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2017年 08月 13日 ( 1 )


2017年 08月 13日

注目新刊:ノイラート『アイソタイプ』BNN新社、ほか

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★人文書売場だけを見ているだけでは見つけにくいここ二か月ほどの間の新刊をまとめてみます。

ISOTYPE[アイソタイプ]
オットー・ノイラート著、永原康史監訳、牧尾晴喜訳
BNN新社、2017年6月、本体3,200円、四六判上製320頁、ISBN978-4-8025-1065-3

帯文より:インターナショナルな世界を支える〈言語〉の統一に、〈デザイン〉の力で挑んだ哲学者の知られざる思想。事象と意味をつなぐ視覚化(=絵文字化)のシステムの結実、アイソタイプ。大戦の狭間に埋もれたノイラートの言葉が、いま蘇る。本邦初となる完訳訳『International Picture Language』(1936)、『Basic by Isotype』(1937)に『Modern Man in the Making』(1939)のすべての図版を収録した、合本版。

目次:
アイソタイプの科学――ふたたび世界をみる窓として(永原康史)
International Picture Language 国際図説言語
Basic by Isotype アイソタイプによるベーシック英語
Modern Man in the Making 近代人の形成(図のみ収録)

★ノイラート『ISOTYPE[アイソタイプ]』は某新規店の店内をふらついている際に、芸術・デザイン書の棚で偶然目に留まって釘付けになった一冊。「世界の表象:オットー・ノイラートとその時代」展(2007年9月25日~10月21日、武蔵野美術大学美術資料図書館1階展示室)以来、いつか翻訳されるかもしれない、されてほしいと期待してきたことがついに現実となり、舞い上がってしまいました。

★オットー・ノイラート(Otto Neurath, 1882-1945)は、オーストリア出身でのちにイギリスに亡命した哲学者。論理実証主義や統一科学運動で知られる「ウィーン学団」の一人です。アイソタイプとは「International System Of TYpographic Picture Education」の略で、視覚的な図記号による図説言語のこと。トイレで使われる、男女の姿を抽象化した標識を思い浮かべていただければよいかと思います。「誰から見てもわかりやすい絵は、言語の限界から自由だ〔・・・〕。それは国境を越えているのだ。言葉はへだたりをつくり、絵はつながりをつくる」(27頁)とノイラートは主張します。背景には「脱バベル化」(オグデン)を目指した国際言語創造の試みからの触発があるようです。グローバリゼーションが様々なひずみを引き起こしている時代だからこそひもとき、振り返り、原点を確認しておきたい、貴重な一冊。

★ノイラートの試みはグラフィック・デザイン史の一頁とも言えるでしょうけれども、同時に普遍言語や人工言語の末裔とも言えます。ライプニッツの普遍記号学や結合術、コメニウスの汎知学に通じる回路もあると思います。「ノイラートの船」で高名な論文「プロトコル言明」(Protokollsaetze; 竹尾治一郎訳、坂本百大編『現代哲学基本論文集Ⅰ』勁草書房、1986年、165-184頁)を収めた論文集は、大型書店なら哲学思想棚に基本書として置いてあると思いますが、本書『ISOTYPE』も哲学思想棚に置いてあるお店は、相当分かっていらっしゃる書店員さんがいるはず、と見ていいでしょう。

★なお『Modern Man in the Making 近代人の形成』は図版のみ収録ですが、論説部分を読みたい方は既訳書『現代社会生態図説』(高山洋吉訳、慶應書房、1942年)をご参照ください。古書市場ではかなり見つけにくい部類の本なので、図書館での閲覧が手っ取り早いです。ご参考までに同書の目次を掲出しておきます。

◎ノイラート『現代社会生態図説』(高山洋吉訳、慶應書房、1942年)目次
訳者序(1-2頁)
原著者序(1-4頁)※新たにノンブルが振り直されています
Ⅰ 叙述(1-108頁)※新たにノンブルが振り直されています
 過去と現在
 人類の統一化
 現代を生む諸潮流
 世界の現状
 社会環境
 人の日常生活
Ⅱ 図示(109-188頁)
Ⅲ 付録 文献及び註釈(189-228頁)
感謝の言葉(229頁)

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★このほか、理学書、建築書、ビジネス書などの新刊で、人文書売場にもスイッチできる新刊をいくつか挙げておきます。

ノースフェーラ――惑星現象としての科学的思考』ヴラジーミル・ヴェルナツキイ著、梶雅範訳、水声社、2017年7月、本体4,500円、四六判上製442頁、ISBN978-4-8010-0274-6
ユートピア都市の書法――クロード=ニコラ・ルドゥの建築思想』小澤京子著、法政だ学出版局、2017年7月、本体4,000円、A5判上製286頁、ISBN978-4-588-78609-9
2030年 ジャック・アタリの未来予測――不確実な世の中をサバイブせよ』ジャック・アタリ著、林昌宏訳、プレジデント社、2017年8月、本体1,800円、四六判上製224頁、ISBN978-4-8334-2240-6
続・哲学用語図鑑』田中正人著、斎藤哲也監修、プレジデント社、2017年6月、本体1,800円、A5判変型並製400頁、ISBN978-4-8334-2234-5
反脆弱性――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』(上巻、ナシーム・ニコラス・タレブ著、望月衛監訳、千葉敏生訳、2017年6月、本体各2,000円、46判上製412頁/424頁、ISBN978-4-478-02321-1/978-4-478-02321-1)

★『ノースフェーラ』は《叢書・二十世紀ロシア文化史再考》(桑野隆責任編集)の最新刊。前回の配本がヴィゴツキイ『記号としての文化――発達心理学と芸術心理学』(柳町裕子/高柳聡子訳、水声社、2006年)ですから約10年ぶりの配本(第6回)となります。このシリーズをちゃんと全点扱っている書店さんは信頼して良いと思います。ヴラジーミル・ヴェルナツキイ(1863-1945)はソビエト連邦時代の地球化学者でウクライナ科学アカデミー初代総裁。帯文は以下の通りです、「《科学的思考と人間の労働の影響の下に、生物圏は、叡知圏(ノースフェーラ)という新たな状態に移行しようとしている。》人類の科学的知識の増大を惑星地球の「進化」と位置づけ、人間思考の発展の歴史を辿りながら、生命と非生命のダイナミックな交流に着目した、新たな学問領域「生物地球化学」をうち立てる。人間理性への信頼が揺らぐ第二次世界大戦前夜、人類の未来への希望を科学研究の絶え間ない営為の中に見いだした、ヴェルナツキイの思想的到達点を示す草稿集」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお同シリーズの次回配本は、フレイデンベルグ『プロットとジャンルの詩学』杉谷倫枝訳、となるようです。

★『ユートピア都市の書法』は『都市の解剖学――建築/身体の剝離・斬首・腐爛』(ありな書房、2011年)に続く、小澤京子(おざわ・きょうこ:1976-)さんによる著書第二弾。東大大学院総合文化研究科に2014年に提出された同名の博士論文から、前著『都市の解剖学』と重複する部分を除外し、大幅に加筆修正したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。美麗な装丁は奥定泰之さんによるもの。本書を見かけたのは私は理工書売場の建築書棚においてでしたが、人文書売場の哲学思想棚においてはユートピア思想ないし啓蒙思想の研究書の近くに置くことで棚を豊かにしてくれると思います。ルドゥ(Claude Nicolas Ledoux, 1736-1806)と言えばその特異な紙上建築によって有名ですが、紙上建築を扱った近年の研究書と言えば、本田晃子さんの『天体建築論――レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』(東京大学出版会、2014年)を思い出します。数年のうちに、奥行きのある卓抜な建築思想研究に再び出会えた喜びを感じます。

★『2030年 ジャック・アタリの未来予測』の原書は『Vivement après-demain !』(Fayard, 2016)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。アタリは第一章「憤懣が世界を覆い尽くす」の冒頭でこう書いています。「自分の人生に意義をもたせるつもりなら、そして余生を楽しむだけの暮らしに甘んじるつもりがないのなら、世界を理解すべきだ」(18頁)。「現在、世界は悪の勢力によって支配されているといえる」(19頁)と厳しく指摘するアタリは本書の目的を次のように明言しています。「誰もが世界の明るい展望と脅威を知る術をマスターし、それらの機会とリスクを推し測ることができるようにすることだ」(11頁)。第四章「明るい未来」では、本書が予見する世界の大惨事を回避するために個人が達成すべき精神的な10段階や、その先にある社会制度改革のための10の提案、さらに国家(本書の場合はフランス)が実行すべき10の提案を簡潔に列記しています。「とにかく、私はすべてを語った」(205頁)、これが本書の結びの言葉です。猛烈に濃い絶望的な闇の中でアタリが掲げる剣の輝きを信じることができるのかどうか、困難に立ち向かう勇気が私たち一人ひとりに問われています。

★なおプレジデント社さんではベストセラー『哲学用語図鑑』(2015年)の続編として『続・哲学用語図鑑』を6月に刊行されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「中国・日本・英米分析哲学編」と銘打たれていますが、『哲学用語図鑑』でも扱われていた重要な哲学者の何人かは再説されており、前作の周到な補完となっています。優れた人文系入門書を長らく手掛けられてきたフリーエディターの斎藤哲也さんのご活躍に深い敬意を覚えます。田中正人さんという才能豊かな適任者によって専門家では成し得ない図鑑が作成されたことは、出版史における画期的な業績として記憶され、刻まれるべきことでしょう。田中さんの図鑑にはまさにノイラート的な図説の感性が溢れているように思います。

★アタリの著書『2030年 ジャック・アタリの未来予測』と合わせて読んでおくのが良いかもしれない本には、訳者の林さんがまもなく上梓される近刊書、ダニエル・コーエンの『経済成長という呪い――欲望と進歩の人類史』(東洋経済新報社)を挙げてよいでしょう。また、既刊書ではタレブの最新作『反脆弱性』上下巻を挙げておきたいと思います。原書は『Antifragile: Things that Gain from Disorder』(Random House, 2012)です。アタリ(Jacques Attali, 1943-)は人文書からビジネス書に進出した思想家であり経済学者、政治家ですが、タレブ(Nassim Nicholas Taleb, 1960-)はトレーダー出身の金融工学の専門家で、ランダムネス、確率、不確実性をめぐる思想家でもあり、ビジネス書から人文書に越境してくるキー・パーソンです。主著であるベストセラー『ブラック・スワン――不確実性とリスクの本質』(上下巻、望月衛訳、ダイヤモンド社、2009年)のほか、すでに何冊も訳されています。

★明日をも知れぬ世界の混迷について鋭く警告し、そこからの脱出を示唆する点において、アタリとタレブはそれぞれに分析と処方を提示し、不確実性と変化がもたらすものを教えます。『ブラック・スワン』を『反脆弱性』の補助的な作品であり付録である(『反脆弱性』上巻39頁)と位置づけているタレブが教えるのは、「変動制や不確実性によって損をする」(同下巻294頁)脆さについてです。「何より不思議なのは、脆いものはすべて変動性〔ボラティリティ〕を嫌うという当たり前の性質が、科学や哲学の議論からすっぽりと抜け落ちてしまっていることだ。〔・・・〕この点を自然に会得しているのは、たいてい実践家(物事を実行する人)だけなのだ」(上巻36頁)とタレブは書きます。「衝撃を利益に変えるものがある。そういうものは、変動性、ランダム性、無秩序、ストレスにさらされると成長・反映する。〔・・・〕本書ではそれを「反脆弱」と形容しよう」(22頁)。「すば抜けて頭はよいけれど脆い人間と、バカだけれど反漸弱な〔訳書通りに転記すると「反脆い」〕人間、どちらになりたいかと訊かれたら、私はいつだって後者を選ぶ」(22~23頁)。平たく言えば、変化による危機をチャンスに変えることができる能力を反脆弱性として理解していいでしょうか。

★タレブの本書では「観光客化 touristification」という造語が出てくるのですが、ここで言う「観光客 tourist」は東浩紀さんが『観光客の哲学』(ゲンロン、2017年3月)で使用したキーワードとは大きく意義が異なっているように感じます。それを踏まえた上で、タレブと東さんの本を隣合わせで置いている本屋さんがいらっしゃるとすれば、その方は旬の新刊を横断的に見ることができる方でしょう。タレブの「観光客化」は下巻巻末の用語集によれば「人生からランダム性を吸い取ろうとすること。教育ママ、ワシントンの公務員、戦略プランナー、社会工学者、ナッジ使いなどのお得意技。反義語は「分別ある遊び人」」(下巻416頁)。本文では次のように記述されています。「この単語〔観光客化〕は私の造語であり、人間を機械的で単純な反応を返す、詳しいマニュアルつきの洗濯機のようなものとして扱う、現代生活のひとつの側面を指している。観光客化は、物事から不確実性やランダム性を体系的に奪い、ほんの些細な点まで予測可能にしようとする。すべては快適性、利便性、効率性のためだ。/観光客が冒険家や遊び人の対極にあるとすれば、観光客化は人生の対極にある。観光客化は、旅行だけでなく、あるとあらゆる活動を、俳優の舞台のようなものへと変えてしまう。システムや有機体からランダム性を最後の一滴まで吸い出し、不確実性を好むシステムや有機体を骨抜きにしておきながら、それがよいことなのだという錯覚まで与える。その犯人は、教育制度、目的論的な科学研究の助成計画、フランスのバカロレア資格、ジムのマシンなどだ。〔・・・〕現代人は、休暇中でも囚われの生活を送らざるをえなくなっている。金曜の夜のオペラ、スケジュールされたパーティー。お約束の笑い。これも金の牢獄だ。/この”目的志向”の考え方は、私の実存的な自我を深く傷つけるのだ」(上巻122~113頁)。

★一方、東さんは「連帯の理想を掲げ、デモの場所を求め、ネットで情報を集めて世界中を旅し、本国の政治とまったく無関係な場所にも出没する21世紀の「プロ」の市民運動家たちの行動様式がいかに観光客のそれに近いか、気がついていないのだ。〔・・・〕観光客は、連帯はしないが、そのかわりたまたま出会ったひとと言葉を交わす。デモには敵がいるが、観光には敵がいない。デモ(根源的民主主義)は友敵理論の内側にあるが、観光はその外部にあるのだ」(160頁)とお書きになっておられます。「観光客は大衆である。労働者であり、消費者である。観光客は私的な存在であり、公共的な役割を担わない。観光客は匿名であり、訪問先の住民と議論しない。訪問先の歴史にも関わらない。政治にも関わらない。観光客はただお金を使う。そして国境を無視して惑星場を飛び回る。友もつくらなければ敵もつくらない」(111頁)。「観光客はまさに、20世紀の人文思想全体の敵なのだ。だからそれについて考え抜けば、必然的に、20世紀の思想の限界は乗り越えられる」(112頁)。「観光客の哲学を考えること、それはオルタナティブな政治思想を考えることである」(116頁)。

★タレブが観光客を、主体性を奪われたただのお客=部外者として見ているのとは対照的に、東さんはその部外者にも主体性があり、自由に動けるのだと評価しておられるように思われます。東さんの言う「観光客」はむしろ、タレブがそれ(観光客)と対置している「分別ある遊び人 the rational flaneur」に近いように思われます。「「自分は行き先を完璧にわかっている」「過去に自分の行き先を完璧にわかっていた」「過去に成功した人はみんな行き先をわかっていた」という錯覚を、本書では「目的論的誤り」と呼ぼう。/また、「分別ある遊び人」とは、観光客とは違って、立ち寄った先々で旅程を見直し、新しい情報に基づいて行動を決められる人だ。ネロは自分の嗅覚を頼りに、旅でこの方法を実践していた。遊び人は計画の囚人ではない。観光は、文字どおりの意味であれ比喩的な意味であれ、目的論的誤りに満ちている。計画は完璧であるという家庭のもとで成り立っていて、人間を、修正の難しい計画の囚人にしてしまう。一方、遊び人は、情報を獲得するたびに絶えず理性的に目標を修正していく」(上巻281頁)。

★タレブの言う「目的論的誤り the teleological fallacy」を東さんは積極的に評価しておられるように思います。「誤配こそが社会をつくり連帯をつくる。だからぼくたちは積極的に誤配に身を曝さねばならない」(9頁)。「21世紀の新たな抵抗は、帝国と国民国家の隙間から生まれる。それは、帝国を外部から批判するのでもなく、また内部から脱構築するのでもなく、いわば誤配を演じなおすことを企てる。出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した枝をもういちどつなぎかえ、優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる。そして、そのような実践の集積によって、特定の頂点への富と権力の集中にはいかなる数学的な根拠もなく、それはいつでも解体し転覆し再起動可能なものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々につねに思い起こさせることを企てる。ぼくには、そのような再誤配の戦略こそが、この国民国家=帝国の二層化の時代において、現実的で持続可能なあらゆる抵抗の基礎に置かれるべき、必要不可欠な条件のように思われる。21世紀の秩序においては、誤配なきリゾーム状の動員は、結局は帝国の生権力の似姿にしかならない。/ぼくたちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。ぼくはここでそれを観光客の原理と名づけよう。21世紀の新たな連帯はそこから始まる」(192頁)。

★タレブは先述の通り「遊び人〔フラヌール〕」を評価しますが、一方でこう警告もしています。「ひとつ注意がある。遊び人の日和見主義は、人生やビジネスではうまくいく。でも私生活や人間関係ではうまくいかない。人間関係では、日和見主義の反対は忠誠だ。忠誠を尽くすことは立派な心がけだが、人間関係や道徳のようなふさわしい場面で発揮してこそ意味がある」(上巻281~282頁)。これについては東さんの『観光客の哲学』では、第2部「家族の哲学(序論)」を参照すべきかと思われます。「観光客が拠りどころにすべき新しいアイデンティティとは、結局のところなんなのだろうか。/実はぼくがいまその候補として考えているのは家族である」(207頁)。これ以降の比較はネタバレを含まざるをえないのでやめておきますが、タレブさんと東さんの思考を往還することで得るものは色々とあるような気がします。

★ちなみにタレブの議論とメイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年)をリンクさせている思想家にエリ・アヤシュ(Elie Ayache、1966-)がいます。著書に『The Blank Swan: The End of Probability』(Wiley, 2010)や『The Medium of Contingency: An Inverse View of the Market』(Palgrave, 2015)などがあり、邦訳論文に「出来事のただなかで」(安崎玲子/杉山雄規訳、『ザ・メディウム・オブ・コンティンジェンシー』Kaikai Kiki、2014年、25~40頁;アヤシュの未訳著書とは別物)や、「現実の未来」(神保夏子訳、『Speculative Solution』東京都現代美術館、2012年、62~75頁)があります。アヤシュもまた実業家なのですが、哲学者としての横顔も持っています。タレブと同じくレバノン出身で、アタリと同様にエコール・ポリテクニークで学び、さらにソルボンヌ大学でも学位を取り、デクシア・アセット・マネジメントを経て1999年にテクノロジー・カンパニー「ITO 33」を創業しています。『Collapse』誌第8号(Urbanomic, 2014)では彼のインタヴュー「The Writing of the Market」を読むことができます。私が今もっとも注目している思想家の一人ですが、もし関心を共有する方がいらっしゃいましたらぜひご連絡下さい。

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by urag | 2017-08-13 17:49 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)