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2006年 07月 30日

今週の注目新刊(第61回:06年7月30日)

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◎注目の雑誌

SITE ZERO/ZERO SITE No.0 エステティクスの臨界 / メディア・デザイン研究所 / 税込2,000円 / B6変型判448頁 / ISBN4-9903206-0-3
●明日刊行の新雑誌。年2回発行。上記ウェブサイトで直販されています。発行人の飯尾次郎さんによる、0号刊行に寄せるコメントが「[本]のメルマガ」06年7月25日号で読めます。今後の展開が楽しみな雑誌です。
●弊社出版物とも関連する著者情報としては、「アンケート──批評と理論の現在 」欄でアレクサンダー・ガルシア・デュットマン、そしてマッシモ・カッチャーリのインタヴュー「必要なものから自由であること──家なし(a-oikos)の形而上学」、ヴェルナー・ハーマッハーのヘーゲル論『プレーローマ』からの抄訳「ヘーゲルの読解行為──『吐き気』をめぐるトロープ操作」など。

現代思想 二〇〇六年八月号 特集=ホームレス / 青土社 / 1,300円 / ISBN4-7917-1152-1
●個人的に、ここ最近で一番楽しみにしていた特集です。マイク・デイヴィスの『スラムの惑星』(明石書店より近刊)の抄訳も収録。生半可な感想は言えませんが、橘安純さんによる俳句や、小川てつオさんによる力道さん、山形さんへのインタビューなど、ホームレスの現実が胸にぐっと迫る内容。
●[8月5日追記]ジュンク堂書店池袋本店4階人文書売場で、ブックフェア「ホームレス 誰がつくりだすのか」が開催されています。 『現代思想』8月号ホームレス特集号の刊行記念フェアです。「ホームレスの人しか売り手になれない雑誌「ビッグイシュー」のバックナンバーのほか、新宿の書店「模索舎」の協力を得て 「頭痛のたね」(川崎水曜パトロールの会)「この間の報告とこれから」(寿支援者交流会)といったミニコミも販売しています」とのこと。 期間は06年8月4日~9月11日予定。ジュンク堂書店池袋本店の代表電話は03-5956-6111です。開店時間は10:00-22:00です。

KINO Vol.2 思考としての『ガンダム』 / 京都精華大学情報館=編集・発行 / 河出書房新社=発売 / 1,200円 / ISBN4-309-90685-0
●「木野評論」(青幻舎=発売)や「京都精華大学紀要」とは別に、情報館が立ち上げた新しいワンテーマ・マガジン。「広く文化・アート・社会を特集する季刊誌」との位置付け。

◎注目の単行本

オルガスムの歴史 / ロベール・ミュッシャンブレ著 / 山本規雄訳 / 作品社 / 3,360円 / ISBN4-86182-096-0
●3年ぶりの日本語訳。既訳書は2点、『近代人の誕生――フランス民衆社会と習俗の文明化』(著者名表記は「ミュシャンブレッド」、石井洋二郎訳、筑摩書房、1992年)、『悪魔の歴史――12~20世紀』(平野隆文訳、大修館書店、2003年)。

中世ヨーロッパ放浪芸人の文化史――しいたげられし楽師たち / マルギット・バッハフィッシャー著 / 森貴史+北原博+浜中春訳 / 明石書店 / 4,830円 / ISBN4-7503-2372-1
●本邦初訳。著者の専門は音楽学(16-17世紀)。アウクスブルク大学で教鞭を執っている。

ルネサンスの春 〔新装版〕 / アーウィン・パノフスキー(1892-1968)著 / 中森義宗+清水忠訳 / 新思索社 / 3,675円 / ISBN4-7835-1192-6
●初版は1984年。本書のもとになっているのは、1952年夏のウプサラ大学での講義。

カント全集 (6) 純粋理性批判・下/プロレゴーメナ / 有福孝岳+久呉高之訳 / 岩波書店 / 6,720円 / ISBN4-00-092346-3
●全22巻別巻1からなる新全集の最終配本。1999年12月の第一回配本から6年半以上をかけてようやく完結。

スピノザ――「無神論者」は宗教を肯定できるか / 上野修(1951-)著 / シリーズ・哲学のエッセンス:NHK出版 / 1,050円 / ISBN4-14-009333-1
●前著『スピノザの世界――神あるいは自然』 (講談社現代新書、2005年)に続く、スピノザ入門第二弾。

ポーランドのユダヤ人――歴史・文化・ホロコースト / フェリクス・ティフ(1929-)編著 / 阪東宏訳 / みすず書房 / 3,360円 / ISBN4-622-07231-9
●ティフ Tych は、ワルシャワ・ゲットーを脱出したサバイバー。1996年以後、ワルシャワのユダヤ史研究所所長。

宗教を語りなおす――近代的カテゴリーの再考 / 磯前順一+タラル・アサド編 / みすず書房 / 5,040円 / ISBN4-622-07230-0
●酒井直樹「西洋と比較――西洋/非西洋という文明的差異の産出」、スチュアート・ホール「ジャマイカの宗教イデオロギーと社会運動」、ハリー・ハルトゥーニアン「記憶、喪、国民道徳――靖国神社と戦後日本における国家と宗教の再統合」など10編を収録。

聖杯の探求――キリストと神霊世界 / ルドルフ・シュタイナー著 / 西川隆範訳 / イザラ書房 / 2,625円 / ISBN4-7565-0100-1
●版元による内容紹介に曰く、「聖杯学」それは魂の浄化を必要とする人智学(=アントロポゾフィー)の次のステップ、と。

バイオグラフィー・ワーク入門 / グードルン・ブルクハルト(1929-)著 / 水声社 / 3,150円 / ISBN4-89176-600-X
●著者はブラジルの医師で、人智学的セラピスト。

スタジオジブリ絵コンテ全集 (15) ゲド戦記 / アーシュラ・K・ル=グウィン原作 / 宮崎吾朗+山下明彦訳 / 徳間書店 / 2,835円 / ISBN4-19-862190-X
●「ゲド戦記」公開記念の新刊やフェアの情報は、こちら。アートワーク&台本、吾郎監督の詩画集など。プロデューサーの鈴木敏夫氏がフェアに寄せた直筆メッセージも見れます。

黒沢清の映画術 / 黒沢清(1955-)著 / 新潮社 / 1,890円 / ISBN4-10-302851-3
●決定版自伝、と謳われております。

映画『太陽』オフィシャルブック / アレクサンドル・ソクーロフほか著 / リンディホップ・スタジオ編集 / 太田出版 / 2,079円 / ISBN4-7783-1028-4
●映画監督ソクーロフが描く、「終戦前後の昭和天皇の葛藤」。ソクーロフの二つの対談「画『太陽』をめぐって」(沼野充義)、「ヒロヒトが感覚している」(四方田犬彦)のほか、宮台真司「ゲームの継続」、大月隆寛「ソクーロフの〈リアル〉」、椹木野衣「機械仕掛けの『太陽』」、しまおまほ「水面に、ひとつの小さな輝き」、松本健一「「あ、そう」の力」、桶谷「鋏を以て煙を切れるか」秀昭、等々、論評やコメント多数。目次内容はbk1の詳細で。

秘する肉体(からだ)――大野一雄の世界 / 大野慶人監修 / クレオ / 2,100円 / ISBN4-87736-113-8
●大野一雄写真集。近年の関連書では、吉増剛造の献詩と細江英公の献写真を添えた自著『わたしの舞踏の命』(矢立出版、2005年)があります。

ゲーデルと20世紀の論理学 (1) ゲーデルの20世紀 / 田中一之(1955-)編 / 東京大学出版会 / 3,990円 / ISBN4-13-064095-X
●ゲーデル生誕百周年記念出版。シリーズ全四巻の第一回配本。

言語の基盤――脳・意味・文法・進化 / レイ・ジャッケンドフ著 / 郡司隆男訳 / 岩波書店 / ISBN4-00-022758-0
●日本語訳第二弾。初訳は『心のパターン――言語の認知科学入門』(水光雅則訳、岩波書店、2004年、ISBN4-00-005386-8)。

万民の法 / ジョン・ロールズ著 / 中山竜一訳 / 岩波書店 / 3,465円 / ISBN4-00-024433-7
●ロールズ生前最後の書。カントの「永久平和」論を起点に「現実主義的ユートピア」実現のための原理を構想。

思想としての〈共和国〉――日本のデモクラシーのために / レジス・ドゥブレ+樋口陽一+三浦信孝+水林章=著 / みすず書房 / 3,360円 / ISBN4-622-07221-1
●ドゥブレ関連のテクストは論文「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」(水林章訳)と、ドゥブレ×三浦信孝の対談「現代世界に直面するメディオローグ――レジス・ドゥブレとの対話」。

文化とは何か / テリー・イーグルトン=著 / 大橋洋一=訳 / 叢書言語科学の冒険:松柏社 / 3,675円 / ISBN4-7754-0100-9
●"The Idea of Culture"(2000)の待望の翻訳ですね。必読書。

トランスフォーマティブ・カルチャー――新しいグローバルな文化システムの可能性 / 川崎賢一(1953-)著 / 文化政策のフロンティア:勁草書房 / 3,885円 / ISBN4-326-30164-3
●シリーズ第二弾。著者は駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。単独著は『情報社会と現代日本文化』(東京大学出版会、1994年)以来で久しぶり。

ヘンプ読本――麻でエコ生活のススメ / 赤星栄志(1974-)著 / 築地書館 / 2,100円 / ISBN4-8067-1337-6
●著者は日本大学農獣医学部卒で、現在、Hemp Revo, Inc. 代表。NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク理事、NPO法人ヘンプ製品普及協会理事。単独著に『ヘンプがわかる55の質問』(2000年、日本麻協会)。
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by urag | 2006-07-30 22:13 | 本のコンシェルジュ | Trackback(1) | Comments(4)
2006年 07月 29日

同じ出版人でも年収2000万円と年収200万円の「格差」

今をときめくちょいワルオヤジ、「LEON」「NIKITA」の編集長岸田一郎氏の稼ぎにぶったまげた私は出版下流人ですか。「日刊スポーツ」紙7月29日付の記事「ちょいワル編集長10日間の出社停止」で驚いたのは、退社予定の彼がスタッフを引き抜こうとした嫌疑で出社停止になったことではなく、「雑誌の広告収入だけで年間約20億円を稼ぎ、岸田氏も年収約2000万円」と書いてあるくだり。出版界にはかたや年収200万円の人もいることでしょうから(私のこと?)、この驚くべき格差に呆然とするのです。そういや私は一度も「LEON」を買ったことがありません。ぶあっはっはあ。アデオス? アデージョ(すげえ、Yahoo!辞書に載ってるんだね)? ちょい「ヨコシマ」オヤジのモテる艶夜(アデーヤ)? たったいまの真夏の夜遊びマル秘テク? 案外面白そうだな……毎月780円で脳内「なりきり艶男」が可能なのか……ほっとけ!

……「LEON」の読者層がどんな本を読んでいるのか(あるいは読んでいないのか)が気になってきました。
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by urag | 2006-07-29 23:18 | 雑談 | Trackback(1) | Comments(14)
2006年 07月 28日

明屋書店中野ブロードウェイ店の返品を運送業者が横流し

事件です。7月10日付の「文化通信」に小さいながらも衝撃的な記事が載っていました。「明屋書店中野ブロードウェイ店、700万円被害、運送業者が返品を横流し」。一行記事は、「文化通信」のサイトの「出版業界ヘッドライン」のバックナンバーで確認できます。

事件の詳細はこうです。中野ブロードウェイ3Fに入居している明屋(「はるや」と読みます)書店から取次の日販に返品されたはずの本が、出入りの運送業者によって無断で「大手新古書店の高田馬場店」へ売り飛ばされていたというのです。昨秋から今春までの半年間で、ダンボール100個分が返品の荷物の中からちょこちょこと間引きされて、日販には届かず新古書店に売られていた模様です。

運転手が白状したところの「大手新古書店の高田馬場店」というのは、有名なあそこしかありえないような気がするのですが、名前は伏せておきましょう。ダンボール一個につき数十冊は梱包されているでしょうから、数千冊規模の被害かと推測できます。おそらく平均単価が安いため、総額では700万円ということなのだと思います。新古書店に横流ししたとして、被害額の1割前後でしか売れなかったことでしょう。それでも数十万円に達していたかもしれません。

「文化通信」の記事によれば、明屋書店中野ブロードウェイ店は伝票レスでの返品が実施されており、日販の返品入帳額が少ないことに書店側が気づいて事件が発覚したとのことです。

伝票を起さずに返品できる「無伝返品」の盲点を突いた悪事と言えるでしょうか。取次は合理化のためにこの返品システムを推進しているわけですが、これではちっとも合理化にはなりません。いくらの値段のどの本を何冊返して総額何円の返品なのか、書店側で以前のようにきっちり押さえておかないと、取次が起算した通りの額を鵜呑みにして精算することになってしまうのではないでしょうか。お互いの信頼関係に基づいた上での伝票レスのはずなのに、返品システムの足元を揺るがすような事件が起きてしまいました。

この事件はすでに業界内のあちこちで話題になっていて、疑わしい「事故例」が他県の他取次帳合書店でも起きているということが界隈では語られています。ということは、ひょっとすると、こうした「間引き横流し」事件があちこちで起きているかもしれないという推測も可能でしょう。検品した結果、伝票と冊数が整合しないという例は、取次=版元間の返品でもたまに起きます。まさか返品だけでなく、新刊配本の際にも起きうることかもしれないと考えると恐いです。

ちなみに、発売前の新刊がなぜか新古書店に並んでいるという事例を目撃された方もいます。これは業界的に言えばまず、発売前の見本段階で献本された関係者が早々にその本を売り飛ばしたという可能性が考えられます。不要な献本を整理するのは業界人にとってはやむをえないことなのかもしれませんが、もし発売前に売り飛ばす人がいるとしたら、それは実にマズいことです。

無伝返品は取次が返品処理システムに膨大な費用をかけて着実に進歩させていく中で可能になってきたもので、取次各社はこのシステムに大きな自負を持っているはずです。どこの運送業者が今回の事件に絡んでいるかは明らかにされていませんが、幾多の運送業者の中には取次のグループ内部の会社もあるわけですから、まずは関連会社における業務倫理および風紀の再確認が必要でしょう。場合によっては綱紀粛正が急務ともなりうるでしょう。
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by urag | 2006-07-28 23:53 | 雑談 | Trackback(3) | Comments(0)
2006年 07月 23日

今週の注目新刊(第60回:06年7月23日)

『黒書』は97年に原著がフランスでロベール・ラフォン社から刊行され大きな論争を呼びました。日本語訳は01年11月に「ソ連篇」が刊行されて、「コミンテルン・アジア篇」はその一年後の02年10月に「刊行予定」とされていましたが、ようやくこのたび刊行されました。クルトワのほか、執筆者はジャン=ルイ・パネとジャン=ルイ・マルゴランです。訳者は高橋武智さん。『終身刑~』はアメリカの終身受刑者58名の言葉を集めたもの。

共産主義黒書――コミンテルン・アジア篇 / ステファヌ・クルトワほか著 / 恵雅堂出版 / ¥3,150
終身刑を生きる――自己との対話 / ハワード・ゼア編著 / 現代人文社 / ¥2,100
言語学と植民地主義 / ルイ=ジャン・カルヴェ著 / 三元社 / ¥3,360
闇を讃えて / ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 / 水声社 / ¥2,100
老子 / 池田知久著 / 馬王堆出土文献訳注叢書:東方書店 / ¥6,720
安倍晴明 / 繁田信一著 / 吉川弘文館 / ¥1,785
物理世界のなかの心 / ジェグォン・キム著 / 叢書現代哲学:勁草書房 / ¥3,150
事実/価値二分法の崩壊 / ヒラリー・パトナム著 / 法政大学出版局 / ¥2,940
庭からの視線 / 伊藤公文著 / アクシス / ¥2,200
雲の世界 / 山田圭一写真・解説 / 成山堂書店 / ¥2,310

◎注目の文庫・新書

フーコー・コレクション 3 言説・表象 / ちくま学芸文庫:筑摩書房 / ¥1,470 ※収録論文名は、bk1で一覧データ化されています。
永遠の少年――『星の王子さま』大人になれない心の深層 / M・L・フォン・フランツ著 / ちくま学芸文庫:筑摩書房 / ¥1,365
偶然の本質―─パラサイコロジーを訪ねて / アーサー・ケストラー著 / ちくま学芸文庫:筑摩書房 / ¥1,050
文法の原理 下 / イェスペルセン著 / 岩波文庫:岩波書店 / ¥903
私家版・ユダヤ文化論 / 内田樹著 / 文春新書:文芸春秋 / ¥788
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by urag | 2006-07-23 22:48 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 21日

舞台芸術第一期完結フェア

『舞台芸術』第一期全十巻完結記念フェアが以下の書店で行われています。お立ち寄りの際にご覧になっていただけたら幸いです。店頭では、編集委員の太田省吾と鴻英良の両氏による手書きPOPがご覧になれます。また、両氏による「舞台芸術」をテーマにしたブックリストが配布されています。

◎紀伊國屋新宿南店6F演劇書エンド台
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◎ブックファースト新宿ルミネ2店芸術書
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◎ブックファースト渋谷店B1F芸術書壁面棚
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by urag | 2006-07-21 10:45 | 舞台芸術 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 20日

有隣堂が六本木ヒルズから撤退、後釜は青山BC

書店激戦区の六本木で動きがありました。三連休明けの18日、有隣堂六本木ヒルズ店が閉店、青山ブックセンターが売場を引き継ぐことになりました。新規開店は8月16日22日。取次は日販で、青山BCでの日販帳合は自由が丘店に続き2店目(本店、六本木店、福岡店は大阪屋)。有隣堂も日販帳合ですから、日販は陣地を守ったことになります。

ヒルズ内の森アーツセンターや近隣のTSUTAYA TOKYO ROPPONGIも日販帳合。六本木は日販対大阪屋の攻防戦ということになりますが、主役である青山BCは六本木地区では大阪屋とも日販とも付き合っています。

なお親会社の洋販の系列であるランダムウォークは大阪屋帳合で、流水書房はトーハンがメインだったと思います。書店と取次との関係は一様ではありませんが、一般読者にはほとんど見えない舞台裏ではあります。新規店は取次会社による強力な商品調達がなくては開店できません。どんな風にしてオープンに至るのか、ドキュメンタリーとして追っかけるテレビ番組があったら面白そうな気がします。

***

[続報]青山BCのプレスリリースからの情報です。

◎店舗情報

店舗名:青山ブックセンター六本木ヒルズ店
出店所在地:〒106-0032 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズWest Walk 4F
営業時間:11:00-21:00 年中無休  書店売場面積:約90坪

◎オープン記念特典&フェア情報

1)8月22-24日までの3日間、青山ブックセンター六本木ヒルズ店にて商品ご購入のお客様先着100名様にTollit&Harvey社の、スリップファイルをプレゼント。

2)8月22-27日までの6日間、洋書、洋雑誌を20%オフ。

3)ブックフェア「和の世界」

4)ブックフェア「ネイチャー」:没後10年、写真家・星野道夫さんの著書を揃える。
※関連イベント&新刊:星野道夫展「星のような物語」8月2-14日@松屋銀座店、写真集『LOVE in Alaska 星のような物語』(8月2日発売、小学館、税込2,100円)、インタビュー集『終わりのない旅』(湯川豊著、8月8日発売、スイッチパブリッシング、税込1,575円)。

◎店舗コンセプト:『豊かな心と、清々しさ』

日本を代表する街のど真ん中、「文化都心」六本木ヒルズ。そこに住む人へ、働く人へ、集う多くの人々へ、青山ブックセンターからのメッセージは、『豊かな心と、清々しさ』。自分を取り戻す時間、充実した生活のために、お店に立ち寄ると心が洗われるようなあらゆるエッセンスをご用意いたします。例えば、モノとココロをつなぐ本という贈り物。各コーナーに"ギフト"としてお選びいただける本を取り揃えます。書棚からあふれる、新鮮な喜びをお客様と分かち合える書店を目指していきます。

◎店内の棚構成

1)ライフスタイル (オールウェイズ):生活の中にくつろぎと開放感をもたらすご提案をします。アート/写真集・インテリア・暮らし・料理・絵本・ファッション書。

2)ビジネス (インプット/アウトプット):仕事にも遊びにも充足感をもたらす大人のための必須書をご用意します。ビジネス書・語学書・車・アウトドア・旅。

3)カルチャー (寄り道空間):かけがえのない自分を発見し、人生を貪欲なまでに楽しみたい方へ。文芸書・文庫・思想書・ペーパーバック。

***

新生六本木店もそうでしたが、棚構成が従来の分野別縦割り型ではなく、ニーズとテーマに応じた横断的再編成が行われているところが非常に興味深いです。いわゆる図書館型超大型書店の出店競争時代が終焉しつつある昨今、コンパクトだけれど魅力的な「新しい書店」像が業界的に模索されています。中堅書店の新時代に向かう青山BCの「挑戦」は他のチェーン店のリニューアル事業に比べてよりメッセージ性に富んでおり、これが業界内外の注目を惹く所以だと思います。
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by urag | 2006-07-20 22:17 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 19日

「水声通信」06年8月号:特集ジャン=リュック・ナンシー

a0018105_18483149.jpg水声社の月刊誌「水声通信」06年8月号は、日本初の「ジャン=リュック・ナンシー」特集です。明日から店頭発売開始。特集頁の明細は以下の通りです。

『水声通信』第10号 2006年8月号(特集:ジャン=リュック・ナンシー)
本体1,000円、ISBN:4-89176-591-7、店頭発売7月20日

【特別寄稿】
世界の外……J=L・ナンシー/吉田晴海訳

【ターブル・ロンド】
無‐無神論……J=L・ナンシー、鵜飼哲、小林康夫、西谷修、増田一夫、湯浅博雄

【対話】
責任――来るべき意味について(上)……J・デリダ×J=L・ナンシー/西山雄二+柿並良佑訳

【論考】
像・表徴・図式――ナンシーの思考を貫くもの……合田正人
共‐存在の宛先――J=L・ナンシーのための断片……守中高明
放棄としての感覚=意味〔サンス〕、あるいはダンスとしての世界……大西雅一郎
「世界化」と「一神教の脱構築」を巡る対話――世界の「開き」について……上田和彦
出発間際にある復活の身体――ジャン=リュック・ナンシーのキリスト論……西山雄二

【著作目録】
ジャン=リュック・ナンシー著作目録……西山雄二+柿並良佑+馬場智一編

***

特集頁以外としては、ティム・イーデンソール+ウマ・コタリ「甘美なるコロニアリズム再考」が特別掲載され、また小林康夫、高橋透、松浦寿夫、中村邦生、野村喜和夫の各氏の連載が読めます。

ナンシーの著作目録は、単著/共著・編著/雑誌や論集に掲載された論考、序文や後記など/展覧会カタログ・画集への寄稿/翻訳、といった五つの部門に亙る詳細なもので、最後にはナンシーをめぐる研究書、論集、雑誌特集号などの情報も添えられています。現時点で世界で一番詳細な目録だそうですよ。

ナンシーとデリダの対話「責任」は後編が次号に分載されるようです。この対話の背景については西山雄二さんが私信で次のように説明してくれました。

2002年1月18日と19日、パリの国際哲学学院でフランシス・ギバルとジャン=クレ・マルタンの主催によって、ジャン=リュック・ナンシーの仕事をめぐるフランスで初めてのコロックが開催された(その記録は"Sens en tous sens: autour des travaux de Jean-Luc Nancy", Galilée, 2004である)。「あらゆる意味における意味」という総題のもと、主催者二名の他にも、アラン・バデュウ、ジャン=フランソワ・ケルヴェガン、カトリーヌ・マラブー、アレクサンダー・ガルシア=デュットマン、ヴェルナー・ハーマッハー、ロベルト・エスポジトといった錚々たる面々が興味深い発表をおこない談論風発した。各発表の後には聴衆との質疑応答の時間がもうけられ、さらにナンシー本人にもマイクが渡され、コメントが要求された。

今回訳出したのは、この2日間のコロックを締め括ったデリダとナンシーの討論である。超満員の大ホールで二時間にわたっておこなわれたこの討論は友好的な雰囲気のなかで進行しつつも、ときに両者の哲学的な相違点を浮き彫りにしているという点で未読に値するものである。

ちなみに、これまでに出版されたデリダとナンシーの対話は本稿を含めて計四つである。まず、『コンフロンタシオン』誌(1989年)の特集「主体の後に誰が来るのか?」に所収された「「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算」。次に、2003年3月29日、ブランショに関するコロックを締め括る対話(Maurice Blanchot: Recits critiques, Farrago, 2003)。そして、2003三年11月4日、国際哲学学院20周年記念コロックの開会のための対話(≪ Ouverture ≫, Rue Descartes, no 45, 2004)である。

以上引用終わり。後編が載る予定の次号(no.11:2006年9月号)の特集は「表象とスクリーン――見えるものと見えないもののあいだ」で、先の表象文化学会の第一回大会の際のミハイル・ヤンポリスキーさんの講演録や新たなインタビューなどがフィーチャーされ、さらに、吉田喜重さんと小林康夫さんの対談も掲載されるようです。

ナンシー特集号に掲載された現代企画室さんの広告によれば、今後同社では、大西雅一郎+松下彩子訳『ダンスについての対話――アリテラシオン』、吉田はるみ訳『水と火』、大西雅一郎訳『キリスト教の脱構築1――脱閉域』が順次刊行されていくとのことです。
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by urag | 2006-07-19 18:48 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 16日

今週の注目新刊(第59回:06年7月16日)

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ジョルダーノ・ブルーノ著作集(7)英雄的狂気
ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)著 加藤守通(1954-)訳
東信堂 06年7月刊 本体3600円 A5判上製317頁 ISBN4-88713-691-9
■帯文より:多に類を見ぬ哲学のパトス的描写。狂気に類する情熱と探求によって究極の原理である神との合一を目指す、ブルーノ特有の「新プラトン主義的」思弁が、恋愛詩や紋章学の知見を織り交ぜた豊かなパトス的描写を通じて鮮明に溢れ出た、対話による哲学の傑作。
●第3回配本。三年ぶりです。関連書の『ロバのカバラ――ジョルダーノ・ブルーノにおける文学と哲学』(ヌッチョ・オルディネ著、東信堂、02年6月刊)もあわせ、ブルーノ著作集はこれまですべて東北大学教授の加藤守道さんが訳されています。このまま全巻個人訳という偉業になりそうな予感すらする献身的な実績です。
●本書"De gli eroici furori"(1585)はイギリス滞在中に書かれたもの。ブルーノのイギリス滞在についてはフランス王室の密命を帯びた「密使説」というのがあって、それについて詳述した本(ジョン・ボッシー『ジョルダーノ・ブルーノと大使館のミステリー』影書房)があるくらいですが、ブルーノ研究家の故・清水純一さんによればブルーノを庇護したフランス大使には様々な政治的役割があったものの、ブルーノ自身にはさほどの「ミステリー」はなかったのではと感想を述べられています。
●『英雄的狂気』には西洋版「即身成仏」の思想があると訳者の加藤さんは書いています。確かに例えば次のような一節があります。「英雄的狂気の持ち主は、神的な美と善の姿を捉えて上昇し、知性と知的意志の翼によって、自らのより低位の形態を離れて、神性へと飛翔するのです」(「第一部第三対話」より、本書88頁)。
●オックスフォード大学ではブルーノの所説はまったく受け容れられませんでした。英雄的狂気――神へと上昇する叡智的な愛――を根幹にして語られる彼の宇宙論は、当時の大学の神学者や哲学者たちの「節度ある」宗教的世界観を超えていました。彼はやがてイギリスを去ります。七年後に彼は異端思想の嫌疑によりヴェネツィアで逮捕され、ローマ送還後七年間「審問」に掛けられ、最後に火あぶりの刑に処されます。
●「宣告を受けている私よりも、宣告を下した諸君の方が真理の前に恐れおののいているのではないか」とブルーノは言い放ったと言います。この科白は約半世紀前にやはり異端審問の果てに火刑に処された或るスペイン人が審問官に向かって述べた言葉を思い起こさせます。「私は焼かれるだろうが、そんなことはただそれだけのことに過ぎない。いずれまた永遠界で議論をつづけようではないか」。これはミゲル・セルベト(セルヴェトゥス:1511C-1553)の言葉で、かのボルヘスが「誹謗の手口」という覚書の末尾に書き留めています(『永遠の歴史』ちくま学芸文庫)。
●またこれは、イギリス人のW・N・P・バーベリオン(1889-1919)が残した言葉にも繋がるような気がします。「何ものも私が生きたという事実を変えることはできない。《私はあった》、こんなにも束の間であったとしても。そして、私が死んだとしても、私の身体を構成する物質は不壊であり永遠である。それゆえ私の「魂」に何が生じようと、私の塵は常に存続するであろう。……あなたは私を殺し、水浸しにし、撒き散らすことはできる――しかしあなたは私を破壊することはできない。……死は人を殺す以上のことはできない」【分かりやすさのため訳文を若干変更しています※後日別稿にて解説します】。
●これは彼の日記(1912年12月22日)に書かれていることで、宗教学者のエリアーデはこのくだりを転記しながら「これこそまさしく私なら、〈顕現=エピファニー〉としての人間存在の不壊性と呼ぶであろうところのものである」と自身の日記に記しています(1961年1月10日、『エリアーデ日記(下)』未来社、105-106頁)。バーベリオンの日記は抄訳が『絶望の日記』(中村能三訳、新潮社、1954年刊)として刊行されています。
■ジョルダーノ・ブルーノ著作集全巻予定:
1:カンデライオ / 加藤守道訳 / 03年7月刊:第2回配本
2:聖灰日の晩餐
3:原因・原理・一者について / 加藤守道訳 / 98年4月刊:第1回配本
4:無限・宇宙・諸世界について
5:傲れる野獣の追放
6:天馬のカバラ
7:英雄的狂気
8:形而上学と宇宙論――「三十の像の灯明」「フランクフルト三部作」
9:記憶術論――「イデアの影」「キルケの歌」「印の印」
10:魔術論――「魔術について」「絆について」
別巻:ジョルダーノ・ブルーノとルネサンス思想(仮)
別巻:ジョルダーノ・ブルーノ研究(仮)

美の存立と生成
今道友信(1922-)著
ピナケス出版 06年7月刊 本体7600円 A5判上製函入373+33頁 ISBN4-903505-00-6
■帯文より:美と芸術の哲学的思索体系、ここに成る!
■本書第三章第四節「創造性について」より:本書の企てとは事物の中に埋め込まれ沈んでしまった二つのもの、すなわち人間の精神あるいは心と、その対極者たるべき輝きとしての美とを、すなわち現象の中に埋没してしまった心と美とをそのあるべき離物的輝照という自由の広がりの中に救いなおす哲学的美学の思索なのであった。
●本書は著者の『美の位相と芸術〔増補版〕』(東京大学出版会、1971年)の待望の続編であり、ピナケス出版さんの開業第一弾になるようです。本書の「後記」には次のように書いてあります。
●「かねてより私の著書の読者であり、今もひそかに研究を続ける一人の人[発行者の濵賢さんのことと思われる:引用者]が私の著書出版のために新しい出版社(ピナケス出版)を立ち上げ、そこから取り敢えず用意の整った新著の出版を次々五巻くらいは引き受けたいという申し出があった。専門研究者の間以外には名も十分には知られていない私の難解な著書に大きな販路のあるはずもないから、それでも大丈夫なのか何回か問い直しもしたが、「覚悟してのうえでのことですから心配なさらないでください」ということで……」。
●昨夏に今道さんの全集刊行企画が別の出版社であったものの規模が大きいため挫折したという前史もあったそうです。全集では40巻以上になり、選集でも10巻では収まらないという判断をその一流出版社はしたそうです。現実的な判断とはいえ、残念な話です。今道さんほど長年国際的に活躍されている哲学者もいないと思うのですが。
●ピナケスというのは、かの古代アレクサンドリアの大図書館の蔵書目録から名を採ったのでしょうか。本書は「ピナケス学術叢書」というシリーズの第一弾になるようですが、奥付裏にはこんな近刊案内がありました。
■近刊:「テオロギケー叢書」英知大学キリスト教文化研究所編
第一巻『超越への指標』今道友信、06年夏刊行予定
第二巻『カトリシズムと諸宗教(仮)』岸英司、06年夏刊行予定
第三巻『聖書研究と教会的信仰(仮)』和田幹夫、06年秋刊行予定
●ピナケス出版さんはJRC(人文・社会科学書流通センター)が一手に販売業務を引き受けている版元(現在17社)のうちの一社です。17社のうちには、書肆心水、双風舎、クレイン、左右社、ビオシティなど、優れたコンテンツを発信している版元が多く、ポスト鈴木書店の支柱として邁進されているJRCさんのキャラもいやまして光ってきたと私は感じています。

民主主義の逆説
シャンタル・ムフ著 葛西弘隆訳
以文社 06年7月刊 本体2500円 46判上製224頁 ISBN4-7531-0248-3
■帯文より:〈合意形成〉の政治から〈抗争性〉の政治へ。ロールズ、ハーバマス、ギデンズなどの「合意形成」の政治学を批判的に検討し、シュミットの政治論、ウィトゲンシュタインの哲学から「抗争性」の政治を提唱する。民主主義を鍛え直す画期的な政治思想。
●帯文を参照しつつ本書を一言で宣伝するならば、「民主主義の危機の時代における政治思想の根本問題を問うラディカル・デモクラシー論の真骨頂」といったところでしょうか。ムフの単独著の翻訳は、『政治的なるものの再興』(千葉眞ほか訳、日本経済評論社、1998年刊)に続いて2作目。

東京大学[80年代地下文化論]講義
宮沢章夫(1956-)著
白夜書房 06年7月刊 本体1905円 A5判並製436頁 ISBN4-86191-163-X
■帯文より:80年代は「バブル」で「おたく」で「スカだった」のか? 時代を走るミヤザワが、東大駒場キャンパス最奥の密室で80年代生まれの学生を前に考え、迷い、口ごもりながら語る[80年代と現在を結ぶ手がかり]。
●05年10月から半年の間、東大の表象文化論分科の授業として行われた全13回の講義録。第3回:西武セゾン分科の栄光と凋落/第4回:YMOの「毒」、〈クリエイティヴ〉というイデオロギー/第5回:森ビルの文化戦略と、いとうせいこうの「戦術」/第10回:ゼビウスと大友克洋と岡崎京子、それと「居場所がない」こと/などなど、非常に気になるテーマが続々と出てきて、読まずにはいられません。
●出版=書店業界においても、セゾン文化の盛衰や森ビルの地政学的戦略、ゲームやコミックやアニメをめぐるオタク文化の変遷というのは非常に重要な検証材料です。80年代および90年代の再考は私自身の課題でもあるので、本書から大いに学ぼうと思います。

白の民俗学へ――白山信仰の謎を追って
前田速夫(1944-)著
河出書房新社 06年7月刊 本体2000円 46判上製286頁 ISBN4-309-22453-9
■帯文より:日本民俗学最大の空白部分の探求。全国の、特に東日本の被差別部落に多く分布する白山神社。その謎に包まれた白山信仰の実態を追って、ハクサンからシラヤマへ、死と再生の儀礼の根源へ向かって、探求の手はとどまるところがない。柳田、折口に始まる民俗学の叡智を結集して、その神秘の空白部分に迫る、スリリングな書き下ろし。
●『異界暦程』『余多歩き――菊池山哉の人と学問』(ともに晶文社)に続く第三作。著者は新潮社の文芸編集者で本書執筆中に還暦を迎え、定年退職されたとのこと。白山初登拝に出立する早朝の出来事から語り起すさりげない序文の数行でたちまち読者の興味をグイと惹きつけるあたりはさすがベテラン編集者だと感じます。
●本書で引用され参照されている文献の数々は、専門研究書の一般的なそれとは違う次元の広がりと奥行きがあって面白いです。巻末に一覧がありますから、読者は次なる読書の獲物を探すのに便利だし、書店員の方はブックフェアなどのインスピレーションを得ることができるでしょう。
●「あとがき」によれば、「三部作の最後を書き終えた今、ようやく「白の民俗学」の入り口に立った思いがする」と。シラと白との間、精霊と不浄との間の往還運動を見つめる著者のさらなる一歩がもう今から楽しみになってきます。

◎このほかの気になった新刊単行本(価格は税込)

パステルナークの詩集は工藤正広さんの長年の訳業と、版元の未知谷さんの継続的な出版のおかげで随分読めるようになってきました。ありがたいことです。いっぽうハイナー・ミュラーの訳書は実に12年ぶりですね。この人物にしては不思議なほどの空白でした。

古代日本海文明交流圏 / 小林道憲著 / 世界思想社 / ¥1,995
シェリング哲学 / H・J・ザントキューラー編 / 昭和堂 / ¥3,990
受難の意味――アブラハム・イエス・パウロ / 宮本久雄ほか編著 / 東京大学出版会 / ¥3,570
F・ベアト写真集(1) / 明石書店 / ¥2,940
木村伊兵衛のパリ / 木村伊兵衛写真 / 朝日新聞社 / ¥14,700
デザイナーズ・アパートメンツ / 清水文夫編纂 / グラフィック社 / ¥9,975
第二誕生 1930-1931 / ボリース・パステルナーク著 / 未知谷 / ¥2,100
ドイツ現代戯曲選(17)指令――ある革命への追憶/ ハイナー・ミュラー著 / 論創社 / ¥1,260

◎今週の注目新書

流刑地にて / カフカ著 / 池内紀訳 / 白水Uブックス:白水社 / ¥945
●生前に発表された四作品『判決』『観察』『火夫』『流刑地にて』を収録。来月は『断食芸人』を刊行。「田舎医者」連作も含むそうですよ。素晴らしい。
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by urag | 2006-07-16 23:34 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 14日

『ゼーガペイン』第14話「滅びの記憶」より【ネタバレ注意】

敵ガルズオルムの新兵器によって恋人を戦闘で失った主人公が、戦闘の発端である「世界が滅びたそもそもの理由」を突き止めようと図書館で調べ物を続けるうち、彼は「T・ナーガ」なる人物の書いた一連の著書を見つけます。

蔵書検索画面に出ていた書名は『ヒトの悪意はどこからくるのか?』、『量子演算による無限進化』、『環境改変における適応力』、『セブンディズ・プログラム』、『Initium Art Laboratory』、『データー保存のススメ』(現物は『データ保存のススメ』と表紙に記載)、『人類の滅びた理由』、『ハイゼンベルクの不確定性原理』、『現代の箱舟』(方舟が正しい表記と思われる)などです。このほかに『無限進化への誘い』という(おそらくは)書名が口頭で語られ、さらに『オルムウイルスの脅威』という本を主人公は閲覧していました。

第14話では、同僚のルーシェンが主人公のキョウに世界が滅びた理由を説明します。「発端はナーガという一人の研究者が量子コンピュータを実用化させたことにある。IAL社。情報企業として設立され、のちに様々な産業、特に生命工学や軍事産業なども取り込んで、コングリマリット化した、世界的超巨大企業。そのCEOがナーガだ。彼の創造した量子コンピュータのスペックは単体で、全世界のコンピュータすべてを合わせた能力に匹敵した。仮想空間に街や人の記憶、知識までもが丸ごと収容できるほどのものだ。ナーガはその量子サーバー内での人間の無限進化を提唱した。永遠の歳月を生きられる幻体となり、加速した時のなかで、果てない進化の探究を行う。それが人間にとっての幸福であると。」

その後、致死率98%というオルムウイルスが世界的に流行します。病死者に加え、ウイルスが生物兵器ではないかと疑った国々による戦争により、人類は短期間で激減。思想的・信条的に幻体化を望まない人々を除いて、人間は量子コンピュータのなかで生きることを余儀なくされたわけです。このウイルスを発明しばら撒いた張本人がナーガだとされています。人類を量子サーバー内に取り込み実験材料に仕立てるため、無限進化の理想郷を実現するためです。

データ化された人類のうちで反乱分子として目覚めた者がセレブラントたち、すなわちセレブラムです。彼らは戦います、「自分の意志で生きる」ために。……しかしこうした目覚めもまた、ナーガによるプログラムだとしたらどうなるのでしょう。「自由意志」は本当に存在するのでしょうか。それともすべてが予定されていたことなのでしょうか。これは西洋文明が問い続けてきた哲学的難問でもあります。物語は視聴者のこれらの疑問に今はまだ答えてはくれません。ただ、ルーシェンがふと漏らした「彼(シマ司令:セレブラムのリーダーの一人)の存在も疑問だ」という一言が、何を意味するのか、ひょっとすると、と視聴者に思わせます。

***

さて、『ゼーガペイン』には「蛇」にまつわる名前がよく出てきます。人類を滅ぼした敵「ガルズオルム」は北欧神話の「ミドガルズオルム」から採られたものと思われます。ミドガルズオルムあるいはヨルムンガンドとは天と地のはざまの人間世界であるミズガルズを取り囲む大蛇、つまり地中海文明に古くから存在する象徴、ウロボロスです。オルムは北欧の古い言語において「蛇」を意味します。

ナーガの著書『オルムウイルスの脅威』の表紙には、自分の尾を口から離したと思しきウロボロスの図像が掲げられていました。蛇が覚醒し自らの尻尾を離すとき、それは世界という円環の崩壊を意味します。北欧神話において、世界最終戦争であるラグナロクの開始は、この蛇の覚醒とともにあるのです。ウロボロスの円環は、無限大を意味する記号∞のモデルになっているとも言います。

そもそもナーガという名はインド神話における水の神で蛇身を有します。また、ナーガがCEOを務めていたIAL(Initium Art Laboratory※)社の社章は、螺旋状にうねる蛇が林檎を食らおうとする文様があしらわれていますが、この林檎はおそらくエデンにおけいてアダムとエヴァが蛇の誘惑により食らった智恵の木の実であると同時に、彼らが口にしなかった生命の木の実であることでしょう。生命の実を食らった者は、永遠のいのちを得ます※※。

※Initiumとはラテン語で「開始、加入、元素、基礎、秘儀、祓い清め」などを意味します。Artはこの場合、芸術ではなく、技術・技法一般を指すでしょう。Initium Artとは、祓い清めのわざを示唆しているのかもしれません。そうしたわざを探究するラボ(研究所)ということですね。

※※生命の木の実を食らい、永遠のいのちを得るという着想を物語にした作品群のなかで、私は漫画家の諸星大二郎さんの「生命の木」に強い印象を持っています。この短篇は『諸星大二郎自選短編集:汝、神になれ鬼になれ』(集英社文庫)で読むことができます。

ガルズオルムの新兵器は、セレブラム側から「アンチゼーガ・コアトリクエ」というコードネームを与えられています。コアトリクエというのは、アステカ神話における大地母神でやはり蛇身を有しています。大地母神は生命を産み、育み、またその生命が還っていくところの象徴です。これらの蛇の象徴が今後どう物語のフレームに関わりあっていくのか興味深いところです。

神話系を参照し、物語のグリッドとして埋め込んでいくという手法はアニメやゲームの世界ではよく知られた常套手段です。視聴者を象徴体系の森に誘うことによって、物語世界はそこで描かれている以上の奥行きがあるように見られ、謎を探求する空間がいわば与えられ、様々に物語を解釈することが可能になります。

10年前に「新世紀エヴァンゲリオン」がヒットした際には、天使やカバラ、グノーシスの世界観が用いられ、エヴァンゲリオンのフィルムブックやコミックの脇に『死海文書の謎』(柏書房)を置くと学術的な高価本にもかかわらず飛ぶように売れるという現象が起きました。エヴァンゲリオンというのはそもそも、ギリシア語では「福音」を意味する言葉です。エヴァンゲリオンでは「人類補完計画」として、不完全な群体としての人類を完全な単体に「進化」させるという設定がありました。「ゼーガペイン」とは異なりますが、ここにも進化思想への憧憬と懐疑が物語の根底にあります。

また、5年前からコミック誌への連載が開始され、アニメや映画で話題になっている「鋼の錬金術師」のブームにおいては、やはりコミック売場で『錬金術大全』(東洋書林)がよく売れました。昨年だったか、私の甥や姪が私の書斎を覗いた時、もっともよく反応していたのが錬金術関係の本に対してでした。人知を超えるものに対しての憧憬と懐疑がこの物語にも見られますね。

「ゼーガペイン」の場合はどうでしょうか。各種の神話については例えば青土社がたくさん関連書を出していますから、さして参照は難しくないでしょう。「蛇」あるいは「龍」をめぐっては、各文明の神話大系とは別に、海外においても日本においてもうんざりするほど多くの物語が今なお再生産され続けているため、そのひとつひとつを追いかけるのは面倒です。

しかし先日注目新刊でピックアップした記憶がある堤邦彦さんの『女人蛇体――偏愛の江戸怪談史』(角川叢書:角川学芸出版)などのような研究書をひもとくのは楽しい読書になることでしょう。ジブリの新作映画『ゲド戦記』においても龍が出てきます。作家ル=グインにおける龍の形象というのは非常に興味深いものがあるのですが、これを語るにはまた別稿が必要でしょう。

蛇をめぐる内容でここ十数年で出版されたものの中では以下の本が参考になります。

松谷みよ子さん『現代民話考(9)木霊・蛇・木の精霊・戦争と木』(ちくま文庫)
後藤明『 「物言う魚」たち――鰻・蛇の南島神話』(小学館)
笹間良彦『蛇物語――その神秘と伝説』(第一書房)
南條竹則『蛇女の伝説――「白蛇伝」を追って東へ西へ』(平凡新書:平凡社)
堤邦彦『女人蛇体――偏愛の江戸怪談史』(角川叢書:角川学芸出版)
小柳伸一『蛇になる女――古今東西蛇物語』(近代文芸社)
ジャン・マルカル『メリュジーヌ――蛇女=両性具有の神話』(大修館書店)
エレーヌ・H・ペイゲルス 『アダムとエバと蛇――「楽園神話」解釈の変遷』(ヨルダン社)
大庭祐輔『竜神信仰――諏訪神のルーツをさぐる』(論創社)
篠田知和基『竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち』(人文書院)
アジア民族造形文化研究所『アジアの龍蛇――造形と象徴』(雄山閣出版)

ちょっと脱線していいなら、ハーヴァード大の人類学者ウェイド・デイヴィスによるヴードゥー研究の名著『蛇と虹――ゾンビの謎に挑む』(草思社)という本もあります。龍についてはさらに書誌が増えるので、ここでは言及しないでおきます。

***

「ゼーガペイン」において注目しておきたい設定は、「蛇」よりもむしろ「量子コンピュータ」や「量子力学」をめぐる諸項かもしれません。近年のアニメ作品では「ノエイン」のような、多世界解釈に的を絞った例もありました。「ゼーガペイン」で描かれている量子テレポーテーションのリスクは、ポピュラーな近似例では、映画「ザ・フライ」などにおける転送中の失敗などを思い起こさせます。「量子コンピュータ」関連の入門書や専門書はそう多くないので、オンライン書店で検索すれば、おおかた見渡せます。

「ゼーガ」第6話で語られたような量子力学と哲学の議論が重なる領域については、この先の物語の展開でさらに謎かけがあるかどうかは分かりませんけれど、これは物理学と哲学の長い歴史をひもとくことになり、興味はつきません。ナーガのようなマッド・サイエンティストではありませんが、ケン・ウィルバーの本を読むと、私たちの文明的伝統がどのような未来へ向けて「進化」しつつあるのか、そしてその「進化」が現代社会におけるビジネス群とどう関わり合ってくるのか、大きめの地図が見えてくるかもしれません(例えば『万物の理論――ビジネス・政治・科学からスピリチュアリティまで』トランスビュー)。

「エヴァンゲリオン」で語られたような「不完全な群体から完全な単体へ」という人類進化の理想は、個人主義や民族主義によって分断された現代人の憧憬を反映するものであると同時に、再来しつつある全体主義や帝国主義への懐疑と危機感を表すものであったのではないかと思います。

「ゼーガ」においては「不完全な群体から完全な〈幻体〉へ」という狂った理想が設定されており、それに対立するセレブラントはいわば――昨今の政治用語を用いれば――全体主義や〈帝国〉に抗する群衆と目されている集団だと言うこともあるいは可能でしょう。この群衆は烏合の衆ではなく、衆愚制に堕する勢力でもなく、〈帝国〉を組み換える「構成する権力(構成的権力)」、マルチチュードとして希望と絶望を託されます。

マルチチュードとは、多数多様性であるとともに特異性(シンギュラリティ=かけがえのなさ)であることを自覚している存在です。彼らは巨大な怪物としての国家=リヴァイアサンとその運動としてのグローバリゼーションに屈服しつつ抵抗もしうる勢力であり、得体の知れない無名の群衆です。彼らセレブラントたちは、セレブという現代における幻想的特権意識とは別の、現実に切り刻まれた生を生きます。

今はまだ幻体たちは全員が戦闘へと「総動員」されているわけではありません。総動員と戦争の美学は例えばドイツの作家ユンガーの「忘れえぬ人々」「総動員」「平和」といった作品群(『追悼の政治』月曜社)に見いだすことができます。ユンガーが描いた過去はひょっとすると私たちの未来かもしれない。ユンガーの描いた「ヘリオポリス」(『ヘリオーポリス』全2巻、国書刊行会)というのは、まさにユートピアとディストピアが重なっているような都市でした。

結局のところ、「ゼーガ」において彼らセレブラムがどう勝利し、あるいは敗北するのか、そこに製作者たちの意図を超えた、現代人の無意識的な欲望と展望を見ることができるのではないかと私は思っています。

***

なぜこう長々と月曜社のブログで「ゼーガペイン」のことを書くのかと不思議に思われる人もいるかもしれません。私にとってはこれはれっきとした「仕事場の公開」です。本作りはこうした同時代の文化的事象や出来事と無縁であるはずがなく、私の編集した本は同時代の空気の中で醸成されたものです。私たちは時代とともに生き、時代とともに死ぬのです。

私は「ゼーガペイン」の感想を書いているのではありません。「ゼーガ」に見いだせるような波紋がどこから来てどこへ行くのか、その波紋に連なるであろうこれまでの書物たちと、まだ見ぬこれから生まれる書物たちに呼びかけるために、こうしたメモを公開しています。

「ゼーガ」はまだ「エヴァンゲリオン」のように成功する感じはしませんし、現時点では「ノエイン」のレベルにも達していないように思います。しかし、「ノエイン」は地方枠の深夜放送で、「ゼーガ」は「エヴァ」同様、平日の夕方の放送です(東京では)。ポピュラリティを獲得するためには放送時間帯は重要ではないでしょうか。

マルチチュードとゼーガをつなげるなんてと眉をひそめられる方々もいらっしゃるかもしれません。私はネグリの言った通りのことに忠実であろうとは思っていません。俗流、亜流、おおいに結構。本を作るということはズレを生み出すことです。編集術の醍醐味とはこのズレ=差異をどう扱うかということではないかと思っています。

ですから可能な限りズレ続けること、差異とその運動から色彩を生み出すこと、勘違いを奨励し、勘違いの欲望を肯定すること、一本の糸から複数の糸を作ること、故郷でない場所に自分の居場所を作ること、隔たりを認めつつも遠くにあるものを近くに引き寄せ、高みにあるものを手元へと引き摺り下ろすこと、応用するとなれば大胆に裏切ること、裏切りつつも寄り添うこと、分断されていたものたちを繋げること、区別しつつも分かち合うこと、権力による言葉の簒奪に抗い、言葉を与えること、言葉を分かち合うこと、こうしたことが、単体への進化ではなく群体として生き残り続けるためのサバイバル術としての編集技術だと思っている次第です。そしてその実践をブログではやっているつもりなのです。

以前のエントリー
第9話「ウエットダメージ」より【ネタバレ注意】
第6話「幻体」より【ネタバレ注意】
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by urag | 2006-07-14 22:37 | 雑談 | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 07月 13日

販売証明シール:全国に先駆け福岡で今月よりスタート

「全国書店新聞」06年7月11日号でも報じられましたが、万引による転売撃退のための「販売証明シール」が福岡県下の書店で今月1日から採用されています。これは主にコミックやアイドル写真集、文庫、新書を対象に、それらが購入された際に裏表紙に貼られる直径15ミリのシールで、名づけて「まんぼうシール」というそうです。全国に先駆けて福岡で始まっています。

福岡県書店商業組合、県青少年万引防止連絡協議会、県青少年補導員連絡協議会、福岡県警、県教育委員会など、県をあげての連携で、「リサイクル店もシールの貼っていない商品は買取りしないことにしており、万引き防止と万引きした商品の転売を防いで、万引きを起こさせない環境作りを狙った」とのこと。

徹底しているのは、県の青少年健全育成条例も改正した点です。「新古書店等で未成年者から親の同意なく新刊本などを買い上げた場合は20万円以下の罰金。悪質な場合は免許取り消しという罰則強化が盛り込まれた」そうです。

コミック、文庫、新書はそのポピュラリティとサイズの小ささから万引されやすいですが、都心の大書店が頭を悩ませているのは、いわゆるプロによる高額本の万引です。私が作品社に勤めていた当時、新宿の某書店で『ヘーゲル美学講義』全3巻がごっそり持っていかれるというイヤな出来事がありました。「悪いんだけれど、万引されちゃうから、もう置きたくないんです」と店員さんに言われて、本当に困りました。

似たような大書店では平凡社の『中世思想原典集成』全巻が抜かれるとか、高額な美術書をせっせと手提げ袋に入れていくといったとんでもない事件が、それこそたびたび起きていると耳にします。

むろん大書店には私服の警備員が複数常駐して店内を巡回ていますし、常習犯の情報は店員サイドでは周知されています。それでも万引は起こる。万引されて損をするのは、書店だけです。取次や版元には、たとえ万引されても、売れたものとして代金が支払われる。不条理ですが、それが現実です。

ですから、シールは原則的に購入者の同意が得られるならば、すべての商品に貼ってもいいのではないかと思います。そこまで徹底しないと万引を文字通り「撃退」するまではいかないのではないか。一版元の感想としては、東京でも早期に実施して欲しいものだと思います。一読者の感想としても、シールはやむをえないと思っています。

シールに反対する業界人もおそらくはいることでしょう。シールのない商品が古書市場に一切流れなくなるとしたら、ちょっとした恐慌状態ではあります。自社の仕入モラルに自信のある古書店主にしてみれば、色々と思うところはあるはずです。読者にしてみても、シールという規制で個々人のモラルにまで立ち入られるのは嫌だが、要らなくなった本を処分するのに不便になるのは困る、という風に考える方もいることでしょう。

また一方で、プロの万引常習犯や転売屋がシールを偽造しないとも限らない。書店側にしてもシールを次々と作らねばならないとしたら、その費用はいったいどれくらいになるのでしょう。

さらに言えば、シールなしの商品をオークション・サイトでさばけないこともないでしょうから、オークションまでも規制しない限り、シール運動をもってしても、万引転売は起き続けるでしょう。それに、たとえオークションを規制し転売目的を抑制しえたとして、万引行為そのものはなくならないものと思います。シール運動は将来的にさらに進化せねばなりませんし、単なる規制と管理が人心を変えるものではないことを今一度知らねばなりません。

いずれにせよ、シール運動が福岡をどう変え、その波が全国にどう伝わっていくのか、非常に注目されるところです。え? 業界人のくせに芥川賞や直木賞が決定した話題には触れないのかって? ええ、興味が湧かないね、全く。
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by urag | 2006-07-13 20:47 | 雑談 | Trackback(1) | Comments(0)