2006年 07月 08日

待望の原典完訳、レオパルディ『カンティ』名古屋大学出版会

a0018105_205454.jpgイタリアの詩人ジャコモ・レオパルディ Giacomo Leopardi(1798-1837)の詩集『カンティ Canti』と散文集『オペレッテ・モラーリ Operette morali』がついに完訳され、5月末に刊行されました。取り上げるのが遅くなりましたが、これは事件です。

日本におけるレオパルディ紹介には細く長い歴史があります。もっとも古い翻訳書はおそらく、イタリア語原文の英訳からの重訳で、大正9年(1920年)12月に刊行された『大自然と霊魂との対話』です(奥付では「大正10年2月発行」)。写真右がその現物。内田魯庵と有島武郎の選鑑によるシリーズ「杜翁記念文庫」の第4巻「レオパルデイ篇」として春秋社より刊行されました。より正確に言えば、春秋社内に設置されていた杜翁全集刊行会が「発行所」となっています。杜翁というのはトルストイのことです。

『大自然と霊魂との対話』は、1827年版『オペレッテ・モラーリ』のほぼ全訳書。訳者である柳田泉(1894-1969)さんは、レオパルディの名を夏目漱石の小説『虞美人草』における言及で知ったと「訳者序」に書いています。柳田さんによる重訳をイタリア語原文と対照させて「比較的正鵠を得ている」と告げたのは彼の友人である鷲岳三蔵さんであると「訳者序」に書いてあります。

その後、やはり柳田さんの翻訳(英訳よりの重訳)で、レオパルディの散文集『感想 Pensieri』の抄訳が、「杜翁記念文庫」第8巻「メエテルリンク篇:人生と草花」に併録されています。さらに、昭和2年(1927年)4月、春秋社版「世界大思想全集(14)」に、『オペレッテ・モラーリ』と『感想』のそれぞれ全訳(重訳)が収録されます。柳田さんは訳稿を全面改訂しています。

……脱線を承知で付言しますと、大正期から昭和初期にかけての春秋社は本当にすごい出版社でした。一大シリーズ「世界大思想全集」には今なお新訳によって後代に乗り越えられていない重要古典が種々存在します。例えばレオパルディと同じイタリアの古典では、クローチェの『美学 Estetica come scienza dell'espressione e linguistica generale』(シリーズ第46巻/英訳および独訳からの重訳)などがそれの一つに当たるでしょう。……

……私がかつて購入した「世界大思想全集」のレッシング/レオパルディの巻に付属していた月報(「世界大思想全集附録」)には、増上寺79世法主の道重信教氏が「大思想の大衆化――昭和の全家庭へ」と題したエッセイを寄せ、クローチェの巻に付属していた月報(「思想春秋 大思想エンサイクロペヂア」)には、哲学者の三木清が「特権階級意識の批判」という熱烈な記事を寄せていました。時代を感じさせます。この頃の燃えるような「知への情熱」は現代人には長らく無縁になっている気がします。……

さて、柳田訳に続いて昭和7年(1932年)に、堤虎男さんがイタリア語原典から訳した『死に近づく讃歌 Appressamento della morte』が上田屋書店から刊行されます。初の原典訳かと思います。堤さんはその前年である昭和6年(1931年)に日本で初めての本格的なレオパルディ研究書を刊行しています。『厭世詩人レオパルデイ研究』(二松堂)です。この本は改訂を重ね、1988年10月には村松書館から『レオパルディ研究』として再刊されています。

大きく見ると、日本におけるレオパルディの翻訳紹介と研究は、柳田さんと堤さんのお二人の業績によるものでした。1972年に犬丸和雄さんが『カンティ』の抄訳本『ジャコモ・レオパルディー カンティ詩抄』が、伊和対訳本としてイタリア書房から発売されました。イタリア書房というのは、神保町に所在するあの専門書店さんのことだと思いますが、本書はなかなか古書市場では見かけません。

さらに作家の野上弥生子(1885-1985)さんが散文作品「鳥の讃美」を訳しており、これは岩波版『野上弥生子全集』第2期第18巻に収録されています。この作品は『オペレッテ・モラーリ』のひとつ。

今回、脇功(1936-)さんと柱本元彦(1961-)さんによって初めてなされた原典完訳は、こうした80年以上の歩みの中でついに達成されたもので、日本におけるイタリア文学研究史における大きな成果なのです。

日本では夏目漱石のほか、芥川龍之介の『侏儒の言葉』や三島由紀夫の『春の雪』などでもレオパルディは言及されており、玄人好みの作家ですが、イタリア本国では今なお評価が高い偉人です。

独断的好みから強引に参照しておきますと、私が敬愛するイタリアの詩人ジュゼッペ・ウンガレッティ(1888-1970)が書いた「レオパルディ論」が、筑摩書房の『世界批評大系(6)』(1974年)に収録されています。また、思想家ではアントニオ・ネグリやマッシモ・カッチャーリがレオパルディ論を書いています。

ネグリの長大なレオパルディ論『しなやかなえにしだ Lenta ginestra』(初版1987年/第二版2001年)の書名は、レオパルディが38歳で死去する前年にしたためた詩編「えにしだ」からの一節から採られています。この詩は今回の『レオパルディ カンティ』に「えにしだ――または荒れ地の花」として収められており、巻末の解説では訳者の脇さんによる考察も加えられています。

以下、脇訳「えにしだ」の最終部分からの引用です。「そしてこの荒れ果てた地を/かぐわしき茂みで飾る/しなやかなえにしだよ、/おまえもやがては、よく知った地上に/ふたたび立ち戻り、その貪欲な舌を/おまえの柔らかな茂みの上に/ひろげるだろう地下の火の/むごき力に打ちひしがれる。/その死の重みに抗さず、/おまえの無辜な頭を垂れる。/だがそのときまでは行く末おまえを/押し潰すものにむかって哀願し、卑屈にも/むなしく頭を垂れたりしない、/愚かしい驕りを抱き、生育すべき場所として、/みずからの意志ではなく、運命が/おまえに与えた荒れ地を踏まえて、星に向かって、/傲然と屹立しようとしたりもしない。/人間よりも賢いおまえは、/運命や、おのれの力が、/決しておまえの脆きひこばえたちを/不滅にするとは信じはしない。」

「地下の火」というのはヴェスヴィオ火山の溶岩のことで、荒ぶる大自然の象徴です。エニシダは大自然の猛威に晒されるか弱い存在で、人間を表しています。エニシダは死の宿命を前にして仲間どうし身を寄せ合って生きていきます。分際を超えた進化や高みや不滅性を妄信することなく、淡々と。弱さの強さ、それがレオパルディの最晩年の人間観だったようです。詩の詳細とその解釈についてはぜひ『レオパルディ カンティ』を手にとってみてください。

***

レオパルディ カンティ
脇功+柱本元彦=訳
名古屋大学出版会 06年5月刊 税込8,400円 A5判上製函入628頁 ISBN4-8158-0538-5

■帯文より:今ははや心よ黙せ……。ニーチェからカルヴィーノまで、また漱石から三島まで、多くの魂を共振させた近代イタリア最大の詩人レオパルディ。西洋文学の深い流れを汲んだ「思索する詩人」が、ペシミズムの極限に見出した世界とは。その詩と散文の代表作を、彫琢された日本語で見事に再現。

■目次詳細:
『カンティ』 脇功訳
01 イタリアに
02 フィレンツェで計画中のダンテの記念碑に寄せて
03 アンジェロ・マイに
04 妹パオリーナの結婚に際して
05 球技の勝者に
06 小ブルータス
07 春に寄せて――または古代の伝説
08 始祖たちへの頌歌
09 サッフォーの最後の歌
10 初恋
11 孤独な雀
12 無限
13 祭りの日の夜
14 月に寄す
15 夢
16 孤独な暮らし
17 コンサルヴォ
18 彼のひとに
19 カルロ・ペポリ伯に
20 復活
21 シルヴィアに
22 想い出
23 アジアのさまよえる羊飼いの夜の歌
24 嵐のあとの静けさ
25 村の土曜日
26 心を占める想い
27 愛と死
28 みずからに
29 アスパシア
30 死せる乙女の姿を刻んだ古い墓の浮き彫りに寄せて――肉親に別れを告げてこの世を去り行く
31 墓石に刻まれた美しき女性の像に寄せて
32 ジーノ・カッポーニ侯爵への改詠詩
33 沈み行く月
34 えにしだ――または荒れ地の花
35 模作
36 諧謔詩

[断片]
37 〔無題〕
38 〔無題〕
39 〔無題〕
40 シモニデスのギリシャ語の断片から
41 同じく


『オペレッテ・モラーリ』 柱本元彦訳
人類の歴史
ヘラクレスとアトラスの対話
シログラフィ翰林院からの懸賞案
小鬼と地霊の対話
マランブルーノとファルファレッロの対話
自然とある霊魂の対話
大地と月の対話
プロメテウスの賭け
科学者と哲学者の対話
トルクァート・タッソと彼の守護精霊との対話
自然とアイスランド人の対話
パリーニあるいは栄誉について
フレデリック・ルイスと彼のミイラたちとの対話
フィリッポ・オットニエーリ語録
クリストフォロ・コロンブスとペドロ・グティエレスの対話
鳥を讃えて
野鶏の歌
ランプサコスのストラトン偽書断章
ティマンドロとエレアンドロの対話
コペルニクス対話劇
プロティノスとポルピュリオスの対話
暦売りと通行人の対話
トリスターノとその友人との対話
後書き〔1835年スタリータ版の〕

[補遺]
文学教師とサルスティウスの対話
対話編――ギリシア人哲学者、元老院議員ムルクス、ローマ市民、カエサル暗殺の謀反人たち
二匹の獣の対話、例えば馬と牛
対話、正直者と世界
小話、クセノフォンとニコロ・マキャヴェッリ
小ブルータスのテオフラストスの臨終の言葉の比較
自殺についての断章

「解説 ジャコモ・レオパルディ――その生涯と作品」 脇功
「訳者あとがき」 脇功
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by urag | 2006-07-08 23:38 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(1)
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Commented by エス at 2006-07-20 05:37 x
すばらしい!


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