2009年 02月 27日

近刊チェック《知の近未来》:09年2月25日

インフルエンザにかかって、タミフルをこわごわ飲んでいる。このところ当連載の前段で業界時評の真似事をやっているが、今回は書く気力も体力もない。気力がなければ向き合うのがしんどい現実の数々。正直に言えば書いていてあまり面白いものではない。扱っている主題が愉快なものではないので仕方がないか。

人文・社会5団体新年会、「新刊増に対応を」」(新文化)
新買切り制度を模索」(全国書店新聞)

といった記事については特にコメントしたいことがあるが、とても詳論を書く体力がないので、一言だけ添えるとする。前者記事は「新刊増に対応を」というとある出版人の発言の最初だけを読むととんでもなく間抜けな要望に聞こえてしまい、取次マンのかわし方は他社出版人ですら同情できるだろう※。しかし、前出の出版人の発言のかなめは、後段の「専門書が隅へ追いやられるのは怖い」という肉声にある。取次マンの回答はこの点への答えにはなっていない。

【※09年2月27日追記:新刊点数のとどまるところを知らない増加は、取次人や書店人をうんざりさせているし、出版人もうんざりしている。このインフレ状態に「対応」は不可能だろう。新刊点数の増加によって、マイナーな専門書の寿命がいっそう短くなるのでは、という懸念は簡単には解消されない。】

後者記事では日書連理事会で、買切時限再販に対して「売れる本でなければというのが最大の眼目」という主張が聞かれる。当たり前の意見のようだが、これが「売れそうにない本は買切にしてもらっては困る」という論理ともしも表裏一体だとしたら、現実の細部をかなりはしょった暴力的言辞になると思う。「売れる本」とは普遍妥当的な存在を果たして意味しうるだろうか。「売れる/売れない」ということの判断基準は実際のところ、どこに存するのだろう。

本を売るという主体的行為と、本が売れるという客観的現象は別個のものであるが、「売れる/売れない」という机上の専制が「売る」主体の心理を陵辱することがある。販売の個別具体性が忘却される時、議論は恐ろしいほど平板になる。そうした抽象的な空回りは、書店人にせよ、出版人にせよ、販売の現場に携わる者であれば経験的に知っているだろう。「売れる」とはそもそもどのような出来事か。「売れる本」という修辞に普遍的な実体はないのだ。その驚くべき、変幻自在の空虚さ……。

さて、来月の新刊で気になったのは以下の書目である。

2009年03月
01日『ダブリナーズ』ジェイムズ・ジョイス/柳瀬尚紀訳 新潮文庫 580円
02日『プレカリアートの憂鬱』雨宮処凛 講談社 1,680円
04日『ヤンキー文化論序説』五十嵐太郎編著 河出書房新社 1,680円
10日『日本近代文学の起源 原本』柄谷行人 講談社文芸文庫 1,050円
10日『汚穢と禁忌』メアリ・ダグラス ちくま学芸文庫 1,470円
10日『経済政策を売り歩く人々』ポール・クルーグマン ちくま学芸文庫 1,575円  
10日『哲学原理』ルネ・デカルト/山田弘明ほか訳 ちくま学芸文庫 1,260円
10日『ゲーテ形態学論集・植物篇』マーク・ゲイン ちくま学芸文庫 1,575円
12日『黄金の壷/マドモアゼル・ド・スキュデリ』ホフマン 光文社古典新訳文庫
12日『白い牙』ロンドン 光文社古典新訳文庫  
16日『遠隔透視ハンドブック』ジョー・マクモニーグル 東洋経済新報社 2,520円
17日『インディアス史(全7巻)』ラス・カサス/長南実訳 岩波文庫 840-1,155円 
18日『世界大不況からの脱出』ポール・クルーグマン 早川書房 1,680円
18日『大転換――脱成長会社へ』佐伯啓思 NTT出版 1,680円
18日『魚のいない海』キュリー+ミズレイ NTT出版 2,520円
20日『空海 塔のコスモロジー』武澤秀一 春秋社 2,310円
20日『道元禅師全集4 正法眼蔵4』水野弥穂子訳注 春秋社 6,300円
20日『ハイエク全集2-6 経済学論集』春秋社 3,990円
20日『ストラスブール ヨーロッパ文明の十字路』宇京頼三 未知谷 6,300円
23日『フラットランド』エドウィン・アボット・アボット 日経BP出版センター 2,520円
23日『新しいアナキズムの系譜学』高祖岩三郎 河出書房新社 1,575円
24日『「当たり前」をひっぱたく』赤木智弘 河出書房新社 1,470円
24日『クルーグマン マクロ経済学』クルーグマン+ウェルス 東洋経済新報社 5,040円
25日『グリーン革命(上下)』トーマス・フリードマン 日本経済新聞出版 各1,995円
25日『小説作法ABC』島田雅彦 新潮選書 1,260円
28日『ポー短編集(1)』エドガー・アラン・ポー/巽孝之訳 新潮文庫 380円

ジョイスは『ダブリン市民』の新訳。光文社古典新訳文庫に触発されたのではとネットではもっぱら評判の新潮文庫「海外名作新訳コレクション」からの一冊。同コレクションは、昨年末からカポーティの『ティファニーで朝食を』(村上春樹訳)を皮切りに「集中刊行」しているものだそうだ。月末にはポーの新訳短編集も出る。どちらもいまどき珍しい廉価設定で、大いに好感が持てる。世間のデフレ傾向が続くとすれば、今後文庫本の一部は少しずつ安くなっていくのかもしれない。

『ヤンキー文化論』は建築史家の五十嵐氏には似つかわしいタイトルで目を惹く。版元の紹介文によれば、「思考や行動の様式から、ファッション、音楽、マンガ、映画、アート、建築まで――いまこそ、ヤンキー文化の豊潤な可能性を見よ! 執筆・インタビュー:都築響一、宮台真司、斎藤環、酒井順子、近田春夫、永江朗、速水健朗ほか」とのこと。建築とヤンキーのつながりだけ依然として想像しにくいが、面白そうだ。

来月はクルーグマンの新刊が多い。不況のご時勢であるし、ノーベル賞を受賞したし、これからも増えるだろう。ちなみに文庫本ではこれまで、日経ビジネス人文庫から2点『クルーグマン教授の経済入門』『良い経済学 悪い経済学』が刊行されている。前者は残念ながら品切。

『インディアス史』は、かつて「大航海時代叢書」第II期 21~25巻として94年に刊行されていたものを「約7割に圧縮し、全7冊同時刊行する」(版元紹介文)ものだそうだ。なぜ7割なのかは未詳。中南米先住民に対するスペインの植民支配を批判し続けたカトリック司祭ラス・カサス(1484-1566)の著書は、岩波文庫ではご承知の通り『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(染田秀藤訳)がロングセラーだ。

高祖さんのアナキズム論新刊は『ニューヨーク列伝』『流体都市を構築せよ!』(いずれも青土社)に続く著書第三弾。版元の紹介文にはこうある。「いま、世界を席巻する新しいアナキズム的実践を、ドゥルーズ=ガタリ、マルクスなどの理論を出会わせながら、巨大にしてラジカルな思想をうちたてる空前のマニフェスト。地理学から都市へ、そして地球へ向かう鮮烈な挑発」。3月で一番楽しみな新刊だ。

赤木智弘氏の単独著新刊は一昨年の『若者を見殺しにする国』(双風舎)以来だろうか。時事評論集とのことだから、これまでに書いたのをまとめた本と考えていいのかもしれない。

『グリーン革命』の著者トーマス・フリードマンは、『フラット化する世界』(日本経済新聞出版社)や『レクサスとオリーブの木』(草思社)などの著書で有名なジャーナリストで、『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニスト。ピュリッツァー賞を三度も受賞している。彼は先月、米国議会上院の環境・公共事業委員会の公聴会で、こんな発言をしている。

「“石油の独裁支配”を終わらせ、気候変動やエネルギー危機を緩和し、生物の多様性が失われている状況を劇的に転換するようなエネルギー革新を主導するチャンスは、どの国にもある。これからは、こうした技術を持っている国こそが、国土やエネルギー、気象、経済面での安全を手に入れ、さらに世界中の敬意を一身に集めることができるだろう」(Conputerworld.jp 1月8日付記事「トーマス・フリードマン氏らが米国のグリーン技術開発の立ち遅れに警鐘」)。

オバマ政権がフリードマンが言うような環境技術での「世界一」を目指そうとしていることは、つとに報道されている。ブッシュではなくゴアが大統領になっていたら、米国はもっと早期にそれを目指していたかもしれない。しかし、ゴアが前大統領だったら、オバマは大統領になれただろうか。

発売日が未詳だが、3月新刊には次のものもある。

『大衆の反逆』オルテガ/桑名一博訳 白水Uブックス 1,365円
『フランスの現象学』ヴァルデンフェルス 法政大学出版局 8,400円
『フロイトの伝説』サミュエル・ウェーバー 法政大学出版局 4,410円
『やなぎみわ マイ・グランドマザーズ』淡交社 2,600円
『ヒトラーのスパイたち』クリステル・ヨルゲンセン 原書房 2,940円
『ひまわり――ユダヤ人にホロコーストが赦せるか』ジーモン・ヴィーゼンタール 原書房 2,940円

ヴィーゼンタールの『ひまわり』は版元紹介文によると、「ナチスハンターで著名な著者のノンフィクション小説。ユダヤ人収容所の囚人が、瀕死のナチス親衛隊員から死に際に、虐殺に対する赦しを請われる。秀逸な短編小説に対し、後半では世界の識者53名が「赦し」の意味と解釈を論じる」とのこと。

原書"The Sunflower: On the Possibilities and Limits of Forgiveness"を確認してみると、識者のうちには、ジャン・アメリーやプリーモ・レーヴィのようなサバイバー作家や、ハーバート・マルクーゼやツヴェタン・トドロフのような人文科学の思想家、そしてダライ・ラマやデズモンド・ツツのような宗教者の名前が見える。

【09年2月27日追記:原書房の新刊2点は今週後半に発売された。】

先月号で紹介したみすず書房の3月新刊はすべて4月にスライドしているので、来月のこの連載で再度取り上げることになるだろう、逃げ水のようにこれ以上遠のかなければ、の話だけれど。嫌味ではありません。みすず書房の4月新刊のラインナップは実際素晴らしいです。
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by urag | 2009-02-27 12:29 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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