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2011年 05月 29日

今週発売予定の注目新刊と関連書(2011年5月第5週~6月第1週)

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イデオロギーとユートピア――社会的想像力をめぐる講義
ポール・リクール(1913-2005)著 ジョージ・H・テイラー編 川﨑惣一(1971-)訳
新曜社 2011年6月 本体5600円 A5判上製504頁 ISBN978-4-7885-1235-1

原書…Lectures on Ideology and Utopia, Ed. George H. Taylor, New York: Columbia University Press, 1986.

帯文より…イデオロギーの終焉が言われて久しいが、いまやますますその影響力は増大しているのではないか。マルクスからウェーバー、マンハイム、アルチュセール、ハーバーマス、ギアーツなどの思想にイデオロギーの変容をたどり、ユートピア的思考と対比しつつ、社会的想像力、社会的夢のゆくえをさぐる。「偉大な読み手」リクールの面目躍如たる書。リクール、マルクスを読む。

目次…
編集者の謝辞
編集者の序論

第1回 はじめに

第一部 イデオロギー
第2回 マルクス『ヘーゲル法哲学批判』および『経済学・哲学草稿』
第3回 マルクス『経済学・哲学草稿』「第一草稿」
第4回 マルクス『経済学・哲学草稿』「第三草稿」
第5回 マルクス『ドイツ・イデオロギー』(1)
第6回 マルクス『ドイツ・イデオロギー』(2)
第7回 アルチュセール(1)
第8回 アルチュセール(2)
第9回 アルチュセール(3)
第10回 マンハイム
第11回 ウェーバー(1)
第12回 ウェーバー(2)
第13回 ハーバーマス(1)
第14回 ハーバーマス(2)
第15回 ギアーツ

第二部 ユートピア
第16回 マンハイム
第17回 サン=シモン
第18回 フーリエ


訳者あとがき
参考文献
人名・著作索引
事項索引 

★6月1日取次搬入、店頭発売は6月3日以降と聞いています。「訳者あとがき」の全文をこちらで読むことができます。そこで明記されていますが、「本書はリクールが一九七五年の秋学期にシカゴ大学で行なった講義がもとになっており、それを録音したテープにもとづく原稿と、リクール自身の講義ノートから編集されたもの」です。リクールの著書は数多く訳されていますけれども、シカゴ大学神学部で教鞭を執っていた時の講義録というのは初訳ですね。母国語のフランス語ではない言語(英語)で話したもののゆえか、それとも講義という性質によるものか、リクールの他の著作に比べるとより理解しやすい語り口になっている気がします。『イデオロギーとユートピア』という書名で真っ先に思い浮かぶのは1929年に刊行されたカール・マンハイムの古典的名著ですね(鈴木二郎訳、未来社、68年8月)。リクールの本でもマンハイムが論じられています。「イデオロギーとユートピアの弁証法は哲学的問題としての想像力に関する未解決の問題に何らかの光をもたらしてくれる」(45頁)とリクールは述べます。

★マンハイムの議論を参照しつつ、リクールはイデオロギーとユートピアを表裏一体のうちにとらえます。「現実との不一致、食い違いという共通の側面」(46頁)においてです。両者のプラス面とマイナス面、建設的役割と破壊的役割、構成的次元と病理的次元をともに検証し、もっとも頁が多く割かれているマルクス論では「マルクス主義のイデオロギー概念の正統性を否定することではなく、マルクス主義を、イデオロギーのより否定的でないいくつかの機能に関係づける」(54頁)ことを試みています。解釈学的アプローチによるイデオロギー批判でありユートピア批判の書として、本書は今なお多くの示唆に富んでいます。個人的にはとりわけ、イデオロギーに潜むディストピアへの逆説的な欲望という現象を考える上でリクールから学べるかもしれないと思っています。

★リクールの「サン=シモン講義」の末尾の言葉は印象的です。「うまくいっていないのに打倒されることのない諸体制によってすべてが阻まれているような時代――これは、われわれの時代についての私の悲観的な評価であるが――には、ユートピアはわれわれの頼みの綱である。それは逃走であるかもしれないが、批判の武器でもある。ユートピアを求めるのは特殊な時代だ、ということかもしれない。われわれの時代が、そうした時代ではないのかどうか。しかし、私は予言したくはない。それはまた別のことである」(432頁)。また、フーリエについて締めくくる際の次の言葉も印象深く読みました。「フィクションが興味深いのは、それが現実の外にある単なる夢である場合ではなく、それが新しい現実を形づくるときである。そして私は、絵画とフィクションの極性と、イデオロギーとユートピアの極性との間の並行関係に興味を引かれたのである。あらゆるイデオロギーは、ある意味で、その並行関係を正当化することによって、現に存在するものを反復している。そしてそれは、現にあるものの描写〔ピクチャー〕――歪曲された描写――をもたらす。他方、ユートピアは、生活を記述し直すフィクション的な力を持っている」(444頁)。

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★自己正当化の病理としてのイデオロギーは、異文化と出会った時に強化されたり解毒されたりします。他者との出会いは鏡のように自己を反射するため、自己を変容させる機会ともなります。今週後半に発売となるらしい以下の新刊は、近代における異文化交流がもたらした文化的変容の諸相を教えてくれます。

異文化交流史の再検討――日本近代の〈経験〉とその周辺
ひろたまさき+横田冬彦編
平凡社 2011年5月 本体3800円 四六判上製424頁 ISBN978-4-582-83506-9

帯文より…異文化間の交渉をめぐる厚い記述。この国の地を踏む外なるまなざしと外へのへのまなざし、心をとらえる新しい飲み物、新しい衣、新しい教え……、長崎丸山遊郭から宝塚歌劇団まで、ヒト、モノ、トポスに担われた異文化のあいだの交流の多様性を理解し叙述しなおす10の試み。

目次…
まえがき(ひろたまさき・横田冬彦)

第一部〈境界〉を越える
混血児追放令と異人遊郭の成立――「鎖国」における〈人種主義〉再考(横田冬彦)
ヴィクトリアンレティと幕末・明治期の日本――女性旅行者が見た「変わりつつある日本」(松浦京子)
明治前期の京都とイギリス皇族――一八八一年の異文化交流(高久嶺之介)
キリスト教と近代中国社会――魂の救済から社会の救済へ(蒲豊彦)
異文化を越えた飲み物――ヨーロッパへのコーヒーの伝来と定着(南直人)

第二部 文化イメージの交錯
「朝鮮人来朝図」の図像学(ロナルド・トビ)
近世の文人と異国(有坂道子)
夢野久作『ドグラ・マグラ』と楊貴妃漂着伝説――その背景の中世史(細川涼一)
「きもの」というファッション――消費文化のなかの「伝統」(河原和枝)
宝塚歌劇団と異文化交流(ひろたまさき)

あとがき(横田冬彦)

★近代以後、すなわち「現代」における異文化同士の交流ないし衝突は、グローバリゼーションによって加速し、それに伴う衝撃を増しているようにも思えます。圧倒的な利便性の増加による恩恵を感じる傍らで、すべてを従属させずにはおかない無境界化の暴力を、現代人は感じているのではないでしょうか。地球の一体化への希求と多様性の簒奪が同時に現代人を襲ったため、私たちはいわゆるグローバル・スタンダードに対して次第に懐疑的になってきたかもしれません。そんな懐疑的な日本人にひょっとしたら別の視点を与えてくれるかもしれない本が、先週発売されました。

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業
タイラー・コーエン(1962-)著 田中秀臣監訳・解説 浜野志保訳  
作品社 2011年5月 本体2400円 46判上製288頁 ISBN978-4-86182-334-3

帯文より…自由貿易は、私たちの文化を根絶やしにするのか? マーケットとカルチャーは敵対するのか? エートスとミネルヴァ・モデル、最小公分母効果、サイズと臨界質量、文化クラスターの重要性、ブランドの力、若者の消費行動が決めるカルチャーの「質」など、文化と経済の関係を知るための必読書! 2011年、世界で重要な経済学者の1人に選ばれた著者の話題作!

帯裏文より…『AKB48の経済学』の田中秀臣氏が特別に解説――「近年のタイラー・コーエンの経済学は、独自の進化をみせている。リーマンショック後の米国経済の落ち込みによって、人々の文化消費のあり方が構造的な意味で変容したという。この文化消費の構造的変化を説明する経済学が、「物語の経済学」だ。本書『創造的破壊』は、今後重要な基礎文献として読まれ続けるに違いない」(日本語版解説「タイラー・コーエンの経済学――創造的破壊から物語の経済学へ」より)。

カバー裏コピーより…「ローカルな文化(国や地域ごとの文化)が、グローバリゼーションによって堕落する」という話を耳にすることは多い。だが、ローカルな文化にとって、グローバリゼーションはマイナスにもプラスにも働くのではないか? これまで侃々諤々の議論がなされてきた問題に、独自の視点で鋭く切り込んだのが、本書である。著者は、斬新かつ大胆な手法で、異文化間交易をより肯定的に捉えてみせる。「市場と美的価値は敵か味方か」という長年の問いに対して、古臭い仮説ではなく経済学者としての視点に基づき、ひとつの答えを提示する。著者の結論は、力強く明瞭なものである。すなわち、総合的に見れば、市場と美的価値は味方同士である。文化における「破壊」がもたらすのは、芸術の終焉ではなく、創造的なコンテンツの多様性である。

推薦文より…「『創造的破壊』で鮮やかに展開されるコーエンの主張は、「外部からの侵入はプラスにもマイナスにも働く」というものである。実際、かくも長きにわたって、外部からの侵入は古いものを壊し、新たなものを生み出しつづけてきた」(デヴィッド・R・ヘンダーソン『ウォール・ストリート・ジャーナル』)。「コンパクトだが示唆に富む論考である。『創造的破壊』には数多くの長所がある。その一つは、文化に対して市場が与える両義的な衝撃について、現時点で最も明快な解説を示しているという点である」(デヴィッド・R・サンズ『ワシントン・タイムズ』)。

原書…Creative Destruction, Princeton University Press, 2002.

目次…
日本語版序文「幾度も破壊を乗り越えてきた日本の皆さんへ。今こそ、日本人が持つ「創造」力を発揮するべきだ」

第1章 異文化間交易――グローバリゼーションの功罪
第2章 グローバル文化の隆盛――富と技術の役割
第3章 エートスと文化喪失の悲劇
第4章 なぜハリウッドが世界を牛耳るのか、それはいけないことなのか
第5章 衆愚化と最小公分母――グローバリゼーション時代の消費者
第6章 「国民文化」は重要なのか――貿易と世界市民主義

原注
参考文献
解説「タイラー・コーエンの経済学――創造的破壊から物語の経済学へ」田中秀臣

★コーエンのこの本は単純なグローバリゼーション礼賛や現状追認に留まるものではないようです。地球規模の文化的交通のプラス面とマイナス面を見極めつつ、思い切ってより積極的にこの変化を自分のものにしようという意図を見ることができます。このポジティヴさに素直に学びたいです。本書は出版業界人必読と言っていいかもしれません。電子書籍だキンドルだグーグル・ブックスだと騒がしい昨今ではあるものの、日本の業界人はまだ日本語にローカライズされた市場の中で騒いでいます。コーエンは日本に「創造的破壊」の実例や貪欲な異文化吸収の歴史を見出して「衝撃を受け」(2頁)た、と書きました。確かに出版業界においても日本の翻訳文化には世界的に高いレベルにあるでしょう。しかし、輸入は上手でも輸出はどうだったか。日本の出版界がコンテンツや読書環境関連事業の輸出を、創造的破壊に達するまで上手くできるかどうか、道のりはまだまだ遠いようにも感じます。本書を担当した編集者のFさんは人文書版元の中では業界改革への意識が高い若手です。こうした本をきっちりフォローするあたりはさすがです。

★最後に「創造的破壊と言ってもそれは結局「破壊」であることに変わりはないのではないのか」と感じている懐疑的な方々には、今週発売になるケビン・ベイルズの新刊をお薦めします。『現代奴隷制に終止符を!――いま私たちにできること』(大和田英子訳、凱風社、2011年5月31日、本体2800円、四六判並製408頁、ISBN978-4-7736-3506-5)。ベイルズのロングセラー『グローバル経済と現代奴隷制』は現在4刷に達しているそうです。ベイルズは地球規模のヒューマン・トラフィック(人身売買)について地道に研究を続けている学者で、私がもっとも敬愛する人物の一人です。現代奴隷制 Modern Slaveryと聞くと何だかゴリゴリの活動家の言葉のように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、まずは御一読をお薦めします。一般的日本人がほとんど知らない悲劇のオンパレードで戦慄を覚えずにはいられません。人間による他者の奴隷化は止めることができるのだ、という強い信念に基づいたベイルズさんの主張は、まさにリクールが言うような「生活を記述し直す」変革の想像力を力強く後押しするものです。
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by urag | 2011-05-29 23:58 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 26日

弊社出版物の著者や訳者の方々の最近の御活躍

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◎ジョルジョ・アガンベンさん(『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『涜神』『思考の潜勢力』著者)

◆以下の訳書が刊行されました。

事物のしるし―─方法について
ジョルジョ・アガンベン(1942-):著 岡田温司+岡本源太:訳
筑摩書房 2011年5月 本体2,600円 四六判上製200頁 ISBN978-4-480-84718-8

原書:Signatura Rerum: Sul metodo, Bollati Boringhieri, 2008.

帯文より:フーコーを契機として〈パラダイム〉〈しるし〉〈哲学的考古学〉をめぐり、その思想の展開方法や認識の可能性を再構築するアガンベン版〈方法論序説〉。ホモ・サケル、回教徒、強制収容所……これらはどのように思考されてきたのか。アガンベンによる人文科学の方法論。

帯文(表4)より:「仕事の方法という問題に関するかぎり、この本はわたし自身にとってとても重要なものです」(アガンベン)。「方法についての書であると銘打ったこの本は、同時にすぐれて、その方法をアド・ホックに実践している書である。つまり、そこにおいて理論と実践、手続きと結果、解釈と提示とが分かちがたいかたちで合体しているのであり、方法について思考することが、そのまま方法の実践となりえている稀有な試みなのである」(「訳者あとがき」より)。

目次:
はしがき
第一章 パラダイムとはなにか
第二章 しるしの理論
第三章 哲学的考古学

新たなる方法序説――訳者あとがきにかえて 岡田温司
文献
人名索引

★人文科学の再定礎ともいうべき課題に果敢に挑んだ本です。アガンベンさんが訳者の岡田さんに宛てた私信(その一部が帯文に引用されてます)の中で、今回の本の重要性について明かしていますが、確かに本書の副題のシンプルさはその重要性に比しているかもしれません。シンプルな副題は他の例では96年刊の2点『目的なき手段――政治についての覚書』(日本語訳『人権の彼方に――政治哲学ノート』以文社、00年5月)、『イタリア的カテゴリー――詩学の試み』(日本語訳『イタリア的カテゴリー――詩学序説』みすず書房、10年4月)などがありました。アガンベンさんは近年、ヴェネツィア建築大学をお辞めになっており、おそらくは今後も大作を世に問うことでしょう。『事物のしるし』はアガンベンさんの新たなスタートを予感させる気がします。

★今までに訳された単独著既刊書を、原著刊行順に列記すると以下の通りです。

1970年『中味のない人間』(岡田温司・岡部宗吉・多賀健太郎訳、人文書院、2002年)
1977年『スタンツェ――西洋文化における言葉とイメージ』(岡田温司訳、ありな書房、1998年;ちくま学芸文庫、2008年)
1979年『幼児期と歴史――経験の破壊と歴史の起源』(上村忠男訳、岩波書店、2007年)
1982年『言語と死――否定性の場所にかんするゼミナール』(上村忠男訳、筑摩書房、2009年)
1993年『バートルビー――偶然性について』(高桑和巳訳、月曜社、2005年)
1995年『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』(高桑和巳訳、以文社、2003年)
1996年『人権の彼方に――政治哲学ノート』(高桑和巳訳、以文社、2000年)
1996年/2010年『イタリア的カテゴリー――詩学序説』(岡田温司監訳、2010年)
1998年『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(上村忠男・廣石正和訳、月曜社、2001年)
2000年『残りの時――パウロ講義』(上村忠男訳、岩波書店、2005年)
2002年『開かれ――人間と動物』(岡田温司・多賀健太郎訳、人文書院、2004年)
2003年『例外状態』(上村忠男・中村勝己訳、未來社、2007年)
2005年『涜神』(堤康徳・上村忠男訳、月曜社、2005年)
2005年『思考の潜勢力――論文と講演』(高桑和巳訳、月曜社、2009年)
2008年『事物のしるし―─方法について』(岡田温司・岡本源太訳、筑摩書房、2011年)
2009年『王国と栄光――オイコノミアと統治の神学的系譜学のために』(高桑和巳訳、青土社、2010年)

★筑摩書房さんでは来月、中山元さん(弊社刊、ブランショ『書物の不在』訳者)の新刊『正義論の名著』(ちくま新書、6月6日発売、税込861円、ISBN978-4-480-06612-1)を出版されます。また、以下の新刊も予定されています。

マイケル・サンデル『公共哲学―─政治のなかの道徳をめぐる小論集』(鬼澤忍訳、ちくま学芸文庫、6月8日、税込1,470円、ISBN978-4-480-09387-5)
三輪裕範『自己啓発の名著30』(ちくま新書、6月6日、税込903円、ISBN978-4-480-06613-8)
清水幾太郎『流言蜚語』(ちくま学芸文庫、6月8日、定価1,155円、ISBN978-4-480-09390-5)
『中井久夫コレクション(2)「つながり」の精神病理』(ちくま学芸文庫、定価1,365円、6月8日、ISBN978-4-480-09362-2)
『ヴァレリー集成2』(塚本昌則編訳、筑摩書房、5月25日、定価7,980円、ISBN978-4-480-77062-2)
『ゲーテ スイス紀行』(木村直司編訳、ちくま学芸文庫、6月8日、定価1,575円、ISBN978-4-480-09386-8)


◎鵜飼哲さん(ジャン・ジュネ『公然たる敵』共訳者)

◆以下の共訳書が復刊されました。

恋する虜――パレスチナへの旅
ジャン・ジュネ(1910-1986):著 海老坂武+鵜飼哲:訳
人文書院 1994年3月 本体7,000円 46判上製616頁 ISBN978-4-409-13017-9

原書:Un captif Amoureux, Gallimard, 1986.

帯文より:パレスチナ、その土地と人々を見据え、夥しい死者を出した、孤独で絶望的な闘争の記録。 政治的ルポを越える新たな文学的営為。癌に冒されつつ書き続けた最後の大作。待望の復刊。

目次:
回想I
回想II
『恋する虜』関連地図
『恋する虜』関連年表
『恋する虜』完成にいたるジュネ晩年の歩み――あとがきにかえて

★どれくらいの期間、品切だったでしょうか。久しぶりの復刊です。巻末に「再版のためのあとがき」と題された鵜飼さんによる新規テクストが5頁追加され、「新たな角度で読み直す可能性」について言及されています。訳文も最低限の見直しを経ているとのことです。版元情報によれば、高価本にもかかわらず反響が大きいとのこと。大冊でなかなか重版しにくいでしょうから、初版本をお持ちの方もこの機会に再度購入された方がいいかもしれません。手元にある初版本を見直したところ、当時も本体価格7000円でした(17年前としては高い印象)。今回値段を据え置きにされたのは嬉しいことです。

★人文書院さんでは本書と同時に以下の2点も重版されました。『ユング・コレクション(6)結合の神秘II』(池田紘一訳、本体7000円)と、E・ルナン『イエスの生涯』(忽那錦吾+上村くにこ訳、本体2000円)。
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by urag | 2011-05-26 16:22 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 22日

今週発売の注目新刊(2011年5月第4週)

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ニーチェ全詩集 新装版
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900):著 秋山英夫+富岡近雄:訳
人文書院 2011年5月30日 本体2,800円 46判上製466頁 ISBN978-4-409-13033-9
帯文より:ニーチェの本質をつかむ詩集が新装版で復刊。10代から発狂するまでの詩作を集成。『超訳 ニーチェの言葉』の白取春彦氏解説。

★24日(火)取次搬入の新刊です。書店店頭に並び始めるのは最速で25日以降だろうと思います。親本は1968年刊。昨今のニーチェ・ブームに後押しされて、今回めでたく新装版として復刊されました。間村俊一さんによる装丁でとても綺麗な本です。新装版というとたいていは外まわりが変わるだけで中身は変わりませんが、この版では、ディスカヴァー21のベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』の編訳者の白鳥春彦さんの解説が新たに付されています。少年時代に68年刊の『全詩集』親本を買った思い出から語り起こし、詩作品を読み解きつつ、その魅力に迫っています。難解に思われがちな哲学者の言葉へと誰しもが近づきやすいように工夫を凝らしてきた白鳥さんならではの丁寧な解説です。

★ニーチェの詩集は本書のほか、『ニーチェ詩集』(河内信弘訳、書肆山田、07年3月)や、『ニーチェ全集(別巻2)ニーチェ書簡集II/詩集』(塚越敏+中島義生訳、ちくま学芸文庫、94年8月)があります。前者は版元公式ウェブサイトによれば「重版出来」となっています。後者は現在版元品切のようです。三書を並べて写真を取りたかったのですが、どうしても書肆山田版のゆくえが分からず。かつて4年前に拙ブログ記事用に写真を取ってありますから、書斎のどこかにはあるはずなのですが……。ちくま学芸文庫版の『ニーチェ全集』別巻は全4巻で第1巻と第2巻が書簡集(第2巻に詩集が併録されています)、第3巻と第4巻は遺稿となる『生成の無垢』です。現在第4巻以外は版元品切。まさかこのまま絶版とはならないでしょうけれど、やや不安ですね。

論創社さんでは今月末に以下の新刊を発売する予定だそうです。楽しみですね。ペーター・スローターダイク『方法としての演技――ニーチェの唯物論』(森田数実+中島裕昭ほか訳、論創社、11年5月、本体2,600円、ISBN978-4-8460-0803-1)。

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なぜマルクスは正しかったのか
テリー・イーグルトン(1943-):著 松本潤一郎:訳
河出書房新社 2011年5月25日 本体2,400円 46判上製248頁 ISBN978-4-309-24548-5

原書:Why Marx was right, Yale University Press, 2011.

帯文より:マルクス主義は時代おくれ、自由の敵で、決定論で大量虐殺をもたらしただけ、ユートピア的で非現実的、経済決定論で宗教的な問題をうち捨てて、本音では血塗れのカオスが大好きだ。階級問題を語るなんて古臭いし、そもそも新しい運動はその外側で起こっているんじゃないの? そんなあらゆる疑問・批判・罵倒にイーグルトンが答えます。巨匠による究極のマルクス入門にして初の本格的マルクス論、ついに登場。

本文より:「私は本書でマルクスへの最も標準的な十の批判を取りあげる。それらの批判の間には、その重要性に関して何ら序列はなく、私はそれらを一つ一つ論破してゆこうと思う。この過程で私は、マルクスの仕事になじみのない人々のための、マルクスの思考についての明快で理解しやすいイントロダクションをも、提示できればと思っている」(「序文」5-6頁)。

★版元公式サイトでは25日発売となっていますので、河出さんの通例で考えれば、書店店頭では最速で24日(火)から並び始めるのではないかと思います。25日は〆日で混み合うので、多少前後するかもしれませんが。マルクスに対する世間一般の十の疑問にイーグルトンが懇切に答えるというのが本書の趣旨です。とはいえ、それはかたくなで強引な弁護を目指しているのではありません。「マルクスの構想のいくつかに対して私自身が疑いを抱いていることは、本書を読めばはっきりするはずだ」(5頁)。ただし、「マルクスの構想がさほど完璧ではないが、さほど詐欺的でもないことを、がむしゃらに説明するつもりである」(同)。

★イーグルトンはイギリスを代表するマルクス主義批評家です。彼がどう批判に答えているのかは本書を手にとっていただくとして、十の疑問、難癖、皮肉がどんなものかをざっくりとご紹介しておきたいと思います。1)マルクス主義は「終わった」。2)マルクス主義は悲惨な現実しかもたらさない。3)マルクス主義は人間の自由を奪う決定論だ。4)マルクス主義は非現実的なユートピア思想だ。5)マルクス論はすべてを経済の問題にする。6)マルクス主義は唯物論にすぎず、精神的価値を忘れている。7)マルクス主義は古臭い階級社会論に過ぎない。8)マルクス主義は暴力を容認する思想だ。9)マルクス主義は国家を怪物にする。10)マルクス主義はもはやラディカルな政治活動を生み出さない。

★本書はマルクスないしマルクス主義に賛同する人にとっても反対する人にとっても有益です。また、十の疑問に答える過程でイーグルトンは「マルクスの仕事になじみのない人々のための、マルクスの思考についての明確で理解しやすいイントロダクションをも」(6頁)提示しているので、21世紀のマルクス入門として最適でもあると思います。マルクス思想の最良の部分をどう受け継ぐか、その重要性は今なお失われていません。印象的だった言葉のうちの一つを引きます。「マルクス自身はその無信仰な子孫であったわけだが、ユダヤ教的伝統にとって、「精神的なもの」とは、飢えを満たし、移民を歓待し、貧者を富裕層の暴力から守るという問題だった。精神的なものは、日常的な事柄や日々の生存の反対物ではない。それは日常を生きてゆくための格別な方法なのだ」(139-140頁)。イーグルトンは近著『宗教とは何か』(大橋洋一ほか訳、青土社、10年5月)で、キリスト教の再評価を行っています。同書はすでに3刷に達しているそうです。

★以下の本は3月に発売された既刊ですが、イーグルトンのマルクス入門と併せて、21世紀を占う上で欠かせない本ですので、特記しておきたいと思います。

北京のアダム・スミス――21世紀の諸系譜
ジョヴァンニ・アリギ(1937-2009):著 中山智香子ほか:訳 山下範久:解説
作品社 2011年3月 本体5,800円 46判上製700頁 ISBN 978-4-86182-319-0

帯文より:21世紀資本主義の〈世界システム〉は、中国の台頭でどうなるか? 東アジアの経済的復興と新たな〈世界システム〉への転換を、アダム・スミスの経済発展理論をもとに壮大な歴史的視野から分析。

帯文(表4)より:アダム・スミス的な市場社会の後継者は、むしろ中国である……。東アジアのGDPは、19世紀半ばまで西洋を圧倒していた。しかしアヘン戦争以降、世界は、西洋が覇権を握る「大いなる分岐」を迎えた。ところが、経済学の祖アダム・スミスは『国富論』で「西洋と東洋の力の差は、いずれ消滅するだろう」と予言している。本書は、スミスの経済発展理論を、マルクスやシュンペーターとも比較しながら再評価し、アメリカの“終末的危機”と中国の興隆のダイナミズムを、壮大な歴史的視野の中から分析したものである。西洋国家システムの弱体化、東アジアの経済的復興によるグローバル市場社会の構築という、新たな〈世界システム〉が大胆に展望される。

原書:Adam Smith in Beijing: Lineage of the Twenty-First Century, Verso, 2007.

はじめに
序章
第I部 アダム・スミスと新しいアジアの時代
 第1章 デトロイトのマルクスと北京のスミス
 第2章 アダム・スミスの歴史社会学
 第3章 マルクス、シュンペーター、そして資本と権力の「終わりなき」蓄積
第II部 グローバルな乱流を追跡する
 第4章 グローバルな乱流の経済学
 第5章 グローバルな乱流の社会的ダイナミズム
 第6章 ヘゲモニーの危機
第III部 解体するヘゲモニー
 第7章 ヘゲモニーなき支配
 第8章 史的資本主義の領土的論理
 第9章 実現しなかった世界国家
第IV部 新アジア時代の系譜
 第10章 「平和的台頭」の挑戦
 第11章 国家、市場、資本主義、そして東と西
 第12章 中国台頭の起源とダイナミズム
終章

ジョヴァンニ・アリギ・インタビュー「資本の曲がりくねった道」インタヴュアー・デヴィット・ハーヴェイ)
日本語版解説「資本主義から市場社会へ――『北京のアダム・スミス』に寄せて」山下範久
 はじめに――もうひとつの世界システム論
 1 政治的ダイナミズムの場をめぐって――半周辺論からヘゲモニー論へ
 2 ネオブローディリアンの帝国論批判/批判的帝国論
監訳者あとがき 中山智香子
参照文献一覧
ジョヴァンニ・アリギ著作一覧
人名索引
地名索引
事項索引

★『長い20世紀――資本、権力、そして現代の系譜』(土佐弘之監訳、作品社、09年1月)でアメリカの覇権の終焉を分析したアリギは、今度は本書『北京のアダム・スミス――21世紀の諸系譜』で中国の台頭を分析しています。この二冊はいずれも大冊で簡単に読み終えることができるような本ではありませんが、現代人が生きている時代の越し方と行く末を理解する上で、アリギが残してくれたいくつもの視点は得難い価値があります。アメリカの覇権の崩壊と中国の台頭、それは他ならぬ日本が一つの役割を負い続けてきた時代の決定的な変遷の、大きな目印です。本書は私たちの未来がいくつかの選択肢を持っていることを教えてくれます。「本書には、「アメリカの次は中国か」というような単純な問いに還元できない、豊かで多様な思想的、理論的論点が織り込まれている」(「監訳者あとがき」624頁)。

★本書はこう締めくくられています、「中国が政策転換によって、中国中心の市場基盤の発展、略奪なき資本蓄積、物的資源よりも人的資源の動員、政策形成における大衆参加型の政府、といった中国の伝統を回復し強化することに成功すれば、文化的差異を真に尊重する諸文明の連邦という点でも、中国は決定的な貢献をする可能性がある。しかし、中国が政策転換に失敗すれば、中国は社会的・政治的混沌の新たな震央となるかもしれない。すると、そのような混沌のなかで、先進資本主義諸国側が、崩壊しつつあるグローバルな支配を再興しようとするかもしれない。あるいは、ふたたびシュンペーターの言を言い換えれば、人類が冷戦世界秩序の消滅に続いて起こった暴力のエスカレーションの恐怖(あるいは栄光)のなかに焼き尽くされてしまうことに、中国が手を貸すことになるかもしれない」(538-539頁)。中国の軍事的脅威を日増しに感じているであろうたいていの日本人からすると、アリギの予想は悪い方で当たるのではないか、という危惧があるのではないかと思います。嫌中論の跋扈を乗り越えて日本がいかに賢明に中国と接するべきか、本書はそのヒントも与えてくれると思います。

★本書の編集担当者のUさんは最近話題の以下の本も担当されています。吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ――災害と復興、無縁化、ポスト成長の中で、新たな共生社会を展望する』(作品社、11年5月)。「地域/都市社会学の第一人者が長年にわたる調査研究をもとにまとめた、被災地の復興、共存・共生の社会構築に向けた渾身の一冊」とのことです。非常にタイムリーな一冊ですね。

★21世紀の新しい世界情勢のなかで、私たち日本人はいかなる価値をもって行動するべきなのか。そうした困難な問いを真摯に考える上で有益な新刊が先週発売されましたので、もう一冊ご紹介しておきたいと思います。

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〈恥ずかしさ〉のゆくえ
菊池久一(1958-)著
みすず書房 2011年5月 本体3,200円 四六判上製260頁 ISBN978-4-622-07604-9

帯文より:言語政治学の知見を援用し、恥の感覚を鍵とした〈思いやり〉と〈慎み深さ〉を内包する倫理を考究する。アガンベン、辺見庸、コノリーほか、多くの思想に論及。

菊池久一(きくち・きゅういち:1958-/亜細亜大学法学部教授)単独著既刊
『〈識字〉の構造――思考を抑圧する文字文化』(勁草書房、95年10月)
『憎悪表現とは何か――〈差別表現〉の根本問題を考える』(勁草書房、01年1月)
『電磁波は〈無害〉なのか――ケータイ化社会の言語政治学』(せりか書房、05年7月)

★本書の結論部分には次のようなくだりがあります。「自由、平等、正義、寛容などの民主主義的理念を唱える者たちの行為が破廉恥なものであることが暴露されるとき、自らも彼らと同じ「社会」の住人であり、その破廉恥な行為に何らかの形でどこかでつながっていると認識すれば、その恥ずかしさから逃げるわけにはいかなくなる。その場合の嫌悪の対象は、あくまで生身の人間たちであって、それら大文字の理念そのものではない。一方、高貴な人間の唱えるよりピュアな理念に統制されるより善い「社会」を求める意志が強いものは、理念も破廉恥な人間もそうした「社会」もすべて嫌悪の対象として捉えるのであり、極端な場合、自分以外の人間はすべて抹殺の対象とさえなりかねない。そのような人間にとっては、腐りきった社会の住人であると自己認識して恥を耐え忍ぶことは、もはや選択肢としてはありえず、破廉恥な行為をした輩を罰する使命感にかられる者さえ出現するのではないだろうか」(「おわりに」228-229頁)。日本の政治的危機の本質を映す一面を鋭く分析していると思います。日本の社会的現実においては今よりもいっそう、ひとは他者に対して暴力的になる危険をはらんでいると感じます。イントレランス(不寛容)が日本を席捲しようとしているのではないか、という危惧が私にはあります。がそれだけに、このくだりに私は戦慄を覚えました。

★上記の記述の後段で、著者は以下のように書いています。「多種多様の価値観をもった多元的文化的人間たちが構成する現実の「社会」は、とても美しいものなどではなくて、不快であり、醜いものであることを認めたうえでなお、自分はそのような「社会」で不様に生きることしか許されていない人間であることの〈宿罪〉の意識をもって、そのあるがままの事実をすべて恥として引き受ける者は、慎み深さという廉恥の心を知ることになろう。あるがままの恥をすべて受け入れること、それが、言葉への「信頼」を取り戻すことの一歩となるのではないだろうか」(229頁)。言葉への信頼なくして、他者への信頼もありません。誰かに責任を押し付けて現実逃避する偽りの生ではなく、慎み深さのなかで恥を受け入れることが――それは単なる現状肯定ではありません――、自己と他者、そして社会への責任を果たすための変革の第一歩になるのではないか。そんな風に鼓舞された私でありました。

★現状への安易な追認ではなく、現状に至る変化を把握した上で過去と決別する潔さを私たち業界人に教えてくれる本があります。5月24日発売と聞いています。

リブロが本屋であったころ
中村文孝(1950-)著
論創社 2011年5月 本体1,600円 46判並製186頁 ISBN978-4-8460-0889-5

帯文より:本を売ることもひとつの想像力である。芳林堂書店、リブロ、ジュンク堂書店を経て、2010年にブックエンドLLPを立ち上げた著者の《出版》をめぐる物語。再販委託制は歴史的役割をすでに終えている!! 

本文より:「淀んだこの出版業界でとくに逼迫しているのが書店で、このまま座していては消えゆくのを待つばかりです。取次店を通ってきた出版物をただ並べていただけの書店は、そのほとんどが消えてしまいました。今残っているのは、何らかの工夫をしてきた諸点ですが、それも持ち堪えてきた体力がそろそろ失われつつあります。何かのヒントにでもなればと、これまでやってきたことを、気の付いたところから喋ってしまうことにしました」(「あとがき」183頁)。

★小田光雄さんによるインタビューシリーズ「出版人に聞く」の第4巻です。挑発的な書名のゆえか、刊行前から様々な反響を呼んでいるようです。リブロはまだ本屋として存在しているわけで、現在働いている人たちに対して失礼なのではないか、といったつぶやきを聞きます。それはその通りなのですが、この書名には幾つもの思いが込められているような気がします。一つには、本屋というのは多種多様であり、様々な本屋がありうること。二つには、中村さんが考える書店像というのがあって、それを中村さんや今泉さん、田口さんらが追求してきた時代からすれば、現在のリブロはすでに別のタイプの本屋になっているということ。三つには、リブロは常に変化し続ける書店であったということ。四つには、そこで働く人の数だけ、そしてそこに通うお客の数だけ、異なるリブロ像があるのは当然だということ。五つには、中村さんや今泉さんが在籍していた時代のリブロを黄金期と見る人々にとっては、挑発などではなくドライに振り返るほかはない対象として「リブロという稀有な書店があった」と言いうるのみであるということ。六つには、リブロ「黄金期」はバブルの追い風によって偶然に成立したアノマリー(異例)なのではなくて、時代の波を追い風に「することができた」苦労人たちの工夫と努力がそこには厳然とあったということ。七つには、出版界の構造不況はますます深刻化しており、本屋が本屋であり続けるのは非常に困難であること。

★少し長くなりますが、本書の末尾の部分を引用して、中村さんご本人の声をご紹介しておきます(「コンコルディアという棚とリブロの時代の終わり」178-181頁)。

 ――つまり書店の現場において、出版社の編集とは異なる書棚におけるエディトリアルというコンセプトが発見された。
 中村 そう、本と本との組み合わせを時代の要請によって変えてゆく。その時点で組み合わせる言葉や考え方をキーワード、キータームと名づけていた。そうすることによって、新しい本の世界を浮き上がらせる。それをフェアという短い期間で終了するものではなくて、プロパーと呼ばれた通常の棚でやろうとした。店と棚のハードウェアに対して、そのようなソフトウェアとしての組み合わせの違った本の集積を中身として組みこむ、そして関係性を見せながら時とともに動かしてゆく。今は当たり前のハードとソフトの考え方だけど、当時とすれば、そんなことを考えていたのはほんとに少数だった。
 その対極としての多面積みも私が初めて遊びとして試みたものだが、あれはどの場所に積んだものが一番売れるのか、またそれは十六面なのか、二十五面なのか、そのどちらが効果があるのかという人間の行動動態の研究みたいになってしまって、本の力の問題ではなくなってしまうとわかった。だから、衝動買い向きの本にはすごく効果があった。
 つまりこれは本を売ると言う面白味の追求ではない。やはり面白いのは本が本来もっている多面性なんです。例えばエンデの『モモ』や『果てしない物語』は季節によって入れる場所と棚を変えてみた。四、五月は教育書の場所、これはシュタイナー教育絡みで、ここが一番売れる。もちろん夏と暮れは児童書、それ以外は海外文学と文芸書のコーナーといった具合に置き方を変えてみる。本が本来もっている多面性がどんどん吸着していくという感じだった。
 ――優れた本で、それなりに売れている本はどの分野においても売れるという書店での物語の追求となる。
 中村 それもあるけれど、やはり本質的には本の多面性の追求だね。ひとつのアプローチからその本の収容する分野を何々と決めつけるのは危険だとする考えだ。だからそれを季節や時代によって組み合わせを何通りも考えることが必要だ。その常設の棚としてのコンコルディアの考えが出てきた。つまりその棚のテーマは入れ替えをすることで変わっていくんだが、そこに組み合わされた本は縦横ばかりでなく、立体的に三次元的に機能していく。
 それには本をかためて置くだけでは駄目だ。本の大きさもデザインも色も全部異なるわけだから、それらの本の集合体をかたまりで展開できる見せ方、並べ方が読者に対してひとつのプレゼンテーションになるかたちの空間としての棚がコンコルディア調和しつつ、一致していくという考えだった。それが私なりの書店における集積であり、実験だったと思う。
 しかしもうその時にはリブロの時代も終わりを迎えようとしていた。二〇〇九年が小川さんの十三回忌だった。九六年に小川さんが亡くなり、今泉氏が煥乎堂に移り、私と田口さんがジュンク堂に移り、めぐりめぐってリブロは日販に買収され、そこで完全にリブロの時代は終わった。それを機にして、コンコルディアの棚も廃棄処分されてしまって、リブロも普通の大きな書店になることで生き残るという選択をしたようだし、本当にあの時代のあの空間はうたかたのように消えてしまった。
 そして私はもはや引退してしまったけれど、出版危機の中での書店の荒廃した現状だけが何も手を付けられずに取り残されている。リブロに関してはいえないこともたくさんあるし、バブルだったからと批判されてもかわまないが、本当に不思議な時代でもあったし、あのような書店の時代は再び出現することがないような気がする。だからこれは私だけの勝手な思いかもしれないが、かけ替えのない時代を生きたような気がしている。

★告白すれば私はあの「コンコルディア」で育った人間でした。ほぼ毎日のように通って長時間リブロ池袋店で過ごすあまり、コンコルディア棚のどこにどんな本が置いてあるか記憶していましたし、時折本を探しに来る店員さんより早くその本を見つけたこともありました。私が営業マンとして書店さんと一緒になって様々なフェアや棚構成を追求し続けているのは、あのリブロ「黄金期」の爆風の余韻が今なお私の中で吹き荒れているからです。それは、あの時代のリブロがバブル云々を超越して、どんなに時代が変わろうとも変えられようのない熱い魂を宿していたからで、言い換えれば、時代の波風をつかむことを追求し続けた結果、超長期的な編集遠近法のアーキタイプを見出すに至ったからだと思います。本書の「あとがき」の末尾には、今まで一緒に働いてきた数多くの同僚への感謝と、「今も元気に書店を盛り上げている人たち」への激励の言葉が綴られています。本書が単純なリブロ批判本ではないことは明らかです。残された私たちは、先達の創意工夫を検証しつつ、恐れることなく新しい書店、新しい出版界の創出へと勇気を持って踏み出せばいいのです。それが本書を読む私の流儀です。
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by urag | 2011-05-22 23:12 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 17日

まもなく発売:ピーター・シンガー『動物の解放 改訂版』人文書院より

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動物の解放 改訂版
ピーター・シンガー:著 戸田清:訳
人文書院 2011年5月 本体4,400円 A5判上製406頁 ISBN978-4-409-03078-3

帯文より:動物への非倫理的扱いを禁止せよ――。世界における動物福祉論の最大の画期となり、現在まで重要性を増し続ける革命的書物にしてシンガーの代表作。そのあまりに苛烈かつ論理的な倫理の要求は、われわれ全存在に向けられている。大幅な改稿を施された2009年版にもとづく決定版。動物の権利〔アニマル・ライツ〕運動のバイブル。

原書:Animal Liberation, Harper Perennial Modern Classics: New York, 2009.

目次:
二〇〇九年版への序文
一九七五年版への序文

第一章 すべての動物は平等である
第二章 研究の道具
第三章 工場畜産を打倒せよ
第四章 ベジタリアンになる
第五章 人間による支配
第六章 現代のスピシーシズム

謝辞
付録1 動物解放の三〇年
付録2 著者について――シンガーによるシンガー
訳者あとがき
参考文献・読書案内
原注
索引

★本日5月17日取次搬入とのことで早いお店では明日以降に発売開始になるものと思われます。同訳書の初版は「技術と人間」から1988年9月に刊行され、2002年1月にトーハン系のオンデマンドサービス「デジタルパブリッシングサービス」で同書の3刷として復刊されました(写真左)が、これも久しく品切になっていたようです。今回の改訂版の担当編集者のMさんによれば、アマゾン・マーケットプレイスではかなり高価だったとか。確かに今日現在、最安値で12,000円。学術書ではよくありがちな価格上昇です。2002年のオンデマンド版も当時3,700円という結構なお値段でしたが、復刊したけれどいつのまにか品切になってる、というのもよくあることで、購入をためらっているうちになくなりますから、復刊ものは一期一会ですねえ。ともあれ本書は多くの論争を巻き起こした現代の古典ですからニーズはあったわけです。

★日本はこのところさんざんシー・シェパードに調査捕鯨を邪魔されてきましたから、国民的感情としては動物保護運動はどこか胡散臭い大義名分の「偽善」という印象が一般的には強いかもしれません。しかし一方で、先日ご紹介したジョナサン・サフラン・フォア『イーティング・アニマル――アメリカ工場式畜産の難題〔ジレンマ〕』(黒川由美訳、東洋書林、11年4月)が暴いているような、食肉工場の安全性問題というのは、さいきんの「ユッケ食中毒死事件」でかなり注目されてきていると思います。シンガーの考えというのはさらに進んでいて、本書は「ヒト以外の動物に対する人類の専制政治についての書物」(12頁)であり、乱暴に要約すると、畜産や動物実験による搾取をやめて菜食主義者として人類は出直すべきだと言うわけです。シンガーの主張への賛否は色々あると思いますし、彼の論旨は完全無欠とは言い難いのですが、20世紀後半以後の倫理思想に本書が新局面を提示したことは確かです。

◎ピーター・シンガー(Peter Singer: 1946)既刊訳書
『アニマルファクトリー――飼育工場の動物たちの今』(ジム・メイソンとの共著、高松修訳、現代書館、82年8月)
『試験管ベビー』(ウィリアム・ウォルターズとの共編、坂元正一ほか訳、岩波書店、83年10月)
『動物の権利』(ピーター・シンガー編、戸田清訳、技術と人間、86年9月)
『動物の解放』(戸田清訳、技術と人間、88年9月;改訂版、人文書院、11年5月)
『生殖革命――子供の新しい作り方』(ディーン・ウェールズとの共著 、加茂直樹訳、晃洋書房、88年11月)
『マルクス』(重田晃一訳、雄松堂出版、89年6月)
『実践の倫理』(山内友三郎ほか監訳、昭和堂、91年9月;新版、昭和堂、99年10月)
『私たちはどう生きるべきか――私益の時代の倫理』(山内友三郎監訳、法律文化社、95年9月;改訳版、法律文化社、99年5月)
『ヘーゲル入門――精神の冒険』(島崎隆訳、青木書店、95年12月)
『生と死の倫理――伝統的倫理の崩壊』(樫則章訳、昭和堂、98年2月)
『大型類人猿の権利宣言』(パオラ・カヴァリエリとの共編、山本友三郎ほか監訳、昭和堂、01年4月)
『現実的な左翼に進化する――進化論の現在』(竹内久美子訳、新潮社、03年2月)
『「正義」の倫理――ジョージ・W・ブッシュの善と悪』(中野勝郎訳、昭和堂、04年7月)
『グローバリゼーションの倫理学』(山内友三郎ほか監訳、昭和堂、05年7月)
『人命の脱神聖化』(山内友三郎ほか監訳、晃洋書房、07年7月)

※ピーター・シンガーには同姓同名の著名人がいて、生命倫理学者ピーター・アレクサンダー・シンガー(1960-)や政治学者ピーター・ウォレン・シンガー(1974-)がいます。
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by urag | 2011-05-17 20:01 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 17日

ボワ+クラウス『アンフォルム』2刷、2011年5月17日出来

イヴ-アラン・ボワ+ロザリンド・クラウス『アンフォルム――無形なものの事典』の2刷が出来上がりました。本日より搬入再開しております。

なお、4月新刊『表象05』は現在、版元在庫僅少です。ネット書店ではしばらく入手しにくいかもしれませんが、リアル書店の店頭ではまだ在庫があります。MARUZEN&ジュンク堂さんの在庫はこちら
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by urag | 2011-05-17 10:43 | 重版情報 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 16日

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる予定の本屋さん

2011年6月1日(水)
オリオンパピルス:95坪(書籍雑誌:95坪、文房具・雑貨・CD・カフェ:ほか)
東京都立川市柴崎町3-2-1 グランデュオ立川 6F
帳合はN。弊社へのご発注は芸術書主要商品でした。JR立川駅南口駅ビル「グランデュオ立川」の6Fにオープン予定。書籍雑誌のほか、文房具・雑貨・CDを扱う「新しいライフスタイルを提案するセレクトショップ」(オリオン書房さんからの案内文)です。客層のメインターゲットは「20~30代女性と子ども」(Nの出品依頼文より)とのこと。従来の店舗とは明確な差別化があるようです。従来のオリオン書房と新機軸のブックカフェ業態「ペーパーウォール」との中間といったところでしょうか。ペーパーウォールはecute立川店が25坪、ecute品川店が22坪ですから、今回のパピルスはがぜん広いですね。
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by urag | 2011-05-16 12:07 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 14日

国内著者の人文系注目新刊:2011年3~5月

★このところ常に枕元において繰り返しひもといている本があります。千葉大学教授の田島正樹さんの『正義の哲学』です。河出書房新社さんのシリーズ「道徳の系譜」の最新刊で、田島さんの著書としては7冊目になります。こんにち「革命的左翼」であるとはどういうことか、熱く、そして知的に語りつくしています。いわゆる左翼は現代では様々な批判を受けているわけですが、そもそも左翼とは何かという定義が曖昧すぎますね。政治について誰もが気易く話せる時代ではあるものの、右や左、保守やリベラルなど、あまり深く考察されないまま使われているのではないでしょうか。そういう生ぬるい言論状況にバッサリと切り込みを入れるのが、本書です。書名から分かる通り、ある意味、サンデル・ブームへの一撃と言えます。意見の対立を乗り越えて対話することの意義をサンデルは日本人にとくと教えてくれました。ではもう一歩踏み込んで社会をより良く変えていくためにはどんな行動規範や実践のための指針が必要なのだろう、と考えた読者も多いことでしょう。そんな読者にお薦めなのが『正義の哲学』です。私にとって本書が2011年上半期ベストワンです。

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正義の哲学
田島正樹:著
河出書房新社 2011年4月20日発売 本体1,800円 46並製216頁 ISBN978-4-309-24547-8

帯文より:なぜ、我々の政治的構想力はここまで衰退したのか――。対立軸を失ったこの国で、社会の不完全性を「問題」として言い立て、実質的な状況変化を引き出す、真の〈正義〉を打ち立てる。正義とは語り合うものではない。

目次:
序――左翼の政治活動を哲学的に総括する
第I章 ギリシアの遺産
 第一節 法と正義を手放してはならない
 第二節 政治の意識・無意識
 第三節 法生成の母胎〔マトリックス〕
 第四節 英雄が為し、詩人が歌う
 インテルメッツォ 現実とは何か?
第II章 キリスト教の遺産
 第一節 「悪との戦い」?
 第二節 「問題」と「自由」
 第三節 自分はどこに立つのか
 第四節 正義と公共性
 第五節 政治を支える非政治的徳
 インテルメッツォ パンと葡萄酒
終章 哲学は政治に貢献できるのか

あとがき

田島正樹 (たじま・まさき:1950-)既刊著書
『ニーチェの遠近法』(青弓社、96年11月/新装版:03年1月)
『哲学史のよみ方』(ちくま新書、98年2月)
『魂の美と幸い――哲学的形式としてのエセー』(春秋社、98年12月)
『スピノザという暗号』(青弓社、01年6月)
『読む哲学事典』(講談社現代新書、06年5月)
『神学・政治論――政治哲学としての倫理学』(勁草書房、09年8月)
『正義の哲学』(河出書房新社、11年4月)

★先日ジョン・ホロウェイの新刊(『革命』河出書房新社)をご紹介しましたけれど、彼の代表作に『権力を取らずに世界を変える』がありますね。田島さんの『正義の哲学』にはこんな一節があります、「革命的左翼が「革命的」なのは、必ずしも多数を握ろうとはしないで決断する点です。実質的に状況を変えることを重視するのです」(92頁)。政治における「勝利」が多数派を掌握することを意味しているこんにち、政権が交代してもほとんど政治が変わらないのは、多数派工作のうちに必然的に孕まれる腐敗と打算の悪循環を「政官財」の癒着が打ち破れないことに一因があるような気がします。『正義の哲学』が混迷する政治状況に与える示唆は多いのではないかと思います。

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★かつて、80年代以降にニューアカや「知の技法」ブームや表象文化論を牽引したのが50年代生まれの書き手たちで、こんにち、311(東日本大震災)をもって終焉したと言えるかもしれないゼロ年代を牽引してきたのが70年代生まれの書き手だとすれば、60年代生まれの書き手は自分たちを歴史の中にどのように位置づけることができのでしょうか。自己規定しうる標識が何もないような気がするのは、「空白の十年間」とされる90年代の混迷に原因があるのかもしれません。空白と言っても、先に挙げたニューアカの後に論壇を刷新した雑誌『批評空間』や『インターコミュニケーション』が創刊されたのは90年代前半ですし、「知の技法ブーム」は90年代半ばのことです。しかし、わけても大きなメルクマールは95年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件だったろうと思います。論壇の変化よりも現実社会で起きた出来事の影響の方が大きかったのではないでしょうか。阪神・淡路大震災については311をきっかけに遡及的に再考されつつありますが、地下鉄サリン事件については徐々に忘却されつつあるように思います。そんななか、次のような注目すべき本がこの春に出ました。

オウム真理教の精神史――ロマン主義・全体主義・原理主義
大田俊寛:著
春秋社 2011年3月 本体2,300円 四六判上製283+11頁 ISBN978-4-393-32331-1

帯文より:「最終解脱者」なる人物を教祖に掲げ、超人類によるユートピア国家の樹立を目論み、ハルマゲドン誘発のために生物化学兵器テロに踏み切ったオウム真理教。その幻想は何処に由来し、何故にリアルなものとなりえたのか。オウムを現出した宗教・哲学・政治思想の流れを精査するとき、われわれは近代の内奥にひそむ漆黒の闇に直面して戦慄する。気鋭の宗教学者、渾身の現代宗教論!

目次:
序章
第1章 近代における「宗教」の位置
 1 そもそも「宗教」とは何か
 2 キリスト教共同体の成立と崩壊
 3 近代の主権国家と政教分離
第2章 ロマン主義――闇に潜む「本当のわたし」
 1 ロマン主義とは何か
 2 ロマン主義の宗教論
 3 宗教心理学
 4 神智学
 5 ニューエイジ思想
 6 日本の精神世界論におけるヨーガと密教
第3章 全体主義――超人とユートピア
 1 全体主義とは何か
 2 カリスマについての諸理論
 3 ナチズムの世界観
 4 洗脳の楽園
第4章 原理主義――終末への恐怖と欲望
 1 原理主義とは何か
 2 アメリカのキリスト教原理主義
 3 日本のキリスト教原理主義
 4 ノストラダムスの終末論
第5章 オウム真理教の軌跡
 1 教団の設立まで
 2 初期のオウム教団
 3 オウム真理教の成立と拡大
 4 「ヴァジラヤーナ」の開始
 5 国家との抗争
 6 オウムとは何だったのか
おわりに
主要参考文献
索引

大田俊寛(おおた・としひろ:1974-)既刊著書
『グノーシス主義の思想――〈父〉というフィクション』(春秋社、09年11月)
『オウム真理教の精神史――ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社、11年3月)

★オウム真理教を検証する本は今までに色々ありましたが、本書の実に有益なところは、「オウム以前」の思想史をしっかり勉強させてくれるところです。それは単純なオウムの「前史」というわけではなくて、「オウムという現象をできるだけ広い視野から捉えること、そしてそれが二〇世紀末の日本に出現した理由を、近代史の文脈のなかで立体的に描き出す」(23頁)試みです。目次だてを見れば、その視野の広さが推測できると思います。マジメな本ですが、勉強になるネタ=トピックが満載です。「異端思想史」研究家としての大田さんの今後のますますのご健筆に大いに期待したいところです。

★311以前に書かれたものであるにもかかわらず「まさに311以後の世界を予示的に概念化したような内容」(担当編集者M氏)と紹介してもらった注目新刊『空間のために』が発売されました。書店さんの店頭では早いところでは今日あたりから、全国平均では16日以降に並び始めるのではないかと思います。篠原さんは前述したホロウェイの『革命』の共訳者でもあり、シャンタル・ムフやマイク・デイヴィスなども訳されています。

空間のために――偏在化するスラム的世界のなかで
篠原雅武:著
以文社 2011年5月 本体2,200円 四六判上製220頁 ISBN978-4-7531-0288-4

帯文より:空間が荒廃している――。「均質化」の時代が終わり、より過酷な「荒廃化」の時代が始まった今日、私たちはいかにして自らの生活世界を取り戻すことができるのか? 気鋭の若手理論家が新時代の思想の創造に挑む。

目次
はじめに
序章 生活世界の荒廃
第一章 空間と領土性
第二章 空間の質感
第三章 再領土化の諸問題
第四章 流動と停止
第五章 壁
第六章 虚構と想像
第七章 来るべきスラム化に備えて
第八章 空間的想像力の奪還
終章 黄金時代に秘められた地獄

篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)既刊著書
『公共空間の政治理論』人文書院、07年8月
『空間のために』以文社、11年5月

★本書は編集担当者Mさんが明かしている通り、311以前に書かれたものです。しかし「はじめに」にある次のような文言は、確かに311以後の今、いっそうの重みを持って私たちの胸に響いてくる気がします。少し長いですが、本書のスタンスを良く表している箇所なので引用します。「環境的に破滅的な状況という前代未聞の事態が迫りつつある時代にあって、それを直視し理解しようとするだけでなく、悪化を克服する方法を発案するためには、すべての学問は、文学研究であれ、経済学であれ、社会学であれ、従来型の人文社会科学の枠組みを超えた学問領域へと展開せざるをえない。総合的な環境学とでもいうべきものを構想せざるをえない。/市場原理主義の徹底化の果てにたつ私たちがときに目にする荒廃した風景は、ひょっとしたら、慣れ親しんだ生活世界の終りの始まりなのかもしれない。慣れ親しんだ生活世界に適合している諸概念では理解できない事態が到来しつつあるのかもしれない。それは日本においては、高度経済成長以来つづいた生活世界の変容過程の徹底的な転換として、その綻びの始まりとして経験されることになるかもしれない。/つまり、成長、新品化、均質化、虚構化といった概念が意味をなさなくなるときがくる、ということだ。ならば〔マサオ・〕ミヨシがいうように、新しい概念の発案は急務といえるし、それに立脚した新しい学問体系の構想が必要とされるということになろう。/本書は、このような現代的な問題提起を踏まえつつ、生活世界の悪化について、空間という観点から考察しようとするものである」(10-11頁)。

★ここまでご紹介したのは、既刊書のある著者の方々の最新作でしたが、以下にご紹介する二点はいずれもデビュー作となる新刊です。期せずして二点とも「労働」をめぐって考察を展開してるのは、時代のアトモスフィアが織りなしたわざと言えるでしょうか。

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ガブリエル・タルド――贈与とアソシアシオンの体制へ
中倉智徳(なかくら・とものり:1980-)著
洛北出版 2011年4月 本体3,200円 四六判上製448頁 ISBN978-4-903127-13-2

帯文より:『経済心理学』を読む――。労働の喜びとは何か? それは、共にあり、共に作業すること、社交性が花を咲かせることである。そのためには、余暇の増大と、無数のアソシアシオンの群生が不可欠なのである。――タルドの〈欲望と信念に基づく富の理論・統治術〉を丁寧に読み解く。

目次:
序章
第1章 夢見る個人と社会の法則
第2章 政治経済学を裏返す
第3章 信念と欲望の経済的役割
第4章 労働と余暇の循環
第5章 貨幣と資本の循環
第6章 心理的対立と価格
第7章 闘争、競争、律動
第8章 発明と所有 ― 経済的適応
第9章 交換の体制からアソシアシオンの体制へ
終章 タルドの社会学と経済心理学
あとがき
参照文献一覧
索引(人名・事項)

★タルドをアソシアシオン論者として再評価する本書には、次のような美しいくだりがあります。「「喜びは富を必要としない。というのも、人は貧困のさなかでも、貧困を共有し、友愛をもって分有することで喜ぶことができるからである。つまり、喜び、それは団結と力である。喜び、それは信であり、自己への信、他者への信であり、生のなかの信頼である」(タルド)。/このような「真の人間的な喜び」を人びとのあいだに広めること、このことによって人びとのあいだの不和を減らし、心理的な調和をもたらすこと――これがタルドの「アソシアシオンの体制」が目指すものであったのである」(402頁)。本書は博士論文に加筆修正したものとのことです。主査は小泉義之さん。そして、以下の新刊は、ほかならぬその小泉さんの指導のもと書かれた修士論文(正確には博士予備論文)に加筆修正を加えたものです。

「労動」の哲学――人を労働させる権力について
濱本真男(はまもと・まさお:1983-)著
河出書房新社 2011年5月18日発売 本体2,000円 46判上製192頁 ISBN978-4-309-24549-2

帯文より:アレント、ネグリなどいままでのすべての労働論を根底から打ち砕き、近代を再審するいま最も必要な強靭にして挑発的な思考。思想界に80年代生まれの新星登場!

推薦文より:「労働を思考によって包囲せよ! 若き思索者による比類なき考察」(酒井隆史)。「就活・就業・過労死へ人をつき動かす〈労働させる権力〉。それを書き、暴く。若いのに、ではない。若いから、でもない。ただ、すぐれている」(小泉義之)。

目次:
はじめに
第1章 労働を巡る闘争を不可視にするもの
 1・1 労働の過小な定義と過剰な定義
 1・2 イタリア・フェミニズム
 1・3 「青い芝の会」
 1・4 理論的前提としての小括
第2章 労働の「政治」性
 2・1 「労動」(labor)と労働(job)の概念的区別
 2・2 社会的生命の必要と余暇の時間
第3章 「労動」の政治性
 3・1 社会的統治と自己統治の関係にみる思考の政治性
 3・2 「労動」=芸術=「犯罪」
第4章 「過労死」――労働権力の場
 4・1 社会の諸相で作用する労働権力と力同士の葛藤
 4・2 社会的労働としての「過労」自殺
おわりに

引用文献
あとがき

★本書は来週半ばに店頭発売開始だそうです。「いままでにないタイプの理論家」(担当編集者Aさん)の本としてご紹介いただきました。Aさんが仰るのだから間違いありませんし、そもそも修論相当の研究書が一般書メインの版元から出るというのは異例のことです。労働=jobと「労動」=laborが区別されているのに気をつけねばなりません。アレントの『人間の条件』を参照しつつ、前者は賃労働=「生きる手段」、後者は「生そのもの」として区別されています。後者の創造性(芸術性/犯罪性)については、Bruno Gulli(本書ではブルーノ・グーリと表記)の未訳の労働論が参照されています。私はかつて毛利嘉孝さんの『文化=政治』(弊社刊)に触発されて、「労働=運動」としての出版について某大学で発表したことがありましたが、今後は濱本さんの「労動」論からも学びたいと思います。本書の「おわりに」にはこう書かれています、「問題なのは、「労働とは何か、生きるとは何か」と問うことが、確かに無駄であるということだ。ただし、それは「価値」こそが意味であるとする自明性を疑うことが無駄であるというよりも、自明性の誤謬をあばいたところで、本当の答えをえることができないということなのである。/「労働とは何か」という問いに対しては、仮に「生きる手段である」と答えることができよう。しかし「生きるとは何か」という問いに対しては、もはやそれに答えることができないのである。ところで、労働が「生きる手段」であるならば、その「生きる手段」の過剰によって死に至ることは皮肉の極みではないか。それゆえ、ある日ある者は無断欠勤に踏み切る。すると、どこかの精神科医が真先に声を上げるのだ。その労働の拒否の行為は「自殺の代理行為」である、と。しかしなぜ、殺人的な労働からの(生のための)逃避が、「自殺行為」だといわれなければならないのだろうか」(151頁)。この素朴で重い問いが本書を貫く叫びになっているように感じました。

★なお、河出書房新社さんの今後の注目新刊には以下のものがあります。5月25日発売予定のテリー・イーグルトン『なぜマルクスは正しかったのか』(松本潤一郎訳、本体2,400円、46判248頁、ISBN978-4-309-24548-5)。版元紹介文によれば「思想界の巨人・イーグルトンがあらゆるマルクスへの批判をうけとめながら、ユーモアをまじえてそれに反論するかたちで、マルクスの可能性と魅力を伝える究極にして最高のマルクス入門」とのこと。 また、6月7日発売予定の河出文庫として、佐々木中『定本 夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(上下巻、本体各1,400円、ISBN978-4-309-41087-6ISBN978-4-309-41088-3)が予告されています。
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by urag | 2011-05-14 23:52 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2011年 05月 11日

『パリ日記』刊行予定変更と『アンフォルム』重版

5月末刊行予定と告知させていただいておりましたエルンスト・ユンガー『パリ日記』ですが、諸般の事情により6月下旬刊行となりました。お待たせして申し訳ございません。また、ボワ+クラウス『アンフォルム』は現在版元品切で、重版が来週中旬以降に出来上がる予定です。店頭在庫がある書店さんが存在しますので、お急ぎのお客様はジュンク堂や紀伊國屋書店のウェブサイトで店頭在庫をお調べになってみてください。ジュンク堂のサイトではジュンク堂および丸善の店頭在庫が単品ごとに確認できます。紀伊國屋のサイトでは支店ごとに在庫の有無を検索していただくかたちになります。
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by urag | 2011-05-11 18:50 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 10日

書評情報:中平、ジュネ、ドアノー

中平卓馬写真集『都市 風景 図鑑』の書評が、2011年4月21日発売の季刊誌『嗜み』10号(Spring 2011、文藝春秋)のCross Cultural Review欄に掲載されました。評者は、大竹昭子さんと小沼純一さんです。「人間の謎に迫るこんな写真家はほかにいない」(大竹)、「〔本書について何かを述べることの困難さという〕中途半端な状態が、この「ドキュメント」とつきあうことなのかもしれない」(小沼)と評していただきました。

ジャン・ジュネ『公然たる敵』の書評が、2011年5月8日(日)付の「東京新聞」読書欄「BOOKナビ 人文・社会」に掲載されました。評者は佐々木敦さんです。「時に激烈で、時に優雅なジュネの「詩的な政治性」に触れることができる」と評していただきました。佐々木さんの記事では本書のほかにスピヴァク『ナショナリズムと想像力』(青土社)や、ローザ・ルクセンブルク『獄中からの手紙』(みすず書房)も取り上げられています。

ロベール・ドアノー『不完全なレンズで』の書評「ドアノーと歩く世界」が、2011年5月21日発売の月刊誌『婦人之友』6月号の「わたしの本棚」欄に掲載されました。評者は清水眞砂子さんです。「『不完全なレンズ』を読みおえて、今、至福の中にいる。ドアノーの目を通して世界を見、人間を見ていると、じわっとうれしくなってくる。〔…〕ドアノーを愛する訳者の解説も絶品」と評していただきました。

書評者の先生方に深く御礼申し上げます。
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by urag | 2011-05-10 17:57 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 02日

弊社出版物の著者や訳者の方々の最近の御活躍

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◎G・C・スピヴァクさん(『ポストコロニアル理性批判』著者)

◆講演録『ナショナリズムと想像力』が青土社より刊行

ナショナリズムと想像力
ガヤトリ・C・スピヴァク(1942-)著 鈴木英明訳
青土社 2011年4月 本体1,600円 四六判並製102頁 ISBN978-4-7917-6602-4

帯文より:「私にとっての最初の記憶、女たちの歌声と街角の喧騒」。ポストコロニアリズムとフェミニズムの交差点から、国際社会の文化政治学へ理論的に介入し続けるスピヴァク。母国インドの解放・独立に沸く幼年時の高揚した記憶をもとに、難解とされるサバルタン理論構築の源泉と現場をやさしく語る。最良のサバルタン理論入門。

原書:Nationalism and the Imagination, Seagull Books, 2010.

★ソフィア大学(ブルガリア)の高等研究センターで行われた講演と質疑応答の記録です。短いながらも、スピヴァクさんの半生と研究課題を端的に説明しており、帯文にあるように、入門編としては確かに手頃だと思います。書籍として刊行されたのは昨年(2010年)ですが、もともとはいつの講演だったかということが特記されていないので老婆心ながら付言すると、2006年5月12日にCAS(the Centre for Advanced Study Sofia:ソフィア大学高等研究センター)で行われたものです。CASではゲスト・レクチャー・シリーズという連続招聘講演会を定期的に行っていて、12日にはドイツの法制史学者ハンス・ハッテンハウアー(1931-)とスピヴァクさんが講演しています。スピヴァクさんは今回翻訳された「ナショナリズムと想像力」と題する講演に加え、「ポスト植民地主義とポスト社会主義〔Post-Colonialism and Post-socialism〕」という講演も行っています。「ナショナリズムと想像力」についてのレポートがCASのニューズレターに載っており、PDFで読むことができます。キリル文字表記のブルガリア語ではなく英語で書かれています。


◎大谷能生さん(『貧しい音楽』著者)、今福龍太さん(『ブラジルのホモ・ルーデンス』著者)

◆書き下ろしエッセイを掲載した『DU 2001 spring/summer』が発売

大谷能生「セルジュ・ゲンズブール――“大衆〔マイナー〕芸術”時代の英雄」映画欄、58-61頁
今福龍太「群島音楽巡礼(1)アイルランド」旅行欄、66-68頁

DU〔ディー・ユー〕 2001 Spring/Summer
株式会社ディスクユニオン 2011年4月25日発売 本体500円 A5判並製144頁 ISBN978-4-925064-39-2

★ディスクユニオン営業部の案内文によれば「DU」は、「従来のCD・レコード通販カタログ「ディスクユニオン・カタログブック」をリニューアル」したもの、とのこと。前半80頁はすべて読み物で、後半60頁がカタログ。前半の内容は多彩で、シンプルな表紙デザイン(戸塚泰雄さんによる)から想像できないくらいかなりの労力が割かれています。概要はこちらこちらをご覧ください。以下には前半部の目次を転記しておきます。

MUSICx
LYRIC 前野健太 新作「いま、歌うとは」
DESIGN 横尾忠則、音楽の封印と解放
RADIO 「文化系トークラジオLife」の“音楽” 鈴木謙介×速水健朗×仲俣暁生×斎藤哲也
DISASTER 宇川直宏×磯部涼 東日本大震災後のDOMMUNE緊急配信
BOOK 読書のススメ 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)の12冊
BOOK 音楽の本屋book unionあらわる。 文=内沼晋太郎
BOOK ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』を流れる音楽 青山南
COMIC 「あいこい」 画=全ポ連(大橋裕之・小田島等・箕浦建太郎)
BAR 会話がはずむ、音のある店。 ウラニワ/ニューポート/MUSIC BAR道
PARK 集う、読む、ラップする。 CAMPCYPHER
CM CMと音楽のいい関係 文=永見浩之
REVOLUTION 音楽は予言する RLL
CINEMA セルジュ・ゲンズブール 文=大谷能生
ART Sence og Wonderという磁場
FASHION THEATRE MUSICA 阿部海太郎×金森香×山崎真央×蓮沼執太
TRAVEL 群島音楽巡礼 第1回 アイルランド 文=今福龍太
BAG CARTNET / master-piece model=Chocolat&Akito
STORY 山本精一「ベクトル一家」
PEOPLE Live/Vive 写真=かくたみほ

★MUSICxというのは、「音楽と~」を意味していて、ほにゃらら(~)にあたる部分がLYRICからPEOPLEまであるわけです。「あらゆるカルチャーとクロスする音楽の可能性をさまざまな切り口で紹介」というのが企画意図。なお、当ブログをご高覧いただいている皆様はすでにご存知のことと思いますが、ディスクユニオンさんは先月(2011年4月9日)に「お茶の水駅前店」の書籍コーナーを「bookunion〔ブックユニオン〕」としてリニューアルオープンさせ、同時にオンラインサイトdiskunion.netの音楽書籍コーナーも同名の「bookunion」として大幅リニューアルしています。前者(リアル店舗)では新刊のみならず古書もあわせて、常時1万冊以上を在庫しているとのこと。気合入ってますね。プロデュースしたのはかのブックコーディネーターの内沼晋太郎さん。なるほどね。ブックユニオンでは現在、このゴールデン・ウィーク中に、稀少本・絶版本のセール第二弾を開催しているそうですよ!


◎川田喜久治さん(写真集『地図』)

◆作品展「日光‐寓話」をPGIにて開催、レクチャーやトークショーもあり

川田喜久治作品展「日光 - 寓話 NIKKO -A Parable

日時:2011年5月10日(火)−6月25日(土)
会場:PGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)東京都港区芝浦4-12-32
電話:03-3455-7827

★なお、2011年4月16日から7月3日まで東京都庭園美術館で開催中の「森と芸術」展にも、川田さんの作品シリーズ『聖なる森-Parco dei Mostri』から約20点出展されています(図録は平凡社さんより刊行)。さらに川田さんは今般「2011年日本写真協会賞」の作家賞部門で受賞され、同賞の受賞作品展(2011年5月27日から6月2日まで東京ミッドタウンの富士フイルムフォトサロン)で川田さんの作品が展示されています。

★PGIでの上記の作品展に連動して、以下の通りレクチャーとトークショーが行われます。


川田喜久治×前田恭二(読売新聞文化部) スライド・レクチャー

日時:2011年5月28日(土) 16:00~18:00
会場:フォト・ギャラリー・インターナショナル
定員:25名
参加費:2,000円(当日お支払いください)
申込先:fax. 03-3455-8143 mail. info@pgi.ac


川田喜久治×北野謙(写真家) トークショー

日時:2011年6月18日(土) 16:00~18:00
会場:フォト・ギャラリー・インターナショナル
定員:25名
参加費:2,000円(当日お支払いください)
申込先:fax. 03-3455-8143 mail. info@pgi.ac

内容:写真批評家福島辰夫氏の写真論集の発売を記念し、時代の当事者である川田喜久治・VIVOの世界に迫ります。当日は写真論集の編集を担当した写真家の北野謙氏が進行致します。ゲストには著者の福島辰夫氏をお迎えする予定です。

★写真評論家の重鎮である福島辰夫さんの近刊書の詳細は未詳です。北野さんのブログ「日記」2011年3月28日付のエントリーには「さまざまな事情で遅れている福島辰夫さんの本も少しでも進めたい。自分自身の時間を1年と区切って、膨大なエネルギーをこの本に費やしてしてきた。(既に1年半を越えているが。)なんとしてもこの春に形にして、世界に置きたい。今日は久々にその打ち合わせ」と書いてありました。川田さんと北野さんのトークショーの内容から推察するに、福島さんがかつて「写真装置」誌(写真装置舎、1980-1986年、1~12号)に連載していた「VIVOの時代」が書籍化されるのでしょうか。


◎福島勲さん(月曜社ウェブサイト「ブランショ追悼」寄稿者)

◆著書『バタイユと文学空間』が水声社より刊行

バタイユと文学空間
福島勲(1970-)著
水声社 2011年4月 本体3,000円 46判上製208頁 ISBN978-4-89176-829-4

帯文より:バタイユが夢みた、新たなる文学/社会。動乱の時代を生きた思想家バタイユは、文学にどのような可能性をみていたのか。他者との不可能な交流の場としての文学という視点で、バタイユの文学観を明るみだし、新たなコミュニケーションの形態を提示する試み。

目次:
はじめに
序章 『文学と悪』(一九五七年)
第一章 陰画の文学
第二章 不一致の一致
第三章 『友愛』(一九四〇年)
第四章 『内的体験』(一九四三年)
終章 ある「私の死」への追悼の試み

あとがき

★弊社ウェブサイトのブランショ追悼ページ(ブランショ『問われる知識人』の単品ページにリンクがはってあります)に福島さんが寄稿して下さった「ある「私の死」への追悼の試み」(2003年3月12日)と、『文学』誌2011年1/2月号に寄稿された「陰画の文学――バタイユのジュネ論から」を含む、書き下ろしの著書です。福島さん、その節はお世話になりました! 福島さんは先月、北九州市立大学文学部比較文学科の准教授に就任されています。
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by urag | 2011-05-02 23:00 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)