2017年 03月 12日

注目新刊:森元斎『アナキズム入門』ちくま新書、ほか

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アナキズム入門
森元斎著
ちくま新書、2017年3月、本体860円、新書判272頁、ISBN978-4-480-06952-8

帯文より:「森元斎は共が飢えていたらパンをかっぱらってでも食わしてくれる。魂のアナキストだ。アニキ!!」栗原康氏推薦!

カバーソデ紹介文より:国家なんていらない。資本主義も、社会主義や共産主義だって要らない。いまある社会を、ひたすら自由に生きよう――そうしたアナキズムの施行は誰が考え、発展させてきたのか。生みの親プルードンに始まり、奇人バクーニン、聖人クロポトキンといった思想家、そして歩く人ルクリュ、暴れん坊マフノといった活動家の姿を、生き生きとしたアナーキーな文体で、しかし確かな知性で描き出す。気鋭の思想史研究者が、流動する瞬間の思考と、自由と協働の思想をとらえる異色の入門書。

目次:
はじめに
第一章 革命――プルードンの智慧
第二章 蜂起――バクーニンの闘争
第三章 理論――聖人クロポトキン
第四章 地球――歩く人ルクリュ
第五章 戦争――暴れん坊マフノ
おわりに
引用文献

★発売済。デビュー作『具体性の哲学――ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社、2015年)が胚胎していたアナキズム思想への枝分かれが、ついに開花へと転じていくさまを感じさせる、鮮烈な一冊が生まれた、というのが第一印象です。文体は盟友である栗原康さんとの共振を感じさせ、短く畳みかけていく音楽性が心地よいです。「本当は、みんなアナキストだ」(13頁)、「反国家を掲げずとも、皆アナキストでしかない。そしてコミュニストでしかない」(14頁)。生きている限りお互い助け合う関係(17頁)、「互酬性なき贈与の関係」(18頁)、それをアナキズム、コミュニズム、アナルコ・コミュニズムの基底に見るところから本書は出発します。「相互扶助を行っていた種こそが常に子孫を残し、?栄していった。虫のほとんどは、群れをなして、何千年も生きているではないか! 人間だって、そうだろう。アナルコ・コミュニズムはいたるところにあるし、それが基盤にある。私たちは虫である、動物である、人間である、自然である。ただ生きている。生そのもののあり方、それがアナルコ・コミュニズムなのではないだろうか」(20頁)。

★本書は目次にある通り、過去の様々なアナキストの活躍を活写するもので、権威権力上司先生からの抑圧に日々うんざりしている人々すべてに「暴れる力」(参照:栗原康『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』角川新書、2015年)を思い出させてくれます。おそらく「暴れる力」、爆発的な生命力は、本当は誰しもが幼い頃には持ち合わせていた何かではなかったかと思います。「大人しさ」とは対極的なこの力が自分の中にもまだあることを本書は教えてくれる気がします。実に爽快な一書です。ネタバレはやめておきますが、あとがきの最後にある一言も素敵です。アナキスト人類学者であるグレーバーの『負債論――貨幣と暴力の5000年』(酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社、2016年11月)がよく売れた書店さんなら、森さんの『アナキズム入門』も必ず売れると思います。ちょうどひと月前、森さんと栗原さんはほかならぬ『負債論』をめぐるトークイベントを某書店さんで行っています。

★なお、森さんが「現在の私たちが読むべき本だと本当に思う」と激賞されているクロポトキンの『相互扶助論』は先月、「〈新装〉増補修訂版」が同時代社から発売されています。大杉栄訳。内田樹さんはこの本に次のような推薦文を寄せておられます「定常経済・相互扶助社会は「夢想」ではなくて、歴史の必然的帰結です。意図的に創り出さなくても、自然にそうなります。この企ての合理性が理解できない人たちは「弱者を支援するために作られた組織」の方が「勝者が総取りする組織」よりも淘汰圧に強いということを知らないのでしょう。――『相互扶助論』をぜひお手に取って頂きたいと思います。クロポトキンは相互扶助する種はそうしない種よりも生き延びる確率が高いという生物学的視点からアナーキズムを基礎づけようとしました。なぜアナーキズムが弾圧されたのか、その理由が読むと分かります。国家による「天上的介入」抜きで市民社会に公正と正義を打ち立てることができるような個人の市民的成熟をアナーキズムは求めました。「公正で雅量ある国家」を建設するより前に、まずその担い手たる「公正で雅量ある市民」を建設しようとしたことに国家は嫉妬したのです」。

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★このほか最近では以下の新刊に目が留まりました。

語録 要録』エピクテトス著、鹿野治助訳、中公クラシックス、2017年3月、本体1,600円、新書判284頁、ISBN978-4-12-160172-8
不安(上)』ジャック・ラカン著、ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之/鈴木國文/菅原誠一/古橋忠晃訳、岩波書店、2017年3月、本体4,900円、A5判上製248頁、ISBN978-4-00-061186-2
メディアの本分――雑な器のためのコンセプトノート』増田幸弘編、彩流社、2017年3月、本体2,200円、四六判並製280頁、ISBN978-4-7791-7087-4

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★エピクテトス『語録 要録』は中公バックス版『世界の名著14 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス』(1980年)からのスイッチ。同じ訳者による『エピクテートス 人生談義』(上下巻、岩波文庫、1958年)との違いについてですが、底本は共に1916年のトイプナー版ではあるものの(中公クラシックス版には原典情報が記載されていないため親本である『世界の名著』版の巻頭にある鹿野治助さんによる解説「古代ローマの三人の思想家」の末尾にある「後記」を参照)、岩波文庫の方は現存する『語録』全4巻を全訳し、関連する断片と『提要』(『要録』のこと)を訳出したものであり、いっぽう、中公クラシックス版は岩波文庫より10年下った1968年に出版されたハードカバー版『世界の名著13』で実現された改訳版であり、『語録』の抄訳と『要録』の全訳を収めています。この改訳版では『語録』は各章の順番が入れ替えられるなどの工夫が為されています。さらに今回の新書化にあたって、巻頭に國方栄二さんによる解説「エピクテトス――ストイックに生きるために」が新たに加えられています。

★ジャック・ラカン『不安(上)』はラカンのセミネール(講義録)の第10巻の前半です。講義は1962年から63年にかけて行われたもので、書籍としては2004年にスイユから刊行されています。上巻では講義の第11回までを収録。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。リンク先では立ち読み用PDFもあり、上下巻の目次や10頁までの本文が読めます。カバーソデ紹介文に曰く「主体と欠如、欲望とその原因をめぐるトポロジカルな迷宮の果てに、ついに「対象a」をめぐる本格的考察を展開」と。ラカン自身は「不安」という主題を「極めて大きな鉱脈」(3頁)だと評価しており、第1回講義「シニフィアンの網の中の不安」では、サルトルやハイデガーら同時代の哲学者に目配せを送りつつも、実存思想から画然と隔たった「刃の上」(21頁)へと聴講生を導きます。難解な(よそよそしい)『エクリ』に比べると『セミネール』ではいくらか、より親切な(魅惑的な)ラカンに出会えます。むろんそれは単純に分かりやすいことを意味してはいないのですが、分からないなりにも受講している感覚を味わえるのが『セミネール』の魅力ではないかと思います。

★増田幸弘編『メディアの本分』は、版元紹介文に曰く「記者や編集者、カメラマン、デザイナー、コピーライター、映画監督ら25人が考えた現場からのメディア論」であり、帯には「マスコミ希望は必読!」と謳われています。日ごろ弊社もお世話になっている紀伊國屋書店新宿本店仕入課の大矢靖之(おおや・やすゆき:1980-)係長が「器と書店についての試論」と題して寄稿されており、私と同世代の「共和国」代表、下平尾直(しもひらお・なおし:1968-)さんによる「未完のページを埋めるもの」と題した実に軽妙な小説仕立ての一文を読むこともできます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。それぞれの現場からの肉声が胸に沁みます。特に編者の増田幸弘(ますだ・ゆきひろ:1963-)さんによる「幸福な出会いの哲学」の末尾にある、自分が世間に対して感じる「屈服しきれないもの」の根っこが「子どもたちに語り継ぐため」という点にあるのだ、という言葉に強い共感を覚えます。また、増田さんの「編者あとがき」での発言にも同様な思いを抱きました。曰く「いまの時代、「器」、なんでも載せられる「雑な器」が失われた」のではないか、「それが社会の閉塞感につながっているのではないか」(274頁)と書いておられます。「かつて暮らしの回りには、「雑な器」があふれていた。新聞も、雑誌も、本も、音楽も、映画も、テレビも、あらゆるものが「雑な器」であり、社会そのものが「雑な器」だった」(274~275頁)。洗練され、セレクトされたものしか「器」に盛り込むのをゆるさない社会、と。まさに私自身、同様な感覚の中で出版の仕事をしており、その一帰結はおそらく遠からず形にできると思います。

★同じく「編者あとがき」によれば増田さんは先月、『不自由な自由 自由な不自由――チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』という新刊を六耀社さんから刊行されており、「本書〔『メディアの本分』〕を編集した同時期、チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイナーたちを取材して回り、表現の自由が著しく制限されていた社会主義時代を浮き彫りにしようとした」と述懐されています。この本は『メディアの本分』と表裏一体のもので、いまの日本や世界を考えるうえで併読されたい、とのことです。

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by urag | 2017-03-12 21:10 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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