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2017年 07月 20日

ハーマッハー追悼「D’avec ──ヴェルナー・ハーマッハーから/とともに」(宮﨑裕助)

D’avec ──ヴェルナー・ハーマッハーから/とともに
宮﨑裕助

 ヴェルナー・ハーマッハーが逝った。69歳であったからまだそんな年齢ではない。自分にとって氏は、同時代に存在し思考しているということ自体が励みになるような数少ない人々のひとりであった。あまりに唐突な死に、いまだどう受け止めてよいかわからないでいる。

 ハーマッハーとの出会い……それはテクストを通じてだった。大学院の修士課程の頃だっただろうか、私は、デリダの『法の力』を通じてベンヤミンの「暴力批判論」に次第に取り憑かれるようになっていた。「暴力批判論」はきわめて難解なテクストであり、当時の自分には到底太刀打ちできる代物ではなかったが、さまざまな註釈や解説を漁っているうちに出くわしたのが、ハーマッハーの「アフォーマティヴ、ストライキ」であった。

 この論文は、ベンヤミンのいう「神的暴力」を、あらゆる(法の)措定に内在する「純粋暴力」へと練り上げ直すことで『暴力批判論』を再読するという試みである。ハーマッハーは、「純粋暴力」の概念を「廃棄(Entsetzung 脱措定)の論理」において再定義し、国家権力を措定する暴力を中断し休止させる契機のうちに、真の革命的瞬間としての「アフォーマティヴ(afformativ)」の働きを見出す。「アフォーマティヴ」は、ハーマッハーが「パフォーマティヴ」という言語行為論の用語と区別すべく案出した造語だが、この語をベンヤミンのテクストの行間に読まれるべきものとして抽出しその余白に書き込むことにより、ハーマッハーは『暴力批判論』のうちに「超越論的ストライキ」の理論を解明するにいたるのである。

 これは、デリダの『法の力』第二部をなす「暴力批判論」読解と同じ雑誌に掲載されていた。デリダの読解がおおむねテクストの進行に沿った註釈であるのに対して、ハーマッハーの読解はベンヤミンの思考と言葉ひとつひとつの振幅からテクストの行間そのものを先取りして再構成したかのようなものとなっている。それは、当のテクストが明示するはずだったができなかった可能性を余すところなく展開しているようにみえた。要するに、デリダの代補的読解とは対照的に、ハーマッハーの読解は、たんなる代補たることにとどまらず、まさしくすべてを焼き尽くす思考の灰として謎めきつつ残っているベンヤミンのテクストに肉薄し、その焔を再演するかのように思われたのであった。

 いまとなってはハーマッハーがベンヤミンの読み手として世界で最高峰のひとりであることに疑いの余地はない。あとでわかったことだが、デリダのベンヤミン論も傍らにハーマッハーのような傑出した読み手がいてこそ産み出されたのであり、親しい友人であったジャン=リュック・ナンシーやジョルジョ・アガンベンにとってもハーマッハーの読みの仕方は一目置かれていた(ハーマッハーのツェラン論は珍しくもナンシーによって仏訳されている)。

 2002年のジャン=リュック・ナンシー・コロキウムでは、デリダとナンシーの有名な丁々発止の対談(「責任──来るべき意味について」)がメインイヴェントであったが、メシアニズムなどの繊細な話題の要所要所で彼らがハーマッハーに遠巻きに合図をしながら話を進めていたのを思い出す。あるいは、デリダ『マルクスの亡霊たち』の論文集にハーマッハーは寄稿しているのだが、論文集の最後でそれらに応答しているデリダ自身はといえば、自分のテクストの射程を見事に取り出し新たに展開しているハーマッハーの読解には返答なしに讃嘆することしかできないと述べていたのが印象的だった(ちなみにデリダは、テリー・イーグルトンのあまりに杜撰な読みに対してもハーマッハーとは正反対の意味でやり過ごしたのだったが。なお、デリダの応答は『マルクスと息子たち』として邦訳されている)。

 ハーマッハーの驚嘆すべき読解の重要な導き手として、ポール・ド・マンがいることもあとから知るようになった。ド・マンの死後直後に発表したハーマッハーのあるテクスト(「文学的出来事の歴史と現象的出来事の歴史とのいくつかの違いについて」)では、直接ド・マンに言及しているわけではないが、読み進めているうちに、ハーマッハーの企図と語彙がド・マンの『美学イデオロギー』のそれに驚くほど一致していることに気づいた。本人にそのことをメールで書き送ってみたところ、否定されることはなく、といってド・マンとの関係を明らかにしてくれたわけでもなかったが、返事の文面からは地理的にも文化的にも遠く離れた一人の日本人がなぜここまで細かく読んでいるのかを知って喜んでいるようにも思われた。いま思えば、もっと図々しくド・マンとのかかわりを質問しておくべきだったと悔やまれる。

 残念ながら、私自身はハーマッハーに直接教わる機会には恵まれず、近年は断続的にメールのやりとりをするだけであった。今年の3月の末突然氏からメールが届いて驚いたことがあった。そこには、長年かけて何度か書き継がれてきたジャン=リュック・ナンシー論(氏はこれを書物にまとめる予定だった)の最新部分が添付されてあった。翌月4月にナンシーが来日するというタイミングだった。

 タイトルは「D’AVEC──ジャン=リュック・ナンシーにおける変異と無言」。元は2015年のジャン=リュック・ナンシーを囲むコロキウムでの発表原稿だが、改稿につぐ改稿を経て、最近ようやく書き上げたのでぜひ日本語で紹介してほしいと添えられてあった。

 このようなことは初めてであった。こちらの求めに応じてテクストを送ってもらったことはあるが、なぜ直接の教え子でもない私に氏のほうからこのような申し出をしてきたのかはわからない。とくに深い意味はないのかもしれない。私は、最新のテクストを送ってもらったことに感謝の念を書き添えつつ、なんとか紹介できるよう手を打ちたいと返事をした。いま思えば、氏はひょっとするとみずからの死期が近いことを予感していたのかもしれない。熱心な読者には少しでも早く、大事なテクストを送り届けておいたほうがよい──そのような希望が託されていたのかもしれない……。

 タイトルの「d’avec」はフランス語を知る者なら一見して奇妙な言葉であることに気づくだろう。この言葉自体は「~からの(差異)」や「~とは(異なる)」の意味をもつ前置詞の一種として、二つのものを距てる相違を記しづける語である。しかしこの語にあっては、なぜ「de」が、その反対の意味をもつ「avec」(~とともに)と結びついているのだろうか。

 この語は、まさに「de」と「avec」の合成からなることで、いわば「距たりにおける共存」を示唆している。これは奇しくもハーマッハーのテクスト、あるいはテクストそのもののありかたを告げ知らせているように思われてならない。ナンシーの有名な概念に「partage」という分割と共有の両方の意味を併せもつ言葉があるが、「d’avec」はまさにそのようにテクストから距てられてあることで、私たちは「ともに」に結びついているのだと示すのである。

 人々を分かつ死もまたそのような距たりなのかもしれない。テクストとは死後に、死を超えてなお読まれ続けることをその本性としている。テクストの構造そのものに宿る死の契機はまさに死者とともに生きるための条件であり、そのような条件のもとでこそ遺された者たちもまた互いに結びつき生き延びるのだということを、この「d’avec」は合図している。

 いまや、ハーマッハーの遺した数多くの素晴らしいテクストとの対話を再開すべきであろう。だがその前に、というより前に進むためにこそ、しばらくはまだ、自分に差し向けられながら遺作となってしまったテクストとともに、この言葉をただ心の奥で反響するがままにしておきたい。D’avec Werner Hamacher...

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One 2 many “Ent-fernungen” !」(増田靖彦)2017年7月17日

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by urag | 2017-07-20 11:02 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 17日

ハーマッハー追悼「One 2 many “Ent-fernungen” !」(増田靖彦)

One 2 many “Ent-fernungen” !
増田靖彦

鋭利かつ精緻、しかも強靭でたゆまざるハーマッハーの思考の営みが、こんなにも早く途切れてしまったのは本当に残念です。『他自律――多文化主義批判のために』(拙訳、月曜社、2007年)は、昨今の世界にはびこる文化の単一性や同質性を排他的に希求する傾向に対して、そうした試みの虚構性や欺瞞を暴き出した小著です。その主眼は、個々の文化が、これまでも、いまも、そしてこれからも、多様性や異質性においてのみ存立しうるということに注がれています。ただし、多様性や異質性といっても、それは、単に他の文化と共存しているという意味ではありません。そうではなく、個々の文化には自らを動揺させ、解体し、再形成に誘う働きが潜在しており、そうした働きとの連関においてしか、個々の文化はそれとして存立しえないという意味です。アフォーマティヴと命名されたこの働きは、デリダの憑在論やアガンベンの潜勢力と共鳴するのみならず、ドゥルーズ/ガタリの機械論にも通底する理論的射程をもち、現行の資本主義や民主主義への批判の倫理的手掛かりを与えています。ナンシーやラクー=ラバルトが敬意を惜しまなかったことにも示唆されているように、ハーマッハーの思考の営みは、時間の経過に伴い色褪せていくどころか、その逆に、絶えざる知的刺激をいや増しにして読者に迫ってくるでしょう。それをどのように読み継いでいくのかは、ひとえに私たちにかかっています。

個人的な思い出を申し添えさせてください。必ずしも適切な訳者でなかったかもしれない――常にそうした危惧を抱きつつ『他自律』を翻訳していました。というのも、近現代フランスの哲学思想を専門とする研究者である私が『他自律』の翻訳に取り組むことになったのは、「訳者あとがき」に記したように、偶然の連鎖によるところが大きかったからです。訳出に際して何度も困難に直面し、そのつどハーマッハーさんにご教示を乞いました。そんな不肖な訳者に、ハーマッハーさんはいつも懇切丁寧に説明してくれました。質疑応答はメールで、しかも事柄の性質上、訳者から連絡して開始されます。そうした状況にもかかわらず、ハーマッハーさんは大抵の場合、私からの質問に対して三日以内に解答を寄せてくれました。返信が遅れたときは、その理由とお詫びの言葉が添えられていて、かえってこちらが恐縮してしまったほどです。そのようにしてやりとりを続けるうち、私はしだいにハーマッハーさんから個人的な、そしてまさしくent-ferntな授業を受けている感覚を抱くようになっていきました。とても学ぶことの多い充実したひとときでした。そのような濃密な時間を過ごさせていただいたことに衷心より感謝の言葉を贈らせていただきます。ハーマッハーさん、本当にありがとうございました。

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by urag | 2017-07-17 07:17 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2017年 02月 20日

松江泰治インタビュー「Hashimaのころ」公開

2月16日取次搬入済新刊、松江泰治写真集『Hashima』をめぐり、弊社編集部が松江泰治さんにインタビューした「Hashimaのころ」をPDFで公開します。写真集には収録していない貴重な一問一答です。

 Q――なぜHashimaに行こうと思った?

松江――写真は旅なんだよ。10歳の頃から日本中を旅していた。14歳の夏には46都道府県を制覇し、九州や北海道は毎年のように行っていた。東京から夜行列車を乗り継いで、最果ての地が九州や北海道。当時惹かれたのは、古く寂れた街、工業地帯、運河、そして炭坑や廃鉱など。印象深かったのは、古い小樽の街だな。1980年代初めの小樽は、廃倉庫や工場と運河の寂れた街、それに夕張の炭住(炭坑住宅)や空知炭砿などを撮っていた。

1983年の夏に九州を旅して、筑豊の廃坑などを撮りながら、佐世保、長崎に辿り着いた。軍艦島を見てみよう、と近くまで行ったら、渡ることが出来た。軍艦島を目指していないのに、行けてしまった。目指していないのに撮ることが出来た。情報の少ない時代には、夢のような事がよく起こるんだ。調べる手段がない分を、体当たりで補っていたのだろう。

『Hashima』の最初の3枚は、島に渡る前日の夕方の光景だ。4、5枚目の写真は、当日の早朝の船から。つまりこの写真集は旅のドキュメントなんだ。

『Hashima』の構成は、ほぼ時系列になっている。まず学校の脇に上陸して、学校を巡り、島全体を探検して、最後の写真は夕方の帰りの船から、島を離れるところ。24時間の記録。

・・・続きはPDFでお読みいただけます。

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by urag | 2017-02-20 11:57 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 24日

ルソー『化学教程』連載第12回

ルソー『化学教程』連載第12回をまもなく月曜社ウェブサイトで公開します。

第一部 第三章 物体の凝着原理と物体の透明原理について

1 〔A:33, F:43, C:86〕自然のあらゆる現象を説明するために実に多くの努力をなしてきた哲学者たちは、万物にもっとも普遍的に備わっているもの、かつまずもって説明すべきであろうものについて理に適った仕方で語ることなどかつてなかった。私が言っているのは、各物体の諸部分の凝着cohésionである。例えば、それは一定量の金化粒子corpuscules aurifiques(1)から一つの金の塊を作るような働き〔操作opération〕のことである。ある物体の諸部分が絶対的静止repos absolu(2)の状態にあるとき、〔C:37〕これらの部分が凝着することはありえないという説に基づいて、凝着原理は運動であるとライプニッツは主張した。この静止や運動という言葉でライプニッツはいったい何を言わんとしていたのだろうか。ペリパトス派の形相、デカルトの微細な物質matière subtile、ニュートンの引力ですら、凝着原理の説明としては不十分な仮説のように私には思われる。物質が持つこの〔普遍的な〕特性について無意味な断定を企てる前に、原質の粒子corpuscules Principesの形象とあらゆる性質をよく知っておかなければならないし、その粒子の表面同士が接触する場合どのような種類の接触がありうるのか、また粒子同士の関係や差異が何であるかをよく知っておかなければならない。〔A:34〕動植物といった有機体に関して言えば、有機体の部分的構造、すなわち繊維や脈管のお陰で、〔凝着原理という〕難問にぶつからずに済むとも言える。脈管や繊維はひとつの組織によって支配されており、この組織はそれらからまとまりcohérenceを形成するのである。しかし、〔F:44〕〔有機体のまとまりを持ちつつ〕最も硬いものでもある採掘物〔化石〕corps fossilesや、接着appositionによってしかその部分が結合しない石や金属に対しては、〔動植物のと〕同じような説明はまったく通用しない。他方で、水やその他の液体はその部分同士がまったく無媒介に結合しており、このことは液体の透明さtransparenceが示している。こういった水やその他の液体が流動的であるということは、両者の部分の結合が組織に由来するものではないということを明示している。

(1)物質は粒子から成るという粒子論の議論をルソーは引き合いに出している。ゆえに、金化粒子は金の微小物質というよりは凝着により物質としての金に成る粒子のことを意味する。

(2)「自然的には実体は活動なしにはあり得ず、運動していない物体さえも決してありはしない、と私は主張するのである。経験も既に私に味方しているし、このことを納得するには、絶対的静止に反対して書かれたボイル氏の著作を参照しさえすれば事足りる。けれども、〔絶対的静止に反対する〕理由はまだ他にもあると私は思うし、〔その理由は〕私が原子論を破るために用いる証明の一つなのである」(ライプニッツ『人間知性新論』米山優訳、みすず書房、1987年、9頁)。

2 だが、かりに〔物体の〕部分間の完全な接着が物体のまとまりや安定性を生み出すと仮定してみよう。〔例えば〕二つの大理石の塊が、研磨され完璧に平らになった表面同士でくっつけられると、両者はひとつの大理石となり、まさにひと塊の大理石を形づくることになるだろう。大理石の表面のすべての部分一つひとつが接し合うのに必要な十分に研磨された平面を大理石に与えることができた場合、その結果として大理石がひとつにまとまるということが成立するのである。これは何人かの哲学者が大胆にも主張したことでもある。しかしながら、これこそ「経験に仇なすchicaner contre l’expérience」と言うべきものではないだろうか。今度は、どれだけ各々の部分が隣接しているかに比例して大理石の一体性が増してゆくと仮定してみよう。〔この場合〕たとえ〔隣接する〕研磨面が不十分であるとしても、つねに相当数の接点を二つの大理石が持つことで、分割に対するかなりの抵抗力をこの大理石は持ったと見なすべきであろうか。〔C:88〕しかし、経験によれば、この〔隣接数に由来する〕抵抗力は二つの大理石それぞれが持つ固有の重さから生じる抵抗力〔引力〕を超えることはない。

・・・続きは月曜社ウェブサイトで近日公開いたします。
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by urag | 2016-11-24 15:40 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(1)
2016年 05月 09日

ルソー『化学教程』連載第11回

ルソー『化学教程』第十一回:第一部第一編「物体の諸要素とそれらの構成について」第一章「物質の原質について」(続き)

34 私たちがスイギン土terre mercurielleと呼ぶ第三の原質に関して言えば、それは依然としてまったく知られておらず、多くの人びとはその存在を認めていない。以下は、ベッヒャーが伝えるその原質についての知識である。

35 先の二つの原質〔ガラス化土と燃素土すなわちフロギストン〕と混ぜ合わされることで、第三の原質はこれらの三つ原質からできる物質の種類を決定する。このような第三の原質が存在するということを人びとは疑うことができない。というのも、鉱物界の生成について限って言えば、私たちが明らかにするように、半透明の石は第一と第二の土から形成されていることは確かであり(1)、不透明の石に関して言えば、その不透明さ、形状、そして石の状態を生み出す第三の土がその石の中には必ずや存在しなければならないからである(2)。[A:24]金属についても〔スイギン土がその種類を決定するということは〕同じである。なぜなら、金属が先の二種類の土から受け取った色彩と可融性に加えて、第三の原質からしか引き出せないような展性と金属的光沢をも金属は有しているからである。類比関係から、同様の原質はその他の二つの界〔動物界、植物界〕の中にも存在するはずである。事実、不揮発性のエンが結晶化の中でとる規則的な形状はいったい何に由来するというのか。また揮発性のエンの植物の形状はいったい何に由来するというのか。ニガヨモギやモミの木材(3)に見られるように、揮発性のエンは植物の形状をときおりきわめて明瞭に呈する。この第三の土は俗に言う水銀の混合物の中にそれなりの量が含まれており、そのために何人かの化学者たちはこの土に水銀という名称を性急にも当ててしまった。この第三の土はむしろスイギン土と呼ぶべきである。というのも第一に、[C:79]第三の土を含む[F:32]あらゆる物体から液体の水銀を抽出できるということは誤りであるからだ。そもそも、水銀というもの自体が他の原質から成るひとつの混合物ではないだろうか? こうして、強い揮発性を有する(4)という理由でだけで、実に不適切にも、この第三の土は水銀と呼ばれるようになってしまったのである。第三の土は揮発性を有するがゆえに、例えば〔すでにこの土を含んでいる〕何らかの金属にこの土を余分に結合させてみると、この金属は揮発性および流動性という水銀の形態を有するようになる。そして火の助けを借りて金属を凝固することでしか、その金属を再び硬化させることはもはやできないのである。ベッヒャーは、この土がヘルモントやパラケルススの有名なアルカエストalcahest(5)以外の何ものでもないという意見に与しており、あたかも自分がよく知っているものであるかのようにこの液体について語っている。そのアルカエストが持つ強い浸透力pénétration〔という性質〕に魅せられたベッヒャーは、うかつにもこの性質を確かめようと骨を折ることになったのである。上記の化学者たちの主張では、このアルカエストが普遍溶媒dissolvant universelであると知られている。しかしながら、ベッヒャーはこの普遍溶媒と通常の溶媒dissolvants ordinairesを区別した。なぜならば、〔普遍溶媒である〕アルカエストはひとつの物体の部分を分割し、それらを[A:25]把握できないほど細かくすることしかしないのに対して、後者の通常の溶媒は溶解した物体と結合するからである。こうして、この〔普遍溶媒に浸した〕諸部分はその自然の状態état naturel〔=静止〕(6)にしておくと時間とともに沈殿する。もっとも重い部分から沈殿してゆき、そしてもっとも軽いものが沈殿する。これは合金を分離する方法である。というのも、例えば金は他の金属よりも先に沈殿するからである。

続きは・・・特設サイトで公開中。
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by urag | 2016-05-09 17:19 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2016年 04月 22日

ルソー『化学教程』連載第10回

『化学教程』第一部
第一編 物体の諸要素とそれらの構成について
第一章 物質の原質について(続き)

29 ベッヒャーの語るこの実験を彼が行ったという証拠を、私たちはまったく持っていない。そうすると彼が実験をしなかったという証拠も私たちは持っていないことになるが、これは確かなことである。このような疑惑のうちにあって、もし〔彼の証言の〕真実らしさを示してくれるいくばくかの可能性が見出せるのであれば、ベッヒャーのこの証言は何らかの重要性をきっと持つだろう。ところで、三界には〔物体の〕要素となる原質principes matérielsがあり、これらの原質同士はしばしば類比の関係によって秩序づけられている。私があとで示すように、このような類比関係から推測して、私たちはベッヒャーの証言をともかくも妥当なものと認めることができる(1)。もっと言えば、ベッヒャーが本当に実験を行ったと仮定した上で、もし三界の諸原質が同じ性質を持ち、かつそれらが同じ効果を生み出すならば、三界の諸原質の間には、問題となっている類比どころか完全な同一性を容易に認めえる、とまで私は言いたい。そして、人々もこの同一性を認めざるをえないだろう。まず動植物について言えば、〔それらに含まれる原質同士の〕同一性は明らかである。というのも、動物の物質は植物の物質になるからであり、その逆もまた然りであるからだ。鉱物と植物についても、〔両者に含まれる原質が同一であることは〕同じように明らかである。というのも、植物に含まれるエン、土あるいはアルカリ基体base alcalineは、地中から引き出される岩エンや〔エン〕基体と全体的によく似ており、このことは〔鉱物と植物の〕エンが同じ原質、とりわけ同じガラス化土から構成されているということを示しているからである。[A:19]ベッヒャーが各界のガラスの中に見出したと称する固有の色について言えば、こういった色は私にとって依然として何よりもまして胡散臭いものである。[F:27]植物の灰から作られたガラスの緑色からは、動物界のガラスverre animalに見出せる肉体の色を連想することはできないのではないかと私はだいぶ怪訝に思っている。そもそもこれらのガラスを構成する物質の混合の違いこそが色の違いを生み出す原因なのである。ただしガラス化原質principe vitrifiableはどの物質においても同じものである。この物質〔ガラス化原質〕に関するシュタール氏の説明に関しては、いずれもっと詳しく見てみることにしよう。

(1)ルソーの余白書込:エナメルは羊の骨によって作られる。すなわち、凹面鏡を用いて動物の骨をガラス化させることによって作られる。
 仕事の苦労を伝える「人骨は陶器の中に含まれる成分のひとつである」という日本の諺の起源をさかのぼることも無駄ではないだろう。
 余白書込に関する訳注:手稿の形式上、この余白の書込に関して二つの問題がある。第一の問題は、エナメルに関するこの書込が本文のどこにかかっているかである。手稿を見る限り、ルソーは本文を書いた後、しばらく経ってこの書込を行っている(本文とインクの色が違う)。第二の問題は、書込を挿入するための記号が本文中にないことである。したがって、内容からこの書込が注の役割を果たす箇所を推測しなければならない。訳者は、ガラス化に関する実験を伝えるベッヒャーの証言についてルソー本人が検討している文章全体に対応すると考える。というのも、動物の骨を燃やすこことによってエナメルが得られるという事実は、ベッヒャーの言う三界に共通して存在するガラス化土の存在の可能性を示唆するからである。よって、この位置にルソーが注をつけたと推測した。
 次に言及すべきは注の内容的問題である。ルソーがここで「エナメル」とみなしているものは陶磁器に用いられる釉薬(陶磁器にガラス状の表面を作る上薬)であり、それは凹面鏡を使って太陽光線を集めその熱で羊の骨を燃やし、灰にすることによって得られるもののようである。ちなみに『化学教程』から40年後に出版された年刊学術雑誌『自然学、博物誌、技芸に関する考察』第31巻には、石灰化させ熱湯で洗った「羊の骨」を長時間火にかけることによって白色のエナメル物質が得られる実験が記録されている(Observations sur la physique, sur l’histoire naturelle et sur les arts, t. XXXI, Paris, Bureau du Journal de Physique, 1787, p. 129)。この釉薬に関する書込からも分かるように、ルソーの伝える「ガラス化vitrification」とは、ある物体が燃焼し、その物体に含まれているガラス化土が流出して透明な皮膜が作られる過程のことである。
 ルソーは「羊の骨」の釉薬の問題から、陶磁器の製法に関する日本の諺を紹介している。この諺とほぼ同一の文がケンペル(Engelbert Kæmpfer, 1651-1716)の『日本誌』仏訳に出てくる(Kæmpfer, Histoire du japon, livre V, chap. III, t. II, La Haye, P. Gosse & J. Neaulme, 1729, p. 168)。すなわち、「人骨は陶器の中に含まれる成分である les os humains sont des ingrédients qui entrent dans la Porcelaine」という諺である。おそらく、ルソーはこの仏訳を参照してこの注を執筆したと考えられる。『日本誌』で話題となっているのは、志田焼用の粘土を白くするための〈骨折りな仕事〉であり、これは骨灰を使って白い磁器を作る際に人骨が用いられているのではないかというヨーロッパにおける日本のイメージが背景にある。この〈骨折りな仕事〉のことを、ルソーは動物の骨をガラス化させるという困難な作業のことと考えており、このガラス化の難しさが元となって、問題の諺ができたのではないかと考えているようである。
 以下では、『日本誌』邦訳の(1779年に刊行されたドイツ語版を底本とし、『江戸参府旅行日記』と題され抄訳となっている)当該箇所を引用しておく。「さて、われわれはさらに半時間進んで、嬉野のもう一方の地区を過ぎ、さらに二時間、(左手に人家の続くところを通り過ぎて)塩田村に着き、そこで昼食をとった。/この土地では粘土で作った非常に大きな一種の壺が焼かれ、ハンブルクの壺と同じように、水瓶として使われている。/ヨーロッパの人々の間では、マルタン〔ビルマのマルタバン湾に臨む同名の街をいうか〕という国名からマルトアンという名で呼ばれていて、同地〔引用者注:マルタン〕でたくさん作られ、インド中に売られるのである。塩田からは、果てしない平野を東方へと流れ島原湾に注ぐちょうどよい川があるので、これらの壺は舟で運ばれ、他の地方に送られる。/この地方や嬉野,それに続く丘陵、さらに肥前国の至る所の丘や山の多くの場所で見つけられる油っこい白土から、日本の陶器が作られる。この土はそれ自体かたくてきれいであるが、しきりにこねたり引きちぎったり、混ざりものを除いてはじめて完全に加工される。それゆえ、美しい陶器を作るには「骨が折れる」という諺が生まれた」(ケンペル『江戸参府旅行日記』齋藤信訳、東洋文庫/平凡社、1977年、84頁)。
 上記の「骨が折れる」という訳文は、底本であるドイツ語版の「美しい陶器を作るには人骨が必要である」という文の意訳であろう(Engelbert Kämpfer, Geschichte und Beschreibung von Japan, aus den Originalhandschriften des Verfassers, 2. Bd,Lemgo, Meyer, 1779, S. 203)。

・・・続きは近日中に特設サイトで公開開始いたします。
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by urag | 2016-04-22 19:38 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 11日

ウェブ連載:ルソー『化学教程』第九回を公開します

ウェブ連載:ルソー『化学教程』第九回を公開いたします。

第一部
第一編  物体の諸要素とそれらの構成について
第一章 物質の原質について(続き)

24 ところで、ある物質の中でまったく水でも空気でもないものはどのようなものであれそれは必然的に土だということになる。そしてベッヒャーに従えば、空気は物体の混合物の中に原質としては入り込むことは決してなく、空気はむしろ物体の〔絶対的〕体積の中にただ付帯的にのみ入り込むということなので、この事実から例えば次のことが導き出せる。すなわち金属や石はその構成のうちにまったく水を持たないがゆえに、ただ土からのみ形成される、と。だが、これほど多様な混合物は果たして一種類の同じ土のみから成り立っているのであろうか。つまりこれら混合物の多様性はその原質の多様性を示しているのではないだろうか。金とダイヤモンド、大理石と銅はあまりにも異なる本性を持つので、もしこれらの一つひとつがただ一つの土から成り立っているとするならばこの土は上に挙げた例の中では同じものではありえないということが先ず分かる。また、そもそも金属は一体どのような変化métamorphosesを受けやすいのであろうか。[A:15]化学は金属を展性、脆性、高密度、多孔質、流動性、不発揮性、発揮性等々といった性質を次々持たせ、重くも、軽くも、また硬質にもする。では、〔物体の〕本質的部分の多様性からでないとしたら、どこからこれほどの変質altérationsが生じるのだろうか。また、もし金属が単純な物体からなるならば、化学者の意のままにこれほどまでに異なる形態を持って代わるがわる現れるなどということができるのだろうか。[F:23]とするならば、化学者は金属の混合物の中に複数種類の土を含ませる必要がある。

・・・続きはこちら
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by urag | 2014-12-11 23:55 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2014年 07月 16日

ウェブ連載:ルソー『化学教程』第8回

ルソー『化学教程』の翻訳第8回をまもなく弊社ウェブサイトで公開いたします。

『化学教程』第一部第一編「物体の諸要素とそれらの構成について」第一章「物質の原質について(続き)」

14 化学者の通常の五つの原質に関して言えば、少なくともそれらのうちの〔水、土、エンの〕三つは、それ自体としては混合物や化合物でしかない。「精体esprit(1)とは、精製アルコールflegmeの中に溶けている酸性のエンである。そのような溶解物が硝石の精体あるいは酢の精体である。尿中の揮発性精体とは、精製アルコールの中に溶けている揮発性アルカリでしかない。[A:11]そのような溶解物が、尿の精体であり、鹿角精esprit de corne de cerfのそれである。燃精esprit ardentとは、酒精esprit de vinまたは松精のようなエーテル性油ないし弱イオウsoufre atténué以外の何ものでもない。イオウそれ自体は、火の原質と酸から構成される。[F:19]臭いのきつい諸々の油は、精製アルコールと少しの出がらしの土terre damnéeからなるものの中で溶解した揮発性エンである。エーテル性油とは、オリーヴ油に似た粘液質でどろりとした油が、諸々のエンによって〔原質間の結合を〕緩められ、精製アルコールの中で拡散したものである。オリーヴ油と発酵している何らかの流動物質liqueurを混ぜさえすれば、その油は完全に燃精に変化するだろう。酒精2リーヴルをとって、12リーヴルの普通の水の中にその酒精を拡散させてみよう。そして、この溶液全体を空気にさらしてみよう。すると揮発性エンは〔気化して〕発散してしまう。〔この溶液の〕油性部分は、玉状に集まり、〔液体の〕表面に浮かぶ。この油性部分はあらゆる点でオリーヴ油やアーモンド油に似ている。エンに関しては、エンからは〔無味の〕水と土が得られる。〔この操作は次の通りである。〕蒸留された硝石は多量の酸精esprit acideを産み出す。だが、粉末状の酒石ないし木炭とともに硝石を燃やすと、それは〔酸精ではなく〕不発揮性あるいはアルカリ性ニトロと呼ばれるアルカリ性エンになる。[C:68]もし硝石を風化作用(2)によって液化させ、この液体を紙で濾過するならば、硝石は多くの土〔残留物〕を残す。濾過されたこの流動物質を乾燥するまで蒸留器で蒸留すると、この物質から無味の水が得られる。そのまま乾燥させられたエンはさらに少なくなる。この作業を最後まで繰り返そう。するとほとんどのエンが土に変化するだろう。〔この作業によって〕エンから消えた部分が無味の水に変わったということは確からしい」(3)。

(1)本翻訳ではespritを「精体」と訳す。espritの訳語としては他に「蒸留酒」ないし「揮発性物質」を挙げることができる。しかし、いずれの訳語にも不都合がある。後者に関して言えば、例えば本段落で使われるesprit volatilという言葉を訳すときなどに問題が生じる。また本文のespritの定義が示す通り、この語は必ずしも「酒」を指すものでもない。この点で「蒸留酒」という訳語にも問題がある。このespritという語は蒸留などの化学的操作から得られる「純化され選りすぐられた物質」を一般に意味している(例えばある作家のespritというとき、それはその作家の作品の「精選集」を意味することがある。このあたりの用法にも「純化され選りすぐられた」というespirtという語の側面が見出される)。『化学教程』においてルソーがespritという語を使うとき、多くの場合、それは蒸留を筆頭とする化学的操作によって「純化され選りすぐられた物質」を意味する。それゆえに本翻訳では単独でespritという語が使われる場合、これを「精体」と訳すことにした。

(2)セナが« si on le laisse liquéfier par lui-même »と書いている部分をルソーは化学操作の用語を用いて« si on le laisse liquéfier par défaillance »と書き換えている。

(3)ルソー原注:セナ、第1巻、9頁〔Sénac, J.-B., Nouveau cours de chimie suivant les principes de Newton et de Stahl, Paris, Vincent, 1723.なお本14段落は冒頭の一文および後続の「イオウそれ自体は、火の原質と酸から構成される」という文以外、セナの著作からの書き写しである(この書き写しの部分を引用符を用いて明示した)。右の文に関しては、ルソーはセナの著作に登場する物質名を完全に書き換えている。セナ本人によれば「イオウは水と土に分解される」〕。


・・・続きは弊社ウェブサイトで近日公開いたします。
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by urag | 2014-07-16 16:26 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2014年 02月 12日

大竹昭子「森山大道のOn the Road」番外講義編@沖縄県立博物館・美術館

「森山大道 終わらない旅 北/南」展の関連イベントとして2014年1月25日に沖縄県立博物館・美術館でおこなわれたシンポジウムでの大竹昭子さんの講演録を、「森山大道のOn the Road」番外講義編として月曜社ウェブサイトにて公開開始いたしました。
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by urag | 2014-02-12 12:18 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)
2013年 11月 01日

ウェブ連載:ルソー『化学教程』第七回、本日公開

弊社ウェブサイトでの連載、ルソー『化学教程』の翻訳第七回を公開します。

『化学教程』第1部
第1編 物体の諸要素とそれらの構成について
第1章 物質の原質について(続き)

10 それゆえ、物体のこの諸原質や要素の観念についての人々の意見はだいたい一致している。しかし、どのような原質ないし要素があるのか、またそれらは何種類あるのか? この問いこそが、数世紀以来、自然学者と化学者たちを悩ませてきた大問題の核をなしてきたのである。[C:65]タレスは一つの原質しか認めなかった。それは水である。デモクリトスもまた一つの原質しか認めなかった。それは土ないしアトムである。アリストテレスは四つの原質を思いついた。それは土と火という乾いたもの二種、そして水と空気という湿ったもの二種の四つである。アナクサゴラスは、例えば金の原質が金の性質を持つ小さな粒子であると主張することによって、ありうる限りの様々な物体が存在すると主張した。デカルトは大きさと形象〔形態〕によって区別される三つの原質があると認めた。

・・・続きはこちら

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ルソー『化学教程』連載概要

第1回:緒論・総目次・凡例
第2回:1-1-1-1~6(第1部第1編第1章第1~6段落)。
第3回:1-2-1-1~4(第1部第2編第1章第1~4段落)+訳者解説。
第4回:1-2-1-5~10(第1部第2編第1章第5~10段落)+訳者解説解説。第1章終。
第5回:1-1-2-1~9(第1部第1編第2章第1~9段落)。第2章終。
第6回:1-1-1-7~9(第1部第1編第1章第7~9段落)。
第7回:1-1-1-10~13(第1部第1編第1章第10~13段落)。
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by urag | 2013-11-01 12:23 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)