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2005年 11月 29日

『現代思想』12月号「1990年代論」に広告を出しました

a0018105_1214233.jpg『現代思想』12月号「特集:1990年代論――規律から管理へ」に、弊社の広告を掲載しました。裏表紙をご覧ください。同特集号には、弊社より『文化=政治』(現在品切)を刊行させていただいた毛利嘉孝さんが、「対抗的九〇年代」という論考を寄せられています。

また『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』の平井玄さんや、『暴力の哲学』の酒井隆史さん、『占領と平和』の道場親信さん、『無産大衆神髄』の山の手緑さんなども寄稿されています。

巻末で告知されている青土社さんの近刊書のなかには、『触れる ジャン=リュック・ナンシー(仮)』(ジャック・デリダ著、松葉祥一ほか訳、税込予価5040円)、『エクラ 音楽の饗宴(仮)』(ピエール・ブーレーズほか著、笠羽映子訳、税込予価3570円)、『アクシデント 事故と文明』(ポール・ヴィリリオ著、小林正巳訳、税込1995円)などがエントリーされています。楽しみですね。
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by urag | 2005-11-29 12:15 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 28日

ウェーバー「破壊と拡散」:プロダクション・ノート(1)

今週中には大方の書店さんが店頭に並び終えているはずの弊社最新刊『破壊と拡散』について、刊行までの道のりをかいつまんでご紹介しようと思います。

サミュエル・ウェーバーの『破壊と拡散』は、「暴力論叢書」の第一弾として刊行されました。この「暴力論叢書」は、実は月曜社の創業(2000年12月)当時からその原型をめぐって思案を重ねていた企画で、五年越しの練磨を経て、ようやくこのたび第一弾を出版する運びとなったのです。

「暴力論叢書」は現代社会においてさまざまなかたちで噴出している〈暴力〉の諸相と変容を根本的に再考するために、月曜社が読者の皆様に提起する新しいシリーズです。デリダ/ハーバーマス以後の未紹介の最重要思想家たちをフィーチャーし、〈9・11〉以後の現代思想の最前線を暴力批判の視点から展望します。

第一期は全5巻を予定しており、ウェーバーのあとには、ヴェルナー・ハーマッハー(ドイツ)、ヘント・ド・フリース(オランダ)、ピーター・フェンヴズ(アメリカ)、ルイ・サラ=モラン(フランス)が続きます。第二期企画もすでに始動していますが、これはまた別の機会に発表させていただくこともあるかと思います。

五年越しの実現と書きましたが、準備中に〈9・11〉が起き、イラク戦争が勃発し、諸国ではナショナリズムと排外主義がいよいよ顕著になるなど、次々に「現実」に企画が追い越されていきました。当初私は、暴力をテーマに海外の思想家に直接書き下ろしを依頼しようと企んでいました。先日「[本]のメルマガ」で書きましたが、海外の書き手と直接コンタクトを取れるチャンスが近年増えてきたこともあり、そうしたこともあるいはチャレンジできたのです。

しかしなにぶん月曜社は創業間もない出版社で実績もなく、直接依頼するための「信用」に足る土台がまだ出来上がっていませんでした。創業当時すでにじかにやりとりすることが可能になっていた著者は複数いましたが、直接発注となるとそれはよりフォーマルな「交渉」になるわけですから、そのテーブルにつくためにも、信用の基盤をまずはどう構築するか、ということを考えました。

企画に大きな進展があったのは、米国同時多発テロ事件のあとの2001年12月でした。

〔以下、プロダクション・ノート(2)へ続きます〕
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by urag | 2005-11-28 20:06 | 人文書既刊 | Trackback | Comments(13)
2005年 11月 27日

今週の注目新刊(第30回:05年11月27日)

記念すべき30回目ですが、月末の多忙につき書目のピックアップのみで失礼いたします。ああ人手が足りない・・・

***

世界の読解可能性
ハンス・ブルーメンベルク著 / 法政大学出版局 / ¥5,775

存在することのシンプルな感覚
ケン・ウィルバー著 / 春秋社 / ¥3,780

エリアーデ仏教事典
Joseph M.Kitagawa〔編〕 / 法蔵館 / ¥12,600

道元
頼住 光子著 / 日本放送出版協会 / ¥1,050

純粋仏教
黒崎 宏著 / 春秋社 / ¥2,415

人生を完全にダメにするための11のレッスン
ドミニク・ノゲーズ著 / 青土社 / ¥2,310

中国の名詩101
井波 律子編 / 新書館 / ¥1,890

中国史重要人物101
井波 律子編 / 新書館 / ¥1,680

ルネサンス
ピーター・バーク〔著〕 / 岩波書店 / ¥2,205

近代という不思議
フレドリック・ジェイムソン著 / こぶし書房 / ¥3,990

オスロからイラクへ
エドワード・W.サイード〔著〕 / みすず書房 / ¥4,725

コンピュータ開発史
大駒 誠一著 / 共立出版 / ¥7,350

***

ブルーメンベルクの『世界の読解可能性』とサイードの『オスロからイラクへ』は特に注目。
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by urag | 2005-11-27 20:41 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 26日

当ブログが「彷書月刊」12月号で紹介されました

a0018105_1621418.jpg編集者でありライターでもある南陀楼綾繁さんが「彷書月刊」で連載されている「ぼくの書サイ徘徊録」で、当ブログのことを紹介してくださいました。記事名「人文書の案内人」(「彷書月刊」12月号)。丹念にブログを読み、また取材もしてくださって、自己紹介ではこうも見事に目配りのきいた形にはまとめられないぞというくらい、魅力的な記事を書いてくださいました。ありがたやありがたや。(H)
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by urag | 2005-11-26 16:23 | 雑談 | Trackback | Comments(1)
2005年 11月 25日

コミュニケーションの変容と出版

11月25日付けの「[本]のメルマガ」232号に以下の文章を寄せました。ブログに転載するにあたって、若干加筆してあります。

***

コミュニケーションの変容と出版

「インターネットは出版を変えたか、という議論がよくされる」――南陀楼綾繁さんはそう書き出している。発売されたばかりの『彷書月刊』12月号に掲載された「ぼくの書サイ徘徊録」(連載第52回「人文書の水先案内人」)である。ほかならないこの号で、南陀楼さんは私の「ウラゲツ☆ブログ」を紹介してくださっているのだが、その冒頭に引用された質問に私はあらためてこう答えようと思う。「少なくとも私にとってはイエスだ」と。

ちょうど今日から店頭発売開始の月曜社の新刊『破壊と拡散』を例にとって、簡単に説明しよう。

本書は「暴力論叢書」という新しいシリーズの第一弾で、著者はサミュエル・ウェーバーというアメリカの学者だ。1940年生まれで、ナンシーやラクー=ラバルトと同世代。アドルノやド・マンに師事しており、デリダの親友だ。著書は70年代からドイツ語と英語で発表しており、非ラカン的なフロイトの読解で知られる。日本語ではこれまでは論文の翻訳が数本あるだけだった。

『破壊と拡散』は日本語版オリジナル編集の本で、著者本人とのEメールのやりとりによって、収録論文が決められた。「日本語版への序文」もメールで依頼し、メールの添付ファイルでもらった。「インターネット以前」だったら、こう簡単にはいかない。

まず、著者と知り合うために、著作権エージェントや大学の研究者に仲介してもらう必要がほとんどなくなった。海外の研究者の多くはEメールを利用していて、彼らの所属する大学側がたいていはメールアドレスや連絡先を公開しているので、ダイレクトに連絡を入れることができる。

以前は仲介してもらうのに手間取ったあとに、時間をかけて手紙のやりとりか、幸運な場合はFAXのやりとりなどもありえたが、今は万事Eメールである。メールアドレスを著者が公開していない場合は、あちらの出版社の編集者と知り合えばいい。「暴力論叢書」を立ち上げるに際しては、当時スタンフォード大学出版にかかわっていたヘレン・ターターさんが親切にしてくださった。

やりとりをした後だったけれど、彼女の名前は別の機会に海外の別の著者からも聞いたりすることがあった。「現代思想」界隈をしっかり掌握しているらしい人脈の広い編集者であるかが私にも仄見えた。彼女は現在はフォーダム大学出版に移籍したようで、手に取る新刊の謝辞に彼女の名前を見つけると、顔も見たことのない相手であるのに、何となく嬉しい。

インターネットの普及によって、私たちはEメールという便利なコミュニケーション・ツールを手に入れた。わざわざそう書くのがわざとらしく間抜けに響くくらいに当たり前になってしまった。海外の著者とダイレクトに、しかも時間をおかずにやりとりできるのは本当に便利だ。昔も電話ならあったじゃないかって? 会話が苦手でも、書き言葉でコニュニケーションできるのだから、昔とはやはり違う。

それに、著者の「書き言葉」には、たとえ単なるメールでもやはりその人なりの「文体」が現れる。「文体」というヴァーチャルな《肉声》を通じて、私は彼あるいは彼女の《生》に接近しつつある自分を経験する。

「インターネット以前」にはおそらく、海外の第一線の研究者や書き手とじかに短時間のうちに知り合い、やりとりができるようになるということは望みえなかったと思う。高名な研究者とそうしたやりとりができるということなど、私自身の能力を考えれば実に身の程知らずだ。しかし身の程知らずでも、わけのわからない直観や情熱で糸を手繰り寄せ、相手に語りかけることはできる。

それは著者に対してだけじゃなく、不特定多数の読者に対しても同じだ。出版社から情報を発信するウェブサイトやブログを通じて、素早くさまざまな情報を提示し、あるいは語りかけたり語りかけられたりする。さまざまな出会いがあり、読者との出会いから仕事も生まれた。

インターネットは出版のためのコミュニケーション力を少なからず変容させた、と私は思う。

そしてもうひとつ言わなければならないのは、インターネットによる世界規模の情報収集の時短化が、自分の出版活動においては大きな恩恵だったということだ。さまざまな情報サイトや各国語のオンライン書店によって、海外の思潮は「インターネット以前」よりも格別に早く、広く、チェックできるようになった。電網を包括的に横断する検索サイトや専門的なメーリングリストなどがなければ、自分の仕事は停滞を余儀なくされるだろう。

ここまで書くとどうも無邪気にしか聞こえないが、便利であることは事実で、私はそれを「無知なりに」大いに活用してきた。もちろん、インターネットの「おかげ」で、ありがたくないこともしばしば起こるし、当然ながらそれは万能ではありえない。

そうしたダーク・サイドを書き出すときりがないし単なる愚痴にしかならないのでやめておく。ただ、いままでリアルな世界ではさまざまな「障壁」があったし、今もあり続けている一方で、オンラインの世界での清濁合わせた「風通しの良さ」が、一出版人としての私にも、一読者としての私にも、「チャンス」として作用したことはやはり否めないだろうと思う。

***

以上です。
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by urag | 2005-11-25 23:18 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 24日

ある書店員さんの死

長いあいだお世話になってきたある書店員さんが50代の若さで亡くなり、今夜はお通夜でした。闘病されていた日々がまるで嘘だったかのような晴れやかなお顔でした。海を渡る蝶のように軽やかに、「一足お先に」と、微笑んでいるように見えました。しかし本当は、どんなにか辛かったことでしょう。合掌、献杯。
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by urag | 2005-11-24 23:41 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 22日

創立五周年記念「月曜社未刊行図書目録」

まだ準備段階ですが、「月曜社未刊行図書目録」を作成しようと思っています。基本的には書店員の皆様にご覧になっていただくための内容のものです。読者の方でご覧になりたい方もいらっしゃるかと思います。どのようなかたちで公開できるか模索しています。(H)
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by urag | 2005-11-22 13:27 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2005年 11月 21日

今週火曜日あたりに訪問者数7万人に達しそうです

04年5月に開設以来、当ブログへの訪問者数がのべ7万人に達しようとしています。キリ番を踏んだ方にはぜひ何かを差し上げたいのですが、当ブログはカウンターがないため、お祭りができないのが残念です。

来月7日には創立満5周年を迎えますし、もしもともに喜びを分かち合ってくださる読者の方がいらっしゃるなら、何かイベントでも出来たらいいのですけれども・・・。

実は、例の公開編集会議を某書店の店内施設で行えたらなあと夢想しています。どうせやるのならば、公共施設の会議室とかではなくて、「本の現場」でやりたいんです。本屋さんで編集会議を公開したい。どこまで実現可能かどうかはわかりませんが、近く某書店に相談にいこうかと思っているのです。(H)
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by urag | 2005-11-21 00:08 | ご挨拶 | Trackback | Comments(4)
2005年 11月 20日

今週の注目新刊(第29回:05年11月20日)

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ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記――1930-1932/1936-1937
ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン著 イルゼ・ゾマヴィラ編 鬼界彰夫訳
講談社  05年11月 本体2,000円 A5判323頁 ISBN4-06-212957-4
■帯文より:真の信仰を希求する魂の記録! 死後42年たって新発見された幻の日記。『論考』から『探究』へ――大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇! "隠された意味" は何か!?
■原書:"Denkbewegungen: Tagebucher 1930-1932, 1936-1937", edited by Ilse Somavilla, Haymon Verlag, 1997.
■目次より:
はじめに(訳者)
編者序
編集ノート
謝辞
凡例
第一部 一九三〇-一九三一
第二部 一九三六-一九三七
コメンタール(編者)
コメンタールで使用された参考文献と略号
人名索引
訳者解説「隠された意味へ――ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記』(MS183)
訳者あとがき

●発見された「日記」はもともとは、ウィトゲンシュタインの姉であるマルガレーテ・ストロンボーが所有していたもので、ウィトゲンシュタインの死後、彼の親友であるコーダー夫妻にゆだねられ、現在はコーダー夫妻の子息と息女が所有しているのだそうです。
●訳者の鬼界さんと言えば、近年見ないほど分厚い新書『ウィトゲンシュタインはこう考えた』(講談社現代新書、2003年)を刊行された研究者の方です。新書執筆中から読み始めていた日記にほれ込んで、今回の出版と相成ったそうです。
●講談社でなければA5判上製本で300頁以上ある学術書をたったの2000円では刊行できないでしょう。見事なブックデザインは古平正義さんによるもの。ジャケ買いもありでしょう。
●ウィトゲンシュタイン(1889-1951)の赤裸々な肉声が読み取れます。プライドの高さを自覚しながらも、「私の頭脳は本当に鈍くしか動かない。残念だ」(1937年4月2日)等とたびたびぼやいています。
●彼は師匠であるラッセルのもとを訪れては野獣のように部屋をぐるぐる回ってああでもないこうでもないと深刻になったり、授業でも何かを教えるというよりは「自分の思索の現場」をそのまま授業にしていたそうですし、全然頭が働かないときは自分のことを馬鹿げていると罵ってしばし授業中に沈黙することもあった、とどこかで読んだ気がします。彼はひとつひとつののことでとことん悩み、とことん考え抜いたからこそ、骨太な思想を残したのではないかと思えます。
●この日記では、人間関係についても率直に語っています。彼は同性愛者だったであろうことが知られていますが、年下の女性への恋心を告白してもいます。
●また、早世した天才肌の哲学者ラムジー(1903-1930)については音楽の趣味で話が合うこともあるが、好きになれない人物だと書いています。「私は何かがはっきりするまで異常なほど長い時間がかかる」(1930年5月1日)と告白するウィトゲンシュタインにとって、年若いラムジーの徹底的に明敏な知性は冷淡なものとして映ったようです。
●彼がラムジー(訳書に『ラムジー哲学論文集』勁草書房がある)と出会ったのは、親友の経済学者ケインズの自宅だったそうです。ケインズと言えば、今月、中公クラシックスの新刊で『貨幣改革論・若き日の信条』が刊行されました。『世界の名著』の焼き直しですが、今後もどんどん再刊してほしいものです。
●ウィトゲンシュタインは経済学者と相性がよかったのでしょうか。ケインズだけでなく、彼はピエロ・スラッファともつきあいがありました。スラッファ(1898-1983)はリカードウ全集の編者であり、グラムシの親友で、ケインズの招きでケンブリッジ大学トリニティ・カレッジにおいて教鞭を執った人物です。ラムジーとも親交があり、『商品による商品の生産』(有斐閣、1962年)の序文には彼への謝辞を認めることができます。同書と『経済学における古典と近代』(有斐閣、1956年)はどちらもオンデマンド版が現在も購入可能です。

エーテル界へのキリストの出現
ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳
アルテ(発行) 星雲社(発売) 05年10月 本体2,000円 46判190頁 ISBN4-434-06973-X
■帯文より:人類は再びキリストを体験できるか? 秘められたキリスト再臨の真相をシュタイナーが解き明かす!

【講説】 理趣経―― 『理趣釈』併録
宮坂宥勝著
四季社 05年10月 本体6,800円 A5判305頁 ISBN4-88405-345-1
■帯文より:宮坂猊下、渾身の講伝。現場で使われる原典を収録。事相、教相両面にまたがる教法を講伝という。『理趣経』は古来唯授一人の秘法とされ、講伝部における教法で伝えられる。
●真言宗で用いられる密教経典のひとつである『理趣経』は、男女の愛の営みが清らかなものであることを説いた教典として認知されている節があるようで、それがかの「立川流」の教えと実践と結びついているわけですが、別に単なる快楽賛美の書ではありません。内面の境地を説いているわけなので、良からぬ動機で本書を購入しても肩透かしを食らうだけです。
●同著者が注釈および現代語訳を手がけた『仏教経典選(8)密教経典』(筑摩書房、1986年)では、「理趣経」および「理趣釈」のほかに「大日経住心品」と「大日経疏(抄録)」が収録されていましたが、長らく入手困難な状態が続いているだけに、本書の刊行は待望されていたものと思われます。ちなみに筑摩書房の『仏教経典選』は全14巻が予告されていましたが、6点が刊行されたのみで途絶。再編集して文庫化したらいいのにと思います。

ルバイヤート――中世ペルシアで生まれた四行詩集
オマル・ハイヤーム著 エドワード・フィッツジェラルド英訳 竹友藻風訳 ロナルド・バルフォア絵
マール社 05年11月 本体1,800円 A5判127頁 ISBN4-8373-0430-3
●中世ペルシア文学の至宝を作家のフィッツジェラルド(1809-1883)が訳し、それを上田敏の弟子筋の高名な英文学者であり詩人である竹友藻風(竹友乕雄:1891-1954)が日本語訳したもの。挿絵を寄せているバルフォアも、有名なイラストレーター。古い訳ですが、十分味わえます。原典に忠実な翻訳を求めている方は他書を当たるといいでしょう。

自然の占有――ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化
ポーラ・フィンドレン著 伊藤博明+石井朗訳
ありな書房 05年11月 本体8,800円 A5判782頁 ISBN4-7566-0588-5
■帯文より:アリストテレスの動物誌を権威/規範とし、プリニウスの博物誌を精読/校訂し、ガレノス/ディオスコリデスの薬学理論を実験/検証する、ルネサンスの収集家アルドロヴァンディからバロックの発明/創出家キルヒャーに至る、イタリアを中心部隊に勃興しつつあった初期近代の西欧科学文化の壮大なるパラダイムを、蒐集と博物学とミュージアム形成を通して追う!
■目次より:
謝辞
プロローグ
第1部 ミュージアムの位置づけ
第1章 「閉ざされた小部屋の中の驚異の世界」
第2部 自然の実験室
第3部 交換の経済学
エピローグ 古いものと新しいもの
原註
文献一覧
解説『自然の占有』の位置づけ
人名/著作名索引

観察者の系譜――視覚空間の変容とモダニティ
ジョナサン・クレーリー著 遠藤知巳訳
以文社 05年11月 本体3,200円 46判309頁 ISBN4-7531-0245-9
■帯文より:〈視覚の近代〉の成立に決定的な役割を果たした〈観察者〉の誕生。身体は、どのように社会的、リビドー的、テクノロジー敵な装置の一要素に組み込まれようとしているのか? 視覚文化の根本に迫る記念碑的名著
●金沢市の出版社で今はなき「十月社」から本書が刊行されたのは97年11月のこと。このたびめでたく再刊されました。先日久しぶりの訳書『知覚の宙吊り』も平凡社から刊行されたばかりです。十月社の高他毅さんはいまどうされているのでしょうか。当時私は作品社営業部にいて、お手紙のやりとりをさせていただいたことがありました・・・。

ニュルンベルク・インタビュー(上・下)
レオン・ゴールデンソーン(1911-)著 ロバート・ジェラトリー編/序文 小林等+高橋早苗+浅岡政子訳
河出書房新社 05年11月 本体各2,400円 46判上380頁/下368頁 ISBN4-309-22440-7/4-309-22441-5
■版元紹介文より:ナチスの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判から六十年。十二名が絞首刑になったこの裁判中に、アメリカの精神科医が三十三名に及ぶナチス幹部の被告や証人に個別インタビューをしていた。初めて明かされる衝撃の声に潜むもの。

ユーゴ内戦後の女たち――その闘いと学び
ドラガナ・ポポヴィッチ+ダニサ・マルコヴィッチ著 北嶋貴美子著
柘植書房新社 05年11月 本体2,000円 46判231頁 ISBN4-8068-0523-8
●ベオグラード大学の獣医学の教員を勤める傍ら、フェミニスト活動家であり、作家でもある著者たちによる論文集で、セルビアの教育とジェンダーをめぐる諸問題を扱っているようです。版元のウェブサイトがなかなか更新されないようでもったいないことです。

チョムスキー、民意と人権を語る
ノーム・チョムスキー著 岡崎玲子=聞き手 鈴木主税=論文翻訳
集英社新書(集英社) 05年11月 本体680円 新書判183頁 ISBN4-08-720319-0
●「レイコ突撃インタビュー」と銘打たれたオリジナル・インタビュー本です。チョムスキーの論考「アメリカによる力の支配」を併録しています。レイコさんというのは、2001年に若干16歳で新書デビューを飾った女性(1985年生まれ)で、『レイコ@チョート校』や『9・11ジェネレーション』(いずれも集英社新書)をすでに刊行しています。

以上です。(H)
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by urag | 2005-11-20 21:10 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2005年 11月 19日

レヴィナス『全体性と無限』の新訳が岩波文庫から

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エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)の主著である『全体性と無限』の新訳が岩波文庫から全2巻で刊行されます。今月、まず上巻が発売されました。

全体性と無限(上)――外部性をめぐる試論
レヴィナス著 熊野純彦(1958-)訳
岩波文庫(岩波書店) 05年11月 本体940円 文庫判462頁 ISBN4-00-336911-4
■カバー紹介文より:第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者の主著。フッサールとハイデガーに学んだレヴィナス(1906-1995)は、西欧哲学を支配する「全体性」の概念を拒否し、「全体性」にけっして包み込まれることのない「無限」を思考した。暴力の時代のただなかで、その超克の可能性を探り続けた哲学的探求は、現象学の新たな展開を告げるものとなる。(全2冊)

原書が刊行されたのは1961年。合田正人(1957-)さんによる同書の翻訳『全体性と無限――外部性についての試論』が国文社から刊行されたのが1989年でした。爾来ロングセラーを続けている本書ですが、このたび新訳の文庫が出て、私がリブロ池袋店で発売日翌日に購入した時には、うずたかく積まれている文庫新刊の平台の中でたった2冊しか残っていない状況でした。隣に積んである同岩波文庫の新刊、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』がまだたくさん残っていました。

難解をもって鳴るレヴィナスの著書ですから、もとより覚悟しなければなりませんが、もし文庫だけを買おうという方がいらっしゃいましたら、国文社版も同時に購入されることをお奨めします。どちらかの翻訳で意味がよく分からない箇所があったら、他方を読んでみるのです。

それでも分からない場合は原書や他言語訳(たとえばアルフォンソ・リンギスによる英訳)を参照するとよいのですが、当面は二つの翻訳を読み比べながら、それらを統合して自分にとってのベストの翻訳を脳裏に思い浮かべるのも、一興です。

ご参考までに、序文の冒頭を比較してみましょう。

熊野訳:
 私たちは道徳によって欺かれてはいないだろうか。それを知ることこそがもっとも重要であることについては、たやすく同意がえられることだろう。
 聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである。そうであるなら、聡明さは、戦争の可能性が永続することを見てとるところにあるのではないか。戦争状態によって道徳は宙づりにされてしまう。戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永遠性が剥ぎとられ、かくて無条件な命法すら暫定的に無効となるのである。

合田訳:
 何よりも重要なのは、道徳の詐術にわれわれが欺かれていないかどうか、それを知ることである。こう言えば、誰もがためらうことなく同意するであろう。だが、なぜ道徳はかくも軽んじられているのか。その理由を考えてみよう。
 真実に対して精神が眼を塞がないこと、それが明晰さであるとするなら、いつ起こるかもしれない戦争の可能性を見て取ることがかかる明晰さの本義であろう。戦争状態は道徳を一時中断する。戦争状態は永続的なものと思われていた諸制度や責務からその永遠性を剥ぎ取り、それによって、数々の絶対的な責務を一時的に無効ならしめる。

こうして読み比べてみると、原文や他言語訳がどうなっているのか、気になりませんか。紀伊國屋書店やジュンク堂書店、丸善など、人文系の洋書の扱いがある書店では、原書が廉価なペーパーバック版で手に入りますから、どうぞこの機会に。リンギスの英訳本のペーパーバックは、アマゾン・ジャパンなどでも購入できます。

文庫本、単行本、洋書は、売場が通常異なっていますから、三つの売場を渡り歩いてこれらを捜さなければなりません。これらをすべて並べて販売している、という書店さんがいらっしゃいましたら、どうぞお知らせください(売場の「証拠写真」などあるとうれしいです)。宣伝させていただきます。なお書店員さんの自家撮りではなく、一読者の方が売場を撮影される場合は、お店側の許可が必要になりますから、どうぞご注意ください。

来月には、西谷修(1950-)さん訳の『実存から実存者へ』が、ちくま学芸文庫から発売される予定だそうです。本書はつい最近まで講談社学術文庫に収録されていましたが、このたびお引越しのようで。筑摩書房さんにはこの際、ぜひ合田正人さんの『レヴィナス――存在の革命へ向けて 』(ちくま学芸文庫)を重版していただきたいものです。

レヴィナスはたしかに難解ですが、学者さんのみが親しんでいるわけではありません。たとえば内田樹さんは『観念に到来する神について』(国文社、1997年)の「訳者あとがき」で次のように書かれています。

 どういう人たちがレヴィナスの本を買い、どういう個人的課題とのかかわりでレヴィナスを読んでいるのか、私はほとんど知るところがない。しかしまれに「市井のレヴィナシアン」と出会うことがある。そういう人たちと話していると、レヴィナスの思想が私たちの時代の、私たちの生き方に切実なかかわりをもっていることが実感できる。もちろんその人たちは哲学の専門家でもないし、難しいフランス語も読めないし、レヴィナスについての知識を知的威信のカードとして使う機会もない。ある種の内的な渇望が彼らをレヴィナスに向かわせている。本書はそのような読者のための訳書であることをこころがけた。

内田さんによる抄訳で1985年9月に国文社から出版された『困難な自由――ユダヤ教についての試論』の改訳版が準備されていることは皆さんご承知の通りです。今回は抄訳ではなく全訳と聞きます。長らく古書市場でもめったに見かけず高額になっていますから、若い読者は待ち望んでいることでしょう。(H)

追記:11月21日

当ブログの読者の方から「内田訳の出版計画は中絶したのではなかったか」とのご指摘がありました。たしかに、内田さんご本人の04年5月12日の日記(「内田樹の研究室」)にはこう書いてあります。

【引用開始】

家にもどってから、『困難な自由』のことを考える。

訳稿はできあがったのだが、翻訳権を取り損なってしまったのである。

翻訳権がないんじゃ、本は出せない。

ふつうは訳者にオッファーするときに翻訳権も取得するのであるが、訳者が私のようにでれでれ何年も訳稿を遅らせると、その間のライツの更新料も些少ではないので、あまり財政的に余裕のない出版社の場合は、ぎりぎりまで翻訳権を取得しないということがある。

今回はそれが裏目に出て、いざ出版という段になって、翻訳権がよその出版社にいっていたことがわかったのである。

七年越しの仕事が反古になりそうでだが、まあ、世の中そういうこともある。

レヴィナスの翻訳はそれ自体が私にとっては勉学と愉悦の経験であるから、それが最終的に本のかたちにならなくても、別によいのである。

ただ、ウチダ訳『困難な自由』を期待していた全国29人のファンの方には申し訳ないことをした。

ウチダ私訳をぜひ読みたいという人には、ファイルを個人的にお送りするという手もある。
有料頒布ではないのだから、べつにコピーライツには抵触しないと思うけれど、正規の翻訳権をとっていま翻訳をしている方にたいしてはある種の営業妨害でもある。
出版の「仁義」を考慮すると、やはり誰にも見せずに、このまま闇から闇へ葬り去られるのが、わが訳稿の宿命なのかもしれない。

なんだか気の毒だけれど、しかたがない。

【引用終了】

たしかにこの約一年半前の日記を拝見すると、訳稿はできあがったのに、某社では出版できなくなった、ということになっています。しかし、内田訳が今後も絶対に出版されなくなったわけではないと私は思っています。たとえば単行本の契約を他社が取得していたとしても、文庫化する契約は別途に結べるはずなのです(単行本の版権契約と文庫本の版権契約は別)。

とすると、読者の待望する声が高まれば、どこか別の版元が文庫化に踏み切るかもしれない。内田さんの昨今の人気を考えると、そうしたことがいつの日か実現しないとも限りません。残念ながら月曜社は文庫をつくっていませんから名乗り出たくても現在は無理なのですが、たとえばあんな版元やこんな版元の名前が浮かびます。

ですから、正確には改訳版が準備されて「いる」ではなく、「いた」と書くべきでしたけれども、私にはまだすべてが終わったようには思えないのです。

ちなみに他社から出版されるらしい新訳・全訳については詳細は私は知りません。(H)
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by urag | 2005-11-19 15:54 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(4)