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2009年 04月 27日

廣瀬純選書ブックフェア「先走りしようぜ!」@ブックファースト京都店

◎廣瀬純選書ブックフェア「先走りしようぜ!」

期間:09年4月24日(金)~5月下旬
場所:ブックファースト京都店4階人文書棚

内容:廣瀬純の新刊2点、『シネキャピタル』(洛北出版)と『闘争のアサンブレア』(月曜社)の発売を記念し、著者が選んだ、先走りのための必読書22点に、自著既刊、訳書既刊をあわせて展開。選書コメント付ブックリストを掲載したパンフレットを店頭で無料配布中。

***

無料パンフは洛北出版さんでも扱っており、希望者には郵送でお送りしているとのことです。「突っ走ってる」スピード感のある軽快かつ軽薄な(褒め言葉ですよ)選書コメントが素晴らしいです。もちろん、『シネキャピタル』も最高に面白いですよ。並の映画批評じゃなくて、革命論です。シネキャピタルというのは「映画資本論」であると同時に「死ね・キャピタル=資本」でもあるわけです。痛快です。なんと廣瀬さん自身は「ビジネス書」売場に本書を置いてほしいそうで。なるほどね。内容だけでなく、組版も造本も人文書の既成概念を軽やかにブチ破る快心の作。さすが洛北さんの仕事は違います。フェア風景の写真をブックファーストのKさんからいただいたので、掲載します。
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by urag | 2009-04-27 22:59 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 26日

近刊チェック《知の近未来》:09年4月25日

グーグル・アースでこの星のあらゆる地表を鳥瞰し、グーグル・マップで私たちの家々の屋根まで迫り、ストリートビューでは他人の玄関や庭先まで暴露した「偉大なる」グーグル帝国は、今度は世界中の書籍をスキャンしてデータベース化するつもりだ。その名もグーグル・ブック検索。著作権ビジネスについては一番保守的なアメリカが今度はその真逆の「革新的」なことをやろうとしている。ただし両者に共通点がある。著作権を守ろうが、あるいは侵害しようが(グーグルが買収したユーチューブは著作権を侵害する膨大な動画が投稿され続けてこそ成長した)、どっちにしろ「ビジネス」つまり商売というわけである。企業の収益事業にせよ、国の軍事行動にせよ、経済政策にせよ、アメリカの利己主義的横暴ぶりは今に始まったことではないが、本当にふざけた話だ。

グーグルは「収益の63%を著作権者に支払う条件で、データベース化した書籍の商業利用を認めよ」という和解案への回答を5月5日まで明らかにするよう、日本の出版社や著者、著作権継承者に迫っている。いったい何が「和解」だというのか。詩人の谷川俊太郎、脚本家の倉本聰、作家のねじめ正一、絵本作家の五味太郎、小説家の三木卓、といった面々を含む、日本ビジュアル著作権協会所属の174人は、「和解離脱手続きを取り、グーグルと独自に交渉する」ことを決め、「和解を拒否し、現段階で作品をデータベースに載せないよう求める趣旨の通知を同社に送った」とのことだ。(読売新聞4月25日配信記事「グーグルの書籍DB化、谷川俊太郎氏・倉本聰氏ら和解拒否」、時事通信4月25日配信記事「グーグル書籍検索の和解案拒否=谷川俊太郎さんら174人」等を参照)

時事通信09年3月2日配信記事「日本文芸家協会が手続き代行へ=米グーグル書籍検索システム参加で」を参照しつつ、ブック検索(ブックサーチ)についておさらいしておこう。「米検索エンジン最大手グーグルの蔵書デジタル化システム「ブックサーチ」〔…中略…〕は2004年にスタート。世界の出版社約2万社や米有力大学の図書館と提携して書籍データを蓄積。現時点で700万冊以上の本文を閲覧できる。05年に米出版社協会などが提訴したが、昨年10月に(1)今年1月5日までに許諾なくデジタル化した書籍について補償金を払う(2)ネットで書籍を公開することで得る利益の約6割を著作権者に払う-などで和解に達した。/著作権に関する国際条約などで、和解は他国の書籍にも適用される。図書館には研究用に購入された日本人作家の作品も所蔵されており、このデジタル化が著作権を侵害する恐れがあるという。このためグーグルは補償金の支払いなどについて著作者らに意思表示を求めていた」。

また、09年4月15日時事通信配信記事「グーグルの書籍検索に抗議=日本文芸家協会」にはこうある。「日本文芸家協会は15日、米グーグル社が進める書籍の全文検索サービスへの抗議声明を発表した。各国の著作権者に無断でデジタル複製をしてきた上に、異議申し立ての手続きを一方的に定めたことなどを不当だと非難している。〔…中略…米国での和解裁判は〕日本の著作権者にも適用され、和解に応じない場合は5月5日までに米国で裁判を起こすなどの対応が必要。協会では会員に「和解案を受け入れた上でのデータベースからの削除申請」を勧めているが、「同社の著作権侵害を容認するものではない」としている」。

日本国内の図書館では慶応義塾大学図書館がブック検索に07年7月から参加している。同大学メディアセンターの機関誌『MediaNet』第14号(07年10月)に掲載された、メディアセンター所長(図書館長)である杉山伸也氏(経済学部教授)によるレポート「慶應義塾とグーグル社のライブラリ・プロジェクトでの提携について」にはこう書かれている。

「グーグル社による書籍のデジタル化は、「世界中の書籍に含まれた人類の英知を検索可能にしようという取り組み」(グーグル社プレスリリース、07年7月6日)で、書籍のデジタル化は、2つの方法でおこなわれている。ひとつは出版社を対象とするパートナー・プログラム、もうひとつは大学図書館の蔵書をデジタル化するライブラリ・プロジェクトで、ともにGoogleブック検索で検索できる。/世界の主要な図書館の蔵書をデジタル化するグーグル社のライブラリ・プロジェクトは、2004年12月に開始され、現在では、スタンフォード大学、ミシガン大学、ハーバード大学、カリフォルニア大学、ニューヨーク公共図書館、オックスフォード大学など欧米の大学図書館を中心にアメリカ、イギリス、スペイン、ドイツ、スイス、ベルギー6ヵ国の25機関が参加する国際的プロジェクトになっている。今回の提携により、慶應義塾大学は、欧米地域以外では、このプロジェクトに参加する最初の図書館となる。(なお本年8月にあらたにコーネル大学が参加し、慶應をふくめて27機関となった。)/今回の提携プロジェクトでデジタル化の対象となるのは、慶應義塾図書館(三田メディアセンター)の蔵書のうち、著作権保護期間が満了した約12万冊である。内訳は、江戸中期から明治初期までに国内で発行された和装本約9万冊と、明治・大正期・昭和前期の日本語図書約3万冊である。契約期間は6年(以降1年ごとに自動更新)であるが、デジタル化作業は可能なかぎりはやい機会に終了する予定である。著作権処理は、現行の著作権法にしたがって慶應側でおこない、デジタル化する書籍を最終的に決定することになる」(29頁)。

提携図書館については、グーグルの下記URLでも紹介されている。
http://books.google.co.jp/intl/ja/googlebooks/partners.html

上記を整理して言えば、グーグルが現在勝手にスキャンをし続けている日本語書籍は、上記の「提携図書館」に記載されているような、アメリカの図書館が購入したものである(グーグル・ブック検索のパートナー・プログラムに参加している日本の出版社の書籍の場合は、版元側がグーグルに見本を提供し、グーグルがスキャンしている)。アメリカの図書館にウチの本が買われているなんてことはないだろう、とタカをくくっている出版人がいるとしたら危険だ。実際、私の所属する出版社の本も、ブック検索の詳細で版元名を入力し、「閲覧可能な書籍は見つかりませんでした」と出た検索結果画面で、赤い字で書かれている「すべての書籍を検索してみてください」という表示に続くリンク「inpublisher:版元名」をクリックすると、あらあら、続々と検索結果が出てくるのである。むろん、現時点では、書誌情報と書影(本当は書影だって厳密に言えば転載の際、版元了解が必要なのだが)が掲載されているのみだが、検索にヒットするということは、すでにスキャンされていると見ていい。困ったことに写真集まで登録されている。写真集のスキャンは活字本よりもっとタチが悪い。これをネットで無断で公開すれば間違いなく、国内法的には「犯罪」である。

私はグーグル・ブック検索は、国家レヴェルの大問題だと思っている。しかし、官僚も政治家もまるで無関心のようにしか見えない。もとより国は、出版社や文化産業に十分な注意を払ってはいない。昨年末の中小企業向け緊急保証制度において、出版業を指定対象に入れていなかったのは、そのあらわれの一端である(なお、小売業=書店、倉庫業、印刷業、紙・紙製品卸業、広告代理業などは指定を受けている)。

本音を言えば、私はアメリカのディズニーに代表されるような著作権保護期間延長論者は好きになれない。著作権でがんじがらめになった作品の悲哀より、日本のコミック・マーケットにおけるような創造的な二次使用を評価したい人間であるし、コピーレフト(著作権放棄)やクリエイティヴ・コモンズ、パブリックドメインやオープンソースを称賛している。もっと言えば、すべての著作権がフリーになり、誰もが読みたい本を無料で購読できるようになり、なおかつ、同時に作家や研究者や出版社の生活が保証されればいいと思う。私はそれを「書物のコミュニズム」と勝手に呼んでいるけれど、それはいまだにユートピアでしかない。

そのユートピアを実現しようとしているのがグーグル・ブック検索ではないか、と意地悪を言う向きもあるかもしれないが、断じて違う。世界資本主義の下での不均衡かつ不公正なカネの流れの中で「人類益に資する素晴らしいことができる」と信じることほど、おめでたいことはない。著作権を保護することが絶対的な善だとは言わない。しかし、グーグルのやりかたは根本的にどこかおかしい。彼らは目下のところただ傲慢なだけであり、やろうとしていることはその見かけの新しさに反して、悲しいほど前時代的である。

……さて、来月の新刊で気になったのは以下の書目である。

09年5月
02日『澁澤龍彦映画論集成』河出文庫 1,050円
07日『経済学の名著30』松原隆一郎 ちくま新書 903円
08日『未来世療法』ブライアン・ワイス PHP文庫 820円
08日『単純な脳、複雑な「私」』池谷裕二 朝日出版社 1,785円
10日『種の起源 原書第6版』ダーウィン/堀伸夫ほか訳 朝倉書店 5,040円
11日『ジョン・ケージ著作選』小沼純一編 ちくま学芸文庫 1,155円
11日『ゲームの理論と経済行動1』ノイマンほか ちくま学芸文庫 1,680円
11日『反オブジェクト』隈研吾 ちくま学芸文庫 1,155円
11日『歎異抄』阿満利麿訳・注釈・解説 ちくま学芸文庫 1,050円
11日『藤原道長「御堂関白記」(上)全現代語訳』講談社学術文庫 1,418円
11日『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』逸名作家 講談社学術文庫 693円
15日『久生十蘭短編選』川崎賢子 岩波文庫 903円  
15日『家父長制と資本制』上野千鶴子 岩波現代文庫 1,260円  
15日『セクシィ・ギャルの大研究』上野千鶴子 岩波現代文庫 840円
15日『終末と革命のロシア・ルネサンス』亀山郁夫 岩波現代文庫 1,365円 
20日『出口王仁三郎』ナンシー・ストーカー 原書房 2,940円
20日『オデュッセウスの冒険』吉田敦彦著/安彦良和画 青土社 2,520円
21日『市の音 一九三〇年代・東京』濱谷浩写真 河出書房新社 2,940円
22日『手を差しのべる経済学』セイラー+サンスティーン 日経BP出版センター 2,310円
25日『ミラーニューロンの発見』M・イアコボーニ ハヤカワ新書juice 1,365円
26日『今日の宗教の諸相』チャールズ・テイラー 岩波書店 1,995円
26日『ヒューマニティーズ 哲学』中島隆博 岩波書店 1,365円
27日『ムナーリの機械』ブルーノ・ムナーリ 河出書房新社 3,045円

朝倉書店の『種の起源 原書第6版』は、ダーウィン生誕200年、『種の起源』出版150年の佳節である2009年にふさわしい出版事業だろう。同書のもっとも入手しやすい翻訳は岩波文庫の『種の起原』(全二巻、八杉龍一訳)ということになると思うが、この岩波文庫版は、1859年の初版本を底本に用い、最終第六版までの各版の異同を詳しく記したものだ。一方、朝倉書店版は第六版の翻訳を謳っている。「1859年の初版刊行以来、ダーウィンに寄せられた様々な批判や反論に答え、何度かの改訂作業を経て最後に著した本書によって、読者は彼の最終的な考え方や思考方法を知ることができよう」と版元のオンライン目録に記されている。

ダーウィンについては、青土社の『現代思想』が4月臨時増刊号で総特集していることを特記しておきたい。また、春秋社の新刊、エリオット・ソーバー『進化論の射程――生物学の哲学入門』(松本俊吉ほか訳)では、ダーウィンを「哲学」しており、重要である。

ちくま学芸文庫のノイマン+モルゲンシュテルン『ゲームの理論と経済行動』は全三巻。先月書いた通り、東京図書版では全五巻だった。整理しておくと、東京図書の単行本版は、

第一巻『経済行動の数学的定式化』阿部修一訳
第二巻『2人ゲームの理論』橋本和美訳
第三巻『n人ゲームの理論』下島英忠訳
第四巻『ゲームの合成分解』銀林浩訳
第五巻『非零和ゲームの理論』宮本敏雄訳

となっていた。一方、今回の文庫版は、トーハン系のデータベースを利用しているオンライン書店での内容紹介を参照すると、

第一巻「ゲームの形式的記述とゼロ和2人ゲームについて」阿部修一+橋本和美訳
第二巻「プレイヤーが3人以上の場合のゼロ和ゲーム、およびゲームの合成分解について」下島英忠+銀林浩訳

となっている(第二巻は6月10日発売予定)。さらに、単行本版はおおよそ、一巻あたり200頁ほどだが、文庫本は約500頁ある。これらの情報を併せ考えると、文庫版は単行本版の最初の四巻分を二冊にまとめ、最終巻で単行本の第五巻と、本書全体の新しい解説を加える、といった感じになるのだろう。なお、本書は学芸文庫の「Math & Science」シリーズから刊行されるが、同シリーズでは、同じく5月から、ロゲルギスト『新 物理の散歩道』全五巻を発売する。

先月、10500円と記載した筑摩書房の『歎異抄』(阿満利麿訳・注釈・解説)は、どうやらトーハン系書店のデータ登録の誤りらしい。版元が誤入力したのか、取次がしたのかは不明だが、正しくはちくま学芸文庫で1050円である。

セイラー+サンスティーン『手を差しのべる経済学』はこれまたオンライン書店のデータベースに著者名の誤記があるが、当方で勝手に修正しておこう。著者について書くと、リチャード・セイラー(Richard H. Thaler, 1945-)はアメリカの経済学者で、著書の邦訳に『セイラー教授の行動経済学入門』(篠原勝訳、ダイヤモンド社、2007年)がある。同書は1998年に同社から刊行されていた、『市場と感情の経済学―――「勝者の呪い」はなぜはなぜ起こるのか』の改題新版。いっぽう、キャス・サンスティーン(Cass R. Sunstein, 1954-)はアメリカの法学者。サンスティンともサンスタインとも表記されることがある。著書の邦訳には以下がある。『インターネットは民主主義の敵か』(石川幸憲訳、毎日新聞社、2003年)、『自由市場と社会正義』(有松晃ほか訳、食料・農業政策研究センター、2002年)。二名ともアメリカでは著名な学者だが、特にサンスティーンはオバマ政権の法律顧問として今後、日本でもさらに――『インターネットは民主主義の敵か』の著者としてよりもっと――知名度があがるかもしれない。

『ミラーニューロンの発見』は、5月に創刊される「ハヤカワ新書juice」の第一回配本で、ジェフ・ハウ『クラウドソーシング』とともに発売される。平均千円以上する新書というのは高額な印象があるが、そのわけは早川書房のノンフィクション作品の宣伝・広報、編集部の「部ログ」だという「ハヤカワ・ノンフィクちゃん部ログ v('ε')v 2.0β」の09年3月29日エントリー「この一週間、なにかがあったような、なかったような」に書いてある。曰く、
「5月から新書出します! その名もハヤカワ新書juice! 当初は基本、翻訳もののエッジの利いた作品をメインとして(なのでビジネスものっぽいのが多くなりますが)、創刊時に2点、あとは月1点ずつ出していきます」とのことである。派手な広告宣伝は予定していない、という趣旨のことも書いてある。
http://blog.hayakawa-online.co.jp/nonfiction/2009/03/post-eb71.html

岩波書店の新刊『ヒューマニティーズ 哲学』は、若手の登竜門的書下ろしシリーズ「思考のフロンティア」の後継とおぼしい「ヒューマニティーズ」全11巻の初回配本。佐藤卓己『歴史学』と同時発売だ。期せずして、ハヤカワ新書juiceの創刊2点と同じ、税込1365円。岩波書店のシリーズ紹介文は以下の通り。

「現在の人文学的知は、グローバル化のもとでの制度的な変動とも結びつきながら、新たな局面をむかえつつある。学問の断片化、細分化、実用主義へのシフトなど、人文学をとりまく危機的状況のなかで、新たなグランド・セオリーをどのように立ち上げるのか。その学問のエッセンスと可能性を、気鋭の著者陣が平易に語る」。http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028321+/top.html

全11巻の構成を抜き出しておくと、

『哲学』中島隆博、『歴史学』佐藤卓己、『法学』中山竜一、『文学』西成彦、『教育学』広田照幸、『政治学』苅部直、『経済学』諸富徹、『社会学』市野川容孝、『外国語学』守中高明、『女性学/男性学』千田有紀、『古典を読む』小野紀明。

となっている。今回は若手というより中堅の起用に見える。市野川さんは「思考のフロンティア」では『社会』の巻を担当していたけれど、今回は『社会学』。どう書き分けるのかが気になる。

発売日未詳だが、5月の新刊には以下の書目もある。

『プルードン・セレクション』河野健二編 平凡社ライブラリー 1,575円
『近代政治思想の基礎』クエンティン・スキナー 春風社 7,980円
『競争の倫理』フランク・ナイト/高哲男ほか訳 ミネルヴァ書房 3,675円
『カルチュラル・スタディーズを学ぶ人のために』クリス・ロジェク 世界思想社 2,415円
『なぜ賢い人も流行にはまるのか』ジョエル・ベスト 白揚社 2,730円
『作家は何を嗅いできたか』三橋修 現代書館 1,900円
『アンティキテラ:古代ギリシアのコンピュータ』マーチャント 文藝春秋 1,950円
『宮本常一が撮った昭和の情景』上下巻 毎日新聞社 各2,940円
『東北古墳探訪』相原精次+三橋浩 彩流社 2,940円

スキナー『近代政治思想の基礎』は、版元の内容紹介文によれば、「膨大な文献の読解によって近代に至る西洋政治思想の形成と展開をつむぎ出す、壮大な思想史のドラマ。長らく待たれていた名著の翻訳」とのこと。副題は「ルネッサンス、宗教改革の時代」、同社ブログによれば「800頁に迫る大部」だ。訳者は門間都喜郎、刊行は5月上旬予定。 

クェンティン・スキナー(Quentin Robert Duthie Skinner, 1940-)はイギリスの政治学者。邦訳に以下がある。『グランドセオリーの復権――現代の人間科学』(スキナー編、加藤尚武ほか訳、産業図書、1988年)、『思想史とはなにか――意味とコンテクスト』(半沢孝麿ほか編訳、岩波書店、1990年初版/1999年再刊)、『マキアヴェッリ――自由の哲学者』(塚田富治訳、未來社、1991年)、『自由主義に先立つ自由』(梅津順一訳、聖学院大学出版会、2001年)。

『競争の倫理――フランク・ナイト論文選』はシリーズ「現代思想と自由主義」の一冊。オンライン書店bk1に登録されている内容紹介にはこうある、「人間の自由と尊厳をベースに資本主義を考察したシカゴ学派総帥の真髄を示す論集。市場のモラルを論じるアメイリカ経済学界の「大いなる暗闇」」。

著者のフランク・ナイト(Frank Hyneman Knight, 1885-1972)は、アメリカの経済学者にして道徳哲学者であり、アメリカの自由主義や市場原理主義に影響を及ぼした、いわゆる「シカゴ学派」の設立者。ミルトン・フリードマン(『資本主義と自由』日経BP社)やジョージ・スティグラー(『価格の理論』有斐閣)は彼の弟子だった。ナイトの単独著の翻訳は、古い書目が一点あるのみ(『危険・不確実性および利潤』奥隅栄喜訳、文雅堂書店、1959年)だったから、今回の新刊は壮挙と言うべきかもしれない。

三橋修『作家は何を嗅いできたか――におい、あるいは感性の歴史』は5月中旬発売予定。版元による内容紹介は以下の通り。「かつて世界はどんなにおいで満ちていたか? その手がかりを探り、江戸時代から平成までの文学作品・マンガ・アニメにわたって、ひたすら「におい」にまつわる記述を追い続けた。時代によって変化する感性が、においによって明かされる」。担当編集者氏のコメントはこうだ、「十返舎一九、漱石、川端、太宰、三島、村上春樹……、果ては北斗の拳、エヴァンゲリオンまで。江戸から平成までの文学・マンガ・アニメの「におい」を嗅ぎまくる。社会の構図を表し、男女の機微を表し、生と死を表現する「におい」に迫る」。本書の題名は、感性の歴史家アラン・コルバンの『においの歴史――嗅覚と社会的想像力』(新評論、1988年/藤原書店、1990年)を思い起こさせるが、かなり面白そうではないか。

毎日新聞社編『宮本常一が撮った昭和の情景』は、bk1に登録されている内容紹介によれば、「10万カットから選び抜いた850カットで編む宮本常一の決定版写真集」とのこと。上巻は昭和30年~39年を収録し、下巻は昭和40年~55年を収録している。毎日新聞社は4年前に『宮本常一 写真・日記集成』(全2巻・別巻1)という6万円のセットを刊行していた。この本巻2巻には約3000カットの写真が収録されていたが、今回の新刊は待望の縮約廉価版といったところだろう。なお、宮本常一が撮った写真の中から、作家の佐野真一が、主に昭和30年代の約200点を選んで解説を加えた本が、『宮本常一の写真に読む失われた昭和』(平凡社、2004年)である。

『東北古墳探訪――東北六県+新潟県 古代日本の文化伝播を再考する』は、bk1に登録されている内容紹介によれば、「東北の古墳(含新潟県)を網羅した画期的古墳本。今まで紹介されてこなかった膨大な数の古墳・古墳群をすべてカラー写真入りで詳説」とのこと。同著者による『関東古墳散歩』の改訂増補版もこの機会に出版されるようだ。

最後に、今月刊行される予定だがまだ発売されていないらしい注目書と再来月の気になる新刊を列記しておく。前者は、ベンジャミン・バーバー『ストロング・デモクラシー』(竹井隆人訳、日本経済評論社)と、尾関章『両面の鬼神――飛騨の宿儺伝承を追う』(勉誠出版)。後者は、大石学『江戸の外交戦略』(角川学芸出版)と、ル・コルビュジエ+ポール・オトレ『ムンダネウム』(山名善之+桑田光平訳、筑摩書房)。やれやれ、毎月のことだけれど、今回取り上げた新刊をすべて購入するとしたら、サイフがたいへんなことになる。つまり、全部はとうてい買えない! さっき言下に否定したグーグルは、そうした読者のサイフ事情に寄り添ったサービスをあるいは打ち出せるだろうか? ただし、著者や出版社を犠牲にすることなしに、だ。もしそれができるなら、私はグーグルへの評価を再度検討してもいいと思う。
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by urag | 2009-04-26 08:02 | 本のコンシェルジュ | Trackback(1) | Comments(5)
2009年 04月 20日

注目新刊:人文書古典篇(単行本/文庫本)

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本当はゆっくりじっくり書きたいですが、そんな時間はいつになっても来そうにないので急ぎ足で列記します。

フランツ・ローゼンツヴァイク『救済の星』(村岡晋一+細見和之+小須田健訳、みすず書房、09年4月、本体9500円)。ついに、ついに、ついに刊行です。高価な本ですが迷わず買います。数日前のケプラーの『世界の調和』もそうでしたが、本が輝いて見えます。本を持つ手が、頁をめくる指が、震えます。なんという重々しさ。版元紹介文にはこうあります。「第一次世界大戦につづく10年の間に、ドイツを中心に、その後の時代に多大な影響をあたえることになる本が続々刊行された。シュペングラー『西欧の没落』、プロッホ『ユートピアの精神』、カール・バルト『ロ-マ書講解』、ルカーチ『歴史と階級意識』、ハイデガー『存在と時間』。力点の違いはあれ、そこに共通しているのは、西欧近代への絶望と徹底した批判精神、そして世界終末観である。ここにもう一冊加えるとすれば、それが、ローゼンツヴァイク『救済の星』(1921)である」。たしかに、『救済の星』の重みと魅力は、私の大好きなブロッホの『ユートピアの精神』の重みと魅力に、似ているような気もします。『救済の星』の刊行で楽しみだったのは、本書の最後におかれた「門 Tor」と題されたエピローグの、あの末尾の部分、すうっと収束するように根底へと、中心へと、「Ins Leben.」という名の広大な開かれへのコンタクトに集中していく、あの感動的な部分をどう日本語で表現するのか、ということでした。私のイメージしていた感じとは少し違いましたが、しかしやはり感動には変わりありませんでした。9500円は確かに高いです、ちょっとしたディナーが楽しめる金額です。しかし、もしあなたが人生の暗闇の中に、暗さの実感を噛み締めつつ、それにもかかわらず光をなおも求めるならば、本書にしばらく没入してみるのもいいかもしれません。

C・G・ユング/M-L・フォン・フランツ『アイオーン』(野田倬訳、人文書院、90年11月、本体6500円)は、新刊ではなく重版。初版第三刷が先週出来上がったばかりです。古書価格が高騰していたので、ぜひとも復刊してほしい一冊でした。『結合の神秘』第一巻に続く、「ユング・コレクション」の中からの重版です。オンライン書店では「復刊ドットコム」などが扱っています。ユング・コレクションの中で現在稼動しているのは、『結合の神秘』全二巻、『診断学的連想研究』のみのようで、残念です。人文書院ではこの他に、『心理学と錬金術』全二巻、『自我と無意識の関係』を在庫しているようです。「ユング・コレクション」の概要をここでおさらいしておきます。未刊に◆を附します。

第1巻「心理学的類型Ⅰ」
第2巻「心理学的類型Ⅱ」
第3巻「心理学と宗教」
第4巻「アイオーン」
第5巻「結合の神秘Ⅰ」
第6巻「結合の神秘Ⅱ」
第7巻「診断学的連想研究」
第8巻「子どもの夢Ⅰ」
第9巻「子どもの夢Ⅱ」
第10巻「ツァラトゥストラⅠ」◆
第11巻「ツァラトゥストラⅡ」◆
第12巻「ツァラトゥストラⅢ」◆
第13巻「夢分析Ⅰ」
第14巻「夢分析Ⅱ」
第15巻「分析心理学」◆

どうやら未刊のものは未刊のままになる様子です。ユングおよびユング派の愛読者の自分としてはやや耐え難い顛末で、弊社で引き継げるものなら品切本の復刊も含めてまとめて引き継ぎたいほどです。ユングはフロイトに比べ、ここしばらく薄い評価しか受けていないようにも見えますが(それとは裏腹に古書価格は高い)、それはユングが過去の人となったからではないと私は思っています。それどころか、ユングは今なお未来に属しており、時代の移り行きとともに再評価されるに違いないと私は信じて疑いません。ある意味で、流行と無関係でもてはやされないからこそじっくり読むこともできるわけで、これはユンギアンにとっては必要不可欠な雌伏の時であるという気もします。

ハンナ・アーレント『完訳 カント政治哲学講義録』(ロベルト・ベイナー編、仲正昌樹訳、明月堂書店、09年3月、本体3300円)は、先行訳の法政大学出版局版『カント政治哲学の講義』(浜田義文監訳、87年1月、本体3500円)では版権の都合で訳出されていなかった「『思考』への補遺 Postscriptum to Thinking」も収録しているということで、「完訳」が謳われています。法政版は05年5月に第5刷が重版されていますが、この新訳の登場により、以後は重版しないのかもしれません。明月堂版はピンク色のカバーに大きな活字でARENDTと印刷してあって、とても目に付きやすいです。明月堂さんはこれまでに、仲正さんや宮台真司さん、西部邁さん、栗本慎一郎さんなどの本を出しておられます。アーレントの本の奥付を見ると、制作が風塵社となっています。たしかに、風塵社さんの非公認ブログ「風塵社的業務日誌」には本書のことがそこここに書かれてあります。


◎注目新刊:人文書古典篇(文庫本)

まとめて書いてしまうと、ニーチェ『善悪の彼岸』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、09年4月、本体952円)と、『ゲーテ形態学論集 動物篇』(木村直司編訳、ちくま学芸文庫、09年4月、本体1300円)です。前者はここしばらく驚異的な生産力で人文書の翻訳に取り組んでおられる中山元さんによるニーチェの新訳です。2月にもマックス・ウェーバーの『職業としての政治』と『職業としての学問』の新訳を合本で日経BP社から刊行されたばかりでしたよね。後者は先月刊行の「植物篇」と対になるもの。観相学、動物学の諸論文が収められています。ついさいきん、同文庫の木村さんによる『色彩論』の奥付を確認したのですが、01年3月に初版刊行以来、08年6月に8刷となっていて、すごいなと感心しました。ゲーテ『色彩論』は「教示篇」「論争篇」「歴史篇」の三部からなり、完訳は工作舎から刊行されています。ちくま学芸文庫版は「教示篇」の翻訳であり(論文「科学方法論」も併載)、岩波文庫版(菊池栄一訳、52年1月)は「歴史篇」の抄訳です。
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by urag | 2009-04-20 07:21 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 20日

注目新刊:人文書現代思想篇

先月、注目新刊の紹介を人文書古典篇、芸術書篇、本の本篇、とやってきましたが、現代思想篇を予告したにもかかわらずやっておりませんでしたね。この先いったいいつやるのか分かったもんじゃないので、ざっと呟いておこうと思います。

◎人文書現代思想篇

まず、インタビュー本で本作りが対極的な二冊。

スーザン・ブラックモア『「意識」を語る』(山形浩生+守岡桜訳、NTT出版、09年3月、本体2200円)がとても面白いです。「意識」を科学したり哲学したりしている学者たちに鋭い質問を浴びせかけた、やりとりが小気味良いインタビュー集です。訳が冴えていてリズムがあり、読みやすいし、お値段も手頃。本文レイアウトや造本もとっつきやすくて良いです(学術書然とした見た目の原書より良い出来では)。さいきん「脳」関連の話題をTVでも良く見ますし、茂木健一郎さんがひっぱりだこですが、「脳」に興味のある人なら「意識」の話は面白いはず。「脳」に興味のない人もおすすめです。現代科学思想の最前線を垣間見れます。登場する研究者は、ネッド・ブロック、デイヴィッド・チャーマーズ、パトリシア&ポール・チャーチランド、フランシス・クリック、ダニエル・デネット、スーザン・グリーンフィールド、リチャード・グレゴリー、スチュワート・ハメロフ、クリストフ・コッホ、スティーブン・ラバージ、ケヴィン・オレーガン、ロジャー・ペンローズ、ヴィラヤヌル・ラマチャンドラン、ジョン・サール、フランシスコ・ヴァレラ、ダニエル・ウェグナー。原書は2005年刊。このほか、原書では登場するけれど訳書からは割愛された四人(バーナード・バーズ〔オランダ生まれのアメリカの認知科学者Bernard Baarsのことで、フランスの哲学者ベルナール・バースBernard Baasとは別人〕、トマス・メッツィンガー、ペトラ・シュテリッヒ、マックス・ヴェルマンス)のインタビューについては、NTT出版のウェブサイトで公開中。とは言っても、訳書に記載されているIDとパスワードがなければ読めません。

デイヴィッド・コーエン『心理学者、心理学を語る』(子安増生+三宅真希子訳、新曜社、08年11月、本体4800円)は、著名な心理学者たち13人の学問的姿勢のみならず人生にも踏み込んだインタビュー集。これまた面白い本。なのに、高定価と素っ気ない組版の上製本で、いまひとつ一般読者には届きにくくなっている気がしないでもないです。この手のインタビュー本はやはり上述本なみに廉価で、並製本のほうが読者には嬉しい気がします。などと生意気なことを書くと旧知の営業マンに怒られそうです。比べるのは安易ですね、出版社にはそれぞれ持ち味とポリシーがあるのですから。中身で勝負。登場する学者は、サンドラ・ベム、ノーム・チョムスキー、アントニオ・ダマシオ、ハンス・アイゼンク、ジョン・フレイヴル、ヴィクトール・フランクル、ダニエル・カーネマン、R・D・レイン、ハーバート・サイモン、バラス・スキナー、デボラ・タネン、ニコ・ティンバーゲン、フィリップ・ジンバルド。原書は2004年刊。

次に、弊社に近い領域の新刊。

サミュエル・ウェーバー『フロイトの伝説』(前田悠希訳、法政大学出版局、09年3月、本体4200円)は、弊社刊『破壊と拡散』に続くウェーバーの訳書第二弾。ドイツ語版Freud-Legende初版が1979年、英語版The Legend of Freud初版が1982年、ドイツ語の全面改訂増補版が1989年、英語の増補版が2000年と、常に手を入れられてきた彼の主著の待望の日本語訳です。カバーソデには、弊社本の著者近影よりなんだかずいぶんこわもてな感じの写真が。それはともかく、本書の解題は、ウェーバーさんと訳者の前田さん(そして港道隆さん)の間で交わされた往復書簡となっていて、本書の理解の助けになります。私も『破壊と拡散』の企画段階から発売後の書評の報告まで、ウェーバーさんとやりとりさせていただきましたが、とても親切な方です。1940年生まれでいらっしゃるので、来日していただくなら、今のうちですよね。ご高齢になると飛行機が辛くなる場合が多いようですから。

クリスティアン・マラッツィ『現代経済の大転換――コミュニケーションが仕事になるとき』(多賀健太郎訳、酒井隆史解説、青土社、09年2月、本体2400円)は、酒井さんが高く評価されている『ソックスの場所――経済の言語論的転回とその政治的帰結』(1999年)の日本語訳です。訳題がだいぶ変わってしまいましたが、書店の仕分けで誤解されて趣味実用書売場に回されるのも怖いし、との理由だそうで、その気持ちはわからないでもないです。弊社の『ブラジルのホモ・ルーデンス――サッカー批評原論』も今福龍太さんの本なのに(しかも人文書売場から事前注文をもらったのに)、趣味実用書、スポーツ関連の売場に回ることもあって、そういう場合はたいてい即返されてしまうのでした。それはともかく、イタリア現代思想は昨今日本にどんどん紹介されてきています。30年代生まれのトロンティ★、エーコ、ネグリ、ヴァッティモ★、40年代生まれのペルニオーラ、アガンベン、カッチャーリ、BIFO★、カヴァレロ★、50年代生まれのエスポジト、マラッツィ、ヴィルノ、ラッツァラート、フェラーリス★というように(★は単行本未訳ですが重要人物)、今後ますます翻訳されていくことと思います。なお先月、上村忠男さんの『クリオの手鏡――二十世紀イタリアの思想家たち』の増補新版が『現代イタリアの思想をよむ』と改題されて、平凡社ライブラリーの一冊として刊行されました。89年の旧版では、クローチェ、モスカ、デ・マルティーノ、ギンズブルグなどが扱われていましたが、今回の増補新版では、加えて、グラムシ、パーチ、ボッビオ、アガンベン、カッチャーリ、ネグリが扱われています。イタリア現代思想の入門書には、岡田温司『イタリア現代思想への招待』(講談社選書メチエ、08年6月、本体1500円)がありますが、併せて読むと理解に奥行きが出てくると思います。

さらに注目書を何点か。

ジョン・ホロウェイ『権力を取らずに世界を変える』(大窪一志+四茂野修訳、同時代社、09年3月、本体3000円)は、アイルランド生まれの社会思想家である著者の初の日本語訳になります。かれこれ6年前の03年1月のこと、ホロウェイさんから突然メールをいただいて、まさにこの本を日本で出版しないかと提案をいただいたことがありました。私はネグリ関連の海外のメーリング・リストに日本の一出版人として投稿したことがあったので、たぶんそこで私のアドレスを知られたのだろうと思います。興味があるので本を送ってくれ、と返事を書いたら、すぐにも手配するよ、本が着いたら連絡をくれ、と返してくれたのですが、そういえばそれから本が届くことはなく、私もこの件を放っておいてしまいました。ホロウェイさんは反G8の活動で08年6月に来日し、本書の訳者あとがきによれば、その時に訳者の方の提案で翻訳が決まったそうです。私は来日時のイベントにも行けませんでしたが、とにかく訳書が突然出て、びっくりするやら嬉しいやらでした。今回の訳書は「ですます」調で訳されていて親しみが持てます。発行者の川上徹さんは訳者あとがきに代えた鼎談の中で、「僕の感想としては「です・ます」調で訳したのは冒険だったけどよかったと思う。(…)この本は専門書とも言えるけれど、内容的には社会運動や労働運動にかかわっている現場の人たちに読んで欲しい本です。(…)ホロウェイ氏はそういう現場の人たちに語っているような気がしたからです。(…)「です・ます」調は本書の雰囲気に合っていると思った」(527頁)と述べておられますが、共感します。帯文で紹介されていますが、アレックス・カリニコスさんは「本書はA・ネグリとM・ハートによる『〈帝国〉』と並んで〈自治運動〉マルクス主義にとって鍵となる著作である」と評し、引き合いに出されたハートさんは「本書は、世界中で行動を起こしている新しい世代にインスピレーションをあたえてきました。そして社会変革の可能性について実りある議論を、いまも生み出しつづけています」と評しています。アナキスト人類学者のデヴィッド・グレーバーさんも、高祖岩三郎さんによるインタビューでホロウェイさんのことを高く評価しています(『資本主義後の世界のために』以文社、09年4月、167-172頁)。そこでグレーバーさんはホロウェイさんが現在『資本主義をつくるのをやめる』と題した本を書いていることを紹介しています。この本もいずれ日本語訳される機会がくるような気がします。

ジョヴァンニ・アリギ『長い20世紀――資本、権力、そして現代の系譜』(土佐弘之監訳、作品社、09年2月、5200円)は、イタリア生まれでアメリカ在住の社会学者アリギの単独著の初の日本語訳です。帯文の言葉を借りれば「20世紀資本主義の〈世界システム〉の対等と展開を壮大なスケールで分析した」本で、94年に英語版が刊行されて以来、7ヶ国語に訳されています。分厚い本なのでひるむ読者もいるかもしれませんが、日本語版序文はズバリ、ネグリ/ハートによる批判に真っ向から答えることから書き起こしているので、思わず引き込まれると思います。アリギの本はこれからも訳される予定のようで、来日の予定もあるそうです。今後の動向から目が離せません。

ジャン=リュック・ナンシー『脱閉域――キリスト教の脱構築1』(大西雅一郎訳、現代企画室、09年4月、本体3300円)は、後期ナンシーの代表作の待望の日本語訳です。原書は2005年刊で、第2巻はまだ刊行されていません。ハイデガーとデリダの対決を引き継いだというか、対決の問題圏に果敢に介入する一冊です。ナンシーの著者の多くは日本語訳されていますが、初期の頃の、単独著やラクー=ラバルトとの共著が翻訳されていません。残念です。

五十嵐太郎編著『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、09年3月、1600円)は、間違いなく09年上半期でもっとも面白い本の一冊ですし、日本独自のカルチュラル・スタディーズにおいても画期を成す会心作です。帯文には「オタク論にはもう飽きた」という挑戦的なキャッチコピーが踊ります。都築響一さんはインタビューのドあたまで「今回の執筆者のなかには、元々ヤンキーの人はたぶんいないですよね」とスバリ指摘していてさすが。それでも本書はよく出来ていると思います。巻末にある、故ナンシー関氏の「ヤンキーコラム傑作選」や、飯田豊さんによる「ヤンキー文献ガイド50」もいい。ヤンキー棚をつくる書店員さんが出てきてもいいくらいです。お遊びではなく本気でお奨めします。

菱川晶子『狼の民俗学――人獣交渉史の研究』(東京大学出版会、09年3月、7200円)は、著者の博士学位申請論文を大幅に書き改めたものということで、本書が初の単行本となるわけですが、非常に魅力的な若手の民俗学者だと思います。かつて吉野裕子さんは「蛇」をテーマに民俗学の本を書かれました。私の愛読書です。菱川さんの本は確かに硬質な学術書ですけれども、テーマの選び方から綿密な調査まで好感が持てます。たとえば「送り狼」の話など、現代人でも興味が沸くのではないかと思います。現代人の語彙においては「送り狼」は、女性に下心を抱く男性の紳士ぶった仮面を髣髴とさせるわけですが、その昔は女性だけが狙われたわけではなかった。路上で実際に、道往く人々が狼(山犬)につけ狙われていて、人里にたどりつくまで狼はあとをついてきたのです。昔の人はそれを「道中に身を危害から守ってもらった」と捉え、狼に握り飯や塩を与えたりお礼を述べたりしたそうです。あるいは地域によっては呪いの言葉を吐きかけたりもした。それはそうでしょうね、だって行き倒れれば食われてしまったでしょうから。狼の次は何をテーマに選ぶのか、菱川さんの次回作が楽しみです。

***

このほかにも取り上げるべき本は多々あるのですが、ひとまずはこの辺でいったん中断します。
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by urag | 2009-04-20 04:50 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2009年 04月 20日

平川祐弘訳のダンテ『神曲』の文庫化がついに完結

平川祐弘訳のダンテ『神曲』の文庫化(河出文庫)がついに完結しました。文庫化にあたり全面的に訳文と訳注が見直されています。挿画は味わいあるギュスターヴ・ドレによるもの。ダンテ『神曲』の文庫版は現在三種類刊行されています。河出文庫版の完結記念に三種類を並べて写真を撮りました。上段から、岩波文庫、集英社文庫ヘリテージシリーズ、河出文庫。
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河出文庫版
ダンテ『神曲』平川祐弘訳、全三巻、本体各950円。挿画はドレ。
08年11月「地獄篇」、09年01月「煉獄篇」、09年04月「天国篇」。

集英社文庫ヘリテージシリーズ版
ダンテ・アリギエーリ『神曲』寿岳文章訳、全三巻、本体各952円。挿画はウィリアム・ブレイク。
03年01月「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」同時刊行。

岩波文庫版
ダンテ『神曲』山川丙三郎訳、全三巻、本体上中巻660円、下巻700円。挿画なし。
52年08月「地獄」、53年03月「浄火」、58年08月「天堂」。

河出と集英社はいずれも美しい挿画付きの現代語訳です。挿画はドレの方が多く、写実的でドラマチックです。ブレイクの挿画は宗教的で寓意的。岩波は挿画はありませんが、文語調で読みたいならこちら。現代語と言っても、集英社のは現代語と文語のちょうど中間くらいと言ったほうがいいかもしれません。若い世代向けの現代語訳としては河出文庫をおすすめします。
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by urag | 2009-04-20 03:06 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 20日

ヨハネス・ケプラー『世界の調和』(1619年)、ついに完訳なる

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宇宙の調和

ヨハネス・ケプラー(1571-1630):著 岸本良彦(1946-):訳
工作舎 09年4月 本体10,000円 A5判上製624頁 ISBN978-4-87502-418-7

内容:地球を含む6つの惑星は、調和音を奏でながら太陽の周りを運動する。処女作『宇宙の神秘 Mysterium Cosmographicum』(1956年)で提唱した5つの正多面体による宇宙モデルと、ティコ・ブラーエとの共同研究により第1・第二法則をうち立てた『新天文学 Astronomia Nova』(1609年)の成果を統合し、第3法則を樹立した歴史的名著、それが『宇宙の調和 Harmonice Mundi』(1619年)である。ピュタゴラス、プラトンの音楽的調和に満ちた宇宙像を継承し、かつニュートン力学への端緒をひらいたケプラーの集大成にして、科学史の分水嶺に立つ偉大なる古典を、ラテン語原典から初完訳。ヨーロッパ思想史の至宝が約400年の時をへてここによみがえる。

***

感動で鳥肌がたつ思いです。21世紀の初頭にまさかこうして完訳を手に出来るとは思いませんでした。しかも、『ライプニッツ著作集』を出した工作舎さんからですから当然造本も装丁も、愛蔵するに足る堂々とした出来栄えです。今回、同時に『宇宙の神秘』(大槻真一郎+岸本良彦訳)の新装版も刊行。『調和』は『神秘』の倍のお値段なので安くはありませんが、購読する人を選ぶでしょうから仕方ありません。

これまでに刊行された『宇宙の調和』の抄訳には以下のものがあります。

「世界の調和」島村福太郎訳、『世界大思想全集 社会・宗教・科学篇第31巻 ガリレオ/ケプラー』所収、河出書房新社、1963年、123-293頁。
マックス・カスパーによる独訳からの重訳で、抄訳になります。題辞、ヤコブ皇帝への献辞、第一巻~第三巻のまえがきのみ、第四巻~第五巻全体が訳されています。また、この第31巻にはケプラーの『新しい天文学』も同じく独訳からの重訳で同氏により抄訳されており、さらにガリレオの『星界の報告』と『太陽黒点論』がイタリア語から山田慶児さんと谷泰さん(表向きの訳者代表は薮内清さん)により訳出されています。古書市場ではかなり見つけにくい部類の本です。

「世界の和声学」、『原典による自然科学の歩み』(玉虫文一+木村陽二郎+渡辺正雄編著)所収、講談社、1974年、64-78頁。
マックス・カスパーによる独訳からの重訳で、抄訳になります。訳者名は明記されていませんが、ケプラーを含む第一章「宇宙」の執筆者は渡辺正雄さんです。訳されているのは、第五巻のまえがきと第三章の途中までです。第三章の途中までというのは、工作舎版『調和』で言うと、424頁の「第9」の手前まで。講談社の「原典による学術史」シリーズのなかには、自然科学のほかに(以下を「原典による○○の歩み」の○○に当てはめてください)、哲学、歴史学、教育学、心理学、社会学、経済学、法学、がありました。現在すべて品切。学術文庫で文庫化されたのは、歴史学(『原典による歴史学入門』1982年)、心理学(『原典による心理学入門』1993年)と、『原典による自然科学の歩み』の第三章「生命」を独立させた木村陽二郎『原典による生命科学入門』(1992年)ですが、いずれも現在品切。

また、ケプラーの著書の既訳には以下のものがあります。
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ヨハネス・ケプラー『ケプラーの夢』渡辺正雄+榎本恵美子訳、講談社、1972年/講談社学術文庫、1985年。遺稿である月世界旅行記Somnium(1634年)の翻訳。人類初の月旅行SFです。悲しいことに品切。

ヨハネス・ケプラー『宇宙の神秘』大槻真一郎+岸本良彦訳、工作舎、1982年初版(函入)/1986年新装版(カバー装)/2009年新装版(カバー装)。09年の新装版は奥付では新装版第三刷となっています。お値段は据え置きのまま4800円(税別)というのがとても良心的。この値段から比較すると、読者にとって受け入れやすい『調和』の値段は6800円~7800円といったところだったのでは、という気がします。

ケプラーやケプラー以前/以後の「天体の数学的音楽的調和」論については、以下の文献が参考になります。

渡辺正雄編著『ケプラーと世界の調和』、共立出版、1991年。
E・J・エイトン著『円から楕円へ――天と地の運動理論を求めて』渡辺正雄監訳、共立出版、1983年。
アリストクセノス「ハルモニア原論」、プトレマイオス「ハルモニア論」、山本建郎訳『古代音楽論集』所収、西洋古典叢書(京都大学学術出版会)、2008年。
山本建郎『アリストクセノス『ハルモニア原論』の研究』、東海大学出版会、2001年。
名須川学『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』、哲学書房、2002年。
今道友信編『精神と音楽の交響――西洋音楽美学の流れ』、音楽之友社、1997年。
中村雄二郎『精神のフーガ――音楽の相のもとに』、小学館、2000年。
S・K・ベニンガー・Jr『天球の音楽――ピュタゴラス宇宙論とルネサンス詩学』山田耕士ほか訳、平凡社、1990年。
ジェイミー・ジェイムズ『天球の音楽――歴史の中の科学・音楽・神秘思想』黒川孝文訳、白揚社、1998年。
ジョスリン・ゴドウィン『星界の音楽』斉藤栄一訳、工作舎、1990年。
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by urag | 2009-04-20 02:28 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 16日

イヴ・コゾフスキー・セジウィック、乳がんで死去、58歳。

クィア理論を切り開いてきたニューヨーク市立大学教授イヴ・コゾフスキー・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick, 1950-2009)さんが、さる09年4月12日から13日にかけての夜、乳がんで亡くなったとのことです。享年58歳。

著書(日本語訳あり)
Between Men: English Literature and Male Homosocial Desire (1985/1993)
『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』 上原早苗・亀沢美由紀訳、名古屋大学出版会、01年2月刊。
Epistemology of the Closet (1990)
『クローゼットの認識論――セクシュアリティの20世紀』外岡尚美訳、青土社、99年7月刊。

著書(未訳)
Tendencies (1993)
Fat Art, Thin Art (1994) 詩集
A Dialogue on Love (1999) 乳がんやうつ病の療養生活についてや、仏教思想や日本の俳句への接近などについて書かれてあるようです。
Touching Feeling: Affect, Pedagogy, Performativity (2003)

ジュディス・バトラーとディディエ・エリボンによるセジウィック評
フランスの「Mediapart」でGeoffroy de Lagasnerie氏が執筆した記事において紹介されていたもの

Judith Butler on Eve Sedgwick

- What is, in your opinion, the importance of Epistemology of the Closet?

J.B. : The Epistemology of the Closet was the breakthrough text of queer theory and has instituted lasting effects on literary reading and queer practices within and outside the academy. Sedgwick allowed us to think about the tensions that exist between "identities" and "acts" and also encouraged us to consider the powerful effects of silence even as we affirm public acts of coming out. She gave us a way of understanding desire as it crosses identifications and bodies, and allowed us to see a way of reading some of the most important modernist literary texts that brings to the fore the intense preoccupation with queerness that runs through its languages. She also offered a way to think about the vibrant connections between academic and activist work.

- What have been the interactions (or dialogue) between your thought and Eve Kosofsky Sedgwick’s works?

J.B. : I think perhaps at first we took each other by surprise, since her Epistemology of the Closet was in press when Gender Trouble was published. So we had different perspectives, mainly because I was formed in philosophy, and she was an extremely fine reader of literary texts. I think we both agreed that simple notions of identity could not form the basis for a robust politics, especially when AIDS became the focus of queer politics in the US. We were both interested in performativity, but she explored domains of affect that were not at the center of my own thinking. Perhaps my early version of performativity was construed as "agency" in a way that missed some of the important dimensions of "misfire" in Austin. If we had differences, it was probably over language and disciplinary formation. But I had every confidence that on political matters, we would put our bodies on the same line.

- How has "Queer theory" redefined Theory and Politics?

J.B. : I think the very thought that sexuality is theoretical, that it has always been at work in theory, that it requires its own theory, is still contested. Of course, there are always normative views of sexuality that are presupposed in many theories, but what does it mean to have a theory of the anti-normative or the counter-normative? And what does it mean to have a theory in which, at the heart of the normative, one finds a certain failure, weakness, faillibility. To have a theory of sexuality is no longer to treat sexuality as the taken for granted; it is also no longer to take it as too unimportant for the matter of theory. That latter position undertakes a disavowal that itself has to be theorized. Theory is a way of exploring the possible, and sexuality is certainly a domain whose possibilities have remained unthought, unthinkable, in a great deal of so-called theory.

***
Didier Eribon sur Eve Sedgwick

- Vous aviez invité Eve Kosofsky Sedgwick au colloque sur les études gays et lesbiennes que vous avez organisé à Beaubourg en 1997. Quelle a été pour vous l’importance d’Epistemology of the Closet ?

D.E : J’ai découvert Epistemology of the Closet quelques années après sa parution aux Etats-Unis en 1990. Quand je l’ai lu – avec passion -, c’était déjà un livre célèbre dans le monde anglo-saxon, mais inconnu en France. Nombre de ses analyses m’ont semblé lumineuses, et notamment celles à propos du « placard » comme structure fondamentale d’oppression des vies gays et comme foyer d’un « privilège épistémologique » hétérosexuel qui manipule la connaissance sur la sexualité des gays lorsque ceux-ci s’imaginent se cacher alors que leur « secret » est connu… La relecture de Proust sous cet angle, que propose Eve Sedgwick, dans le chapitre final de son livre, est tout simplement éblouissante. Elle renouvelait ainsi les études proustiennes et les études littéraires en général. Quand j’ai lu ce livre, je venais tout juste de commencer à écrire Réflexions sur la question gay et toute la première partie de mon livre, qui propose une phénoménologie de l’expérience vécue, s’appuie très largement sur ses analyses. Ma pensée sur toutes ces questions lui doit beaucoup. Cela rejoignait mes préoccupations sartriennes : l’identité est toujours produite relationnellement, par le « regard » social qui constitue l’autre comme objet et se donne un pouvoir sur l’« être » ainsi infériorisé.

- Vous avez continué à vous intéresser à ses travaux par la suite ?

D.E. : En fait, depuis le milieu des années 1990, mon travail a été en dialogue constant avec sa démarche. Et ce fut parfois, bien sûr, un dialogue critique. Car je considérais, par exemple, qu’elle n’accordait pas assez d’importance aux mécanismes sociaux de la domination et de la subjectivation. Son domaine était la littérature, et j’étais plus marqué par la sociologie et les sciences sociales. Et bien qu’une de nos références communes ait été l’œuvre de Foucault, notre manière de le lire était assez différente. Elle s’intéressait plus à la question des « discours », et moi à celle des institutions. Mais je me suis senti très proche d’elle quand j’ai écrit Une morale du minoritaire (Fayard, 2001). Dans ce livre, je m’appuie sur les théories de la honte et de l’ « abjection » développée dans les textes de Genet et Jouhandeau pour essayer de penser les processus de la subjectivation minoritaire, et j’ai alors croisé ce qui, dans la réflexion de Sedgwick, avait suivi son ouvrage de 1990 : elle avait en effet publié un superbe article sur le sentiment de la honte, qu’elle décrivait comme une « énergie transformationnelle ». C’est exactement la manière dont Genet et Jouhandeau en parlent : un sentiment auquel les minoritaires sont voués par l’ordre social mais aussi le point de départ à partir duquel ils réinventent leur subjectivité et s’affirment comme sujets de leurs discours, comme sujets de la politique.

- Qu’est-ce que la théorie queer a changé à la théorie ?

D.E. : Je crois que la théorie queer a bouleversé l’ensemble du champ théorique : les interrogations sur le genre, sur la sexualité et sur l’articulation et l’intersection de ces questions avec celles qui concernent les classes, les races, et d’autres enjeux encore, ont provoqué une onde de choc qui a affecté l’ensemble des disciplines intellectuelles. Et qui a obligé à repenser ce qu’on croyait penser. Ce fut d’une extraordinaire fécondité. Et même si, aujourd’hui, ce qui se présente comme « théorie queer » a bien souvent sombré dans la routine et le rabâchage, comme le déplorait récemment Judith Butler, il faut en conserver ce qu’il y avait de meilleur en elle : une force déstabilisatrice des évidences et des impensés et une incitation à l’invention intellectuelle et politique.
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by urag | 2009-04-16 06:23 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 07日

店頭販売開始:表象03 特集:〈文学〉のメタモルフォーゼ

表象03 特集:〈文学〉のメタモルフォーゼ
表象文化論学会:編&発行 月曜社:発売
A5判並製274頁 本体1,800円 ISBN978-4-901477-63-5

内容:小説というジャンルの興隆に軌を一にするかたちで近代的制度として確立した〈文学〉だが、現在にあって、〈文学〉を取り巻く環境は、かつてないほどの揺らぎを示しているように見える。インターネットをはじめとする電子メディアの急速な普及により、表現や受容の形式、さらにはオリジナリティや著作権といった理念もが大きく変容していく一方で、グローバリゼーションの流れのなかで、国語や国民のように、近代文学を支えてきたナショナルな基盤そのものが解体しつつあるからである。本特集は、小説家、批評家、翻訳家、研究者として、いま〈文学〉と第一線で格闘している人々とともに、〈文学〉が現在どのような変容を遂げつつあるのかを考察する。

目次:
■巻頭言「この動きのゆるやかさ」松浦寿輝
■特集「〈文学〉のメタモルフォーゼ」
 シンポジウム「文学と表象のクリティカル・ポイント」東浩紀×堀江敏幸×古井由吉×芳川泰久
 大西巨人インタビュー「真実の追求、歴史の偽造」聞き手:石橋正孝
 武田将明「シミュラークルと変容の詩学――シェリー「生の勝利」を読む」
 石橋正孝「文学と文学ならざるもの――挿絵に見る近代文学の変容」
 高吉一郎「形式と歴史――文学史の基本概念について」
 ポール・ド・マン「批評と危機」訳・解題:宮崎裕助
■投稿論文
 佐藤嘉幸「構造から構造の生成へ――レヴィ=ストロースとポスト構造主義」
 星野太「表象と再現前化――『哲学辞典』におけるベルクソンの「表象」概念再考」
 宮澤隆義「空襲と民主主義――坂口安吾「白痴」における主体化の問題」
 陶山大一郎「タブローとしての詩―─ボードレール「窓」における経験の構造」
 坂口さやか「変容する皇帝――ルドルフ二世の肖像画をめぐる考察」
 河村彩「作品未満のレーニン――レーニン崇拝期の指導者のイメージと写真をめぐって」
 福田貴成「音像の生成・聴覚の抽象化――1880年代の両耳聴概念をめぐって」
 西村龍一「情報の「人形」の形而上学――押井守のゴースト連作について」
■書評+ブックガイド
 宇野邦一「『都市の詩学』の時間論――田中純『都市の詩学――場所の記憶と徴候』書評」
 佐藤良明「〈風切る速さ〉の魅惑と強迫――原克『流線形シンドローム――速度と身体の大衆文化誌』書評」
 門林岳史「イタリア文化史のなかのフロイト――岡田温司『フロイトのイタリア――旅・芸術・精神分析』書評」
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by urag | 2009-04-07 13:00 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 06日

トークセッション「運動と映画」廣瀬純×青山真治

◎JUNKUトークセッション:廣瀬純×青山真治「運動と映画――『闘争のアサンブレア』をめぐって」

日時:2009年5月16日(土)18:30~
会場:ジュンク堂書店新宿店8階喫茶コーナーにて。
料金:1,000円(1ドリンクつき)
定員:50名
受付:7Fカウンターにて。電話予約も承ります。TEL.03-5363-1300

内容:2009年、日本もついに「運動の年」を迎えた。日々のTVニュースは、闘う労働者の姿で溢れかえっている。映画なんかにうつつを抜かしているときじゃない、オレたちは生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされてるんだから。ほんとうにそうか? 2009年の日本には映画など必要ないのか。たしかに映画はプチブルの暇つぶしに過ぎないのかも知れない。しかし、まさにそうだからこそ、映画には“来るべきプロレタリア”へと呼びかける力があるのではないだろうか。そしてまた、だからこそ、『闘争のアサンブレア』に描かれるそれのようなラディカルな運動は、つねに1本のフィルムに似た様相を見せるのではないだろうか。「運動の年」にもかかわらずイーストウッドの新作にうつつを抜かすふたりによる対談。廣瀬純+コレクティボ・シトゥアシオネス『闘争のアサンブレア』(月曜社)刊行記念。

講師紹介(50音順):

青山真治(映画作家、小説家)
1964年福岡県北九州市生れ。立教大学文学部英米文学科卒。『EUREKA』がカンヌ映画祭で受賞、同作の小説版で三島賞受賞。代表作は『Helpless』『月の砂漠』『エリエリレマサバクタニ』、小説に『死の谷95』『Sad Vacation』などがある。

廣瀬純(龍谷大学経営学部教員)
1971年東京都生れ。仏・映画批評誌『VERTIGO』編集委員。著書に『美味しい料理の哲学』(河出書房新社)、『闘争の最小回路』(人文書院)、『闘争のアサンブレア』(コレクティボ・シトゥアシオネスとの共著、月曜社)、『シネキャピタル』(洛北出版、近刊予定)がある。
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by urag | 2009-04-06 18:23 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 04日

「ディヴァガシオン」誌第4号(09年冬号)で対談

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写真右は先月寄稿のご報告をした中公の『新書大賞2009』で、左は「ディヴァガシオン」誌第4号(09年冬号)です。同誌は慶応大学の福田和也研究会に所属する明石陽介さんが編集しておられるミニコミ誌。第4号ではメイン特集が「人文書」となっています。私と明石さんとの対談「人文書について語りうること」の第一回がそこに掲載されており、今後何回か続いていく予定です。同誌は一般の流通には全く乗っていませんが、興味のある方は、先日オープンしたばかりの同誌の公式ブログをご参照下さい。
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by urag | 2009-04-04 22:36 | 雑談 | Trackback | Comments(0)