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2016年 10月 30日

注目新刊:カヴェル『悲劇の構造』春秋社、ほか

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悲劇の構造――シェイクスピアと懐疑の哲学
スタンリー・カヴェル著 中川雄一訳
春秋社 2016年10月 本体4,500円 四六判上製448頁 ISBN978-4-393-32351-9

帯文より:悲劇は懐疑論の解釈である! 神も、知識も、愛も、すべての基盤を喪失した世界で人はいかに生きるか? リア王、マクベス、ハムレットといったシェイクスピア劇が問いかける懐疑論的課題を剔抉し、人間の真実を突きつけるアメリカ哲学の巨人カヴェルの思索。シェイクスピア没後400年。

★発売済。原書は『Disowning Knoledge: In Seven Plays of Shakespeare』(Cambridge University Press, 1987; Updated edition, 2003)です。訳者によれば原題は『知識と縁を切ること――七つのシェイクスピア劇をめぐって』と。目次は以下の通りです。序文や訳者あとがきでの情報を参照し、丸括弧内に順番で、扱っているシェイクスピア劇、発表年もしくは先行する掲載書とその掲載書の刊行年、を示しておきます。

序文と謝辞
増補版への序文
第1章 序論(アントニーとクレオパトラ、本書初版1987年初出)
第2章 愛の回避――『リア王』を読む(リア王、『言ったとおりの意味でなければならないか』第10章1969年)
第3章 オセローと他者の賭け金(オセロー、『理性の声』結論部分1979年)
第4章 『コリオレイナス』と政治の解釈(コリオレイナス、『学校外の主題』1984年)
第5章 ハムレットの立証責任(ハムレット、1984年発表、本書初版1987年収録)
第6章 損得勘定を数え直す――『冬物語』を読む(冬物語、1984年発表、本書初版1987年収録、『日常的なものの探求』1988年収録)
第7章 マクベスの恐怖(マクベス、1992年及1993年発表、増補版2003年初収録)
原註
訳注
訳者あとがき

★訳者は次のようにあとがきで述べておられます。「本書の体裁は「シェイクスピア論集」であるが、序論と第5章と増補された第7章を覗けば、カヴェルの著書からの転載である。カヴェルの出世作『言ったとおりを意味しなければならないか』〔Must We Mean What We Say?: A Book of Essays, Charles Scribner's Sons, 1969; Reissued with a new preface, Cambridge University Press, 1976〕や主著『理性の声』〔The Claim of Reason: Wittgenstein, Skepticism, Morality, and Tragedy, Oxford University Press, 1979〕が邦訳される見込みは絶望的であるというほかない(と思われる)。本書は幸運にも亮著の「むすび」の部分を訳出している。カヴェルの全貌というにはほど遠いが、カヴェル哲学の真髄を垣間見ることができるだろう。〔・・・〕ほぼ三十年に亘るカヴェルの思索の変遷をも垣間見ることができる」(434頁)。

★カヴェルは序論で「シェイクスピアのなかに〔近代哲学の誕生としての〕懐疑論が現れる」(19頁。43頁も参照)と自らの直観を披瀝します。「シェイクスピアがシェイクスピアであるのは〔・・・〕、彼の作品が彼の文化のもつ哲学的関心事に深くかかわるときにかぎられる」(16~17頁)。「地盤〔根拠〕なき世界でどう生きるかという問題〔・・・〕。シェイクスピア劇が懐疑論的問題圏を繰り返し解釈するということは、とりもなおさず、劇が懐疑論の問題に対する揺るぎない解決を見出していない、とりわけ神に対する私たちの知識に満足していないということを意味する。〔・・・〕シェイクスピア劇は、いわば哲学的問題圏を取り込むとき、哲学を験〔ため〕し同時に哲学にとって験される」(18~19頁)。また、第6章にはこんな言葉があります。「シェイクスピア劇は人間の劇であるが、すべてはそこに懸かっている」(345頁)。カヴェルは本書で人間学としての〈シェイクスピアの哲学〉とでも言うべきものを見事に描出しえているように感じます。

◎スタンリー・カヴェル(Stanley Cavell, 1926-)単独著既訳書
『センス・オブ・ウォールデン』齋藤直子訳、法政大学出版局、2005年
『哲学の〈声〉」――デリダのオースティン批判論駁』中川雄一訳、春秋社、2008年
『眼に映る世界――映画の存在論についての考察』石原陽一郎訳、法政大学出版局、2012年
『悲劇の構造――シェイクスピアと懐疑の哲学』中川雄一訳、春秋社、2016年


描かれた病――疾病および芸術としての医学挿画
リチャード・バーネット著 中里京子訳
河出書房新社 2016年10月 本体3,800円 A4変形判上製256頁 ISBN978-4-309-25564-4

帯文より:医学と社会をめぐる衝撃のイメージ博物誌! 写真が誕生する以前、疾病を記録した細密イラストが雄弁に語りかける――人々はいかに病気と闘っていたか、患者が社会からどのように見られていたのか。

目次:
はじめに――脱魔術化された肉体
Ⅰ 皮膚病――肉体の境界線
Ⅱ ハンセン病――皮相などとは言えない病
Ⅲ 天然痘――議会制定法が作った水ぶくれ
Ⅳ 結核――白い死
Ⅴ コレラ――病の自由貿易
Ⅵ がん――カニの爪
Ⅶ 心臓疾患――冠と雑音
Ⅷ 性感染症――死ぬまで続く水銀治療
Ⅸ 寄生生物――寄生虫に植民地化された入植者
Ⅹ 痛風――ファッショナブルな激痛
参考文献
関連施設とその所在
挿画の出典
索引
謝辞

★発売済。原書は『The Sick Rose: Disease and the Art of Medical Illustration』(Thames & Hudson, 2014)です。1頁目にウィリアム・ブレイクの『経験の歌』より「病の薔薇」がカラーで掲げられており、書名はここから採ったものと思われます(壽岳文章訳「病むバラ」、『有心〔うしん〕の歌』、『無心の歌、有心の歌――ブレイク詩集』角川文庫、1999年、123-124頁)。同書は「ブリティッシュ・ブック・デザイン・アンド・プロダクション・アワード」の最優秀作品賞を受賞したそうで、大判でなおかつ全頁フルカラーであるにもかかわらず本体3,800円というのはかなりお買い得です。基本的に閲覧注意。一昔前には書店さんで見かけることがあった「バッド・テイスト(悪趣味)」の書棚を復権させるにふさわしい歴史的芸術的アーカイヴです。著者のリチャード・バーネットはケンブリッジ大学ペンブローク校で教鞭を執っている文化史家で、特に科学史や医学史がご専門。幅広いご活躍は著者のウェブサイトでご確認下さい。

★本書からの触発をさらに拡張するためには、バーネットによる姉妹編『Crucial Interventions: An Illustrated Treatise on the Principles & Practices of Nineteenth-Century Surger』(Thames & Hudson, 2015)や、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ヒステリーの発明――シャルコーとサルペトリエール写真図像集』(上下巻、谷川多佳子ほか訳、みすず書房、2014年) などがお薦めかもしれません。また、視覚的に優れた史的アーカイヴとしては、ウンベルト・エーコ編著による『芸術の蒐集』(川野美也子訳、東洋書林、2011年)や『醜の歴史』(川野美也子訳、東洋書林、2009年)が参考になります。あるいは、理論的にはカール・ローゼンクランツ『醜の美学』(鈴木芳子訳、未知谷、2007年)や、ヴィンフリート・メニングハウス『吐き気――ある強烈な感覚の理論と歴史』(竹峰義和ほか訳、法政大学出版局、2010年)などを参照してもいいかもしれませんし、さらにハードコアに振り切れたい方には、カント『判断力批判』(熊野純彦訳、作品社、2015年)や、ヴェサリウス『ファブリカ 第Ⅰ巻・第Ⅱ巻』(島崎三郎訳、うぶすな書院、2007年)あたりをお薦めします。

★なお河出書房新社さんでは今月、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学教授の西谷大さんによる『見るだけで楽しめる! ニセモノ図鑑――贋造と模倣からみた文化史』という新刊もお出しになっています。また、来月には画集『ベクシンスキー 1929-2005』も同社より発売予定。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

塹壕の戦争 1914-1918』タルディ著、藤原貞朗訳、共和国、2016年11月、本体3,300円、A4変型判上製188頁、ISBN978-4-907986-12-4 
ラングザマー――世界文学でたどる旅』イルマ・ラクーザ著、山口裕之訳、共和国、2016年11月、本体2,400円、四六変型判上製216頁、ISBN978-4-907986-21-6

★タルディ『塹壕の戦争』はまもなく発売。原書は『C'était la guerre des tranchées』(Casterman, 1993)です。タルディ(Jacques Tardi, 1946-)はフランスのバンド・デシネ界における巨匠の一人。2013年にはレジオン・ドヌール勲章の受勲を拒否して話題になったと言います。本書は「第一次世界大戦の《リアル》を徹底的に描き出して、「コミックのアカデミー賞」と呼ばれるアイズナー賞を受賞した」代表作(裏表紙紹介文より)。著者はまえがきでこう書いています。「『塹壕の戦争』は「歴史書」ではない。第一次世界大戦の歴史を語った漫画なのではなく、戦争にもてあそばれ、泥沼に陥った人間の営みを語った物語である。私はその物語を、時系列をも無視して切々と描いた。〔・・・〕戦争という名の痛ましい集団的「冒険」には、「英雄」も「主人公」もいない。名もなき人たちの言葉にしようもない苦悩の叫びがあるだけだ。〔・・・〕私の関心は、人間とその苦悩の軌跡であった。だからこそ、私は大きな憤りを覚えたのだ。〔・・・〕サラエボから20世紀と殺人の産業化が始まった。「第一次世界大戦」、当時それはワクワクさせる発想だったに違いない。毒ガスは、未来の扉を開いて新たな思想を育むのに違いない高度に「近代的なもの」、と信じられていたのだ・・・。こうした思想こそ、クロマニヨン人の時代から人間の心に深く刻まれていたものである。それが、人間が持ち続けている野獣性なるものなのだ」(6-7頁)。なお、共和国さんでは本書の続編である『汚れた戦争(Putain de guerre!)』(Casterman, 2008/2009; 2014)も刊行される予定だそうです。ちなみに既刊書ではタルディの挿画は『ブタ王子――ルーマニアのむかしばなし』(西村書店、1991年)で見ることができます。河出文庫版のセリーヌ『なしくずしの死』(全2巻、2002年、品切)のカバーを飾っていた印象的なイラストもタルディによるものです。

★ラクーザ『ラングザマー』はまもなく発売。共和国さんの新シリーズ「境界の文学」の第二弾。原書は『Langsamer!』(Literaturverlag Droschl, 2012)です。著者のイルマ・ラクーザ(Iluma Rakusa, 1946-)はソロヴェニア出身で現在はスイス・チューリヒ在住の小説家。既訳としては共編著や、アンソロジーに収録された短編小説などがありますが、単独著が邦訳されるのは初めてのことです。カヴァー紹介文は以下の通りです。「国際的な作家であり翻訳家、そして世界文学のしたたかな読み手である著者が、本を読むことによって「ラングザマー(もっとゆっくり)」とした時間の回復を試みる、極上の世界文学ガイド/読書論」。作家の多和田葉子さんが巻末にエッセイ「日常を離れた時間の流れの中で」を寄せておられます。「メディアから流れ出る情報は、爆撃、テロ、殺人の行われた場所と死者の数を次々投げつけてくるだけで、自分が何をしたらいいのかをじっくり考える時間は奪われ、ふりまわされ、疲れるだけの日常からどうやって逃れたらいいのかわからなくなる。/そんな中、過去に書かれた言葉を注意深く読むことで、自分の時間の流れをつくることができる。ゆっくりとした時間、ゆっくりしているけれども過去へ未来へと何千年も跳躍できる力強い『遅さ』である。文学を読むことによってそういう時間が得られるのだ、という当たり前のようで難しいことを、この本はしっかり伝えてくれる」(95-96頁)。ラクーザ自身は本書の巻頭におかれた「はじめに」で次のように書いています。「ここで語られるのは、徒歩で進んでいくことであり、ゆったりした時間や悠然とした心持ちである。〔・・・〕それは、タイムマネージメントやザッピング、もしくはイベントに夢中になってトレンドを追い求めることとは正反対のものである。ここで語ろうとしているのは、一時手を休めること、〈いま・ここで〉という経験である」(15-16頁)。スローライフのど真ん中にスローリーディングがある――そのけっして小さくない大切さが胸に沁みる本です。

「西遊」の近代』尾高修也著、作品社、2016年10月、本体2,300円、46判上製292頁、ISBN978-4-86182-600-9

★発売済。「鴎外、漱石、藤村、芙美子、茂吉、荷風……。日本の近代は日本人が欧米を旅する「西遊」の歴史でもあった。洋行体験で直面した努力と葛藤は彼らの文学に何をもたらしたか」(帯文より)。目次を列記しておきます。「西遊」ことはじめ――岩倉使節団と成島柳北|国費留学生森鴎外と夏目漱石|有島武郎と永井荷風の「放浪」|島崎藤村の「洋行」|斎藤茂吉の「遠遊」|正宗白鳥の「漫遊」|林芙美子と横光利一の「巴里日記」|「西遊」の時代おわる――中村光夫・吉田健一・森有正|後記。「日本の近代は、日本人が欧米を旅する「西遊」の歴史でもあった」(7頁)。「日本の近代化はほとんど拙速に進められ、文学はその速すぎる変化をあと追いしながら、いわば穴の多い道を地ならしするようにして機能していく。〔・・・〕その精神的地ならしの独力を、作家たちの西洋体験をつうじてできるだけリアルに浮かび上がらせたいと思っている」(22頁)。「いまや明治維新後百五十年。日本がみずから西洋化を進めた歴史は、ある意味で惨憺たるものであった。が、そのあげく、現在独特な混交文化が熟しつつある。日本の試行錯誤の歴史が生んだ新文化である。ほとんど他に例がないものとして、そのありようが注目されるという時が来ているのかもしれない。そんな現状を用意した特異な西洋化の歴史の一面を、過去の「西遊」の文学が、こまかく実感的に証言してくれている。歴史の「肉感」の記録ともいうべき文学がそこにはあって、いまなお新鮮な読みものでありつづけている。それらの文章をつうじて、過去の日本人の経験の膨大な集積が浮かびあがるようである」(289頁)。


連邦制の逆説?――効果的な統治制度か』松尾秀哉・近藤康史・溝口修平・柳原克行編、ナカニシヤ出版、2016年9月、本体3,800円、A5判上製330頁、ISBN978-4-7795-1105-9

★発売済。帯文に曰く「連邦制は対立と分離をもたらす統治制度なのか。あるいは対立を解消し、統合をもたらすものなのか。統合と分離という二つのベクトルに注目しながら、現代におけるその意義を問う」。収録論考は書名のリンク先をご覧ください。理論編と事例編の二部構成で、後者では連邦制(federalism)や地方分権化、自治州国家や二重帝国の事例として、ベルギー、スペイン、イギリス、オーストリア、オーストリア=ハンガリー、ロシア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マレーシア、インドネシア、カナダ、アメリカ、フィリピンなどが論じられています。序章にはこう書かれています。「本書は連邦制や地方分権政策の起源、さらにそれらが効果的に機能する条件もしくは機能不全に陥る条件を、それぞれの事例にお維持て提供する。単に欧米の「逆説」議論に追従するわけでもなく、しばしば「地方消滅」などが叫ばれるわが国でも議論される道州制導入の是非など、実践的課題を見直す機会の書となれば幸いである」(8頁)。逆説、というのは、「連邦制の導入によって、国家の民族的異質性を連邦構成体内の同質性に転化でき、社会的多元性を減少させることができるので、民族間対立を解消できる」(アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義』勁草書房、2005年参照)はずが、東欧のチェコ、ユーゴ、ソ連は消滅し、カナダのケベック・ナショナリズム、ベルギーの地域間対立、スペインやイギリスでの分離独立運動など、様々な問題と課題が生まれている事態を指しています。編者が指摘する通り、日本の今後を考える上で無関心ではいられない議論ではないでしょうか。
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by urag | 2016-10-30 22:19 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 23日

注目新刊:『ヴォルテール回想録』『反マキアヴェッリ論』、ほか

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ヴォルテール回想録』福鎌忠恕訳、中公クラシックス、2016年10月、本体1,800円、新書判308頁、ISBN978-4-12-160169-8
反マキアヴェッリ論』フリードリヒ二世著、大津真作監訳、京都大学学術出版会、2016年8月、本体4,200円、四六上製600頁、ISBN978-4-8140-0041-8

★福鎌忠恕訳『ヴォルテール回想録』の親本は1989年に大修館書店より刊行された同名の単行本で、大修館書店本は『ヴォルテール自叙伝』(元々社、1954年)の増補改訳版です。大修館書店版からは回想録の全18章と追記Ⅰ~Ⅲ、参考文献としてコジモ・コッリーニ『フランクフルト事件の詳細』とフリードリッヒ大王『ヴォルテール頌辞』の訳が解説と訳注を付して併載されています。親本の訳者解説とあとがきも収録。再刊にあたり、巻頭に中条省平さんよる解説「波乱の人生が鍛えあげた実践的哲学」が置かれています。

★本書の帯文はこうです。「フリードリッヒ大王との愛憎半ばする交友関係を軸にリシュリュー、ポンパドゥール夫人、マリーア・テレージア等、当代代表的人物を活写」と。なお、本書に収められたフリードリッヒ大王『ヴォルテール頌辞』は、8月に刊行されたフリードリヒ二世『反マキアヴェッリ論』でも「フリードリヒによるヴォルテール讃」として訳出されています。このところヴォルテールは『寛容論』(斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫、2016年5月)や、『カンディード』(堀茂樹訳、晶文社、2016年6月)などの新訳が続いており、再読の機運が高まっているように感じます。

★「近代社会思想コレクション」の第17弾『反マキアヴェッリ論』は、18世紀におけるプロイセンの啓蒙専制君主として名高いフリードリヒ二世が王太子時代にフランス語で著し、監修者ヴォルテールの序文を添えてオランダで1740年に出版された『Anti-Machiavel ou Examen du Prince de Machiavel』の全訳です。凡例によれば底本には「ヴォルテールによる削除、補足、訂正を盛り込んだガルニエ版と1834年のハンブルク版を用い、その他、1741年版、1750年版、さらには直筆訂正版である1789年版などを参照した」とのことです。出版に至るいささかこみいった経緯については巻末の解説に詳しいです。

★「国家のために奉仕する国家理性の体現者としての君主像」(解説より)を、王としての即位以前に率直に綴った本書は、マキャヴェリズムへの解毒剤として読むことができ、当時の欧州でベストセラーとなったと言います。「人びとの善意につけ込み、悪意を隠し、下劣な術策を用い、裏切り、誓いを破り、暗殺すること――これが、この悪辣な博士が怜悧と呼ぶものである。〔・・・〕あなたがたには、犯罪のなかで抜きん出る利点しか残されていないし、あなたがたと同じくらい人でなしの怪物に対して、その犯罪のなかで抜きん出る道を教えたという栄誉しか残されていないことを恐れよ」(84~86頁)とフリードリヒ二世は書きます。大王自身はその後、理想と現実の板挟みの中で生き、ヴォルテールとの交流には紆余曲折が多々生まれます。それらについては前出の『ヴォルテール回想録』にヴォルテール側から見た王の横顔として記されています。大王はヴォルテールと決裂する場面もかつてあったものの、彼の死に際して最大の賛辞を送りました。ただし、かつて敬愛してやまなかったはずの相手であるヴォルテールを後年は利用しようとした節も見受けられるだけに、権力者の素顔の複雑さを感じます。

★フリードリヒ二世の著書は20世紀前半に何度か翻訳されています。そのいくつかが石原莞爾の監修によって公刊されているというのは興味深いことです。第二次世界大戦中には国民社より『フリードリッヒ大王全集』が刊行開始となったようですが、国会図書館で調べる限り、第3巻『七年戦争史 第1部』(外山卯三郎訳、国民社、1944年)しか確認できません。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

多としての身体――医療実践における存在論』アネマリー・モル著、浜田明範/田口陽子訳、水声社、2016年9月、本体3,500円、四六判上製286頁、ISBN978-4-8010-0196-1
『作家、学者、哲学者は世界を旅する』ミシェル・セール著、清水高志訳、水声社、2016年10月、本体2,500円、四六判上製227頁、ISBN978-4-8010-0198-5
小説読本』三島由紀夫著、中公文庫、2016年10月、本体700円、文庫判248頁、ISBN978-4-12-206302-0
『現代思想』2016年11月臨時増刊号「総特集=木村敏――臨床哲学のゆくえ」青土社、2016年10月、本体2,200円、A5判並製278頁、ISBN978-4-7917-1331-8
ナムジュン・パイク――2020年 笑っているのは誰 ?+?=??』ワタリウム美術館編著、平凡社、2016年10月、A4変判並製176頁、ISBN978-4-582-20689-0

★モル『多としての身体』は9月刊行、叢書「人類学の転回」第4回配本。原書は、The Body Multiple: Ontology in Medical Practice (Duke University Press, 2002)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。アネマリー・モル(Annemarie Mol, 1958-)は、オランダ・アムステルダム大学教授。訳者あとがきで、モルは「アクター・ネットワーク・セオリーの騎手の一人として知られ、ブルーノ・ラトゥール〔Bruno Latour, 1947-〕や、ジョン・ロー〔John Law, 1946-〕とともに、科学技術論と人類学を架橋する仕事を行ってきた」と紹介されています。

★さらに本書については訳者は次のように説明します。「オランダの大学病院における調査をもとに、実践としての生物医療における存在論がどのようなものであるのかを探究したものである。〔・・・〕実践やプロセスに注目することによって、通常一つだと考えられている疾病に複数のヴァージョンがあることを暴き出し、さらに、それらが断片化するのではなく、どのような関係を伴いながら共在しているのかを民族誌的手法を用いながら記述するという構成をとっている。科学技術論や実験室の民族誌における実践や翻訳への注目という手法を用いながらアクターとそのネットワークに注目するのみならず、逸材そのものが「実行」されるという主張を打ち出すことで、実在の複数のヴァージョンが共在していることを明確にしたことが、本書の最大の貢献であろう」。

★セール『作家、学者、哲学者は世界を旅する』は今月刊行、叢書「人類学の転回」第5回配本。原書は、 Écrivains, savants et philosophes font le tour du monde (Le Pommier, 2009)です。目次を列記すると、序章「三つの世界旅行」、第一章「われらがトーテミストの系譜」、第二章「魂は皆のために、衣服はおのおののために」、第三章「私、モナド、アナロジスト」、第四章「自然と文化の婚姻」終章「幹」です。巻末の訳者解説で本書は次のように紹介されています。「数あるミシェル・セールの書物のうちでも、記念碑的な作品の一つであるといえるだろう。さして大著ではないが、これは今日振り返って見ると、21世紀になってあらたに勃興してきた、モノやノン・ヒューマンを巡るさまざまな施策や、近年の人類学のいわゆる存在論的転回〔オントロジカル・ターン〕とも深く絡み合う側面を持ち、また諸学問の歴史にまつわる知見の膨大な蓄積を背景にして、彼自身の思想の画期的な新展開が語られたという意味でも、まさに驚くべき仕事なのだ」。

★また、現代フランス思想界の長老であるセール(Michel Serres, 1930-)については次のように説明しておられます。「驚くべきことに、80歳をとうに超えた現在でもまったく現役であり、毎年のように様々な主題の書物を発表し続けている。そればかりか、とりわけ彼の思想的な系譜を継いだブリュノ・ラトゥールが、人類学や、グレアム・ハーマンらのオブジェクト指向哲学、新しい唯物論ろいった最新の思想潮流に決定的な影響を及ぼしていることから、その現代性があらためて認識されるにいたっている。2016年7月になって、クリストファー・ワトキン〔オーストラリア・モナシュ大学上級講師〕が『今日のフランス哲学』と題した本を出版し、バディウ、メイヤスー、マラブー、ラトゥールとともに、セールを現代フランス思想の《新世代》として紹介する、といった事件すら、今なお進行しているのである」。

★叢書「人類学の転回」の続刊予定には以下の書目が挙がっています。トリン・T・ミンハ『フレイマー・フレイムド』、マイケル・タウシグ『模倣と他者性』、アルフレッド・ジェル『アートとエージェンシー』、フィリップ・デスコラ『自然と文化を超えて』。

★三島由紀夫『小説読本』は発売済。親本は2010年に中央公論新社より刊行されたオリジナル・アンソロジー。文庫化にあたって、平野啓一郎さんによる解説「混沌を秩序化する技術」と、索引(人名・作品名)が加わっています。収録されているテクストを列記すると、「作家を志す人々の為に」「小説とは何か」「私の小説の方法」「わが創作方法」「小説の技巧について」「極く短い小説の効用」「法律と文学」「私の小説作法」「法学士と小説」「法律と餅焼き」「私の文学」「自己改造の試み」「「われら」からの遁走」。カバー裏紹介文はこうです。「小説家はなりたくてなれるものではない――。小説の原理を追究した長篇評論「小説とは何か」を中心に、「私の小説の作法」「わが創作方法」など、自ら実践する作法を大胆に披歴した諸篇を収める。作家を志す人々に贈る、三島由紀夫による小説指南の書。待望の文庫化」。中公文庫ではこれまでに三島の「文学読本」三部作として『文章読本』を刊行、今回が第二弾で、来月には『古典文学読本』が発売予定とのことです。

★『現代思想』臨時増刊号「総特集=木村敏」は発売済。収録されている討議、論考、エッセイは書名のリンク先をご覧ください木村先生ご自身は森田亜紀さん(著書『芸術の中動態――受容/制作の基層』萌書房、2013年)との討議「臨床哲学/芸術の中動態」(8~25頁)に参加されています。木村さんとの対談本『生命と現実』(河出書房新社、2006年)を上梓されている檜垣立哉さんは、内海健さんとの討議「存在・時間・生命――木村敏との対話」 のほか、「木村敏と中井久夫――臨床とイントラ・フェストゥム」という論考を寄せておられます。なお、木村先生の近年の出版物には『臨床哲学の知――臨床としての精神病理学のために』(今野哲男=聞き手、洋泉社、2008年、品切)、『精神医学から臨床哲学へ』(ミネルヴァ書房、2010年)、『あいだと生命――臨床哲学論文集』(創元社、2014年)などがあり、著作集全8巻は弘文堂から刊行されています(現在は品切)。

★『ナムジュン・パイク』は、現在神宮前のワタリウム美術館で後半が開催中の展覧会「没後10年 ナムジュン・パイク展 2020年 笑っているのは誰 ?+?=??」の図録を兼ねた出版でまもなく発売。ナムジュン・パイク(Nam June Paik, 白南準, 1932-2006)は言わずと知れた韓国系アメリカ人の現代美術家。フルクサスの一員で、ビデオアートの先駆者です。今回の展覧会の展示室の内容にそのまま対応している主要目次は以下の通り。「フルクサスとの出会いからビデオアートの誕生まで 1956-78」「VIDEAいろいろ 1980-83」「サテライトTV ビデオアートの世界同時配信へ 1984-88」「パイク地球論 1990-」「ユーラシアのみちと永平寺 1993-」「ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイク 1961-2006」「2020年 笑っているのは誰 ?+?=??」。巻末に年譜あり。近年では、パイクの伴侶だった久保田成子(くぼた・しげこ:1937-2015)さんへのインタヴュー本『私の愛、ナムジュン・パイク』(平凡社、2013年)も刊行されています。
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by urag | 2016-10-23 21:03 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 22日

マレク・スクロベツキ「ディム」1992年

ポーランドのパペット・アニメの巨匠、マレク・スクロベツキ(Marek Skrobecki, 1951-)の名前をついつい忘れがちな私。「東欧 アニメ」などと画像検索してその都度たどり着くというていたらくを反省して、彼の代表作「dim」(1992年)を彼のオフィシャル・チャンネルからブログに貼っておこう、と。埋め込み不可なのが残念。この作品を見ていると何とも言えない気持ちになります。寂しいような、温かいような。
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by urag | 2016-10-22 20:04 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 17日

待望の文庫化『読んでいない本について堂々と語る方法』、ほか注目新刊

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読んでいない本について堂々と語る方法
ピエール・バイヤール著 大浦康介訳
ちくま学芸文庫 2016年10月 本体950円 文庫判304頁 ISBN978-4-480-09757-6

カバー裏紹介文より:本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ――大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス文壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。ヴァレリー、エーコ、漱石など、古今東西の名作から読書をめぐるシーンをとりあげ、知識人たちがいかに鮮やかに「読んだふり」をやってのけたかを例証。テクストの細部にひきずられて自分を見失うことなく、その書物の位置づけを大づかみに捉える力こそ、「教養」の正体なのだ。そのコツさえ押さえれば、とっさのコメントも、レポートや小論文も、もう怖くない! すべての読書家必携の快著。

★親本は同版元より2008年に刊行。創造的読書論の名著であり、手ごろな値段で読めるようになったことは実に喜ばしいです。「注意ぶかく読んだ本と、一度も手にしたことがなく、聞いたことすらない本とのあいだには、さまざまな段階があり、それらはひとつひとつ検討されなければならない」(15頁)と著者は書きます。本書がユニークなのは「ぜんぜん読んだことのない本」「ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本」「人から聞いたことがある本」「読んだことはあるが忘れてしまった本」の四種をすべて「読んでいない本」という大きなカテゴリーの内に置くことです。そうやって「「読んだ」と「読んでいない」とのあいだの境界」(同頁)というものが非常に不確かなものであることを証明し、本から適度な距離を取ることの効用を論じます。

★本を読んでいないことに対する罪の意識を捨て去ることの重要性を、読書行為の様々なありようの分析を通じて明確にしようとする本書には「スクリーンとしての書物/共有図書館」「内なる書物/内なる図書館」「幻想としての書物/ヴァーチャル図書館」といった興味深い概念も登場します。本書の結論部分には読書論からの一種の反転が仕掛けられているので、それを味わうためには飛ばし読みはせずにせめて本書を「ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本」として遇する必要があります。実際たいへん面白いので通読することはさほど困難ではありません。その昔、ショーペンハウアーは多読の弊害と、自分自身で考えることの大切さを説きました。バイヤールの本書はその綿密かつ見事な変奏だと言えそうです。業界人必読、と書くことにすらある意味恥じらいを感じるほどの、必須の課題図書だと断言しておきたいと思います。

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★次に、発売済の文庫新書より注目書目を列記しておきます。

心はどこにあるのか』ダニエル・C・デネット著、土屋俊訳、ちくま学芸文庫、2016年10月、本体1,200円、文庫判288頁、ISBN978-4-480-09753-8
この人を見よ』ニーチェ著、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2016年10月、本体740円、文庫判244頁、ISBN978-4-334-75341-2
「哲学」は図で考えると面白い――はじめての思考の手引き』白取春彦監修、青春文庫、2016年10月、本体900円、文庫判384頁、ISBN978-4-413-09655-3
哲学史講義Ⅱ』G・W・F・ヘーゲル著、長谷川宏訳、河出文庫、2016年10月、本体1,500円、文庫判464頁、ISBN978-4-309-46602-6
スエデンボルグ』鈴木大拙著、講談社文芸文庫、2016年10月、本体1,500円、文庫判272頁、ISBN978-4-06-290324-0
浄土系思想論』鈴木大拙著、岩波文庫、2016年7月、本体970円、文庫判368頁、ISBN978-4-00-333235-1
グローバリズム以後――アメリカ帝国の失墜と日本の運命』エマニュエル・トッド著、朝日新聞聞き手、朝日新書、2016年10月、本体720円、新書判200頁、ISBN978-4-02-273689-5
問題は英国ではない、EUなのだ――21世紀の新・国家論』エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳、文春新書、2016年9月、本体830円、新書判256頁、ISBN978-4-16-661093-8

★デネット『心はどこにあるのか』は草思社「サイエンス・マスターズ」シリーズの1冊として1997年に刊行された同名単行本の文庫化。デネット(Daniel C. Dennett, 1942-)の単独著の訳書は8点ほどありますが、文庫になるのは今回が初めて。原書は『Kinds of Minds: Toward an Understanding of Consciousness』(Basic Books, 1996)です。目次は書名のリンク先をご覧下さい。

★ちくま学芸文庫では11月にヴェブレン『有閑階級の理論[新版]』村井章子訳や、エルンスト・トゥーゲントハット/ウルズラ・ヴォルフ『論理哲学入門』鈴木崇夫/石川求訳、などが9日発売予定。ヴェルレンの同書の旧版は現在増補改訂版が講談社学術文庫から刊行されています。村井さんは今月、日経BPクラシックスでハイエクの『隷従への道』の新訳を上梓されています。トゥーゲントハット/ヴォルフの方は、1993年に晢書房より刊行された単行本の文庫化かと思われます。

★ニーチェ『この人を見よ』は『ツァラトゥストラ』(上下巻、光文社古典新訳文庫、2013年)に続く、丘沢訳ニーチェの第二弾。光文社古典新訳文庫としてはニーチェの新訳は『善悪の彼岸』『道徳の系譜学』(ともに中山元訳)が先行していますから、今回の新刊で4点目になります。自らの半生を振り返るとともに自らの著書の数々を解説した『この人を見よ』はカバー紹介文を借りると「ニーチェ自身による最高のニーチェ公式ガイドブック」。

★ニーチェは今月、ベストセラーの白取春彦編訳『超訳ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の大活字版が発売。同書は約1年前に文庫サイズのエッセンシャル版も刊行されており、ニーチェ・ブームはまだまだ続きそうです。なお、白鳥さんは今月発売となった図解文庫『「哲学」は図で考えると面白い』の監修者もおつとめでいらっしゃいます。近年類書は増加傾向にありますが、初心者向けの図解本はぞれぞれに工夫が凝らされていて、同業者にとっては興味深い分野です。

★光文社古典新訳文庫では来月、ジュネの『薔薇の奇跡』が宇野邦一さんの新訳で発売となるようです。同作は堀口大學訳が新潮文庫より1970年に刊行されていますが、現在は品切。光文社古典新訳文庫でのジュネの新訳は中条省平訳『花のノートルダム』(2010年)に続く2点目。

★ヘーゲル『哲学史講義Ⅱ』は全4巻本の第2回配本。いくら親本があるからとはいえ、毎月1冊のペースで発売されているのはなかなかのスピード感です。第Ⅱ巻には第一部「ギリシャの哲学」第一篇「タレスからアリストテレスまで」の続きで、第二章「ソフィストからソクラテス派まで」、第三章「プラトンとアリストテレス」が収録されています。第Ⅲ巻は11月8日発売予定。

★来月発売の河出文庫では中島義道さんの『過酷なるニーチェ』なども刊行されます。さらに同社の単行本近刊には、アンドリュー・カルプの話題書『ダーク・ドゥルーズ』が見えます。版元紹介文に曰く「ドゥルーズは世界を憎み世界の破壊の哲学なのだ。既成のドゥルーズ像をぶち壊しながら斬新な思考をうちたてるマニフェスト。日本のラディカルなドゥルージアン4名からの応答を付す」と。さらに、上野俊哉さんによる『四つのエコロジー――フェリックス・ガタリの思考』も予告されています。

★鈴木大拙『スエデンボルグ』は大拙訳『天界と地獄』に続く、講談社文芸文庫でのスウェーデンボルグ本第二弾。大拙の論考「スエデンボルグ」と、スウェーデンボルグ著「新エルサレムとその教説」の大拙訳、さらに参考資料として吉永進一さんによる論考「大拙とスウェーデンボルグ――その歴史的背景」を付し、安藤礼二さんが解説「「霊性」と「浄土」の起源」を寄せておられます。同書の底本は岩波書店版『鈴木大拙全集』第二十四巻(1969年12月刊)、文庫化にあたり、1913年に丙午出版社より刊行された単行本『スエデンボルグ』および同社より翌年1914年に出版された訳書『新エルサレムとその教説』初版も参照し、「誤字と思われる箇所は正し、適宜ふりがなと表記を調整」したとのことです。吉永さんの論考の初出は、吉永さんと中西直樹さんの共著『仏教国際ネットワークの源流――海外宣教会(1888年~1893年)の光と影』(三人社、2015年)の第四章であり、表記や誤記の訂正を行ったとのことです。

★大拙によるスウェーデンボルグの訳書にはこのほかに丙午出版社より『神智と神愛』(1914年)と『神慮論』(1915年)が上梓されており、前者は岩波版大拙全集二十五巻、後者は同二十四巻に収められています。安藤さんの解説にはこの二篇については全集をひもとくよう書かれているので、あるいは当面は文庫化の予定はないのかもしれません。

★なお大拙全集からは第六感を底本として7月に岩波文庫で『浄土系思想論』が刊行されていることは周知の通りです。また、講談社文芸文庫の今月の新刊では上記書のほかに、細川光洋選『湯川秀樹歌文集』が発売されています。また、これは後日改めて取り上げようと思いますが、同社の学術文庫の今月新刊の『杜甫全詩訳注(四) 』が税込でいよいよ3000円の大台を超えるものとなりました。千頁以上あるので、やむをえないのかもしれませんが、さすがに1冊で3000円を超えるとなると紙媒体の文庫としては異次元の部類になっていきます(電子書籍では複数巻の合本もので3000円を超えるものがあります)。

★今月そして先月と、トッドさんの日本オリジナル版の新書が立て続けに刊行されています。まず先月刊行された『問題は英国ではない、EUなのだ』は好評を博したと聞く昨春の『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる――日本人への警告』(堀茂樹訳、文春新書、2015年5月)や『シャルリとは誰か?――人種差別と没落する西欧』(堀茂樹訳、文春新書、2016年1月)に続く時事論集です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の「日本の読者へ――新たな歴史的転換をどう見るか?」によれば、冒頭の「なぜ英国はEU離脱を選んだのか?」を除いて「本書に収録されたインタビューと講演はすべて日本でおこなわれました。その意味で、これは私が本当の意味で初めて日本で作った本なのです」と。本書では世界大戦以後の、1950~80年の経済成長期、1980~2010年の経済的グローバリゼーション、といった段階に続く第三局面「グローバリゼーション・ファティーグ〔疲労〕を分析しています。

★今月発売された新書『グローバリズム以後』は朝日新聞が1998年から2015年にかけて行ったトッドさんへのインタヴューに2本の語り下しを加えて1冊としたもの。18年に及ぶこの期間において著者は「「長期持続」という視点を重視」し、「日々の政治的、軍事的な出来事や、その登場人物たちが声高に叫ぶことに振り回されず、つねに社会の深いところで起きている流れを把握しようと努めて」きた、と巻頭の「日本の読者へ」で書いています。本書ではグローバリゼーションの絶頂期と墜落過程が分析されています。「日本は、安定していますが、老いつつあります」(9頁)と著者は指摘します。「核兵器が依然として力と均衡の道具となっている世界で、日本はかつてないほどに経済的、軍事的安全にかかわる構造的な問題の解決をせまられて」いる、と(同)。2006年10月のインタヴュー「日本の「核武装」を勧めたい」では若宮啓文記者との緊張感あるやりとりを読むことができます。「私は中道左派で、満足に兵役も務めなかった反軍主義者。核の狂信的愛好者ではない。でも本当の話、核保有問題は緊急を要する」(158-159頁)。賛否はあるにせよ、著者の現実主義は一読の価値があります。

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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

ラテンアメリカ文学入門――ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』寺尾隆吉著、中公新書、2016年10月、本体780円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102404-6
台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年』鄭鴻生著、天野健太郎訳、紀伊國屋書店、2016年9月、本体1,700円、B6判上製268頁、ISBN 978-4-314-01143-3
バルトン先生、明治の日本を駆ける!』稲場紀久雄著、平凡社、2016年10月、本体2,800円、4-6判上製352頁、ISBN978-4-582-82483-4

★寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』はまもなく発売。現代ラテンアメリカ文学の愛読者の方なら寺尾さんのお名前はよくご存じかと思います。現代企画室の「ロス・クラシコス」や「セルバンテス賞コレクション」、水声社の「フィクションのエル・ドラード」などのシリーズをはじめ、単行本でも訳書を多数手がけておられ、さらに研究書『魔術的リアリズム――二〇世紀のラテンアメリカ小説』(水声社、2012年)も上梓されています。寺尾さんにとって初めての新書となる今回の新刊では「ラテンアメリカ文学がもっとも豊かな成果をもたらしたブームの時代、具体的には1958年から81年にいたる二十数年間を中心に、その前後数十年まで展望を拡げて、約100年にわたる現代ラテンアメリカ小説(ほぼスペイン語圏だが、ポルトガル語圏に属するブラジルの小説も含む)の動向を探って」おられます。全6章立てで、第1章「リアリスム小説の隆盛――地方主義小説、メキシコ革命小説、告発の文学」、第2章「小説の刷新に向って――魔術的リアリズム、アルゼンチン幻想文学、メキシコ小説」、第3章「ラテンアメリカ小説の世界進出――「ラテンアメリカ文学のブーム」のはじまり」、第4章「世界文学の最先端へ――「ブーム」の絶頂」、第5章「ベストセラー時代の到来――成功の光と影」、第6章「新世紀のラテンアメリカ小説――ボラーニョとそれ以後」。巻末には関連年表と参考文献が配されています。

★鄭鴻生『台湾少女、洋裁に出会う』は発売済。原書は『母親的六十年洋裁歳月』(印刻文学生活雑誌出版、2010年)で、著者の鄭鴻生(ジェン・ホンシェン:1951-)さんが母親である施伝月さんの「洋裁人生」を綴ったものです。帯文に曰く「もうひとつの“カーネーション”がここにあった! 『主婦之友』『婦人倶楽部』……日本統治下の一九三〇年代の台湾で、日本の婦人雑誌に魅了された少女は、親の反対を押しきって、洋装店の見習いとなり、やがて台南に自ら洋裁学校を開校する。母が息子に語った“小さな近代史”」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「〔若い頃の〕あの日の耳に突き刺さるような〔日本人の〕警官の〔侮蔑的な〕言葉と耐えがたい屈辱を母はついに忘れることがなかった。その反面、日本の帝国意識が高まった1930年代において、母に新しい希望の光を与え、人にばかにされないための行動の規範となり、また同時に大きな慰めとなったのは日本の婦人雑誌であった」(67-68頁)。施伝月さんは日本人が経営する台南の洋装店の見習いとなり、日本にも留学し、戦後には台南で洋裁学校を開校します。

★本書の終盤近くにある次のくだりが印象的です。「1950年代からの2、30年間、台湾人女性はそれぞれ置かれた条件下のもと、競い合って洋裁を学び、自らの手でさまざまなスタイルの美しい衣装を作り出した。それはきっと、あの時代を生きた女性たちの、自分らしさの表出ではなかったか。洋裁は、女性の自立に必要不可欠な技能というだけでなく、彼女たちの自己表現の舞台でもあった。布を選び、雑誌や仕立て屋を覗いてスタイルを考え、採寸から裁断、仮縫い、試着、本縫いまで自らの手で完成させる――そんな手間のかかるプロセスは、現在のように百貨店に並ぶ無数の既製品からなんとなく選んで買うのとはまるで異なる行為であったのだ」(236頁)。本書はほぼ新書サイズのハードカバー上製本で本文はセピア色で印刷されています。非常に美しい一冊です。

★稲場紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』はまもなく発売。帯文はこうです。「謎に包まれたバルトン先生の全貌解明! 帝国大学教授としてコレラ禍から日本を救うため、上下水道の整備を進める一方、日本初のタワー・浅草十二階の設計を指揮、さらに写真家として小川一真の師でもあったバルトン先生。彼の貴重な写真も多数収録」。目次も列記しておきます。

プロローグ――バルトンの夢を追って
第1章 故郷エディンバラ
第2章 知の巨峰、父ジョン・ヒル・バートン
第3章 ウイリー誕生、バルトン幼少期
第4章 技術者への道、バルトン青年期
第5章 永訣と自立と
第6章 ロンドンでの活躍、そして日本へ
第7章 バルトン先生の登場
第8章 国境を超えた連帯
第9章 首都東京の上下水道計画
第10章 日本の写真界に新風
第11章 浅草十二階――夢のスカイ・スクレイパー
第12章 濃尾大震災の衝撃
第13章 望郷――愛の絆
第14章 迫るペスト禍と台湾行の決心
第15章 台湾衛生改革の防人
第16章 永遠の旅立ち
第17章 満津と多満――打ち続く試練
第18章 ブリンクリ一家に守られて
第19章 多満の結婚とその生涯
エピローグ――時空を超えて
謝辞
バルトン略年表

★著者は上下水道研究に長らく尽力されており、旧著『都市の医師――浜野弥四郎の軌跡』(水道産業新聞社、1993年)ではバルトンの弟子の人生を描いておられます。そこに本書の主人公であるバルトン先生こと、ウィリアム・K・バートン(1856-1899)も登場しています。その後もバルトン先生の多方面での活躍を知ることとなった著者がついに本書を上梓するに至ったのは、運命的な出会いのように思えます。個人的には、凌雲閣(浅草十二階)の設計と建設、完成後に催された日本初の「美人コンテスト」、そして濃尾大震災による被災と写真集『日本の大地震』の刊行までの過程が興味をそそるのは、近年の東京スカイツリーの完成や日々近づきつつある大地震が読み手に影響しているからでしょうか。タイムマシンがあったら浅草十二階に行ってみたいと思っている方はそれなりにいらっしゃることでしょう。
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by urag | 2016-10-17 00:34 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 10日

注目新刊:グラッシ『形象の力』、クルヴェル『おまえたちは狂人か』、ほか

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形象の力――合理的言語の無力
エルネスト・グラッシ著 原研二訳
白水社 2016年9月 本体5,400円 4-6判上製406頁 ISBN978-4-560-08308-6

帯文より:修辞学の復権、伝説的名著。合理主義を超えて、フマニスム伝統の発見。論証では到達できない世界がある。古代ギリシアの弁論術から近代詩まで形象言語の系譜を掘り起こし、天啓と洞察、芸術の力の優位を説く。

★発売済。シリーズ「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」第8弾。エルネスト・グラッシ(Ernesto Grassi, 1902-1991)の訳書は、『芸術と神話』(Kunst und Mythos, 1957;榎本久彦訳、法政大学出版局、1973年)以来、久しぶりの2点目。底本は『Macht des Bilders: ohnmacht der rationale Sprache - Zur Rettung des Rhetorischen』(DuMont, 1970)です。第Ⅰ部「芸術作品に至る道と形象」、第Ⅱ部「言語の十全にして不全であること」、第Ⅲ部「インゲニウム――フマニスムの伝統」の三部構成。さらに細かい目次は書名のリンク先をご覧ください。本書においてはヴィーコ哲学とそれが根差すフマニスムの伝統が重要なのですが、それはたとえば次のようなくだりで確認できます。

★「ヴィーコが作成した批判哲学とトポス哲学の区別は、決して完了した問題ではなく、断じて今日の問題である。〔・・・〕ヴィーコのトポス哲学理論が根差すのは、ラテン語のフマニスムスの伝統であり、真に原理的な役割を修辞学に与える伝統世界である。人間の弁論の両エレメント、レスとウェルバ、内容と形式は分裂してしまえば二度と再びひとつにできるものではなく、フマニスムの伝統が常に心を砕いてきたのも、それらの一体化なのだった。ひとつの弁論に際してもっぱら合理的要素を、すなわち合理的内容の優位を受け入れてしまえば、精神を揺り動かすことのない表面的、修辞的〈形式〉のみを弁論に振り分けることは可能だろう。とはいえ、そんなことでは哲学もまた徐々に歴史上の人間存在の非本質的領域へと引き籠り、自ら意味を喪失していくだろう」(298-299頁)。

★「フマニスムの伝統の問題は古代の言葉を媒介することにあった。一見非哲学的な立場から発生したかに見えるこうした心配は、合理的知の優位とは無縁だった、というのもフマニスムでは隠れもなき真実がさまざまな形態をとるという問題は基本的にオープンのままだったから。古代の言葉の解釈がフマニストを導いていく客観性の問題は、解釈さるべきテキストを使いつつ、その枠内で生じるのだ。まさに古代文書の解釈こそが、テキストをただ合理的知と論理的心理の観点からのみ問いことは不可能であるという経験をもたらしてくれた。文学的テキストも政治的テキストもそういうことに還元できはしないのだ。言葉を理解し意見を述べることは、フマニスムの伝統においては人間自身の本質を展開することを意味する。そのとき「言葉・愛」たる「フィロ-ロギー」は、個別学問の段階にはもはやおさまらず、哲学の地位を獲得する。その論ずる対象は人間の本質である。この観点から〈フマニスム研究〉はその意味を明快にする。すなわり言葉は――思考の、判断の、疑義の表現としてのみならず――根源の現象として観察されねばならない。根源のものである言葉は、思考の観点からのみならず、文学的なもの、および目的をもった行動の観点からも経験される。多様性を合理的思考の単一性へと還元することが必要な課題として現れるのは、知が唯一にして根源的な経験を表わすことを――デカルトのように――前提とする場合に限られる。しかし、根源における言葉はまさに形而上学問題の――知への問いを通じて現代哲学によって初めて一方的に規定された――本来のオープン性を示す現象なのである。/だからこそフィロロギーは、ひたすら古代を有り難がる好事家のやることではないのだ、のちにたとえばバーゼル時代のニーチェの論文が代表するような意味で、本質的に哲学なのである」(300-301頁)。

★「イタリア・フマニスムの本質とアクチュアリティは、哲学することについての新しい捉え方にある。中世末期の論理偏重の合理主義的なスコラ学とは違うのだ、フマニスムはこれと対決すべく身構えて、人間の本質を具体的、パトス的、レに私的に縛る生成、すなわち歴史性を探究するのである。/社会の起源の問題、歴史における/歴史からなる哲学、その際、ファンタジーはどのような役割を引き受けるのか、ここにおいて働いているのは、精神である。実践の優位、事物の意味は、人間に直接関わる寸刻の猶予も許されない諸問題からの出口と解されるが、それは人間への具体的な関わりにおいて、およびそれをうまく処理しようとする人間の努力において発生するのであり、こうした実践の優位を可能にするのは、ただ形象の力への洞察、あらゆる人間活動の天啓的根源への洞察、修辞学と哲学の関係への洞察、そして合理的言語の優位の拒絶のみだった。/そこから――フマニスムの伝統への新たな回路となる手引きとして――生まれたのが、形象と天啓〔インゲニエース〕に関する、意味論的、指示的、そして合理的、演繹的言語のラディカルな区別に関するわれわれの研究の必要だった。フマニスムの伝統へ通じる新たな回路は、純・ロマニスト的〈文学史的〉関心によっても、一般史的な関心によっても、拓かれるものではない」(325頁)。

★このあとグラッシは「〈いまどき何のための哲学〉という今日焦眉の問題、言い換えると理論と実践の関係の問題」と話を続けるのですが、そのあとについてはぜひ本書現物をご確認下さい。教養学部の漸次縮小が見越されるこんにちの日本の状況において、グラッシをひもとくことは必然的に一種の反時代的挑戦の帯域への参入を意味するのかもしれません。


おまえたちは狂人か
ルネ・クルヴェル著 鈴木大悟訳・解説
風濤社 2016年10月 本体2,800円 四六判上製256頁 ISBN978-4-89219-410-8

帯文より:バーレスクな奇書。バイセクシャルな、34歳で自殺したシュルレアリスト。結核のサナトリウム、同性愛、割礼・・・赤裸々な自伝的要素がコラージュされ、女占い師に名をもらい淫蕩な予言に導かれ遍歴する、倒錯の実験的小説。

★発売済。シリーズ「シュルレアリスムの本棚」第5回配本。先述のグラッシもそうでしたが、ルネ・クルヴェル(René Crevel, 1900-1935)の訳書は、三好郁朗訳『ぼくの肉体とぼく』(Mon corps et moi, 1925;雪華社、1985年10月、絶版)に続いてようやくの2点目。底本は、『Êtes-vous fous ?』(Gallimard, 1981年)で、これはもともとは1929年に刊行されたものの復刊です。訳者の鈴木大悟(すずき・だいご:1969-)さんは水声社のシリーズ「シュルレアリスムの25時」で『ルネ・クルヴェル――ちりぢりの生』(2011年3月)の執筆を担当されているのは周知の通りで、今回の訳書でも長編解説「小説家クルヴェル、シュルレアリスト」が収められています。解説の末尾では原書の興味深い「誤植」のエピソードが紹介されています。鈴木さんの訳文はしなやかで、クルヴェルの生き急ぐかのような疾走感を味わうことができます。鈴木さんの解説では、クラウス・マンが本書を評して「言葉の厳密な意味ではもとより小説ではなく、むしろ論争的な妄夢、叙事的=風刺的形式をとった異様な幻覚、怒りの爆発、反抗」(『反抗と亡命――転回点2』渋谷寿訳、晶文社、1970年、97頁)と書いたことが紹介されています。

★クルヴェルの作品にはどこか寂しさが付きまとうような印象があります。『ぼくの肉体とぼく』の末尾にこんな言葉が書きつけられています。「如何せん、再びぼくは黙さねばならない。ぼくが神を語ろうとするのは、神に祈る欲求を感じるのは、涜神の味にそそのかされてのことなのだ。かつて、人間としてのみじめさがあまりにも大きかった日々に、恐怖のあまり持たざるをえなかった神の観念を、涜神によって凌駕しようとするからであった」(200-201頁)。「こうしてぼくが自分に打ち勝つとき、あるいはしばしの間そのように思い込むとき、ぼくの勝利は、いわばピュロスの勝利、敗北ほどにも手痛い勝利である。/戦いは終り、喜劇は終った。ぼくはひとり、手はからっぽ。心もからっぽ。/ぼくはひとり」(201頁)。

★そして『おまえたちは狂人か』の末尾付近。「朝がきた。/発熱の船たるベッドは、難破している。/夜明けに開かれたこの本は、夜明けに閉じられようとしている」(174頁)。「流れに逆らわず、港を待ち望まず、というのも、もっとも初歩的な慎み深ささえあれば、神と呼ばれる、永遠を保証する保険会社取締役会会長など、もはや受け入れられるはずもないのだから、死とその隠された地下の流れにしたがって、身を浮かせるのだ。仰向けに浮かぶがいい。/そして、彼方、水平線を通り過ぎる宗教の幽霊船にむかって、ひとつの合図を送ることなく、あてにならないこの船にむかって、ひとつの呼び声もあげることもなく」(175頁)。

★クルヴェルの父親はクルヴェルが14歳の頃、シャンソン歌手を銃殺しその後自らも縊死。クルヴェル自身はその約10年後、「自殺についてのアンケート」で「自殺は解決か?」という問いに「その通り」と答え、さらにそのまた約10年後、「火葬にしてください。うんざりだ」というメモを自分に張り付けて命を絶ったと言います。なお、シリーズ「シュルレアリスムの本棚」ではこの先、アラゴン『放縦』や、スーポー『パリの最後の夜』といった書目が刊行予定だそうです。

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★このほか、最近では以下の書籍との出会いがありました。

『『暮しの手帖』と花森安治の素顔』河津一哉・北村正之著、論創社、2016年10月、本体1,600円、四六判並製183頁、ISBN978-4-8460-1573-2
出版と流通』横田冬彦編、平凡社、2016年10月、4-6判上製352頁、ISBN978-4-582-40294-0
ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』W・B・イェイツ著、栩木伸明編訳、平凡社、2016年10月、本体2,500円、B6変判上製函入280頁、ISBN978-4-582-83740-7
陳独秀文集 2 政治論集1 1920-1929』陳独秀著、石川禎浩・三好伸清編訳、東洋文庫、2016年10月、本体3,300円 B6変判上製函入480頁 ISBN978-4-582-80876-6
西洋美術の歴史4 ルネサンスⅠ――百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現』小佐野重利・京谷啓徳・水野千依著、中央公論新社、2016年10月、本体3,800円、B6判上製688頁、ISBN978-4-12-403594-0

★河津一哉・北村正之『『暮しの手帖』と花森安治の素顔』はまもなく発売。シリーズ「出版人に聞く」の第20弾です。帯文に曰く「語られざる花森安治の実像とその背景に迫る。1957年と69年に暮しの手帖社に入社した著者二人は、1978年の花森安治の死去の直前まで、90万雑誌『暮しの手帖』の編集者として薫陶を受ける」。朝ドラ効果で花森さんへの関心が高まる中、同シリーズが新しい読者層を獲得する絶好のチャンスとなるような気がします。同シリーズで二人にインタヴューしたものは本書が初めて。河津一哉(かわづ・かずや:1930-)さんと北村正之(きたむら・まさゆき:1942-)さんはかつて長らく『暮らしの手帖』に関わられた編集者で、北村さんが設立に加わられた出版社「有限責任事業組合(LLP)ブックエンド」では『花森安治 戯文集』(全3巻、2011年6月~12月)や、『社会時評集 花森安治「きのうきょう」』(2012年3月)のほか、『花森安治集』として「衣裳・きもの篇」(2012年8月)、「マンガ・映画、そして自分のことなど篇」(2012年11月)などを出版されています。

★横田冬彦編『出版と流通』はまもなく発売。シリーズ「本の文化史」の第4弾です。出版流通会社の経営危機や倒産が相次ぐ昨今、この主題をめぐって近世から明治までの歴史的変遷を再確認することは歴史家や業界人にとってのみならず、広く一般読者にとっても有益ではないかと思われます。帯文はこうです。「だれが、なぜ、どんな仕組みで、本をつくり、弘めるのか。利を求めて、教えを正し〔く?〕弘めるために、組織と支配を固めるために、国民を創り出す教育をめざして、本屋が、教団が、本所が、学派が、国家が、刷るばかりでなく写して、売るだけでなく貸して、本を弘める。どこにどんな仕組みが、どんな変化が、どんな規模が働いているか。近世から近代へ、書物の動態」。収録論考は以下の通りです。横田冬彦「総論 出版と流通」、藤實久美子「三都の本屋仲間」、須山高明「地方城下町の本屋」、梅田千尋「「暦占書」の出版と流通」、万波寿子「仏書・経典の出版と教団」、吉田麻子「平田国学と書物・出版」、杉本史子「地図・絵図の出版と政治文化の変容」、稲岡勝「明治初期の学校と教科書出版」、浅岡邦雄「近代の貸本屋」、松田泰代「近世出版文化の統計学的研究」。

★イェイツ『ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』はまもなく発売。『赤毛のハンラハンと葦間の風』(平凡社、2015年3月)に続く、栩木訳イェイツ本第2弾です。前著同様、東洋文庫と同じサイズの函入クロス装の瀟洒な上製本。帯文に曰く「“自伝的小説”初邦訳!! アイルランドとイングランドがせめぎあう、イェイツ文学の“相克の原点”。ノーベル賞作家W・B・イェイツ(1865-1939)初期の恋愛小説と彼の文学のエッセンスを凝縮した精選詩26篇のコラボレーション。波乱の生涯をたどる「読める年譜」付き」。『ジョン・シャーマン』の原典は、『John Sherman and Dhoya』(3rd ed,, Londom: T. Fisher Unwin, 1892)。以下に訳書全体の目次を列記します。

はしがき
Ⅰ ジョン・シャーマン
 第一話 ジョン・シャーマン、バラーを離れる
 第二話 マーガレット・リーランド
 第三話 ジョン・シャーマン、バラーを再訪する
 第四話 ウィリアム・ハワード牧師
 第五話 ジョン・シャーマン、バラーへ帰る
 恋、故郷、大都会――編訳者解説にかえて
Ⅱサーカスの動物たち――イェイツ名詩選
 詩選の余白に
 湖の島イニスフリー
 これからの時代のアイルランドに
 アダムが受けた呪い
 第二のトロイアはない
 飲酒歌
 知恵は時とともにやってくる
 仮面
 赦したまえ、父祖たちよ
 クールの野生の白鳥
 敗れた夢
 猫と月
 一九一六年復活祭
 再臨
 ビザンティウムへ船出して
 塔
 わたしの窓辺の椋鳥の巣
 レダと白鳥
 クール荘園、一九二九年
 クールとバリリー、一九三一年
 揺れ動く
 瑠璃〔ラピスラズリ〕
 不埒で無法なワルじいさん
 ベン・バルベンの下で(抄)
 クー・フリン、慰めを得る
 アメンボ
 サーカスの動物たちが逃げた
年譜でたどるイェイツの生涯
あとがき
引用・参照資料一覧

★『陳独秀文集 2』は発売済。東洋文庫の第876弾です。全3巻予定の第2回配本。第1巻「初期思想・文化言語論集」は今年6月に刊行済です。帯文は以下の通り。「近代中国の大先導者でありながら、不当にその存在意義を貶められてきた思想家の主要論説を編訳。2巻は中共指導者としての活躍期から、逐われてトロツキストに転じるまで」。第2巻は第一部「共産党創設期(1920-1923)」、第二部「国共合作期(1924-1927.7)」、第三部「党最高指導者の地位を逐われて(1927.8-1929)」の三部構成。巻末に懇切な解説が収められています。特にその第六節「成敗を超えて」では毛沢東による「総括」と毛沢東死後の再評価の過程に加え、編訳者の石川さんによる的確な論評を読むことができ、たいへん興味深いです。陳独秀の歩みを知ることは中国共産党の変遷を知ることであると言えそうです。

★『西洋美術の歴史4 ルネサンスⅠ』は発売済。創業130周年記念出版となるシリーズ全8巻の第1回配本。「テキストを主とする西洋美術の通史」(プレスリリースより)で、「現在第一線で活躍する執筆陣が、これまで記述の少なかった地域や時代にまで言及し、最新の着目点を紹介します。作品解説にとどまらない「読んで愉しむ」美術の歴史」(同)と。毎月刊行していく予定とのことです。第4巻の目次はシリーズ紹介のウェブページをご覧ください。カバーソデに記載された内容紹介文は以下の通り。「ジョットの登場で新たな芸術が芽吹いたイタリアでは、ヨーロッパ各地の宮廷を席捲した国際ゴシック様式を経て、自然と古代美術に範をとるルネサンスが幕を開けた。覇を競う君主や教皇の下、フィレンツェやヴェネツィアをはじめ各都市で多彩な才能が花開き、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらの活躍がその頂点を飾る。都市を行き来し、刺激を与え合った芸術家たちの核心的な試みは、どのように結実していったのか」。

★シリーズ「西洋美術の歴史」の編集委員は小佐野重利(東大)、小池寿子(國学院大)、三浦篤(東大)の三氏。内容見本に特記された当シリーズの特徴は以下の通りです。また全巻のタイトルと執筆陣も転記しておきます。

・ミロのヴィーナスからポップ・アートまで、流れを一望。
・作品を生み出した政治的、社会的背景を読み解く。
・当時の人々はどう作品を見ていたのか、同時代のまなざしを追体験。
・これまで記述の少なかった地域や時代に焦点をあて、最新の着目点を紹介。
・絵画や彫刻はもちろん、建築、科学、文学から演劇まで、分野を越えた影響を概観。
・作品解説にとどまらない、「読んで愉しむ」美術の歴史。
・各分野の第一人者による書き下ろし。

第1巻:古代――ギリシアとローマ、美の曙光(芳賀京子・芳賀満)
第2巻:中世Ⅰ――キリスト教美術の誕生とビザンティン世界(加藤磨珠枝・益田朋幸)第3回配本予定
第3巻:中世Ⅱ――ロマネスクとゴシックの宇宙(木俣元一・小池寿子)
第4巻:ルネサンスⅠ――百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現(小佐野重利・京谷啓徳・水野千依)第1回配本
第5巻:ルネサンスⅡ――北方の覚醒、自意識と自然表現(秋山總・小佐野重利・北澤洋子・小池寿子・小林典子)
第6巻:17~18世紀――バロックからロココへ、華麗なる展開(大野芳材・中村敏春・宮下規久朗・望月典子)第2回配本予定
第7巻:19世紀――近代美術の誕生、ロマン派から印象派へ(尾関幸・陳岡めぐみ・三浦篤)
第8巻:20世紀――越境する現代美術(井口壽乃・田中正之・村上博哉)

★なお、中央公論新社さんは河出書房新社さんとともに今年創業130周年を迎えられ、今月以下のイベントが開催予定だと聞きます。

◎トークイベント「出版から考える戦後日本」のお知らせ

日時:2016年10月21日(金)18:40~21:00(受付は18:00より)
会場:関西大学東京センター(JR東京駅日本橋口隣接、東京メトロ大手町駅B7出口直結)

講演:「知の大衆化」再考――全集、新書、文庫の時代 大澤聡(批評家、近畿大学文芸学部准教授)/刊行物で辿る二つの出版社――ごくごく私的に―― 片山杜秀(慶應義塾大学法学部教授)
鼎談:出版と読書の変容 大澤聡、片山杜秀、竹内洋(ファシリテーター、関西大学東京センター長)

内容:河出書房新社と中央公論新社の創業130周年と関西大学の創立130周年を記念するトークイベントが開催されます。長い歴史を持ちながら、今も新しい書籍や雑誌を刊行し続けている同年生まれの2社を中心に、出版文化とは何かを、世代の異なる3人が語り合います。
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by urag | 2016-10-10 22:35 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 09日

山本貴光×吉川浩満「生き延びるための人文」第3回@『考える人』、ほか

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新潮社の季刊誌『考える人』2016年秋号に、山本貴光さんと吉川浩満さんの連載対談「生き延びるための人文」の第3回「モードチェンジは「驚き」から始まる」が掲載されています。今回も人文書の編集・営業・販売に関わる人々に必読の話題に触れておられます。短期的に成果を出さねばならない昨今の状況を考える上で、「短期的合理性だけでしのぐには、人生は長すぎる」(山本さん)と気づくことは重要です。「短期では合理的に見えたことも、流行や状況が変わったらそうもいかなくなる。中長期で考えたら、そういうすぐ役に立つ・立たないという発想自体を改める必要も出てくる。〔・・・〕死後となり状況をとりまく一種のエコロジーというか、「関係の網目」を視野に入れることが重要」(山本さん)。「合理性の適正範囲は実は短期長期いろいろ〔・・・〕、そのいろいろあるってことが人文的視点なしには見えない」(吉川さん)。「見えない関係のつながりをどうやって見るかというのも、人文知の利用価値のひとつ」(山本さん)。「準備できないものに出会うための準備〔・・・〕。あえて何らかのクルージを与えて環境をつくる。驚きとかアイデアを誘発するように」(吉川さん)。吉川さん曰くクルージとは「クリエイティビティを発揮できる環境をつくる仕組み」。「驚きのチャンネルを増やしたいね、驚きが快感に変わるような場面、他者と関わる場面というのに自分を開いていくのが大事」(吉川さん)。吉川さんは読書会の効用についても軽く触れられているのですが、お二人をお招きして書店員や出版人とともに読書会が開けたらどんなに素晴らしいでしょうか。しかしながら以下の通りお二人はご多忙なのです。

山本さん、吉川さんのお二人は「ゲンロンβ」で対談「人文的、あまりに人文的」を連載されていることは周知の通りです。またお二人はネット書店hontoの「ブックツリー」にブックキュレーターとしても参加されていますね。まさに大車輪。お二人の今後の刊行予定は山本さん吉川さんのそれぞれのブログのプロフィール欄をご覧ください。吉川さんは紀伊國屋書店の季刊PR誌「scripta」の最新号(第41号、2016年10月)より「哲学の門前」という連載を開始されています。第1回は「Call me Ishmael.」で吉川さんが19歳の頃の米国留学でのとある経験(タクシー運転手との交流)を回想しておられます。胸に沁みるお話。また、山本さんは月刊誌『新潮』2016年11月号にエッセイ「母語のなかで異邦人になる」を寄稿しておられます。さらに山本さんは「本迷宮――本を巡る不思議な物語」展(竹尾見本帖本店2F、2016年10月21日~11月25日)を記念して行われるスペシャルトーク「本を巡る不思議な物語」(2016年10月27日18:30-20:00)にも東雅夫さんや礒崎純一さん(国書刊行会出版局長)とともに登壇されます。予約制につき、参加ご希望の方は、10月13日(木)までに同イベントが紹介されているウェブページ上のフォームにて申し込みが必要とのことです。さらにさらに、山本さんが選書されたブックフェア「知と言葉の連環を見るために」が「じんぶんや」シリーズの最新弾として紀伊國屋書店新宿本店3FのI28棚で11月上旬まで開催されています。

山本さん、吉川さんのお二人は共著『脳がわかれば心がわかるか――脳科学リテラシー養成講座』(太田出版、2016年6月)の刊行記念イベントとしてここ数か月、大澤真幸さんと全三回の連続講義「心脳問題から自由意志、脳の社会性へ、人工知能の可能性とは何を意味するか」(2016年7月~9月)を行っておられました。いずれ活字で読めるようになるでしょうか。対談相手の大澤真幸さんですが、最新著『可能なる革命』(太田出版、2016年9月、本体2,300円、四六判変型432頁、ISBN978-4-7783-1534-4)が先月下旬に発売されました。『atプラス』誌の7号(2011年2月)から29号(2016年8月)まで掲載された連載「可能なる革命」に加筆修正し、序章と終章を書き下ろして1冊にしたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

「革命は可能だ。その可能性の根のようなものを探すのが、本書の狙いである。変化を求めながらも逆に現状を固辞するという悪循環から逃れるためには、革命がまさに可能だということを信じる必要があるからだ」(「はじめに」7頁)。大澤さんの言う革命とは「非合法的な暴力活動」(同頁)ではなく、「修正や改革や維新」(「序章」10頁)以上の「より大きく根本的な変動を指し示す」(同、10~11頁)ものであり、「集合的な要求を通じて、事実上は不可能とされていたことを実現し、そのことで、状況の全体を一変させること」(同、30頁)であり、「不可能だったことを可能にするような変化を、社会運動によってもたらすこと」(同頁)だとされています。本書の狙いは「われわれが無意識のうちに求めているものは、ある意味で〈革命〉だということ、このことを前提にして、次のように問うてみたいのである。それならば、〈革命〉を担い、遂行する主体はいるのか。そのような主体は、われわれの社会の中に準備されているのか。とりわけ、〔政治や社会への関心が乏しいと言われることがある10代から30代前半くらいまでの〕若い世代の中に、そのような主体はいるのか。このことを、さまざまな角度から問い、探究すること」(同、27~28頁)だ、と。

本書の終章では本書の革命論と「〈動物と人間〉をめぐる原理的な考察」とが「まっすぐに一本の糸によってつながっている」ことが明かされています。「私は今、動物との関係において人間とは何かを問う探究に従事している。とりわけ、人間の社会性、人間に固有な社会性は何であり、それはどのようなメカニズムで可能になっているのかが中心的な主題である。この研究では、進化生物学や霊長類学、脳科学などの自然科学から、社会学や哲学の知見までが、横断的に総動員される。成果は部分的に発表されている。いや、まさに発表の途上にある。こうした研究は〈革命〉の可能性という主題とは、およそ関係がないように思われるだろう。しかし、そうではない」(409頁)。発表の途上というのは、『動物的/人間的(1)社会の起原』(弘文堂、2012年)および、2014年より講談社月刊PR誌『』で連載されている「社会性の起原」を指しておられます。なお、大澤さんはつい最近発売になった『現代思想』2016年10月号「緊急特集=相模原障害者殺傷事件」に「この不安をどうしたら取り除くことができるのか」(38-43)というエッセイを寄稿されています。この事件が人びとに抱かせる不安(障碍者を殺すべきだという暴論に由来する)を払拭するに至るための条件について明快にお書きになっておられます。

最後に話を『考える人』2016年秋号に戻すと、同号では、糸井重里さん、細野晴臣さん、横尾忠則さんの三氏による鼎談「ぼくらは“飛び出した”方が生きやすかった[前編]」も掲載されています。横尾さんがYMOに参加予定だったことなどが語られており、興味深いです。横尾さんは発売されたばかりの『文藝』2016年冬季号に掲載された保坂和志さんや磯﨑憲一郎さんとの連載対談「アトリエ会議――二〇一六年八月二日」にも参加されています。今回は彫刻の森美術館を訪問。詳しくは書きませんが、館内を案内されていた主任学芸員の与田さんが思わず「あっ!!!」と声をあげるくだりは、随行されていた編集者の方にとってはさぞかし冷や汗ものだったろうと想像できます。不謹慎ながら思わず吹き出してしまいます。

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by urag | 2016-10-09 19:57 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 07日

注目新刊:デリダ『最後のユダヤ人』、ほか

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★竹峰義和さん(訳書:シュティーグラー『写真の映像』)
『アドルノ、複製技術へのまなざし――「知覚」のアクチュアリティ』(青弓社、2007年)に続く単独著第二弾『〈救済〉のメーディウム』が先月下旬に発売されました。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。全3部9章構成で、2002年から2012年にかけて国内外の各誌に発表されてきた論考を大幅加筆改稿し、書き下ろし4本を加えた1冊です。シンプルで美しい装丁は山口信博さんによるもの。

〈救済〉のメーディウム――ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ
竹峰義和著
東京大学出版会 2016年9月 本体5,900円 四六判上製472頁 ISBN978-4-13-010130-1
帯文より:〈救済〉とは、テクストに潜在する、打ち捨てられた過去の事象のアクチュアリティを開放すること。ベンヤミン、アドルノ、クルーゲが描き出す星座的布置の閃光。


★渡名喜庸哲さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
ジャック・デリダの二つの講演「告白する――不可能なものを」(1998年、フランス語圏ユダヤ人知識人会議)、「アブラハム、他者」(2000年、国際シンポジウム「ユダヤ性――ジャック・デリダのための問い」)をまとめた、『Le dernier des Juif』 (Galilée, 2014)の訳書が今週発売されました。目次や概要については書名のリンク先をご覧ください。巻頭の緒言はジャン=リュック・ナンシーによるものです。未來社さんのシリーズ「ポイエーシス叢書」第69弾。なお同シリーズですはデリダの2著が続刊予定であることは先日書いた通りです。『信と知――たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』(湯浅博雄+大西雅一郎訳、10月下旬発売予定)、『嘘の歴史 序説(仮)』(西山雄二訳、11月刊行予定)。

最後のユダヤ人
ジャック・デリダ著 渡名喜庸哲訳
未來社 2016年9月 本体1,800円 四六判上製150頁 ISBN978-4-624-93269-5

カヴァー紹介文より:現代哲学の最先端を疾走していた晩年のデリダがユダヤ人、ユダヤ性などをめぐって1998年と2000年になされた二つの講演を、盟友ジャン=リュック・ナンシーの緒言とともに収めた講演録。1930年にアルジェリアのユダヤ人家庭に生まれたデリダが、晩年にいたってみずからの出自と「ユダヤ性」を問い直し、現代における〈ユダヤ〉という問題が呈する諸問題に正面から取り組んだ特筆すべき論を展開する。


★モーリス・ブランショさん(著書:『ブランショ政治論集』『書物の不在』『謎の男トマ 1941年初版本』)
★郷原佳以さん(共訳:『ブランショ政治論集』)
来月(2016年11月下旬)発売予定でついに大著『L'entretien infini』(Gallimard, 1969)の訳書が分冊にて刊行開始となるようです。ネット書店hontoで予約受付が開始されています。第1巻の書名は原著第Ⅰ部の題名〔La parole plurielle (parole d'écriture)〕ですから、そこから推測して、以後は原著の三部構成が部ごとに刊行されていくものと思われます。第Ⅱ部は「限界-経験〔L'expérience-limite〕」、第Ⅲ部は「書物の不在(中性的なもの、断片的なもの)〔L'absence de livre (le neutre le fragmentaire)〕」です。

終わりなき対話 Ⅰ 複数性の言葉(エクリチュールの言葉)
モーリス・ブランショ著 湯浅博雄・上田和彦・郷原佳以訳
筑摩書房 2016年11月 本体3,300円 A5判232頁 ISBN978-4-480-77551-1

なお、共訳者の郷原さんは半年前にブリュノ・クレマン(Bruno Clément, 1952-)著『La voix verticale』(Belin, 2013)の訳書を上梓されたばかりです。併せて特記します。同書の目次については書名のリンク先をご覧ください。凡例によれば「著者の申し出により、本文および注に修正を加え、さらには削除および追加した箇所があるため、原書そのままではなく、いわば改訂版の翻訳である」とのことです。

垂直の声――プロソポペイア試論
ブリュノ・クレマン著 郷原佳以訳
水声社 2016年4月 本体4,800円 A5判上製376頁 ISBN978−4−8010-0163-3
帯文より:アウグスティヌス、プラトンから、サロート、ベケット、ブランショ、デリダまで。このように語っているのは誰なのか。レトリックの一つ、プロソポペイアに光を当てた、詩学も軸にすえた独自の方法論による、修辞学の脱構築! 国際哲学コレージュで院長をつとめた著者が、不在のものの「声」という〈思考のフィギュール〉に迫る!

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by urag | 2016-10-07 19:07 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 02日

注目新刊:渡辺優『ジャン=ジョゼフ・スュラン』、ほか

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ジャン=ジョゼフ・スュラン――一七世紀フランス神秘主義の光芒』渡辺優著、慶應義塾大学出版会、2016年10月、本体7,500円、A5判上製474頁、ISBN978-4-7664-2368-6
『神秘主義――超越的世界へ到る途』イーヴリン・アンダーヒル著、門脇由紀子・ 今野喜和人・鶴岡賀雄・村井文夫訳、ナチュラルスピリット、2016年9月、四六判上製595頁、ISBN978-4-86451-217-6
錬金術の世界 新装版』ヨハンネス・ファブリキウス著、大瀧啓裕訳、青土社、2016年5月、本体4,800円、2016年5月、A5判上製**頁、ISBN978-4-7917-6926-1

★『ジャン=ジョゼフ・スュラン』はまもなく発売(10月5日頃より)。「17世紀フランス最大の神秘家として近年注目を集める」(帯文より)イエズス会士ジャン=ジョゼフ・スュラン(Jean-Joseph Surin, 1600-1665)をめぐる日本で初めての単行本になるかと思います。スュラン(シュランと表記されることもあり)の名前は、20世紀における再評価の功労者となったミシェル・ド・セルトーによる『ルーダンの憑依』(みすず書房、2008年)や『歴史のエクリチュール』(法政大学出版局、1996年、品切)などをお読みになった方はご存知かもしれません。著者の渡辺優(わたなべ・ゆう:1981-)さんは天理大学人間学部宗教学科講師。本書は2014年5月に東大大学院人文社会系研究科に提出された博士論文に大幅な加筆修正を施したもので、著者にとって初の単独著となります。目次詳細については書名のリンク先をご覧ください。以下では「はじめに」からいくつか引用します。

★「近世神秘主義においては、神の「不在」の経験は、むしろ根源的に肯定的な意味を帯びたものとして、嘉するべきものとしてありえた」(6頁)。「幻視や脱魂などの神秘体験ではなく、「不在の他者」とのもうひとつの交わりのかたちである「神秘的信仰」をこそ主題化する本書は、本質的に個人的・直接的なものとされる体験、何か特別な「現前の体験」を神秘主義の――ひいては「宗教」そのものの――「本質」とみなしてきた従来の研究の趨勢を正面から問い直し、私たちの神秘主義理解、そして宗教理解の水準を一段押し上げようとする試みである」(7頁)。

★スュランは「15年以上にも及んだ心身の危機的状況――魂の「暗夜」――を通じて、〔・・・〕その身に数々の「超常の・常軌を逸した」体験を被」りつつ、後年の恢復ののちには「すべてのキリスト教信徒に「共通の」、そして一切の超常の体験を拭い去った「通常の」信仰の境涯にこそ、「神秘的合一」への道を見出すに至ったのである」といいます(6~7頁)。「比類なき現前の体験に恵まれたスュランだが、その晩年、彼は、あたかも神が不在であるかのように暗い「信仰の状態」にこそ根源的な平安と喜びを認め、そこに憩うことに」なったと(7頁)。本書は「この間の消息を明らかにし、スュランにおける信仰の何たるかを解明」した労作です。

★本書の補遺「スュランのテクストについて」ではスュランの諸著作(詩的テクスト/霊的指導のためのテクスト/自伝的テクスト/書簡)について簡潔に解説しておられます。スュラン自身の著作の邦訳では「愛の諸相をめぐる十五の詩篇」(村田真弓訳、『キリスト教神秘主義著作集(15)キエティスム』所収、教文館、1990年、341~436頁)があります。

★渡辺さんの新刊で参考文献に挙げられていたアンダーヒルの古典的著作『神秘主義』が、先月復刊されました。親本はジャプラン出版より1990年に出版。1911年にロンドンで刊行されたMysticismの第2部の全訳で、巻頭の「訳者解説」の末尾に付されたごく短い「追記」によれば、訳文に手を入れた改訂版であるとのことです。目次を列記しておくと、訳者解説、第1章「はじめに」、第2章「自我の覚醒」、第3章「自我の浄化」、第4章「自我の照明」、第5章「声とヴィジョン」、第6章「内面への旅(1)――潜心と静寂」、第7章「内面への旅(2)――観想」、第8章「脱我と歓喜」、第9章「魂の暗夜」、第10章「合一の生」、むすび、付録「キリスト教紀元からブレイクの没年までのヨーロッパ神秘主義の歴史的素描」、文献目録〔原書のみ記載〕、索引〔主に人名〕。長らく品切だった本なので、今回の改訂版は嬉しい限りです。なおアンダーヒルの訳書には本書のほかに、『衷なる生活』(中山昌樹訳、教文館出版所、1929年、絶版)、『霊の力』(前川真二郎訳、羊門社、1937年、絶版)、『実践する神秘主義――普通の人たちに贈る小さな本』(金子麻里訳、新教出版社、2015年) があります。

★また、久しぶりの復刊と言えば、隣接する分野では今春、ファブリキウス『錬金術の世界』(青土社、1995年)の新装版が今春刊行されたことも思い出しておきたいと思います。原書はAlchemy: The Medieval Alchemists and their Royal Art (Copenhagen: Rosenkilde and Bagger, 1976; Revised edition, Wellingborough: Aquarian Press, 1989)です。著者はヨハンネス・ファブリキウスと記載されていますが、実際のところプロフィールは不明で、訳者あとがきによれば「心理学に取り組んで無意識の研究をおこなうとともに、少なくとも30年以上の歳月を費やして精力的に錬金術の研究をつづけていることが、かろうじてうかがえるだけ」とのことです。名前はおそらくはペンネームで、近世ドイツに実在した同名の天文学者(Johannes Fabricius, 1587-1616)から採られたものと思われます。復刊にあたり、「新装版あとがき」が加えられているほかは、特に初版から変更や改訂などはないようです。帯文も特に変更はないようです。「初めて解き明かされた神秘主義の殿堂。解明された夢と象徴の体系。古代・中世を経て現代に至る、ヨーロッパ文明の地下水脈に、人類の秘められた、夢と象徴の元型をさぐる。――近代知が見失ってきた魂の救済や生命の蘇生などをめぐる、中世の壮大かつ豊饒な知の体系を、精神分析学の成果を駆使して、深層から掘り起こし平明に解き明かした、錬金術研究の決定版」。

★以下に目次を列記しておきます。

序言
第1章 中世のサブカルチャーの古代の源泉
第2章 第一質料 作業の開始
第3章 最初あるいは地上での再誕の精神外傷
第4章 最初の結合 地上での再誕
第5章 ニグレド 「黒」の死と腐敗
第6章 アルベド 清めの白色化作業
第7章 第二あるいは月の再誕の精神外傷
第8章 第二の結合 月の再誕
第9章 キトリニタス 「黄色」の死と腐敗
第10章 第三あるいは太陽の再誕外傷
第11章 第三の結合 太陽の再誕
第12章 ルベド 「赤」の死と腐敗
第13章 死の精神外傷 第四の結合
第14章 大いなる石あるいは宇宙の石の再生
第15章 サイケデリック心理学 新しい錬金術
参考文献

図版出典
付録(連作図版の研究)
訳者あとがき
索引
新装版あとがき

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

創造元年1968』笠井潔+押井守著、作品社、2016年9月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-596-5
幸福はなぜ哲学の問題になるのか』青山拓央著、太田出版、2016年9月、本体1,600円、四六判変型272頁、ISBN978-4-77831535-1
アートの入り口 美しいもの、世界の歩き方[ヨーロッパ編]』河内タカ著、太田出版、2016年9月、本体1,800円、四六判変型368頁、ISBN978-4-7783-1520-7

★『創造元年1968』は発売済(29日取次搬入済)。押井さん(1951年東京生まれ)と笠井さん(1948年東京生まれ)との対談は、劇場アニメ『立喰師列伝』を記念して行われ、『立喰師、かく語りき。』(徳間書店、2006年、品切)に収録された「革命の火はなぜ消えたのか?」 に続くもので、話題は多岐にわたり、刺激的で濃密です。今回の対談本の巻頭にある笠井さんによる「まえがき」によれば、その最初の対談では「二人とも〈68年〉をめぐる話題に終始して、新作アニメ記念としては異例の対談だった」とのことで、「しかし、それでも語り残したことが多すぎる。今度は時間制限なしで〈68年〉論を徹底的に語ろうということになり、そして完成したのが本書」だということです。「ルーツ――68年世代の僕らがつくったもの」「リアルと表現をめぐる対話」「ルーツを生きること、創造すること」の三部構成。押井さんは対談の最後でこう述べておられます。「運動をやっていた68年から、ずっと自分には、空白の時期があり、68年の自分と今の自分がいまだに直接つながっている感じがします。〔・・・〕自分の作品は、あの当時の原風景を、その「記憶」を物語として表現してきたとも言える」(210頁)と。巻末に藤田直哉さんと編集部による40頁もの事項注釈あり。

★『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』は発売済。著者の青山拓央(あおやま・たくお:1975-)さんは山口大学時間学研究所の准教授。今回の新刊は単独著としては『タイムトラベルの哲学』(講談社SOPHIA BOOKS、2002年;新版、ちくま文庫、2011年)、『分析哲学講義』(ちくま新書、2012年)に続く3冊目。巻頭の「はじめに」によれば本書は幸福をめぐる哲学的考察についての本であり、「幸福とは何かを――なぜその問いに十全な答えがないのかを――読者とともに考えていく本」だと位置付けられています。目次や概要、言及される先人たちの諸著作については、書名のリンク先をご覧ください。「幸福」という言葉は「多義的でありながら、他方でその多義性を自ら打ち消し、私たちを均質化しようとする奇妙な力をもっている」(7頁)と著者は書きます。第5章「付録:小さな子どもたちに」は児童の読者に向けて書いたというユニークな試み。第7章は本書執筆の「一種の楽屋裏」を明かすと同時に「同時に筒井康隆氏の小説『モナドの領域』への特殊な論評」ともなっているとのことです。なお近刊予定として、博士論文に加筆した『時間と自由意思』を筑摩書房より上梓されるそうです。

★『アートの入り口――美しいもの、世界の歩き方[ヨーロッパ編]』は発売済。『アートの入り口――美しいもの、世界の歩き方 [アメリカ編]』(太田出版、2016年2月)に続く第2弾。本書の目次や取り上げられる芸術家については書名のリンク先をご覧ください。「本書には、ぼくが学生の頃から尊敬してやまない歴代の画家や彫刻家や写真家に加え、あまり知られていない、未だ過小評価されていると感じている作家たちが登場します。さらに第4章〔「変貌し続けたボウイ」〕でロンドンのミュージシャンたちのことを熱く書いたのは、美術や写真だけでなく、ぼくに大きな影響を与えてきた彼らのことも同じくらいに重要だと考えたからで、ヨーロッパにおけるアートの入り口として一章を設けました」(364頁)とあとがきにあります。俳優の井浦新さんは本書を評して「読んでいて画家たちと握手を交わせるくらいの距離感を感じた」とコメントしておられます。

★太田出版さんでは今月、大澤真幸『可能なる革命』や、大塚英志『感情化する社会』が発売されていることを申し添えます。こちらもともに注目新刊です。
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by urag | 2016-10-02 23:51 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 29日

注目新刊:デリダ×豊崎光一『翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ』

弊社出版物の著者の、最近の訳書をご紹介します。

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★ジャック・デリダさん(著書『条件なき大学』)
豊崎光一さんとの二回の対談を収録した日本オリジナル版の新刊『翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ』が今週発売されました。「誘惑としてのエクリチュール──絵葉書、翻訳、哲学」(初出:『海』1981年3月号、中央公論社)、「哲学とパフォーマティヴ」(初出:『海』1984年2月号、中央公論社)の2篇の対談に加え、監修者の守中高明さんが解説「哲学・翻訳・パフォーマティヴ──Living on borderlines」と「監修者あとがき」をお書きになっておられます。後者では本書が『デリダとの対話』という書名で、未発表の第3回対談を加えた1冊としてかつて哲学書房から刊行される計画だったことが明かされています(カプート編『デリダとの対話』〔法政大学出版局、2004年〕とは別物です)。埋もれていた企画がこうして刊行されたことに深い敬意を表する次第です。

翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ――脱構築をめぐる対話
ジャック・デリダ+豊崎光一著 豊崎光一訳 守中高明監修
法政大学出版局 2016年9月 本体2,000円 四六判上製182頁 ISBN978-4-588-01048-4

帯文より:対話が開く知の核心。デリダが最も信頼する相手と語り合い、難解で知られるその哲学について、講義や講演でも見せることがない率直な語り口でデリダ自身が明らかにし、豊崎光一が《翻訳》で応答する。アルジェリア生まれのユダヤ人としての来歴、言語との関係、自身の哲学のさまざまな概念、ハイデガー、ブランショ、レヴィナス、セール、フーコー、ドゥルーズらとの関係までを語る。世界初の書籍化。

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なお、デリダさんの訳書がこの先、未來社さんより3点発売予定であることがPR誌「季刊未来」2016年秋号で予告されています。

10月4日発売予定:『最後のユダヤ人』渡名喜庸哲訳、本体1,800円、四六判上製150頁、ISBN978-4-624-93269-5
版元紹介文より:現代哲学の最先端を疾走していた晩年のデリダがユダヤ人、ユダヤ性などをめぐって1998年と2000年になされた二つの講演を、盟友ジャン=リュック・ナンシーの緒言とともに収めた講演録。「ポイエーシス叢書」第69弾。

10月20日発行予定:『信と知――たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』湯浅博雄+大西雅一郎訳、本体予価1,800円、四六判上製192頁、ISBN978-4-624-93268-8
版元紹介文より:デリダの提案にもとづいておこなわれた〈宗教〉をめぐる一大コロック(1994年)での講演をもとに、その後に大幅加筆された追記(ポスト・スクリプトゥム)とあわせてまとめられた後期デリダの代表的宗教論。「ポイエーシス叢書」第68弾。

11月刊行予定:『嘘の歴史 序説(仮)』西山雄二訳、本体予価1,800円、四六判上製160頁、ISBN978-4-624-93270-1
版元紹介文より:パリ・国際哲学コレージュでの講演(1997年)。嘘をめぐるさまざまな哲学的主題が網羅され、現代の政治的な嘘の考察がアクチュアルな仕方で展開される。「ポイエーシス叢書」第70弾。

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by urag | 2016-09-29 18:02 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 25日

注目新刊:新海均『満州 集団自決』、ほか

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満州 集団自決
新海均著
河出書房新社 2016年9月 本体1,900円 46判上製264頁 ISBN978-4-309-22683-5

帯文より:終戦から一ヶ月、戦後最大の惨劇はなぜ起きたのか? 満州開拓史上、最も経済的に繁栄した村・瑞穂村――関東軍の逃亡と、ソ連軍の対日参戦によって追い詰められてゆく集団の軌跡を通じて、〈戦争〉の闇を峻烈に描く。

帯文(裏)より:終戦から1ヶ月が経過した、昭和20年9月17日午前2時。満州開拓史上最も経済的に繁栄した瑞穂開拓団の村民、1,150人のうち495人がいっせいに青酸カリで集団自決した。ソ連の対日参戦と関東軍の逃亡によって“棄民”となった人々は何故、集団自決を選んだのか……奇跡的に生還した者の証言を丹念に辿りながら、瑞穂村の始まりと繁栄、そして壮絶なる挫折を峻烈に描き出し、満州とは、戦争とは何であったのかをあぶり出す。

目次:
はじめに
第一章 桜の満開の下の“拓魂祭”
第二章 新天地・満州国への開拓民送出
第三章 王道楽土と敗戦
第四章 ソ連参戦で相次ぐ虐殺と集団自決
第五章 集団自決までの苦悩
第六章 絶望の彷徨と逃避行
第七章 第二の瑞穂村と“大地の子”
あとがきにかえて

★発売済。著者の新海均(しんかい・ひとし:1952-)さんは早大一文卒業後、光文社編集部を経て現在フリーライターとしてご活躍。今回の著書は、『深沢七郎外伝――淋しいって痛快なんだ』(潮出版社、2011年)、『カッパ・ブックスの時代』(河出ブックス、2013年)、『司馬遼太郎と詩歌句を歩く』(潮出版社、2015年)に続く、第4作。ズッシリと重いテーマの本で、特に第四章以降で列記されていく満州開拓団の凄惨な横死の数々にはただただ言葉を失うばかりです。開拓という名の土地収奪、反満抗日ゲリラとの心休まらぬ戦い、いっときの繁栄、ソ連軍の侵攻、終戦、関東軍の撤退、「匪賊」による容赦ない襲撃、離散する家族。引用することすら憚られる、地獄としか言いようのない現実に、教科書的な満州史の理解を解体させられる心地がします。死を選ぶよりほかないような最悪の状況のさなかに時折またたく、民族を超えた良心が垣間見えるのが、せめてもの読者の慰めでしょうか。「地球が狭くなった今、戦争とは何か、平和とは何かを根源的に問うことが一人一人に求められている」(15頁)と著者は書きます。満州のことを日本人が忘れてしまうとしたら、本当の意味で戦争も平和も語れないのだと自問するほかありません。辛い内容ですが、読みだしたら止まらない本です。


「文藝」戦後文学史
佐久間文子著
河出書房新社 2016年9月 本体2,400円 46判上製312頁 ISBN978-4-309-02497-4

帯文より:その時、文学の〈現場〉では何が起きていたのか!? 戦中から戦後、そして現代まで――奔流にのまれ数奇な運命を辿った出版社と、時代と格闘する作家・編集者たちの姿から、いま新たな「文学史」が誕生する!

目次:
はじめに
第一章 「文藝」の創刊と激化する戦争
第二章 戦後の再出発と雑誌の隆盛
第三章 文藝賞創設と「戦後派」の再検証
第四章 「内向の世代」と広がる〈戦後〉との距離
第五章 新時代の文学と「クリスタル」の衝撃
第六章 J文学の誕生と文芸誌の未来
おわりに
「文藝」略年譜

★発売済。「文藝」誌に掲載された「編集長で読むサバイバル史」前篇・中篇・後篇(2013年秋号・冬号・2014年春号)、「1933→2013『文藝』80年史」(2013年秋号)に加筆修正し、一冊にまとめたもの。昭和8年(1933年)に改造社で創刊され、太平洋戦争末期の改造社解散後に河出書房へと発行元を移し、約5年間の休刊(1957年4月~1962年2月)を挟んで現在まで刊行され続けた雑誌「文藝」のドラマな変遷をたどるユニークな書。今年5月に創業130周年を迎えた河出書房新社さんはかつて1957年3月に倒産し、5月に新社設立。さらに1968年3月には会社更生法の適用を申請。「80年以上続いてきたこの雑誌がたどった道のりは決して平坦ではなかった」(9頁)。「あるときはゴリゴリの純文学雑誌になったり、あるときはエンターテインメントの方向に大きく振れたりと、一つの雑誌が時代時代で大きく様相を変え」(8~9頁)たその過程は非常に興味深いです。文学の土壌が、国家の庇護によって保護されるような一部の伝統芸能とは異なる存在であることを改めて感じます。


オランダのモダン・デザイン――リートフェルト/ブルーナ/ADO
ライヤー・クラス/新見隆監修・著
平凡社 2016年9月 本体2,315円 B5変判並製168頁 ISBN978-4-582-20687-6

帯文より:純粋な色彩とシンプルな形――家具、建築、絵本、ポスター、玩具、ドールハウス。DUTCH MODERN DESIGN, Rietveld / Bruna / ADO.

目次:
オランダ・モダニズムの連続性 (ライヤー・クラス)
人間主義的ものづくり、オランダ讃歌 (新見隆)
ヘリット・トーマス・リートフェルト
ディック・ブルーナ
ADO&コー・フェルズー
ディック・ブルーナのデザイン (今井美樹)
ADO――オランダ・デザインの玩具 (カリン・レインダース)
略年表 リートフェルト/ブルーナ/ADO
作品リスト

★発売済。現在開催中の展覧会「オランダのモダン・デザイン――リートフェルト/ブルーナ/ADO」(2016年9月17日~11月23日@東京オペラシティ・アートギャラリー;2016年12月2日~2017年1月22日@大分県立美術館)の公式図録。ヘリット・トーマス・リートフェルト(Gerrit Thomas Rietveld, 1888-1964)はオランダの前衛芸術運動「デ・ステイル」(1917-1932)に参加していた家具デザイナーであり建築家。名作「レッド・ブルー・チェア」(1918-1923頃)をはじめとする肘掛け椅子の数々や、「シュローダー邸」の関連資料などを見ることができます。ディック・ブルーナ(Dick Bruna, 1927-)はおなじみ「ミッフィー」シリーズで知られる絵本作家であり、デザイナーであり、出版人。彼が関わった多数の出版物が紹介されています。ADO(アド:Arbeid door Onvolwaardigen:障がい者による仕事)は、1920年代から2006年までサナトリウムの患者たちによって制作された木製玩具。コー・フェルズー(Ko Verzuu, 1901-1971)は、サナトリウムの作業療法部門の責任者で、ADOの産みの親です。シンプルで温かみのある玩具の数々が公開されています。オランダ・モダニズムの色あせない新しさを満喫できる展示であり図録ではないでしょうか。


吉本隆明全集2[1948‐1950]
吉本隆明著
晶文社 2016年9月 本体7,000円 A5判変型上製842頁 ISBN978-4-7949-7102-9
帯文より:1948年から1950年までの間に書かれた詩篇、評論、ノートのすべてを収録する。「詩稿Ⅹ」「残照篇」の抹消詩47篇をはじめて収録!!「覚書Ⅰ」、「箴言Ⅰ」「箴言Ⅱ」ノートを完全復元!!! 著者の原型はすべてここにある!

★まもなく発売(10月1日発売予定)。第11回配本です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。投込の月報11は、蓮實重彦さんによる「吉本さんと「母性的」なるもの」、ハルノ宵子さんによる「蓮と骨」を掲載。吉本宅を訪ねた蓮實さんのエピソードは他愛ないようでいて強い印象を残します。この全集では帯が2枚まかれていることは周知の通りですが、1枚目の帯の下にある2枚目にはこんな紹介文が添えられています。「大学卒業、姉の死、いくつかの町工場での転職を経て、特別研究生として大学へ戻った時期に書かれた三つの詩稿群と三つのノートを中心に、重要な長篇詩「(海の風に)」、「エリアンの手記と詩」を含む発表詩と発表評論を収録」。詩篇はむろん印象的ですが、個人的には覚書や箴言に見る断片的ながら直観的な閃きが興味深いです。「奇怪な夢を見たあとは牛乳を飲めばいい」(覚書Ⅰ、367頁;箴言Ⅰ、少年と少女へのノート、417頁)。「猫のように身をこごめて、一日を暮した」(箴言Ⅰ、風の章、396頁)。「僕は倫理から下降する。そしてゆきつくところはない」(箴言Ⅱ、断想Ⅳ、467頁)。「結局はそこへゆくに決っている。だから僕はそこへゆこうとする必要はないはずだ。ここをいつも掘り下げたり切開したりすることの外に。僕に何のすることがあるというのか」(箴言Ⅰ、エリアンの感想の断片、387頁)。「僕は常に孤立した少数者を信ずる」(箴言Ⅰ、エリアンの感想の断片、385頁)。次回配本は2016年12月、第3巻の予定。
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by urag | 2016-09-25 18:47 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)