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2008年 10月 12日

注目新刊:ジャック・アタリ『21世紀の歴史』作品社

a0018105_5174531.jpg21世紀の歴史――未来の人類から見た世界
ジャック・アタリ:著 林昌宏:訳
作品社 08年8月 本体2400円 46判上製348頁 ISBN978-4-86182-195-0
■帯文より:2050年、そして2100年、世界の中心都市はどこか? 国家、資本主義、宗教、民主主義は、どうなっているのか?「ヨーロッパ復興開発銀行」初代総裁にして経済学者・思想家・作家であり、「ヨーロッパ最高の知性」と称されるジャック・アタリ。これまでの、ソ連崩壊、金融バブル、新たなテロの脅威、インターネットによる世界変化を予測し、見事に的中させてきた。本書はアタリが、長年の政界・経済界での実績、研究と思索の集大成として「21世紀の歴史」を大胆に見通し、ヨーロッパで大ベストセラーとなったものである。サルコジ大統領は、本書に感銘を受け、「21世紀フランス」変革のための仏大統領諮問委員会「アタリ政策委員会」を設置した。

■原著:Une brève histoire de l'avenir, Paris: Fayard, 2006.

21世紀事典
ジャック・アタリ:著 柏倉康夫+伴野文夫+荻野弘巳:訳
産業図書 99年6月 本体2600円 46判上製354頁 ISBN4-7828-0124-6
■帯文より:破滅か、再生か、21世紀の百科全書。著者のジャック・アタリによれば、21世紀は1989年にすでに始まっている。ソ連が崩壊し、最初のクローンが登場し、インターネットが出現したのがこの年であった。本書は、300のキーワードをもとに、目前に迫った新たな時代の潮流を読み解く。

■原著:Dictionnaire du XXIe siècle, Paris: Fayard, 1998.

★前者『21世紀の歴史』(原題は「未来小史」)が、ビジネス街の書店でたいへん良く売れていると聞きます。アタリの未来学/文明論/国際政治論は、欧州の存在意義を強く意識していますから、アメリカ中心の見方とは異なる観点を有しているのが特徴ではないでしょうか。それぞれ文明史家であったり、国際政治経済学者であったり、未来学者であるようなアメリカの学者、たとえばマンフォード(1895-1990)、パッカード(1914-1996)、キッシンジャー(1923-)、トフラー(1928-)、ブレジンスキー(1928-)、サロー(1938-)、フクヤマ(1952-)、等々といった人々は非常に優秀ですが、アタリは上記三種をカヴァーし、現実政治にも影響を及ぼす秀才です。かつてフランスにはロシア出身のアレクサンドル・コジェーヴ(1902-1968)という知の怪物がいて、思想界への深い影響力を有する学者としてだけでなく、官僚として政界にコミットし続けた人物がいましたが、単なる秀才ではないという意味において、アタリはコジェーヴ以降初めての怪物かもしれません。

★私がアタリを初めて読んだのは今から17、18年前の大学生の頃だったと記憶しています。『音楽/貨幣/雑音』(現在は『ノイズ』と改題、原題は『雑音――音楽政治経済学試論』)に心酔しました。彼は「音楽は予言である」(15頁)と書きます。「音楽は、いつの時代にもその原理のうちに、来たるべき時代の告知を含んでいたのだ・・・二十世紀の政治の体質が十九世紀の政治思想に根づいていたとすれば、後者はまた、十八世紀の音楽のなかに、そのほとんどすべてを萌芽として宿していたのである」(3頁)。「音楽、それは社会の鏡であり、ありのままを映し出す・・・音楽は研究の対象であるばかりではない。それは世界を知覚する一つの手段でもあるのだ」(同頁)。「音楽は、動きつつある現実を反映する」(13頁)。「社会は、色や音、いやそれ以上に、音とその配列によって仕立てられている」(8頁)。まあこの程度の引用では本書の魅力はとても伝え切れません。

★大学生の頃、ニューアカ・ブームの残照の中で私はドゥルーズ/ガタリ、デリダ、フーコーなどを読みはしましたが、当時一番影響を受けたのは、アタリ、ヴィリリオ、イリイチでした。三者とも、人間がよかれと思って生み出した技術や文化がいかに人間自身にしっぺ返しを食らわせ混乱させているかを教えてくれました。68年生まれの私が大学生だったのはバブル経済崩壊前後のことで、景気絶頂期の若者の浮かれた空気や、新人類世代のお兄さんお姉さんたちのうさんくさい自由さや、「軽チャー」の爛熟を目の当たりにしていましたけれども、すでにそうした頃から将来に対する内面的な不安は大きいものがありました。遡って小学生の頃に流行った、「宇宙戦艦ヤマト」や五島勉の「ノストラダムスの大予言」が影響していたのかもしれませんが、人類はそのうち滅んでしまうような気がしていました。実際、環境問題にせよ、荒んでいく世相にせよ、あまりこの国の未来に期待できるようなことはなかったのです(そう振り返ってみると私はオウム世代なのかもしれない)。だからこそ、アタリ、ヴィリリオ、イリイチの社会批判には大いに啓発されるものがありました。

★思い出話をするときりがないので、アタリの新刊の話に戻ります。日本人にとって興味深いのはおそらく、『21世紀事典』から『21世紀の歴史』に至る8年間のあいだにジャック・アタリの「日本観」がどう変わったか(あるいは変わらなかったか)、を見ることではないかと思います。

★基本的に変わらないのは「日本は没落するだろう」という予測かもしれません。『事典』の「日本」の項目にはこうあります。「21世紀のはじめの3分の1における完全な敗者である。・・・日本は外に向かって大きく扉を開かなければ、没落を避けることはできない」(184頁)。大きいのは人口問題や政治的停滞だとアタリは分析します。高齢者の増加や出生率の低さから、「年金の財政はきわめて厳しいものになる」という予測はずばり正解です(というか日本の政治家や官僚には分かっているくせに手をこまねいてきたという重い罪があります)。アタリは「女性と外国人の労働市場への大量の参入を認める必要があろう」と処方箋を説いています。

★「日本」の項目にはこうも書かれています。アメリカとの紐帯が弱まれば、日本は「中国との対決が避けられないものになるだろう」(185頁)。しかし、もし日本と中国が、フランスとドイツのように「過去の憎しみを克服することに成功すれば、中国は日本の最良の同盟国になるだろう。2つの国が力を合わせれば、アジアを1つの大陸のように結び付けることもできよう」(同頁)。残念ながら相互の国民感情から言えば、現在は戦後最悪の情況であり、当面そうした同盟の機会は訪れる気配がありません。

★8年後に刊行された『歴史』における日本へのダメ出しには、『事典』に増して厳しいものがあります。アタリは有史以来の資本主義の歴史を動かしてきた「中心都市」について第二章で分析しており、20世紀においてはボストン、ニューヨーク、ロサンゼルスなど、アメリカの都市が世界史の中枢だったけれど、今やアメリカ帝国は終焉しつつあると説明します。日本は80年代において中心都市になりえたかもしれないが、実際はならなかった。なぜかと言うと、「日本は銀行・金融システムの構造問題を解決する能力がなく、また膨張した金融バブルを制御する能力にも欠け・・・自国通貨である円の大幅な切り上げを回避することも、労働市場の流動化を図ることもできず、サービス部門や「ホワイトカラー」の労働生産性を向上させることもできなかった。特に、日本は世界中からエリートを時刻に引き寄せることができなかった。そして、「中心都市」に求められる個人主義を推進することもなく、覇権国であるアメリカの呪縛から逃れることもできなかった」(113-114頁)。

★アタリのフランスに対する多少甘い部分が残る評価と対比すると、日本への評価には反論すべき不当な側面もあるのですが、彼の眼から見れば、日本の変化は不徹底であるように見える、ということなのでしょう。甘んじて彼の諫言を聞くとしても、後段ではさらに、過去だけでなく未来においても日本には中心都市は生まれない、という分析を眼にすることになります。「日本の首都東京は、1980年代にチャンスを掴みそこねたが、2030年においても普遍的な価値を創造する能力に欠如しているだろう」(189頁)。2030年というのは、アタリの予測でアメリカ帝国が終焉し、次の中心都市が誕生しているであろう年です(私個人はもっと早期にアメリカがダメになるのではないかと想像しています)。「個人の自由は、東京の哲学的理想ではなく、東京は外国から才能豊かな人々を十分に集めることもできない。その一方で、日本は中国や韓国と和解しなければ、周辺地域や後背地の政治的保護の役割を担う状況とはならない。ましてや「中心都市」に化せられる地球規模の軍事的役割を、東京が担う状況にはない」(188-190頁)。

★日本ではこんにち、「個人主義ではだめなのではないか」という議論が高まりつつあるくらいに「個人主義が蔓延している」かのように受け止められているのに、アタリにとってはそれでも日本には個人主義や自由が足りないように見えるらしい。『事典』において「個人主義」は「西洋文明、誌上、そして民主主義の基本原理」(171頁)と説明されています。日本の個人主義は中途半端であり、日本の民主主義は未熟である、とアタリは見ているのでしょう。

★『歴史』の刊行以後にアタリの日本観が変わったかというと、訳書に添えられた日本語版序文である「21世紀、はたして日本は生き残れるのか?」を読む限りでは変わっていないようです。序文では日本が世界史の中心都市をつくりえなかった三つの理由が実に厳しく書かれてありますが、それはこの本を買って読んでみてください。『事典』で触れられた高齢者問題や労働力問題、近隣諸国との関係については、進展がないことを端的に述べています。「日本は人口の高齢化現象に直面しているが、いまだに解決策を見出していない。・・・また韓国・中国などの近隣のアジア諸国が日本に対して抱いている敵意に対しても、日本はこれまでに有効な解決策を見出していない」(2-3頁)。

★『歴史』の日本語版序文では、10項目の「21世紀日本の課題」が列記されていますが、これも読者の皆さんの楽しみのため、書かずにおきます。正直に言えば、そうか!と唸るほどのものではありません。分かってるよ、といったところでしょう(それができないから問題なのですが)。代わりに、『歴史』の付論の「フランスは、21世紀の歴史を生き残れるか?」に書かれている、6項目の「必要な改革」を引用しておきます。「未来のテクノロジーを推進する」、「公正な社会を構築する」、「市場機能の効率性を強化する」、「クリエーター階級を生み出す。あるいは彼らを招聘し、国内に引き止める」、「影響力および統治の手段を強化する」、「超民主主義の誕生をうながす」。

★『歴史』巻末の「キーワード集」によれば、「クリエーター階級」というのは、「中心都市に集まる才能溢れる人々のこと」(335頁)で「中心都市の栄枯盛衰に最も敏感」(同頁)であり、「エリートビジネスマン、学者、芸術家、芸能人、スポーツマンなど」(339頁)からなる「超ノマド」である、と説明されています。また、「超民主主義(ハイパーデモクラシー)」というのは、「市場民主主義をベースとした利他愛に基づく人類の新たな境地」(338頁)と説明されています。「利潤追求自体に大きな意味はなくなり、人類全体があたかも家族のように、他社の幸せが自分の幸せと感じられる世の中。現代のNGO活動はその先駆けとなるのであろうか」(同頁)。

★なんだか単純な言い方だなあとも思いますが、『事典』にもあった「個人主義から友愛へ」という道筋は確かに現代社会に求められるものではあるでしょう。アタリは「超民主主義」の到来の前に、「超帝国」と「超紛争」といった地球規模の災厄が世界を混乱に陥れるだろうことを警告しています。これは現実味のある話だと思えました。アメリカ帝国終焉後の世界の多極化と、市場が民主主義や国家をも破壊する「超帝国」状態の出現については『歴史』の第四章に、資本主義の全面的勝利による世界の破綻後に到来する「超紛争」については第五章に書かれてあります。アタリは、人類は滅亡する前に最終的には自らの愚かさに気づき、「超民主主義」時代へと移行するのだ、ということを信じています。しかし、第四章と第五章の暗さは、読者の希望を打ち砕くほど、「今すでに現代人が経験しつつある悪夢」のその忌まわしい続きを伝えている気がします。

■ジャック・アタリ(Jacques Attali:1943-)既訳書
83年06月『情報とエネルギーの人間科学――言葉と道具』平田清明+斎藤日出治訳、日本評論社。原著79年。
84年05月『カニバリスムの秩序――生とは何か/死とは何か』金塚貞文訳、みすず書房。原著79年。
85年09月『音楽/貨幣/雑音』金塚貞文訳、みすず書房。のちに『ノイズ』と改題。原著77年。
86年06月『時間の歴史』蔵持不三也訳、原書房。原著82年。
86年09月『アンチ・エコノミクス』マルク・ギョーム:共著、斉藤日出治+我孫子誠男訳、法政大学出版局。原著74年。
94年03月『歴史の破壊 未来の破壊――キリスト教ヨーロッパの地球支配』斎藤広信訳、朝日新聞社。原著91年。
94年07月『所有の歴史――本義にも転義にも』山内昶訳、法政大学出版局。原著88年。
96年06月『ジャック・アタリの核という幻想』磯村尚徳監訳、原書房。原著95年。
95年12月『ヨーロッパ未来の選択』磯村尚徳監訳、原書房。原著94年。
98年11月『まぼろしのインターネット』幸田礼雅訳、丸山学芸図書。原著97年。
99年06月『21世紀事典』柏倉康夫+伴野文夫+荻野弘巳訳、産業図書。原著98年。
01年12月『反グローバリズム――新しいユートピアとしての博愛』近藤健彦+瀬藤澄彦訳、彩流社。原著99年。
08年08月『21世紀の歴史――未来の人類から見た世界』林昌宏訳、作品社。原著06年。

★最後に本音を言えば、私が好きなアタリの著書は、ミッテランの補佐官時代(81~91年)以前のものです。つまり70年代までのもの、とりわけ『ノイズ』と『カニバリスムの秩序』です。補佐官時代の本も嫌いではないのですが、特に、あまり面白みを感じないのは、91年以降の欧州復興開発銀行の総裁時代からこんにちに至るまで(すなわち50歳代以降)の著書です。以前のような「切れ者」の印象が薄れています。きっと、背負うものが現実的にとても重くなってからは、彼のテーマは少し変わっていったのだろうと思います。ついでに言うと私にとって実はヴィリリオもそうなのです。90年代以降は繰り返しのようであまり新味は感じません。なんだかとても偉そうに書いていますが、読むほうの私が年を取ってしまっただけのこと、というのが真実かもしれません。

★とは言え、『歴史』と『事典』は、私たちの未来を考える上で様々な示唆を与えてくれることに変わりはありません。併読をお奨めします。総体的にアタリの日本批判は厳しいものではありますが、傾聴すべきものであると私は感じました。アタリは厳しい評価を下してばかりいるのではけっしてなく、「日本のこれからの処方箋」についての明快な意見を持っています。危機とどう向き合うか、というその姿勢から日本の官僚や政治家は学ぶべきではないかと思います。
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by urag | 2008-10-12 23:17 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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