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2008年 04月 10日

後日談:ネグリ来日中止をめぐる粉川哲夫氏と市田良彦氏の往復書簡

ネグリ来日イベント列席者に名前がなかったのがとても象徴的だった粉川哲夫さんは、周知の通り、70年代イタリアのアウトノミア運動を日本でいち早く紹介し評価した方の一人です。ご存じないかたはたとえば氏のエッセイ「イタリアの熱い日々――街路と個室を結ぶメディアヘ」を読んでみてください。このエッセイを含む粉川さんの著書『メディアの牢獄――コンピューター化社会に未来はあるか』(82年11月、晶文社)はありがたいことにオンラインで無料で読むことができます。しかも、粉川さんはご自身の著書の多くを公開されています。曰く、「以下のすべてのテキストの複製・印刷は自由です。copyrightなんてもう古い」。素敵です。絶版なき世界! これを受け手都合で拡大解釈すると、つまり勝手にテキストを編纂して書籍として出版していいのかな、と想像したくもなるわけですが、さすがに勝手に書籍化した出版社を私は知りません。copyrightなんてもう古い、とは書かれていても、copyrightを放棄する、とは書かれていませんからね。

さて、copyrightなんてもう古い、と仰るそのスタンスゆえなのか、あるいは粉川さんが長年主張されてきたという「デジタル・ヌーディズム」に拠るものなのか、市田良彦さんが粉川さんに宛てたEメールの私信が「粉川哲夫の雑日記」に転載され、思いがけない形で「公開往復書簡」状態が生じています。私信を差出人の同意なしにウェブ上で公開して、そのことに何ら悪びれるところがない粉川さん独特の流儀には正直びっくりするわけですが、事後的には市田さんも容認されており、一読者としてはたいへん興味深い往復書簡が読めるようになった次第。実に嬉しいことではあります。

議論の発端になっているのは、「雑日記」の3月30日および31日付の二回に分けて投稿された「ネグリ来日中止のこと」。翌月(今月)になって、市田さんの私信が転載され、それに対する応答が投稿されています。

ご承知のように、市田良彦さんはネグリと年来の付き合いがあります。口幅ったい言い方をすれば、ネグリを同時代的に知っている新旧世代のこの二人(粉川さんは1941年生まれ、市田さんは1957年生まれ)による往復書簡以上に、ネグリ来日中止に関する貴重なコメントは国内では望めません。皆さんもぜひ読んでみてください。

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ちなみに、若い世代の読者は粉川さんのことをよく知らないかもしれません。というのも、『もしインターネットが世界を変えるとしたら』(96年、晶文社)以降、単独著が刊行されていませんし、幾多の既刊はそのほとんどが品切絶版であるため、書店店頭では粉川さんのお名前を探すのが難しくなっているためです。私たち出版人にとっては常に意識せざるを得ないことですが、市場での忘却は、残念なことに、存在そのものの忘却と同等にみなされることがあります。しかし、事実、粉川さんはウェブ上では今なお発信され続けているわけで、書籍市場での忘却は問題ではありません。

念のため、粉川さんご自身による魅力的な略歴を以下に転載します。

粉川哲夫(こがわてつお)のプロフィル
上智大学、早稲田大学で哲学を学ぶ。70年代後半の多くを過ごしたニューヨークの影響で、自由ラジオとパフォーマンス・アートにコミットしはじめる。文化論を教えていた和光大学のゼミで試みたミニラジオ局のアイデアは、やがて「ミニFM」ブームとなる。82年刊の『メディアの牢獄』(晶文社)は、今日のヴァーチャルな現実感の支配を予見。84年ごろから批評活動と平行して、本格的にパフォーマンス・アートの活動に入り、エレクトロニクスを用いたパフォーマンスを次々に実践。88年、試験制度をパロディ化するために学内で「スターリン」の抜き打ちロックコンサートを主催し、和光大学を離れる。以後は、武蔵野美術大学映像学科(89~94年)を経て、東京経済大学コミュニケーション学科で教える。近年は、映画批評(→「シネマノート」)と海外でのラジオアート・ワークショップ(→ヴァイマル、 ウィーン、 ロンドン、ミネアポリス、ニュージーランド、トロントなど)や、ネットを使ったアート活動に精力を燃やしている。

いっぽう、市田さんの略歴については、昨年白水社から刊行された素晴らしい著書『ランシエール 新〈音楽の哲学〉』をまずはご参照下さい。近年日本語で書かれた思想書の中で、もっとも情熱的かつ濃密な本のひとつです。鈴木泉さんのブログ「IzumiS/Z」の07年8月29日付エントリー「市田良彦『ランシエール 新<音楽の哲学>』(1)」によれば、にかの伝説的バンド「スターリン」は市田さんもお好きだったようです(いえ、粉川さんが好きだったかどうかは定かではありませんが)。

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粉川さんの「ネグリ来日中止のこと」に以下のようなくだりがあります。

「1980年にガタリが初来日したとき、ガタリとアウトノミア運動との関係を知っていたわたしは、インタヴューの機会をあたえられたとき、ネグリに対する弾圧の不当さを尋ねた。彼は、予期しない質問に興奮し、「この機会をかりて、(ネグリ弾圧の)不当さを強調したい」というようなことを言った。/そんな文脈で、1983年に平井玄らが賛同し、法政大学の学館ホールで、ネグリとアウトノミア運動を支援する会をやった(『インパクション』にその記事があるはず)。それに際して、わたしは、ネグリが収監されているイタリアのレッビビア刑務所に手紙を送り、声明を送ってくれるように頼んだ。すると、ネグリはすぐに獄中から、A4で1ページほどの声明を送ってきた。そのため、わたしはそれを集会で代読できた。そのとき、彼は国会議員に立候補中で、集会は、彼の当選をかなたから支援するものでもあった。」

a0018105_1543365.jpgここで言及されている『インパクション』は、83年9月15日発行の『インパクション』誌25号「特集:アウトノミア――イタリアにおける新々左翼への試み」(写真)かと思います。当時はイザラ書房が発売元でした。この25号の特集頁の扉に、法政でのイベントで話す粉川さんの写真が使用され、以下のようなキャプションが付されています。

「6月19日、法政大学学生会館大ホールにて「メディアの牢獄から開放のアウトノミアへ」というティーチ・インとロックコンサート、そして自由ラジオ放送が行われた。写真はアウトノミアの理論的指導者の1人であるアントニオ・ネグリの写真を手に話す粉川哲夫氏。当日の集会はイタリアのアウトノミア運動の紹介のみならず、モロ事件以降投獄された四千名におよぶイタリアの獄中者に連帯する意味をもっていた。」

この「アウトノミア」特集号に掲載されたコンテンツは以下の通り。

「クロニクル 七〇年代イタリア革命的左翼――アウトノミアを中心に」麻生令彦
「アウトノミアとは何だったのか――アウトノミア自身による総括」M・ダルマヴィーヴァ+A・ネグリ他/麻生令彦訳
「イタリアにおける政治弾圧の実態――アウトノミアはどのように圧殺されたか(下)」小倉利丸訳・解説

小倉さんによる解説の前編は、7月刊の24号「特集:死刑と無罪――政治的冤罪の現状」に掲載されています。貴重なドキュメント「アウトノミアとは何だったのか」を書いたのは、ダルマヴィーヴァやネグリ他、となっていますが、全員の名前を挙げると以下のような11人の連名になります。ルーチョ・カステッラーノ、アリーゴ・カヴァッリーナ、ジュスティーノ・コルティアーナ、マーリオ・ダルマヴィーヴァ、ルチアーノ・フェラーリ・ブラーヴォ、キッコ・フナーロ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ポッツィ、フランコ・トメーイ、エミリオ・ヴェッシェ、パオロ・ヴィルノ。この11人は、モロ首相殺害事件との関与を疑われて、79年4月7日に逮捕され、レビッビア刑務所に収監された人々です。

このドキュメントは20項目からなる簡潔な総括=時系列的自己分析で構成されており、上記訳では冒頭の口上と5から9、12、14から16、18から20までの項目が読めます。冒頭の中核部分と、最後の20番目の項目を引用すると、このドキュメントがおおよそどのようなことを記し、また、目指していたのかが読み取れるかもしれません。

「我々がテロリズムと何一つ共有してはいない、ということは明白なことだ。そしてまた、我々が《革命派》であったということもまた明らかなことだ。我々に対する裁判は、この二つの《明白さ》の間で争われているのだ。」

「20、歴史的妥協の後で、テロリズムの後で、まさに77年のような、新しい、運動に自ら表現し成長することを許すような媒介の場を拓くことが問われているのだ。」

このドキュメントの英訳は、パオロ・ヴィルノとマイケル・ハートが編纂した有名なアンソロジー『イタリアのラディカル思想――潜勢的政治』(96年、ミネソタ大学出版)に、"Do You Remember Revolution?"というタイトルで収録されています。このドキュメントに続くヴィルノのエッセイ、"Do You Remember Counterrevolution?"は、いまなお色あせない伝説的な素晴らしい特集号、月刊誌『現代思想』97年5月号「特集:ストリート・カルチャー」に日本語訳が掲載されています。酒井隆史訳「君は反革命をおぼえているか?」です。エッセイの末尾にはこう書かれています。

「反国家主義、政治的代表制を逃れ回避する集団的実践、大衆知性的労働の力能といった要素をニューライトは受け入れ、なおかつ一時的に自身の糧とすらしてしまっている。それらは究極的にはぼくたちがもっとも渇望すべき希望であるはずなのに。ニューライトはこれらすべてを歪曲し、あくどいカリカチュアの装いを与えている。そしてこの長い幕間狂言の終幕を告げるカーテンを降ろし、イタリアの反革命を集結させるのだ。この場面は終わった――次の幕を開始させようではないか!」

ネグリが亡命地のパリからイタリアに帰国したのは、イタリアにおける長きにわたる反革命=革命潰しの暗黒時代に一石を投じ、終幕を促すためでした。いまなお続く反革命時代において、アウトノミア運動の歴史が日本人に教える教訓はまだありそうです。『イタリアのラディカル思想』とともに、アウトノミア関連で有益な英語文献には、シルヴェール・ロトランジェ(ロトリンガー)とクリスチャン・マラッツィが編纂した『イタリア:アウトノミア――ポスト・ポリティカル・ポリティクス』(80年/第二版:07年、セミオテクスト)があります。再刊前は古書価格で100ドル以上する本でしたが、今は再刊されて入手しやすくなっています。

ちなみにクリスチャン・マラッツィ(1951-)については、『現代思想』07年7月号「特集:ポスト・フォーディズム――わたちたちはなぜ働いてしまうのか」に、論文「機械=身体の減価償却」(多賀健太郎訳)が掲載されており、彼の主著『ソックスの場所――経済の言語的展開とその政治的帰結』(99年、ボラーティ・ボーリンギエリ)について、酒井隆史さんが紹介していらっしゃいます。

酒井隆史(1965-)さんはこうしてみると、ヴィルノにせよマラッツィにせよ、イタリア系の書き手をこれまで幾度となく紹介されてきたのですが、先のネグリ・イベントで200円で配布されていた「VOL」zineの第1号「反G8運動」特集号では、イタリア生まれのイギリスの大学教授マッシモ・デ・アンジェリスの論考「運動から社会へ」を翻訳紹介していらっしゃいました。読み応えのある論文です。酒井さんは解説にこう記しておられます。

「国家とメディアによる〔反グロ〕運動総体の「犯罪化」や、メディアによる表象の問題、暴力と非暴力の問題、「オルタナティヴズ」の国家と市場の二つの選択肢への封じ込めといった論点はすべて、洞爺湖サミットを控えた日本において多少装いを変えたとしても、もしかするとはるかに野蛮なかたちで、必然的に浮上するだろう。とすればここでの考察は、すでに運動の中で私たちに手渡された一つの資産として、実践的な課題に対応するための一助となるはずだ。」

VOLzine第1号には、上記論考のほか、平沢剛さんと高祖岩三郎さんの共同執筆による「G8対抗運動――新たなる世界政体との闘争」が収録されており必読ですが、本屋さんでは販売されていません。「VOL」編集委員会によって発行されているこの冊子は、以文社さんが扱っていますが、在庫がほとんどないため、コピー待ちのようです。興味のある方は、以文社さんに問い合わせてみてください。
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by urag | 2008-04-10 12:25 | 雑談 | Trackback | Comments(2)
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Commented by みの at 2008-07-25 21:00 x
麻生令彦は、伊藤公雄のペンネームです。1983年という年は、三里塚の分裂で政治優先主義をとる中核派のゲバルトに抗して、政治と文化と生活の戦いを問うノンセクトに」とって、イタリアのポテーレポライオの戦いは、魅力的で、かつ、それを理論化するガタリの「ミクロファシズム」論は、僕らの希望だった。あっしのいた京大新聞では、「戦う文化運動」と題して11月祭で池田浩士さんと粉川哲夫さんの講演会を開き200人が集まった。隣の会場で対談していた浅田彰と中沢新一も見に来ていた。
 講演会が終了したら、池田さん、粉川さんに伊藤公雄、野村修、好村富士彦、森毅、奥野路介を銀閣寺近くの料亭で放談会。それは翌年に記事にした。そういえば、同じころ、市田さんも連載をしていたなあ。そういう、生の交歓を思い出します。西部講堂でも自由ラジオをやっていた。
Commented by urag at 2008-07-27 17:22
みのさんこんにちは。貴重な情報をありがとうございます。伊藤さんのペンネームだったとは知りませんでした。私が作品社の営業マン時代に、伊藤さんの「男性学入門」が刊行されて、その時はじめてお目にかかったことを思い出します。


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