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2018年 01月 14日

注目新刊:『ゲンロン7:ロシア現代思想II』、ほか

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ゲンロン7 特集:ロシア現代思想Ⅱ』東浩紀編集、乗松亨平特集監修、ゲンロン、2017年12月、本体2,400円、A5判並製372頁、ISBN:978-4-907188-24-5
あたらしい狂気の歴史――精神病理の哲学』小泉義之著、青土社、2018年1月、本体2,600円、四六判並製288頁、ISBN978-4-7917-7036-6
こころは内臓である――スキゾフレニアを腑分けする』計見一雄著、講談社選書メチエ、2018年1月、本体1,650円、四六判並製256頁、ISBN978-4-06-258669-6
メタサイコロジー論』ジークムント・フロイト著、十川幸司訳、講談社学術文庫、2018年1月、本体880円、A6判並製232頁、ISBN978-4-06-292460-3
水滸伝(五)』井波律子訳、講談社学術文庫、2018年1月、本体1,860円、A6判並製664頁、ISBN978-4-06-292455-9
幸福について』ショーペンハウアー著、鈴木芳子訳、光文社古典新訳文庫、2018年1月、本体1,000円、文庫判並製428頁、ISBN978-4-334-75369-6
精神の政治学』ポール・ヴァレリー著、吉田健一訳、中公文庫、2017年12月、本体860円、文庫判並製256頁、ISBN978-4-12-206505-5

★『ゲンロン7 特集:ロシア現代思想Ⅱ』は書店での一般発売が開始となっています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。メイン特集は「ロシア現代思想」の第二弾で乗松亨平さんが監修されています。東さんの巻頭言「距離の回復」によれば、前号の第一弾が「思想編だとすれば」、今回の第二弾は「社会・文化編とでも呼べるかもしれない」と。「今号の目次はより具体的駆るジャーナリズムに近く、冷戦崩壊後のロシア社会の変化を細かく追う共同討議や年表、反プーチンデモの背景を分析する論文などを収録している。読者によっては、むしろこちらから読み始めたほうがよいかもしれない」と。特集への乗松さんによる導入文「並行的他者との出会いのために」ではこう書かれています。「ロシアと日本の並行関係については前号からくりかえし言及してきたが、ヨーロッパ内部を含めた世界各地における「近代の超克」の試みとその余波を、並行的に捉える視野を拓くことが本特集の大きな狙いである。〔・・・〕西欧近代が生み落とした鬼子はひとりではない。われわれは、父という大文字の他者とひとりきり向かいあうのではなく、隣にいるきょうだいと出会うべきなのだ」。

★小特集は「哲学の再起動」です。東さんの巻頭言によれば「ぼくはこちらの特集には、2017年の「人文書ブーム」の立役者となったふたりの哲学者、國分功一郎と千葉雅也両氏を招いた鼎談と、サイバーパンクを主題にした座談会、そして香港出身でベルリン在集の若い哲学者、許煜(ホイユク)の初邦訳を収めた」。この三本の意義について東さんは三つの意図を示されており、これはぜひ現物をお読みいただく方がいいと思います。また東さんはこうも書かれています。「本誌はポピュリズムに抗うため、「いまここ」から距離を取る。だから政治的な態度を明確にしない。支持政党も明らかにしないし、運動にも参加しない。本誌はむしろ、そのような距離のない反応だけが「政治」「現実」に向き合ったことになるという、その思い込みそのものを疑い、乗り越えることを目指している」。東さん、國分さん、千葉さんの鼎談「接続、切断、誤配」では政治の再定義をめぐる議論もあり、國分さんの近著(例えば山崎亮さんとの対談書『僕らの社会主義』)や、千葉さんが目下準備しておられるという哲学書とそれをめぐるツイッターでのご発言と繋がっていく論点が提出されており、非常に興味深いです。

★距離を取ることの重要性を再確認された東さんのスタンスに共感を覚えます。距離を取るとは言ってもそれはどこか象牙の塔に逃げ込み超然としていることではないのは明らかです。むしろ東さんには歴史への目線だけでなく同時代性へのコミットメントもあり、その絶妙なバランス感覚が「ゲンロン」誌に表れ、読者をひきつけていると感じます。同時代性や現在性というのは否応ない磁場であり、その磁場が系譜学的にどのように見えるか、各世代によって視角が異なるとはいえ、そこから完全に逃れることはできません。書き手も編集者もその嵐の中にいるわけです。

★小泉義之『あたらしい狂気の歴史』は小泉さんが2013年から2016年に「現代思想」誌をはじめとする各媒体に発表されてきた論文9本に、「若干の修正・補足を行」い、書き下ろしの二篇「はじめに」「第9章 精神病理をめぐる現代思想運動史」を加えた一冊です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「精神-心理の知=権力に対する批判」(11頁)の試みである本書において、小泉さんは狂気を次のように理解しておられます。「狂気は、不可避的に破断している人間の本質に根ざしている潜在性であり、この世で生きている限り誰もが大なり小なり逃れることのできない運命である。〔・・・〕いかに受動的で隷属的に見えようとも、狂っていくことは人間の根源的な自由の発露である。人間は自由にまともになるのと同じ訳合いでもって、自由に狂っていくのであり、それこそが自由の限界経験である。しかも、狂気は、人間の存在の可能性の限界を露わにする経験でもある。その先の存在可能性としては、人間性の消滅(廃疾化)、人間の死(自死)だけが控えているとしか考えられないような経験である。その意味で、狂気は、人間の可能性と不可能性の条件である。〔・・・〕人間を知りたければ、人間の限界と可能性を知りたければ、何よりも狂気に学ばなければならない」(215~216頁)。

★後段にはこんな言葉もあります。「いつか遠い未来に、狂気の解放とともに、人間の存在の真理がその限界まで解き放たれる日が来るであろう。その来たるべき日には、個人の精神の疎外=狂気(アリエナシオン)と、狂気を含め人間精神を歪める社会の疎外が同時に解消され、終に狂人の解放が例えば労働者の解放や被抑圧者の解放と連携して、類としての人間の解放が実現するであろう。そのとき人間の前史は終焉し、新たな人間の歴史が始まるであろう」(216頁)。

★計見一雄『こころは内臓である』は講談社選書メチエの667番です。目次は書名のリンク先をご確認ください。「はじめに」で計見さんはこう説明されています。「スキゾフレニアという病気の根底には、実は好意的な機能の低下、不自由さが関わっているようだというのが、本論の主題になるだろう。それの関連の深い減少として、「考えること」への禁止的メカニズムが働いているようだという示唆も述べてある。/さらに進んでは、自らの裡にある壮年の源である感情の禁止、喜怒哀楽特に「怒り」とその源泉にある衝動的なものへの否認、それが思考の自由を奪ってしまうという帰結についても記した。またこの否認というメカニズムは病人の専売ではないことにも注意を促した。衝動的なものの否認は、結局のところ生きるエネルギーの否認につながる」(5頁)。「疾患の解説書ではあるが、冒頭にも記した世界を覆っているかのような時代の転換期に陥りがちな、ヒトの心的傾向を理解する一助にもなれば望外である」(6頁)。

★本書の最終章末尾で計見さんは「この本でも前の本でも、この病気は治る、というのが私の言わんとするところである」(237頁)とお書きになり、三人の実例を挙げておられます。三人に共通していたのは仕事ぶりが「きわめて集中的で、きちんとしている」(239頁)こと、そして「三人とも、さぼるということが全く念頭にないのである。一心不乱に職務に専念する。そういう働き方しかできないのである」(240頁)。「もうすこし、さぼりさぼりやるのを身につけさせたいが、これは案外難しいかもしれない」(241頁)。本書ではほかにも生真面目な勉強家の少年たちの症例も出てきて、興味深いです。

★フロイト『メタサイコロジー論』は文庫オリジナルの新訳。凡例によれば「フロイトが1915年に執筆し、『メタサイコロジー序説』の表題で一冊の書物にまとめることを意図していた論考のうち、現存する五篇および草稿として残された一篇を収録し」たもの。収録作は「欲動と欲動の運命」「抑圧」「無意識」「夢理論へのメタサイコロジー的補足」「喪とメランコリー」「転移神経症概要[草稿]」で、底本はフィッシャー版全集です。フロイトの計画では全部で12篇のはずだったものの、7篇は未発表のままフロイト自身によって破棄されたようです。そのうち1篇だけ草稿が1980年代に見つかったと。訳者解説で十川さんは「この未完の書物は、建築物の素材が基礎の部分から順に組み上げられていくかのように、相互の論文は緊密な内的関係を持ち、全体が論理手駅で美しい構成をなしている」(191頁)と評され、さらに「現代の最も先鋭的な精神分析がたどりついた地点から見るなら、フロイトの可能性とは、初期フロイトでも後期フロイトでもなく、この『メタサイコロジー論』の時期のフロイトにある、と訳者は考えている」(226頁)ともお書きになっておられます。

★井波律子訳『水滸伝(五)』はこれで全巻完結。第83回から第101回までを収録。あとがきで井波さんはこう述懐しておられます。「訳しだすと、無類に面白く、たちまち夢中になった。〔・・・〕訳している間は、愛すべき梁山泊百八人の好漢とすっかり共生し、〔・・・〕高揚したり落胆したり、好漢たちと共生する訳者の揺れ動く思いや感情が、訳文のリズムとなってあらわれ、読んでくださる方々に伝われば、こえに勝る喜びはない」。

★ショーペンハウアー『幸福について』は2013年の『読書について』に続く鈴木芳子さんによるショーペンハウアー新訳第二弾。目次は以下の通り。はじめに/第一章 根本規定/第二章「その人は何者であるか」について/第三章「その人は何を持っているか」について/第四章「その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるか」について/第五章「訓話と金言」/第六章「年齢による違いについて」。解説によれば、ズーアカンプ版全集の『余録と補遺』から"Aphorismen zur Lebensweisheit"(処世術箴言集)を訳出したもので、「原注はすべてではなく本文の理解の助けになるものを選んで」訳したとのことです。ショーペンハウアーの「処世術箴言集」は新潮文庫から1958年に発売された橋本文夫訳『幸福について――人生論』がロングセラーとして著名で、現在も入手可能です。

★ヴァレリー『精神の政治学』(吉田健一訳)は、創元選書版単行本(1939年)に訳者の関連エッセイ二篇を併せて文庫化したものとのこと。すなわちヴァレリーの「精神の政治学」「知性に就て」「地中海の感興」「レオナルドと哲学者達」の全四篇のほか、巻末に吉田健一の単行本未収録エッセイ「ヴァレリー頌」「ヴァレリーのこと」を併録。解説「吉田健一とヴァレリー」は四方田犬彦さんがお書きになっています。ちなみに中公文庫の精選シリーズ「古典名訳再発見」として、アラン『わが思索のあと』(森有正訳)が近刊となるようです。また、同シリーズとは別かと思いますが、中公文庫では今月下旬、小林公さんの訳でダンテの『帝政論』が発売予定です。これはたいへん久しぶりの新訳で画期的です。

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by urag | 2018-01-14 17:14 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)


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