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2008年 10月 09日

『中央公論』08年11月号:教養の現在とか、古本街巡りとか

a0018105_0282123.jpg月刊誌『中央公論』08年11月号は「特大号」と銘打たれ、興味深い記事が揃っています。

まずは「あえていま教養のスタンダードを探る」という特集。池澤夏樹個人編集『世界文学全集』(全24巻、河出書房新社)と坂本龍一責任監修の『commmons:schola』(音楽CD全30巻、エイベックス)をテーマに、池澤・坂本両氏が「ぼくらはなぜ全集を立ち上げたのか」という対談を行っています。印象的なくだりを引用します(210頁)。

池澤:文学でも誤訳だけどいいや、というのがあるんですよ。
坂本:そうでしょう。明らかな間違いとかはあるはずなんです。だから、これはもう個人のバイアスを出しちゃおうということです。
池澤:それはもう、生理のレベルでね。

坂本さんがドビュッシーの「弦楽四重奏曲」をはじめて聞いたのは、ブダペスト弦楽四重奏団が演奏したものだったそうで、その後いくつものいわゆる「名演奏」を聴いてきたけれど、最初に聞いたブダペスト弦楽四重奏団の「あの息遣いの、あのテンポ」こそが好きなんだ、という話。「正しい演奏」とか、「よい演奏」とかにこだわらず、今回のCD全集は坂本さんなりのバイアスで「スタンダード」を選択した、と。文学もそうだ、と仰る池澤さんに、私は一読者としてとても共感します。たとえば佐藤春夫訳のマゾッホ『毛皮を著たヴィーナス』(講談社、1957年)は翻訳としては正確ではない部分もあるでしょうが、味わいのある文章になっていると私は思うのです。

同特集の第二記事は、磯崎新さんの「ドバイは国全部がゴミの山みたいなもんですよ」。痛快な題名ですが、中身のトークも赤裸々で痛快です。聞き手は、『磯崎新の「都庁」』の著者、平松剛さん。

そして第三記事が、東浩紀さんのインタビュー「教養とライフスタイルを切断せよ」。いわゆる「ゼロ世代」から見たここ十年の日本の思想界の変化を手際よくクリアに説明されています。いま、書店の人文書売場でも00年代にデビューした若い書き手への注目は否応なく高まっています。東さんの魅力は、自分の世代が直面している現実を引き受ける潔さと、自分なりの「やるべきこと」を見極めていくその戦略性ではないかと私は思うのですが、その姿勢はゼロ世代の出版人や書店人にとっても非常に示唆的です。というか、課題は根本的に同じだと思いました。そんなわけで、このインタビューを読むよう、あちこちの業界仲間に現在奨めている最中です。

個人的に印象的だったのは次のくだり(227頁)。

「僕自身としては、今後は、スタイル的にも内容的にも対照的に見える『存在論的、郵便的』と『動物化するポストモダン』の間を、どうやって埋めていくかが課題になりそうです。それは、いま台頭しつつある新しい批評と古い文学的・思想的伝統をどのように橋渡しするかという問題と繋がっています。/けれども、それは僕がやればいいことで、若い人たちはどんどん先にいくべきだと思います。彼らが新しい読者をどんどん引き込む。そうしてくれなければ、やっぱり批評は駄目になっていく」。

私自身は東さんより三つ年上の68年生まれなので、ゼロ世代というよりは、その前の世代の尻尾か、あるいはゼロ世代へ脱皮する途中だったさなぎの世代ですが、新旧の橋渡しという意識は共有している気がします。

 ※「ゼロ世代」のことをなぜか「ゼロ年代」と誤記していたことに気づき、修正しました。08年10月23日

次に眼を惹く特集は「古本探しの街歩き」。岡崎武志さんの「全国、旅情を誘う古本町ベスト10」では、函館市、仙台市、鎌倉市、松本市、金沢市、京都市、奈良市、倉敷市、北九州市門司区、熊本市といった都市の古書店めぐりが解説されています。四方田犬彦さんの「パゾリーニの記憶とボローニャの古書店主の熱情」では出版社と古書店を兼業するロベルト・ロベルシを紹介。佐藤賢一さんの「鶴岡と阿部久書店」は、地元で五代続く老舗書店を紹介。一階が新刊本、二階が古本という店構えが魅力的です。新刊/古書の「複合店」は東京ではほとんどお目にかからないだけにうらやましいです(複合店という言葉が生まれるよりずっと昔からこういう形態があったわけですが)。

福田和也さんの「ニーチェの愛したトリノにて」では、2メーターに満たない狭い間口を入ると中はカウンターのみで書架どころか本も見えない古書店が紹介されています。『クーデターの技術』(東邦出版社、72年、ほか訳あり)などの著書が日本でも知られているクルツィオ・マラパルテ(1898-1957)の本をカウンター越しに店の主人に所望すると、主人は奥に引っ込み、数分後に本をかかえて戻ってきます。「一メートルほどの長さの、本を紐でくくったものをどんとカウンターに置く。すべてマラパルテの本だった。ここから選べというのである」(267頁)。

私は自分なりの「理想の書店」像を妄想するのが好きなのですが、こういうカウンター形式の書店も妄想したことがあります。ホテルのロビーのようなつくりでソファーとテーブルが置いてあり、壁面には各地のニュースを即時的に伝える大型の電光掲示板とテレビ局を複数モニターできる超大型液晶画面が埋め込まれている。もう一方の壁側には軽食や喫茶、お酒が楽しめるスタンディング・バー。さらにもう一方の壁側は、お客の要望に何でも答えるコンシェルジュたちのデスクやカウンター。コンシェルジュたちはいわば人力の検索エンジンとなって、書籍やデジタルコンテンツ、雑誌や新聞の記事に至るまで調達してくれる。カウンターの後ろのバックヤードに多層階の書架フロアがあって、自分自身で本を探したい人は入館できる。というような「書店」をその昔想像したことがあります。まだそうした本屋さんは出現してくれそうにないですが。

「古本街」特集に戻ると、北尾トロさんの「日本にも「本の町」をつくるのだ」では、イギリスの田舎町で、「本の町」として有名なヘイ・オン・ワイのことや、長野県伊那市高遠町の「本の家」と「高遠長藤文庫」が紹介されています。北尾さんは日本にも「本の町」や「ブック・ツーリズム」を誕生させようとしていて、私などはその未来像を想像するだけでもうっとりするのですが、北尾さんはこんなことを書き綴っていらっしゃいます。

「遊び半分の人間でなければできないこともあるのではないだろうか。ビジネス、商売、それも本の町には必要なことだ。その反面、立ち上げ期においてはアホにも存在意義があるのではないか」(275頁)。

まったく同感です。無難な「今まで通り」に安住する賢さより、「今ここ」を足元から揺り動かす阿呆のポテンシャルを私は信じています。

こうした特集のほか、トップには「政治崩壊」という総力特集が掲げられています。中でも興味深いのは、「衆議院 300全小選挙区シミュレーション」という資料。来たるべき衆院選で、公明党や共産党の票がどれくらい民主党に流れるとどんな結果になるのか、というのが一目瞭然になっていて、面白いです。

ちなみに巻末の「説苑」という読者投稿欄には、中央公論新社のちょっとした告知文がありました。曰く、雑誌「選択」9月号が喧伝した「中央公論休刊」の話はまったく事実無根、とのこと。
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by urag | 2008-10-09 21:49 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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