらかなワールドクロス・バックスキンが貼られていて、多賀さんの挿絵が金箔で飾られています、頁小口は鮮やかな天金です。既刊書に増して豪華な造本なので、今までの最高額となる19,000円も妥当ではないかと思います。
     
★美麗な造本で乱歩と三島のそれぞれの「黒蜥蜴」の違いを味わえるのが楽しい『完本 黒蜥蜴』ですが、4月30日から予約受付が開始されました。発行部数はこれまでの350部よりさらに少ない220部。売切必至です。私が購入したのはつい先週、100番台の半ばでした。遅かれ早かれ完売するものと思います。藍峯舎さんの本は小部数のため古書市場にはほとんど出回りません。今回も早めの御注文が吉かと思います。消費税も送料も込みの値段で前払いです。


◎平凡社さん2014年5月新刊より

谷川雁――永久工作者の言霊』松本輝夫著、平凡社新書、2014年5月、本体880円、新書判並製264頁、ISBN978-4-582-85735-1
日本の木でつくるスケルトンドミノの家』黒川哲郎著、平凡社、2014年5月、本体2,000円、A4変型判上製40頁、ISBN978-4-582-83661-5

★『谷川雁――永久工作者の言霊』は、カバーソデの紹介文によるとは「詩人、思想家、教育運動家といった枠に収まりきらない、「永久工作者」の謎と魅力の源泉を説き明か」し、「「沈黙の15年」(ラボ時代)を含め、曲折に満ちた生涯、その実践の数々を描」いたものとのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者の松本輝夫(まつもと・てるお:1943-)さんは、東大の学生時代に谷川雁と出会い、1969年秋に谷川が勤めていた語学関連企業である株式会社テック(のちに株式会社ラボ教育センターに改称)に入社して81年まで仕事のかたわら労働組合運動に従事されたそうです。空白期とされることが多く谷川自身も語らなかったテック=ラボ時代を全盛期と見なすユニークな本書は、谷川雁の肖像にいっそうの陰翳を与えてくれます。

★『日本の木でつくるスケルトンドミノの家』は「くうねるところにすむところ:家を伝える本シリーズ」の第34巻で、インデックス・コミュニケーションズが2004年から2007年にかけて刊行してきた「くうねるところにすむところ : 子どもたちに伝えたい家の本」シリーズが平凡社で2011年に復活してから数えると9冊目になります。木造建築を木材供給と森林再生の観点から見直した「スケルトンドミノ」の家。日本の木造建築の歴史的発展とこんにちにおける再生を分かりやすく紹介する本書の完成を著者の黒川さん御自身は見ることなく昨年亡くなられたため、奥様があとがきを書かれています。「高断熱・高気密・機械換気の家づくり」ではなく「日照、痛風が気持ち良い日本の木の家」(28頁)の魅力が伝わってくる本です。


◎水声社さんの2014年5月新刊一覧

『マラルメ セイレーンの政治学』ジャック・ランシエール著、坂巻康司+森本淳生訳、水声社、2014年5月、本体2,500円、46判上製232頁、ISBN978-4-8010-0024-7
『ジュール・ヴェルヌ伝』フォルカー・デース著、石橋正孝訳、水声社、2014年5月、本体10,000円、A5判上製704頁+図版32頁、ISBN978-4-8010-0030-8
『マチネ・ポエティク詩集』福永武彦+加藤周一+原條あき子+中西哲吉+窪田啓作+白井健三郎+枝野和夫+中村真一郎著、水声社、2014年5月、本体4,000円、A5判上製248頁、ISBN978-4-8010-0041-4
『戦後文学の旗手 中村真一郎――『死の影の下に』五部作をめぐって』鈴木貞美著、水声社、2014年5月、本体2,500円、46判上製200頁、ISBN978-4-8010-0040-7
『中村真一郎手帖(9)』中村真一郎の会編、水声社、2014年5月、本体1,000円、A5判並製128頁、ISBN978-4-8010-0039-1

★『マラルメ セイレーンの政治学』は、Mallarmé: La Politique de la sirène(Hachette, 1996)の全訳です。ランシエール(1940-)は日本では長らくアルチュセールやバリバールらの『資本論を読む』の共著者として認知されてきましたが、ここ約10年ほどで単独著が立て続けに翻訳されており、昨年には3冊も刊行されています。本書が9点目の訳書になります。ただし、彼の近代文学論は『言葉の肉――エクリチュールの政治』(芳川泰久監訳、せりか書房、2013年)に続いて本書がようやく2冊目が翻訳されたばかりという現状です。今回のマラルメ論は小著ですが、マラルメをある意味で哲学者以上の思索者として評価した好著ではないかと思います。「詩はひとつの「芸術作品」であるだけではない。フィクションはたんに想像力の仕事ではない。それはまさしく、人類をその偉大さへと昇華させるものとしての宗教を、そして、この偉大さに適合した共同体の原理としての宗教を、引き継がなければならないのである。宗教の後に続くものとしてのフィクションがもたらすべきもの、それは、宗教の天上的内実の散文的な脱神話化でもなければ、人類の責任において宗教の聖性を取り戻すことでもない。要するに、フィクションは、たとえ人間の宗教であっても、それ自体で新しい宗教を打ち立ててはならない。フィクションは、音楽的宗教よりもさらに遡上し、われわれをあらゆる宗教の起源、「人類に内在する詩篇、あるいはこれら詩篇の根源的な状態」〔マラルメ「詩の危機」より〕にふたたび導くはずである」(108-109頁)。

★『ジュール・ヴェルヌ伝』はまもなく発売。帯文に曰く「一次資料、未刊行資料を博捜しながら〈驚異の旅〉の新しい読み直しを提唱するヴェルヌ研究の世界的権威による、本邦初のジュール・ヴェルヌ評伝」。ヴェルヌ論はあれど、伝記が今までなかったとは驚きです。訳者の石橋正孝さんは日本ジュール・ヴェルヌ研究会の会長をお務めで、数年前にヴェルヌの研究書を翻訳されています(ド・ラ・コタルディエール+ドキス『ジュール・ヴェルヌの世紀――科学・冒険・《驚異の旅》』東洋書林、2009年)。今回の伝記は、ヴェルヌ研究の第一人者フォルカー・デース(Volker Dehs, 1964-)が2005年にドイツ語で上梓した浩瀚な伝記Jules Verne. Eine kritische Biographieを著者自身が仏語訳した未刊行版Jurles Verne, une biographie critiqueに基づいて日本語に翻訳されたもの。石橋さんはインスクリプトさんから来月末に刊行開始される予定のシリーズ『ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション』(全5巻)の第1回配本第1巻「地球から月へ 月をまわって 上を下への(完訳ガンクラブ三部作)」(石橋正孝訳・解説、本体予価3,900円、四六判上製650頁予定、ISBN978-4-900997-44-8)を手掛けられる予定です。

★『マチネ・ポエティク詩集』『戦後文学の旗手 中村真一郎』『中村真一郎手帖(9)』はいずれも中村真一郎さん関連の発売済新刊です。水声社版『マチネ・ポエティク詩集』は、真善美社より1948年に刊行されたものの再刊で(ただし正字は新字に変更)、安藤元雄さんの「『マチネ・ポエティク詩集』について」(『マチネ・ポエティク詩集』思潮社1981年に寄せた解題)と、大岡信さんの「押韻定型詩をめぐって」(初出は『現代詩手帖』1972年1月号、その後『中村真一郎詩集』思潮社1972/1989年に収録)を追加したものです。「現代の絶望的に安易な日本語の無政府状態を、矯め鍛へて、新しい詩人の宇宙の表現手段とするためには、厳密な定型詩の確立より以外に道はない」(序、15頁)と宣言し、詩の革命を目指した先人の挑戦に触れることができる本です。

★『戦後文学の旗手 中村真一郎』は、中村真一郎さんの初期長篇小説五部作(『死の影の下に』1947年、『シオンの娘等』1948年、『愛神と死神と』1950年、『魂の夜の中を』1951年、『長い旅の終わり』1952年)を論じた、年刊誌『中村真一郎手帖』での連載をまとめたものです。巻末には五部作と外篇『檻』『雪』の登場人物一覧および年表が収録されています。『中村真一郎手帖(9)』は巻頭に、「中村真一郎の会」会長をおつとめの加賀乙彦さんによる第8回総会(2013年4月)の折の挨拶が「中村真一郎さんの思い出」と題されて置かれています。加賀さんのユーモア溢れるスピーチが楽しいです。続いて、同じく第8回総会での池澤夏樹さんの講演「『夏』を読む」が置かれ、さらに研究論文が7本、連載が2本収録されています。
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by urag | 2014-05-25 23:48 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 18日

注目新刊:70年ぶりの新訳、スピノザ『神学・政治論(上下)』光文社古典新訳文庫、ほか

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◎光文社古典新訳文庫5月新刊より

神学・政治論(上)
スピノザ著 吉田量彦訳
光文社古典新訳文庫 2014年5月 本体1,300円 456頁 ISBN978-4-334-75289-7

帯文より:「思想・言論・表現の自由」をどう守り抜くか?『エチカ』と並ぶスピノザの主著、70年ぶりの待望の新訳!
帯文裏より:本書でスピノザは、聖書のすべてを絶対的真理とする神学者たちを批判し、哲学と神学を分離し、思想・言論・表現の自由を確立しようとする。スピノザの政治哲学の独創性と今日的意義を、画期的に読みやすい訳文と豊富な訳注、詳細な解説で読み解く。
カバー裏紹介文より:「本書は、哲学する自由を認めても道徳心や国の平和は損なわれないどころではなく、むしろこの自由を踏みにじれば国の平和や道徳心も必ず損なわれてしまう、ということを示したさまざまな論考からできている」。現代において重要性を増す"危険な"思想家スピノザの神髄がここにある。

目次:
凡例
訳者まえがき
序文
第一章 預言について
第二章 預言者について
第三章 ヘブライ人たちの「お召し」について。また預言とは、ヘブライ人たちだけに独自に与えられた贈り物だったかについて
第四章 神の法について
第五章 さまざまな儀礼が定められた理由について。また、歴史物語を信じることについて。つまり、そういう物語を信じることはどういう理由で、また誰にとって必要なのかについて
第六章 奇蹟について
第七章 聖書の解釈について
第八章 この章では、モーセ五書やヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記、列王記は本人の著作でないことを示す。その後、これらすべてについて、著者は複数いたのか、一人だけだったのか、また誰だったのか探究する
第九章 同じ各巻について、別の問題が取り上げられる。エズラはこれらの巻に最終的な仕上げを施したのか、またヘブライ語の聖書写本にみられる欄外の書き込みは異本の読みだったのか、といった問題である
原注


神学・政治論(下)
スピノザ著 吉田量彦訳
光文社古典新訳文庫 2014年5月 本体1,200円 408頁 ISBN978-4-334-75290-3

帯文より:破門と禁書で封じられた危険な哲学者スピノザの "過激な"政治哲学!「国家は自由のためにある」
帯文裏より:21世紀の今日、宗教勢力が政治権力の中枢に入り込み、道徳や平和の名を借りた支配が強まるなか、思想・言論・表現の自由はどのようにして守り抜くことができるのか。宗教と国家、個人の自由について根源的に考察したスピノザの思想こそいま、読まれるべきである。
カバー裏紹介文より:「ひとびとの自然権を保障する点に国家の存在意義があり、そして自然権の保障とは思想・言論・表現の自由の保障なしには成り立たないからこそ、『国というものは、実は自由のためにある』とスピノザは結論する」(解説より)。『エチカ』と並ぶスピノザの代表作、ついに新訳なる。

目次:
第十章 残りの旧約聖書各巻が、既に取り上げられた各巻と同じ仕方で検証される
第十一章 使徒たちはその「手紙」を使徒や預言者として書いたのか、それとも教師として書いたのか、ということが考察される。さらに、使徒たちの役割とはどういうものだったかが明らかにされる
第十二章 神の法が記された本当の契約書について。聖書はなぜ聖なる書物と呼ばれ、なぜ彼の言葉と呼ばれるのかについて。そして最後に、聖書は神の言葉を含む限りにおいて、損なわれることなく私たちまで伝えられた、ということが示される
第十三章 聖書は単純きわまりない教えしか説いていないこと、ひとびとを服従させることだけが聖書の狙いであること、そして聖書は神が本来どういうものであるかについては、ひとびとがそれを見習って生き方の指針にできるようなことしか説いていないことが示される
第十四章 信仰とは何か。信仰のある人とはどのような人か。信仰の基礎になることが決められ、最終的に信仰が哲学から切り離される
第十五章 神学が理性に奉仕するのでも、理性が神学に奉仕するのでもないことについて。そしてわたしたちが聖書の権威を認める理由について
第十六章 国家体制の基礎について。個人のもつ自然な権利と、市民としての権利について。そして至高の権力の持ち主たちの権利について
第十七章 至高の権力にすべてを引き渡すことは誰にもできないし、その必要もないことが示される。ヘブライ人たちの国家体制はモーセの存命中、その死後、王たちを選ぶ前はそれぞれどうなっていたかについて。この国家体制の優れていた点について。そして最後に、この神による国家体制が滅びた原因や、存続している間もさまざまな叛逆にさらされずにはいられなかった原因について
第十八章 ヘブライ人たちの国家体制と歴史物語から、いくつかの政治的教訓が引き出される
第十九章 宗教上の事柄にまつわる権利は、すべて至高の権力の持ち主たちの管理下にあることが示される。正しい形で神に奉仕したいなら、宗教上の礼拝活動は国の平和と両立するように行われなければならないのである
第二十章 自由な国家体制では、誰にでも、考えたいことを考え、考えていることを口にすることが許される、ということが示される
原注
解説(吉田量彦)
 はじめに
 一、スピノザの生涯
 二、十七世紀のオランダにおける宗教と政治
 三、『神学・政治論』は誰に向けて書かれたのか――「哲学的読者」をめぐって
 四、同時代の反響とその後
 五、神、聖書、自由――なぜ『神学・政治論』は受け入れられなかったのか
  (a)神は自然である
  (b)聖書は道徳の教科書である
  (c)国家は自由のためにある
年譜
訳者あとがき

★発売済。1944年に岩波文庫より刊行された畠中尚志訳『神学・政治論』上下巻より数えて、帯文にある通り70年ぶりの新訳です。底本は1999年にPUF(フランス大学出版)が刊行したフォッケ・アッカーマンによる校訂版です(畠中訳の底本は1924年に刊行された、カール・ゲプハルト編のハイデルベルク・アカデミー版)。凡例によれば各巻末にまとめられた原注は「いくつかの古い稿本の欄外に遺された「書き込み」のこと」で、「ゲプハルトが整理・統合した上で通し番号を付けており、全部で39ある」とのこと。39のうち、確実にスピノザが書いたと立証できるものは5つしかないそうです。訳注は本文の見開き左頁の左端にまとめられていますが、「原書初版の下段に印刷されている、スピノザ自身が原文に付けた脚注」は「原注」という断り書きを付した上で訳注に統合されています。

★『神学・政治論』は、1670年の年初、スピノザが数え年で38歳(実年齢では37歳)の折に匿名で刊行されたもので、数え年24歳(実年齢は23歳)の折にアムステルダムのユダヤ人共同体から破門されてから14年後の著作です。刊行から4年後、本書は禁書処分を下されます。訳者あとがきにしるされているように、畠中訳のスピノザ本の中で『神学・政治論』だけが戦後一度も改訂されていませんでした。現代の読者にとってはいささか古めかしかっただけに、まっさきに本書の新訳が出たことは大いに意義深いです。訳者の吉田量彦(よしだ・かずひこ:1971-)さんは東京国際大学商学部准教授。ご専門は、17・18世紀の西洋近代哲学です。本書のほかにもうひとつ、スピノザの新訳計画をお持ちだったそうですが、できることならば続刊を望みたいです。

★本書が刊行当時危険視されたのは、既成の宗教的権威の枠組を果敢に批判し、思想信条の自由を謳ったためだと思われます。破門された立場だからこそスピノザは自由を得たわけですが、その自由は許されないものでした。本書にはこんなくだりがあります。「宗教的な事柄の担当者たちに、何かを取り決めたり、政治問題を取り仕切ったりする権威を認めるのは、宗教にとっても国家体制によっても大変有害だ」(258頁)。「神の権利を持ち出して純粋に思弁的な事柄を取り締まったり、法律を作ってひとの考えを縛ったりするのは、たいへん危険だ」(同)。「ひとぞれぞれの考えが犯罪扱いされるなら、そこでの政治はきわめて暴力的になるだろう」(同)。「するべきこととそうでないことを区別する権利は、至高の権力の担い手たちに委ねなければならない」(260頁)。世界各地で宗教や文化、利害の違いによる衝突が常態化しているこんにち、本書を再読する意義はますます大きいと言えるかもしれません。

★なお、来月10日発売予定のちくま学芸文庫新刊では、上野修さんによる『スピノザ『神学政治論』を読む』(320頁、本体1,200円、ISBN978-448-009625-8)が刊行予定だそうです。素晴らしいタイミングですね。


◎講談社学術文庫5月新刊より

荘子 全訳注(上)
池田知久訳注
講談社学術文庫 2014年5月 本体2,000円 1148頁 ISBN978-4-06-292237-1

帯文より:西洋哲学を凌駕する深い東洋の思想! 宇宙論、人生哲学、政治思想、技術論・・・。汲めども尽きぬ深い知恵!【総説】【読み下し】【現代語訳】【原文】【注釈】【解説】を付した決定版!
カバー裏紹介文より:「万物斉同」「胡蝶の夢」「朝三暮四」「庖丁解牛」「寿(いのちなが)ければ則ち辱(はじ)多し」「無用の用」・・・。宇宙と人間界の森羅万象を思想の対象とした「はじまりの東洋思想」は驚くほど深遠である。「一」であり「無」である「道」とは何か? 重大な問いを軽妙な文章で説く古代中国思想の極北の書は、読む者を広大無辺・奇想天外・超俗の世界へ誘う。丁寧な解説と達意の訳文の決定版。

★発売済。親本は『中国の古典(5)荘子』(学習研究社、1983年)および同6巻(1986年)。文庫化にあたり、全面的に改稿された増補改訂版です。上巻には内篇と外篇の「至楽 第十八」までが収録されています。目次詳細は書名のリンク先でご覧ください。学術文庫で1000頁を超える大冊は久しぶりではないでしょうか。平積から手に取ろうとしてその厚さに思わず手を滑らせて落としてしまうところでした。

★学術文庫ではこれまで「荘子」関連書は複数のロングセラーがあります。近年でも福永光司さんによる訳解本『荘子 内篇』が2011年7月に発売されたばかりです(親本は朝日新聞社より1966年刊、のちに朝日文庫で1978年に再刊)。福永版は興膳宏さんによって加筆整理された版(親本は筑摩書房版『世界古典文学全集(17)』2004年刊)がちくま学芸文庫より2013年7月に刊行され、その後「外篇」が同年8月、「雑篇」が9月刊で完結したためか、学術文庫では残りの「外篇」と「雑篇」が今のところ文庫化されていません。今回、池田訳注本が文庫化されたわけですが、ちくま学芸文庫版では全三巻、岩波文庫版では全四巻、中公文庫全三巻(現在は中公クラシックスで全二巻)であった「荘子」が、講談社学術文庫版では全二巻になります。この分厚さに魅了される読者もいるのではないかと思います。


グノーシスの神話
大貫隆訳著
講談社学術文庫 2014年5月 本体1,080円 334頁 ISBN978-4-06-292232-6

帯文より:キリスト教史上最大の〈異端思想〉のエッセンス。「存在しない神」が存在するという逆説。ナグ・ハマディ文書から、マンダ教、マニ教の文献まで、主要な断章を読み解く。
カバー裏紹介文より:キリスト教最大の異端とされるグノーシス主義は、「悪は何処から来たのか」という難問をキリスト教会に突きつけ、古代から近代まで、宗教、哲学、科学などさまざまな領域に「裏の文化」として影響を与え続けた。ナグ・ハマディ文書やマンダ教、マニ教の文献の主要な断章を抜粋し、人間と世界の起源と運命を解き明かそうとする神話的思考の全貌に迫る。

★発売済。異端派のレアな聖典の数々を味わうことのできる必読必携の一冊が文庫になりました。親本は、岩波書店より1999年刊(岩波人文書セレクションの一冊として2011年に再刊)。ええ、もう文庫化されるのか、と真っ先に感じたのは私が歳を食ったせいです。書架にある親本の奥付を調べてみたら前世紀ではありませんか。15年が経過したことがあっという間に思えるという怖さ。こういう場合によくあるのですが「親本を持ってるし、買うのはまた今度でいいか」と放っておくうちに文庫本も品切になる、という事態です。文庫化にあたっては、巻頭に3頁ちょっとの「はじめに」と、巻末に「学術文庫版あとがき」が加えられていますが、やはり「買い」です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ちなみに岩波書店時代の担当編集者の中川和夫さんは皆様御存知のように「ぷねうま舎」という出版社を2011年に創業されています。

★参照が推奨されている『ナグ・ハマディ文書』(全四巻、岩波書店、1997-98年)は現在品切ですが、姉妹篇である『グノーシスの変容――ナグ・ハマディ文書/チャコス文書』(荒井献・大貫隆編訳解説、岩波書店、2010年)は在庫ありですが、10年以上を経て刊行された続編のため見逃しておられた方もおられるかもしれません。お早目に入手された方がよさそうです。

★ちなみに今月の講談社学術文庫の新刊には上記二書のほか、川崎修『ハンナ・アレント』、本村凌二『愛欲のローマ史――変貌する社会の底流』、宮尾しげを『すし物語』といった魅力的な書目が並んでいます。また来月は、『荘子 全訳注(下)』のほか、ダンテ『神曲 地獄篇』原基晶訳解説、大谷哲夫『道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」』、中村桂子『生命誌とは何か』、倉嶋厚・原田稔『雨のことば辞典』が11日発売だそうです。『神曲』はすでに複数の文庫本がありますけれども、あえてそこに参入していくというのはさすが講談社の堂々たる風格だなと思います。また来月13日発売の講談社文庫では、ダニエル・タメット『ぼくには数字が風景に見える』古屋美登里訳を忘れずにいたいと思います。


◎岩波文庫5月新刊より

アンティゴネー
ソポクレース作 中務哲郎訳
岩波文庫 2014年5月 本体600円 210頁 ISBN978-4-00-357004-3

カバー紹介文より:「私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです」――祖国に攻め寄せて倒れた兄の埋葬を、叔父王の命に背き独り行うアンティゴネー。王女は亡国の叛逆者か、気高き愛の具現者か。『オイディプース王』『コローノスのオイディプース』と連鎖する悲劇の終幕は、人間の運命と葛藤の彼岸を目指す。新訳。

★発売済。旧訳文庫(呉茂一訳、1961年刊)は現在品切。三部作のうち、『オイディプス王』(藤沢令夫訳、1967年刊)や『コロノスのオイディプス』(高津春繁訳、1973年刊)はまだ在庫がありますが、そのうち新訳に切り替わっていくのかもしれません。今回の新訳には、「古伝梗概」として、『アンティゴネー』を紹介した三篇のテクストが訳出されています。アレクサンドレイア図書館長アリストパネースに帰せられているもの、5世紀の修辞学者サルースティオスによるもの、そして逸名氏のものです。さらに「伝記」として、紀元前の執筆者不明の「ソポクレースの出自と生涯」と、『スーダ辞典』の「ソポクレース」の項目が訳出されています。巻末には訳者による50頁強(参考文献含む)の長文解説があり、長く読み継がれるこの名作が丁寧に論じられています。

★なお岩波文庫では来月(2014年6月)17日、尾崎翠『第七官界彷徨・瑠璃玉の耳輪 他四篇』や、ナボコフ『青白い炎』富士川義之訳、パヴェーゼ『月と篝火』河島英昭訳などが発売予定です。また、同日発売の岩波現代文庫ではテッサ・モーリス-スズキ『過去は死なない――メディア・記憶・歴史』田代泰子訳、谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』などが予定されています。そして、単行本ではついに、デリダの『プシュケー――他なるものの発明』(藤本一勇訳、全二巻)の第I巻(全16篇)が27日発売で刊行されるようです(A5判上製カバー装576頁、本体8,300円、ISBN978-4-00-024689-7)。7月には、白水社さんからもデリダ関連書が出ます。ブノワ・ペータース『ジャック・デリダ伝』(原宏之・大森晋輔訳、A5判上製800頁、本体10,000円、ISBN978-4-560-09800-4)です。没後10周年だけに、どんどん盛り上がりますね。


◎ちくま学芸文庫/ちくま文庫5月新刊より

満足の文化
J・K・ガルブレイス著 中村達也訳
ちくま学芸文庫 2014年5月 本体1,000円 224頁 ISBN978-4-480-09605-0

帯文より:なぜ富裕層だけが富み続けるのか? 先進資本主義社会の病巣に迫る。
カバー裏紹介文より:ゆたかな社会を実現した先進資本主義社会では、政財官学が一体となり、ゆたかな人びとの満足度を高めるための政治が行われる。選挙で勝つために、そして最終的には超富裕層をさらに富ませるために。結果、彼らを潤す規制緩和や金融の自由化が急務となり、増税につながる福祉の充実や財政再建は放置される。経済学はトリクルダウン仮説、マネタリズム、サプライサイドエコノミクスなどで政策を正当化し、その恩恵が国全体にも及ぶかのように人びとを洗脳する。かくして度重なる選挙でも低所得層の叫びはかき消され、経済格差が固定化されていく。異端の経済学者ガルブレイスによる現代の資本論。

★発売済。親本は1993年に新潮社より刊行。原書は、The Culture of Contentment(Houghton Mifflin, 1992)です。巻末の「訳者あとがき」の日付は2014年3月ですから、文庫化にあたってのもののようです。ガルブレイスが本書で切り込んだ貧困層の問題や官僚症候群、軍事費の増大といったアメリカの当時の現実は、今やアメリカだけでなく日本においても暗い兆しを現しつつあるように思います。崩壊しつつある中流層が、徐々に衰退しゆく社会に対してそれでも満足しようとするかそれとも不満を募らせるか、本書の読者はそのどちらであっても、ガルブレイスの社会分析が教える「本気で改革を期待できるようなものではない」社会、特権や既得権益への欲望に充満した「自己満足的な満足せる人々の世界」への危機感を共有できるのではないかと思われます。

★なお、来月10日発売予定の学芸文庫の新刊には、リチャード・ローティの初の文庫化『プラグマティズムの帰結』(室井尚・吉岡洋・加藤哲弘・浜日出夫・庁茂訳、640頁、本体1,700円、ISBN978-4-480-09613-5)などがあります。これはかの大著『哲学の脱構築』(御茶の水書房、1985年;新装版1994年)の待望の再刊だろうと思います。


隠れ念仏と隠し念仏――隠された日本 九州・東北
五木寛之著
ちくま文庫 2014年5月 本体780円 304頁 ISBN978-4-480-43172-1

帯文より:〈隠された日本〉シリーズ第2弾! 日本には、300年の弾圧に耐えて守られた信仰があった。
カバー裏紹介文より:五木寛之が日本史の深層に潜むテーマを探訪するシリーズ「隠された日本」の第2弾。九州には、かつて一向宗が禁じられ、300年もの間の強烈な弾圧に耐えて守り続けた信仰「隠れ念仏」の歴史がある。それに対して東北には、信仰を表に出さず秘密結社のように守り続け、「隠す」ことで結束した信仰「隠し念仏」がある。為政者の歴史ではなく、庶民の「こころの歴史」に焦点を当て、知られざる日本人の熱い信仰をあぶり出す。

★発売済。先月刊行されたシリーズ第1弾、中国・関東篇『サンカの民と被差別の世界』に続く第2弾です。以後も毎月刊行で、大阪・京都篇『宗教都市と前衛都市』、加賀・大和篇、博多・沖縄篇と続く予定です。もともとは講談社の「日本人のこころ」シリーズとしてゼロ年代の初頭に刊行され、その後ゼロ年代後半に「五木寛之こころの新書」シリーズとして再刊されたものの文庫化です。隠れ念仏や隠し念仏については類書はさほど多いとは言えず、現在も入手可能な書目に限るとさらに少なくなるため、ほとんどの日本人にとっては謎の宗教であり、情報にアクセスしやすいとは言いがたいものがあります。それだけに本書によってようやくまとまった情報に接するという読者は多いかもしれません。五木さんの紀行文と考察の一体となった文章は柔らかで親しみやすく、ともに旅をしているような気分に浸れます。

★ちくま文庫の今月の新刊には本書のほかに、田中優子『カムイ伝講義』、南條範夫『暴力の日本史』、城山三郎/日本ペンクラブ編『経済小説名作選』、斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル〈理論編〉』、ベシュテル/カリエール『万国奇人博覧館』守能信次訳、『オノリーヌ――バルザック・コレクション』大矢タカヤス訳、などがありました。来月は10日発売で、『暗黒事件――バルザック・コレクション』柏木隆雄訳、斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉』、『宮脇俊三 鉄道紀行セレクション全一巻』小池滋編、などが予定されています。


◎文春学藝ライブラリー4月新刊より

インタヴューズ(II)ヒトラーからヘミングウェイまで
クリストファー・シルヴェスター編 新庄哲夫ほか訳
文春学藝ライブラリー 2014年4月 本体1,690円 464頁 ISBN978-4-16-813015-1

帯文より:革命と戦争の世紀、巨人たちの肉声。
カバー裏紹介文より:歴史は言葉で紡がれる――時代の証言者の発言を引き出すのも、また人間の営みである。現代にまでその名声をとどろかせるパイオニアたちは、何を語ったのか? 第二次世界大戦に至る激変の時代、世界の各ジャンルのオピニオンリーダーの発言をいま読み返すことは、現代への警鐘ともなっている!

★『インタヴューズ(I)マルクスからトルストイまで』とともに先月同時発売。親本では単行本全2巻(文藝春秋、1998年)でしたが、文庫では全3巻になります。中でも興味深く読めるのは第II巻ではないかと思います。なにしろ、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンの三人のインタヴューが収録されていて、中でもヒトラーのインタヴューで傍点だらけになる箇所は異常な高揚感を写し取っていて、この扇動の名手がただの死者ではなくおそらく将来的にもそこかしこで蘇る可能性のある怨霊のような存在であることを感じさせ、読者を戦慄させます。

★ヒトラーはこう大声でまくし立てるのです。「国民の士気が高ければ〔・・・〕敵が何平方マイル占領しようと問題ではない。祖国を救うために命を捨てる覚悟をした一千万人の自由なドイツ人のほうが、意志の力が麻痺し、外国人によって民族意識を骨抜きにされた五千万人のドイツ人よりもはるかに強力だ。/われわれはすべてのドイツ民族が結束したより偉大なドイツを欲する。しかしわれわれの救済はほんの狭い一角からでもスタートしうる。たとえ十エーカーの土地しか残されず、その土地を命をかけて守らなければならないとしても、その十エーカーがドイツ再生の中心となるだろう」(175-176頁)。この擬似英雄的な宣言はドイツだけでなく、どの国においても然るべきときに蘇る可能性があるのではないかという暗い予感がします。

★文藝春秋さんでは来月20日発売予定の文春新書で、『グローバリズムが世界を滅ぼす』という新刊を刊行されます。これは、E・トッド、H‐J・チャン、柴山桂太、中野剛志、藤井聡、堀茂樹といった国内外の識者が「グローバリズム信仰の誤謬を明らかにし、その背後にあるエリートと国家の劣化という問題に切り込」むものだそうです。トッドが新書に登場するのは初めてのことですね。
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by urag | 2014-05-18 23:45 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 13日

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる予定の本屋さん

2014年6月27日(金)
ソリッド・アンド・リキッド・マチダ:100坪(書籍25坪)
東京都町田市原町6-1-6 町田マルイ 6F
帳合は大阪屋。大阪屋の子会社、株式会社リーディングスタイルの別名新規店です。小田急線とJR横浜線の町田駅の北口に隣接した「町田マルイ」(先月リニューアル)の6Fに入店。書籍、雑誌、文庫新書、洋書のほか、雑貨売場やカフェを併設。弊社へのご発注は文芸書、芸術書、人文書などを合計10点ほど頂きました。リーディングスタイルが経営する店舗は、東京・丸ノ内KITTEの4F「マルノウチリーディングスタイル」(2013年3月21日)、大阪・あべのHOOPの6F「スタンダードブックストアあべの店」(2014年1月27日)に続いて「ソリッド・アンド・リキッド・マチダ」が3店舗目になるものと思います。営業時間は10:30から21:30まで。
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by urag | 2014-05-13 15:40 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 11日

注目新刊:ハル・フォスター『アート建築複合態』鹿島出版会、ほか

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アート建築複合態
ハル・フォスター著 瀧本雅志訳
鹿島出版会 2014年5月 本体4,800円 A5変形判上製376頁 ISBN978-4-306-04604-7

版元紹介文より:建築とアートの再編をめぐる批判的文化論。アンサンブルとしての複合態(コンプレックス)は資本主義のうちでいかに目的化されたか。視覚文化論のイデオローグが記す、「経済的なもの」に包摂された文化的営みへの病状診断。

目次:
序文
第1章 イメージの建築〔ビルディング〕
第1部 グローバル・スタイル
 第2章 ポップな市政学
 第3章 新たなる水晶宮
 第4章 ライトなモダニティ
第2部 アートと相まみえる建築
 第5章 ネオ・アヴァンギャルド的身振り
 第6章 ポストモダニズム式機械
 第7章 ミニマリズム系ミュージアム
第3部 ミニマリズム以降のメディウム
 第8章 リメイクされた彫刻
 第9章 丸裸にされた映画〔フィルム〕
 第10章 縛りを解かれた絵画
第11章 イメージに抗する建築〔ビルディング〕
訳者あとがき
索引

★まもなく発売。原書は、The Art-Architecture Complex(Verso, 2011)です。フォスターの新刊はつい先日『第一ポップ時代』が河出書房新社さんから発売されたばかりで、二か月連続で訳書が出るというのは珍しいです。『第一ポップ時代』は芸術書ですが、今回の『アート建築複合態』は建築書です。正確に言えば、建築と芸術のあわいを縫う本、相互浸透する界面の来歴に迫った本です。フォスターは序文の冒頭でこう言います、「あるときはコラボレーション、またあるときは競合しながら、両者〔アーティストと建築家〕の出会いは、いまやわれわれの文化のエコノミーにおいて、イメージ制作や空間形成の主要な場となっている」(7頁)。

★本書は三部構成で、前後を歴史的概観と彫刻家リチャード・セラとの対談で挟んでいます。第1部では、リチャード・ロジャース(1933-)、ノーマン・フォスター(1935-)、レンゾ・ピアノ(1937-)ら三人の建築家のデザイン実践を取り上げ、三様のグローバル・スタイルが論じられます。第2部では、ザハ・ハディド(1950-)、ディラー・スコフィディオ+レンフロ(エリザベス・ディラー:1954-/リカルド・スコフィディオ:1935-/チャールズ・レンフロ)、ジャック・ヘルツォーク(1950-)とピエール・ド・ムーロン(1950-)らが取り上げられ、「アートが出発の鍵となった建築家たちへ議論を転じる」(8頁)。第3部では「昨今アート諸ジャンルの位置付けの再編が進むなかでは、建築がその決定的=臨界的な役割を担っていること」(9頁)が中心的な論題であり、リチャード・セラ(1939-)の彫刻、アンソニー・マッコール(1946-)のフィルム作品、ダン・フレヴィン(1933-)らのインスタレーションが言及されます。

★モダニティ、ライトネス(明るい軽やかさ)、イメージァビリティ(イメージ化されやすさ)、メディウムといった主題が次々と開かれ、アートと建築の昨今の関係性――その、同定しがたく克服が困難な複合態=コンプレックスの様相を多面的に論じる本書は、フォスター自身の位置付けによれば「先立つ『デザインと犯罪』〔平凡社、2011年〕と同様、アートと建築の批評=批判(クリティシズム)であるのと同じだけ、文化批評=批判の諸でもある。それは、ジャーナリスティックな論評とインサイダーによる理論化との中間の道を模索するもの」(17-18頁)です。「それは現状への不満と、他に採りうる道(オルタナティヴズ)を求める欲望に端を発している。そして、批評=批判なきところ、他に採りうる道は存在しないのだ」(18頁)。本書の内外ともに美しく個性的な造本装幀は伊藤滋章さんによるもの。漢字仮名交じりで本来横組には向いていないのが日本語ですが、本文、傍注、図版ともすべて美しい横組レイアウトで、カバーも幅広の帯もとてもバランスが良く決まっています。造本設計面で原書を凌ぐアーティスティックな書物に仕上がっていると思います。


デザインの自然学――自然・芸術・建築におけるプロポーション [新・新版] 
ジョージ・ドーチ著 多木浩二訳
青土社 2014年4月 本体3,700円 四六判上製158頁 ISBN978-4-7917-6784-7

帯文より:デザインから見た宇宙の仕組み。生命あるものが、何故にかくまでも美しく存在するのか・・・。 その疑問を、恐竜・クジラから犬まで、多彩な花々と草木、チョウや昆虫、そして魚や貝類など、多種多様の形態を見較べ、独自の手法によって探究する。あらゆる「かたち」は、最も美しいプロポーション〈黄金分割〉比率へと収斂することを解明し、 自然界のダイナミズムと調和の意味するものを、全くユニークで大胆な思想へと構築する。

目次:
序文
謝辞
第1章 植物におけるディナージー
 無限にひらいた窓
 音楽と成長の調和
第2章 工芸におけるディナージー
 縦糸と横糸
 手とろくろ
第3章 生活術におけるディナージー
 触りうるパターンと触りえないパターン
 われわれのディナージー的資質
第4章 共有の無時間的パターン
 共有の基本的技術
 宇宙の秩序と暦の構造
 リズムと調和的な共有
第5章 共有の解剖学
 貝殻、二枚貝、蟹そして魚
 恐竜、蛙、馬
 共有すること――自然の性質
第6章 自然の秩序と自由
 有機的、非有機的パターン
 カブトムシからチョウまで
 人間の調和
第7章 ヘラスと俳句
 尺度としての人間
 測りえないものを測ること
 小さなものの偉大さ
第8章 知恵と知識
 東洋と西洋の生活術
 全体、地獄、聖地
付録:人体比例の比較表

訳者あとがき

★発売済。原書は、The Power of Limits: Proportional Harmonies in Nature, Art & Architecture(Shambhala Publication, 1981)で、青土社より初訳が1994年、新装版が1997年、新版が1997年に刊行されています。清水康雄社長(当時)の勧めで多木さんが訳されたもので、多木さんが2011年4月にお亡くなりになったため、今回の再刊にあたっては訳者あとがきの末尾に「新・新版にあたっての編集部メモ」が加えられています。ドーチ(György Dóczi, 1909-1995)はハンガリー生まれの建築家、デザイン・コンサルタントで同国のほか、スウェーデン、イランを経てアメリカで活躍しました。

★本書の趣旨について序文にはこう書いてあります。「ルネ・デュボスが『かくも人間的な動物』で指摘しているように、この豊かさとテクノロジーの時代はまた不安と絶望の時代でもある。伝統的な社会的・宗教的価値は、生がしばしばその意味を失ったように見えるくらい蝕まれている。自然の形態には明白な調和が、なぜ、われわれの社会的な形態ではもっと強い力ではないのか。おそらく、われわれは発明と達成の力に熱中しているので、限界の力を見失ったからであろう。すでにいま、われわれは地球資源の限界に、また人口過剰・大きな政府・大きな企業・大きな労働を制限する必要に、いやでも直面している。われわれの経験すべての領域で、適切なプロポーションを再発見する必要を見出しつつある。自然・芸術そして建築のプロポーションは、この努力においてわれわれを助けることができるだろう。なぜならこれらのプロポーションは共有された限界であり、差異から調和的な関係をつくりだすからである。かくてこれらのプロポーションは、限界がまったく制約的なものではなく、創造的なものであることをわれわれに教える。/ひとりの建築家がこんな本を書くというのは偶然ではない。なぜならプロポーションを扱うことが、建築家の仕事だからである」(3頁)。

★目次に出てくるディナージー(dinergy)というのはdiaとenergeiaを足したドーチによる造語で、補足しあう反対物の統合によるパターン形成の生成的で創造的な力を意味するようです。本書の原題は「限界の力――自然、芸術、建築における比例調和」で、書店さんの自然科学や芸術、建築だけでなくおそらくは成長を扱う経済学書の売場でも展開可能な非常に面白い本です。ちなみに次に紹介する『表皮と核』の著者二人も、ドーチと同じくハンガリー出身です。


表皮と核
ニコラ・アブラハム(Nicolas Abraham, 1919–1975)/マリア・トローク(Mária Török, 1925-1998)著
大西雅一郎/山崎冬太監訳 阿尾安泰/阿部宏慈/泉谷安規/梅木達郎/熊本哲也/佐々木俊三/髙井邦子訳
松籟社 2014年4月 本体4,200円 四六判並製539頁 ISBN978-4-87984-326-5

版元紹介文より:フロイトの精神分析理論の制約を解除し、「精神分析」を広く開いた本書は、デリダはじめ数多くの思想家の注目の的となってきた。刊行いらい、心理学・精神分析という領域を越えて、フランスの知的風景のなかで測り知れない影響を及ぼしてきた名著、待望の邦訳刊行。

★発売済。原書は、L'écorce et le noyau(Flammarion, 1987)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文の背にある「待望の名著遂に刊行!」という言葉はけっして大げさではなく、伝説的書物がとうとう日本語訳されたことを歓迎している読者もおられることと思います。帯文の表1には上記の版元紹介文にあるような謳い文句はなく、淡々と全6部構成の題名が記載されているだけです。事実、安易な要約を拒む書物ではあります。ハンガリーに生まれフランスで活躍した男女二人の精神分析家による主に60年代から70年代にかけて執筆され発表された諸論考(未刊草稿を含む)をまとめた、二段組五百頁を超える森のような迷宮のような大冊です。序文からしていきなり、本書の敷居の外へと読者をたちまち放り出す勢いです。すなわち、二人の共著である『狼男の言語標本――埋葬語法の精神分析/付・デリダ序文《Fors》』(港道隆/森茂起/前田悠希/宮川貴美子訳、法政大学出版局、2006年)に付されたジャック・デリダによる序文が「『狼男の言語標本』の読解への導き手となるだけでなく、本書全体のガイドでもある」(21頁)というのです。「彼の跡に従って、読者は精神分析的かつ超現象学的な空間の踏破が容易になるであろう」(同)。

★さらに序文はこう続きます。「この空間が様々に見えるのも外見にすぎない。そこにある四つの収斂する道、象徴-アナセミー-取り込み-クリプト保持=伝達をたどれば、それらが形づくる統一へと苦もなく至ることであろう」(同)。誰もがかつてラカンの『エクリ』に初めて挑んだ時に覚えたような一種の疎外感に襲われることでしょうが、そのまま続きへと読み進めてもそこにあるのはいきなり、フェレンツィの著書『タラッサ』への「序文」であり、それではと踵を翻して『狼男~』のデリダによる長い序文「FORS[数々の裁き/を除いて――ニコラ・アブラハムとマリア・トロークの角〔かど〕のある言葉」(『狼男~』所収、173-241頁)へと戻ったところで、70年代の絶好調なデリダの難解な壁にぶち当たるわけです。しかしこうした困難さも魅力であり、難解さに挑む楽しみがあるというも本当かもしれません。原書自体、アブラハムの死後12年を経てようやく刊行されていますから、ある種の困難さはすでに原書の時点からつきまとっていると言うべきでしょうか。

★最終部である第VI部「無意識における亡霊の働きと無知の掟」には「双数的一体性と亡霊に関するセミナーのノート」(1974-75年)、「亡霊についての略註」(1975年)、「恐怖の物語――恐怖症の症状:抑圧されたものの回帰か亡霊の回帰か?」(1975年)、「ハムレットの亡霊、あるいは「真実」の幕間に続く第六章」(1974/75年)の四つのテクストが収められていますが、その冒頭にはこんな言葉が掲げられています。「亡霊とは、無意識のうちにおける、他者の打ち明けられない秘密(近親相姦、犯罪、私生等)の働きである。亡霊の掟は、無知という義務を課す。亡霊の顕現、憑依というものは、奇妙な言葉や行為、(恐怖症の、強迫神経症の)徴候などの中に亡霊が回帰してくることである。亡霊の世界は、たとえば、幻想的な物語の中で客観化されることがある。その時、人は、フロイトが「無気味なもの」として記述した特異な情動を経験するのである」(429頁)。エンドロールのように巻末に流れるのはシェイクスピアの『ハムレット』第六幕の引用と登場人物の照応関係図です。他の書物の「序文」に始まり、シェイクスピア劇に終わるそのはざまに深淵が広がります。異様な書物です。


世説新語 4
劉義慶撰 井波律子訳注
東洋文庫 2014年5月 本体3,100円 B6変型判上製函入456頁 ISBN978-4-582-80849-0

帯文より:『世説新語』の舞台、魏晋の貴族社会への透徹した理解に基づく翻訳・解説により、存分にエピソードを味読でき、人と言葉がよくわかる。一読三嘆、読み始めると止まらない新訳注。全5巻。

★発売済。東洋文庫第849巻。下巻の「容止第十四――容貌風采に関する論評」から「排調第二十五――他人をやりこめ嘲笑した言動」までを収録しており、巻末には恒例の関連略年表が配されているほか、随所に諸家系図が載っています。第十五から第二十四までの日本語題を拾ってみますと、反省・改悟した人物の話、他人の美点を羨望する言動、死者の哀悼に関する言動、隠遁的行為にまつわる言動、すぐれた女性の言動、様々の技術にすぐれた人びとの言動、寵愛を受けた人びとの言動、世俗にとらわれる自由な生き方・態度、任誕〔前項〕よりも更に激しく自由な生き方・態度、です。

★気になるのは任誕第二十三と簡傲第二十四です。まず任誕とは、訳者の井波先生の解説によれば、「思いのままに任せ、放誕すなわち何ものにも拘束されず、自由気ままにふるまうこと」だそうです。酒飲みや無礼者、良く言えば儀礼や形式に囚われない自由人、アウトサイダーたちのエピソードが目白押しで、彼らが「竹林の七賢」だと知らなければ、ただのやっかいな変人と誤解しそうです。次に簡傲とは「人やモノをおろそかに扱い、傲慢な態度をとること」を言うそうで、七賢をはじめとする自由人たちの無頼ぶりを伝えています。無礼な振る舞いを見ることを通じて、魏晋時代の中国において何が礼儀であったかも見えてきます。東洋文庫の次回配本は2014年6月、『論語集注2』とのことです。

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by urag | 2014-05-11 23:29 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 08日

本日より:月曜社ミニフェア@MARUZEN&ジュンク堂書店新静岡店

◎月曜社ミニフェア@MARUZEN&ジュンク堂書店新静岡店

日時:2014年5月8日~6月30日
場所:MARUZEN&ジュンク堂書店新静岡店、人文書売場ミニエンド台

静鉄清水線「新静岡」駅の駅前「新静岡セノバ」の5階にあるM&J新静岡店(電話054-275-2777)にて月曜社のミニフェアが開始されましたので、お知らせします。「暴力論叢書」を中心に弊社人文書(思想書)を展開していただいています。写真のご提供は担当のNさんより。会期中にはフェアを記念した無料パンフもお配りする予定です。皆様のお越しをお待ちしております。

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by urag | 2014-05-08 08:25 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 05日

注目新刊:アダム・スミス、ベルクソン、シュタイナー

今回はここ1、2ヶ月のあいだに刊行された新刊のうち、旧訳や類書がある書目について取り上げます。私の結論としては、今回の新刊はいずれも「買い」だと思います。

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道徳感情論
アダム・スミス著 村井章子+北川知子訳
日経クラシックス/日経BP社 2014年4月 本体3,200円 4-6変型判上製752頁 ISBN978-4-8222-5000-3

帯文より:「世界の知の歴史において真に卓越した著者の一つ」(ノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センの序文から)。『国富論』に先立って「経済学の父」が構想した「共感」原理に基づく道徳哲学の全貌。『国富論』の「利己主義」ではなく「共感」こそ、新しい経済社会の基礎となる。

★発売済。1年前に高哲男訳全1巻本(講談社学術文庫)が出たばかりですけれども、今回の新訳は2011年に故・山岡洋一さんの翻訳計画を引き継ぐかたちで作業を開始されたことが村井さんの「訳者あとがき」によって明かされています。山岡さんが『国富論』(上下巻、日本経済新聞出版社、2007年)のあとに手掛けることを希望されていたのが『道徳感情論』だったとのことです。村井=北川訳は既訳に比しても読みやすく、新たに読者層を広げていく予感がします。

★凡例によれば、「本書は The Theory of Moral Sentiment 第六版の本文の全訳である。同書の初版が発行されたのは1759年であり、発行250周年を記念してペンギン・ブックスから出版された250th Anniversary Edition(2009年)を底本とした。アマルティア・センの序文は、この250周年記念版に寄せたものである。原注(★)は脚注として掲げ、ペンギン版編注(*)は巻末に収録した。なお、付録の言語起源論は割愛した。/邦訳は、初版が水田洋訳(岩波文庫)、第六版が米林富男訳(紫生書院)と高哲男訳(講談社学術文庫)で刊行されており、訳出にあたって参考にした。先人の偉業に敬意を表する」。このあとに「翻訳に際して問題になった言葉、既訳と異なる訳語を採用した言葉についてかんたんに解説する」とあって、moral sentiment(道徳感情)、prosper/prosperity(適切/適切さ)、principle(原理・働き/原動力・力)、sympathy(共感)、fellow-feeling(同胞感情)、nature(自然/造物主)について説明されています。本論考の肝であるsympathyは、共感と訳したのが今回の村井=北川訳と高訳で、米林訳では同情、水田訳では同感です。

★共感について述べた『道徳感情論』の冒頭はこうです。「人間というものをどれほど利己的とみなすとしても、なおその生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがあり、他人の幸福を目にする快さ以外に何も得るものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる。他人の不幸を目にしたり、状況を生々しく聞き知ったりしたときに感じる憐憫や同情も、同じ種類のものである。他人が悲しんでいるとこちらもつい悲しくなるのは、じつにあたりまえのことだから、例を挙げて説明するまでもあるまい。悲しみは、人間に生来備わっている他の情念同様、けっして気高い人や情け深い人だけが抱くものではない。こうした人たちはとりわけ鋭く感じとるのかもしれないが、社会の掟をことごとく冒すような極悪人であっても、悲しみとまったく無縁ということはない」(57頁)。

★書名のリンク先にある版元の書誌情報ページでは、本書の冒頭に置かれたセンによる長い序文(3-35頁)からこんな言葉が引かれています。「スミスは、広くは経済のシステム、狭くは市場の機能が利己心以外の動機にいかに大きく依存するかを論じている。[・・・]事実、スミスは『思慮』を『自分にとって最も役立つ徳』とみなす一方で、『他人にとってたいへん有用なのは、慈悲、正義、寛容、公共心といった資質』だと述べている。これら二点をはっきりと主張しているにもかかわらず、残念ながら現代の経済学の大半は、スミスの解釈においてどちらも正しく理解していない」(10-11頁)。この直後にセンはこう続けています。「最近の経済危機の性質を見ると、まっとうな社会をつくるには、野放図な自己利益の追求をやめる必要があることははっきりしている」(11頁)。

★センはまた、本書をこうも評しています。「スミスの道徳と政治に関する論考が広い範囲におよんでいることは、言うまでもなく彼の思想の特徴の一つであるが、これを強固に支えていたのが、すべての人間は同じような潜在能力を持って生れついたという信念であり、政策面でより重要なのは、世界の不平等は本来的な差異を反映したものではなく社会が生み出したのだという信念であった」(32頁)。スミス像の転換を示唆するセンの序文は必読かと思います。

★凡例に記載されていた既訳もついて、補足情報を加えつつ以下に再度まとめます。それぞれの訳文への評価は色々あるようですけれども、大切なのは自分の眼で確かめることだと思います。

◎初版本の既訳

水田洋訳『道徳感情論』巻、岩波文庫、2003年2/4月、本体1,020円/1,100円、ISBN4-00-341056-4/4-00-341057-2

◎第六版の既訳

米林富男訳『道徳情操論』巻、日光書院、1949年;紫生書院、1954年;未來社、1969/70年、本体4,800円/3,800円、ISBN978-4-624-01026-3/978-4-624-01027-0
※下巻は在庫あり、上巻は「書物復権2014」で今月復刊。

高哲男訳『道徳感情論』講談社学術文庫、2013年6月、本体1,800円、ISBN978-4-06-292176-3

村井章子・北川知子訳『道徳感情論』日経BP社、2014年4月、本体3,200円、ISBN978-4-8222-5000-3

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新訳ベルクソン全集(5)精神のエネルギー
アンリ・ベルクソン著 竹内信夫訳
白水社 2014年4月 本体3,000円 四六判上製286頁 ISBN978-4-560-09305-4

帯文より:夢を見るとはどういうことか? 哲学者であるとともに科学者、そして文人でもある知の巨人――ベルクソンの統一的な全体像がわかる、本邦初の個人完訳。

版元紹介文より:やさしく話しかけるベルクソンの言葉に、耳を傾けてみませんか? 本書には、心理学や哲学の問題を取り扱う四つの講演と三つの論文が収録されています(『哲学雑誌』に掲載されたものが二本、ジュネーヴでの哲学総会で口頭発表されたのち『形而上学・倫理学雑誌』に掲載されたものが一本)。はたして、知性を乗り超えて前進しようとする意識(=生命活動)において、夢を見るとはどういうことか? スピリチュアルな「超能力」についても明快に語る、ベルクソン哲学への入門に最適な講義録です。

★発売済。竹内信夫さんによる個人訳全集(全7巻、別巻1)の第5回配本です。月報は、一昨年『超心理学』を紀伊國屋書店から上梓され、今月には新潮新書より『「超常現象」を本気で科学する』が発売される石川幹人さんによるエッセイ「心霊研究から超心理学へ」のほか、カントやハイデガーなどの相次ぐ新訳で高名な熊野純彦さんによる解題「精神のエネルギー――思考のつむぐ夢」、竹内さんによる「訳者のつぶやき」、そして、しりあがり寿さんによるイラスト「élan vital ?」が掲載されています。

★熊野さんが言及されている1901年5月の講演録「夢」にある印象的な一節を、戦後から一昨年までの既訳と一緒に読み比べてみます。

竹内信夫訳『新訳ベルクソン全集(5)精神のエネルギー』
各種感覚器官から伝達される情報源の潜在的な力、つまり目や耳や、さらには身体の表層や内部のあらゆる地点から伝達される漠然とした多くの刺激を明確で限定された対象物に転換する力、それは[記憶の]想起機能であるということです。(120-121頁)

原章二訳『精神のエネルギー』平凡社ライブラリー、2012年2月、本体1,500円、ISBN978-4-582-76755-1
感覚器官によって伝えられた材料に形を与える力、つまり目や耳や体の表面や内部からやって来た漠たる印象を形の定まった鮮明なものに変える力は、記憶であるということです。(141頁)

宇波彰訳『精神のエネルギー』レグルス文庫、1992年4月、本体850円、ISBN978-4-476-01199-9
感覚器官によって伝えられた材料の情報提供力、つまり、眼や耳や、身体のすべての表層・内部からのあいまいな印象を明確で決定された対象に変える力は、記憶内容だということです。(113頁)

渡辺秀訳『ベルグソン全集(5)精神のエネルギー』白水社、1973年/2001年10月新装復刊、現在品切、ISBN4-560-02519-3
感覚器官によってつたえられた素材に形をあたえる力、目や耳や体のすべての表面とすべての内部から来たばく然とした印象を、はっきりきまった対象に変える力は、回想であります。(116頁)

竹内芳郎訳『夢について』河出文庫、1954年、絶版
諸感官によってもって来られた材料に形を与える力、つまり目や耳や体の表面全体・内部全体から来た諸印象をはっきりときまった事物に転ずる力、それは追憶である、ということ。(17-18頁)

このほかにも戦前には、小林太市郎訳『精神力』(第一書房、1932年;全国書房、1946年)や、広瀬哲士訳『夢と哲学』(東京堂、1936年)、篠崎初太郎訳『夢の研究』(英訳からの重訳、異端社、1925年)などがありました。

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ルドルフ・シュタイナーの黒板絵
ワタリウム美術館監修
日東書院 2014年3月 本体4,800円 A4変型判並製160頁 ISBN978-4-528-01053-6

帯文より:生き生きとした描写が時代を超えて輝きを放つ。遺された黒板絵で辿るルドルフ・シュタイナーの思考の軌跡。ワタリウム美術館「ルドルフ・シュタイナー展 天国の国」公式カタログ。「一見して、すべてが了解できた。見ればわかった。シュタイナーの黒板絵はパウル・クレーに匹敵するものだった」(松岡正剛)。

★発売済。帯文にある通り、ワタリウム美術館で現在開催中の「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(2014年3月23日~7月13日)の公式カタログです。版元さんの書誌情報ページには「2013年にヴェネチア・ビエンナーレで発見された本邦初公開の黒板絵100点を収録しています」とありますが、実際に数えてみると100点には足らないようです。ご参考までに収録作品を目次詳細として転記しておきます。

目次:
意識-生命-形態〔フォルム〕(ヴァルター・クーグラー)
黒板-芸術――霊の世界からのつかの間の絵のメッセージ(ヴァルター・クーグラー)
宇宙と自然
 1)人智学の宇宙論(1921年10月9日)
 2)月と地球(1921年4月1日)
 3)冬と夏が一緒に(1922年12月29日)
 4)自然の権力(1923年1月10日)
 5)天文学の成立(1923年2月21日)
 6)中心と周辺(1920年3月30日)
 7)星々は愛の表現である(1924年1月24日)
 8)黄道光は何に由来するのか(1924年8月9日)
 9)社会的混沌の原因(1920年8月29日)
10)地球の感覚器官(1923年12月26日)
11)死と誕生の間(1923年5月6日)
12)光の影(1924年1月4日)
13)重さと光の間(1920年3月26日)
14)鉛の生成(1920年3月26日)
15)珪酸(1924年7月3日)
16)宇宙の働きと人間の成長(1924年9月11日)
17)線と円、太陽と月(1924年9月15日)
18)天使の国(1924年8月3日)
農の未来――シュタイナーが遺した「農業講座」(ドニー・ピリオ/假野祥子訳)
こころ――思考・感情・意志
19)作用力(1919年10月4日)
20)霊、魂、体(1919年10月5日)
21)内と外(1919年9月18日)
22)宇宙思考と人間意志(1919年8月30日)
23)奈落(1922年1月1日)
24)思考内容(1920年12月5日)
25)想像力と知性(1920年4月3日)
26)人間はなぜ考えることができるのか(1920年3月23日)
27)霊と物質(1921年7月15日)
28)愛と自由(1920年12月11日)
29)天上に由来する数学(1923年12月21日)
30)美・叡智・力(1920年11月28日)
からだ
31)私たちの中の「時間体」(1923年4月15日)
32)自我-意志-熱(1920年12月17日)
33)思考内容が脳を形成する(1924年6月30日)
34)外と内(1922年4月29日)
35)第2のからだ(1924年6月25日)
36)心臓――宇宙の模造(1922年5月26日)
37)人も植物も状況次第(1922年9月30日)
38)1:4(1922年10月20日)
39)心臓の認識(1923年1月7日)
40)相互作用(1924年6月26日)
41)全身も頭です(1919年9月15日)
42)三文節化された人間(1923年7月7日)
43)空気は勇気(1924年1月6日)
44)人間の頭の秘密(1923年5月6日)
45)自己認識と世界認識(1923年11月9日)
46)気づくことが大事なのです(1922年4月1日)
47)生命のリズム(1924年9月17日)
48)左か右か(1922年12月16日)
49)からだの中の灰(1923年3月17日)
50)ほとんどまったく頭だけ(1923年1月27日)
51)生まれることも死ぬこともないもの(1923年7月25日)
52)教育という芸術作品(1922年9月17日)
革命思想としてのシュタイナー教育(入間カイ) 
いきもの
53)植物の見方(1922年7月22日)
54)蝶は本来光そのものです(1923年10月27日)
55)動物実験(1920年3月21日)
56)適応(1920年3月23日)
57)人間――逆転した植物(1920年3月25日)
58)樹幹――大地の折り返し(1920年3月25日)
59)菜食だけだったら(1920年3月30日)
60)樹木の本質(1924年6月12日)
61)堆肥のつくり方(1924年6月13日)
62)植物の成長(1924年6月14日)
63)樹木の生命力(1924年6月15日)
64)人間と動物の違い(1924年6月16日)
65)植物の誕生(1923年10月31日)
66)小さな医者たち(1923年12月15日)
67)ミツバチは仕事を完璧にこなす(1923年12月22日)
アントロポゾフィーに基づく自然化粧品(野中潤一)
社会の営み
68)宗教衝動と経済衝動(1919年10月11日)
69)経済生活が必要とするもの(1919年10月12日)
70)人格霊と形態霊(1923年3月18日)
71)商品-労働-資本(1919年8月9日)
72)肩の上に乗っているもう一つの頭(1919年8月11日)
シュタイナーのアナキズム(高橋巖)
文化と芸術
73)ゲーテアヌムの建築思想(1924年1月1日)
74)古代の舞台(1924年11月14日)
75)直線と曲線(1924年7月1日)
76)舞台装置(1924年9月19日)
77)有機的建築様式(1921年12月28日)
78)厳密性と柔軟性――科学と芸術(1923年12月7日)
79)色彩の性質(1921年5月7日)
シュタイナーの建築思想(上松佑二)
有機的な建築物――哲学者と扉の錠前(ヴァルター・クーグラー)
シュタイナー建築(鈴木理策写真)
ゲーテアヌム旅行記(坂口恭平)
霊の象形文字――ガラス窓のスケッチ(ヴァルター・クーグラー)
あらゆるものの中に一片の魂がある――家具デザイナーとしてのシュタイナー(ヴァルター・クーグラー)
装飾美術におけるゲーテ主義的な形態言語(ヴァルター・クーグラー)
シュタイナーの建築思想と同時代の家具デザイン(橋場一男)
ルドルフ・シュタイナーの生涯(高橋巖)
 Ⅰ クラリエヴェク/ヴィーナー・ノイシュタット時代(1861~79年)
 Ⅱ ウィーン時代(1879~90年)
 Ⅲ ワイマール時代(1890~97年)
 Ⅳ ベルリン時代(1897~1913年)
 Ⅴ ドルナッハ時代(1913~1925年)
後記 天使の国から(和多利恵津子/ワタリウム美術館館長) 
著者訳者プロフィール
展示作品リスト

★同じくワタリウム美術館でかつて開催された「ルドルフ・シュタイナーの黒板ドローイング=地球が月になるとき」展(1996年11月30日~1997年3月30日)にあわせて出版された『ルドルフ・シュタイナー 遺された黒板絵』(現在品切)と収録作品がどう違うのかということですが、一部の重複を除いてほとんどが別の黒板絵でした。そんなわけで、黒板絵に心底魅了された方は、今回の新刊も筑摩書房版も、ともにご購入されておくことをお薦めします。筑摩書房版は長期品切で古書店をあたるほかありません。展覧会にあわせたもともとの出版経緯からして、再版は難しいものと思われます。ちなみに黒板絵は全体で1000点ほどあるということなので、この2冊を合わせてもまだほんの一部を見たにすぎないことになります。

ルドルフ・シュタイナー 遺された黒板絵
ルドルフ・シュタイナー著 ワタリウム美術館監修 高橋巖訳
筑摩書房 1996年11月 本体5,800円(現在品切) A4判並製160頁 ISBN4-480-87286-8

目次:
はじめに
黒板絵をめぐって
 薔薇をめぐる記憶(和多利恵津子/ワタリウム美術館・キュレーター)
 ゲーテアヌムとその周辺(地図)
 芸術作品としてのシュタイナーの黒板絵(コンラート・オーバーフーバー/アルヴェルティナ美術館館長)
宇宙
 1)人智学の宇宙(1912年10月9日)
 2)太初、熱があった(1924年6月30日)
 3)宇宙エーテル(1924年6月4日)
 4)黄道十二宮の意味(1924年5月17日)
 5)大切なのは、牡羊座の牡羊がふり返って見ていることなのです(1921年10月28日)
 6)三重の太陽(1921年10月29日)
 7)しかし太陽は動いている(1924年5月17日)
 8)星々は愛の表現である(1924年1月4日)
 9)人間と宇宙(1921年10月8日)
地球
10)かつて地球は巨大な獣であった(1922年9月20日)
11)時間を逆に辿ると(1923年12月1日)
12)アダム・カドモン(1922年9月30日)
13)火山と正四面体の地球(1924年9月18日)
14)春(1923年10月7日)
15)宇宙の愛の供犠、地球の磁力と重力(1923年11月2日)
16)大地のリズム(1923年7月20日)
17)地球が月になるとき(1923年10月6日)
18)虹の色(1923年6月9日)
19)虹――不安と勇気(1924年1月4日)
20)結晶(1924年8月13日)
生命
21)植物の誕生(1923年10月31日)
22)植物の成長(1924年6月14日)
23)太陽の作用と植物の成長(1922年9月27日)
24)植物とアストラル界(1923年3月22日)
25)植物の見方(1922年7月22日)
26)すみれは何をするのか(1924年8月9日)
27)小さな医者たち(1923年12月15日)
28)なぜ人はバラが好きなのか(1923年11月25日)
29)三つの世界を生きる(1924年8月12日)
30)蜜蜂と雀蜂と蟻(1923年12月12日)
31)あらゆる方向に開かれている頭(1923年11月10日)
32)蝶たちのコロナ(1923年10月28日)
33)織り成された太陽の光(1923年10月19日)
34)宇宙の記憶、宇宙の思考、宇宙の夢(1923年10月27日)
35)微小なものへの畏敬(1924年7月5日)
人間
36)人間が先ず存在した(1924年7月3日)
37)人間の彫塑性(1924年1月9日)
38)肉体――エーテル体(1923年12月30日)
39)中心と周辺(1923年12月30日)
40)宇宙言語を語る人体(1923年12月2日)
41)人間は音楽です(1924年2月26日)
42)小宇宙と大宇宙の対応(1920年5月15日)
43)頭部と腹部(1923年3月22日)
44)脳と腸(1923年11月3日)
45)幾何学と血液(1922年12月26日)
46)小さな人間たちばかり(1922年11月29日)
47)宇宙詩(1923年11月30日)
48)熱(1923年11月10日)
49)小児病の諸原因(1924年4月21日)
50)蟻酸とこころ(1923年12月22日)
51)三文節化されている人間(1922年2月19日)
52)人間と宇宙(1924年4月21日)
53)感覚――宇宙への扉(1920年8月8日)
54)見ること、思うこと、思い出すこと(1922年4月30日)
55)思い出すことは知覚すること(1924年3月2日)
56)私たちは食べるときに、何をするのか(1923年7月18日)
57)内と外(1923年12月9日)
58)眠っているとき(1922年8月9日)
59)夜の私たちは二人の人間です(1923年6月16日)
60)夢の世界(1923年9月22日)
61)夢は何を語るのか(1923年8月22日)
62)無重力状態(1923年7月29日)
63)魂が入っていけない生体部分(1922年5月5日)
64)エーテル体(1922年5月26日)
文化
65)厳密性と柔軟性――科学と芸術(1923年12月7日)
66)人間が地球から離れれば離れるほど(1923年4月20日)
67)天文学の始まり(1923年2月21日)
68)百年暦の秘密(1924年9月13日)
69)イマヌエル・カント(1924年5月14日)
70)ヘーゲルとショーペンハウアー(1920年12月4日)
71)教育という芸術作品(1922年9月17日)
72)色彩の本質(1921年5月6日)
73)色の成立(1923年6月9日)
74)ゲーテアヌムの建築思想(1924年1月1日)
75)有機的建築様式(1921年12月28日)
76)舞台装置(1924年9月19日)
77)経済問題の考察の中で(1922年7月26日)
78)ひたすら流動するもの(1922年7月25日)
79)私たちが干からびてしまわないために(1920年2月14日)
精神世界
80)物質的なものと霊的なもの(1924年6月11日)
81)内なる不可視の人間(1921年2月11日)
82)霊的生活へのいわれなき恐怖(1922年5月6日)
83)思考とは何か(1923年4月20日)
84)思考内容に力がそなわるとき(1923年4月15日)
85)光の中に生きる(1920年12月5日)
86)光の中で呼吸するように(1923年11月24日)
87)手の指、足の指で考える(1923年11月11日)
88)第二の人間(1922年2月12日)
89)霊視-霊聴-霊的合一(1920年3月20日)
90)なぜ地上に生きているのか(1921年7月3日)
91)現在とは(1921年7月15日)
92)地球の債務者(1923年10月21日)
93)悪(1921年9月23日)
94)表情の動き(1923年2月17日)
95)輪廻転生(1923年5月30日)
96)霊的本能(1924年7月4日)
97)死後は多くのことが別様に現れる(1921年10月21日)
98)精神と物質(1921年7月15日)
神話と宗教
99)神話(1922年8月5日)
100)太古の自然感情(1923年12月26日)
101)「私ではなく、私の中のキリスト」(1922年3月25日)
102)復活の思想(1923年4月1日)
103)ゴルゴタ――空間から時間へ(1924年4月19日)
104)十字軍(1923年3月17日)
105)新しい始まり(1919年10月17日)
106)神々のもうひとつの眼(1924年5月30日)
107)私の学ぶべき言葉(1923年10月20日)
生涯と作品
 芸術の理解から理解の芸術へ(ヴァルター・クーグラー/ルドルフ・シュタイナー文書館館長)
 凡てに魂が吹き込まれて――ルドルフ・シュタイナーと人智学建築(ヴォルフガング・ペーント/建築史家)
年譜(高橋巖)
 Ⅰ クラリエヴェク-ヴィーナー・ノイシュタット時代(1861~79年)
 Ⅱ ウィーン時代(1879~90年)
 Ⅲ ワイマール時代(1890~97年)
 Ⅳ ベルリン時代(1897~1913年)
 Ⅴ ドルナッハ時代(1913~1925年)
用語解説
 1)土星紀・太陽紀・地球紀
 2)エーテル的とアストラル的
 3)竜鳥
 4)レムリア期とアトランティス期
 5)アダム・カドモン
 6)形成層
 7)土星作用
 8)血は特製のジュースだ
 9)ルツィフェルとアーリマン
10)人格霊と形態霊
出典一覧
展示作品リスト

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by urag | 2014-05-05 22:03 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 02日

「思想」2014年5月号に『原子の光(影の光学)』の書評

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岩波書店さんの月刊誌「思想」2014年第5号(1081号)に、2013年6月弊社刊の『原子の光(影の光学)』の書評「観ることの倫理性――リピット水田堯『原子の光(影の光学)』」が掲載されました(90-100頁)。評者はさいきん『制御と社会』を人文書院さんから上梓されたばかりの北野圭介さん(きたの・けいすけ:1963年生、立命館大学映像学部教授)です。「そのはじめの数頁、いや数行に目を通しただけでも、濃密な志向がうねり、飛び跳ね、旋回するさまに出逢うこととなる。〔・・・〕類をみない高密度のエクリチュールのうねりに我が身を任せるしかない、そう吐露したとしても毫も可笑しくはない。そして、そうした読解がなかば適切な所作のようにさえ思われる。多方向に開いたままで語彙が折り合わされることが戦略上選びとられているからだ」。「彼が観た映画をめぐって言葉を書き付けるとき、そこにはある種の倫理性が作動している。デリダが口にしたメシア主義なきメシア性に近いような。けれども、東洋と西洋の界面でその倫理性は立ち上がる。戦慄する倫理性をもつ書だといっていい」、と評していただきました。北野先生、ありがとうございました。

また「思想」同号では「来るべきカルチュラル・スタディーズのために」という特集が組まれており、北野圭介さんと吉見俊哉さんの表題対談のほか、「スチュアート・ホール追悼」と題した寄稿が並んでいます。『原子の光(影の光学)』の書評もこの特集の一部です。弊社より著訳書を刊行されている先生方も寄稿されています。毛利嘉孝さんは「スチュアート・ホールの〈声〉――ある有機的知識人の実践」(66-70頁)、本橋哲也さんは「問いと愛情――カルチュラル・スタディーズの道行」(82-89頁)と題したテクストを寄稿されています。毛利さんはこう書いておられます。「スチュアート・ホールのことを考える時に最初に思い出すのは、その〈声〉である。いくぶん低めのしゃがれた声は、話をしているうちに次第に熱を帯び、そのトーンとリズムにいつの間にか引き込まれていく」(66頁)。また、こうも書かれています。「カルチュラル・スタディーズは体系的な理論ではない。むしろ理論の体系性を疑う理論、あるいは理論化の過程を考える理論である。私たちがホールから学んだことがあるとすれば、それは世界を解明する理論ではない(そんなものは歴史上存在した試しがない!)。現実の世界は、どんな理論よりも複雑だ。重要なのは、、その地理的・歴史的特殊性、重層的情況を理解し、過度な単純化に陥らずに、理論化を進めることだとホールは繰り返し言う。/ホールから学ぶべきことがあるとすれば、それは世界を問題化する正しい問題の立て方であり、その問題を解決するための理論化の方法である」(69頁)。さらに本橋さんによればこうです、「カルチュラル・スタディーズは究極的に、答えや行動へのマニフェストではなく、問いの継続なのである」(86頁)。

追悼文の中では、平野克弥さんの「「カルチュラル・スタディーズの汚らしさ」――スチュアート・ホールの政治」にある次の言葉が印象的でした。「スチュアート・ホールはカルチュラル・スタディーズの「汚らしさ」あるいは「卑俗さ」という表現を好んで使った。しかしそれは、ポピュリストとしての発言ではなく(実際、ポピュラー・カルチャーを民衆的抵抗の場としてではなく矛盾する諸力が折衝する場と考えていたホールは、厳密な意味でポピュリストではなかった)、1980年代から90年代のアメリカでカルチュラル・スタディーズが急速に普及し、安全な「学問」に成り代わってしまったことへの抗議と苛立ちを表す言葉だった。当時、アメリカの主な研究分野――文学、歴史学、人類学、社会学、地理学、メディア研究、ジェンダースタディーズ――に「最先端」の学問として浸透していったカルチュラル・スタディーズは、「テクスト論」、「言説論」、「表象論」、「パフォーマンス論」のような一連の分析と語りのモジュールを作り上げていった。カルチュラル・スタディーズの名の下に新しい教授職、学部、センター、学術誌がつくられ、それは瞬く間に覇権的地位を築いていったのである。ホールは、1990年代初頭にイリノイ大学で行われた国際会議で、カルチュラル・スタディーズから「学問」的「純粋さと正当性を払拭」し、それをもう一度「地べたを這いずり回るような不愉快な」状態に引き戻さなければならないと語っている」(56頁)。青土社さんの「現代思想」臨時増刊号でも増補版のスチュアート・ホール特集号が出たばかりですから、この機会に書店さんの「カルチュラル・スタディーズ」棚が見直され、いっそう充実すると良いなと思います。
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by urag | 2014-05-02 16:09 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)