「ほっ」と。キャンペーン

<   2009年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧


2009年 02月 27日

近刊チェック《知の近未来》:09年2月25日

インフルエンザにかかって、タミフルをこわごわ飲んでいる。このところ当連載の前段で業界時評の真似事をやっているが、今回は書く気力も体力もない。気力がなければ向き合うのがしんどい現実の数々。正直に言えば書いていてあまり面白いものではない。扱っている主題が愉快なものではないので仕方がないか。

人文・社会5団体新年会、「新刊増に対応を」」(新文化)
新買切り制度を模索」(全国書店新聞)

といった記事については特にコメントしたいことがあるが、とても詳論を書く体力がないので、一言だけ添えるとする。前者記事は「新刊増に対応を」というとある出版人の発言の最初だけを読むととんでもなく間抜けな要望に聞こえてしまい、取次マンのかわし方は他社出版人ですら同情できるだろう※。しかし、前出の出版人の発言のかなめは、後段の「専門書が隅へ追いやられるのは怖い」という肉声にある。取次マンの回答はこの点への答えにはなっていない。

【※09年2月27日追記:新刊点数のとどまるところを知らない増加は、取次人や書店人をうんざりさせているし、出版人もうんざりしている。このインフレ状態に「対応」は不可能だろう。新刊点数の増加によって、マイナーな専門書の寿命がいっそう短くなるのでは、という懸念は簡単には解消されない。】

後者記事では日書連理事会で、買切時限再販に対して「売れる本でなければというのが最大の眼目」という主張が聞かれる。当たり前の意見のようだが、これが「売れそうにない本は買切にしてもらっては困る」という論理ともしも表裏一体だとしたら、現実の細部をかなりはしょった暴力的言辞になると思う。「売れる本」とは普遍妥当的な存在を果たして意味しうるだろうか。「売れる/売れない」ということの判断基準は実際のところ、どこに存するのだろう。

本を売るという主体的行為と、本が売れるという客観的現象は別個のものであるが、「売れる/売れない」という机上の専制が「売る」主体の心理を陵辱することがある。販売の個別具体性が忘却される時、議論は恐ろしいほど平板になる。そうした抽象的な空回りは、書店人にせよ、出版人にせよ、販売の現場に携わる者であれば経験的に知っているだろう。「売れる」とはそもそもどのような出来事か。「売れる本」という修辞に普遍的な実体はないのだ。その驚くべき、変幻自在の空虚さ……。

さて、来月の新刊で気になったのは以下の書目である。

2009年03月
01日『ダブリナーズ』ジェイムズ・ジョイス/柳瀬尚紀訳 新潮文庫 580円
02日『プレカリアートの憂鬱』雨宮処凛 講談社 1,680円
04日『ヤンキー文化論序説』五十嵐太郎編著 河出書房新社 1,680円
10日『日本近代文学の起源 原本』柄谷行人 講談社文芸文庫 1,050円
10日『汚穢と禁忌』メアリ・ダグラス ちくま学芸文庫 1,470円
10日『経済政策を売り歩く人々』ポール・クルーグマン ちくま学芸文庫 1,575円  
10日『哲学原理』ルネ・デカルト/山田弘明ほか訳 ちくま学芸文庫 1,260円
10日『ゲーテ形態学論集・植物篇』マーク・ゲイン ちくま学芸文庫 1,575円
12日『黄金の壷/マドモアゼル・ド・スキュデリ』ホフマン 光文社古典新訳文庫
12日『白い牙』ロンドン 光文社古典新訳文庫  
16日『遠隔透視ハンドブック』ジョー・マクモニーグル 東洋経済新報社 2,520円
17日『インディアス史(全7巻)』ラス・カサス/長南実訳 岩波文庫 840-1,155円 
18日『世界大不況からの脱出』ポール・クルーグマン 早川書房 1,680円
18日『大転換――脱成長会社へ』佐伯啓思 NTT出版 1,680円
18日『魚のいない海』キュリー+ミズレイ NTT出版 2,520円
20日『空海 塔のコスモロジー』武澤秀一 春秋社 2,310円
20日『道元禅師全集4 正法眼蔵4』水野弥穂子訳注 春秋社 6,300円
20日『ハイエク全集2-6 経済学論集』春秋社 3,990円
20日『ストラスブール ヨーロッパ文明の十字路』宇京頼三 未知谷 6,300円
23日『フラットランド』エドウィン・アボット・アボット 日経BP出版センター 2,520円
23日『新しいアナキズムの系譜学』高祖岩三郎 河出書房新社 1,575円
24日『「当たり前」をひっぱたく』赤木智弘 河出書房新社 1,470円
24日『クルーグマン マクロ経済学』クルーグマン+ウェルス 東洋経済新報社 5,040円
25日『グリーン革命(上下)』トーマス・フリードマン 日本経済新聞出版 各1,995円
25日『小説作法ABC』島田雅彦 新潮選書 1,260円
28日『ポー短編集(1)』エドガー・アラン・ポー/巽孝之訳 新潮文庫 380円

ジョイスは『ダブリン市民』の新訳。光文社古典新訳文庫に触発されたのではとネットではもっぱら評判の新潮文庫「海外名作新訳コレクション」からの一冊。同コレクションは、昨年末からカポーティの『ティファニーで朝食を』(村上春樹訳)を皮切りに「集中刊行」しているものだそうだ。月末にはポーの新訳短編集も出る。どちらもいまどき珍しい廉価設定で、大いに好感が持てる。世間のデフレ傾向が続くとすれば、今後文庫本の一部は少しずつ安くなっていくのかもしれない。

『ヤンキー文化論』は建築史家の五十嵐氏には似つかわしいタイトルで目を惹く。版元の紹介文によれば、「思考や行動の様式から、ファッション、音楽、マンガ、映画、アート、建築まで――いまこそ、ヤンキー文化の豊潤な可能性を見よ! 執筆・インタビュー:都築響一、宮台真司、斎藤環、酒井順子、近田春夫、永江朗、速水健朗ほか」とのこと。建築とヤンキーのつながりだけ依然として想像しにくいが、面白そうだ。

来月はクルーグマンの新刊が多い。不況のご時勢であるし、ノーベル賞を受賞したし、これからも増えるだろう。ちなみに文庫本ではこれまで、日経ビジネス人文庫から2点『クルーグマン教授の経済入門』『良い経済学 悪い経済学』が刊行されている。前者は残念ながら品切。

『インディアス史』は、かつて「大航海時代叢書」第II期 21~25巻として94年に刊行されていたものを「約7割に圧縮し、全7冊同時刊行する」(版元紹介文)ものだそうだ。なぜ7割なのかは未詳。中南米先住民に対するスペインの植民支配を批判し続けたカトリック司祭ラス・カサス(1484-1566)の著書は、岩波文庫ではご承知の通り『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(染田秀藤訳)がロングセラーだ。

高祖さんのアナキズム論新刊は『ニューヨーク列伝』『流体都市を構築せよ!』(いずれも青土社)に続く著書第三弾。版元の紹介文にはこうある。「いま、世界を席巻する新しいアナキズム的実践を、ドゥルーズ=ガタリ、マルクスなどの理論を出会わせながら、巨大にしてラジカルな思想をうちたてる空前のマニフェスト。地理学から都市へ、そして地球へ向かう鮮烈な挑発」。3月で一番楽しみな新刊だ。

赤木智弘氏の単独著新刊は一昨年の『若者を見殺しにする国』(双風舎)以来だろうか。時事評論集とのことだから、これまでに書いたのをまとめた本と考えていいのかもしれない。

『グリーン革命』の著者トーマス・フリードマンは、『フラット化する世界』(日本経済新聞出版社)や『レクサスとオリーブの木』(草思社)などの著書で有名なジャーナリストで、『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニスト。ピュリッツァー賞を三度も受賞している。彼は先月、米国議会上院の環境・公共事業委員会の公聴会で、こんな発言をしている。

「“石油の独裁支配”を終わらせ、気候変動やエネルギー危機を緩和し、生物の多様性が失われている状況を劇的に転換するようなエネルギー革新を主導するチャンスは、どの国にもある。これからは、こうした技術を持っている国こそが、国土やエネルギー、気象、経済面での安全を手に入れ、さらに世界中の敬意を一身に集めることができるだろう」(Conputerworld.jp 1月8日付記事「トーマス・フリードマン氏らが米国のグリーン技術開発の立ち遅れに警鐘」)。

オバマ政権がフリードマンが言うような環境技術での「世界一」を目指そうとしていることは、つとに報道されている。ブッシュではなくゴアが大統領になっていたら、米国はもっと早期にそれを目指していたかもしれない。しかし、ゴアが前大統領だったら、オバマは大統領になれただろうか。

発売日が未詳だが、3月新刊には次のものもある。

『大衆の反逆』オルテガ/桑名一博訳 白水Uブックス 1,365円
『フランスの現象学』ヴァルデンフェルス 法政大学出版局 8,400円
『フロイトの伝説』サミュエル・ウェーバー 法政大学出版局 4,410円
『やなぎみわ マイ・グランドマザーズ』淡交社 2,600円
『ヒトラーのスパイたち』クリステル・ヨルゲンセン 原書房 2,940円
『ひまわり――ユダヤ人にホロコーストが赦せるか』ジーモン・ヴィーゼンタール 原書房 2,940円

ヴィーゼンタールの『ひまわり』は版元紹介文によると、「ナチスハンターで著名な著者のノンフィクション小説。ユダヤ人収容所の囚人が、瀕死のナチス親衛隊員から死に際に、虐殺に対する赦しを請われる。秀逸な短編小説に対し、後半では世界の識者53名が「赦し」の意味と解釈を論じる」とのこと。

原書"The Sunflower: On the Possibilities and Limits of Forgiveness"を確認してみると、識者のうちには、ジャン・アメリーやプリーモ・レーヴィのようなサバイバー作家や、ハーバート・マルクーゼやツヴェタン・トドロフのような人文科学の思想家、そしてダライ・ラマやデズモンド・ツツのような宗教者の名前が見える。

【09年2月27日追記:原書房の新刊2点は今週後半に発売された。】

先月号で紹介したみすず書房の3月新刊はすべて4月にスライドしているので、来月のこの連載で再度取り上げることになるだろう、逃げ水のようにこれ以上遠のかなければ、の話だけれど。嫌味ではありません。みすず書房の4月新刊のラインナップは実際素晴らしいです。
[PR]

by urag | 2009-02-27 12:29 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 20日

違和感

こんなメールが届きました。「Amazon.co.jpで、以前に「スチュアート カウフマンの『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)』」をチェックされた方に、■■■■の『研究資金獲得法 ~研究者・技術者・ベンチャー起業家~』のご案内をお送りしています」。著者名はいちおう伏せておきます。

全然関係ねえだろ!? しかも一年前の履歴に何を今頃、とつっこみつつ、こういう時は、なまじっか、「ああこれは確かに関連がありそうだ(けど要らないな)」と思う時よりか、ついリンクをクリックしてしまうのですね。こういう出会い方は、本屋さんで、ミシェル・フーコーの本の隣にエーコの『フーコーの振り子』があったり、外国文学の棚にリリー・フランキーがあったり、という過去の話を思い出させます。いわゆる初歩的な勘違いが、かえって目を引くという。まあ今回の件は間違った関連付けなのか、それとも「販促」の範囲内なのか、真実はよくわかりませんけれども。

こんなこともありました。その昔、渋谷の大盛堂書店の哲学書の棚で『ドラえもんの鉄がく』(にっかん書房、1993年)を発見。「これは間違ってこの棚に補充されちゃったんだな」と苦笑しながら本を手に取ると、帯の文言に「人間とテクノロジーの共生」とあって、おやと思って中を開くと、ドラえもんの「ひみつ道具」の専門的分析や未来予測を通して、科学技術の発展に伴うモラル問題についても考察しているようで、一種の未来学でもあり、意外に哲学的でもあり、侮れないと思ったのでした。しかもその本に挟まれている手製の補充短冊を見ると、なんと回転していました。担当者に聞いたら「前から置いてる」とのお答えだった記憶があります。納得しがたい気もしましたが、そんな出会いもあるのですね。
[PR]

by urag | 2009-02-20 23:10 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 20日

ブックフェア「会田弘継選:アメリカの力とは何か」@紀伊國屋書店新宿本店

昨年10月の人文会40周年記念東京合同研修会のプログラム「人文書の可能性をさぐる」の席上で、私は、参加された大勢の書店員さんの前で、三つのトピックについてお奨めしました。「イタリア現代思想」「アメリカ現代思想」「ゼロ年代」、この三つについて、そろそろ棚ないしフェアなどのかたちにしてもいい頃だと思う、とお話をしました。

むろん、大型書店さんではすでにこれらのいくつかについて意識的にフェアをされたり、棚を作られていらっしゃるのは知っていますし、そもそもそうした店頭での動きに加担してきたわけですが、そうした新しい試みは500坪以上の大型書店さんが有する多品種の在庫があってこそできるという一面もありました。

しかし昨年秋にやっと「イタリア現代思想」や「アメリカ現代思想」の入門書が出てきて、それまで出版されてきた関連書を俯瞰できるようになり(当ブログ昨年10月の記事「注目新刊:『集中講義!アメリカ現代思想』『追跡・アメリカの思想家たち』」をご参照いただけたら幸いです)、一方「ゼロ年代」については、まだまとまりとして世間的に広くは認知されているとは言いがたい情況ながら、宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』(早川書房、08年7月)が登場したことによって、本屋さんで「ゼロ年代」というくくりが使いやすくなりました。

つまり、2008年後半から、「イタリア現代思想」「アメリカ現代思想」「ゼロ年代」については棚が作りやすい情況になってきたかもしれない、ということを研修会では言いたかったわけです。

そして現在、紀伊國屋書店新宿本店の5F人文書売場では、『追跡・アメリカの思想家たち』(新潮選書、08年9月)の著者である会田弘継(1951-)さんが選書されたブックフェア「アメリカの力とは何か」が以下の通り開催されています。紀伊国屋書店新宿本店さんは、一昨年に哲学思想売場の英米哲学棚に大幅なテコ入れを敢行し、それまでにまとめていた分析哲学の書籍のほかに、政治や社会、経済の各売場に散らばっていた和書を集められました。書棚は生き物ですから、きちんと世話をすれば必ず売上が上昇します。各店によって売れる本の傾向が違うことは自明の理ですが、一方で、過去の傾向に拘泥しすぎず、新しい切り口を読者に提供していくこと、それが顧客サービスの大きなかなめになるのでしょう。

じんぶんや第47講-会田弘継選「アメリカの力とは何か」

場所:紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
会期:2009年2月9日~3月8日

内容:「アメリカの力とは何か。おそらく軍事力や経済力ではない。いま、まさに目にしつつある、再生する力だ。転んでも前進をやめることのない姿だ」(ブックフェアに寄せられた会田氏のエッセイより)。昨年『追跡・アメリカの思想家たち』を刊行、共同通信社の記者である会田弘継氏が選んだ、アメリカの力と可能性を探るための50冊!!アメリカ発金融危機・オバマ大統領関連本も厳選し併売中。是非お立ち寄り下さい。
a0018105_225465.jpg

[PR]

by urag | 2009-02-20 22:06 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 20日

ブックフェア「ゼロ年代批評家サミット」@三省堂本店

宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』(早川書房)の刊行を記念して昨年10月にブックフェア「更新される批評を目指して」を展開した三省堂書店神保町本店さんの4F人文書売場で、今週から新たに「ゼロ年代批評家サミット」というブックフェアが催されています。「2009年→2010年、私たちの想像力は、新時代へと完全に移行する」というのが謳い文句です。

担当者のOさんの意気込みによれば、「宇野常寛さんはじめ、佐々木敦さん、仲俣暁生さん、松本哉さんなど、人文書以外の他ジャンルで活躍している方の書籍もいっそ「ゼロ年代批評家」として集めてしまおうという企画です。他の書店さんでもばらばらに置いてある印象があるので、まとめて展開すればひょっとして面白いかも、と思っています」とのことです。以下の写真でご覧になれると思いますが、著者の生年や簡単なプロフィールを記したパネルが作成されています。

拝見する限りでは、少し上の世代の書き手もフェアに取り込んでいて、ユニークです。その昔、フランス現代思想の「構造主義」と「ポスト構造主義」の分類においても、評者によって多様な分類がありました。たとえばフーコーはある時は前者、またある時は後者と目されることもあったのです。いわゆる「ゼロ年代批評家」も、様々な分類があっていいと思います。そこには、書店さんごとの工夫があったほうが面白いですよね。

◎ブックフェア「ゼロ年代批評家サミットin三省堂書店神保町本店4階」

場所:三省堂書店神保町本店4階人文書売場
会期:2009年2月16日~3月15日(予定)
a0018105_20405435.jpg

a0018105_20413830.jpg

a0018105_20421844.jpg

a0018105_20425537.jpg

a0018105_20432586.jpg

***
【書店員の皆様へ】

当ブログでは、弊社の出版物を活用してくださっているブックフェアの積極的な告知を心がけております。未紹介のフェアはまだまだたくさんあると思います。よろしければフェアの開催情報をEメール(アドレスは弊社ウェブサイトに明記してあります)でお知らせ下さい。フェア名、実施期間、売場名、フェアの趣旨説明などは必ず書き添えてください。売場の写真を添えていただけるとフェアの様子が分かってたいへん嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

また、ブックフェアでなくても、売場自体を宣伝したい、開店したので宣伝したい、という場合の告知でも構いません。条件は「弊社の本を扱っていること」ですが、弊社の本が置いていない場合でも、当方が「これは面白い」と判断したお店の紹介はできます。新刊書店だけではなく、古書店さんや図書館さんでも紹介します。

個人の方で「こんな面白いフェアがありますよ」という投稿も歓迎したいですが、店内を撮影する場合は、撮影とウェブ公開の了解をお店からきちんと得てくださいね。
[PR]

by urag | 2009-02-20 20:38 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 17日

ブランショ『書物の不在』第二版

書物の不在 第二版
モーリス・ブランショ著 中山元訳 ジャンル:人文/現代思想/フランス文学批評
刊行年月:2009.2.17. 46判上製カバー装88頁 本体価格2,500円 ISBN:978-4-901477-44-4

著者七回忌(09年2月20日)記念出版。生誕百周年記念の初版本限定800部(2007年9月刊行)は発売と同時に版元品切になり、再刊を望む声が多かったため、七回忌を迎える今回、造本・装丁をさらに変更して、第二版限定1000部として刊行する。

晩期ブランショにおける評論活動の頂点となる最重要論考を1969年の初出誌版より初邦訳。書くこと、書物、作品、法をめぐる思惟の極北。著者最大の評論集『終わりなき対話』の末尾におかれた同論考の単行本版との異同を付す。

原著:Maurice Blanchot, "L'absence de livre" in L'Ephemere, no.10, 1969, Paris: Edition de la Fondation Maeght.

本書の装丁について:初版本は朱色の紙に墨色で本文を刷り、肌触りがなめらかな漆黒の布クロスに銀で箔押しし、本文と同じ朱色のカバーでくるみました。生をイメージした初版に対し、死をイメージした今回の第二版では、暗い鉄色の紙に銀色で本文を刷り、銀灰色の布クロスに銀の箔押しで、灰白色のカバーとなります。見た目の簡潔さを重視しているため、オビは付しません。

著者:モーリス・ブランショ(Maurice Blanchot)……1907年9月22日ソーヌ・エ・ロワール県のカンに生まれ、2003年2月20日イヴリーヌ県に没す。フランスの作家、批評家。主な著書に以下のものがある。『文学空間』(粟津則雄・出口裕弘訳、現代思潮社〔現代思潮新社〕、1962年)、『最後の人/期待 忘却』(豊崎光一訳、白水社、1971年)、『来るべき書物』(粟津則雄訳、筑摩書房、1989年)、『明かしえぬ共同体』(西谷修訳、ちくま学芸文庫、1997年)、『望みのときに』(谷口博史訳、未来社、1998年)、『問われる知識人』(安原伸一朗訳、月曜社、2002年)、『ブランショ政治論集』(安原伸一朗・西山雄二・郷原佳以訳、月曜社、2005年)、『私についてこなかった男』(谷口博史訳、書肆心水、2005年)、『ブランショ小説選』(菅野昭正・三輪秀彦訳、書肆心水、2005年)、『アミナダブ』(清水徹訳、書肆心水、2008年)、『謎の男トマ(1941年初版本)』(月曜社より刊行予定)など。

訳者:中山元(なかやま・げん)……1949年東京生まれ。東京大学教養学部中退。哲学者・翻訳家。著書に『フーコー入門』(ちくま新書、1996年)、『思考の用語辞典』(筑摩書房、2000年。ちくま学芸文庫、2007年)、『新しい戦争? ――9.11 テロ事件と思想』(冬弓舎、2001年)、『はじめて読むフーコー』(洋泉社、2004年)、『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』(ちくま新書、2004年)、『高校生のための評論文キーワード100』(ちくま新書、2005年)、『思考のトポス』(新曜社、2006年)、『賢者と羊飼い――フーコーとパレーシア』(筑摩書房、2008年)などがある。ルソー、カント、フロイト、マルクス、バタイユ、メルロ=ポンティ、アレント、レヴィナス、フーコー、デリダなどの訳書多数。

***

↓ 初版=朱色本(写真左)と第二版=鉄色本(写真右)を並べて撮りました。
a0018105_204543.jpg
↓ カバー(ダストジャケット)を取った写真です。初版が黒色のクロスに銀色の箔、第二版が銀灰色のクロスに銀色の箔、です。どちらも「朱子(しゅす)」という非常に手触りのいい滑らかな光沢のあるクロスです。
a0018105_21140.jpg
↓ 中身の見開き頁です。朱色の紙に墨文字で刷ってあるのが初版、鉄色の紙に銀文字で刷ってあるのが第二版です。鉄色というのは、モスグリーンと群青の中間のような、奥深い色です。
a0018105_212241.jpg
↑ 初版本がうまく撮れていないです・・・。朱の紙に墨文字が綺麗なのですが。
a0018105_21542.jpg
スリップの配色にも気を遣っています。写真はありませんが、初版のは朱色の本文紙との対比が映える明るいグリーンの紙に墨文字、第二版は薄水色の紙に薄墨文字です。
[PR]

by urag | 2009-02-17 01:41 | 人文書既刊 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 14日

ブックフェア「世界恐慌の中で生きる――ゼロ年代の思想」@ジュンク堂書店藤沢店

a0018105_211093.jpg
昨年末(08年12月10日)、藤沢駅前ビックカメラの7階と8階にオープンしたジュンク堂書店藤沢店の、7階下りエスカレーター前の柱まわりの平台にて、2月5日から「世界恐慌の中で生きる――ゼロ年代の思想」フェアが開催されています。3月中旬まで開催の予定。フェアのご担当者Kさんから店頭風景の写真をいただきましたので、掲載します。宇野常寛『ゼロ年代の想像力』をはじめ、若手の批評家、作家、アーティストの本を中心に、そうした若手ないし若い読者に影響を及ぼしたり再評価されているような本など(『蟹工船』とか『堕落論』とか)も集めておられます。陳列されている本の中には、宮崎誉子『日々の泡』、福満しげゆき『僕の小規模な失敗』、荒俣宏『プロレタリア文学はものすごい』、坂口恭平『0円ハウス』、そして弊社のアガンベン/メルヴィル『バートルビー』などもあります。同書は、09年2月13日発売の「週刊金曜日」738号で開始された廣瀬純さんの連載「生の最小回路」の第一回記事「『蟹工船』よりも「バートルビー」を」において取り上げられています。廣瀬さんはバートルビーの「非-労働への意志」にある種の積極性を読み込んでおられます。
a0018105_2113159.jpg
2000年以降つまり「ゼロ年代」にデビューした作家、批評家、アーティストを私は勝手に「ゼロ世代」と呼んでいますが、マスコミで言う「団塊ジュニア」「ロスジェネ」とも世代が重なります。東浩紀さんが講談社BOXと一緒にプロデュースしておられる新人批評家養成プログラムに「ゼロアカ道場」というのがありますが、「ゼロアカ」というのは世間では「ゼロ年代の新しいアカデミズム」という意味で受け止められているようです。東さんが北田暁大さんと組んで編集されている雑誌『思想地図』の帯文には、「これぞ〈知〉の最前線! ゼロ年代のアカデミズム、NHKブックス別巻として登場!」(第一号)、「お待たせしました! ゼロ年代の知を牽引するNHKブックス別巻第2弾!」(第二号)と謳われています。

ちなみに東さんは、今月発売された月刊『中央公論』09年3月号の特集「日本語は滅びるのか」に掲載されたインタビュー「中途半端な規模こそ問題だ――日本のネット空間と文学産業の現在」で、ゼロ年代以降の若手にとっての知的情況について言及されています。同特集では蓮実重彦さんのインタビュー「『反=日本語論』の余白に」も掲載されており、伝説的なフランス語教科書『フランス語の余白に』(朝日出版社、1981年)の序文に書かれた「われわれが外国語を学ぶ唯一の目的は、日本語を母語とはしていない人々と喧嘩することである。大学生たるもの、国際親善などという美辞麗句に、間違ってもだまされてはならぬ」という有名な一節の真意についてもお話されています。これは私個人にとっては20年ぶりの回答を得た、という思いでした。a0018105_2121915.jpg

その思いは、大学生だった頃の自分には理解できなかったから、というよりは、ご本人の口から真意を聞けたという安心感のようなものです。『フランス語の余白に』は89年に3刷が刊行され、私が購入したのはこの時です。教科書とは思えない瀟洒な造本と、挑発的な序文に強い印象を受けました。後年、とある知り合いから貸してくれと言われて貸したことがあり、その時に初めて、若い世代にとってこの本は入手困難な本なのだと気づきました。まあ年齢を重ねて唯一、若い世代より得していることがあるとすれば、古書でしか流通していない本を同時代的に買っている、ということぐらいでしょうかね。その時は快く貸し出し、後日返却されましたが、よく考えてみると、貸した本というのは必ずしも無事に手元に戻ってくるものではありません。

貸したはいいが返ってこないのが全巻一揃えのものだったりすると困りますよね。『風の谷のナウシカ』とか『AKIRA』とか、貸した相手がいつの間にか古本屋へ売っていたりして、唖然としたことがあります。『ナウシカ』はもう一度新本を買いましたが、『AKIRA』は買い直してない。面倒くさくなってしまうんですね。

余談を最後にもう一つ。私の手元にある『フランス語の余白に』は3刷で、おそらくこれが最終重版だったろうと思います。私自身は、初版本を集める趣味はありません。小説や写真集でないかぎり、特に学術専門書は初版より重版を買うほうがいいに決まっています。なぜなら誤植が直されている(はずだ)からです。たまに専門書でも「初版本が欲しい」というお客様がいらっしゃいますが、重版本が入手可能なら絶対にそちらをおすすめします。重版されるかどうかわからない専門書はたいていやむなく初版の時点で買いますが、その後重版されたりすると、内心は心穏やかではないです。本によってはもう一度買って中身を確認しなければなりません。文庫本の復刊や重版ならまだしも、単行本は値段的に買い直すのが厳しい。しかしそれでも買わざるをえません。初版より重版の方が部数が少ないのが通例ですから、レア度も高まります。古書店では初版本の方が高くなりがちですが、本当に貴重なのは、小部数の重版本です。

そんなわけで私自身は一読者としても一出版人としてもある種の「初版本恐怖症」なのです。そんな私はある時、編集出版組織体アセテートさんが「正誤票」について次のように書いているのを読んで、心癒される思いがしました。曰く「誤記とは、書物にとって癒しえぬ傷。初版購入者という勇者のみに降りかかる災難」。名言だと思います。

***

当ブログでは、「ゼロ年代」の棚をつくったり、ブックフェアやイベントを開催されている書店さんを応援しています。これまでも、ブックフェア「ここから新しい想像力が始まる」@ブックファースト京都店、「ゼロ年代」棚@紀伊國屋書店札幌店、トークイベント&ブックフェア「若手批評家サミット2008/更新される批評を目指して」@三省堂書店神保町本店、などをご紹介してきました。これからも積極的にご紹介しますので、情報をお待ちしています。
[PR]

by urag | 2009-02-14 19:37 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 05日

「おもいッきりイイ!!テレビ」の「きょうは何の日?」で竹内てるよさんが紹介されました

a0018105_2452377.jpg
昨日(09年2月4日)、日本テレビ系列のお昼のテレビ番組(みのもんたさんの司会でおなじみ)「おもいッきりイイ!!テレビ」のコーナー「きょうは何の日」で、竹内てるよさんが取り上げられました。「2001年2月4日 詩人竹内てるよが亡くなった日」と題され、てるよさんの生涯と詩が紹介されました。

番組中で紹介された四つの詩「頬」「サルビア」「生きたるは」「斜光」は、「生きたるは」を除き、弊社から刊行している『静かなる夜明け――竹内てるよ詩文集』(写真左)に収録されています。番組で紹介されたのはそれぞれの詩の全文ではなく以下の部分でした。

「頬」

生れて何も知らぬ 吾子(わがこ)の頬に
母よ 絶望の涙をおとすな

(中略)

ただ 自らのよわさといくじなさのために
生れて何も知らぬ わが子の頬に
母よ 絶望の涙をおとすな

「サルビア」

私のきょうの瞳をみたか
六月の花 サルビア
じっと両手をかさねて
雨にけむる この花の紅をみていると
きりっと 心が勇んで来る

(後略)

「生きたるは」

(前略)

生きたるは
奇跡でもなく 生命の神秘でもない
生きたるは
唯一にして 無二の責務
かなしくも いまだ
死に価することをせぬため

(後略)

「斜光」

沈みゆく夕陽には 右手をかかげ
残り少なき人生の 光にさらす
なお左手に 明日を信じ
そのつよくあかるき 朝日をつかむ

(中略)

女は 人生のかなしき奇跡か
愛ただ一つに いのちをおく
愛ただ一つに いのちをおく

『静かなる夜明け』(03年刊、本体1400円)では、62編の詩と、2編のエッセイを収めています。なかでも私が好きなてるよさんの詩は、「ひとりの時」と「新月」です。

現在新刊で入手可能な竹内てるよさんの詩集は、2点あります。弊社の『静かなる夜明け』のほか、長野市に拠点を置くオフィスエムさんから刊行されている『美しき時』(08年刊、本体1500円、写真右)があります。『美しき時』では、35編の詩が収録されており、上記の「頬」や「サルビア」、「生きたるは」のほか、『静かなる夜明け』には収録されていない詩も多く含まれています(「斜光」は含まれません)。

詩集以外で、現在新刊で入手可能なてるよさんの本には、自伝の『海のオルゴール』(家の光協会、新装版02年刊)があります。また、晩年に属する自伝的エッセイには、『わが子の頬に』(たま出版、改題新装版02年刊、旧題『因縁霊の不思議』)や『いのち新し』(たま出版、新装版03年刊)があります。これらの著書にも、詩がしばしば挿入されています。

苦労の多い人生を歩まれた竹内てるよさんですが、著作活動においても、表面的な言い方をすればそこにはユニークな「変遷」がありました。デビュー当時はアナーキスト詩人と目され、戦時中は翼賛とは言わぬまでも、一人の母として、出征した若者たちの無事と戦勝を祈り、戦後は反戦の意思を明確にし、闘病生活の中で詩を書き続け、詩作を試みる多くの女性読者に愛され、晩年は自らの霊能体験をついに明かして、悩める市井の人々を助けました。一貫していたのは「ひとを愛する」姿勢であり、誠実に生きようとしたその心根です。その意味で、大戦期の苦悩はヒューマニストである彼女の生涯でもっとも過酷なものだったでしょう。

大衆詩人と表現していいであろうてるよさんの詩作と生涯は、日本文学研究において正当な位置を得ているとは言えず、いまだにまとまった研究書は出ていません。

「ひとりの時」より

くれなずむ窓の下にすわって
じっと いつまでも ひとりでいる
その静かなる時が 私は好きだ

(中略)

じっとすわってひとりのときほど
最も大ぜいの人間であるときはない

(中略)

他人の屈辱に耳まで赤らめ
自らの安静を人のためにわかつ
そのときほど謙遜で大ぜいのときはない

(後略)
[PR]

by urag | 2009-02-05 02:45 | 文芸書既刊 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 01日

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる予定の本屋さん

これから開店する本屋さんで、弊社の本を扱ってくださる予定のお店を順次ご紹介しております。お近くにお越しの際はどうぞお立ち寄りください。

09年3月19日(木)
フタバ図書アルティ福山本店:図書700坪 
広島県福山市明神町1-14
このところの出品依頼は、駅ビルやショッピングセンターのテナントとしてナショナル・チェーンが出店する際のものばかりだったのですが、なんとフタバ図書さんはこの時期に大型の郊外店を開店されるとのことです。この時期に、というのは、郊外書店チェーンの雄であった文教堂が一挙に規模を縮小することを決めたこのご時勢に、という意味です。いえ、嫌味じゃないです。自前の施設で出店することが少なくなった分、意気を感じます。フタバ図書さんの世良社長さんの挨拶文によれば、「書店創業95年の総力を結集し(・・・)圧倒的な地域一番店として、広く社会に貢献し、お客様に喜んでいただく所存」とのこと。

駐車台数は350台。図書700坪のほか、レンタル400坪、セル300坪、その他200坪、だそうです。複合店ということは、内装やフロア構成に特別新奇な趣向はないかもしれませんが、「空間」としての魅力がある革新的な書店の登場を一読者としては待ちわびています。
[PR]

by urag | 2009-02-01 00:32 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)