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カテゴリ:本のコンシェルジュ( 927 )


2018年 01月 06日

注目新刊とイベント情報:佐藤嘉幸/廣瀬純『三つの革命』、ほか

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★佐藤嘉幸さん(共訳:バトラー『自分自身を説明すること』『権力の心的な生』)
★廣瀬純さん(著書:『絶望論』、共著『闘争のアサンブレア』、訳書:ヴィルノ『マルチチュードの文法』、共訳:ネグリ『芸術とマルチチュード』)
ともに1971年生まれのお二人がドゥルーズ/ガタリの共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『哲学とは何か』の「核心に「革命」という揺るぎない主題があった」(序論、12頁)ことを示す意欲作『三つの革命』を先月上梓されました。本年末の紀伊國屋じんぶん大賞に間違いなくランクインするであろう書目であり、続篇も予感させる内容となっています。また、日本の社会状況に鋭く切り込んだ結論は豊かな議論の呼び水となるのではないかと思われます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお佐藤さんは清水知子さんとの共訳でジュディス・バトラーの『アセンブリ――行為遂行性・複数性・政治』を青土社さんから今月下旬に上梓されるようです。

三つの革命――ドゥルーズ=ガタリの政治哲学
佐藤嘉幸/廣瀬純著
講談社選書メチエ 2017年12月 本体2,000円 四六判並製352頁 ISBN978-4-06-258667-2

なお、上記のお二人に、
★江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』)
を加えたお三方で、『三つの革命』刊行記念のトークショーが今月中旬、以下の通り行われます。トークショー終了後、サイン会が行なわれるとのことです。『三つの革命』をお求めのお客様に、佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんがサインされます。


出演:佐藤嘉幸、廣瀬純、江川隆男
日時:2018年1月16日 (火) 19時00分~(開場:18時30分)
会場:八重洲ブックセンター本店 8F ギャラリー
料金:500円(税込) 当日会場にてお支払いください。 
定員:80名(申し込み先着順) ※定員になり次第、締め切らせていただきます。
申込:1階カウンターにて参加整理券をお渡しいたします。また、お電話によるご予約も承ります。(電話番号:03-3281-8201)※参加整理券1枚につき、お1人のご入場とさせていただきます。
主催:八重洲ブックセンター/協賛:講談社

内容:三つの革命20世紀を代表する哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95年)は、『差異と反復』(1968年)と『意味の論理学』(1969年)を公刊したあと、精神科医であるフェリックス・ガタリ(1930-92年)との協同作業に挑んだ。その成果は『アンチ・オイディプス』(1972年)と『千のプラトー』(1980年)という世間を驚愕させる著作を生み出し、さらに晩年に至って『哲学とは何か』(1991年)を世に問うことになる。これら3冊を貫くただ一つの課題とは何だったのか? そして、それは今日の情勢、とりわけ2011年以降の日本の情勢の下でも有効性をもちうるのか? 誰もなしえなかった大胆にして精緻な読解を新著『三つの革命──ドゥルーズ゠ガタリの政治哲学』で行った佐藤嘉幸と廣瀬純が、独自のドゥルーズ゠ガタリ読解で知られる江川隆男に対峙する。初顔合わせとなる未曾有の討論が、ここに始まる!

★本橋哲也さん(訳書:ジェームズ『境界を越えて』、共訳:スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
イラン出身の中東研究家にして比較文学者で、アメリカ・コロンビア大学教授のハミッド・ダバシ(Hamid Dabashi, 1951-;より原音に近い表記では、ハミード・ダッバーシー)の著書『ポスト・オリエンタリズム』(原著『Post-Orientalism: Knowledge and Power in Time of Terror』Transaction Publishers, 2009)の共訳書を昨年末上梓されました。ダバシの単独著が訳されるのは『イラン、背反する民の歴史』(青柳伸子/田村美佐子訳、作品社、2008年)以来です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

ポスト・オリエンタリズム――テロに時代における知と権力
ハミッド・ダバシ著 早尾貴紀/本橋哲也/洪貴義/本山謙二訳
作品社 2017年12月 本体3,400円 46判上製380頁 ISBN978-4-86182-675-7

★星野太さん(著書:『崇高の修辞学』)
★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエス『論理学と学知の理論について』)
昨年末に発売された青土社さんの月刊誌『現代思想2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』に寄稿されています。
星野さんの論考「暗き生――メイヤスー、ブラシエ、サッカー」(164~175頁)の節題を列記しておくと、1:21世紀の「生の哲学」、2:群れ――生と内在、3:極限環境微生物――生と例外、4:無-相関――祖先以前性と事後性、5:おわりに。
近藤さんは黒木萬代さんとともにルーベン・ハーシュによる書評「アラン・バディウ『数と数たち』」をお訳しになり(228~233頁)、さらに図解「現代思想の古層と表層のダイアグラム――狭義の現代思想とそれと肯定的/批判的に関連する哲学・思想・科学諸分野の関係図」(234~235頁)と、ダイアグラムのための「端書き――制作意図の説明あるいは釈明」(236頁)をお寄せになっておられます。このダイアグラムは19世紀から現在に至る思潮年表ともなっており、書店さんにおかれましては拡大コピーしてご活用いただけるのではないかと思われます。

★鈴木一誌さん(共著:『絶対平面都市』)
東京大学出版会が発行する月刊PR誌「UP」2018年1月号に、「ノイズへの恩義――長谷正人『ヴァナキュラー・モダニズムとしての映像文化』を読んで」が掲載されています(7~12頁)。なお現物未確認ですが、『中央公論』2018年1月号の巻頭グラビア「わたしの仕事場」が「鈴木一誌――本に囲まれた地下空間」とのことです。

★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
未來社が発行する季刊PR誌「未来」の2018年冬号(590号)で新連載「独学の思想」が始まっています。第1回は「フッサール『危機』書からの再出発」です(10~21頁)。なお上村さんは未來社より2月に近年の論考をまとめた『言説の異他なる反場所から』(四六判上製250頁、本体予価3,200円、ISBN978-4-624-93282-4)を上梓されるご予定だそうです。シリーズ「ポイエーシス叢書」の第72弾。

★川田喜久治さん(写真集:『地図』)
東麻布2丁目のPGIにて、「ロス・カプリチョス」全シリーズのプリントを展示する個展が今月中旬より行われます。入場無料。開館は月~金が11~19時、土が11~18時。日祝は休館。イベント名のリンク先で川田さんご自身によるメッセージを読むことができます。


日時:2018年1月12日(金)~3月3日(土)
場所:PGI(港区東麻布2-3-4 TKBビル 3F)
内容:「ロス・カプリチョス」は、1972年に『カメラ毎日』で連載したのを皮切りに写真雑誌で散発的に発表され、1986年にはフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で個展を開催しましたが、その後1998年に「ラスト・コスモロジー」、「カー・マニアック」と共に、カタストロフ三部作の一つとして写真集『世界劇場』にまとめられただけで、「ロス・カプリチョス」として一つの形にまとめられたことはありませんでした。本展「ロス・カプリチョス –インスタグラフィ– 2017」は、1960年代から1980年代初めまでに撮影された中から、未発表作品を含め新たにNew Editionとして再構成し、更に近年2016–2017年に撮影した作品を『続編』として編んだものです。幻想的銅版画集、ゴヤの『ロス・カプリチョス』に惑わされた川田が、そのイメージの視覚化に没頭し、街を彷徨い、その幻影を追ったこの作品は、スナップ的な手法で、時に多重露光などの技法を用い、身近な日常風景、都市風景に不穏な影を落とし、現代に蔓延する社会不安から終末思想を体現してきました。その写真は見るものに違和感を与え、不安を煽り、私たちの心を揺さぶります。本展では、当時のネガより新たに制作されたアーカイバル・ピグメント・プリントを展示致します。

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by urag | 2018-01-06 13:58 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 24日

注目新刊:クリッチリー『ボウイ』新曜社、ほか

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ボウイ──その生と死に』サイモン・クリッチリー著、田中純訳、新曜社、2017年12月、本体2,000円、四六変形並製256頁、ISBN978-4-7885-1554-3
猫はこうして地球を征服した――人の脳からインターネット、生態系まで』アビゲイル・タッカー著、インターシフト発行、合同出版発売、2018年1月、本体2,200円、46判並製272頁、ISBN978-4-7726-9558-9
貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』荒木優太著、フィルムアート社、2017年12月、本体2,800円、四六版上製312頁、ISBN978-4-8459-1705-1
詩人調査 松本圭二セレクション第7巻(小説1)』松本圭二著、航思社、2017年12月、本体2,600円、四六判上製仮フランス装264頁、ISBN978-4-906738-31-1
「砂漠の狐」回想録――アフリカ戦線1941~43』エルヴィン・ロンメル著、大木毅訳、作品社、2017年12月、本体3,400円、ISBN978-4-86182-673-3
宗教改革から明日へ――近代・民族の誕生とプロテスタンティズム』ヨゼフ・ルクル・フロマートカ編著、平野清美訳、佐藤優監訳、2017年12月、本体4,800円、4-6判上製400頁、ISBN978-4-582-71718-1
神の国とキリスト者の生――キリスト教入門』A・B・リッチュル著、深井智朗/加藤喜之訳、春秋社、2017年11月、本体4,000円、四六判上製344頁、ISBN978-4-393-32375-5
人文死生学宣言――私の死の謎』渡辺恒夫/三浦俊彦/新山喜嗣編著、重久俊夫/蛭川立著、春秋社、2017年11月、本体2,500円、四六判上製256頁、ISBN978-4-393-33362-4

★『ボウイ』は『On Bowie』(Serpent's Tail, 2016)の全訳。著者はイギリスの哲学者であり現在はニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチでハンス・ヨナス記念教授を務めるサイモン・クリッチリー(Simon Critchley, 1960-)です。彼の単独著が翻訳されるのは、『ヨーロッパ大陸の哲学』(佐藤透訳、岩波書店、2004年;原著『Continental Philosophy』2001年)、『哲学者たちの死に方』(杉本隆久/国領佳樹訳、河出書房新社、2009年;原著『The Book of Dead Philosophers』2008年)に続いて3冊目。訳者あとがきによれば『ボウイ』の原書はまずOR Booksから2014年に『Bowie』として刊行され、2016年に増補改訂版が発売。今回の訳書では「著者からの指示にもとづき、最新の内容である前者〔すなわちSerpent's Tail版〕を底本とした」とのことです。ちなみにOR Booksの増補改訂版とSerpent's Tail版とは「若干の異同がある」そうです。坂本龍一さんによる帯文の一部や訳者あとがきの一部、そして目次は書名のリンク先でご確認いただけます。

★本書の冒頭でクリッチリーは「いささかまごつかせるような告白から始めさせてほしい。わたしの人生を通して、デヴィッド・ボウイ以上に大きな喜びを与えてくれた人物はいない」(8頁)と書いています。そして田中純さんによる訳者あとがきの書き出しは次の通りです。「「ボウイのアルバムのような書物を書きたい」と、ひそかに思い続けてきた。/著者クリッチリー氏はこの本で、わたしのそんなあこがれを達成している――しかもデヴィッド・ボウイそのひとを論じることによって」(237頁)。さらにクリッチリーは「日本語版へのメッセージ」でこうも書いています。「日本にはボウイのファンがとても大勢いることをわたしは知っている。わたしが心から願うのは、この書物の言葉がそのうち何人かと共鳴しうるものであること、そして、わたしにとって過去五十年間でもっとも重要なアーティストだった人物を正当に評価しうるものであることだ」(235頁)。クリッチリーの単独著の訳書の中でもっとも広範な読者を獲得するのではないかと想像できる本書は、哲学者の生がボウイの音楽と思想と幾度も絡み合うさまを語った、それ自体が「出会いの書」です。その美質は祖父江慎さんによる洒脱な造本にも表れていると思います。また個人的には、ツェランとボウイが「詩」において交錯するという96頁の記述に強い印象を抱きました。

★『猫はこうして地球を征服した』は『The Lion in the Living Room: How House Cats Tamed Us and Took Over the World』(Simon & Schuster, 2016)の全訳です。目次や「はじめに」は書名のリンク先でご覧になれます。また、ここでは記しませんが、本書の巻末には本書の注をダウンロードできるURLが記載されています。同書は2016年に『フォーブス』誌、『ライブラリー・ジャーナル』誌、『スミソニアン』誌などで年間ベスト・サイエンス・ブックスに選ばれており、すでに12か国で出版されているとのこと。「はじめに」にはこうあります。「イエネコの物語は生命をめぐる不思議の物語、驚くべき自然の継続力の物語でもある。それをよく知れば、私たちは自分中心の考えを改めるだけでなく、ついつい赤ちゃん扱いして守ろうとしてしまう生きものを、もっと冷静な目で見るチャンスを得られる。〔・・・〕本物の愛情には理解が必要だ」(19頁)。どの章もたいへん興味深いですが、特に第5章「ネコから人間の脳へ感染する」の諸節(ライオンに食べられたい/トキソプラズマの世界的権威/なぜ感染力が強いのか/人間の心を操る/統合失調症とのかかわり/古代エジプトのミイラにも)や、第8章「なぜインターネットで大人気なのか」は、ネコを飼って「いない」読者や、イヌ派の読者にとっても興味深く読めるものなのではないかと想像します。

★『貧しい出版者』は帯文に曰く「新進気鋭の在野研究者、荒木優太の処女作が大幅増補で堂々の復活!!」と。荒木さんのデビュー作『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、2013年)を第一部とし、新たな序文と論考群を加えたものです。第二部「貧しいテクスト論四篇」はデビュー作の補論となる関連論文を収め、第三部「自費出版録」では「自費出版が、どのような意図のもとで計画され、どれくらい売れたのかといったレポートを再録することで、実践した流通の試みを再現できるように」(「あとがきふたたび――改題由来」)したとのことです。目次詳細やためし読みは書名のリンク先をご覧ください。「テクストの運動が本来出会うはずもないような者たち、出会いたかったけれども出会えなかった人たちを当人も気づかないまま出会わせることがある。本書で考察してきた小林多喜二と埴谷雄高という耳慣れないこの対は、その奇跡的な場所に関する冒険的な読解の試みであった」(193頁)、とは第一部の結びの言葉です。前著『これからのエリック・ホッファーのために──在野研究者と生の心得』(東京書籍、2016年2月)から約一年、「元々もっていたコンセプトを体現する完成版にやっと到達した」というデビュー作の再刊は、文学研究や政治評論、出版論や作家論の枠にとらわれずに横断していく著者自身の戦い方をも示しています。

★「複数の副業に就きつつも、それでアートの部分を完全に無償にするのではなく、少額でも不定期でもいいから、文章を書き、それをカネで買ってもらう、そんな回路がもっと一般化すればいいと思っている」(261頁)。「もちろん、それはカネを得ることで飯を食うためではない。カネを得て、無償行為がはらみやすい倒錯的な論理とは別の筋道を通って文章を書くことだってできるのだと示したいからだ。そして、アートの内側には一般社会が地続きにあることを示すことで、不必要な神聖視や両者の遊離を和らげていきたいからだ。それはきっとアマチュア・クリエーターたちの(どんな方向であれ)成長に資する環境を整えるだろう。文学者も芸術家もサラリーマンの隣りにいる。駅前の本屋にだってプラトンがいるのだ」(262頁)。この視線、この熱こそ荒木さんの魅力ではないかと感じます。

★『詩人調査』は、航思社版「松本圭二セレクション」第7巻(小説1)です。「あるゴダール伝」(「すばる」2008年4月号)と「詩人調査」(「新潮」2010年3月号)を収録。「詩人調査」における宇宙公務員の質問(曰く「デジタルノイズのような声」172頁)がすべて、細かいバーコードのように印刷されているのがユニーク。バーコードの模様は様々でこれが全部「指定」だったらと仮定すると戦慄を覚えます。主人公の詩人、39歳男性の園部は質問にこう答えます。「だからわたしたちが、期せずして「地下活動」を志向してしまうのは、反社会ということではなく、おそらくは自然の摂理に近いのだと思います。考えるまでもなく、可能性はアンダーグラウンドにしかないわけです」(169~170頁)。「ただ、一つ言えることは、アンダーグラウンドにはアンダーグラウンドの栄光があるということです。その栄光は、しかし金にはなりません。ある種の実験的精神、革命的もしくは無政府主義的なラディカリズムが金になったのは、わたしが知るかぎり「クレヨンしんちゃん」だけです」(170~171頁)。主人公の語りに著者自身が姿が重なるような印象があります。内容紹介と付属する「栞」に収められた著者解題「ラブ&」での重要部分は書名のリンク先で読むことができます。著者解題にはかの「重力」誌についても証言あり。栞には金井美恵子さんによる「「奴隷の書き物」の書き方について」も収められています。

★『「砂漠の狐」回想録』は1950年に刊行された『Krieg ohne Hass(憎悪なき戦争)』の全訳。底本は同年刊の第二版とのことです。帯文に曰く「DAK(ドイツ・アフリカ軍団)の奮戦を、指揮官自ら描いた第一級の証言。ロンメルの遺稿ついに刊行!【ロンメル自らが撮影した戦場写真/原書オリジナル図版、全収録】」と。作品社さんでのロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel, 1891-1944)の訳書は一昨年夏の『歩兵は攻撃する』 (浜野喬士訳、作品社、2015年7月)に続く2点目です。ロンメル夫人(ルチー=マリア)による序文に始まり、第一章「最初のラウンド」、第二章「戦車の決闘」、第三章「一度きりのチャンス」、第四章「主導権の転換」、第五章「希望なき戦い」、第六章「一大退却行」、第七章「戦線崩壊」、第八章「闇来たりぬ(ある回顧)」、の全八章。大木毅さんによる訳者解説「狐の思考をたどる」が付されています。ロンメルは第三章でこう述懐しています。「大胆な解決こそ、最大の成功を約束してくれる。私は、そういう経験をした。作戦・戦術上の果敢さは、軍事的賭博と区別されねばならぬ。望む通りの成功が得られる可能性があるものこそ、大胆不敵な作戦というものだ。ただし、その際、失敗した場合に備えて、いかなる状況であろうとしのげるよう、多くのカードを手中に残しておくのである」(144頁)。

★『宗教改革から明日へ』は佐藤優さんによる「監訳者まえがき」の文言を借りると「チェコの傑出したプロテスタント神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(Josef Lukl Hromádka, 1889-1969)が中心となって、1956年に社会主義体制のチェコスロヴァキアで刊行された論文集だ。フロマートカの他に、アメデオ・モルナール(歴史神学者)、ヨゼフ・B・ソウチェク(新約聖書神学者)、ルジェック・ブロッシュ(組織神学者)、ボフスラフ・プロピーシル(実践神学者)というチェコを代表するプロテスタント神学者の優れた論攷が収録されている」。「絶望的な状況においてこそ、神の愛がリアリティをもって迫ってくるというチェコ宗教改革の思想は、21世紀の危機的状況でわれわれが生き残るための指針を示してくれる」ともお書きになっています。古くは日本では「ロマドカ」と表記されていたフロマートカを近年積極的に再評価されてきたのが他ならぬ佐藤優さんであることは周知の通りです。今回翻訳された論文集『Od reformace k zítřku』は、「ボヘミア宗教改革とその後のチェコ・プロテスタンティズムの歴史」(佐藤優「解題」より)を扱っており、フロマートカの「序文」と「宗教改革から明日へ」、モルナール「ボヘミア宗教改革の終末論的希望」、ソウチェク「より新しい聖書研究に照らした兄弟団の神学の主たる動機」、ブロッシュ「寛容令から今日へ」、プロピーシル「自由への奉仕」が収められ、巻末には聖書箇所索引が付されています。

★『神の国とキリスト者の生』は『Unterricht in der christlichen Religion』(Bonn: Marcus, 1875; 2.Aufl., 1881; 3. Aufl., 1886)の訳書。19世紀ドイツの神学者アルブレヒト・リッチュル(Albrecht Benjamin Ritschl, 1822-1889)の翻訳は、白水社の「現代キリスト教思想叢書」第1巻(1974年)所収の講演「キリスト者の完全性」および主著の抄訳「義認と和解」(どちらも森田雄三郎訳) 以来で、単独著としては初めてではないでしょうか。帯文はこうです。「神学をロマン主義から解き放ち、啓示の場所を人間の道徳性に求めて、神学を実証主義に耐えうる学問たらしめんとした近代神学の巨人」と。初版、第二版、第三版それぞれの序言に始まり、序論、第1部「神の国についての教え」(A:宗教的理念としての神の国、B:倫理の根本思想としての神の国)、第2部「キリストによる和解についての教え」、第3部「キリスト教徒の生活についての教え」、第4部「公的な礼拝についての教え」の4部構成で、読者の便宜のために、聖書参照箇所一覧、各版の異同を示した訳注、訳者の深井智朗さんによる解説「同時代への責任意識――アルブレヒト・リッチュルとその神学がめざしたもの」が付されています。カール・バルトが『十九世紀のプロテスタント神学』(上中下巻、『カール・バルト著作集』第11~13巻、新教出版社、1971-2007年)でリッチュルに言及した箇所において論じていたのは本書『神の国とキリスト者の生』だそうです。ちなみに、『説教の神学』(関田寛雄訳、日本基督教団出版局、1986年)や『現代神学の論理の転換――その場・理論・確証』(畑祐喜訳、新教出版社、1998年)などの訳書があるディートリヒ・リッチュル(Dietrich Ritschl, 1929-)は、アルブレヒトの孫です。

★『人文死生学宣言』は「人文死生学研究会」の活動成果であり、同会の世話人5名が執筆した論文集です。編者代表の渡辺恒夫さんによる「まえがき――人文死生学宣言」にはこう書かれています。「本書の著者たちは、〔・・・〕死を定められた当事者として自己の死を徹底的に思索しぬく場として、人文死生学研究会という会を設けるにいたった。人文死生学とは、元々、臨床死生学に対比させた名称であるが、自己の死を思索するために、現象学、分析哲学、論理学、宗教学など、人文学もしくは人文科学と称されている諸学の成果を、徹底的に活用しようという意図が込められている。本書はその最初の成果である」(iii頁)。入門篇「人文死生学への招待」と各論篇「死と他者の形而上学」の二部構成で、7本の論考と2本のコラム、そして付論、まえがき、あとがき、で構成されています。目次詳細はhonto掲載のものが一番親切ですが、「三浦による批判への応答」と記載されているのが付論で、三浦論文「一人称の死――渡辺、重久、新山への批判」に対する応答なのですが、これは渡辺さんだけでなく、重久さんや新山さんも書いておられます。

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by urag | 2017-12-24 14:19 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 18日

ブックツリー「哲学読書室」に相澤真一さんと磯直樹さんによる選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、ベネットほか『文化・階級・卓越化』(青弓社、2017年10月)の共訳者でいらっしゃる相澤真一さんと磯直樹さんによるコメント付き選書リスト「現代イギリスの文化と不平等を明視する」が追加されました。リンク先にてご覧いただけます。


◎哲学読書室

星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する

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by urag | 2017-12-18 19:46 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 17日

注目新刊:ボストロム『スーパーインテリジェンス』日本経済新聞出版社、ほか

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★ここ最近の注目書には分厚い本が多いです。

スーパーインテリジェンス――超絶AIと人類の命運』ニック・ボストロム著、倉骨彰訳、日本経済新聞出版社、2017年11月、本体2,800円、四六判上製720頁、ISBN978-4-532-35707-8
現代革命の新たな考察』エルネスト・ラクラウ著、山本圭訳、法政大学出版局、2014年12月、本体4,200円、四六判上製406頁、ISBN978-4-588-01020-0
思想 2017年12月号 E・ヴィヴェイロス・デ・カストロ』岩波書店、2017年11月、A5判並製150頁、ISSN0386-2755
吉本隆明全集14[1974-1977]』吉本隆明著、晶文社、2017年12月、本体6,500円、A5判変型上製584頁、ISBN978-4-7949-7114-2
金鱗の鰓を取り置く術』笠井叡著、現代思潮新社、2017年12月、本体20,000円、A5判上製貼函入832頁、ISBN978-4329100078
近世読者とそのゆくえ――読書と書籍流通の近世・近代』鈴木俊幸著、平凡社、2017年12月、本体7,400円、A5判上製592頁、ISBN978-4-582-40298-8

★『スーパーインテリジェンス』は『Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies』(Oxford University Press, 2014)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「人類がいつの日か、汎用知能(一般知能)において人間の頭脳を超越する人工知能を構築することができたなら、それは非常にパワフルなスーパーインテリジェンス(超絶知能)となりうる。そのとき、われわれ人類の運命は、機械〔マシン〕のスーパーインテリジェンスに依存することになるだろう。〔・・・〕スーパーインテリジェンスの出現によってもたらされる課題とは何か。本書は、この問いの本質を理解し、それにどのように答えるべきかを考察する試みである。この問いの答えを見つける作業は、われわれ人類にとっておそらく、歴史上いまだかつてない重要な作業となり、かつ、困難な作業となりうる。そして、その結果が成功しようが失敗しようが、いずれにしても、それはわれわれ人類にとっておそらく最初で最後の挑戦となろう」(「原著まえがき」5~6頁)。

★「本書の大方は、スーパーインテリジェンスが出現したら、その後、世界はどうなるのか、という問題の考察にさかれている。たとえば、スーパーインテリジェンスの形態とパワー、知能爆発の速度、そして超絶知能エージェントが獲得しうる戦略的優位性といったトピックについて考察している。その後、中盤の数章では、これらの考察の結果を踏まえ、コントロール問題の取り扱いに議論の軸足を移し、人類が、スーパーインテリジェンスの初期条件をどう設定すれば、人類の継続的な生存が約束され、かつ、人類の利益のためになる結果が実現されるかについて考察している。さらに、最終版の数章においては、何をなせば、人類消滅のカタストロフィ回避のチャンスを高められるかについていつくか提言を行っている」(6頁)。

★ボストロム(Nick Bostrom, 1973-)はスウェーデン生まれの哲学者。オックスフォード大学教授、人類の未来研究所および戦略的人工知能研究センターの所長であり、世界トランスヒューマニスト協会の共同創立者です。本書が初訳となります。訳者あとがきによれば本書は「瞬く間にニューヨーク・タイムズ紙ベストレラーとなり、イーロン・マスク、ビル・ゲイツ、スティーヴン・ホーキング、および、その他の多数の学者や研究者に影響を与え、彼らをして、AIの開発研究は安全性の確保が至上命題、と言わしめるきっかけになった」と紹介されています。参考になる動画として「TED TALK」における2005年7月の「人類三つの課題」と、2015年3月の「人工知能が人間より高い知性を持つようになったとき何が起きるか?」、そして、巻頭の「スズメの村の、終わりが見えない物語」をアニメ化した作品をご紹介しておきます。なお、世界トランスヒューマニスト協会(現在は「ヒューマニティ・プラス」)に加盟する国内の団体に「日本トランスヒューマニスト協会」があるそうです。



★『スーパーインテリジェンス』のようにある意味エクストリームな哲学書および関連書としては近年では、『現代思想 2015年9月号 特集=絶滅――人間不在の世界』(青土社)や、ドゥルーズを憎しみと破壊の哲学として読みとくカルプ『ダーク・ドゥルーズ』(大山載吉訳、河出書房新社、2016年11月)、反出生主義を標榜するデイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった――存在してしまうことの害悪』(小島和男/田村宜義訳、すずさわ書店、2017年10月)などがありました。今後も増えるかもしれませんが、どう分類すべきか、興味は尽きません。これらをあえて一緒(!)にして「ダークな哲学(仮)」コーナーを店頭でお作りになる場合はぜひ、埴谷雄高『死霊』(全三巻、講談社学術文庫)も置いて下さると面白いと思います。またこそに、江川隆男『アンチ・モラリア』(河出書房新社、2014年6月)や、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ カストロ『食人の形而上学』(檜垣立哉/山崎吾郎訳、洛北出版、2015年10月) 、マラブー『新たなる傷つきし者』(平野徹訳、河出書房新社、2016年7月) 、ヘグルンド『ラディカル無神論』(吉松覚/島田貴史/松田智裕訳、法政大学出版局、2017年6月)、そして来月ついに発売となるマルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年1月)や、小泉義之『新しい狂気の歴史』(青土社、2018年1月)などを並べるとさらに議論の枠組が広がるかと思われます。

★『現代革命の新たな考察』は『New Reflection on the Revolution of Our Time』(Verso, 1990)の全訳。目次は書名のリンク先をご確認下さい。第4章「釈明なきポスト・マルクス主義」はシャンタル・ムフとの共著で、付録の「言説-分析を超えて」はスラヴォイ・ジジェクによるものです。序文にはこうあります。「伝統的な左派が寄りかかってきた様々な想定はいまや修正を必要としているが、その修正の度合いを最小限に抑えようとしても無駄なことである。ただ批判と見直しだけがみずみずしく健全な新しい出発点を提供できる。そしてとりわけ、仮想的なマルクス、つまりその言説が後の「マルクス主義」の改変を被っていないマルクスというような希望的観測など存在しない。〔・・・〕本書がその一部を成すポスト・マルクス主義の観点は、短なる理論的な選択以上のものである。すなわちそれは、ここ十年で広がり始めた歴史的状況において左派の政治的プログラムの再定式化を目論むものにとって不可避の決断なのである」(4~5頁)。【12月20日追記:刊行年月を2017年12月と誤記しておりました。ただしくは2014年12月でした。お詫びして訂正します。3年前の書籍ですが、素晴らしい本なのでこのまま掲載させていただきます。ちなみに何をきっかけに勘違いしたのかは思い出せませんでした。疲れているのかもしれません。】

★『思想 2017年12月号 E・ヴィヴェイロス・デ・カストロ』は売行良好のためになかなかオンライン書店では在庫が復活しませんが、書店さんの店頭で見つけ次第買っておくべき特集号です。目次は誌名のリンク先をご覧ください。ヴィヴェイロス・デ・カストロの2012年の論考「人類学における「変形」、「人類学」の変形」を始め、檜垣立哉、パトリス・マニグリエ、近藤宏、モハーチ・ゲルゲイ、山崎吾郎、エリー・デューリング、の各氏の論文が収録されています。

★『吉本隆明全集14[1974-1977]』は、第15回配本。「神話の物語や歌謡には、語ることと謳うことが、じっさいの行為と区別できなかった時代がうもれている」という一文で始まる『初期歌謡論』(1977年)と、その同時期に発表された関連する評論・講演・エッセイを収録。「〈初期〉ということ〈歌謡〉ということ」と題されたエッセイではこう自身の仕事を振り返っておられます。「なぜわたしたちは、俳句、短歌、現代詩をひとしく、〈詩〉としてつかむ視点をもちえないのか。〔・・・〕誰からもどこからも手段を借りずに、統一的な〈詩とはなにか〉という課題に、応えを与えようと試みた。うまくいったかどうはべつとして、それを試みたのである」(441頁)。付属の「月報15」は、藤井貞和さんの「『初期歌謡論』」、水無田気流さんの「吉本隆明の詩・神話・等価」、ハルノ宵子さんの「ギフト」が掲載されています。次回配本は来年3月刊行、第15巻とのことです。

★『金鱗の鰓を取り置く術』は、舞踏家にしてオイリュトミストの笠井叡さんによる最新最大の著書。笠井さんの公式サイトによれば、「構想に十年、執筆に五年余の歳月をかけた大作が遂に刊行。饒舌の跋扈、退廃の蔓延。人類の危機が迫っている。この時代を超える思想はあるのか。笠井は、古事記を言語創世神話として読み解く。古事記に記された日本語の古文法、カラダの中のコトバの骨格にコトバを与え続ける。二十一世紀のこれからの世界を創るために」と。2013年1月、フランス滞在中の深夜に啓示を得た著者が、国学者・大石凝真素美(おおいしごり・ますみ:1832-1913)の『真訓古事記』を読みつつ「カラダの中から出てきた言葉を「備忘録」として書き綴った」のをまとめたのが本書です。「序」で笠井さんはこう述べておられます。「大石凝真素美。彼だけが古事記を説話、神話、民族創世神話としては読まなかった。日本語の言語創成神話として読み切った、日本でたった一人の人物である」(6頁)。「大石凝真素美は、孤立無援である。むしろ狂人扱いされ、これからも市民権を持つことはないだろう。〔・・・〕いまに、地上の民族主義者とグローバリストが凄惨な戦争を始める。そして、この戦争によって国と地球が崩壊しようと、この「真訓古事記」を担い続けるカラダが、新しい国を生み出すだろう」(7頁)。また第一章ではこうもお書きになっています。「人類はまだ唯一、克服されえない「奴隷制」の中にある。労働における「賃金契約」とは人類最後の奴隷制である。聖霊の時代の労働は、神話から歴史への道を歩み始めた人間に、神から与えられた呪い、「人は苦しみを持て、労働せよ」からの、完全解放でなければならない」(第一章、30頁)。なお『大石凝霊学全集』(全三巻、解題・解説=大宮司朗、八幡書店、2005年)は税別36,000円で八幡書店ウェブサイトから今も購入できるようです。

★『近世読者とそのゆくえ』は帯文に曰く「近世から近代へ読者と読書の変容! 近世後期に大量に出現した読者たち、自学し、漢詩づくりにまで手を染める読者たちは、〈読書の近代〉をどのように迎えたのか? 刊行された書物現物はもとより、葉書など多様な史料を駆使して、読者のニーズや版元の戦略、書籍流通の具体を明らかにする画期的論考」と。主要目次を列記しておくと、「序章――近世読者のゆくえ」「第一章 民間の学芸と書籍文化」「第二章 拡大する書籍市場と幕末の書籍流通」「第三章 近代教育のはじまりと明治初年代の書籍流通」「第四章 書籍業界における江戸時代の終わり方」。序章には「本書は、書籍と人々との関わりの歴史を諸事例をもってたどりながら、江戸時代の継続と終焉の様相を見定めようとしたものである」(18頁)とあります。またあとがきでは次のように説明されています。「旧著『江戸の読書熱――自学する読者と書籍流通』(平凡社選書、2007年)は、書物、学問に対する民間の熱意の高まりと、その動きに応じて初学者向けの書物類が盛行していく様子に時代の変化、江戸という時代のひとつの達成を見ようとしたものであった。この「江戸」的状況が、慶応四年で終着を迎えるのではなく、当然「江戸」は、その先、明治にまで及び、そして現代のわれわれにもその痕跡が濃厚であったりもするはずである。その後の展開、どこに江戸時代の終わりを見定められるか、単線的な理解を許さない多様な事態の推移について、手探りであちこち手を伸ばして史料を漁りつつ愚考を重ねてきた。その集積が本書である」と。

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by urag | 2017-12-17 22:25 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 10日

注目新刊:まもなく発売、グレーバー『官僚制のユートピア』以文社、ほか

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官僚制のユートピア――テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』デヴィッド・グレーバー著、酒井隆史訳、以文社、2017年12月、本体3,500円、四六判上製388頁、ISBN978-4-7531-0343-0
『プラトーン著作集 第八巻第一分冊 国家(上)/クレイトポーン』水崎博明著、櫂歌書房、櫂歌全書20、2017年10月、本体3,200円、四六判並製417頁、ISBN978-4-434-23889-5
『プラトーン著作集 第八巻第二分冊 国家(中)』水崎博明著、櫂歌書房、櫂歌全書21、2017年10月、本体3,000円、四六判並製386頁、ISBN978-4-434-23890-1
『プラトーン著作集 第八巻第一分冊 国家(下)』水崎博明著、櫂歌書房、櫂歌全書22、2017年10月、本体3,500円、四六判並製449頁、ISBN978-4-434-23891-8

★グレーバー『官僚制のユートピア』はまもなく発売。『The Utopia of Rules: On Technology, Stupidity, and the Secret Joys of Bureaucracy』(Melville House, 2015)の全訳。直訳すると「規則のユートピア――テクノロジー、愚かさ、官僚制の秘かな愉しみについて」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。デヴィッド・グレーバー(David Graerber, 1961-)は、アメリカ生まれの、イギリスで活躍する人類学者であり、社会運動家。著書の既訳書は今回の新刊で5点目になります。酒井さんは訳者あとがきで次のように紹介しておられます。

★「著者を一躍「国際的ブレイク」にみちびき、また、本人いわくイングランド銀行の貨幣史認識も一変させた――かもしれない――ほど、アカデミズムを超えて話題を呼んだ『負債論』から一転、本作は主要に原題を対象に、ラフで、手がかりにとりあげる素材も多種多様、だが、わたしたちの日常のなかの、だれも相手にしようとしない「つまらない」、しかしそこにこそわたしたちの世界の核心がひそんでいる「灰色」で覆われた領域を、劇的におもしろく、かつ、おそらく、同時代のほとんどだれよりも深くえぐりだしてみせた」(375~376頁)。

★グレーバーは「序」でこう書いています。「市場は政府と対立したり政府から独立しているという発想が、少なくとも19世紀以来、政府の役割の縮小をもくろんだレッセフェール〔自由放任主義〕の経済政策の正当化のために用いられたとしても、その政策が実際にそんな効果をもたらすことはなかった〔・・・〕。たとえば、イングランドのリベラリズムがみちびいたのは、国家官僚制の縮小などではなく、その正反対、すなわち法曹家、役所の記録係、検査官、公証人、警察官たちの際限のない膨張であった。自律した個人のあいだの自由な契約の世界というリベラルな夢をみることができるのも、かれらあってこそなのだ。自由は市場経済を維持するためには、ルイ14世風の絶対君主政の数千倍のお役所仕事が必要だったわけである。/この明白な逆説、すなわち、政府による経済への介入の縮減を意図する政策が、実際には、よく多くの規制、官僚、警察官を生みだす結果にいたるという逆説は、実はひんぱんに観察できるので、それを社会学的一般法則とみなすことも正当であるようにおもう。そこで、これを「リベラリズムの鉄則」と名づけたい」(12頁)。

★「リベラリズムの鉄則」は次のような内容です。「いかなる市場改革も、規制を緩和し市場原理を促進しようとする政府のイニシアチヴも、最終的に帰着するのは、規制の総数、お役所仕事の総数、政府の雇用する官僚の総数の上昇である」(13頁)。後段でグレーバーはこうも書いています。「申請用紙はますます長大かつ複雑なものと化している。請求書、切符、スポーツクラブや読書クラブの会員証のような日常的書類も、数頁にわたる細目の規定でパンパンになっている。〔・・・〕わたしは、このような様相を呈している現代を、「全面的官僚制化(total bureaucratization)」の時代と呼んでみたい〔・・・〕。その最初の兆候は、まさに官僚制についての公共の議論が消えはじめた1970年代の終わりにあらわれはじめ、1980年代に取り返しがたく浸透をはじめた。だが本当の離陸は1990年代である」(25頁)。

★続けてグレーバーはこう喝破します。「1970年にあらわれはじめ、今日にいたるまでまっすぐつなかっている事態には、アメリカ企業官僚制の上層による一種の戦略上の転換が文脈として作動している。すなわち、労働者から離脱して、株主に接近すること、そして最終的には金融機構総体へと接近することである。〔・・・〕かたや、企業経営がますます金融課していった。かたや、それと同時に、個人投資家にとってかわった投資銀行やヘッジファンドなどなどによって、金融セクターも企業化していった。その結果、投資家階級と企業の上級幹部職階級とは、見分けることもほとんどむずかしくなったのである」(27頁)。「万人が投資家の眼をもって世界をみるべし。これが、この時代のあたらしい信条である」(28頁)。

★序の末尾はこうです。「だれもがひとつの問題に直面している。官僚の実践、習慣、完成がわたしたちを包囲している。わたしたちの生活は、書類作成のまわりに組織されるようになった。〔・・・官僚制的なものに〕魅力があるとすればどこか、なにがそれを維持しているのか、真に自由な社会でも救済に値する潜在力を有しているとすればそれはどの要素か、複雑な社会であれば不可避に支払わざるをえない対価と考えるべきはどれか、あるいは完全に根絶できるし根絶さねばならないものはどれか、こうしたことを、理解しなければならない」(61頁)。序の途中に出てくる匿名エコノミストと著者の会話はドキュメンタリー映画「インサイド・ジョブ――世界不況の知られざる真実」(2011年)を思い出させました。このあとグレーバーの本論は、「想像力の死角? 構造的愚かさについての一考察」「空飛ぶ自動車と利潤率の傾向的低下」「規則(ルール)のユートピア、あるいは、つまるところ、なぜわたしたちは心から官僚制を愛しているのか」の三章へと続きます。訳者の酒井さんがお書きになった通り、本書は灰色の領域を明るみに出します。読者を冷めた覚醒へと導く重要書です。

◎デヴィッド・グレーバー(David Graerber, 1961-)既訳書
2006年10月『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、以文社)
2009年03月『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』(高祖岩三郎訳、以文社)
2015年04月『デモクラシー・プロジェクト――オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力』(木下ちがや/江上賢一郎/原民樹訳、航思社)
2016年11月『負債論――貨幣と暴力の5000年』酒井隆史/高祖岩三郎/佐々木夏子訳、以文社)
2017年12月『官僚制のユートピア――テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』(酒井隆史訳、以文社)

★一方、水崎訳「プラトーン著作集」(実質的に全集)でついに『国家』の新訳全三分冊が刊行されました。なかなか書店さんで見かけないのでネット書店で取り寄せ購入。徳と正義について問うた短編「クレイトポーン」も併載されています。 第八巻は「人間存在の在るところ」という総題が付されており、その理由については第三分冊巻末所収のあとがきに記されています。2011年より刊行開始となった水崎訳著作集では残すところ、第九巻三分冊となる『法律』(付:「ミーノース」)の刊行を待つばかりとなりました。驚嘆すべき個人全訳全集です。

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by urag | 2017-12-10 17:02 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 04日

まもなく発売、半世紀ぶりの新訳:バタイユ『有罪者』江澤健一郎訳、河出文庫

★江澤健一郎さん(訳書:バタイユ『マネ』)
河出文庫の今月新刊で、バタイユ「無神学大全」第二部の『有罪者』の新訳を上梓されます。河出文庫での江澤さんによるバタイユ新訳は2014年の『ドキュマン』に続く2冊目。まもなく発売です(明日12月5日以降)。

有罪者――無神学大全
ジョルジュ・バタイユ著、江澤健一郎訳
河出文庫、2017年11月、本体1,400円、文庫判512頁、ISBN978-4-309-46457-2

帯文より:「夜の思想家」バタイユの代表作、戦慄の新訳。「神なき神秘」の熱狂。世界を震撼させるおそるべき断章群。
カバー裏紹介文より:「生きることは、狂ったように、だが永遠に、サイコロを投げることだ」――いまなお世界を震撼させ続ける「夜の思想家」バタイユの代表作を50年ぶりに新訳。破格の書物が鋭利な文体と最新研究をふまえた膨大な訳注によって新たによみがえる。「神なき神秘」に捧げられた恍惚、好運、笑いをめぐる極限の思考がきらめくおそるべき断章群。

目次:

有罪者
 友愛
  Ⅰ 夜
  Ⅱ 「満たされた欲望」
  Ⅲ 天使
  Ⅳ 恍惚の点
  Ⅴ 共犯
  Ⅵ 完了しえぬもの
 現在の不幸
  Ⅰ 集団逃避
  Ⅱ 孤独
 好運
  Ⅰ 罪
  Ⅱ 賭けの魅惑
 笑いの神性
  Ⅰ 偶発性
  Ⅱ 笑う欲望
  Ⅲ 笑いと震え
  Ⅳ 意志
  Ⅴ 森の王
 補遺
  (ヘーゲルに関する講義の講師Xへの書簡・・・)
  (認識、行動への投入、問いへの投入についての断章)
  (人間と自然の対立についての二つの断章)
  (キリスト教についての断章)
  (有罪性についての断章)
  (笑いについての二つの断章)
ハレルヤ――ディアヌスの教理問答
訳註
訳者解題 誘惑する書物『有罪者』
訳者あとがき

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by urag | 2017-12-04 15:40 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 03日

白水社『メルロ=ポンティ哲学者事典』および「異貌の人文学」第2シリーズ、ともに完結

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新版 アリストテレス全集 第4巻 自然学』内山勝利訳、岩波書店、2017年11月、本体6,000円、A5判上製函入496頁、ISBN978-4-00-092774-1
メルロ=ポンティ哲学者事典 別巻 現代の哲学・年表・総索引』加賀野井秀一/伊藤泰雄/本郷均/加國尚志監修、白水社、2017年11月、本体6,400円、A5判上製564頁、ISBN978-4-560-093146
ボーリンゲン――過去を集める冒険』ウィリアム・マガイアー著、高山宏訳、白水社、2017年11月、本体6,800円、4-6判上製426頁、ISBN978-4-560-08310-9
安倍晴明『簠簋内伝』現代語訳総解説』藤巻一保著、戎光祥出版、2017年11月、本体2,700円、四六判並製411頁、ISBN978-4-86403-263-6

★『新版 アリストテレス全集 第4巻 自然学』は8か月ぶりとなる第16回配本。「自然学」は旧版全集では出隆/岩崎允胤訳で1968年刊の第3巻に収録。なお旧版全集は岩波オンデマンドブックスで、第13巻「ニコマコス倫理学」(加藤信朗訳、1973年)のみ現在も入手可能です。今回の新訳「自然学」の底本はウィリアム・デイヴィッド・ロス(Sir William David Ross, 1877-1971)による校訂版(Oxford Classical Texts, 1950)。訳者の内山さんは解説で次のように説明されています。「「自然」(ピュシス)なるものをはじめて学的対象として主題化し、それに明確な規定を与えて、「自然学」の学的領域とその内実とを確定したのは、まぎれもなくアリストテレスであった。その意味では、「自然学」はアリストテレスによってはじめて十全に確立されたものであり、またその後の長い歴史を通じてなされた自然学的考察や自然哲学は、およそ17世紀にガリレオらによる近代物理学への大転換が始まるまでは、すべて直接間接にそれを基盤とし、その大きな影響下に置かれていた、と言ってよかろう。アリストテレスにとって「自然学」が包括する領域には〔・・・大気圏内の諸事象に関わる〕気象論が加わるとともに、〔・・・動物学を中心とするきわめて浩瀚な〕生物学もそこに含まれ、また、『魂について』に纏められた考察も、その重要な一環をなしている。〔・・・〕近代的な「物理学」の領域を大きく越え出ていることが注意されよう」(448~449頁)。付属する「月報16」では、伊藤邦武さんによる「開かれた宇宙から閉じられた世界へ」と、リンゼイ・ジャドソン「アリストレテス『自然学』における素材-形相論、目的論、ゼノンのパラドクス」を収録。次回配本は2018年3月下旬刊行予定で第17巻「政治学 家政論」とのことです。新訳全集全20巻+別巻は残すところ、第17巻のほかは、第11巻「動物の発生について」と別巻「総索引」の刊行を残すのみとなりました。

★『メルロ=ポンティ哲学者事典 別巻 現代の哲学・年表・総索引』は最終回となる第4回配本。帯文に曰く「ソシュールをはじめ20世紀現代思想の巨人たちから、サンデル、バトラー、メイヤスー、ピケティ、ガブリエルまで……290名超の「セレブな哲学者たち」を収録する別巻」と。事典全三巻を補完する、日本の書き手による大部な現代哲学者名鑑となっています。税込6912円とけっして安くはないですが、A5判で500頁を優に超える本書が版元さんの他の新刊と比してそれでもこの値段に収まっているのは、努力の賜物かと想像します。哲学を学ぶ大学生のみならず、書店員や編集者にとっても必携の一冊です。

★マガイアー『ボーリンゲン』は「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」の第2シリーズ完結となる一冊。『Bollingen: An Adventure in Collecting the Past』(Princeton University Press, 1982; 2nd edition, 1989)の全訳です。『メルロ=ポンティ哲学者事典 別巻』を買う方は本書『ボーリンゲン』も購読せねばなりません。なぜならそういう本だからです。巻末の訳者解説「出会いのアルケミア」の冒頭で高山さんはこう書かれています。「次々と人名が登場してくるが、なにしろ当時にして国際的な有名人、21世紀劈頭の今みて確かに20世紀人文学をこの人が変えたと納得できる面子が、平凡な言い方だが綺羅星のごとくに登場してくるわけで、次には誰がという興味だけでどんどん読み進めてしまう、一種の、ひとつの文化自体を主人公にした集合的伝記、とでも言っておこう」(331頁)。「各分野にまたがる世界的名士の名をたどるだけで20世紀文化の消長が追えたことになる。新しい学知の創発は人と人の出会いがうむケミストリー(化学変化に擬される人間と人間の関係)だということを圧倒的に教えられる。世界は関係だということを人と人との関係を通して知るあり方がとても錬金術的だ。ユングは会議〔ダーグンク〕を必要としていた、出会いのアルケミアを。そのことを『ボーリンゲン』は、1ページ1ページ繰り続けていく作業の中で教える」(343頁)。

★また、こうも評しておられます。「読み方はいろいろあるが、まず単純にはフィランスロピー(philanthropy)の事例研究ということである。つまり産業界の大立者の中に篤志家がいて、学術・芸術・文化事業を財政的に援助する営みを指す。広くはパトロンの事前行為ということでパトロネージュ(女性パトロンによるマトロネージュ)の研究書と言ってもよいが、20世紀の巨大産業・金融資本による大型のパトロネージュはもはやパトロネージュというよりはフィランスロピーの名で呼ばれるのが一般的である」(337頁)。「1980年代、いわゆるバブル経済期そのものの只中では余りフィランスロピーと言わず、「メセナ」というフランス語を使って議論したようにも思う」(339頁)。書店や出版社、図書館の活動を一種のフィランスロピーだ考えるならば、本書から偉大なる先達の足跡を学ぶ意義は小さくないと思われます。また、巻末付録の「ボーリンゲン叢書」や「ボーリンゲン奨学金受給者」を参考にすれば、興味深いブックフェアができるでしょう。

★『安倍晴明『簠簋内伝』現代語訳総解説』は、学研から2000年に刊行された『安倍晴明占術大全――『簠簋内伝金烏玉兎集』現代語訳総解説』の新版です。巻頭の「新版の刊行にあたって」によれば「今回、新版を出すにあたっては、旧版では割愛していた宿曜道(密教占星術)の巻も訳出して全訳版に改めるとともに、訂正補筆を行った」とのことです。目次は書名のリンク先をご覧ください。『簠簋内伝(ほきないでん)』全五巻の全訳ということになりますが、今回新たに訳出された第五巻「文殊宿曜経」の解説で、藤巻さんはこう述べておられます。「本書は複数の編術者の手になった別個の著述が合冊され、伝安倍晴明として権威付けられたもので、もとより晴明の著作ではなく、また純然たる陰陽師による著作ともみえない。法師陰陽師や密教の宿曜師らによる雑占集というのが実情に近いのではないだろうか」(351頁)。「本訳書の初版出版後、熱心な読者から占いの内実にかかわるご質問や相談などが多々寄せられたが、編訳者としては、ここに述べられている吉凶等にこだたっていただきたくはない。〔・・・〕本書は一切の矛盾を考慮の外に置いて占術にまつわる諸説を雑多に網羅した、ひとつの時代資料、民俗資料なのである」(352頁)。

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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

『文学問題(F+f)+』山本貴光著、幻戯書房、2017年11月、本体3,600円、四六上製539+50頁、ISBN978-4-86488-135-7
戦争と虚構』杉田俊介著、作品社、2017年11月、本体2,400円、46判並製400頁、ISBN978-4-86182-660-3
バンコクナイツ 潜行一千里』空族(富田克也/相澤虎之助)著、河出書房新社、2017年11月、本体1,600円、46判並製304頁、ISBN978-4-309-02631-2
資本主義と死の欲動――フロイトとケインズ』ジル・ドスタレール+ベルナール・マリス著、斉藤日出治訳、藤原書店、2017年11月、本体3,000円、四六判上製264頁、ISBN978-4-86578-150-2

★山本貴光『文学問題(F+f)+』は、全三部の本編と三篇の附録から成ります。第Ⅰ部「漱石の文学論を読む」は夏目漱石の『英文学形式論』と『文学論』の読解です。こんにちの読者にとっては読みにくい二著の骨子を現代語抜粋訳と簡潔な解説で示します。第Ⅱ部「『文学論』で読む世界文学」は応用編で「漱石の『文学論』を念頭に文学作品を読むと同時に、文学作品によって『文学論』の不足を観察してみる」(「はじめに」より)というもの。取り上げられている作品10点は『ギルガメシュ叙事詩』『イリアス』「客中作[李白]」『アラビアン・ナイト』『源氏物語』『溶ける魚』『フィネガンズ・ウェイク』。第Ⅲ部「来たるべき『文学論』へ向けて」は「『文学論』をアップデートしようという試み」で「『文学論』以後の漱石が文学について考えたこと、漱石以後の文学理論で考えられたことを材料として、『文学論』に足りない点を補い、知見を更新して、来たるべき『文学論』の姿を浮かび上がらせてみたい」(同)というもの。三つの附録は「『文学論』――110年の読解史」「『文学論』以降の一般文学論の動き」「文学を考え続けるためのブックガイド」。さらに本書の予約特典として30頁もの別冊非売品冊子「メイキング・オブ・『文学問題(F+f)+』」があります。機能性と美を兼ね備えた小沼宏之さんによる非常にシステマティックな造本設計もさることながら、知のエヴァンジェリストたる山本さんの親切な情報共有愛が爆発的に横溢している、素晴らしい一冊です。

★杉田俊介『戦争と虚構』は、鮮烈な『ジョジョ論』(作品社、2017年6月)に続く杉田さんの最新批評集。帯文が熱いです。「災厄の気配――鳴り響く早朝のJアラート。力なき笑いに覆われた〈戦前〉――に満ちる転換期としての2010年代。『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』、押井守、宮崎駿、リティ・パン、伊藤計劃、湯川遥菜、安倍晋三、東浩紀、土本典昭……、それらを星座のようにつなぎ合わせたとき、見えてくる未来とは。新たなる時評=批評の形」。杉田さん自身の言葉も熱いです。「暗い時代である。暗すぎる、と言ってもまだ足りない。しかし、破局的な危機の時代においてこそ、人類の芸術や思想、批評はその力を発揮してきた。そうやって未来の人類を豊かに底上げしてきた。今後もしていくだろう。ファシズムや全体主義や独裁体制が永続した時代はなかった。極右化やポピュリズムだってそうだろう。近代化やデモクラシーや平和思想はこの地球上で少しずつ陣地を増やし、低い呟きによって勝利し続けてきた。それを忘れないことだ。政治的人間であらざるをえないときにこそ、芸術的人間でもあろうとし、生活をよりよきものたちで満たしていくことだ」(「はじめに」5頁)。「平和にとってフィクション作品とは何か。/虚構は戦争に抗することかできるのか。/そういうことを愚直に考えてみたかった」(4頁)。

★映像制作集団「空族(くぞく)」の二氏による『バンコクナイツ 潜行一千里』は「boid」誌2014年4月号から2016年12月号に連載された「潜行一千里」(全44回)を加筆修正し、書き下ろしを加えたもの。帯文に曰く「映画『バンコクナイツ』に至る十年間の潜入が生み出した驚愕のドキュメント」と。さらに「バンコクの日本人向け歓楽街・タニヤ通りを舞台にした映画を撮ろうと目論んだ空族は、そこで出会った娼婦や出稼ぎ労働者たちが熱狂する音楽“モーラム”や“プア・チーウィット(生きるための歌)”の存在を知る。その魅惑的な旋律に導かれ、男たちはイサーン(タイ東北地方)の森へ、そしてメコン川を越えラオスの山岳地帯へと迷い込むことに。次第に明らかになるベトナム戦争の陰惨なる傷跡と、資本主義の下劣なる欲望。しかし、世界経済の暴力に覆い尽くされたインドシナの大地で、抵抗の音楽とともに生きる人々の姿は、その最深部にこそ“楽園”があることを示していたのであった……」。著者たちはこう書いています。「映画製作を作戦と呼ぶ空族にとって、本書はその全行程の記録を基に校正された作戦報告書と呼ぶことができる。〔・・・〕この作戦報告書は空族がこの20年間、とりわけ映画『バンコクナイツ』を製作する過程の10年間(2007~2017)において起こった事件、出来事などが詳細に記されている」(6頁)。「本書は。もはや決して若くはない二人がしばし日本を離れ、実際に21世紀の東南アジアに入り込んでその土地の風花、ジャングル、山々、大メコン川の流れ、経済によって急速に近代化する都市、そして何よりそこで生きる人々との出会いによって何を感じ、考えたのかを綴った路上の記録にもなっている」(6~7頁)。



★ドスタレール/マリス『資本主義と死の欲動』は、『Capitalisme et pulsion de mort』(Albin Michel, 2009)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきによれば本書は「21世紀資本主義が抱えている破局的な危機の実相を、フロイトの「死の欲動」という概念装置を通して読み解こうとする」もので、「資本主義が人類と地球に破滅をもたらすほどの危機を招いているという認識と、その破局的危機の根底に人間の無意識の欲動(死の欲動)が作動しているという独自の考察が語りだされている」とのことです。また「本書の魅力は、精神分析のフロイトと経済学のケインズをフランス独自の思想的土壌において節合し、現代世界の危機認識の理論として再創造しようとするところにある」とも紹介されています。「ジラールの模倣欲望論、バタイユの蕩尽論、コンヴァンシオン理論やレギュラシオン理論といった経済学説などが、フロイトとケインズの学説を節合するうえで重要な媒介装置として作用している」と。

★二人の経済学者、ドスタレール/マリスはこう書いています。「今日、われわれのコンドルセ、われわれのケインズ、われわれのフロイトはだれなのか。タイタニック号が氷山にぶつかったとき、すべての乗客は、船の部品よりも、自然よりも、船体が優位にあると信じ込んでいた。乗客が信じていたのは、技術が、不沈の船の素晴らしい技術が、乗客を救ってくれるであろう、ということであった。エリート――設計技師、船長、船主――は、壮大な船舶が沈み行くことを知って、愕然とする。船主は最初の救命ボートに飛び乗った。船主はわれわれの時代のブルジョアジーである。疑いもなく、ブルジョアジーはしゃにむにつき進んだあとに、卑劣な行為に走る。なぜ氷山で覆われた海に船舶という機械を押し出したのか。このエリートをそそのかしたのは、いかなる傲慢な無意識であり、そこにはいかなる破局の欲望が隠されていたのか。ケインズとフロイトは、この疑問を解き明かしてくれる」(30~31頁)。

★またこうも書いています。「本書で見るように、資本主義の壮大な企みとは、消滅への諸力を、つまり死の欲動を成長へと誘導し、転移させることである。その意味で、エロス〔生の欲動〕がタナトス〔死の欲動〕を支配し、利用し、従属させる。とりわけこのエロスによるタナトスの支配・利用・従属化は、自然を破壊することによっておこなわれる。だが、タナトスはエロスに住みつく。つまり、快楽は破壊のなかにある。そもそも快楽は消費のなかにあるが、消費は投資とは対立する破壊行為にほかならない。これに対して、投資は消費を拒絶する。現代の金融危機は、未曾有の危機に昇りつめた。北の諸国の住民は高齢化が進んでいるが、これらのひとびとはみずからの生活水準を譲り渡すことを拒んでいる。かれらの生活水準は無駄な消費という「呪われた部分」の発現であるというのに、である。他方で、中国およびその13億の人口のような超絶的な資本主義的エネルギーがたちあらわれている。そこから想像しうることは、おそらく中国にそのつもりはないであろうが、この超絶的なエネルギーが傲慢で好戦的なものになるという宿命であろう」(10~11頁)。本書は鏡のように現代社会の素顔を映し出します。それがいかにおぞましいものであれ、私たちはそれと向き合うべきです。

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★まもなく発売(12月6日)となる、ちくま学芸文庫の12月新刊から5点を紹介します。

『コミュニティ――安全と自由の戦場』ジグムント・バウマン著、奥井智之訳、ちくま学芸文庫、2017年12月、本体1,100円、256頁、ISBN978-4-480-09825-2
『ロック入門講義――イギリス経験論の原点』冨田恭彦著、ちくま学芸文庫、2017年12月、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-480-09833-7
『ハーバート・スペンサー コレクション』ハーバード・スペンサー著、森村進編訳、ちくま学芸文庫、2017年12月、本体1,400円、480頁、ISBN978-4-480-09834-4
『定本 葉隠〔全訳注〕下』山本常朝/田代陣基著、佐藤正英校訂、吉田真樹監訳注、ちくま学芸文庫、2017年12月、本体1,700円、624頁、ISBN978-4-480-09823-8
『鉱物 人と文化をめぐる物語』堀秀道著、ちくま学芸文庫、2017年12月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09835-1

★バウマン『コミュニティ』の親本は筑摩書房より2008年刊行(原著は2001年刊)。「文庫版への訳者あとがき」によれば、「今回の文庫化にあたっては全篇を通じて、訳文の見直しを図った」とのことです。「本書で著者は、コミュニティをめぐる人間の様々なドラマを描き出している。そのドラマの舞台装置あるいは時代背景として著者が設定しているのは、日増しにグローバル化し個別化する世界である。〔・・・〕本書で描かれるドラマは、いまもってわたしたちの目の前で上演中である。いや私たちの一人一人がそのドラマの登場人物であると言うべきかもしれない。〔・・・〕本書の記述がわたしたちの胸に「グサグサ突き刺さってくる」ように感じられるのは、偶然の産物ではない。要するに本書には、いまもって十分な存在価値があるのである」(244~245頁)。

★冨田恭彦『ロック入門講義』は文庫オリジナルの書き下ろし。目次を列記しておくと、はじめに|第1章 ロック略伝――1632年~1704年|第2章 観念はヴェールではない――仮説の論理の無理解に抗して|第3章 経験論――「白紙」からの出発|第4章 感覚と概念的把握――ロックを心像論者とする誤解に抗して|第5章 抽象観念論はナンセンス?――もう一つの流言|第6章 単純観念を求めて――可感的単純観念と可想的単純観念|第7章 観察の理論負荷性への視点――モリニュー問題|第8章 現代指示理論の二重のさきがけ――記述主義と反記述主義のはざまで|第9章 創造的変化の思想――ローティの批判にもかかわらず彼の先駆者として|あとがき。

★森村進編訳『ハーバート・スペンサー コレクション』も文庫オリジナルの訳し下ろし。19世紀イギリスの思想家スペンサーは日本では19世紀末にもっとも盛んに訳されていましたが、20世紀後半以降はずいぶん減っていましたから、初めての文庫本としてだけでなく新訳自体が非常に貴重です。帯文に曰く「歴史上、最も不当に批判されてきた「適者生存」の思想家の全貌! リバタリアニズムの原点」。収録されているのは『政府の適正領域』(1843年)、『社会静学(抄)』(1851年)、『人間対国家』(1884年)で、訳者解説「なぜ今スペンサーを読むのか」が付されています。参考文献、スペンサー年譜、人名と事項の索引あり。

★『定本 葉隠〔全訳注〕下』は全3巻の完結編。「葉隠聞書」八~十一を収録。上野太祐さんが解説「武勇と情念――女たちの『葉隠』」を執筆されています。なお、講談社学術文庫版の『新校訂 全訳注 葉隠』全3巻は上巻が9月に刊行されたのち、残り2巻はまだ刊行されていません。

★堀秀道『鉱物 人と文化をめぐる物語』は、今はなき「どうぶつ社」から2006年に刊行された『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』に訂正を施し改題したもの、とのことです。文庫化にあたっての新たなあとがきは付されていません。もともとは雑誌や広報誌に長年にわたって寄稿されてきたものをまとめたのが本書です。堀さんの著書の文庫本は『「鉱物」と「宝石」を楽しむ本』(PHP文庫、2009年)以来久しぶりのもの。

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by urag | 2017-12-03 22:30 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 28日

注目新刊:ブランショ『終わりなき対話』ついに全三巻完結

★郷原佳以さん(共訳:『ブランショ政治論集』)
★西山達也さん(訳書:サリス『翻訳について』)
★安原伸一朗さん(訳書:ブランショ『問われる知識人』、共訳:『ブランショ政治論集』)
ブランショ最大の評論集『終わりなき対話』(1969年)の翻訳が、今般発売された第三部の刊行をもってついに完結しました。郷原さんは訳者を代表されて「訳者あとがき」をお書きになっておられます。

終わりなき対話 Ⅲ 書物の不在(中性的なもの・断片的なもの)
モーリス・ブランショ著 湯浅博雄/岩野卓司/郷原佳以/西山達也/安原伸一朗訳
筑摩書房 2017年11月 本体5,200円 A5判上製352頁 ISBN978-4-480-77553-5

カバー紹介文:外へ、純粋なる外部へ――。語ること、書くこと。始まりも終わりもなく、痕跡を残すこともなく、肯定でも否定でもなく、あらゆる負荷と重力を逃れ、文学が切り開くものとは一体何か? 伝説の名著、ついに完結。

目次:
1 最後の作品
2 残酷な詩的理性――飛翔への貪欲な欲求
3 ルネ・シャールと中性的なものの思考
4 断片の言葉
5 忘れがちの記憶
6 夜のように広々とした
7 言葉は長々と歩まねばならない
8 ヴィトゲンシュタインの問題
 フローベール
 ルーセル
9 バラはバラであり・・・
10 アルス・ノーヴァ
11 アテネーウム
12 異化効果
13 英雄の終焉
14 語りの声――「彼」、中性的なもの
15 木の橋――反復、中性的なもの
16 もう一度、文学
17 賭ける明日
18 書物の不在
訳註
訳者あとがき

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筑摩書房さんのウェブサイトでは全巻完結の特設頁が解説されており、中山元さんや澤田直さんの推薦文(「webちくま」掲載)を読むことができます。澤田さんによる「遅配された伝説の書」の末尾には次のような印象的な言葉があります。「遅配された『終わりなき対話』。だが、それを開けた時、なんという初々しい相貌だろうか。モーリス・ブランショには「孤高の作家」というイメージが長らくつきまとってきたが、エンターテイメントに徹した文学と、象牙の塔に閉じこもった哲学との間にいかなる架け橋もないように思われる今日の日本でこそ、この本を読むことの意味がある。それは、哲学的思考と文学的エクリチュールを弁証法的に接続するためではなく、むしろ、その分化の手前に立ち戻るためだ。時間が熟成をもたらすこと、時間的にも空間的にも即座に繋がらないことの重要性について私たちはあらためて思いを巡らせるべきだし、amazonの即日配達の異常さに気づくべきなのだ。ほとんどタイムカプセルのように届けられたこの本を読む幸福を多くの人と分かち合いたいと思う」。

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by urag | 2017-11-28 15:09 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 26日

注目新刊:『コミュニズム ― HAPAX 8』夜光社、ほか

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★マルクス『資本論』刊行150周年記念となる今年(2017年)も残すところあと一ヶ月、ここ最近ではマルクス主義やコミュニズム、そして資本主義の未来/終焉をめぐる新刊が目白押しとなっています。歴史学、地理学、社会学、人類学、など視点は様々ですが、人間と社会をどうとらえ直すかが問われているのだと思います。

『コミュニズム ― HAPAX 8』夜光社、2017年11月、本体1,200円、四六判変形並製180頁、ISBN978-4- 906944-13-2
いかに世界を変革するか――マルクスとマルクス主義の200年』エリック・ホブズボーム著、水田洋監訳、伊藤誠/太田仁樹/中村勝己/千葉伸明訳、作品社、2017年11月、本体3,800円、四六判上製618頁、ISBN978-4-86182-529-3
資本主義の終焉――資本の17の矛盾とグローバル経済の未来』デヴィッド・ハーヴェイ著、大屋定晴/中村好孝/新井田智幸/色摩泰匡訳、作品社、2017年10月、本体2,800円、四六判上製430頁、ISBN978-4-86182-667-2
資本主義はどう終わるのか』ヴォルフガング・シュトレーク著、村澤真保呂/信友建志訳、河出書房新社、2017年11月、本体4,200円、46判上製362頁、ISBN978-4-309-24831-8
非‐場所――スーパーモダニティの人類学に向けて』マルク・オジェ著、中川真知子訳、水声社、2017年11月、本体2,500円、四六判上製176頁、ISBN978-4-8010-0287-6
『経済人類学――人間の経済に向けて』クリス・ハン/キース・ハート著、深田淳太郎/上村淳志訳、水声社、2017年11月、本体2,800円、四六判上製304頁、ISBN978-4-8010-0311-8
現代思想2017年12月号 特集=人新世――地質年代が示す人類と地球の未来』青土社、2017年11月、本体1400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1356-1

★『HAPAX』第8号は発売済。「コミュニズム」と銘打たれ、以下の11編が収録されています。

コミュニストの絶対的孤独――不可視委員会の新著によせて|HAPAX
黙示録的共産主義者(アポカリプティック・コミュニスト)|高祖岩三郎
自由人の共同体と奴隷の共同体|李珍景
文明破壊獣ヒビモス、あるいは蜂起派のためのシュミット偽史|混世博戯党
非統治のための用語集|NPPV(マジで知覚するためのニュアンス)
壁のしみ|ヴァージニア・ウルフ
かたつむりの内戦、小説の倫理――「壁のしみ」訳者解題|五井健太郎
「復興」共同体と同じ場所に暮れをつくりだす  廉想渉「宿泊記」(一九二八)論|影本剛
「別の長い物語り」について|食卓末席組
巨椋沼における3つの議論|Great Caldrons
分裂的コミュニズム|HAPAX+鼠研究会

★巻頭論考で言及されている不可視委員会の新著というのは、今年刊行された『Maintenant』(La Fabrique, 2017)のこと。論考の注においては「いまこそ」と訳されています。いずれ日本語訳も読めるようになるのではないかという予感がします。続く高祖さんのテクストではコミュニズムとコミュニストがこんにち何を意味するかが問われており、高祖さんはこう書かれています。「今日の「コミュニズム」の一つの大きな役割は、諸々の技術の錬磨とその共有によって、「別の存在論的地平を開拓すること」であろう。わたしたちは、今後、解放された制度を夢見ることなく、瓦解する世界の中で、いつまでも地球的闘争を生き続ける以外にないのだ」(23頁)。「世界から積極的に離脱し続けること、それが今日のコミュニストの合言葉である」(22~23頁)。『HAPAX』は常に(反)時代のアトモスフィアとともにありましたが、当号でもそうした同時代性を感じます。また、当号ではヴァージニア・ウルフの最初期の短篇作「The Mark of the Wall」(1917年)の新訳が掲載されているのも特徴的です。底本は1921年の短編集『月曜日から火曜日』。訳者の五井さんによる解題も鮮烈で興味深いです。

★作品社さんの新刊、ホブズボーム『いかに世界を変革するか』とハーヴェイ『資本主義の終焉』はともに発売済。前者はイギリスの歴史家ホブズボーム(Eric Hobsbawm, 1917-2012)の最晩年に出版された論文集『How to Change the World: Tales of Marx and Marxism』(Abacus, 2011)の全訳で、日本語版解説として水田洋さんによる「著者エリックについて」、伊藤誠さんによる「21世紀世界をどのように変えるか――本書の魅力」、中村勝己さんによる「ホブズボームとグラムシ、アルチュセール」、千葉伸明さんによる「編集後記」が付されています。巻末には人名、事項、書名、地名・国名の各種索引を完備。「マルクス、マルクス主義、さらに歴史的文脈と思想の発展やその影響との相互作用」(10頁)をめぐる半世紀以上に及ぶ著者の研究を一望できる希有な一書です。全16章の章題を列記しておくと、「現代のマルクス」「マルクス、エンゲルスとマルクス以前の社会主義」「マルクス、エンゲルスと政治」「エンゲルスの『イングランドにおける労働者階級の状態』について」「『共産党宣言』について」「『経済学批判要綱』の発見」「マルクスの資本主義に先行する諸形態」「マルクスとエンゲルスの諸著作の遍歴」(以上が第Ⅰ部「マルクスとエンゲルス」)、「マルクス博士とヴィクトリア時代の評論家たち」「マルクス主義の影響――1880年から1914年まで」「反ファシズムの時代に――1929年から1945年まで」「グラムシ」「グラムシの受容」「マルクス主義の影響力――1945年から1983年」「マルクス主義の後退期――1983年から2000年まで」「マルクスと労働者階級――長い世紀」(以上が第Ⅱ部「マルクス主義」)。

★ハーヴェイ『資本主義の終焉』は『Seventeen Contradictions and the End of Capitalism』(Profile Books, 2014)の全訳。ハーヴェイ(David Harvey,1935-)はイギリス出身の地理学者。訳書は多数ありますが、本書の共訳者の大屋定晴さんによる日本語版解説「資本主義に対する「最も危険な本」」によれば、ハーヴェイはこの『資本主義の終焉』を「私がこれまで執筆したもののなかで最も危険な本だ」と述べているとのことです。大屋さんはその発言の背景をこう説明しておられます。「本書の目的は、米国ミレニアル世代に見られる「反資本主義」的なムードを、より論理的に一貫したものにすることにある。それは資本の諸矛盾を分析することによって、「反資本主義運動」が生まれざるをえない理由を解明し、さらにこの運動がめざすべき方向を提示しようとする」。興味深いのは、ハーヴェイが「資本の領域のなかには抑えがたい諸矛盾が存在しており、それが希望の多くの根拠を与えるものである」(390頁)と本書の末尾で逆説的に述べていることです。矛盾と危機を見つめる中に変革への契機もある、ということでしょうか。彼はこうも書いています。「われわれが反資本主義的活動を通じて世界を革新的に変化させ、多様な人々が存在する別種の場所を実現するためには、いかなる種類の人間主義を必要とするのか?/私は、世俗的な革命的人間主義を明言することが喫緊の必要であると考えている」(380頁)。以下に目次を列記しておきます。

[はじめに]21世紀資本主義は、破綻するか、ヴァージョン・アップするか
序章 “資本”がもたらす矛盾について
第Ⅰ部 資本の基本的な矛盾
第1章 使用価値と交換価値
第2章 労働の価値と貨幣
第3章 私的所有と国家
第4章 私的領有と共同の富〔コモン・ウェルス〕
第5章 資本と労働
第6章 資本は過程なのか、物なのか
第7章 生産と資本増大の実現
第Ⅱ部 運動する資本の矛盾
第8章 技術、労働、人間の使い捨て
第9章 分業における矛盾
第10章 独占と競争
第11章 地理的不均等発展と資本の時空間
第12章 所得と富の格差
第13章 労働力と社会の再生産
第14章 自由と支配
第Ⅲ部 資本にとって危険な矛盾
第15章 無限の複利的成長
第16章 資本と自然
第17章 人間性の疎外と反抗
第18章 資本主義以後の社会――勝ち取られるべき未来の展望
[おわりに]政治的実践について

★ちなみに作品社さんではハーヴェイが今年上梓した新刊『Marx, Capital and the Madness of Economic Reason』(Profile Bokks, 2017)の翻訳出版の準備が進んでいるとのことです。

★シュトレーク『資本主義はどう終わるのか』は発売済。『How Will Capitalism End?: Essays on a Failing System』(Verso, 2016)の全訳です。シュトレーク(Wolfgang Streeck, 1946-)はドイツの社会学者。著書の既訳書には『時間かせぎの資本主義――いつまで危機を先送りできるか』(みすず書房、2016年)、共編著書の訳書には『現代の資本主義制度――グローバリズムと多様性』(NTT出版、2001年;論考「ドイツ資本主義」を収録;人名表記は「ウォルフガング・ストリーク」)があります。今回の新刊は11本の論文に書き下ろしの注記と60頁もの序文を付して一冊としたもので「どれも共通して、〔・・・〕とくにマクロ政治社会学と政治掲載学と関連のある社会科学と社会学理論にとって、2008年の金融危機が何を意味しているのかを理解しようとする継続的な試みから生まれている。〔・・・〕この論文集は、現代のグローバル資本主義体制の根底に潜んでいる資本主義および資本主義社会の長期的な危機を中心的主題としている。そして、このシステムがそう遠くない未来、それを継承するシステムも不明のまま、その内的矛盾が拡大してどのように終わりを迎えるのかについて、より具体的に考えるよう読者を促すことを目的としている」(5~6頁)とのことです。「対立と矛盾にみち、つねに不安定で流動的」(7頁)な資本主義の行方を冷徹に分析する本書について訳者は「前著『時間かせぎの資本主義』で主張された内容をさらに大きく展開した内容になって」おり、「戦後の民主主義政治体制の歴史とその背後にある思想や社会状況を検討することにより、戦後先進諸国における民主制資本主義の崩壊過程と、その将来を考察することに特徴がある」(350頁)と評しています。

★水声社さんの「叢書・人類学の転回」の新刊2点が今月刊行されています。オジェ『非‐場所』は発売済。『Non-lieux : Introduction à une anthropologie de la surmodernité』(Seuil, 1992)の全訳です。目次は書名のリンク先でご覧になれます。オジェ(Marc Augé, 1935-)はフランスの人類学者であり民族学者。既訳書には『国家なき全体主義』(勁草書房、1995年)や『同時代世界の人類学』(藤原書店、2002年)があります。訳者あとがきでは「非‐場所」について次のような説明がなされています。「三つの過剰(出来事の過剰、空間の過剰、準拠枠の個人化)によって変容した、私たちが生きるこの時は、「近代〔モダニティ〕」ではなく「スーパーモダニティ」という尺度ではかられる。そして人類学がスーパーモダニティに向き合うとき、出会う空間は、「人類学の場」ではなく「非‐場所」なのである。/「人類学の場」は社会の構造を、その複雑な構成を、意味を読みとらせてくれる場所である。住居や祭壇や広場のように、歴史をそなえ、アイデンティティを構築し、関係をうむ場所だ。その意味でスーパーモダニティに登場する空間は、「場所」ではない。空港に代表される交通の空間、大規模スーパーマーケットのような消費の空間、そしてテレビに顕著なコミュニケーションの空間は、孤独の場なのである」(169頁)。こうした「場」について考えることは「スーパーモダニティ」に翻弄されているこんにちの出版や小売を考える上でとても重要です。「「いま・ここ」の新たな理論を立ち上げる」(帯文より)という本書の試みに注目したいです。なお水声社さんではオジェの1986年の著書『メトロの民族学者』が近刊予定であるとのことです。

★同叢書ではもう1点刊行されています。ハン/ハート『経済人類学』はまもなく発売。『Economic Anthropology: History, Ethnography, Critique』(Polity Press, 2011)の全訳です。ハン(Chris Hann, 1953-)とハート(Keith Hart, 1943-)はともにイギリス出身の社会人類学者。著書の日本語訳は本書が初めて。序文では本書の試みは次のように紹介されています。「これまで経済人類学は、かの高名なマルクスやヴェーバー、デュルケームなどの近代社会理論の父祖たちと結びつけて説明されてきた。ときにその歴史は啓蒙主義時代のポリティカル・エコノミー研究者にまで遡ることもあった。だが私たちの主張は、経済人類学の中核的な問いがそれよりもはるかに古くからのものだということである。究極的には経済人類学は、人間の本性や幸福をめぐる問いに、つまりあらゆる社会の哲学者たちが原初から心を奪われてきた問いに取り組むのである。本書において私たちは、この人類全体による創造物としての「人間の経済」をあらゆる時間、空間を通して探求できるのが経済人類学だということを論証していく」(14頁)。帯文には「グローバルな新自由主義的経済に代わるオルタナティブな方法論とは?」と大書されています。版元さんのブログにはまだ本書は掲出されていませんが、遠からず目次を含めた書誌情報がアップされることと思います。

★『現代思想』12月号は発売済。人新世(アンソロポシーン)とは1万7000年前に始まった完新世に継ぐ新しい地質年代として、ドイツの大気化学の権威パウル・クルッツェンが提唱した概念。中村桂子さんによるエッセイ「「人新世」を見届ける人はいるのか」によれば、その後の国際的議論でその始まりは20世紀の後半、つまり1950年以降と考えられているとのことで、プラスチックやコンクリートなどの大量生産、エネルギー大量消費、地球温暖化、核開発による汚染など、長期間に渡り人間の営為が地層に影響を与えることが予測されるためだそうです。同特集号では、ブルーノ・ラトゥール「人新世の時代におけるエージェンシー」、ダナ・ハラウェイ「人新世、資本新世、植民新世、クトゥルー新世――類縁関係をつくる」、ティモシー・モートン「この美しいバイオスフィアは私のものではない」などの論考が読めます。なお次号となる2018年1月号の特集は「現代思想地図2018」と予告されています。

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by urag | 2017-11-26 20:48 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 19日

注目新刊:レリス『ゲームの規則』全4巻刊行開始、ほか

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ゲームの規則Ⅰ 抹消』ミシェル・レリス著、岡谷公二訳、平凡社、2017年11月、本体3,400円、4-6判上製360頁、ISBN978-4-582-33323-7
ゲームの規則Ⅱ 軍装』ミシェル・レリス著、岡谷公二訳、平凡社、2017年11月、本体3,200円、4-6判上製292頁、ISBN978-4-582-33324-4
七十人訳ギリシア語聖書 モーセ五書』秦剛平訳、講談社学術文庫、2017年11月、本体3,150円、1200頁、ISBN978-4-06-292465-8
書簡詩』ホラーティウス著、高橋宏幸訳、講談社学術文庫、2017年11月、本体900円、248頁、ISBN978-4-06-292458-0
水滸伝(三)』井波律子訳、講談社学術文庫、2017年11月、本体1,780円、640頁、ISBN978-4-06-292453-5
中国名言集―― 一日一言』井波律子著、岩波現代文庫、2017年11月、本体1,280円、448頁、ISBN978-4-00-602295-2
世界の共同主観的存在構造』廣松渉著、岩波文庫、2017年11月、本体1,320円、560頁、ISBN978-4-00-381241-9

★レリス『ゲームの規則〔La Règle du jeu〕』全4巻の刊行開始です。岡谷公二訳『Ⅰ 抹消』(原書:Biffures, Gallimard, 1948)と『Ⅱ 軍装』(原書:Fourbis, Gallimard, 1955)が同時発売。前者の初訳は『ゲームの規則 ビフュール』として筑摩書房より1995年に刊行されたことがあります。新訳にあたっては原題の音写ではなく漢字二文字の訳語で統一するとの方針です。帯文に曰く「神話の偉大さに達した告白文学」と謳われ、個々の帯文は『Ⅰ 抹消』が「ビフュール。未来が暗い穴でしかなかった日々の幼少期の記憶の執拗な重ね書き〈日常生活の中の聖なるもの〉の探求」、『Ⅱ 軍装』は「フルビ。死を飼い馴らし、正しく振る舞い、おのれの枠を超え出る……〈生きる/書く〉心情の一件書類」。今回初訳となる『軍装』について岡谷さんは訳者あとがきで次のようにお書きになっておられます。「『軍装』は『抹消』とは異なり好評をもって迎えられた。ナドー、ビュトール、ポンタリス、ブランショらが有力な雑誌に次々と好意的な批評を発表、そして〔・・・〕刊行翌々年には『抹消』と合わせてクリティック賞を受け、レリスの文名は不動のものとなったのである」。シンプルで美しい装幀は細野綾子さんによるもの。第Ⅲ巻『縫糸』(千葉文夫訳、原書:Fibrilles, 1966)、第Ⅳ巻『囁音』(谷昌親訳、原書:Frêle bruit, Gallimard, 1976)が続刊予定です。

★講談社学術文庫の11月新刊より3点を選択。秦剛平訳『七十人訳ギリシア語聖書 モーセ五書』はいよいよ税別本体価格で3000円を超える時代に突入した、ということでしょうか。親本は河出書房新社より2002から2003年にかけて刊行された5点の単行本。奥付前の特記によれば、合本文庫化にあたり「その後の研究をもとに加筆・修正・再構成を行い、新に図版を挿入」したとのことです。分冊せずに大冊となるのをあえて避けずに全一巻としたことに強い印象を覚えます。訳者の秦さんは昨秋より、七十人訳聖書の預言者シリーズとして青土社から「イザヤ書」「エレミヤ書」「エゼキエル書」「十二小預言書」を上梓されています。

★ホラーティウス『書簡詩』は同文庫のための訳し下ろし。原著『Epistles』の既訳には、古いものでは田中秀央/村上至孝訳(生活社、1943年)、新しいものでは鈴木一郎訳(『ホラティウス全集』所収、玉川大学出版部、2001年)がありますがいずれも古書でしか買えません。原著第二巻第三歌は「詩論」としてさらに翻訳があり、文庫版では岡道男訳『アリストテレース 詩学/ホラーティウス 詩論』(岩波文庫、2001年)でも読むことができます。新訳より一節を引きます。「簡潔であろうと努力する。すると曖昧になる。流麗さを追究する。すると気骨と気勢が乏しくなる。荘重さを打ち出す。すると鼻持ちならない。安全無事ばかりを考えて嵐を恐れる人は地面に這いつくばる」(「詩論」より、146~147頁)。

★井波律子訳『水滸伝(三)』は全五巻のうちの第三巻。第43回から第60回までを収録。なお井波さんは今月、岩波現代文庫から『中国名言集―― 一日一言』が発売されたばかりです。親本は岩波書店から2008年に刊行。366篇の名言が選ばれ、出店や注釈が簡潔に記されています。「ジャンルをとわず、時代を超えて生き生きとなした生命力を保つ言葉を選ぶように心がけ、あまりに教訓的なものや説教臭の強いものは避けた。/しみじみと味読すると、発言者の深い叡智を感受して、なるほどと元気になったり、楽しくなったり、勇気がわいてきたりする」と巻頭の「はじめに」に記されています。なるほどその通りで、実に味わい深い句々に胸が熱くなります。「精衛微木を銜み、将に以て滄海を塡めんとす」(陶淵明)。

★廣松渉『世界の共同主観的存在構造』は凡例によれば、1972年に勁草書房より刊行された同書に「附録として足立和浩/白井健三郎/廣松渉による鼎談「サルトルの地平と共同主観性」(「情況」1973年1月号)を併録するもの」とのことです。同書の底本には岩波書店版『廣松渉全集』第一巻(1996年)が使用されており、「底本にある「学術文庫版への序」は省き、巻末の索引は初出の単行本に基づいて作成した」ともあります。なお講談社学術文庫版は1991年に刊行されていました。今回の再文庫化にあたり、熊野純彦さんが解説と解説者注を担当され、熊野さんの責任において「底本にふくまれるあきらかな誤記・誤植を訂正し、読みやすさを考慮して振り仮名の追加・整理をし、通行の表記法に基づいて記号を整理するなどの変更をおこなった個所がある」そうです。

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南方熊楠と説話学』杉山和也著、平凡社、2017年11月、本体1,000円、A5判並製108頁、ISBN978-4-582-36449-1
聖なる珠の物語――空海・聖地・如意宝珠』藤巻和宏著、2017年11月、本体1,000円、A5判並製120頁、ISBN978-4-582-36450-7
マルクスと商品語』井上康/崎山政毅著、社会評論社、2017年11月、本体6,500円、A5判上製580頁、ISBN978-4-7845-1846-3
哲学すること――松永澄夫への異議と答弁』松永澄夫監修、木田直人/渡辺誠編、中央公論新社、2017年11月、本体5,800円、A5判上製704頁、ISBN978-4-12-005028-2
ウールフ、黒い湖』ヘラ・S・ハーセ著、國森由美子訳、作品社、本体2,000円、四六判上製196頁、ISBN978-4-86182-668-9

★『南方熊楠と説話学』『聖なる珠の物語』はまもなく発売。ブックレット「書物をひらく」の第9弾と第10弾です。カバーソデ紹介文を引いておくと、『南方熊楠と説話学』は「民俗学や植物学をはじめ、南方熊楠が渉猟した学問領域は多岐にわたり、その足跡は広く深く展開している。説話学においても、南方熊楠の博学は、高木敏雄、柳田國男らをリードする役割をもった。けれども南方の説話学派、彼らや芳賀矢一など、その後の学界の主流とは別の方向をめざし、別の視野を拓いている。膨大な遺存資料のなかに、南方説話額の可能性をとらえる」。「南方熊楠の生涯」「南方熊楠の学問」「日本における説話学の勃興と南方熊楠」「南方熊楠の説話学と、その可能性」「南方熊楠旧蔵資料の価値――説話研究の側から」の五章立てです。『聖なる珠の物語』の紹介文は「ある場所が〈聖なる力〉によって〈聖なる空間〉に変容されるそのなりゆきを、たとえば寺社の縁起が語る。そして〈聖なるモノ〉が、その言葉に力を与え、その聖性を持続させる――。空海が中国から請来した「如意宝珠」。この聖なるモノの由来を語り、その由来譚を解釈しなおす言葉の群れが、室生寺の、高野山の聖性を増幅する。歴史のなかに、その言説システムを丹念に解きほぐす」。「空海と如意宝珠」「室生山の如意宝珠」「龍と如意宝珠」「高野山の如意宝珠」の四章立て。

★『マルクスと商品語』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭のはしがきによれば「本書の目的は、『資本論』冒頭商品論の解読であり、それを第二版以降に述べられる「商品語」という概念に焦点をあてたうえで遂行するものである」とのことです。「「商品語」という一般には聞きなれない用語について、人間語と対照させて、そのおおよその輪郭を明らかにしたのが、第一部〔第Ⅰ章、第Ⅱ章〕であり、本書の序論に当たる。/第二部〔第Ⅲ章~第Ⅶ章〕は本論である。『資本論』冒頭商品論をまったく新たな視点から捉え、従来の解読を刷新することを目指した。従来流布していたほとんどすべての読みを覆し、『資本論』冒頭商品論の精確な読解をなせた、と自負している。/第三部〔第Ⅷ章、第IX章〕は補論というべきものである。第三部草稿まで含めた『資本論』全体を踏まえて、今日の資本主義を批判するという課題は今後のものであり、そのための準備作業に相当する。〔・・・〕鍵となるのは架空資本の概念である。マルクスによるこの概念を復権させ、その新たな内容展開を目指していきたい」。本書はもともと2013年から2014年にかけて紀要「立命館文学」に連載された共著論文「商品語の〈場〉は人間語の世界とどのように異なっているか」を大幅に加筆修正したものとのことです。

★『哲学すること』は発売済。版元さんウェブサイトでは目次が未掲出のようですが、アマゾンには目次が掲載されています。帯文はこうです。「松永の薫陶を受けた13人が、渾身の力をふるって師に立ち向かう。厳密・緻密・稠密な言語使用を実践し、人間にとって本質的なことのみを論じ交わした火花散る師弟対決」。13人というのは次の方々です。朝倉友海、伊多波宗周、伊東俊彦、大西克智、木田直人、越門勝彦、佐藤香織、高橋若木、手塚博、中真生、原一樹、吉田善章、渡辺誠、の各氏です。松永さんは巻末の謝辞で次のように述べておられます。「私にとって、哲学は学問というより、生きることそのことと切り離せないものです。どうしてかと言いますと、人は単純に生きてはいず、ああだこうだと考え、そして悩んだり差し当たり得心したりして生きているわけで、すると、人はどのように生きてゆく存在なのか、その襞々までを十分に見通したいし、見通すことで生きることを心から納得したいという思いをもつからです。/そこでこの論文集の執筆者の皆さんが、私が哲学に対してもつこのようなイメージに対応する主題を選び、どの主題であれ、私と同じような姿勢で論じてくださったことは本当に嬉しいことでした」(679頁)。また、こうも書かれています。「私の哲学的思索について、「生きることの肯定の哲学」だとか「幸福の哲学」とかの評を聞くことがありますが、今回、答弁を書きながら、自分の哲学の営みの中心にあるものは、同時に「哀しみ」でもあるのかな、とあらためて感慨を懐いた次第です。「幸福の哲学」が「哀しみの哲学」でもあるということ、これは如何ともし難いことだと考えています」(680頁)。ちなみに松永さんは『めんどりクウちゃんの大そうどう』という絵本シリーズをご準備中とのことです。

★『ウールフ、黒い湖』は発売済。原書は1948年にオランダで刊行された『Oeroeg』です。ヘラ・S・ハーセ(Hella S. Haase, 1918-2011)はバタヴィア(現ジャカルタ)生まれのオランダの作家で、本国では非常に有名なのだそうですが、日本では本書が初訳。「訳者あとがき ヘラ・S・ハーセ その生涯と作品」(135~196頁)では著者について詳しく紹介しており、本書について「旧植民地で生まれ育った白人少年と現地少年の友情と別離を描き、読者に問いかけるように終わるこの作品は、オランダの東インド植民地文学とポスト・コロニアル文学とのちょうど境目に当たる時期に書かれ、オランダ文学史上においても、きわめて重要な位置づけとなっている」と説明されています。著者自身は「あとがき ウールフと創造の自由」で本作を「過去を探し求める旅の記録」と書いています。オランダの若者である主人公「ぼく」が1947年に現在のインドネシアで過ごした自身の少年時代を振り返り、同年齢の現地少年ウールフとの友情を顧みるというものです。訳者は本作に「誕生から20歳までのほとんどの日々を過ごした旧オランダ領東インド(ジャワ島)での作家自身の体験」が随所に反映されている、とも解説されています。

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by urag | 2017-11-19 18:30 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)