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カテゴリ:本のコンシェルジュ( 899 )


2017年 08月 01日

注目新刊:廣瀬純映画論集『シネマの大義』フィルムアート社

★廣瀬純さん(著書:『絶望論』、共著『闘争のアサンブレア』、訳書:ヴィルノ『マルチチュードの文法』、共訳:ネグリ『芸術とマルチチュード』)
単行本未収録論考、国内未発表テクスト、講演、討議、座談会、等々を収めた、廣瀬純さんの映画論集がフィルムアート社さんから今月刊行されました。550頁強の大冊です。本書の刊行を記念し、青山ブックセンター六本木店では廣瀬純さんの選書によるブックフェアが開催中とのことです。また、同本店でのトークイベント情報も下段に掲出しておきます。

シネマの大義――廣瀬純映画論集
廣瀬純著
フィルムアート社 2017年7月 本体3,000円 四六判並製560頁 ISBN978-4-8459-1639-9

帯文より:シネマの大義の下で撮られたフィルムだけが、全人類に関わる。個人的な思いつき、突飛なアイディア、逞しい想像力といったものが原因(cause)となって創造されたフィルム〔・・・〕、個人の大義(cause)の下で撮られたフィルムはその個人にしか関わりがない。「シネマの魂」が原因となって創造されたフィルムだけがすべての者に関わるのだ。「ただちょっと面白いだけで、あとはさっぱり役立たずだった映画というものが、廣瀬純の言葉によって今ようやく何かの役に立とうとしている!」(黒沢清・映画監督)。
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日時:2017年8月10日 (木) 19:15~20:45 開場18:45~
場所:青山ブックセンター本店 大教室
料金:1,350円(税込)
定員:110名様
問合:青山ブックセンター本店 電話03-5485-5511(受付時間10:00~22:00)

内容:現時点までのキャリアを総括した初の映画論集『シネマの大義』を上梓した、批評家の廣瀬純さん。日本では蓮實重彦から安井豊作を通じて問われ続けてきた「シネマ」なるもの、その「大義」とはいかなるものなのかを問う本書は、廣瀬純のここ10年にわたる果敢な批評的実践の記録となっています。今回は、期せずして同時期に映画評論集『菊地成孔の欧米休憩タイム』を上梓する、菊地成孔さんをお招きし、「シネマ」とその大義はいまどこにあるのかについてお話しいただきます。映画を見ること、映画をつくること、そして映画を思考することは、いったいどのように人類に関わるのか──。どうぞご期待ください。

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by urag | 2017-08-01 17:07 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 30日

注目新刊:クセナキス『音楽と建築』新編新訳版、ほか

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ヤニス・クセナキス著 高橋悠治編訳
河出書房新社 2017年7月 本体2,800円 46判上製184頁 ISBN978-4-309-27618-2
帯文より:「音楽が知性だった。建築は力だった。もう世界の終わりなき流動を怖れる必要はなかった。感じ考えていたのは世界だったのだから」(岡崎乾二郎)。高度な数学的知識で論じられる音楽と建築のテクノロジカルな創造的関係性。コンピュータを用いた現代における表現の、すべての始原がここに――。伝説の名著、新編・新訳。

目次:
訳者まえがき(高橋悠治)
音楽
 1 確率論と作曲
 2 三つのたとえ
 3 メタミュージックに向かって
 4 音楽の哲学へ
  一般事例
  事例《ノモス・アルファ》の分析
  《ノモス・ガンマ》――《ノモス・アルファ》の一般化[英語版から]
  天命の指針
建築
 5 フィリップス展示館――建築の夜明け
 6 「電子的運動表現」覚書
 7 宇宙都市
 8 見るための音楽《ディアトープ》
ヤニス・クセナキスの軌跡(高橋悠治)

★発売済。巻末特記によれば「本書は、1975年に全音楽譜出版社から刊行された同タイトルの書籍を、増補・改訳したものです」と。より詳しくは巻頭の「訳者まえがき」で説明されています。「この本は基本的には1975年に全音楽譜出版社から出した『音楽と建築』の再版だが、音楽についての第1部はフランス語の原文『Musique Architecture』(Casterman, 1976)と『Formalized Music』(Pendragon, 1975)中の英訳から、建築に関する第2部は『Music de l'architecture』(Éditions Parenthèse, 2006)のフランス語原文と『Music and Architecture』(Pendragon, 2008)の改訂版英訳から選択し、フランスワーズ・クセナキスとシャロン・カナークの了解のもとに、クセナキス入門とも言える独自の日本語版とした。《ディアトープ》についての講演と、そこで参照されたプラトン、パスカルなどの文章を新しく訳した」とのことです。

★参考までに旧版(底本はCastermanより刊行された『Musique Architecture』の初版1971年版。1976年版は増補新版)の目次を列記しておきます。

日本語版への序
序 「音列音楽の危機」より
第1部 音楽
 第1章 確率論と作曲
 第2章 三つのたとえ
 第3章 作曲の形式化と公理
 第4章 三つの結晶核
 第5章 超音楽へ
 第6章 音楽の哲学へ
  一般の場合
  特殊の場合――「ノモス・アルファ」の分析
  「ノモス・ガンマ」――「ノモス・アルファ」の一般化
  運命指示計
第2部 建築
 「電子詩」1958――ルコルビュジェ
 第1章 フィリップス館
 第2章 電子的身振りについて
 第3章 宇宙都市
年表ヤニス・クセナキス
訳者あとがき(高橋悠治)

★河出書房新社さんから再刊するにあたり「訳文を最初から作り直」したとのことで、底本も同一ではありませんから、旧版を持っている方も今回の「新編・新訳」版は購読された方がいいと思います。新版にあって旧版にないものは新たに訳出されたクセナキスの「見るための音楽《ディアトープ》」と、高橋さんによる「訳者まえがき」および「ヤニス・クセナキスの軌跡」です。逆に旧版にあって新版にないものは「日本語版への序」「序 「音列音楽の危機」より」「三つの結晶核」「「電子詩」1958――ルコルビュジェ」、そして「年表ヤニス・クセナキス」「訳者あとがき」です。これらのことを勘案すると、図書館さんにおかれましては今回の新版を配架したからといって旧版を除籍するのは妥当ではありません。

★高橋さんは「訳者まえがき」で本書の背景に「古代ギリシャ哲学、現代ギリシャの政治状況、独裁体制やファシズムとたたかった地下活動体験、亡命者の孤独のなかから作り出した思想と方法がある」とお書きになっています。「デモや武装闘争の記憶、複雑な自然現象や社会の暴力の経験から創られた独自の音楽や建築には、確率論や統計数学をはじめとする数学を使って、多数の粒子が一見無秩序に飛び交う空間、乱流やノイズを、意志と方向をもって統御している。安定した社会のいままでの音楽や建築が知らなかった、揺れ動く不安な社会、さまざまな文化がぶつかりあう難民や亡命者の世界が作り出した芸術のあたらしいかたちのひとつといえるだろう」。

★新訳「三つのたとえ」(1958年)から印象的な文章を引きます。「思想やエネルギー活動、人間にあたえられ人間が担う物理的現実を反映する精神過程と心理現象の光と影があり、音楽はそれらすべてのマトリックスだ。世界観の表現としては、波動、樹木、人間だけでなく、理論物理学・抽象論理学・現代代数学などの基礎理論もそこに入っている。哲学であり、存在するものの個的・普遍的側面でもある。闘争と対比、諸存在と現在進行中のプロセスとの折り合う地点は、19世紀の人間(神)中心主義的発想とは遠い。思考様式には物理学やサイバネティクスなどの現代的精神に支配されている。〔・・・〕音楽こそどんな芸術にも増して、抽象的頭脳と感性的実践とが、人間的限界内で折り合う場なのだ。音楽は世界の調和だとは個人の言い草だが、現代思想からもおなじことが言える。〔・・・〕20世紀前半の思想とプロセスの嵐に揉まれた後で、音楽的探究や実現の範囲を拡大することが絶対必要だ。伝統の息詰まる温室から出して、野外に解放しよう」(21頁)。

★河出書房新社さんの今月の再刊本では、本書のほかに、以下の新装版が刊行されています。

カオスモーズ 新装版
フェリックス・ガタリ著 宮林寛/小沢秋広訳
河出書房新社 2017年7月 本体3,800円 46判上製224頁 ISBN978-4-309-24816-5

帯文より:「生活とは、たくさんの異質な流れが絡み合ったものである。その複雑さを捉えるには、従来の学問では足りない。だからガタリは、独自の抽象思考に踏み出した。生活の細部に分け入ること、それが人間の未来像を見ることなのだ」(千葉雅也)。「フェリックスは稲妻だった」(ドゥルーズ)。没後25年、時代はようやくガタリに追いついた――その思考と実践のすべてを注ぎ込んだガタリの遺著にして代表作、復活。

目次:
1 主体感の生産をめぐって
2 機械性異質発生
3 スキゾ分析によるメタモデル化
4 スキゾなカオスモーズ
5 機械性の口唇性と潜勢的なもののエコロジー
6 美の新しいパラダイム
7 生態哲学〔エコゾフィー〕の対象
原注
訳者あとがき

★初版が2004年刊ですからもう13年も経過しているのですね。今回の再刊にあたり、特に追記等はありません。原書は『Chaosmose』(Éditions Galilée, 1992)であり、同年に死去したガタリの遺著です。河出さんでは関連書として昨年末、上野俊哉さんの『四つのエコロジー――フェリックス・ガタリの思考』を出版されています。

★ガタリは「機械性の口唇性と潜勢的なもののエコロジー」で現代社会のありようと課題を次のように述べています。「現在の世界は、環境論的にも人口論的にも都市論的にも行き詰っていて、それらを揺さぶっている技術や科学の驚くべき変貌を、人類の利益と両立可能なかたちで引き受けることができないでいます。深い奈落か根本的な更新かのあいだで、目もくらむような競争が始まっています。経済的、社会的、政治的、道徳的、伝統的な分野で磁石の針はすべて一つまた一つと狂いつつあります。価値の軸、人間関係や生産関係の基本的な目的を立て直すことが至上命令になっています」(146頁)。ガタリが構想した生態哲学〔エコゾフィー〕はこうした危機への果敢な挑戦です。「一般エコロジーもしくは生態の哲学〔エコゾフィー〕は、生態系の科学として、政治的再生を賭して作業しますが、同時に、倫理的、美的かつ分析的な行為参加としても作用します。それは新しい価値付けシステム、生に対する新しい嗜好、男と女の間、世代間、種族や民族間における新しくかつ優しい在り方を目指すのです」(146~147頁)。

★カオスとコスモスとオスモーズ(浸透)を一つにつないだものと訳者が説明する「カオスモーズ」は非常に興味深い概念です。例えば「美の新しいパラダイム」にはこんな記述があります。「無限の速度による連続的往還によって、多種多様な実体が、存在論的に異質な複合において互いに差異化しあうこと、同一の「在る-否-在る」の反復のなかで、姿かたちの雑多性を破棄しながら均質化しつつ、カオス化すること〔・・・〕。多様な実体たちはここで、外的な参照系や座標系とのつながりを失う混沌とした臍の地帯に向けた投身を繰り返しながら、その臍の地帯から新たな複雑性を充填して再び現れることができるわけです」(176~177頁)。

★本書の末尾でガタリは次のように書いています。「精神分析、制度論的分析、映画、文学、詩、革新的な教育法、都市整備、建築、クリエーター、これらの専門分野はすべて、それぞれにおける創造性を結集し、地平線上に現れつつある野蛮、精神の内部崩壊、カオスモーズ的な痙攣という試練を、打ち払い、不可知の豊かさと喜びに変えるという使命を担っています」(212頁)。専門性に閉じこもることなく横断し交流することを訴えるガタリの動き続ける魂が本書から今もなお立ち昇っています。

★ちなみに帯文にある千葉雅也さんの推薦文は、ガタリの思想を端的に表現しているとともに、千葉さんの『勉強の哲学』に続くことが予想される理論的著作への扉ともなっているように読めます。千葉さんは今月末発売された『現代思想』2017年8月号の特集「「コミュ障」の時代」で、「コミュニケーションにおける闇と超越」という討議を國分功一郎さんと行なっておられます(53~69頁)。先月創刊された、「芸術(体験)と言葉」を掲げた雑誌「NOUMU」の創刊号の主題が「不可能なコミュニケーション」でしたが、こうした一種の主題的共振は同時代性において不可避のものです。私事で恐縮ですが「多様体」第零号(八重洲BC本店「月曜社フェア」ノベルティ、2016年7月)所収の拙文「シグマの崩壊」で書いたこともこうした同時代性の磁場の内にあるものです。

★國分さんは討議で「「言葉の力」を訴えることは、ある種の精神的な貴族性を肯定することにつながると思うんです。〔・・・〕僕は今そのことばかり考えています。〔・・・〕僕にとって貴族的なものというのはずっとテーマとしてあって、『暇と退屈の倫理学』も一言で言うと、全員で貴族になろうという本だったんですね」(59頁)と発言されています。この貴族性、貴族的なものという言葉はこの討議のキーワードの一つになっていて、同時代の様々な議論と接続していく回路になっていると感じます。これはいわゆる「貴族階級そのもの」ではなく、「権威主義なき権威」(國分)や、「高貴な民衆」(千葉)といった問題圏と接しています。千葉さんは「貴族的なるものの再発明を旧来の既得権益の継承とは別のかたちで」考えること(63頁)を問うておられます。國分さんは「貴族的なものを僕は「徳」だと考える」(同)と。私自身の関心に変換して言うとそれは民主主義の発展形としての「アリストアナーキズム(貴族的無政府主義)」という圏域への困難だけれども必要な旅、ということになります。

★なお千葉さんと國分さんはガタリについて次のようにも語っておられます。千葉「最近僕もガタリを読み返していて、現代的に深読みができるなと思っています」。國分「ドゥルーズがそこに気づいて面白がっていたということなのでしょうね。ある意味では時代がガタリに追いついてきた」。帯の文言と一致していますが、これも一種の不可避な共振であり、共謀なき同意かと思います。

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★このほか最近では作品社さんの次の新刊2点(いずれも発売済)との出会いがありました。

クルアーン的世界観――近代をイスラームと共存させるために』アブドゥルハミード・アブー・スライマーン著、塩崎悠輝/出水麻野訳、塩崎悠輝解説、作品社、2017年7月、本体2,400円、四六判上製310頁、ISBN978-4-86182-644-3
ウィッシュガール』ニッキー・ロフティン著、代田亜香子訳、作品社、2017年7月、本体1,800円、四六判上製246頁、ISBN978-4-86182-645-0

★『クルアーン的世界観』の原書は『The Qur'anic Worldview: A Springboard for Cultural Reform』(International Institute of Islamic Thought, 2011)です。著者のアブー・スライマーン(AbdulHamid AbuSulayman, 1936-)はサウジアラビアの穏健派知識人で現在「国際イスラーム思想研究所」の代表であり、「米国児童育成基金」の代表でもあります。本邦初の訳書となる本書は「ムスリムの共同体が過去に持っていた世界観と歴史上の様々な段階を多様な側面から顧みる。そしてイスラーム文明の最初期における飛躍の根本的な原因をつきとめる。本書はまた、ムスリムの共同体が持つようになったさまざまな観念に影響した重要な原因と、現在直面している危機を示す」(4頁、「はじめに」より)ものです。

★目次を以下に列記しておきます。
日本語版へのメッセージ
はじめに
アラビア語版への序文
第一章 クルアーン的世界観と人類の文化
第二章 クルアーン的世界観で具体的に示された諸原則
第三章 クルアーン的世界観――改革と建設の基礎、出発点、インスピレーション
第四章 イスラーム的世界観と人道的倫理の概念
第五章 国際イスラーム思想研究所による大学カリキュラムの発展に向けた計画
付録Ⅰ 改革のための教育
付録Ⅱ 信仰――理性に基づくものなのか、奇跡に基づくものなのか
原註
解説「イスラーム独自の近代は可能か?」(塩崎悠輝)
訳者あとがき


★『ウィッシュガール』の原書は『Wish Girl』(Razorbill, 2015)で、アメリカの作家ロフティン(Nikki Loftin, 1972-)の初めての訳書です。冒頭部分を引用します。「十三歳になる前の夏、ぼくはあまりにもじっとしていたせいで、死にかけた。/ぼくは昔からずっと、静かだった。練習していたほどだ。息を殺して、頭のなかの考えさえ、そっとしとく。静かにしてることは、ぼくがだれよりもうまくできるだったひとつの得意分野だった。だけどたぶん、そのせいでぼくはへんなやつだと思われていた。家族は、ききあきるほどいってた。「ピーターは、どうかしたのかな?」/どうかしてるとこなんて、たくさんある。だけどいま、いちばん深刻な問題は、足の上にガラガラヘビがいることだ。/ぼくは、はじめて家を勝手にぬけだしてきた。もしかしたらこれが最後になるかもしれない・・・そう考えながら、地面をじっと見つめてた。ゆっくりとまばたきをする。目を閉じればヘビが消えてくれるみたいに」(5頁)。

★作品社さんのシリーズ「金原瑞人選オールタイム・ベストYA」は同書をもって第一期全10巻完結とのことです。言うまでもありませんがYAというのはヤングアダルトのこと。「1970年代後半、アメリカで生まれて英語圏の国々に広がっていった」ジャンル(「選者のことば」より)で、若い読者、高校生や大学生を主な対象としており、いわば児童書と文学書をつなぐブリッジの役目があります。ジュヴナイルやラノベ(ライトノベル)とも関連しており、大きな市場だと言えます。

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by urag | 2017-07-30 14:15 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 22日

注目新刊:ビフォの問題作『英雄たち』がついに翻訳、ほか

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大量殺人の“ダークヒーロー”――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?
フランコ・ベラルディ(ビフォ)著、杉村昌昭訳
作品社、2017年6月、本体2,400円、46判上製295頁、ISBN978-4-86182-641-2

★先月(6月29日取次搬入)発売済。原書は『Heroes: Mass Murder and Suicide』(Verso, 2015)であり、翻訳にあたってフランス語版『Tueries』(Lux Editions, 2016)も参照されています。目次を以下に列記しておきます。

[英語版への序文]なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?
[フランス語版への序文]人間を死に追いやる現代資本主義社会
第1章 “俺はジョーカーだ”――オーロラ銃乱射事件とホームズ
第2章 “人間は課題評価されている”――ヨケラ高校銃乱射事件とオーヴィネン
第3章 “死ぬ直前、一瞬だけ勝者に”――コロンバイン高校銃乱射事件とハリス&クレボルド
第4章 “私はイエスのように死ぬ”――ヴァージニア工科大学銃乱射事件とチョ・スンヒ
第5章 現代資本主義社会において“犯罪”とは?
第6章 “ロボットのように殺人を”――ノルウェー連続テロ事件とブレイヴェーク
第7章 “民族のために生命を捧げた”――マクベラの洞窟虐殺事件とゴールドシュテイン
第8章 “誰も安全ではない”――アメリカ同時多発テロ事件とアタ、ロンドン衛兵惨殺事件とアデボラージョ&アデボワール、ワシントン海軍工廠銃撃事件とアレクシス
第9章 “世界に広がる自殺の波”――横浜浮浪者銃撃殺人事件、ひきこもり、フランステレコム社、イタイア・タラント市、モンサント社、フォックスコン社・・・
第10章 最も自殺の多い国の希望――ソウルへの旅
第11章 何もなせることがないときに、何をなすべきか?
[フランス語版解説]X線撮影された社会的身体(イヴ・シットン)
[フランコ・ベラルディ(ビフォ)へのインタヴュー]大量殺人と自殺の分析を通して見えてくるもの(広瀬純=インタヴュー/翻訳)
本書で取り上げられた「大量殺人事件」の概要(作品社編集部)
訳者あとがき
参考文献・映画

★フランス語版解説でシットンはこう書いています。「本書は、いま現在、われわれの社会の中心部で起きていて、今後もそうした方向に向かっていくであろう社会崩壊と壊滅を、譲歩も容赦もなしに、あますところなくX線撮影したものである」。同様に、訳者の杉村さんは本書をこう紹介しています。「近年世界中を席捲している「自殺テロリズム」の心理的・社会的分析を克明に行ないながら、「絶対資本主義」時代の文明的不安の正体をえぐりだそうとした新作である」(訳者あとがきより)。「本書の核心的テーマは、『プレカリアートの詩』〔櫻田和也訳、河出書房新社、2009年、品切〕で展開された現代金融(記号)資本主義の社会分析に依拠して、そのネガティブな社会的様相をペシミスティックな観点から文明史的に描き出そうとしたものと言えるだろう」(同)。

★「悪魔は存在しない。存在するのは、このところますます“自殺”という形態に人々を追い込んでいる資本主義社会、そして漠然とした絶望のひろがりである」(15頁)とビフォは書きます。「現代のテロリズムは、確かに政治的文脈から説明することができるだろう。しかし、そうした分析の仕方だけでは不十分である。われわれの時代のもっとも恐るべきもののひとつであるこの現象は、何よりもまず自己破壊的傾向の広がりとして解釈されなくてはならない。もちろん「ジハード」(殉教あるいは自殺的テロリズム)は一見、政治的・イデオロギー的・宗教的な理由から発動する。しかし、この修辞的外観の下には、奥深い自殺動機が潜んでいて、その引き金となるのは、つねに絶望であり、屈辱であり、貧困である。自らの人生に終止符を打とうとする男女にとって、生きることが耐えがたい重荷になり、死が唯一の解決策、大量殺人が唯一の復讐になるのだ」(18~19頁)。「自殺者の数、とくに他人の生命を奪う自殺の数が増加しているのは、明らかに社会生活が、不幸を生産する工場になっているという事実に由来する。一方に「勝者」がいて、他方に勝者とはほど遠い意識の持ち主がいるという厳然たる状態において、勝利する(たとえ短い時間でも)ための唯一の方法は、自分の生命を犠牲にして、他者の生命を破壊することである」(19頁)。

★本書は読み方を間違えてはいけない本で、注意を要します。ビフォが書く通り本書は「われわれを取り巻く悲しみ、そして、しばしば侵略的・暴力的な大量殺人にまで至る激怒に変容する悲しみを解剖したものであ」り、「大量殺人と伴った自殺についての試論であり、今日の資本主義と呼ばれるものの本質――金融による抽象化、人間相互の諸関係の潜在化、不安定労働、競争主義など――を把握しようとしたものである」(19~20頁)であって、テロリストの行動と思想を賞讃する名鑑ではありません。原書名である「ヒーローズ(英雄たち)」というのは強烈な皮肉なのですが、読み間違えることを懸念してか、最終章「何もなせることがないときに、何をなすべきか?」の末尾で、あまりにも暗い絶望感が漂う本書の分析について「私の破局的な予感を、あまりまともに受け取らないでほしい」(242頁)とビフォは書いています。『大量殺人の“ダークヒーロー”』は今年刊行された人文書新刊の中でもっとも「問題作」だと言うべき一冊です。

★本書に関連する新刊がこのあと何冊か続きます。
7月26日発売予定:ガタリ『カオスモーズ 新装版』河出書房新社
8月15日発売予定:栗原康監修『日本のテロ――爆弾の時代 60s-70s』河出書房新社
ガタリの『カオスモーズ』はビフォが本書で重要な参照項としている本です。「カオスモーズは、社会的連帯の身体的再活性化、想像力の再活性化であり、経済成長という限定された地平を超えた新たな人間進化の次元を指し示す」(239頁)。また、水声社さんからビフォのガタリ論『フェリックス・ガタリ――そのひとと思想と未来図法(仮)』が刊行予定だと著者略歴に特記されています。

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★また、今月の新刊では以下の書目に注目しています。

ベルクソニズム 〈新訳〉』ジル・ドゥルーズ著、檜垣立哉/小林卓也訳、法政大学出版局、2017年7月、本体2,100円、四六判上製180頁、ISBN978-4-588-01063-7
マルセル・デュシャンとチェス』中尾拓哉著、平凡社、2017年7月、本体4,800円、A5判上製396頁、ISBN978-4-582-28448-5

★ドゥルーズ『ベルクソニズム』は発売済。『ベルクソンの哲学』(宇波彰訳、法政大学出版局、1974年、絶版)の後継となる新訳です。「近年の研究動向を取り入れた」(帯文より)、実に40数年ぶりの新訳。原書は『Le bergsonisme』(PUF, 1966)です。檜垣さんは訳者解説でこう本書を評しておられます。「ドゥルーズは、ベルクソン自身がおこなった以上にベルクソンの核心に接近し、それを独自の存在論的思索にまで高めていく。この書物はきわめてコンパクトなものであり、ドゥルーズという大思想家の作品群のなかでは、そのキャリアのほんのプロローグ的な位置づけに置かれるものでしかない。しかしそれにしてもここでのドゥルーズのベルクソンをあつかう切れ味には凄まじいものがある」(131~132頁)。「ドゥルーズは〔生涯の〕最後まで「内在の哲学」にこだわった。最後の原稿である「内在:一つの生・・・」にはさまざまな哲学者が登場するが、内在にせよ、生にせよ、その言葉をドゥルーズがもちいる根底にはつねにベルクソンがいる。そのことは初期の作品といえるこの書物以降、けっして変わることがないものである」(158頁)。

★中尾拓哉『マルセル・デュシャンとチェス』はまもなく発売。2015年に多摩美術大学大学院美術研究科に提出された博士論文に大幅な加筆修正を施したもので、帯文にはいとうせいこうさんの推薦文が刷られています。曰く「チェスとデュシャンは無関係だという根拠なき風説がこの国を覆っていた。やっと霧が晴れたような思いだ。ボードゲームは脳内の抽象性を拡張する」。主要目次を列記しておきます。序章「二つのモノグラフの間に」、第一章「絵画からチェスへの移行」、第二章「名指されない選択の余地」、第三章「四次元の目には映るもの」、第四章「対立し和解する永久運動」、第五章「遺された一手をめぐって」、第六章「創作行為、白と黒と灰と」、あとがき、註、参考文献、索引(人名・事項)。「なぜ、私のチェス・プレイが芸術活動ではないのですか。チェス・ゲームは非常に造形的です。それは構築される。それはメカニカルな彫刻ですし、美しいチェス・プロブレムをつくります。その美しさは頭と手でつくられるのです」(序章、18頁)とデュシャンは語ったと言います。「このデュシャンの言葉から、本書は開始される。これからのデュシャン論においては、チェスを「藝術の蜂起」の代名詞として「非芸術」へと分けるよりも、むしろその区分によって失われていたものを探し出すことが期待されるのである」(18~19頁)と著者は書きます。著者の中尾拓哉(なかお・たくや:1981-)さんは美術評論家。本書がデビュー作となります。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

反「大学改革」論――若手からの問題提起』藤本夕衣/古川雄嗣/渡邉浩一編、ナカニシヤ出版、2017年6月、本体2,400円、4-6判並製264頁、ISBN978-4-7795-1081-6
外国人をつくりだす――戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』朴沙羅著、ナカニシヤ出版、2017年7月、本体3,500円、4-6判上製296頁、ISBN978-4-7795-1185-1
イマ イキテル 自閉症兄弟の物語――知ろうとするより、感じてほしい』増田幸弘著、明石書店、2017年7月、本体1,600円、4-6判並製336頁、ISBN978-4-7503-4542-0

★まずはナカニシヤ出版さんの新刊2点。『反「大学改革」論』は発売済。巻頭の「はじめに」によれば本書は「「若手」に属する大学教員・研究者――基本的に40歳以下としたが、例外も含む――が集い、それぞれの立場から、大学の在り方を根本的に問いなおすことを試みて」おり、「大学論に加え、教育学の諸分野(教育哲学、教育史学、教育社会学、教育行政学)、さらには哲学、文学、科学史、物理学といった、文理にまたがる多様な専門をもつものが、「大学改革」を論じ、それを総合することをめざした」とのことです。目次詳細と寄稿者略歴は書名のリンク先をご覧ください。

★朴沙羅『外国人をつくりだす』はまもなく発売。2013年に京都大学大学院文学研究科へ提出した博士論文に大幅な加筆修正を施したものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「本書は、日本が中国やアメリカとの戦争に負け、連合国軍が日本を占領していた時期(すなわち1945年9月から1952年4月までのあいだ。以下「占領期」)に、日本へ渡航してきた朝鮮人がどのように発見され、どのように登録されたのかについて、個人の体験談と文献から明らかにする」(序章、3頁)。「本書は、いかにして入国管理体制は在日コリアンを対象としたのかという問題を、解放後の朝鮮から占領期の日本への「密航」と「密航」後の地位獲得プロセスから検討するものである」(同、17頁)。著者のブログの7月20日付エントリー「単著を出版します」では、巻末の「謝辞」とは異なる、未掲載の「あとがき」を読むことができます。

★増田幸弘『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語』はまもなく発売。著者がひょんなことから知り合った、自閉症の子供をもつ家族四人の生活を10年にわたる取材を通じて綴ったもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。知人や関係者による10の証言も随所に挿入されています。家族が向き合ってきた数々のエピソードに接するとき、自身の理解力の限界を感じ、安易な感想や印象を言うのが憚られます。本書は部分的に教訓を抜き出せるような類の軽い本ではなく、その全体を通読し再読することをもってしか接近しえない固有の重みを持っていると感じます。

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by urag | 2017-07-22 22:06 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 19日

注目新刊:中山元訳『存在と時間3』『今こそ『資本論』』

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★中山元さん(訳書:ブランショ『書物の不在』)
ハイデガー『存在と時間』(全8巻、光文社古典新訳文庫)の第3巻と、ウィーン『マルクスの『資本論』』(ポプラ社、2007年)の改題新書版『今こそ『資本論』』(ポプラ新書)を先週上梓されました。

ハイデガー『存在と時間3』に収録されているのは、第一部「時間性に基づいた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的な地平としての時間の解明」第一篇「現存在の予備的な基礎分析」第三章「世界の世界性」第一七節「指示とめじるし」から、第四章「共同存在と自己存在としての世界内存在、「世人〔ひと〕」第二七節「日常的な自己存在と〈世人〉」まで。中山さん訳の『存在と時間』の最大の特徴は、長大な解説にあります。翻訳と懇切解説が一冊で読めることによって理解が深まるわけです。
なお光文社古典新訳文庫の9月新刊には、ソポクレス『オイディプス王』河合祥一郎訳、マキャヴェッリ『君主論』森川辰文訳、などが予告されています。

フランシス・ウィーン『今こそ『資本論』』は単行本刊行からすでに10年が経過している、という巻頭言にあらためて驚きます。巻頭言というのは、佐藤優さんによる「資本主義システムの下で生き残るために――新書化によせて」という一文です。「ウィーンの『資本論』解釈は、宇野〔弘蔵〕に近い」と佐藤さんは指摘しています。その理由については店頭で本書をご確認下さい。この巻頭言で佐藤さんはこうもしたためられています。「筆者は、学生時代だけでなく、外交官時代も、職業作家になった今も、『資本論』の論理は正しいと考えている。〔・・・〕自らの利潤を犠牲にして、労働者に回すような「人道的」資本家は、資本主義システムの下では生き残ることができないのだ。これが階級社会の本質だ」(5頁)。「資本主義が人間にとって理想的なシステムとは思わない」(6頁)。佐藤さんは親本刊行の時点で書かれた本書の巻末解説「『資本論』の論理で新自由主義を読み解く」において、「本書はこれから『資本論』の標準的な入門書になるであろう」とお書きになっています。なお本書では中山さんによる解説やあとがきの類は掲載されていません。

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by urag | 2017-07-19 11:38 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 16日

個人全訳:櫂歌書房版『プラトーン著作集』第10巻2分冊「書簡集・雑編」、ほか

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『プラトーン著作集 第十巻(書簡集・雑編)第一分冊 エピノミス/書簡集』水崎博明訳、櫂歌書房発行、星雲社発売、2017年6月、本体2,800円、46判上製311頁、ISBN978-4-434-23448-4
『プラトーン著作集 第十巻(書簡集・雑編)第二分冊 雑編』水崎博明訳、櫂歌書房発行、星雲社発売、2017年6月、本体2,800円、46判上製290頁、ISBN978-4-434-23449-1
アメリカ人はどうしてああなのか』テリー・イーグルトン著、大橋洋一/吉岡範武訳、河出文庫、2017年7月、本体850円、文庫判296頁、ISBN978-4-309-46449-7
僕らの社会主義』國分功一郎/山崎亮著、ちくま新書、2017年7月、本体800円、新書判240頁、ISBN978-4-480-06973-3

★『プラトーン著作集 第十巻』第一分冊「エピノミス/書簡集」は、『エピノミス(法律後篇)或いは哲学者』と『書簡集』の翻訳、読解、注釈を収録し、巻頭に「第十巻 前書き」を排しています。『書簡集』は全13通で、宛名を列記すると以下の通りになります。

『第一書簡』ディオニュシオス二世に
『第二書簡』ディオニュシオス二世に
『第三書簡』ディオニュシオス二世に
『第四書簡』ディオーンに
『第五書簡』ペルディッカスに
『第六書簡』ヘルメイアース・エラストス・コリスコスに
『第七書簡』ディオーンの身内並びに同志の諸君に
『第八書簡』ディオーンの身内並びに同志の諸君に
『第九書簡』アルキュタースに
『第十書簡』アリストドーロスに
『第十一書簡』ラーオダーマスに
『第十二書簡』アルキュタースに
『第十三書簡』ディオニュシオス二世に

★周知の通り『エピノミス』や書簡の一部は偽作であると疑われていますが、書簡のうちもっとも長編で内容的にも重要視されている『第七書簡』は「ほぼ真作であることは間違いないだろう」(xi頁)とされています。水崎訳『プラトーン著作集』は、1000坪以上の巨大書店で哲学思想棚を持っており、西洋古典にも場所を割いている書店ならば、在庫しておくのが妥当ではないかと私は思っていますが、あまり店頭で見かけることがないのはもったいないことです。

★第二分冊「雑編」は『定義集』『正しいものについて』『徳について』『デーモドコス』『シーシュポス』『エリュクシアース』『アクシオコス』の翻訳、読解、注釈を収録し、巻末には「第十巻 後書き」と「『プラトーン著作集』全十巻の後書き」が付されています。第一分冊の前書きによれば「『定義集』を除き〔・・・〕ほぼ決定的に偽書だと見ることが伝統的な常識」(x頁)とあります。水崎訳『プラトーン著作集』は全十巻二七分冊で、今回の第十巻二分冊を終えた今、残すところ未刊は第八巻三分冊『国家/クレイトポーン』と第九巻三分冊『法律/ミーノース』のみとなります。プラトンの個人全訳という前代未聞の偉業へと突き進まれる水崎先生のご健康をお祈りするばかりです。

★『アメリカ人はどうしてああなのか』は2014年に河出ブックスより刊行された『アメリカ的、イギリス的』の改題文庫化。原著は『Across the Pond: An Englishman's View of America〔大西洋の対岸から:ある英国人のアメリカ観〕』(Norton, 2013)です。新たに「文庫版への訳者あとがき」が付されていますが、訳文については「不備を正す程度にとどめ」たとのことです。ソリマチアキラさんによるカヴァー挿画ではかの国の現職大統領と思しき人物が描かれています。訳者が指摘している通り、本書にも就任前の彼について二度言及があります。「戯画が現実になった」ことに訳者は注意を喚起しています。今こそ読み返したい一冊です。

◎文庫で読めるイーグルトンの訳書
『アメリカ人はどうしてああなのか』大橋洋一/吉岡範武訳、河出文庫、2017年
『文学とは何か――現代批評理論への招待』上下巻、大橋洋一訳、岩波文庫、2014年8~9月
『シェイクスピア――言語・欲望・貨幣』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、2013年
『イデオロギーとは何か』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、1999年

★なお、河出書房新社さんでは今月下旬(7月26日)発売で、ヤニス・クセナキス『音楽と建築』(高橋悠治編訳)を刊行するとのことです。同書はもともと全音楽譜出版社から1975年に 出版されたもの。版元サイトでは「伝説の名著、ついに新訳で復活。高度な数学的知識を用いて論じられる音楽と建築のテクノロジカルな創造的関係性――コンピュータを用いた現代の表現、そのすべての始原がここに」と紹介されています。編訳者は変わっていませんから、新訳というのが全面改訳なのか増補分があってそれらが新訳なのかはまだ分かりません。

★ちなみに「ちくま学芸文庫」のツイッターアカウントの7月3日の投稿によれば「【単行本情報】ギリシア系作曲家ヤニス・クセナキスの理論的主著『形式化された音楽』(Formalized Music)の邦訳を刊行します!! 野々村禎彦監訳、冨永星訳、発売は今秋予定。刊行日や価格、装丁など詳細は決まり次第お知らせいたします」とのこと。こうした機会にオリヴィエ・ルヴォ=ダロン『クセナキスのポリトープ』(高橋悠治訳、朝日出版社、1978年)も再刊されてほしいところですが、高望みでしょうか。

★『僕らの社会主義』は哲学者とコミュニティデザインの専門家による異色対談。國分さんは「普通に考えたらあまり接点はない。でも僕らを結びつけたものがありました。それがウィリアム・モリスらの名前を通じて知られるイギリスの初期社会主義の思想です」(13頁)と発言されています。さらに続けてこうも仰っています。「21世紀の現在、社会の状況は19世紀に近づいてしまっています。労働者の権利が骨抜きにされ、貧困と格差が大きな問題になっている。19世紀は社会的なものが大きくせりだした時代でした。もっと具体的に言うと、人々が貧困と格差、そして労働者の権利という問題に直面した。その中で、多くの人の努力によってさまざまな権利が獲得されていった。ところがそれがいまや無きものにされつつある。まさしく温故知新の気持ちで19世紀の社会主義に目を向けるべきじゃないか。その活動はいまこそ見直されるべきではないかというのが我々の共通の問題意識ですね」(同)。

★山崎さんはこう答えておられます。「これまではラスキンやモリスのイギリス社会主義のことを語る相手が僕の周りにほとんどいなかったのです。モリスについて語っても、アーツ・アンド・クラフツ運動からバウハウス、モダンデザイン、ポストモダンという流れで語ってしまい、彼が実現しようとしていた地域社会について語ることはほとんどなかった。それを語ろうとすると、どうしてもモリスが社会主義者になったことについて触れなければならない。その途端「社会主義はちょっとね」という表情をされる。でも、國分さんと対談させてもらって、社会主義にもいくつか種類があって、十把一からげで社会主義を否定してしまうのは、そのなかに埋もれている大切な宝が見つけられないことになるんじゃないか。そんな気がしました」(14頁)。「時代が僕らを引き寄せたみたいな感じ」(14頁)と國分さんが応じるこの対談は社会主義への生理的嫌悪感自体が時代遅れだと気づかせてくれる、啓発的な一書です。

★なお来月のちくま新書新刊には、8月3日発売で合田正人『入門ユダヤ思想』(本体860円、272頁、ISBN978-4-480-06979-5)などが予告されています。

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★続いて、人文書院さんからまもなく発売となる新刊3点をご紹介します。

核の恐怖全史――核イメージは現実政治にいかなる影響を与えたか』スペンサー・R・ワート著、山本昭宏訳、2017年7月、本体6,800円、A5判上製432頁、ISBN978-4-409-24114-1
無意識の心理 新装版』C・G・ユング著、高橋義孝訳、人文書院、2017年7月、本体2,200円、4-6判上製200頁、ISBN978-4-409-33053-1
自我と無意識の関係 新装版』C・G・ユング著、野田倬訳、人文書院、2017年7月、本体2,200円、4-6判上製216頁、ISBN978-4-409-33054-8

★『核の恐怖全史』の原書は『The Rise of Nuclear Fear』(Harvard University Press, 2012)で、1988年に同じくHUPから刊行された『NUclear Fear: A History of Images』の改訂版とのことで、訳者あとがきによれば「前著は1980年代までの分析で終わっていたのに対し、改訂版では福島における原発災害以後までを射程に入れつつ、本の分量は前著よりもコンパクトになっている」とのことです。目次詳細は書名のリンク先でご覧下さい。リンク先では「はじめに」と「第1章」がPDFで立ち読みできます。核をめぐる表象の変遷を追った現代の古典です。著者のワート(Spencer R. Weart, 1942-)はアメリカの科学史家で、複数の訳書があります。ひとつ前の訳書が2005年の『温暖化の“発見”とは何か』(増田耕一/熊井ひろ美訳、みすず書房、現在品切)だったので、久しぶりの翻訳紹介になります。訳者の山本昭宏(やまもと・あきひろ:1984-)さんは神戸市外国語大学准教授で、5年前に人文書院より『核エネルギー言説の戦後史1945~1960』でデビューされ、その後『核と日本人』(中公新書、2015年)や『教養としての戦後〈平和論〉』(イースト・プレス、2016年)などを上梓されている、注目の若手です。

★『無意識の心理 新装版』『自我と無意識の関係 新装版』はユングの単行本の再刊。いずれも同社の「ユング・コレクション」には入っていない書目で、両書ともユング心理学の入門編として読むことができます。『無意識の心理』はもともと『人生の午後三時』という訳題で1956年に新潮社から出版されたものが、「若干の字句の訂正」のうえ、人文書院から1977年に再刊されたもの。底本は『Über die Psychologie des Unbewußten』の1948年版(初版は1916年)です。『自我と無意識の関係』は1982年に初版を刊行。原著『Die Beziehungen zwischen dem Ich und dem Unbewußten』は1933年刊行です。新装版2点の装丁は間村俊一さんが担当。美しい本へと生まれ変わっています。

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★最後に、平凡社さんからまもなく発売となる新刊本6点を列記します。

金澤翔子 伝説のダウン症の書家』金澤翔子=書、金澤泰子=文、平凡社、2017年7月、本体1,389円、B5変判120頁、ISBN978-4-582-20887-0
プレミアム アトラス 世界地図帳 新訂第3版』平凡社編、平凡社、2017年7月、本体1,500円、A4判並製184頁、ISBN978-4-582-41733-3
プレミアム アトラス 日本地図帳 新訂第3版』平凡社編、平凡社、2017年7月、本体1,500円、A4判並製184頁、ISBN978-4-582-41732-6
園芸の達人――本草学者・岩崎灌園』平野恵著、平凡社、2017年7月、本体1,000円、A5判並製120頁、ISBN978-4-582-36448-4
和算への誘い――数学を楽しんだ江戸時代』上野健爾著、平凡社、本体1,000円、A5判並製92頁、ISBN978-4-582-364477
江戸の博物学――島津重豪と南西諸島の本草学』高津孝著、平凡社、本体1,000円、A5判並製112頁、ISBN978-4-582-36446-0

★『金澤翔子 伝説のダウン症の書家』は、2017年9月23日から9月30日まで上野の森美術館で開催される予定の「ダウン症の書家 金澤翔子書展」の公式図録で、展覧会に先駆けて販売されます。NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を手掛けた彼女はもはや全国的な著名人と言うべきでしょうし、複数冊ある作品集や、いわき市の金澤翔子美術館、さらにお母様の泰子さんの数々の著書などに接したことのある方も多いかと想像します。知らなかった、という方はぜひ一切の予習なしに作品をご覧になることをお薦めします。「伝説」「ダウン症」「書の神様が降りた」といった言葉も無視して構わないと思います。大げさに言うのではなく、私はただただ圧倒され、胸が熱くなりました。どの書も素晴らしいですが、巻頭の「龍翔鳳舞」はまさに龍が天翔け、鳳凰が舞うのを目の当たりにする思いがしますし、10歳、20歳、30歳の「般若心経」の変遷は実に味わい深いです。原寸サイズで見たくなる素晴らしい作品集です。

★『プレミアム アトラス 世界地図帳 新訂第3版』『プレミアム アトラス 日本地図帳 新訂第3版』は、2008年版(初版)、2014年新版(第2版)に続く新訂版(第3版)。オールカラーで美しい地図帳です。平凡社さんではポケットアトラス、ベーシックアトラス、ワイドアトラスなど各種を制作されているほか、より詳細な日本地図が必要な方には『県別日本地図帳』があります。30冊の注文から表紙への名入れサービスを行っているとのことです。

★『江戸の博物学』『和算への誘い』『園芸の達人』は、ブックレット「書物をひらく」シリーズの第6巻~第8巻。新書よりも内容が簡潔で、図版が多いのが特徴です。それぞれの主要目次を列記しておきます。第6巻『江戸の博物学』は「一、薩摩の博物学と島津重豪」「二、琉球への視線」「三、大名趣味としての鳥飼い」。第7巻『和算への誘い』は「一、和算が始まる前」「二、和算の基礎を作った『塵劫記』」「三、日本独自の数学を作った関孝和」「四、円周率」「五、庶民に拡がった和算」「おわりに――和算から洋算へ」。第8巻『園芸の達人』は「一、きっかけは百科事典『古今要覧稿』」「二、日本で初めての彩色植物図鑑『本草図譜』「三、ロングセラーの園芸ハンドブック『草木育種』」「四、江戸の自然誌『武江産物志』と採薬記」「五、園芸ダイヤリー『種藝年中行事』」「おわりに――『自筆雑記』、『茶席挿花集』など」。

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by urag | 2017-07-16 20:37 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 11日

ブックツリー「哲学読書室」に高桑和巳さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、『ジャック・デリダ講義録 死刑I』(高桑和巳訳、白水社、2017年6月)の訳者・高桑和巳さんによる選書リスト「死刑を考えなおす、何度でも」が追加されました。下記リンク先一覧よりご覧ください。


◎哲学読書室

星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも

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by urag | 2017-07-11 16:01 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 11日

ブックツリー「哲学読書室」に吉松覚さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、マーティン・ヘグルンド『ラディカル無神論――デリダと生の時間』(吉松覚/島田貴史/松田智裕訳、法政大学出版局、2017年6月)の共訳者・吉松覚さんによる選書リスト「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」が追加されました。共訳者の皆さんによる選書だと伺っています。下記リンク先一覧よりご覧ください。


◎哲学読書室

星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置

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by urag | 2017-07-11 10:12 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 09日

注目新刊:柏倉康夫訳『新訳 ステファヌ・マラルメ詩集』私家版、ほか

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新訳 ステファヌ・マラルメ詩集
柏倉康夫訳
私家版(柏倉康夫=発行、上野印刷所=印刷)、2017年6月、頒価2000円、A5判上製148頁、ISBNなし、限定100部

★月刊誌「ユリイカ」2015年1月号~9月号での連載「[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集」に「若干の修正を加え」て一冊としたもの。kindle版は青土社さんから3月に発売済(862円)。紙媒体は訳者の柏倉康夫さんご自身によって、私家版として今般、限定100部が発刊されました。うち60部がフランス図書から購入できると聞いています【7月12日追記:16時現在「在庫僅少」とのことで売切必死です】。和紙を使った表紙デザインと題字は古内都さんによるもの。なお底本はベルトラン・マルシャル校注によるプレイアード叢書版『マラルメ全集Ⅰ』(ガリマール、1998年)です。

★紙媒体版の「後記」によれば「電子版では翻訳とフランス語のテクストの間にリンクを張り、両方を行き来しながら鑑賞ができ、さらにIndexでは、マラルメが49篇の詩に用いたすべての単語が、どの詩篇のどの行にあるかを検索できる仕組みになっている」とのことです。さらに「欧文の詩は、本来、耳で聴いて味わうものである」(同「後記」)ため、電子版には本当は原詩朗読の音声データを付加されたかったご様子です。

★柏倉さんのブログ「ムッシュKの日々の便り」にはマラルメ翻訳の苦心と工夫の一端が綴られています。2015年3月1日付エントリー「詩を訳すとはⅦ、Brise Marineをめぐって」では「海からの風(Brise Marine)」の翻訳をめぐるエピソードを読むことができます。従来訳では「微風」や「そよ風」と訳されてきたbriseですが、柏倉さんは「内容からしてこの場合のbriseは決して「そよそよとした微風」ではなく、むしろ強め風でなくてはならない」と指摘されています。また作品冒頭のchairは「肉」や「肉の身」と訳されてきましたが、今回の新訳では「肉体」としたことについてもコメントがあります。

★マラルメの美しい詩句は百数十年を隔てた現代人の心にも訴えかける感性が息づいているように思います。あるいは柏倉さんによって再び現代へと見事に召喚されたというべきでしょうか。個人的に印象深い箇所を少しだけ抜き出してみます。「華麗に、全的に、そして孤独に、このように/跡形もなく蒸発することに、人間たちの誤った自負心は恐れ慄いている。/この取り乱した群衆! 彼らは宣言する、すなわち、自分たちは/未来の亡霊の悲しい半透明な姿にすぎないと」(「喪の乾杯」79頁)。「そう、ただ私のため、私のためだけに、ひとり咲く花! お前たちも知っていよう、目もくらむ知の深淵に/永久に埋もれたアメジストの花園を」(「エロディアード」59頁)。

★作品中で時折マラルメは三つの単語を並列することがあるのですが、これにはマラルメの詩の宇宙を読む者の胸中に出現させる喚起力があるように感じます。例えば「孤独、暗礁、星」(「乾杯」5頁)、「地図、植物図鑑、典礼書」(「プローズ(デ・ゼッサントのために)」82頁)、「夜、絶望、宝石」(「――船旅のたった一つの気掛りに」124頁)など。市販される紙媒体がたったの60冊というのはもったいない印象がありますが、いずれ本書をはじめ、「牧神の午後」※や「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」や、ポー「大鴉」のマラルメによる訳詩など、柏倉さんが研究されてきた一群のマラルメ作品が一冊にまとめられることを強く願いたいです。

※「牧神の午後」は本書(64~73頁)に収録されていますが、かつて柏倉さんはこの詩篇を単独出版されたことがあります(『牧神の午後』左右社、2010年、加藤茜挿画、130部限定)。また、同作の初期ヴァージョンである「牧神の独白」については、ジャン=ミシェル・ネクトゥや柏倉さんによる論及を収録した大型本、『牧神の午後――マラルメ・ドビュッシー・ニジンスキー』(オルセー美術館編、柏倉康夫訳、平凡社、1994年)があります。柏倉さんによる論及は本書の訳者あとがきとして収録されており、柏倉さんのブログでも読むことができます(「マラルメのエロティシズム」)。

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★このほか、最近では以下の新刊詩集との出会いがありました。
柏木如亭詩集2』柏木如亭著、揖斐高訳注、東洋文庫/平凡社、2017年7月、本体2,900円、B6変判上製函入302頁、ISBN978-4-582-80883-4
哀歌とバラッド』浜田優著、思潮社、2017年7月、本体2,400円、A5判上製104頁、ISBN978-4-7837-3574-8

★『柏木如亭詩集2』はまもなく発売となる全2巻の完結編で、東洋文庫の第883巻。第2巻では初老期から老年期の漢詩作品を収めています。帯文に曰く「京都を足場に諸国を漂泊し、時に江戸を思う」とあります。柏木如亭(かしわぎ・じょてい:1763-1819)は医者だった弟に送った七言絶句「示立人弟」の中で「人生一世誰非客(人生一世、誰か客に非ざらん:人の一生は皆な旅人のようなもの)」(141頁)と歌いました。解説によれば、文化十年(1813年)の冬に信州・上田の弟である正亭の住まいを訪問し、しばらく滞在して楽しい日々を過ごした如亭が、辞去する際に書き送ったもの。食事にありつける場所が故郷だ(趣意)、と句は続きます。

★『哀歌とバラッド』は編集者であり詩人でもある浜田優(はまだ・まさる:1963-)さんによる、『生きる秘密』(思潮社、2012年)に続く最新詩集。特に印象に残ったのは「鎮魂歌」の中の次の一節です。「母が逝って三年近く経ったある日/夢のなかで私が、すでに辞めた職場のトイレを出て/自分のデスクに戻ってくると、横に母が立っていた/「さあ、もう帰るよ」と私が小声で言うと/「そうかい、死後とは終わったんだね」と嬉しそうだ」(47~48頁)。もしあの職場のことなら、今は建屋の老朽化で、浜田さんの昔の席のあたりは雨漏りしていると聞きました。水が流れた痕跡というのはなぜあんなにも悲しくも生々しく見えるのでしょうか。

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★また、今月のちくま学芸文庫では以下の書目が発売されています。

ユダヤ人の起源――歴史はどのように創作されたのか』シュロモー・サンド著、高橋武智監訳、佐々木康之/木村高子訳、ちくま学芸文庫、2017年7月、本体1,800円、文庫判656頁、ISBN978-4-480-09799-6
社会学への招待』ピーター・L・バーガー著、水野節夫/村山研一訳、ちくま学芸文庫、2017年7月、本体1,200円、文庫判336頁、ISBN978-4-480-09803-0
よくわかるメタファー――表現技法のしくみ』瀬戸賢一著、ちくま学芸文庫、2017年7月、本体1,200円、文庫判336頁、ISBN9784-480-09805-4
一百四十五箇条問答――法然が教えるはじめての仏教』法然著、石上善應訳・解説、ちくま学芸文庫、2017年7月、本体1,200円、文庫判320頁、ISBN978-4-480-098061
道教とはなにか』坂出祥伸著、ちくま学芸文庫、2017年7月、本体1,300円、文庫判400頁、ISBN978-4-480-09812-2

★『ユダヤ人の起源』の親本は浩気社より2010年に刊行。発売元はランダムハウス講談社で発売直後に武田ランダムハウスジャパンに変更されたものと思われます。同社は2012年に倒産しており、浩気社も本書を最後に出版が途絶えているようです。原著は2008年に刊行されたヘブライ語版で、日本語訳は仏語訳版『Comment le peuple juif fut inventé』(Fayard, 2008)を底本としています。この仏語訳版は刊行された年内に4万部も売れたそうです。佐々木康之さんによる「文庫版への訳者まえがき」には、文庫化にあたり誤植を改め訳文を改訂したとあります。著者のサンド(Shlomo Sand, 1946-)はテルアビブ大学名誉教授。

★『社会学への招待』は巻末注記によれば新思索社の普及版(2007年)を底本とし「全体を通して訳文を見直したほか、新たに索引を加えた」と。索引は事項と人名を合わせたもの。原著は『Invitation to Sociology: A Humanistic Perspective』(Doubleday, 1963)です。「文庫版訳者あとがき」によれば「本書は、非常に軽やかな口調で、すぐれた社会学的発想の諸相を懇切丁寧に展開・披露してくれている社会学への招待状である」と。日本語訳は1979年に出版されて以来、改訂を経て版を重ねてきたロングセラーです。新思索社は昨夏倒産。ベイトソンの訳書など文庫化が待たれている書目は数多いです。

★『よくわかるメタファー』は「メタファーを中心に比喩をわかりやすく解きほぐすと同時に、わかりやすい比喩とは何か、なせそれはわかりやすいのかについて考える」(「はじめに」より)もの。親本となる『よくわかる比喩――ことばの根っこをもっと知ろう』(研究社、2005年)を「若干改訂し、補章を加えた」(巻末注記)とのことです。補章というのは本書末尾のパートⅤ「メタファーの現在」の終章「2500年比喩の旅」の後に置かれた「村上春樹とメタファーの世界」のこと。この補章では村上春樹さんが今年2月に上梓した『騎士団長殺し』の第2部「遷ろうメタファー編」が取り上げられています。

★『一百四十五箇条問答』は月刊「在家仏教」誌での連載「心月輪」(2012年3月718号2016年12月775号)に加筆修正のうえ文庫化したもの。法然の教えが一問一答形式で平易に書かれた晩年作を現代語訳し解説したものです。訳と解説を担当された石上善應(いしがみ・ぜんのう:1929-)さんは2010年に同文庫から法然の『選択本願念仏集』の現代語訳を上梓されています。『選択本願念仏集』と『一百四十五箇条問答』の石上さんによる現代語訳はもともと中央公論社版『日本の名著(5)法然』(1971年)で発表されたもので、その後推敲を経て2冊の文庫となったわけです。

★『道教とはなにか』は十章だてで、章題を列記すると「さまざまな神々を祀る宮廟」「仙人たちの姿と伝記」「房中術・導引・禹歩――道教に取り込まれる古代の方術(一)」「呪言――道教に取り込まれる古代の方術(二)」「呪符――道教に取り込まれる古代の方術(三)」「煉丹術の成立と展開――外丹の場合」「道教と医薬」「道教の歴史」「日本文化と道教」「現代の道教と気功事情」です。親本は中央公論新社より2005年に刊行されたもの。文庫化にあたり文庫版あとがきが加えられ、そこで参考文献が追補されています。

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by urag | 2017-07-09 14:38 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 06日

注目新刊:『ジャック・デリダ講義録 死刑Ⅰ』白水社

★ジャック・デリダさん(著書:『条件なき大学』)
★高桑和巳さん(訳書:アガンベン『バートルビー』『思考の潜勢力』、共訳:ボワ/クラウス『アンフォルム』)
「ジャック・デリダ講義録」の最新刊『死刑Ⅰ』が先月末、白水社さんより上梓されました。1999年12月8日から2000年3月までに11回分の講義が収められています。2000~2001年度に当たる『死刑Ⅱ』は郷原佳以、佐藤嘉幸、西山雄二、佐藤朋子の四氏により白水社から続刊予定だそうです。なお、同講義録ではすでに『獣と主権者Ⅰ』(西山雄二/郷原佳以/亀井大輔/佐藤朋子訳、白水社、2014年11月)と『獣と主権者Ⅱ』(西山雄二/亀井大輔/荒金直人/佐藤嘉幸訳、白水社、2016年6月)が刊行されています。

ジャック・デリダ講義録 死刑Ⅰ
ジャック・デリダ著 高桑和巳訳
白水社 2017年6月 本体7,500円 A5判上製422頁 ISBN978-4-560-09803-5

帯文より:「私は、単にして純な、最終的な死刑廃止に投票します。」──このヴィクトール・ユゴーの声を力強く響かせながら、残酷さ、血、例外、恩赦、主権、利害……極刑のはらむ概念について、憲法や条約、文学作品とともに明解に問い直されてゆく哲学のディスクール! 死刑存廃論の全体を脱構築してゆく、政治神学‐死刑論。

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by urag | 2017-07-06 11:26 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 02日

注目新刊:セヴェーリ『キマイラの原理』白水社、ほか

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キマイラの原理――記憶の人類学
カルロ・セヴェーリ著 水野千依訳
白水社 2017年6月 本体7,300円 A5判上製414頁 ISBN978-4-560-09555-3

帯文より:埋もれたヴァールブルクの遺産、来たるべき《イメージ人類学》へ。文字なき社会において「記憶」はいかに継承されるのか。 西洋文化のかなたに息づく「記憶術」から人間の「思考形式の人類学」へと未踏の領域を切り拓く、レヴィ゠ストロースの衣鉢を継ぐ人類学者による記念碑的著作。オセアニアの装飾、ホピ族の壺絵、アメリカ先住民やクナ族の絵文字、アパッチ族の蛇=十字架、スペイン系入植者末裔のドニャ・セバスティアーナ――言葉とイメージのはざまに記憶のキマイラが結晶する。

★発売済。原書は『Il percorso e la voce: Un'antropologia della memoria』(Einaudi, 2004)で、原題は『行程と声――記憶の人類学』で、訳題「キマイラの原理」は2007年のフランス語版から採られています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭には「記憶から思考へ」と題された日本語版への序文が付されています。その題名の意図するところはこうです。「記憶の分析は別種の思考形式の研究へと到達する」(7頁)。訳者あとがきによれば本書は「人類学者カルロ・セヴェーリがアメリカ大陸やオセアニアの先住民を対象とする地域研究の成果を理論的に推し進め、「記憶の人類学」という未踏の学問領域を切り拓いた記念碑的ともいえる著作」であり、「記憶が社会的に共有される「儀礼」という場に焦点を定め、西洋文化のかなたに息づく記憶技術の解明に捧げた本書は、特定の地域研究の枠を超えて、哲学、民族学、心理学、精神医学、言語学、美術史、物語論の成果を縦横に応用しながら、広く人間一般の記憶、認識、想像力をめぐる理論研究として、独創的かつ発展性のある新しい視座を私たちに提起」するものです。セヴェーリ(Carlo Severi, 1952-)はイタリア出身でパリの社会科学高等研究院(EHESS)の社会人類学講座教授であり、フランス国立科学研究センター(CNRS)の教授。2016年には来日を果たしており、著書が邦訳されるのは今回が初めてです。

★訳者あとがきでは20世紀後半以降のイメージ論や記憶術研究、そして人類学の動向についても概観されており、書店員さんや版元営業にとって必読です。例えば人類学についてはこんな説明があります。「人類学や言語学を席捲したクロード・レヴィ=ストロースの「構造主義」に抗し、それを批判的に乗り越えようとした1968年以降のいわゆる「ポスト構造主義思想」(ピエール・クラストル、モーリス・ゴドリエなど)を経て、80年代以降の人類学には、構造主義の遺産を再評価しながら、両者を媒介し統合しようとする新たな動きが胎動した。ヘナレ、ホルブラード、ワステルによって「人類学の静かな革命」と呼ばれた転換がそれである。ダン・スペルベルに代表される認知人類学、ジェイムズ・クリフォード、ジョージ・E・マーカス、マイケル・M・J・フィッシャーをはじめ、英米系民族誌学に80年代に高揚した「ポストモダン人類学」(あるいは「再帰的人類学」)の衝撃的な理論的転回、さらに90年代のポストコロニアル人類学の影響を受けつつも、それらの陰で個別に進められてきた研究が、近年、ひとつの思想的潮流として認識され、人類学の「存在論的転回」という名のもとで注目を集めている。この動向を代表するのは、英米の人類学者マリリン・ストラザーンやロイ・ワグナー、アルフレッド・ジェル、ティム・インゴルド、フランスのブルーノ・ラトゥール、フィリップ・デスコラ、フレデリック・ケック、そしてブラジルのエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ、さらに若手ではカナダのエドゥアルド・コーンらである。日本でも近年、この新たな潮流は脚光を浴びており、〔・・・〕水声社から刊行中の叢書「人類学の転回」を筆頭に、精力的に紹介が進められている」(370頁)。

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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

謎床――思考が発酵する編集術』松岡正剛×ドミニク・チェン著、晶文社、2017年7月、本体1,800円、四六判並製360頁、ISBN978-4-7949-6965-1 C0095
飯場へ――暮らしと仕事を記録する』渡辺拓也著、洛北出版、2017年7月、本体2,600円、四六判並製506頁、ISBN978-4-903127-26-2
「利己」と他者のはざまで――近代日本における社会進化思想』松本三之介著、以文社、2017年6月、本体3,700円、四六判上製456頁、ISBN978-4-7531-0341-6
バルカン――「ヨーロッパの火薬庫」の歴史』マーク・マゾワー著、井上廣美訳、中公新書、2017年6月、本体920円、新書判並製336頁、ISBN978-4-12-102440-4
マリリン・モンロー 最後の年』セバスティアン・コション著、山口俊洋訳、中央公論新社、2017年6月、本体1,850円、四六判並製224頁、ISBN978-4-12-004987-3
ジョジョ論』杉田俊介著、作品社、2017年7月、本体1,800円、46判並製320頁、ISBN978-4-86182-633-7
〈戦後思想〉入門講義――丸山眞男と吉本隆明』仲正昌樹著、作品社、2017年7月、本体2,000円、46判並製384頁、ISBN978-4-86182-640-5
『旅に出たロバは――本・人・風土』小野民樹著、幻戯書房、2017年7月、本体2,500円、四六判上製238頁、ISBN:978-4-86488-125-8
『60年代は僕たちをつくった[増補版]』小野民樹著、幻戯書房、2017年7月、本体2,500円、四六判上製270頁、ISBN978-4-86488-123-4
テレビ番組海外展開60年史――文化交流とコンテンツビジネスの狭間で』大場吾郎著、人文書院、2017年6月、本体3,800円、4-6判並製426頁、ISBN978-4-409-23057-2
悲しみについて』津島佑子著、2017年6月、本体2,800円、4-6判上製332頁、ISBN978-4-409-15029-0

★まず『謎床(なぞとこ)』はまもなく発売開始。松岡正剛さんとドミニク・チェンさんという親子ほどの差があるお二人による刺激的な対談本です。チェンさんは巻頭の「はじめに」で「あらゆる情報が即時にインストールできる現代の環境において、いかに本質的な謎、つまり問いを生成できるかということは、人間を人間たらしめる最も重要な要件となる」と指摘し、人間「相互の自律的な学習」を展望します。これは出版界にとっても重要なアイデアです。

★次に洛北出版さんと以文社さんの新刊です。渡辺拓也『飯場へ』は2014年に大阪市立大学大学院より学位授与された博士論文に加筆修正を施したもの。自ら飯場にも飛び込んだ体当たりの瑞々しい論考です。松本三之介『「利己」と他者のはざまで』は丸山真男さんのお弟子で、政治思想史研究の重鎮による、近代日本における社会進化論から自然権思想の形成を読み解く試み。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★次に中央公論新社さんの新刊から2点。『バルカン』の原書は『The Balkans: a short history』(Modern Library, 2000)です。近年続々と邦訳されている歴史家の4冊目の訳書にして初の新書。序と解題は村田奈々子さんがお書きになっておられます。『マリリン・モンロー 最後の年』の原書は『Marilyn 1962』(Editions Stock, 2016)。訳者あとがきの文言を借りると、女優の後半生を12人の関係者の視点から多角的かつ重層的に描いたもの。

★続いて作品社さんの新刊から2点。『ジョジョ論』は障碍者介助の傍ら執筆活動を続けてきた気鋭の批評家による力作。弱さや病、狂気や無能力の中に人間の本当の強さやかけがえのない美を見つつ、それらをオルタナティヴな資本として評価する試みです。周知の通り三池崇史監督による実写映画公開も間近(8月4日)。『〈戦後思想〉入門講義』は仲正さんの講義シリーズの最新刊。丸山の『忠誠と反逆』と吉本の『共同幻想論』を精読したものです。

★続いて幻戯書房さんの新刊から小野民樹さんのエッセイ2点。『旅に出たロバは』は岩波書店の編集者時代の神保町古書店街の記憶を綴った「古本の小道」を含む6篇を収録。小野さんは2007年に退職後、大学教授を10年間勤めあげて退官されたばかりです。青年期を綴った『60年代は僕たちをつくった[増補版]』の親本は2004年に洋泉社より刊行。再刊にあたり、「古稀老人残日録」と「増補版あとがき」が加えられています。

★最後に人文書院さんの新刊から2点。大場吾郎『テレビ番組海外展開60年史』は元テレビマンの研究者による、日本のテレビ番組が1960年代以降にどのように輸出され受容されてきたかを綿密に検証した労作。『悲しみについて』は「津島佑子コレクション」第Ⅰ期第1回配本。収録作品は書名のリンク先をご覧ください。巻末には石原燃さんによる解説「人の声、母の歌」が収められています。第2回配本は9月予定、『夜の光に追われて』です。

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by urag | 2017-07-02 15:27 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)