ウラゲツ☆ブログ

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2006年 04月 10日

サブパブリックの席捲

4月6日の「自費出版業界は飽和段階に突入か」というエントリーと、4月8日の「ブログ出版が「自費出版」を身近なものに変える?」というエントリーのあいだに、私自身の思いの振幅が表れているのを見抜かれたのでしょうか、「新・秋嶋書店員日記」の秋嶋さんが次のような興味深い発言をされていました。

「今は、様々な価値観やライフスタイルが乱立しているので、「公」というものがひとつではなくなっている。いわば「それ以外には閉じた公」とでもいうものができてきていると思うのです。」

まったくその通りです。私が言わんとしていたところの要点のひとつはそこなのです。それ自身以外には閉じた公(おおやけ)が多数乱立している社会、それが現代社会だと私は思います。「それ自身以外には閉じた公」を私はサブパブリックと呼びたいと思います。それはいわゆるパブリックではないのですが、それぞれの場の内部で通用する符牒や価値観、交換可能な「擬似貨幣」や言語がある。

サブパブリックはパブリックを形成する諸要素として作用します。それは時として創造的かつ政治的にパブリックを誘導しますが、時としてパブリックを破壊する威力を発揮することもある。私たちが注目しなければならないのはこのパブリックの下層構造としてのサブパブリックなのです。

インターネットの普及とともに、サブパブリックは新しい交流空間を獲得しています。サブパブリックの乱立とそのダイナミズムは、果てしなく膨張を続けていく電脳的郊外を作り出しています。もはや中心が何であるのかは明確ではなく、価値論的枢軸を失った巨大な郊外、メガサバーブが広がっているのです。

サブパブリックの多面的変容によって不規則に拡張し続けるメガサバーブにおいては、テレビニュースの50字に満たないインデックスの群れのみが、大衆の共通認識という名のパブリックの指標になります。しかし実際のところ民主主義的な意味でのパブリックはもはや存在せず、複数のサブパブリックの上昇下降運動が、首から上のない巨人のように群集心理として機能しているのです。衆愚制が達成されているのです。
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by urag | 2006-04-10 21:59 | 雑談 | Trackback(1) | Comments(5)
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Tracked from 歩行と記憶(千人印の歩行器) at 2006-04-11 10:33
タイトル : [付箋][安全・自由]サイードの腕時計
 新たに「付箋」というカテゴリーを追加しようと思う。今月号の「風の旅人」で保坂和志『数々の言葉』でこんなことを書いていました。  私は芸術家や哲学者たちの言葉が好きで、けっこうノートに書き留めたり、本に付箋をつけたりしている。それらの言葉は勇気や考えることの展望を与えてくれる。/今回は書きためてきた言葉の一部を並べることにしようと思う。中にはこれまでに他のエッセイで引用したものもあるけれど、出会う場面が違えば沸き起こる気持ちも違うのではないか。  まあ、このブログでもよく引用していましたが、より積...... more
Commented by gorge at 2006-04-13 16:01 x
こんにちは。
興味深く読みました。このあたりの議論は現在それなりに多いと思うのですが、もう少しじっくりと展開していただけるとうれしいです。とくにテレビニュースのインデックスの群→下位のサブパブリックの上下→衆愚制……のあたりです。
縮減された見出しの群……というのが、たとえば先日書かれていた「書物の脱製本化」というトピックと関係したりしているのでしょうか。
Commented by urag at 2006-04-13 17:04
gorgeさんこんにちは。コメントをありがとうございます。仰せの通りじっくりやりなおしてみたいと思います。縮減された見出しの群れへの「対応」として業界において「書籍の脱製本化」がいっそう迫られることになるだろうとは思っています。断片化と再編集の権力をめぐる諸問題・・・。まだまだ私には見通しきれておりません。gorgeさんの鋭いご質問に戦慄いたしました。
Commented by gorge at 2006-04-13 23:04 x
こんにちは。反応ありがとうございます。
私もuragさんのブログを拝見して、適当な思いつきを断片的に発信してしまっているので、何とも、ですが、業界の反応や情報の再配分だけではなくて、これまでの知のありかたをある意味では保証してきた、形式としての書物のメタファーが今後どういう風に機能していくのがも興味深いところです。
http://www.t3.rim.or.jp/~gorge/diggng_2005.htm#dig098
http://www.t3.rim.or.jp/~gorge/diggng_2005.htm#dig108


Commented by urag at 2006-04-18 23:23
gorgeさんこんにちは。「配信されるコンテンツ」によって溶解させられる「墳墓としての」パッケージメディア、というお言葉に、脳を刺激されています。ミイラ・コンプレックス(保存願望)の器としての書物・・・。古代ギリシア語の「セーマ」が「記号」と「墓」の両方を意味することを思い出します。「ソーマ(身体)」は「セーマ」である、と古代の哲学者は語ったのでした。書物というソーマもまたセーマなのでしょうか。
Commented by gorge at 2006-04-20 11:21 x
こんにちは。
ソーマ=記号/墓というのは知りませんでした。
縮減された見出しを自動的に排出するグーグル・ニュースのようなシステム、そして詩的言語とジャーナリズムの間をきりきりと回転していくマラルメの言葉の運動と……。
この書物の墳墓性に敏感だったのはロシア・アヴァンギャルドのデザイナーたちだったような気がします。ボルトで綴じられた本とファイルのように読める本。なんか散漫ですみません。


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