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2017年 06月 25日 ( 1 )


2017年 06月 25日

注目新刊:ヘグルンド『ラディカル無神論』、ラトゥール『法がつくられているとき』、ほか

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★明日以降順次発売開始と聞く注目新刊をまずご紹介します。

ラディカル無神論――デリダと生の時間』マーティン・ヘグルンド著、吉松覚/島田貴史/松田智裕訳、法政大学出版局、2017年6月、本体5,500円、四六判上製478頁、ISBN978-4-588-01062-0
法が作られているとき――近代行政裁判の人類学的考察』ブルーノ・ラトゥール著、堀口真司訳、水声社、2017年6月、本体4,500円、四六判上製473頁、ISBN978-4-8010-0263-0

★ヘグルンド『ラディカル無神論』の原書は『Radical Atheism: Derrida and the Time of Life』(Stanford University Press, 2008)です。ヘグルンド(Martin Hägglund, 1976-)は、スウェーデン出身の哲学者で、現在イェール大学比較文学・人文学教授。本訳書は著者にとって英語で刊行された初めての著書であり、単行本での本邦初訳となります(中国語訳と韓国語訳が進行中と聞きます)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。日本語版付録として「ラディカル無神論的唯物論──メイヤスー批判」(初出:吉松覚訳、『現代思想』2016年1月号「特集=ポスト現代思想」)が再録されています。ヘグルンドは序文で自著についてこう述べています。「本書は、デリダがたどった道筋全体を一貫して捉えなおそうとする試みを提示している。デリダの思考のなかに倫理的ないし宗教的な「転回」があったとする見解を退けることで、私は、ラディカルな無神論が終始一貫して彼の著作を形づくっていることを明らかにしたい」(3頁)。

★序文では各章について端的な紹介があります。「第一章〔時間の自己免疫性──デリダとカント〕では、デリダの脱構築とカントの批判哲学との関連を扱う」。「第二章〔原‐エクリチュール──デリダとフッサール〕では時間の総合という脱構築的な観念を、デリダが「原-エクリチュール」と呼んだものの分析を通して展開する」。「第三章〔原‐暴力──デリダとレヴィナス〕では、原-エクリチュールと、デリダが原-暴力と呼ぶものとの関連を明らかにする」。「第四章〔生の自己免疫性──デリダのラディカル無神論〕では、デリダのラディカル無神論の重要性を、詳細にわたって示すことにする」。「第五章〔デモクラシーの自己免疫性──デリダとラクラウ〕では、ラディカル無神論の論理がデリダのデモクラシー概念に結びつけられる」(20-22頁)。

★以下では印象的な言葉を抜き出してみます。「デリダは、それ〔「生き延び」という観念〕が自分の仕事全体にとって中心的な重要性をもつと繰り返し指摘しているが、彼は生き延びの論理について明確に問題を示したことなど一度もなかったし、それが同一性や欲望、倫理や政治にかんするわれわれの思考へと分岐していることを示したこともなかった。こうした議論を準備することで私は、彼がこの語に与える厳密な意味において、デリダを「相続」しようと努めた。相続することは、単に師に導かれたことを受け入れるだけではない。それは、師の教えをさまざまな仕方で生き続けさせるために、その遺産を肯定し直すことなのである。/このような相続はもっともらしく教えを守ることによってはなしえない。それは、ただ教えを批判的に識別することを通してのみ可能なのである」(23-24頁)。

★「ラディカル無神論の最初の挑戦は、生のあらゆる瞬間が実のところ生存の問題なのだということを証明することである。〔・・・〕何ものもそれ自体として与えられることはありえず、つねにすでに過ぎ去っている〔・・・〕仮に出来するものがそれ自体として与えられ過ぎ去ってしまうことがなかったならば、未来のために何かを書き留める理由などないだろう。〔・・・〕生き延びの運動なしにはいかなる生も存在しえない〔・・・〕。生き延びの運動は来たるべき予見不可能な時間のために、破壊可能な痕跡を残すことによってのみ存続するのだ」(96頁)。

★「ひとが望む未来はどのようなものであれ、内在的に暴力的で(なぜならこの未来は、他の未来を犠牲にしてのみ到来しうるのだから)、かつそれ自体暴力にさらされている(なぜならこの未来は他の未来の到来によって打ち消されるかもしれないからだ)。〔・・・〕生き延びを目指した欲動は、デモクラシーを望むということがいかにして可能になるかわれわれが説明することを可能にする傍らで、なぜこの欲望は本質的に退廃しうるもので、内在的に暴力的なのかを説明することをも可能にしてくれる〔・・・〕。デモクラシーを望むとしても、時間を逃れた存在の状態を望むことはできない。デモクラシーを望むことは本質的に、時間的なものを望むことである。なぜならデモクラシーは、民主主義的であるために、自らの変化=他化に開かれたままでなければならないからだ。〔・・・デモクラシーを求める欲望は〕あらゆる欲望において機能している生き延びの暴力的な肯定を明快に説明している〔・・・〕。ラディカル無神論の論理によってわれわれは政治の問題と、デモクラシーの課題を、新たな観点から評価することができるようになる」(398-399頁)。

★『ラディカル無神論』はそれ自体がデリダの思想を相続する試みであると同時に、デリダを相続しようとした先行者たちとの対話でもあり、それらをとりまく哲学史との対話でもあります。本書を読むことなしにデリダ研究の現在は語れないのではないかと思われます。

★ラトゥール『法が作られているとき』は「叢書・人類学の転回」の最新刊。原書は『La Fabrique du droit : une ethnographie du Conseil d'État』(La Découverte, 2002)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「フランスの行政法最高裁判所であるコンセイユデタの人類学的調査が実施され、法を専門としない外部者の視線から、裁判官が事件を処理し判決を作り上げるプロセスについて、詳細な記述が行われている」(訳者あとがき、456頁)本書について、ラトゥールは英語版序文でこう書いています。「エスノグラフィという装置を用いて、哲学的には捉えることができないような哲学的問題に取り組もうとしている。つまり、法の本質についてである。それは、本質とは、定義の中ではなく、実践、それもある特別な方法で異質な現象を全体的に結びつけているような、実態に根差した実践の中にこそあるということを知っているからである。そして、本書全体を通じて焦点を当てているのが、この特別な方法そのものを探求することなのである」(451頁)。

★ブルーノ・ラトゥール(Bruno Latour, 1947-)はフランス・パリ政治学院教授。科学社会学の泰斗で訳書には以下のものがあります。

1985年『細菌と戦うパストゥール』岸田るり子/和田美智子訳、偕成社文庫、1988年(品切)
1987年『科学がつくられているとき――人類学的考察』川崎勝/高田紀代志訳、産業図書、1999年
1991年『虚構の「近代」――科学人類学は警告する』川村久美子訳、新評論、2008年
1992年『解明 M.セールの世界――B.ラトゥールとの対話』ミシェル・セール著、梶野吉郎/竹中のぞみ訳、法政大学出版局、1996年(品切)
1999年『科学論の実在――パンドラの希望』川崎勝/平川秀幸訳、産業図書、2007年
2002年『法が作られているとき――近代行政裁判の人類学的考察』堀口真司訳、水声社、2017年
2014年「「近代」を乗り越えるために」、『惑星の風景――中沢新一対談集』所収、中沢新一著、青土社

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★次に、発売済の今月新刊から注目書をピックアップします。

ミシェル・フーコー講義集成Ⅲ 処罰社会――コレージュ・ド・フランス講義1972-1973年度』ミシェル・フーコー著、八幡恵一訳、筑摩書房、2017年6月、本体6,000円、A5判上製448頁、ISBN978-4-480-79043-9
口訳万葉集(下)』折口信夫著、岩波現代文庫、2017年6月、本体1,400円、A6判並製480頁、ISBN978-4-00-602289-1

★『ミシェル・フーコー講義集成Ⅲ 処罰社会』は発売済。全13巻のうちの第11回配本(原書『La société punitive. Cours au Collège de France (1972-1973)』は2013年刊)。帯文はこうです。「規律権力はどこから来たのか――現代の監視社会の起源を問う、もうひとつの『監獄の誕生』! 18世紀末から19世紀にかけ、監獄という刑罰の形態が、身体刑にとって代わり、突如として一般的になる。なぜ、このような奇妙な現象が生じたのか。犯罪者を「社会の敵」へと変えるさまざまな刑罰の理論と実践を検討し、のちの『監獄の誕生』では十分に深められなかった「道徳」の観点から、現代における規律権力の到来を系譜学的にさぐる。フーコー権力論の転回点を示す白熱の講義」。残すところ、講義録は第Ⅱ巻「刑罰の理論と制度(1971-1972)」と第Ⅹ巻「主体性と真理(1980-1981)」の2巻となりました。ちなみに新潮社版『監獄の誕生』は現在版元品切ですが、アマゾンでの表示が7月31日に入荷予定となっているので、おそらく重版が掛かるのだと思われます。

★折口信夫『口訳万葉集(下)』は全三巻の完結編。29歳の折の口述筆記による現代語訳です。下巻は巻十三から巻二十を収めています。夏石番矢さんによる解説「波路のコスモロジー」が巻末に掲載されています。今年は折口の生誕130年であり、角川ソフィア文庫の『古代研究』をはじめ、新刊が続いています。

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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。

ゲンロン5 幽霊的身体』東浩紀編、ゲンロン、2017年6月、本体2,400円、A5判並製324頁、ISBN978-4-907188-21-4
わが人生処方』吉田健一著、中公文庫、2017年6月、本体860円、文庫判並製280頁、ISBN978-4-12-206421-8
鯨と生きる』西野嘉憲著、平凡社、2017年6月、本体4,500円、B5変判上製96頁、ISBN978-4-582-27828-6

★『ゲンロン5 幽霊的身体』は6月24日(土)より一般書店発売開始。発行部数一万部と聞いていますので、本誌の取扱書店一覧は、人文書版元の営業にとってMAXに近い配本先となり、非常に参考になります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。東浩紀さんによる巻頭言「批評とは幽霊を見ることである」にこんな言葉があります。「つまり批評とは、なによりもまず視覚の問題なのだ。批評家は、見えるものを分析するだけではいけない(それはジャーナリストや社会学者の仕事だ)。しかし、かといって、見えないものを夢想するだけでもいけない(それはこんどは芸術家の仕事だろう)。批評家は、見えるもののなかに、本来なら見えないはずのものを幻視する、特殊な目をもっていなけれなならない。言い換えれば、幽霊が見える目をもっていなければならない。/批評とは幽霊を見ることだ」(9~10頁)。「この21世紀の社会をよりよく生きるためには、みなが幽霊を見る目をもつべきである、すなわちみなが小さな批評家になるべきである〔・・・〕。ポストモダンとは、幽霊の時代であり、批評の時代なのである」(11頁)。なお、続刊となる第6号(9月予定)と第7号(2018年1月)では、連続で「ロシア現代思想」の特集が組まれるそうです。

★吉田健一『わが人生処方』は発売済。没後20周年記念オリジナル編集のエッセイ集第三弾です。人生論と読書論から成る二部構成で、巻末には著者のご息女である吉田暁子さんと松浦寿輝さんの対談「夕暮れの美学――父・作家、吉田健一」(初出は『文學界』2007年9月号)と、松浦さんの解説「すこやかな息遣いの人」が収められています。松浦さんはこうお書きになっておられます。「本書が教えてくれるのは、人は恋人の瞳や飼っている犬のしぐさや川面に移ろう光を愛するように本を愛しうるし、また愛すべきだという簡明な真実である。この「一冊の本」と深くまた密に付き合うことで、人は「時間がただそれだけで充実してゐる」世界を体験することができるからだ」(271頁)。「わたしの書架には数十年来何度も何度も読み返し読み古した挙句、黄ばんでよれよれになってしまった集英社文庫版の『本当のような話』や中公文庫版の『東京の昔』がまだ残っており、それらをわたしは死ぬまで手元に置いて、折に触れ繰り返しページを繰りつづけるだろう」(272頁)。紙の書物の「「実在」と深く密に触れ合」うことの「「充実」した時間」、この幸福は愛読書を持つ者なら共感できることではないかと思います。すべてが素早く移ろいゆく世界の中で、一冊の愛すべき書物を読む時間を持てるのは、この上なく贅沢なことです。

★西野嘉憲『鯨と生きる』は発売済。帯文に曰く「関東で唯一の捕鯨基地がある千葉県和田漁港。毎年、町には鯨とともに夏が訪れる。鯨が息づく町の暮らしや捕鯨船の様子を、自然とヒトの関係を追ってきた写真家が活写」。漁や解体、料理や食事など、外房の日常風景が並びます。意義深い出版に接し、著者や出版社に深い敬意を覚えます。本書に言及はありませんが、「環境保護団体」を自称する輩やその賛同者たちの横暴とは一切無縁の、貴重な一冊です。

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by urag | 2017-06-25 18:53 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)