ウラゲツ☆ブログ

urag.exblog.jp
ブログトップ

2008年 01月 01日 ( 3 )


2008年 01月 01日

ついに完結、サルトル『存在と無』文庫全三巻

a0018105_3213666.jpg来週水曜日、08年1月9日発売のちくま学芸文庫、サルトルの『存在と無(III)』です。これで全三巻完結。第三巻は約600頁、第四部「「持つ」「為す」「ある」」と「結論」が収録されており、さらに、訳者の松浪信三郎さんによる「用語解説」や「訳者あとがき」、文庫版編集協力者の北村晋さんによる「解説」が付されています。巻末には、事項索引と人名索引。税込1,890円。

第三巻に登場する有名な言葉には、「われわれは自由へと呪われている〔=人間は自由の刑を宣告されている〕」(146頁)や「人間は一つの無益な受難である」(463頁)などがあります。周知のようにサルトルは小説家にして劇作家でもあるのですが、上記のような言葉は哲学者の思惟でありつつ、シェイクスピアの劇のせりふのようでもありますね。サルトルが戦後初めて翻訳されたのは、まず小説家としてでした(『水いらず・壁』)。

解説者の北村さんはこう書いています、「本書は20世紀フランス現象学の古典にして、その後のさまざまな現代思想の源流でもある。(・・・)『存在と無』には、(・・・)まだまだ新たな読解を可能にする汲み尽くせぬ源泉が秘められているのである。読者諸氏は、既成の解釈に囚われぬ自由な読解に是非ともチャレンジしていただきたい」と。

なお、今月のちくま学芸文庫では、ドゥルーズ『カントの批判哲学』の、國分功一郎さんによる新訳が刊行され、ハイゼンベルクやディラックら7名の物理学者の肉声を集めた『物理学に生きて―─巨人たちが語る思索のあゆみ』も発売されます。また、2月6日発売の同文庫では、スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理』 、ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』、 岡村浩訳『ディラック現代物理学講義』が刊行される予定。

単行本では、ハンナ・アレント『政治の約束』(ジェローム・コーン編、高橋勇夫訳)や、ジグムント・バウマン『コミュニティ―─安全と自由の戦場』(奥井智之訳)が1月8日に発売されます。バウマンは大月書店からも『リキッド・ライフ――現代における生の諸相』(長谷川啓介訳)も1月18日に発売。今月は出費を覚悟しなければなりません。
[PR]

by urag | 2008-01-01 03:22 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 01日

圧巻の論文集『ドゥルーズ/ガタリの現在』、平凡社より

a0018105_2263882.jpgドゥルーズ/ガタリの現在
小泉義之・鈴木泉・桧垣立哉:編
平凡社 08年1月刊 6,090円 A5判上製カバー装722頁 ISBN978-4-582-70273-6

帯文より:没後十年余りを経て、古典化の動きが著しいドゥルーズ/ガタリ。空疎な権威化や瑣末な文献学化という負の側面をはらみながらも、彼らの思考の引き延ばし、よりよき汎用化は着実に進行している。その哲学的・思想的到達点を測定すべく三十人超の研究者が協働、これからのD/G研究の出発点をしるす意欲的な論集。

前書きによれば、「05年7月から06年7月まで、約一年間をかけて集中的に行われたドゥルーズ&ガタリ研究会の成果」とのことです。この研究会の発起人である三氏が本書の編者となっています。素晴らしい執筆陣による圧巻の巨編です。注目の若手が多数参加しているので、あと二十年は本書を超える本は出ないように思えるほどです。

目次:
前書き (桧垣立哉)
I ドゥルーズ――『意味の論理学』、『差異と反復』
 意味と出来事と永遠と――ドゥルーズ『意味の論理学』から (上野修)
 「出来事」の倫理としての「運命愛」――ドゥルーズ『意味の論理学』におけるストア派解釈 (近藤智彦)
 ただ流れる時間へ――いかにして辿りつけるか (郡司ペギオ幸夫・太田宏之・浦上大輔)
 『差異と反復』における微分法の位置と役割 (近藤和敬)
 「強度」概念再考――その内在的理解の深化に向けて (原一樹)
II ドゥルーズ+ガタリへ
 構造主義の臨界――ドゥルーズ・ラカン・ガタリ (美馬達哉)
 器官なき身体とは何か――実在的区別の観点から (江川隆男)
 機械は作動するか――ドゥルーズ/ガタリにおける機械の問題系 (廣瀬浩司)
 表層・深層・抽象機械における言語――『意味の論理学』から『千のプラトー』へ (大山載吉)
 いつも「新しい」精神医療のために (三脇康生)
III 『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』
 資本主義のリビドー経済――ドゥルーズ=ガタリにおける「経済学批判」の可能性 (荒谷大輔)
 器官なき身体から抵抗へ――『千のプラトー』における主体化と抵抗 (佐藤嘉幸)
 公理と指令 (松本潤一郎)
 メキシコの一九六八年、あるいは「マイノリティへの生成変化」が残した問い (崎山政毅)
 ドゥルージアン/ガタリアン・アニマル――「リトルネロ」のプラトー探検 (遠藤彰)
IV ドゥルーズ/ガタリ縦走
 ドゥルーズ哲学における〈転回〉について――個体化論の転変 (桧垣立哉)
 来たるべき民衆――科学と芸術のポテンシャル (小泉義之)
V イマージュ/シネマ
 メディア・デザインへ向けての哲学とは何か?――デジタル環境における超越論的イメージの批判=危機 (瀧本雅志)
 ミュージカル映画における「世界の運動」――ドゥルーズ『シネマ』におけるハリウッド・ミュージカルの新たな位置付け (木村建哉)
 シネキャピタル、シネコミューン――普通のイメージたちによる「労働の拒否」 (廣瀬純)
VI 哲学的系譜・遭遇
 ドゥルーズ哲学のもう一つの系譜について (米虫正巳)
 思考と哲学――ドゥルーズとハイデガーにおける (増田靖彦)
 ドゥルーズと現象学 出会いのための序章――「時間の三つの総合」と「差異による時間の総合」の接合部分 (杉本隆久)
 ドゥルーズとデリダ――概念をめぐって (藤本一勇)
VII ドゥルーズ/ガタリ横断
 シーニュとインタフェイス (本間直樹・森淳秀)
 剥き出しの生と欲望する機械――ドゥルーズを通して見るアガンベン (高桑和巳)
 家族写真、アメリカ、資本主義――ドゥルーズ/ガタリとともにダイアン・アーバスを (清水知子)
 ドゥルーズ/サイード――音楽の飛翔力と重力をめぐって (平井玄)
 言語の流体力学――指令語の射程について (サドッホ)
VIII 資料
 ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在 (鈴木泉)
後書きに代えて (鈴木泉)

***

気をつけなければならないのは、本書は「資本主義と分裂病」をはじめとする、チームワークとしての「ドゥルーズ=ガタリ」に重点が置かれているということです。鈴木さんによる後書きにあるように、編者はドゥルーズに偏るのではなく、ガタリの読解にも重点を置くべく常に配慮されたそうです。ただ、こうして本書を眺めてみると、それでもドゥルーズ寄りになってしまう傾向が強いように見えます。現時点では仕方のないことなのかもしれませんが、その意味で三脇さんの論文は非常に貴重だと思います。

ガタリの主要著書はほとんど翻訳されていますから、あとは新しい読者/書き手がどんどん補完していけばいいのかもしれません。04年にフランスで刊行された、ガタリの『アンチ・オイディプスのための文書』は、69年から72年にかけてドゥルーズに宛てて書かれた覚書や日誌などの集成ですが、このいわば「草稿」群とも呼ぶべきものがいずれ日本語に訳され、あるいはドゥルーズによる「アンチ・オイディプス」講義や「ミル・プラトー」講義も日本語で読めるようになれば、いっそう彼らの協働性が綿密に検討できるでしょう。むろん、「リゾーム」に書かれている彼らのスタンスを踏まえれば、ドゥルーズもガタリも共著の「解剖」などは望んでいないし、まったく重要視もしないでしょう。

そうであるにせよ、もしもガタリへの視線が薄くなってしまうとしたら、残念な話ではあります。本書の美しいカバーにはドゥルーズの講義風景であろう写真が使われていますが、ガタリの姿は見えません。承知の上でこうなっているのでしょうけれども、ガタリはどこ?と目を瞠らせます。裏返して言えば、ガタリがいずれ再び注目されるのを、ある意味で、本書は予示しているようにも思えます。
[PR]

by urag | 2008-01-01 01:44 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2008年 01月 01日

ネグリ新刊『さらば、近代民主主義』、作品社より

a0018105_15366.jpgさらば、"近代民主主義"――政治概念のポスト近代革命
アントニオ・ネグリ(1933-):著 杉村昌昭:訳
作品社 08年1月 2,520円 46判上製カバー装252頁 ISBN978-4-86182-170-7

帯文より:本書は、ネグリが20世紀の政治思想・哲学の概念は機能停止したとして、さまざまな近代思想・ポストモダン思想(スピノザ、ヘーゲル、マルクス、ベンヤミン、アレント、フーコー、デリダ、アガンベンなど)を総括し、グローバル民主主義に向けて新たな政治概念の定義を行ったものである。

***

原書はフランス語で刊行された"Fabrique de Porcelaine. Pour une nouvelle grammaire du politique", Stock, 2006です。イタリア語版は未刊。原題を直訳すると「陶磁器製造工房――政治的なものの新たな文法のために」となります。04年から05年にかけてパリの国際哲学学院で行われた連続講義「政治的なものの新たな文法のために」をまとめたものです。目次は以下の通り。

親愛なる日本の友人たちへ――日本語版への序文
序文――新たな政治の文法づくりの"工房"として
工房1 近代/ポスト近代の区切り
工房2 マルチチュードの労働と生政治的組成
工房3 グローバリゼーションと集団的移動〔エクソダス〕――平和と戦争
工房4 公と私を超えて――〈共〉〔コモン〕へ
工房5 マージナルな抵抗としての「ポスト近代思想」批判
工房6 差異と抵抗――ポスト近代の区切りの認識から、来たるべき時代の存在論的構成へ
工房7 抵抗の権利から構成的権力へ
工房8 ガバメントとガバナンス――「政府形態」の批判のために
工房9 決定と組織
工房10 共通の自由の時間
結び――マルチチュードを形成することは、新たな民主主義をつくることである
訳者あとがき
政治概念・思想用語索引
人名索引

日本語版への序文によれば、原題の「陶磁器製造工房」というのは、「非常に脆い素材を使って手作りで貴重なものをつくるということを意味して」おり、「現代の新たな概念大系のようなものを生み出そうという意図を表わしている」とのことです。さらに「これは、まさに現代という時代が、なおあらゆる変化に開かれ、思考が予期せざるリスクにさらされているだけに、時宜を得たものではあるが、困難なことでもあった」とも書かれています。

本書のうちでもっとも注目すべき概念のひとつは、「共〔コモン〕」=共通のもの、です。公でも私でもなく、共。ネグリはこう述べます、「〔〈共〉の概念は〕公的なものと私的なものとのいっさいの起源的分離の拒否、そしていったん分離してからのあらゆる再構築の拒否から生まれたものである」(99頁)と。ネグリはこうした〈共〉の捉え方を、チャールズ・テイラーやサンデル、ハーバーマスらの「公共」哲学と対比させています。

ネグリの〈共〉は「マルチチュード」の概念によって彫琢されます。マルチチュードとは「特異性の総体」であり、「無限の特異的活動を結び合わせる協働的な織物の総体」です。上から正義を押し付けられるような「公」ではなく、かと言って「私」に引きこもるのでもなく、民衆が自ら個々のかけがえのなさを共に結び合わせていくこと。その主体性にネグリは賭けていると言えるのかもしれません。

ネグリは08年3月に来日し、東京と京都で講演する予定です。上記書のフランス語共訳者であるジュディット・ルヴェルさんも来日し、講演すると聴いています。
[PR]

by urag | 2008-01-01 00:57 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)