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2013年 06月 30日

注目新刊と近刊:ランシエール『アルチュセールの教え』航思社、など

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アルチュセールの教え
ジャック・ランシエール(Jacques Rancière, 1940-)著 市田良彦・伊吹浩一・箱田徹・松本潤一郎・山家歩訳
航思社 2013年7月 本体2,800円 四六判上製324頁 ISBN978-4-906738-04-5

大衆反乱へ! 哲学と政治におけるアルチュセール主義は、煽動か、独善か、裏切りか――68年とその後の闘争をめぐり師と訣別、「分け前なき者」の側に立脚して、存在の平等と真の解放をめざす思想へ。思想はいかに闘争のなかで紡がれねばならないか。

★6月27日取次搬入済新刊。原書はLa leçon d’Althusser(La fabrique, 2012)です。1974年に刊行されたランシエールの初めての単独著の新版になります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には訳者の市田良彦さんによる周到な解題「〈無知な教師〉はいかにして〈僭主〉を教えたか」(299-319頁)、さらに人名索引と、組織・党派名索引が配されています。巻頭の「新版へのまえがき(2011年)」によれば、「再版されるテキストに一切修正を加えなかった。〔・・・〕唯一の変更点は、本書に補遺として収録されている「イデオロギー論について――アルチュセールの政治」というテキストにかかわる。〔・・・〕当時の私は、〔・・・〕注を書き加え、テキストが含むいくつかの命題について書物刊行時〔1974年〕に持っていた留保を明確にした。〔しかし今回の新版では〕当初の付録的な位置に戻してやることにし、1969年に書かれ、翌年スペイン語に翻訳されて刊行されたままのかたちで本書に収めることにした」(16頁)とのことです。

★「第一版序文(1974年)」によれば本書は「ルイ・アルチュセールからジョン・ルイスに授けられたマルクス主義の教え」についての注釈であり(17頁)、さらに「新版へのまえがき(2011年)」によれば「様々に自称されるいわゆる支配批判の中心にある、〔・・・〕知性の不平等論に対し宣戦布告をし」(13頁)、「どんな革命思想も〔・・・〕被支配者たちの能力という前提にもとづくべきである、と宣言した」(同頁)本だと説明されています。さらに本書は、晩年の「偶然性唯物論」以前の、『マルクスのために』(平凡社ライブラリー、1994年)や『ジョン・ルイスへの回答』(『歴史・階級・人間』福村出版、1974年、絶版)といった60年代~1973年の時期のアルチュセールの思想を扱うもので、「そこにはアルチュセール、サルトル、フーコーといった人物、欄外にはドゥルーズ、ガタリ、リオタールといった人物が登場する。彼らは1968年の出来事、さらに五月後の運動と軋轢によって思想と行動に光が当てられて登場する」(同、7-8頁)とも紹介されています。ランシエールは本書以降、「この能力の諸条件と諸形態」の分析に取り組み、『プロレタリアの夜』(1981年、未訳)では「地下に埋められた労働者の解放形態を明るみに出し」、『無知な教師』(法政大学出版局、2011年)では「ジョセフ・ジャコトが知性の解放を宣言した忘れられたテキストに再び光を当て」(同頁)た、と自身の仕事を位置づけています。

★本書はシリーズ「革命のアルケオロジー」の第一回配本。奥付上部に記載された説明文によれば、同シリーズは「2010年代の今こそ読まれるべき、読み直されるべき、マルクス主義、民主主義、大衆反乱、蜂起、革命に関する文献」を集めるもので、「洋の東西を問わず、戦後から80年代に発表された、未刊行、未邦訳、絶版品切となったまま埋もれている必読文献を叢書として刊行していきます」とのことです。続刊予定はまだ明らかではありませんが、期待大、ですね。


国際原子力ロビーの犯罪――チェルノブイリから福島へ
コリン・コバヤシ(1949-)著
以文社 2013年7月 本体2,400円 四六判並製240頁 ISBN978-4-7531-0314-0

帯文より:“安全宣言”は本当か? 原子力ムラの“核”フランス――その“実像”と、“科学の真実”に背いた、世界の原子力マフィアたちの“実態”に迫る。ベラルーシやウクライナの住民や医師の訴えを退け、福島における健康被害もほとんどないと嘯く、国連やWHOも籠絡した“国際原子力ロビー”の正体。彼らの主張は信じるに値するのか? 科学/疫学的な意志への「裏切り」を追究し、未来の生命たちのために、そのシニシズムの構造を仮借なく追跡する。

★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者のコリン・コバヤシさんは1949年に東京でお生まれになり、1970年の渡仏以来、パリ近郊に在住されています。美術家、ビデオ作家、フリージャーナリスト、著述家などの肩書をお持ちで、本書は単独著としては『ゲランドの塩物語』(2001年、岩波新書、2002年渋沢クローデル賞現代エッセイ賞)に続く第二作です。脱原発に賛成であれ反対であれ、国際原子力ロビーの実態と利権体質を暴いた本書は必読です。巻頭にずらりと並ぶ、主要ロビー略称一覧には、JRIA(日本アイソトープ協会)も含まれています。実に様々な団体や実在する人物が出てくるのですが、こんな戦慄すべき「舞台」があったとはほとんど読者は知らないだろうと思います。

★「福島においては、IAEA(国際原子力機関)とICRP(国際放射線防護委員会)が国際原子力ロビーを代表している。要するに、この国際原子力ロビーは、構造的暴力として、無限エネルギーという「(悪)夢」に取り憑かれた、原子力発電所や再処理工場など、関連施設が撒き散らす放射性物質を民衆に押しつけているのである。/巨額を投資し、時代遅れの巨大技術を駆使し、不平等と不公正を撒き散らし、民主主義を破綻させたうえに、放射性物質による大地や水の汚染という取り返しのつかない惨事をもたらす。処理の方法を持たない核のゴミに至っては、気の遠くなるほど未来世代にまで負担を強いる。/そして苛酷事故が起こっても、あたかも現代によくある大事故と同じ、そのなかの「一つ」に過ぎないと見せかけようとしている。最終的には「放射性物質の影響は大したことはなかった」、つまり「被曝問題は存在しない」と公言すること。そしてそれを既成事実とすること。これこそが国際原子力ロビーの本音であり、チェルノブイリでも適用されたやり方である」(「序にかえて」17-18頁)。

★本書は、広瀬隆さんと明石昇二郎さんの共著『原発の闇を暴く』(集英社新書、2011年)と併せて読むと、国内外の原子力コネクションがよりいっそうはっきり理解できると思います。私たちはまさに闇に目を凝らす必要があります。

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クレイジー・ライク・アメリカ――心の病はいかに輸出されたか
イーサン・ウォッターズ著 阿部宏美訳
紀伊國屋書店 2013年7月 本体2,000円 46判上製344頁 ISBN978-4-31401103-7

帯文より:メガマーケット化する日本の「うつ病」。スリランカを襲った津波と「PTSD」。香港で大流行する「拒食症」。変わりゆくアフリカ・ザンジバルの「統合失調症」。科学的知識の普及か? 善意の支援か? 治療のための研究か? それとも金儲けか?――アメリカ版の精神疾患の概念が流入して以後、各国で発症率が急増し、民族固有の多様な症候群や治療法は姿を消しはじめた・・・・。4つの国を舞台に、精神疾患のグローバル化がそれぞれの文化に与えた衝撃と、その背景を追う。

★まもなく発売。原書はCrazy Like Us: The Globalization of the American Psyche(Free Press, 2010)です。精神疾患の「アメリカ化」を、日本を含む4カ国の事例で見た非常に興味深いリポートです。版元さんのプレスリリースでの表現を借りれば、精神疾患の分類や名づけは科学的プロセスという以上に、その時代の医学界の意見によって「つくられる」きわめて社会的かつ文化的試みである、ということを本書は教えています。特に第四章「メガマーケット化する日本のうつ病」では、近年「心の風邪」として広く知られるようになった背景を取材しています。「大手製薬会社のグラクソ・スミスクラインが、日本でパキシルという抗うつ剤の市場を作りだすにあたって繰り広げた活動」(224頁)の一端が明かされています。結構怖い話です。

★「パキシルを日本でヒットさせるためには、「うつ病」と診断された患者向けの小さな市場だけでは不十分であり、根本的なレベルで、悲しみや抑うつ感に関する日本人の考え方に影響を与えなければならない。つまるところ製薬会社の面々は、病気を日本市場に売りこむ方法を求めていたのだ」(231頁)。製薬会社の後援によって2000年の秋に京都で開催された学術会議に招聘された、ローレンス・カーマイヤー博士(カナダ・マギル大学、比較文化社会精神医学)に著者はこう尋ねます。「GSK社が日本のうつ病の概念を変えようとしていることに、どれくらい気が付いていましたか」。博士の答えはこうです。「それはもうあからさまでした。多国籍に展開する製薬会社が、一国のメンタルヘルスの定義を必死で作りかえようとしていました。これに伴う変化は遠い将来まで広く影響を与え、ある文化が人間性をどう考えるか、人々が毎日をどう暮らすかといったことの形を決めてしまいます。こうした企業は、ある文化のなかで長く抱かれてきた病気や癒しの意味を、地球規模でひっくり返しつつあるのです」(236頁)。

★また、多国籍企業の慣習やしきたりを研究するユニークな「役員室の人類学」を研究するカルマン・アップルバウム教授(ウィスコンシン大学ミルウォーキー校)の証言によれば、製薬会社は当時、「薬が使われる、または使われる可能性のある環境全体を変えようとしていた」(266頁)とのことで、教授はこれを「メガマーケティングキャンペーン」と呼んだ、と書かれています。著者はこう補足します。「つまり、製薬会社は日本人消費者の意識そのものを作りだそうとしていたのだ」(同頁)。「アップルバウムが面談した製薬会社の役員は一様に、自らを利益だけで動いている人間だとはみなしていなかったという点にも着目すべきだ。彼らはむしろ、自分たちの作りだす新薬が世界中に科学的進歩という誇らしい歩みを示しているという信念に動かされ、誠心誠意努力していると自負し、自らをうつ病や不安症や対人恐怖症――日本やその他の国で無情にも治療されないままになっている病気――と闘う人間だと称した。こうした信念に基づく確信と、見込まれる利益が何百万ドルもあるという魅力と混ざり合い、大きな力となっている、とアップルバウムには見てとれた。/「彼らは自分たちが世界を救おうとしているとまっすぐに信じているようでした」」(273頁)。

★市場を形成する上でマスコミ(TV、新聞、出版)が果たした役割も小さくなく、〈善意の啓蒙〉に戦慄を覚えます。本書は今や古典となりつつあるマーシャ・エンジェル『ビッグ・ファーマ――製薬会社の真実』(篠原出版新社、2005年)や、デイヴィッド・ヒーリー『抗うつ薬の時代――うつ病治療の光と影』(星和書店、2004年)、同『抗うつ薬の功罪――SSRI論争と訴訟』(みすず書房、2005年)などとともに、ビジネスマンが読んでおいた方がいい「常識」本だと思います。


野性の知能――裸の脳から、身体・環境とのつながりへ
ルイーズ・バレット著
インターシフト発行 合同出版発売 2013年7月 46判上製360頁 ISBN978-4-7726-9536-7

帯文より:脳を超えて、あるがままの世界に開かれる。「人工知能」から「野性の知能」へ。裸の脳を超えて、脳-身体-環境とともにダイナミックに生成する認知世界観へ。

推薦:「ベストセラー小説のように、途中で止められない」(『メタサイコロジー』誌)。「心理学、生物学、ロボット工学、哲学を統合し、動物と人間の認知について、新たな多くの洞察をもたらす」(『アニマル・ビヘイビア』誌)。

★まもなく発売。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。原書はBeyond the Brain: How Body and Environment Shape Animal and Human Minds(Princeton University Press, 2011)です。著者のルイーズ・バレットは、カナダ・レスブリッジ大学の心理学教授で、専門は動物の認知と行動、とくに霊長類の行動と環境・認知のかかわりについて調査研究されているとのことです。本書は人間の似姿と尺度でもって動物を理解しようとするのは間違っているということを様々な角度から論証し教えてくれます。「本書の目的は、人間の性とも言うべき擬人化バイアスを幾分なりともそぎ落とすことにある。こうして人間と動物を対等な立場に立たせれば、動物の行動と心理を、人間自身のそれも含めて、新たな視点から眺めるのに役立つのではないか」(34頁)と著者は述べます。

★「半端でなく巨大な脳を持っているがためのうぬぼれバイアス」(62頁)としての人間中心主義から脱するために、著者は「脳を身体から切り離して捉える」(136頁)ことをやめ、さらに「脳と身体を環境から切り離して考える」(同頁)こともやめなければならないと教えます。脳をコンピュータとして捉えるのを放棄し、脳至上主義を捨てること。そして、身体化され分散化された認知へと向かうこと(分散認知理論)。人間は「言語と文化によって自らの環境を、地球史上例をみないほど変化させてきた」。「人間が提議し、言葉で表現したカテゴリーに、それぞれ自分の環境世界を持ち、独自の身体化された仕方で世界に対処している動物たちがすっぽり収まると思う方がおかしい」。「あるがままの世界に目を向ければ報いがある。世界に「存在する」には様々な方法があることを、大きな視野で受け入れられるようになるのだ」(321頁)。ユクスキュルやギブソンを読まれてきた方には特にお薦めします。


忘れられた哲学者――土田杏村と文化への問い
清水真木(1968-)著
中公新書 2013年6月 本体820円 新書判並製256頁 ISBN978-4-12-102222-6 

カバーソデ紹介文より:西田幾多郎門下の哲学者、近代の可能性を追求した文明批評家、日本画家・土田麦僊の弟、自由大学運動の主導者……、土田杏村(つちだ・きょうそん:1891-1934)。「文化とは何か」を問い、大正から昭和初期にかけて旺盛な著作活動を展開したにもかかわらず、戦後、人々の記憶から消えた。この〈忘れられた哲学者〉に光を当て、現象学と華厳思想に定位する「象徴主義」の哲学を読み解き、独自の「文化主義」の意義を問いなおす。

目次:
第一章 1920年代の思想と文化概念
 I 土田杏村はなぜ忘れられたのか
 II 大正時代と「文化」の意味するもの
 III 文化主義論争と知識人
 著作紹介(1)『流言』『現代哲学概論』
第二章 土田杏村が残したもの
 I 封印された思想
 II 哲学者の主著は誰が決めるのか
 III 『土田杏村全集』の問題点
 IV 土田杏村と務台理作
 著作紹介(2)『生物哲学』『人生論』
第三章 『象徴の哲学』を読み解く
 I 『象徴の哲学』の成立
 II 神秘主義
 III 現象学との交差
 著作紹介(3)『恋愛論』『文明思潮と新哲学』
第四章 文化への問い
 I 遅れてきた文化主義者の登場
 II 新カント主義
 III 左右田喜一郎の見解
 IV 象徴主義としての文化主義
 著作紹介(4)『生産経済学より信用経済学へ』『失業問題と景気恢復』『思想・人物・時代』
第五章 地位のプラグマティズムから文明批評へ
 I 到達点
 II 土田杏村のアクチュアリティ
 著作紹介(5)『自由教育論』『国文学の哲学的研究』
土田杏村の著作
土田杏村についての著作
短い書物のためのながいあとがき

★発売済。著者は明治大学商学部教授で、専門は哲学、哲学史で、ニーチェについての御著書があります。清水幾太郎さんのお孫さんです。土田杏村は著者があとがきで紹介している通り、1920年代に広く読まれていた哲学者で、1930年代半ば(逝去の翌年と翌々年)にはかの第一書房から全15巻の全集が出ていたほどだったのですが、その後は今日に至るまで研究書は個人出版を含めわずか数点のみ、『岩波哲学・思想事典』でも立項されていません。清水さんの本は「哲学史の遠近法を借りて土田の思想を眺め、土田の思想の遠近法を借りて現代を眺める」(6頁)試みで、新書のような手頃な形態では初めての入門書になります。特に、全集に入らなかった著書『象徴の哲学』(佐藤出版部、1919年;全国書房、1948年;新泉社、1971年)には一章が割かれています。

★「文化や文化価値は、個人的なものではありえず、他人と共有されることにより初めて意味を持つもの、そのかぎりにおいて公共のものである。〔・・・〕土田により、すべての文化価値は社会的なものであり、すべての文化価値は、「共同社会理想」として機能することにより初めて価値と見做されるべきものであった。さらに共同社会理想として機能するかぎりにおいて、すべての文化価値は平等に取り扱われねばならぬものであった」(190頁)。「土田は、文化価値の形而上学的階層化〔・・・〕に強く抵抗し、文化価値の数が無限であり、しかもすべての文化価値が平等であることを主張する。〔・・・〕土田の文化主義とは、万人にとり個別の価値の実現のために努力することの意義を強調するものであった」(200-201頁)。「土田の文化主義は、文化価値のかぎりない多様と平等を強調するもの、したがって、文化価値の実現を目指す社会集団のかぎりない多様と平等を強調するものであった」(205頁)。こうした紹介を読む時、杏村がもし現代に生きていたら、インターネットをどう評価するだろうと想像したくなります。ちなみに杏村はテレビがいずれ新聞を駆逐すると1930年代初めに論じていました(220頁)。

★たいへん博識で啓蒙的だった杏村は、平凡社の創業者、下中弥三郎さんとも親交があったそうです(10頁)。彼の文化主義が、百科事典編纂と共鳴する部分を下中さんはお感じだったのでしょうか。また、西田幾多郎は杏村全集の内容見本に寄せた推薦文で、杏村の器用さと多才ぶりを絶賛しています(66-67頁)。なお、「意味的体験における象徴の現象学」として構想された『象徴の哲学』は国会図書館の近代デジタルライブラリーでインターネット公開されています。このほかの著書も多数、デジタル化され公開されています。また、青空文庫でも数編のエッセイを読むことができます。第一書房版全集は紙媒体では日本図書センターで1982年に復刻されたことがあります。


神秘の書
オノレ・ド・バルザック著 私市保彦・加藤尚宏・芳川泰久・大須賀沙織訳
水声社 2013年6月 本体8,000円  A5判上製432頁クロス装クロス函入 ISBN978-4-89176-971-0

版元紹介文より:バルザックが目指した究極の美! 中世のパリで天上界を夢見る二人の異邦人を描いた「追放された者たち」、その卓越した想像力と知力のために寄宿舎学校や現実に耐えられず狂気に陥る青年「ルイ・ランベール」、両性具有の不思議な存在「セラフィタ」。バルザックに大きな影響を与えた神秘思想家スウェーデンボルグの思想を小説化した三篇に、本邦初訳の序文がついた、完全版。バルザックが「私は書いたもののなかでもっとも美しい作品」と語った、『人間喜劇』の極北に位置しながら、『人間喜劇』全体に光を放射するバルザック文学の真骨頂!

目次:
序文(大須賀沙織訳)
追放された者たち(芳川泰久訳)
ルイ・ランベール(私市保彦訳)
セラフィタ(加藤尚宏・大須賀沙織訳)
『神秘の書』をつなぐテーマ――スウェーデンボルグ思想と天使の表象をめぐって(大須賀沙織)
訳者あとがき――地上から天上に貫いて(私市保彦)

★発売済。原書は1831年から35年にかけて書き継がれ発表され、1835年に『神秘の書』の総題のもとに2巻本として刊行されたものです。後年、1840年には『哲学研究』の一部として収録され、さらに1864年に『人間喜劇』の中に組み込まれますが、写実的と言われる作品群の中で『神秘の書』は観念小説として異彩を放っており、バルザックの神秘主義が凝縮された本として有名です。

★少し面倒くさい説明になるのですが、東京創元社版『バルザック全集』全26巻(1973-1976年)には収録されておらず、河出書房版『バルザック全集』全16巻(1934-1936年)の第13巻(1936年;写真は1941年の再刊版)には収録されています。「追放者」河盛好蔵訳、「ルイ・ランベエル」豊島与志雄・蛯原徳夫訳、「セラフィタ」辰野隆・本田喜代治訳。「セラフィタ」はその後、1948年に新城和一訳が東京堂から出版され、1954年には蛯原徳夫訳が角川文庫で刊行され、さらに国書刊行会の「世界幻想文学大系」第6巻として沢崎浩平訳が1976年に上梓されています。角川文庫版は1989年にリバイバル・コレクションで復刊されましたが、現在は品切。活字が古いので若い読者には読みにくいかもしれません。沢崎訳は1995年に新装版が出て、現在も入手可能です。

★「神秘の書」三部作が通しで読める本で現在新刊として入手可能なのは水声社さんからこのたび発売されたこの本のみです。さらに「序文」(9-20頁)は本邦初訳。しばらくは本書が決定版と目されることになるだろうと思います。

★「彼らは〈無限〉の種々さまざまな部分が、生きたメロディーを奏でるのを聞いた。そして、その和音が巨大な呼吸のように感じられるたびに、もろもろの〈世界〉はみなこぞって動きを見せて巨大な〈存在〉の方に傾き、その巨大な〈存在〉は、誰にも分け入ることのできない深い中心から、いっさいを吐き出し、いっさいを自分の方に引き寄せていた。/絶え間なく入れ替わる声と沈黙のこの交替は、永遠に響き続ける聖なる賛歌の拍子のように思われた」(「セラフィタ」391頁)。「光はメロディーを生み、メロディーは光を生んでいた。色彩は光とメロディーであり、運動は〈御言葉〉を備えた〈数〉であった。つまり、そこでは同時にあらゆるものが、音を出し、光を透し、動きを持っていた。その結果、一つひとつのものが互いに浸透し合い、空間の広がりは何一つ妨げるものがなく、〈天使たち〉は無限の深みを駆け巡ることができた」(同、392頁)。ダンテ『神曲』と、スウェーデンボルグ『天界と地獄』とに影響を受けたこの作品の美しさは読者を陶酔へと誘います。

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by urag | 2013-06-30 23:18 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 27日

フーコー新刊『ユートピア的身体/ヘテロトピア』『レイモン・アロンとの対話』水声社、ほか

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弊社より二冊の共訳書、ジュディス・バトラー『自分自身を説明すること』『権力の心的な生』を上梓されている佐藤嘉幸さんがフーコーの訳書を刊行されました。

ユートピア的身体/ヘテロトピア
ミシェル・フーコー著 佐藤嘉幸訳
水声社 2013年6月 本体2,500円 A5判上製152頁 ISBN978-4-89176-980-2

帯文より:身体による権力への抵抗! 権力による服従化とともに存在し、抵抗へと反転しうる身体を考察する「ユートピア的身体」と、権力の解体の可能性を秘めた反-場所を模索する空間論「ヘテロトピア」の二篇を収録。本邦初訳のジュディス・バトラー「フーコーと身体的書き込みのパラドックス」も収録!

目次:
ユートピア的身体
ヘテロトピア
フーコーと身体的書き込みのパラドックス(ジュディス・バトラー)
「ヘテロトピア」――ヴェネチア、ベルリン、ロサンゼルス間のある概念の苦難(ダニエル・ドゥフェール)
フーコー的ユートピア/ヘテロトピアから抵抗へ――解説にかえて(佐藤嘉幸)
訳者あとがき

★発売済。原書はLe corps utopique, Les hétérotopies, Présentation de Daniel Defert, Nouvelles Éditions Lignes, 2009です。バトラーの論考Foucault and the Paradox of Bodily Inscriptionsは、The Journal of Philosophy誌の第86巻第11号(1989年11月)に掲載されたもの。巻頭の注記によれば、「ユートピア的身体」および「ヘテロトピア」は、いずれも1966年のフランスでのラジオ講演で、音源版も『ユートピアとヘテロトピア』として2004年にフランスで発売されています。なお「ヘテロトピア」の短縮改稿版「他者の場所――混在郷について」(工藤晋訳、『ミシェル・フーコー思考集成(X)倫理/道徳/啓蒙』所収、筑摩書房、2002年)は、1967年にチュニジアで執筆され同年にパリの建築研究サークルで発表された講演原稿です。

★本書と同時に、以下の新刊も発売になりました。どちらも「言語の政治」シリーズです。

レイモン・アロンとの対話
ミシェル・フーコー著 西村和泉訳
水声社 2013年6月 本体1,800円 A5判上製104頁 ISBN978-4-89176-979-6

帯文より:権力はいかに行使されるのか? 二十世紀を代表する思想家ミシェル・フーコーと社会学者レイモン・アロン。立場のまったく異なる二人が、歴史解釈、主体の問題について語り合う、異例の対談。

目次:
レイモン・アロンとの対話
解説(ジャン=フランソワ・ベール)
アロン/フーコー略年譜
未来をつむぐ対話――アロンとフーコー 「訳者あとがき」にかえて

★原書はDialogue, Nouvelles Éditions Lignes, 2007です。1967年5月のフランスでのラジオ対談で、正確なタイトルは「モンテスキューについての対話、レイモン・アロンの著書『社会学的思考の流れ』における社会学の起源、性質、精神」でした。19分の短い対談ながら、「年齢も思考法も社会との関わり方も大きく異なる二人が、背後の広がる知の領野をダイナミックに交差させることで、いくつかの共通認識を得ると同時に、共通点からそれぞれの独自性を前景化するプロセスがうかがえる」と訳者の西村さんは紹介されています。

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弊社では先月『絶望論』『文化と暴力』を発売しましたが、前者の著者・廣瀬純さんと、後者の著者・清水知子さんが、本日発売の月刊誌『現代思想』の最新号に寄稿されています。岡田温司さんのご論考では弊社刊、ネグリ『芸術とマルチチュード』を取り上げていただいています。

現代思想 2013年7月号 特集:ネグリ+ハート――〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス
青土社 2013年6月 本体1,238円 A5判並製246頁 ISBN978-4-7917-1264-9

特集内容:
【インタビュー】
マルチチュードの現在――原子力国家・反ナショナリズム・力の契機(A・ネグリ/中村勝己聞き手・訳)
『コモンウェルス』をめぐって(M・ハート+L・シュワルツ聞き手/駒居幸+山本繭子訳)

【討議】
『コモンウェルス』をめぐる往還(A・ネグリ+M・ハート+D・ハーヴェイ/吉田裕訳)

【応答】
日本のマルチチュード――ケアをめぐる実践(上野千鶴子)
「我々はみなネグリ主義者である」、あるいは分離の論理の行方(市田良彦)

【〈共〉】
「女」を排除しない「共」の可能性(伊田久美子) 
ネグリ/ハートの制度論の限界と可能性――〈共〉のエコロジーに向けて(廣瀬浩司)

【潜勢力】
ネグリ+アート(岡田温司) 
分解の哲学(藤原辰史) 

【情動】
Multitude/Solitude――マキャヴェッリをめぐるネグリ、ポーコック、アルチュセール(王寺賢太)
大衆の情念のゆくえ――アントニオ・ネグリとエティエンヌ・バリバールのスピノザ論(太田悠介)
貧と愛のリアリズム――ネグリ=ハートのスピノザ解釈についての一考察(河村厚)

【ポストメディア】
そこに一緒に存在すること――ポストメディア時代の政治的情動と一般的感情(水嶋一憲)
脱走の技芸――ポストメディアの地平へ(清水知子)

【ネットワーク/テクノロジー】
非対称化されたネットワークに亀裂をいれる(小田亮)
〈帝国〉とテクノサイエンス(塚原東吾)

【労働/蜂起】
非物質的労働――アントニオ・ネグリとアンドレ・ゴルツの思想の収束点と分岐点(平田周)
怒りか、恥辱か――マルクス主義政治哲学のために(廣瀬純)
タイタン的概念と囚人の独言――ネグリ・ハートに関する私的メモ(マニュエル・ヤン)

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by urag | 2013-06-27 19:14 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 24日

明日発売:『思想』第7号「ポール・ド・マン――没後30周年を迎えて」

明日発売の岩波書店さんの月刊誌「思想」はポール・ド・マン特集です。読み応えのある特集号で、必読です。弊社出版物の著訳者も参加されています。

★宮崎裕助さん(共訳書:ポール・ド・マン『盲目と洞察』)
★吉国浩哉さん(訳書:ロドルフ・ガシェ『いまだない世界を求めて』)
★ポール・ド・マンさん(著書:『盲目と洞察』)
★ヴェルナー・ハーマッハーさん(著書:『他自律』)
★ロドルフ・ガシェさん(著書:『いまだない世界を求めて』)
★清水一浩さん(共訳書:アレクサンダー・ガルシア・デュットマン『友愛と敵対』)
★木内久美子さん(共訳書:ポール・ド・マン『盲目と洞察』)

思想 2013年第7号 no.1071 ポール・ド・マン――没後30周年を迎えて

目次:
思想の言葉 (ショシャナ・フェルマン/下河辺美知子訳)3-5
〈座談会〉ポール・ド・マン再考 (土田知則・巽孝之・宮崎裕助)6-42
ポール・ド・マン再読 (富山太佳夫)43-56
盗まれた廃墟――アウエルバッハ、ド・マン、パリッシュ (巽孝之)57-74
傷と声――ポール・ド・マンにとって言語とは何だったのか (下河辺美知子)75-94
いつしか見知らぬ風景の中に (水村美苗)95-100
弁解機械作動中――ルソーの「盗まれたリボン」をめぐるポール・ド・マンとジャック・デリダ (宮崎裕助)101-127
スフィンクスの解読――ポール・ド・マンにおける読むことと歴史 (森田團)128-149
熊の教え――ポール・ド・マンのクライスト読解をめぐって (竹峰義和)150-167
小説とは何か――カントの「おそるべき尊敬」、ド・マンの「石のような凝視」 (吉国浩哉)168-188
ロラン・バルトと構造主義の限界 (ポール・ド・マン/土田知則訳)189-204
微笑みのド・マン (今泉容子)205-209
ポール・ド・マンと「物質性」の関する二つの解釈系列 (土田知則)210-224
読解不可能性 (ヴェルナー・ハーマッハー/竹峰義和・宮崎裕助訳)225-246
「措定(Setzung)」と「翻訳(Uebersetzung)」 (ロドルフ・ガシェ/清水一浩訳)247-292
ド・マンは何を隠したのか (柄谷行人)293-297
〈資料〉第二次世界大戦時代の著作 三篇 (ポール・ド・マン/土田知則訳)298-308
ポール・ド・マンへのインタヴュー (ロバート・モイニハン/木内久美子訳)309-334

フェルマンさんによる巻頭言は、1984年に書かれ翌年「イェール・フレンチ・スタディーズ」誌に発表された論考「ポスタル・サヴァイヴァル」からの引用を含んでいます。水村美苗、今泉容子、柄谷行人の各氏による寄稿は、ド・マンについての感動的な回想録。柄谷さんのエッセイには以前公表済のエピソードも含まれていますが、何度読んでも味わい深いです。人志松本風に言えば「すべらない話」。ハーマッハーさんの「読解不可能性」は、ドイツ語版『読むことのアレゴリー』(ズーアカンプ、1988年)の序文。ガシェさんの「「措定(Setzung)」と「翻訳(Uebersetzung)」は『読むことのワイルドカード』(ハーヴァード大学出版、1998年)の第一章です。モイニハンさんのインタビューは1980年に収録され、「イェール・レヴュー」誌の1984年夏号に掲載されたもので、J・ヒリス・ミラーさんによる「前書き」が冒頭に掲げられています。

「ロラン・バルトと構造主義の限界」はド・マンさんの著書『ロマン主義と現代批評』に収録されている論考で、訳者の土田さんの注記によれば、「ここに訳出した文章にはタイプ原稿に残されていたド・マン自身による修正や編者による補足などが加えられている」とのことです。「〈資料〉第二次世界大戦時代の著作 三篇」はこれまで土田さんが「〈資料〉ドイツ占領下時代の新聞記事 四篇」(2006年第12号、現在品切)、「〈資料〉ドイツ占領下時代の新聞記事 五篇」(2012年第7号)と定期的に『思想』で訳出されてきた「若きド・マン」の文筆活動を紹介するもので、これらのテクストを収録した大冊『戦時ジャーナリズム 1939-1943』(ネブラスカ大学出版、1988年)について、「ド・マンの思考を跡づけるときに不可欠な数多くの言明が収録されている〔…〕。今後もまた、この貴重な資料から一篇でも多くの文章が邦訳されることを期待したい」と述べておられます。今回訳された三篇の中には「出版社の仕事」(1942年10月)というテクストもあって、非常に興味深いです。曰く、

「出版社・出版者は、一種の仲介役に見えますが、真摯な創造的使命を担っています。該博な知識は言うに及ばず、天賦の才能を自然に具えていなければなりません。決して型通りの行動に身を委ねることはできないでしょう。一つ一つの新作、企画された一つ一つの叢書には独創的なアイデアが要求されます。出版に携わる者は刷新・考案・創造の人生を送らなければならないのです。出版社・出版者の仕事が極めて困難である――招かれる者〔競争者〕は多いが、選ばれる者〔成功者〕は少ない〔『マタイ福音書』22・14〕――のは、こうした事情によります。ですが、その可能性や素晴らしさをすっかり理解している人にとって、この仕事は抗しがたいほど魅力的でもあるのです」(308頁)。該博な知識や天賦の才能がなく、型通りに仕事をこなす出版人もいる、と自虐的に言明したところでド・マンさんへの反論にはなりません。そういう人々は「いない」とは彼は言ってないのですから。

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弊社より今春、写真集『ベルリン』を上梓された花代さんが、下北沢の本屋さん「B&B」で行われる以下のイベントにゲストで出演されます。

あたらしい才能が僕たちを呼んでいる

出演:題府基之(カメラマン)、フキン(アーティスト)、hanayo 花代(アーティスト)、前田晃伸(アートディレクター)

日時:2013年7月3日(水)20:00~22:00(19:30開場)
主催・会場:本屋B&B(東京都世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
前売:1000yen+500yen/1drink
当日現金支払:1000yen+500yen/1drink

内容:Romantic Geographyをテーマに、都市や建築に焦点を当てるインディペンデント・マガジン、TOO MUCHMagazineの第4号発売を記念し、下北沢B&Bにて新しいイベントを始めます。都市の中には、いつもその都市独特の視点を持ったアーティストが存在しますが、では東京にはどのような眼差しを持った人々が現れて来ているのでしょうか? TOO MUCH MagazineのADを務める前田晃伸と編集長の辻村慶人をホストに、毎回ゲストを迎えながら有名無名問わず今気になる若手アーティストをどんどん紹介していきます。
1回目は、ニューヨークのDashwood Booksより写真集を出版した写真家の題府基之と、高円寺の多目的スペース「ASOKO」を運営しながらアーティスト活動を続けるフキンのお二人を紹介します。ゲストには両者をよく知る写真家の花代を迎えます。(前売り購入者全員に、出演者のアートワークをまとめた特製zineをプレゼント)
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by urag | 2013-06-24 17:31 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 23日

注目新刊:ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ』、ほか

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ニンファ・モデルナ――包まれて落ちたものについて
ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 森元庸介訳
平凡社 2013年6月 本体3,000円 A5判上製230頁 ISBN978-4-582-70280-4

帯文より:ヴァールブルク未完の研究『ニンファ・フィオレンティーナ』の本歌取り。時の無意識を見つめ、イメージのパトスを時間と地理を超えたドレープとして繰り広げる華麗な縁部。イメージ=徴候=落下の等式から、「人間の生が意欲することなくしてそこにこめる、不思議な美しさ」を救済する。アナクロニズムにもとづく歴史記述の大胆な実践、イメージ人類学の見事な成果。記憶、欲望、時間を横切るニンファ――パラドクスにみちた時の残存、アウラを放つその特性なきヒロインの運命。

目次:
ニンファについて、その落下について
聖女について、その遺物について
モードについて、そこから捨てられたものについて
街路について、その臓腑について
歩道について、それが表現するものについて
形なきものについて、それを包むものについて
コーダ――屑拾いのミューズ(歴史と想像力)
原註
訳註
訳者あとがき
図版一覧
人名索引

★発売済。原書はNinfa Mederna: Essai sur le drapé tombé(Gallimard, 2002)です。比較的に小さめの著書ではあるものの、相変わらず濃密な内容で、詩的ですらある独特のエクリチュールが日本語としても心地よく読めます。「「落ちた布」というモティーフに注目し、ルネサンスから現代にかけてそれが辿ることになった命運を、ニンファというすぐれて夢幻的な形象を呼び出しながら、数多の絵画と写真、さらには小説と詩をつうじて追いかけること」(「訳者あとがき」214頁)を試みた本書では、ヴァールブルクが幾度となく言及されます。昨年刊行されて話題を呼んだ『ムネモシュネ・アトラス』のパネルも言及されていて、例えばパネル77については「古代のメディアと現代の「ハウスフェー」〔トイレット・ペーパーの銘柄〕を隔てる極限的な距離のうちで、時間と地理の境界を超えるイメージの感染的な作用がわたしたちに提示されている」(162頁)と述べています。「時間と地理の境界を超えるイメージの感染的な作用」、この探求こそディディ=ユベルマンの「イメージ人類学」の眼目ではないかと思います。

★「ヴァールブルクが見た古代のニンファ、残存の産物であるこの女は人文主義の時代には絵画と彫刻を駆け巡るが(ボッティチェリ、あるいはドナテッロ)、やがて歩みをゆるめ、ついに近代の表象の閾で落下する(ティツィアーノ、あるいはプッサン)。彼女はいまや神話画の片隅に横たわる。いずれはブーシェやウァトーの描く奔放な褥にくずおれようし、さらにはクールベやロダンのポルノめいたヌードの題材ともなろう。しかし同時に、ニンファは己の落下から残されたもの、つまり襞や襤褸布のうちにその身を隠しもする。こうして落下の運動はセクシュアルな気配と同時に死の気配にも彩られる。この運動が、ゴミ屑と形なきもののうちで終えられることはすでに予想されるところである。/おそらく、それこそが残存する形態の運命なのだ」(29頁)。


新訳 ラーマーヤナ 6 
ヴァールミーキ著 中村了昭訳
東洋文庫(平凡社) 2013年6月 本体3,300円 全書判上製函入508頁 ISBN978-4-582-80836-0

帯文より:いよいよ全編のクライマックス。ラーマ率いる猿軍団とラーヴァナ率いる羅刹軍団とが激突し、両軍の死闘とラーマの勝利、シーターとの再開、アヨーディヤーへの既刊と即位までが描かれる。

★発売済。全7巻なので、本書の刊行後、残すは最終巻のみとなります。第6巻は猿と羅刹との間の戦争のめくるめく描写がメインであり、一大スペクタクルが展開されています。両軍の武将たちはお互いに様々な種類の矢を猛烈な雨の如く射かけあい、とんでもない数の傷を負うのですが、ただラーマとラーヴァナは例外で、ラーマは矢を額に受けても平然としていますし、ラーヴァナの甲冑はいかなる矢も貫き通すことができません。そのひとつひとつを描写する文字たちから立ち昇って、読者の脳内で再生される超絶的な戦いの光景は、いかなる映像をも絶する迫力があります。しかもついに救出されたシーターは彼女の身の潔白を証明するために炎に身を投じてなおも焼かれません。実にすさまじい物語です。次回配本は7月、余嘉錫『目録学初微――中国文献分類法』(古勝隆一・嘉瀬達男・内山直樹訳)です。すでにアマゾン・ジャパンでは予約受付を開始しています。


ルイス・ブニュエル
四方田犬彦(1953-)著
作品社 2013年6月 本体4,800円 A5判上製680頁 ISBN978-4-86182-442-5

帯文より:危険な巨匠! シュルレアリスムと邪悪なユーモア。ダリとの共作『アンダルシアの犬』で鮮烈にデビュー。作品ごとにスキャンダルとセンセーションを巻き起こした伝説の巨匠。過激な映像と仮借なき批評精神を貫いたその全貌を解明する。

目次:
ジュフロワ小路――本書の構成について
前衛の顕現
 前衛の顕現――『アンダルシアの犬』
 前衛とスキャンダル――『黄金時代』
 前衛の変容――『糧なき土地』
 ブニュエルとスペイン戦争
聖性と流謫
 メキシコ流謫――『忘れられた人々』
 神学の横断――『のんき大将』から『銀河』まで
 聖者の懐疑――『ナサリン』を中心に
 聖女の受難――『ビリディアナ』と『トリスターナ』
悪夢と覚醒
 狂気の愛、その廃墟――『エル』『犯罪の試み』『欲望の曖昧な対象』
 地獄の無限――ゴシック・ロマンスと『嵐が丘』脚色
ブニュエルの頑固さ
補遺
 カランダまで
 三人はアイドル――ブニュエル、ロルカ、ダリ ※
 トレドへの偏愛 ※
 ルイス・ブニュエルへの新しい接近 ※
 ブニュエルのメキシコ ※
 自伝『映画、わが自由の幻想』書評 ※
 ルイス・ブニュエルを追悼する ※
 『ルイス・ブニュエル著作集成』書評 ※
 実現できなかった遺作『アゴニア』
 ブニュエルの実際の臨終
 エリセとサウラ
 『昼顔』の続編 ※
日本におけるブニュエル受容
後記
ブニュエル 年譜
フィルモグラフィー
参照引用文献

★発売済。著者が中学生の頃から耽溺しつづけ、半生に近い時間をそれとの格闘に捧げてきた「ブニュエル映画」についての一書がついに完成しました。目次で※印を付けてあるのが既出テクストの再録で、あとはすべて書き下ろしです。本書の成立事情については「後記」に詳しいですが、ネタバレはやめておきます。この「後記」で明かされるエピソードの数々がそれぞれ出版史の貴重な一頁であることを知っている人は幸いだと言わねばなりません。まさに渾身の、愛と万感と奇蹟によって出現した書物です。「ルイス・ブニュエルが想像した性が世界に足を踏み入れることは、〔・・・〕幾重にも重なりあった謎の内部へと参入することにほかならない。そこには説明もなければ、因果律もない。〔・・・〕だがそこに、いかに偶然のように見えてもある必然が働いていることも、否定できない事実なのである。その必然とは運命的なもののように、わたしには思われる。読者がこれから捲ろうとする頁は、ブニュエルという映画人にとり憑いて離れなかった、その運命をめぐる素描である」(13頁)。映画人の運命についての、めくるめく映画愛が呼び寄せた運命的な書物。

★なお、本書は帯を取るとカバーに大写しのブニュエルとにらめっこができる仕様となっています。眼力に気おされて思わず本を裏返すと、今度は『アンダルシアの犬』の例のとても有名な怖いシーンの「直前」が大きく掲載されています。インパクト大です。


ジル・ドゥルーズの哲学――超越論的経験論の生成と構造
山森裕毅(やまもり・ゆうき:1980-)著
人文書院 2013年6月 本体3,800円 4-6判上製382頁 ISBN978-4-409-03080-6

帯文より:新たなドゥルーズ研究が、ここから始まる。補論として、『機械状無意識』を詳細に読み解いたフェリックス・ガタリ論(150枚)を付す。

帯文(裏)より:ドゥルーズは哲学史家として、スピノザ、カント、ベルクソン、プルーストなどと格闘することで自らの思想を練り上げていった。本書では、それをもう一度哲学史に差し戻す。焦点となるのは、ドゥルーズ哲学前期ともいうべき、『経験論と主体性』(1953年)から『差異と反復』(1968年)までの15年間。その間の著作を、時間軸に沿って綿密に検討し、ドゥルーズ哲学の中心を「能力論」と見定めることで、後期にまで及ぶ思想全体を根底から読み解く。次世代の研究の幕開けを告げる、新鋭による渾身作。

★発売済。目次詳細と「はじめに」は書名のリンク先でご覧になれます。著者の山森裕毅さんは大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。現在、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター招聘研究員で、本書は2012年に大阪大学で受理された博士論文「ドゥルーズの習得論」を改訂したものです(指導教官は檜垣立哉教授)。「あとがき」の言葉を借りて正確に言うと、「読みやすく書き直し、注も増やしたが、論旨そのものに変更はない。補論は本書のための完全な書き下ろしである」とのことです。

★本書冒頭の「はじめに」で、著者は次のように自著を紹介しています。「本書は、ジル・ドゥルーズがその哲学的主著である『差異と反復』において提示した「超越論的経験論」(empirisme transcendantal)を、「学ぶこと」あるいは「習得」(apprentissage)と呼ばれる具体的経験に着目することで、解明しようとするものである。/なぜ習得という経験に着目するのか。それは、ドゥルーズが超越論的経験論を論じていくなかで「習得こそ真の超越論的構造である」(DR, p. 216)と宣言するからである。このことから本書は、超越論的経験論とは習得が実際に成立する条件や構造を探求した理論であるというシンプルな主張をめぐるものとなる。習得は超越論的経験論の特権的なモデルであり、習得の構造の解明が『差異と反復』のひとつの主題なのである。事実、『差異と反復』では、超越論的経験論の例として繰り返し水泳や外国語の習得の経験が挙げられている。論点を「習得」に絞り込むことで、私たちは問題を「超越論的経験論とは何か」という抽象度の高いものとしてではなく、「習得という経験はどういう構造のもとで成立しているのか」というより経験に即したものとして提起することができるようになる。そしてこれが本書の主軸となる問題である」(7-8頁)。

★「超越論的経験論」というのはドゥルーズの初期から自死直前の絶筆「内在:ひとつの生・・・」に至るまで、その哲学を貫徹する通底音と言えるかと思いますが、超越と経験という一見対立する術語が組み合わさったその概念上の難解さから、分かったような分からないような第一印象を読者に残してきたと思います。山森さんのこの本では、ドゥルーズの哲学における超越論的経験論の成立過程を第一部で追い、第二部ではその内容と構造を「習得」の観点から解明します。そこではドゥルーズ哲学を「非本質主義的問題論」という新しい枠組みで捉える独創的な分析も展開されています。第II部第五章「問題としての理念――潜在的なものの現働化の第三ヴァージョン」(183-206頁)がその提示であり、本書の肝です。書き下ろしのガタリ論を加えられた点にも要注目で、必読です。

★周知の通りこのところ、人文業界ではドゥルーズ論が次々と刊行されています。先月はジャン=クレ・マルタン『ドゥルーズ――経験不可能の経験』(合田正人訳、河出文庫)が発売され、先週は國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書、2013年6月)が配本されたばかりです。同書では第II章「超越論的経験論──原理」において、まさにドゥルーズの哲学原理としての超越論的経験論が解説されています。ドゥルーズのみを論じたものではありませんが、弊社が先月刊行した廣瀬純『絶望論――革命的になることについて』は、「ドゥルーズ、革命的になること――不可能性の壁を屹立させ、逃走線を描出せよ」というドゥルーズ論が支柱となっています。また、月刊誌「現代思想」6月号では、ドゥルーズの盟友であるフェリックス・ガタリの特集が初めて組まれました。書店さんでドゥルーズ・フェアをおやりになるなら、まさに今、ではないかと思います。

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by urag | 2013-06-23 02:47 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2013年 06月 22日

ご静聴ありがとうございました

ちょうど一週間前の6月15日(土)、昨年に引き続き、明星大学人文学部の共通科目における「文化を職業にする」と題された授業において、「独立系出版社の仕事」と題してお話をさせていただく機会を小林一岳先生から頂戴しました。出版業界の勢力図が変わりつつあることをご説明しつつ、文化に関わる仕事に対する私自身の思いの変遷(学生~社会人)と、出版社の仕事の実際と現実、この仕事の社会の中での意義についてお話ししました。受講された皆さんのレスポンスシートはすべて読ませていただきました。私にとってたいへん励みになりました! ご静聴に深謝申し上げます。
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by urag | 2013-06-22 23:02 | ご挨拶 | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 21日

「神戸新聞」に廣瀬純『絶望論』の紹介記事、ほか

「神戸新聞」2013年6月16日(日)11面の読書欄「ひょうご選書」に、弊社4月刊、廣瀬純『絶望論――革命的になることについて』の紹介記事が掲載されました。「首相官邸前の脱原発デモが、その無力さを突きつけられた大飯原発の再稼働決定を機に膨れ上がったのはなぜか。(・・・)「不可能性の壁」に強いられて始まる抵抗の営みに可能性を見いだす」とご紹介いただきました。【追記:同様の記事が「信濃毎日新聞」6月23日(日)朝刊読書欄に掲載されました。】

廣瀬さんは今月末行われる、「街頭行動の自由を考える」第三回討論集会に参加されます。

ナショナリズムによる街頭占拠とどう向き合うのか――市民から国民へ?

日時:2013年6月30日(日)13:00-17:00
場所:早稲田大学西早稲田キャンパス16号館107号室
主催:「街頭行動の自由を考える」実行委員会
参加者:廣瀬純・国富建治・池田五律・渥美昌純


また、月刊誌「フィガロ・ジャポン」2013年8月号(No.446)のculture欄特集「読書の夏です!心ときめく109冊。」で、弊社2011年6月刊、エルンスト・ユンガー『パリ日記』が取り上げられています。同特集の「旅に持っていきたい本、旅がしたくなる本。」(200頁)で、作家のいしいしんじさんが挙げられた3冊のうちの一冊が『パリ日記』です。「とりわけ耳のすぐれた作家による、第二次大戦時中のパリ日記。ドイツの将校であろうが、若い詩人であろうが、ピカソであろうが、ユンガーの前では、みな空気を震わせ、ひとつひとつのメロディとなってたちのぼる」と評していただきました。
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by urag | 2013-06-21 16:56 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 19日

リピット水田堯講演会:"Medium Disaster 311"

Akira Mizuta Lippit "Medium Disaster 311"

Date:2013年6月26日(水) 17:00-19:00
Place:東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2

Akira Mizuta Lippit (Professor of Cinematic Arts, Comparative Literature, and East Asian Languages and Cultures, Southern California University)

"Medium Disaster 311"

The 2011 Japanese earthquake, tsunami, and subsequent low-grade nuclear crisis have come to be known collectively as “311,” marking the date of that three-part disaster on March 11, 2011, while echoing the appellation for the 2001 terrorist attacks in the United States or “911.” Why invoke the events of September 11, 2011 here? Why situate this event 311 in relation to that other event 911? The nature of these two events differs in numerous ways, not least of which involves the status of nature itself. In the case of “311,” an earthquake triggered a tsunami, which in turn unleashed a force already at the threshold between nature and technology, nuclear radiation, a phenomenon at once natural and unnatural. A sequence of natural disasters led to a technological crisis, perhaps the exemplary technological crisis, and the threat of total annihilation. But 311 is also the echo of another event, another threat of annihilation, the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki in 1945, and marks the return of radiation to Japan more than 65 years after the end of World War II. Between 1945 and 911, 311 recalls the specters of a crisis in representation, a middle space or medium convergence of history, disaster, and the forces of representation. This paper seeks to understand the multiple media at work in 311 and to expose the pressures it places on the media that seek to name and render 311 visible. It asks whether the contemporary Japanese cinema anticipates the disaster to come, a medium disaster embedded in the traces of Japan’s recent past, the very disaster of the medium as such.

What 311 makes evident is the shadow optic of 1945, a trans-historical light that anticipates the return of catastrophic light, of the radiation that never left: it was always there, a low disaster that a nticipates the medium disaster to come. Japan’s superficial cinema, the cinema of surfaces, prepares ad nauseum for the return of disaster, for the return of a disaster that never fully disappeared. A spectral disaster, already at work throughout the medium, there, everywhere already.

Moderator: Yasunari Takada (UTCP)
使用言語:英語|入場無料|事前登録不要

主催:東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP) 上廣共生哲学寄付研究部門
共催:総合文化研究科・表象文化論コース
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by urag | 2013-06-19 09:44 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 17日

トークイベント:リピット水田堯×宮崎裕助×三浦哲哉@京都メディアショップ

◎リピット水田堯『原子の光(影の光学)』刊行記念トーク

日時:2013年6月28日(金)19:00-20:30(30分前より開場)
場所:MEDIASHOP(京都市中京区大黒町44 VOXビル1F) TEL: 075-255-0783
入場料:500円

出演:リピット水田堯(南カリフォルニア大学)、宮﨑裕助(新潟大学)、三浦哲哉(青山学院大学)
司会:門林岳史(関西大学、本書共訳者)

1895年──映画・精神分析・X線とともに現れた新たな書き込み(inscription)とアーカイヴの体制。1945年──原子爆発の破滅的な光とともに全面化した新たな視覚性の様態。視覚文化論と現代思想を横断し、没視覚性(avisuality)、外記(exscription)、形而上学的表面といった概念を駆使しながら、「耳なし芳一」、「バベルの図書館」(ボルヘス)、『アーカイヴの病』(デリダ)、「モーセと一神教」(フロイト)、『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)、「透明人間」映画、『幻の光』(是枝裕和)などを縦横に論じるリピット水田堯の著作『原子の光(影の光学)』(門林岳史、明知隼二訳、月曜社、2013)をめぐって、著者本人に加え、宮﨑裕助(現代思想)、三浦哲哉(映画批評)のお二人を迎えて議論します。

出演者略歴
リピット水田堯:南カリフォルニア大学教授、城西国際大学客員教授。専門は映画、比較文学、日本文化。著書に『原子の光(影の光学)』のほか、Electric Animal: Toward a Rhetoric of Wild Animal (2000)、Ex-cinema: From a Theory of Experimental Film and Video (2012)。

宮﨑裕助:新潟大学准教授。専門は哲学。著書に『判断と崇高──カント美学のポリティクス』(知泉書館、2009)、共訳書にジャック・デリダ『有限責任会社』(法政大学出版局、2002)、ポール・ド・マン『盲目と洞察──現代批評の修辞学における試論』(月曜社、2012)。

三浦哲哉:青山学院大学准教授、映画上映プロジェクト「Image.Fukushima」実行委員会会長。専門は映画。著書に『サスペンス映画史』(みすず書房、2012)、訳書に『ジム・ジャームッシュ・インタヴューズ』(東邦出版、2006)。

門林岳史:関西大学准教授。専門はメディア論、表象文化論。著書に『ホワッチャドゥーイン、マーシャル・マクルーハン?──感性論的メディア論』(NTT出版、2009)。

お申し込み・問い合わせ:mediashop(あっとまーく)media-shop.co.jp
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by urag | 2013-06-17 11:43 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 16日

注目新刊と近刊:竹井隆人『デモクラシーを〈まちづくり〉から始めよう』平凡社、ほか

◎平凡社さんの新刊

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デモクラシーを〈まちづくり〉から始めよう――シャッター通りから原発までを哲学する
竹井隆人著
平凡社 2013年6月 本体2,800円 四六判上製292頁 ISBN978-4-582-54447-3

帯文より:シャッター通りや原子力ムラはどうしてできたのか? 高層マンションやショッピングモールは「悪」なのか? まちづくりにおける似非「正義」を、政治的視点から暴く意欲作。「仲良し=コミュニティ」からの脱却を説く、新たなデモクラシー論の登場!

目次:
はじめに
第I部 〈まちづくり〉の正義とは何か
 第一講 原発による〈まちづくり〉は何ゆえに破綻したのか
 第二講 シャッター通りの元凶はショッピングセンターなのか
 第三講 「騒音オバサン」を〈まち〉から排除できるのか
 第四講 高層マンションを景観のために削ることは可能なのか
第II部 見当違いの処方箋〔レシピ〕
 第五講 法制度で街並みは整序されるのか
 第六講 「コミュニティ」は至高か、それとも暴力か
 第七講 住民参加が社会的合意なのか
 第八講 ゲーテッド・コミュニティは社会悪なのか
第III部 地方自治から市民社会へ
 第九講 「都市」とは何か
 第十講 「市民」とは誰か
 第十一講 「政治」の契機をどこに求めるのか
 第十一講 あらためて問う、〈まちづくり〉の正義とは何か
参考文献
あとがき

★まもなく発売。論戦的な、しかし非常に示唆的でユニークな政治哲学の本です。現代日本が抱える厳しい諸現実を前にして、物事には二面性があること、分かりやすくもっともらしい「偽物の正義」に流されることなく、社会を新しい「物の見方」で見ること、を本書は薦めています。逆説に満ちた表現が多いような気がするのは、社会の矛盾をありのままに見ようとしているからで、著者の「皮肉」はむしろ心地よいです。単なる仲良しによるまちづくりを脱するための「私的政府」と直接制デモクラシーという、自治と政治参加への道筋は本書の肝で、より良いガバナンスを考える上での色々なアイデアへと読者を啓発してくれます。

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★平凡社さんでは今月、チェコアニメの巨匠トゥルンカが挿絵を描いている素敵な絵本『こぐまのミーシャ、サーカスへ行く』(イジー・トゥルンカ絵、ヨゼフ・メンツェル文、平野清美訳、本体1,700円、B4変型判上製40頁、ISBN978-4-582-83608-0)を発売されています。原著は1940年刊。温かくて豊かな色彩と愛らしい絵のタッチには、大人も魅了されることでしょう。ミーシャ・シリーズは日本初紹介とのこと。今後続刊があるかも、と期待させるエンディングでした。

★また、同社ではまもなく、田隅恒生『「アラビアのロレンス」の真実――『知恵の七柱』を読み直す』(本体3,600円 四六判上製336頁 ISBN978-4-582-44119-2)を発売されます。帯文に曰く「アラブ解放の英雄、大英帝国のエージェント、同性愛者、マゾヒスト、……さまざまなイメージが交錯し、神秘化されたロレンス像。『知恵の七柱』の成立過程とテキストの精密な読解によって、隠蔽された真実に迫る」とのこと。同社の東洋文庫で『完全版 知恵の七柱』全5巻(2008-2009年)を上梓された訳者ならではの深い読解と考察で、ロレンスと出会う旅へと読者を誘います。カバーの肖像はジェイムズ・マクビー(James McBey, 1883–1959)による1918年のダマスカス陥落後のT・E・ロレンスを描いた絵だそうです。


◎東洋書林さんの新刊

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世界を変えた技術革新 大百科
アダム・ハート=デイヴィス編 荒俣宏日本語版監修 佐野恵美子・富岡由美訳
東洋書林 2013年6月 本体15,000円 B4変型判上製360頁 ISBN978-4-88721-812-3

帯文より:ピラミッドから宇宙旅行まで、人類5500年の発明・開発をたどる「ハイテク」全史。

推薦文1:本書は夢を歴史的な技師約100組の発明行動を、象徴的な写真・図版・文章でコラージュ風に巧みに仕立ててあり読みやすい。エジプト最古のピラミッド建設のイムホテプ、中世イスラーム機械装置のアル=ジャザリー、産業革命期のワット、現代の自動車のベンツ等々多彩で、人間の技術革新の知恵に驚くと共に、安全性確保に苦しんでいる今日の技術革新課題の解決にも有用な好著である。(道家達将:東京工業大学名誉教授)

推薦文2:図版だけでなく文章にも注目してほしい。個々の項目は簡潔だが、通して読めばひとりひとりの技術者の人生が、大きな歴史のうねりをつなぐ鮮やかな物語として起ち上がる。世界の景観と意味を変えた巨大建造物、人の動きを変えた交通技術――イスラームやアジアの技師がしっかり登場するのも嬉しい。気がつけばきっと惹き込まれ、読み耽っていることだろう。(瀬名秀明:作家)

原書:Engineers: From the great pyramids to the pioneers of space travel, Dorling Kindersley, 2012.

目次:
序文
第I章 初期の技師たち
 I-1 古代世界の建築
 I-2 古えの革新者たち
第II章 ルネサンスと啓蒙時代
 II-1 イスラームの技師たち
 II-2 ルネサンスの博学者たち
 II-3 新たなる科学技術
 II-4 水路と港
 II-5 初期の蒸気機関
第III章 産業革命の世紀
 III-1 蒸気機関の発達
 III-2 電気力の征服
 III-3 工場の時代
 III-4 橋の建設
 III-5 気球と飛行船
第IV章 機械の時代
 IV-1 輸送革命
 IV-2 飛躍する産業
 IV-3 大建造物
 IV-4 公衆衛生
 IV-5 無線通信と音響
第V章 新世界へ(モダン・タイムズ)
 V-1 自動車
 V-2 映画
 V-3 そびえ立つ建造物
 V-4 飛行機械
 V-5 宇宙工学
あとがき
索引
図版出典

★発売済。ユニークなテーマを扱うオールカラーの大判図鑑づくりで定評のある東洋書林さんの最新刊です。歴史に名を残した古今のエンジニアたちを時代別に紹介しています。エジソン(本書ではエディスン)をはじめ、有名人がそれなりに出てきますが、全体としては技術史、建築史、産業工業史等々の専門家でないと知らないような人々も多く掲載されています。実にわくわくさせる、人類の夢とロマンが詰まった本です。計算機やコンピュータはそれだけで一冊になってしまうであろうために本書の紹介対象から外れていますが、ロボット工学への言及はあります。


◎注目文庫新刊

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道徳感情論
アダム・スミス著 高哲男訳
講談社学術文庫 2013年6月 本体1,800円 A6判並製698頁 ISBN978-4-06-292176-3
帯文より:『国富論』より重要なスミスの名著が、読みやすい訳文で登場! 調和ある社会の原動力とは何か? 鋭い観察眼・深い洞察力と圧倒的な例証により、個人の心理と社会の関係を解明した傑作!

カバー裏紹介文より:調和ある社会構成の根幹に、個人の自己愛・自己利益の追求に加えて、「共感」を据えた。そして社会では、適合的な行為が是認され、非適合的な行為が否認されることにより、規則が誕生する。人間が社会的に是認された行為規範を遵守する努力によって、徳のある社会が実現するのだ。最高の啓蒙思想家が、生涯をかけて著した不朽の社会論は今なお光を放つ。

★発売済。既訳には水田洋訳『道徳感情論』(上下巻、岩波文庫、2003年;原著第六版1790年が底本)がありますが、全一巻というのが嬉しいです。底本は水田訳と同じく第六版。一昔前に比べれば一般的にずいぶん文庫は全体的に値上がりしている印象ですけれども、岩波文庫版全二巻は本体合計2,060円ですから、今回の一巻本の方が若干安いですね。原書は初版が1759年の刊行で、グラスゴー大学での講義録です。『国富論』(1776年)に先立つアダム・スミスの主著であり、刊行後幾度となく増補改訂し続けた著者も自認する代表作。内容は驚くほど古さを感じさせません。その人間観察と社会分析には今なお学ぶところがたくさんあります。なお、同書は今秋、もうひとつの新訳(村井章子・北川知子訳、日経BPクラシックス)が刊行される模様です。

★講談社学術文庫の今月の新刊には、以下の書目もあります。中山茂『パラダイムと科学革命の歴史』(本体1,100円、366頁、ISBN978-4-06-292175-6)、岡谷繁実『名将言行録 現代語訳』(北小路健・中澤惠子訳、本体1,850円、726頁、ISBN978-4-06-292177-0)。前者は『歴史としての学問』(中央公論社、1974年)の加筆改題版です。著者の中山さんは先月、『一科学史家の自伝』を作品社より上梓されています。後者は幕末の上野館林藩士岡谷繁実(おかのや・しげざね:1835-1919年)の名著の現代語抄訳で、巻末の注記によれば親本は1980年の教育社版三巻本新書(90年代には社名変更によりニュートンプレスとして新装復刊)です。周知の通りこの名著は、16年の歳月をかけ1200巻以上の文献を渉猟して編纂された作品であり、戦国時代の武将から江戸時代中期の大名まで、192人の言行をまとめています。全員分の原文は岩波文庫全8巻(1943-1944年)で読めますが、現在は品切。講談社学術文庫版では、戦国期の武将22人の言行録を現代語で読むことができます。なお、講談社文芸文庫の今月の新刊では、安藤礼二編『折口信夫対話集』(本体1,600円、392頁、ISBN:978-4-06-290197-0)が出ており、来月は『柄谷行人蓮實重彦全対話』が発売予定だそうです。


鯰絵――民俗的想像力の世界
C・アウエハント著 小松和彦・中沢新一・飯島吉晴・古家信平訳
岩波文庫 本体1,440円 文庫判並製644頁 ISBN978-4-00-342271-7

版元紹介文より:安政二年の江戸大地震直後に、ユーモアと風刺に富んだ多色摺りの鯰絵が大量に出回った。基本モチーフは、「地震鯰」「鹿島大明神」「要石」。鯰絵とそこに書かれた詞書には世直しなど民衆の願望も表象されていた。日本文化の深層を構造主義的手法で鮮やかに読み解く日本民俗学の古典。カラー図版多数。解説=宮田登・中沢新一

★発売済。親本はせりか書房より1979年に刊行(普及版1986年;原著は1964年)。宮田登さんの解説に加え、今回の文庫版では中沢新一さんの解説「プレート上の神話的思考」も加わっています。巻末の注記によれば、図版がリニューアルされているようです。名著の待望の再刊で、嬉しい限りです。コルネリウス・アウエハント (Cornelius Ouwehand, 1920-1996)はオランダ生まれの人類学者で、スイスのチューリヒ大学で長く教鞭を執りました。本書のほか、著書に『HATERUMA――波照間:南琉球の島嶼文化における社会=宗教的諸相』(中鉢良護訳、静子・アウエハント解説、比嘉政夫監修、榕樹書林、2004年)や、写真集『波照間島――祭祀の空間』(静子・アウエハント編、中鉢良護解説、榕樹書林、2004年)があります。

★岩波文庫の今月の新刊では、熊野純彦さんによる新訳『存在と時間』の第二巻(本体1,260円、542頁、ISBN978-4-00-336515-1)が出ています。帯ではなにやらオリジナルのマスコットキャラKuma-noが誕生しています。第一巻は4月刊。たいへん好評だとの声を聞いています。 来月7月の新刊の中では、アープレーイユス『黄金の驢馬』(呉茂一・国原吉之助訳、本体1,080円、ISBN978-4-00-357001‐2)が気になります。訳者が同じなので、旧版のアプレイウス『黄金のろば』(上下巻、1956‐1957年)の改版合本だろうかと思います。
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by urag | 2013-06-16 04:05 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 13日

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる予定の本屋さん

このところチェーン店さんの閉店が続いています。書原六本木店(栗田帳合、5月17日)、ブックストア談新大阪店(文教堂傘下、日販帳合、5月31日)、ジュンク堂書店高崎店(トーハン帳合、6月3日)。BS談はJR新大阪駅の改良工事に伴う閉店で、いずれ再開するかもしれませんが詳細未定。J高崎は、2008年10月に開店したコミック専門店「COMICS JUNKUDO高崎店」を2010年5月28日にワンフロア増床して、総合書店に改装した店舗でした。専門書を手広く扱う書店さんがなくなるのは残念です。

2013年6月21日(金)再開店予定
宮脇書店水戸南店:図書300坪
茨城県東茨城郡茨城町長岡3480 イオンタウン水戸南
大阪屋帳合。弊社へのご発注は芸術系既刊書数点。同ショッピング内での移転のため、5月26日でいったん閉店し、来週リニューアルオープンとのことです。

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写真:大阪屋の旧「東京本社」、2013年5月28日

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移転と言えば、影響が大きかったのが、取次の大阪屋東京支店の移転です。これまでトーハンや太洋社のごく近くの、文京区水道で1972年から40年以上営業されてきましたが(最寄駅は地下鉄有楽町線の江戸川橋駅)、先月5月27日より同区の小石川2-22-2、和順ビル6~7Fに移転されました。1Fに日販帳合のあゆみBOOKS小石川店があるビルです。最寄駅は都営三田線の春日駅か地下鉄南北線の後楽園駅で、あるいは丸ノ内線の後楽園駅や大江戸線の春日駅も利用できます。

影響が大きいというのは、移転によって新刊見本のための取次訪問(上位五社)に新しいルートを加えなければならなくなったということです。これまではたとえば、江戸川橋駅から徒歩で大阪屋、太洋社、トーハンと廻り、タクシーを利用して日販へ移動、そこから坂を歩いて下って神保町の栗田へ行く、というルートが取れました。朝一番から廻れば、なんとか一人で午前中に五社を廻れる算段です。しかし、大阪屋の移転によってこのルート取りは崩れ、午前中に五社を廻りきるのが困難になりました。25日の〆日が近くなれば仕入窓口が混雑しますから、余計に午前中にコンプしにくくなります。私は先日、電車の人身事故に遭遇しただけで、大きなルート変更により午前中に廻りきることができませんでした。

通常は中二日(〆日近くは中三日、トーハンと日販についてはここ十年以上は通常でも中三日)で搬入できるはずの大阪屋ですが、中二日で取ってもらうためには午前11時半までに仕入窓口で手続きを済ませなければなりません。移転後に少しはこの要件が緩和されるのではと期待していたものの、結局緩和されませんでした。さらに面倒なことに、大阪屋と栗田が協働で設立した流通センターOKC(埼玉県戸田市)の2010年秋からの稼働により、栗田と搬入日を合わせなければなりません。その場合、大阪屋の搬入日に栗田が合わせることはできても大阪屋が栗田に合わせてくれることは序列上期待できないため、順番としてはどうしても大阪屋へ先に廻らなければならないのです。

車で廻るにせよ、電車で廻るにせよ、一人で取次を廻っている出版社にとっては小さくない問題です。扱い部数(搬入部数)の多寡から考えると、もう一度スタート地点を江戸川橋駅に設定した場合、まず太洋社を廻り、トーハンへ徒歩移動し、トーハンから日販はタクシー、日販から地下鉄丸ノ内線の御茶ノ水駅に行き、後楽園駅で降りて大阪屋、大阪屋から都営三田線の春日駅、そこから神保町駅まで乗って徒歩で栗田、という風になります。やはり午前中に一人で五社訪問というのは仕入窓口が混んでもアウトですし、人身事故などによるルート変更でもたぶんアウトです。万一、午後見本になると、トーハンや日販はあらかじめ仕入に一報入れておかないと長時間待たされますから、やはりトーハンと日販を優先することは不可避です。

困ったことがもうひとつあります。大阪屋より先に移転報道が出ていた太洋社はこの秋に本社移転予定のはずです。千代田区外神田(末広町)という、地下鉄銀座線の末広町駅がおそらく最寄でJR秋葉原駅からはやや歩く立地のためか、版元各社から苦言を呈されているようです。それも当然で、もし本当に末広町に移転になれば、太洋社へ廻る順番はいよいよ五番目にならざるをえず、今度こそ本当に午前中に五社を廻りきることは不可能に近くなります。午前中に廻りきらないということは、午後に廻る取次の搬入日がほかとは一日遅れるという意味ですから、太洋社への新刊納品のみ一日後にズレるということになります。太洋社が業界五番手である以上、今のままトーハンの近くに所在している方が有利なのです。他に選択肢があるとすれば、板橋時代の栗田さんのように、郵送による見本出しを全面解禁し、なるべく他社と同日搬入になるよう版元に手を講じてもらうか、見本出しが遅れても搬入日を遅らせないように太洋社が配本体制を整えるほかありません。

先日ある中堅老舗版元さんとお話しをした時、「取次の仕入窓口機能を一カ所に集約できればいいのにねえ」という至極ごもっともな意見を聞きました。私もまったく同感ですが、各社の空気を窺う限りでは、残念ながら夢のまた夢、のような気がします。取次にとっては仕入業務の全体的な合理化が、中小版元にとっては見本出し業務の合理化が問われているわけです。

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【6月14日追記】太洋社や大阪屋をも巻き込んだ日販とトーハンとの間の帳合変更戦争についてはこれまでも幾度か言及してきましたが、その本質はDNPグループとトーハンの対立でした。日販、トーハン、大阪屋の三社と取引していたブックファーストが先ごろトーハン傘下になり、大阪屋への痛打となって取次業界のパワーバランスに揺らぎが見え始めていることも先日書きましたが、ブックファーストを子会社化したことによって、弊社のような零細レベルでもトーハンの売上が上昇傾向にあることが見受けられます。

かつて、ジュンク堂書店が全国展開を開始し、ブックファーストとともに好調に店舗数を伸ばし、さらにはアマゾンと取引開始をした頃は、これも弊社の話ですが、単月で大阪屋への注文出荷額がトーハンのそれを上回ることも時折ありました。人文書をはじめとする専門書業界ではおそらく似たような状況があったと思います。

大阪屋の躍進を感じていた日々は長くは続かず、注文よりKBCやiBCなど流通センターへの延勘出荷の比率が増え出しました。そこへブックファーストのトーハンへの帳合変更です。そのあとに、大阪屋に対して楽天やDNPグループ、さらに音羽や一ツ橋からも出資がある、と。楽天ブックス自体は日販帳合ですが、これが大阪屋帳合のリアル書店との連携でどう変わるのか、注目です。

また、大阪屋は栗田と新刊配本および注文出荷の物流合理化で提携していますし(OKC)、続く第五位の太洋社は日販、大阪屋、栗田、日教販とともに「出版共同流通」への参加で返品や雑誌送品業務を合理化しています。こうした図式から考えると、トーハン以外の取次は結束を年々強める傾向にあり、トーハンおよびセブン&アイはあたかも包囲網を敷かれているようにも見えます。しかし大阪屋にDNPや音羽、一ツ橋がマネーを投じているのは、トーハンへの包囲網という以上に、独走や抜け駆けを許さない三すくみの状況があるような印象もあります。これはあくまでも傍目の外見に過ぎず、真実はもっと「奇なり」なのだろうと思います。

それにしても、インターネット通販大手(楽天)が取次(大阪屋)を飲み込む、というのは、2008年にあった二つの出来事、すなわち新古書店(ブックオフ)が新刊書店チェーン(青山BC)を取り込み、自費出版最大手(文芸社)が中堅版元(草思社)を傘下に収めたのと同様に、非常に象徴的な転換点だと思います。業界再編劇はまだまだ続くのでしょう。

◎大阪屋さん関連の最近の報道

大阪屋、楽天と資本・業務提携の協議始まる」新文化、2013年6月4日
大阪屋は、6月4日付「日経新聞」朝刊1面の記事「出版取次3位 楽天傘下に」について、「まだ、何も決まっていないこと。6月27日の株主総会の議案にもない」〔・・・〕「話合いに入ったことは事実だが、決まったことではない」と話している。

楽天、出版取次3位傘下に 2000書店で受け取り」日本経済新聞、2013年6月4日
楽天は出版取次3位の大阪屋(大阪市)を傘下に収める。7月にも大阪屋が実施する第三者割当増資を10億円前後で引き受け、3割超を出資する筆頭株主になる。大阪屋と取引のある全国約2000の書店で、仮想商店街「楽天市場」で購入した商品を消費者が受け取れるようにする。インターネット通販が実店舗に販売網を持つ企業をのみ込んで事業拡大を目指す象徴的な事例になる。〔以下略〕

大阪屋の南雲社長、「資本・業務提携の協議は事実」」新文化、2013年6月5日
〔冒頭略〕南雲隆男社長が一連の一般紙の報道について言及。楽天、講談社、小学館、集英社、大日本印刷と現在、「資本・業務提携の協議に入っていることは事実」〔・・・〕「楽天の基盤を活用して、書店向けに新サービスを提供し、新たな風を吹き込む役割を果たしていく。みなさんの期待を裏切らぬよう努めたい」と語った。〔以下略〕

大阪屋、大幅な減益決算に」新文化、2013年6月13日
〔冒頭略〕アマゾンジャパン、既存店の売上げ不振、ジュンク堂書店新宿店の閉店などにより、売上高が250億円以上減少した。1000億円を切ったのは46期以来20年ぶり。期中、帳合変更したブックファーストの毀損分は1カ月分であるが、今期67期から通期にわたり影響する。〔以下略〕
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by urag | 2013-06-13 18:54 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)