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2016年 10月 10日

注目新刊:グラッシ『形象の力』、クルヴェル『おまえたちは狂人か』、ほか

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形象の力――合理的言語の無力
エルネスト・グラッシ著 原研二訳
白水社 2016年9月 本体5,400円 4-6判上製406頁 ISBN978-4-560-08308-6

帯文より:修辞学の復権、伝説的名著。合理主義を超えて、フマニスム伝統の発見。論証では到達できない世界がある。古代ギリシアの弁論術から近代詩まで形象言語の系譜を掘り起こし、天啓と洞察、芸術の力の優位を説く。

★発売済。シリーズ「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」第8弾。エルネスト・グラッシ(Ernesto Grassi, 1902-1991)の訳書は、『芸術と神話』(Kunst und Mythos, 1957;榎本久彦訳、法政大学出版局、1973年)以来、久しぶりの2点目。底本は『Macht des Bilders: ohnmacht der rationale Sprache - Zur Rettung des Rhetorischen』(DuMont, 1970)です。第Ⅰ部「芸術作品に至る道と形象」、第Ⅱ部「言語の十全にして不全であること」、第Ⅲ部「インゲニウム――フマニスムの伝統」の三部構成。さらに細かい目次は書名のリンク先をご覧ください。本書においてはヴィーコ哲学とそれが根差すフマニスムの伝統が重要なのですが、それはたとえば次のようなくだりで確認できます。

★「ヴィーコが作成した批判哲学とトポス哲学の区別は、決して完了した問題ではなく、断じて今日の問題である。〔・・・〕ヴィーコのトポス哲学理論が根差すのは、ラテン語のフマニスムスの伝統であり、真に原理的な役割を修辞学に与える伝統世界である。人間の弁論の両エレメント、レスとウェルバ、内容と形式は分裂してしまえば二度と再びひとつにできるものではなく、フマニスムの伝統が常に心を砕いてきたのも、それらの一体化なのだった。ひとつの弁論に際してもっぱら合理的要素を、すなわち合理的内容の優位を受け入れてしまえば、精神を揺り動かすことのない表面的、修辞的〈形式〉のみを弁論に振り分けることは可能だろう。とはいえ、そんなことでは哲学もまた徐々に歴史上の人間存在の非本質的領域へと引き籠り、自ら意味を喪失していくだろう」(298-299頁)。

★「フマニスムの伝統の問題は古代の言葉を媒介することにあった。一見非哲学的な立場から発生したかに見えるこうした心配は、合理的知の優位とは無縁だった、というのもフマニスムでは隠れもなき真実がさまざまな形態をとるという問題は基本的にオープンのままだったから。古代の言葉の解釈がフマニストを導いていく客観性の問題は、解釈さるべきテキストを使いつつ、その枠内で生じるのだ。まさに古代文書の解釈こそが、テキストをただ合理的知と論理的心理の観点からのみ問いことは不可能であるという経験をもたらしてくれた。文学的テキストも政治的テキストもそういうことに還元できはしないのだ。言葉を理解し意見を述べることは、フマニスムの伝統においては人間自身の本質を展開することを意味する。そのとき「言葉・愛」たる「フィロ-ロギー」は、個別学問の段階にはもはやおさまらず、哲学の地位を獲得する。その論ずる対象は人間の本質である。この観点から〈フマニスム研究〉はその意味を明快にする。すなわり言葉は――思考の、判断の、疑義の表現としてのみならず――根源の現象として観察されねばならない。根源のものである言葉は、思考の観点からのみならず、文学的なもの、および目的をもった行動の観点からも経験される。多様性を合理的思考の単一性へと還元することが必要な課題として現れるのは、知が唯一にして根源的な経験を表わすことを――デカルトのように――前提とする場合に限られる。しかし、根源における言葉はまさに形而上学問題の――知への問いを通じて現代哲学によって初めて一方的に規定された――本来のオープン性を示す現象なのである。/だからこそフィロロギーは、ひたすら古代を有り難がる好事家のやることではないのだ、のちにたとえばバーゼル時代のニーチェの論文が代表するような意味で、本質的に哲学なのである」(300-301頁)。

★「イタリア・フマニスムの本質とアクチュアリティは、哲学することについての新しい捉え方にある。中世末期の論理偏重の合理主義的なスコラ学とは違うのだ、フマニスムはこれと対決すべく身構えて、人間の本質を具体的、パトス的、レに私的に縛る生成、すなわち歴史性を探究するのである。/社会の起源の問題、歴史における/歴史からなる哲学、その際、ファンタジーはどのような役割を引き受けるのか、ここにおいて働いているのは、精神である。実践の優位、事物の意味は、人間に直接関わる寸刻の猶予も許されない諸問題からの出口と解されるが、それは人間への具体的な関わりにおいて、およびそれをうまく処理しようとする人間の努力において発生するのであり、こうした実践の優位を可能にするのは、ただ形象の力への洞察、あらゆる人間活動の天啓的根源への洞察、修辞学と哲学の関係への洞察、そして合理的言語の優位の拒絶のみだった。/そこから――フマニスムの伝統への新たな回路となる手引きとして――生まれたのが、形象と天啓〔インゲニエース〕に関する、意味論的、指示的、そして合理的、演繹的言語のラディカルな区別に関するわれわれの研究の必要だった。フマニスムの伝統へ通じる新たな回路は、純・ロマニスト的〈文学史的〉関心によっても、一般史的な関心によっても、拓かれるものではない」(325頁)。

★このあとグラッシは「〈いまどき何のための哲学〉という今日焦眉の問題、言い換えると理論と実践の関係の問題」と話を続けるのですが、そのあとについてはぜひ本書現物をご確認下さい。教養学部の漸次縮小が見越されるこんにちの日本の状況において、グラッシをひもとくことは必然的に一種の反時代的挑戦の帯域への参入を意味するのかもしれません。


おまえたちは狂人か
ルネ・クルヴェル著 鈴木大悟訳・解説
風濤社 2016年10月 本体2,800円 四六判上製256頁 ISBN978-4-89219-410-8

帯文より:バーレスクな奇書。バイセクシャルな、34歳で自殺したシュルレアリスト。結核のサナトリウム、同性愛、割礼・・・赤裸々な自伝的要素がコラージュされ、女占い師に名をもらい淫蕩な予言に導かれ遍歴する、倒錯の実験的小説。

★発売済。シリーズ「シュルレアリスムの本棚」第5回配本。先述のグラッシもそうでしたが、ルネ・クルヴェル(René Crevel, 1900-1935)の訳書は、三好郁朗訳『ぼくの肉体とぼく』(Mon corps et moi, 1925;雪華社、1985年10月、絶版)に続いてようやくの2点目。底本は、『Êtes-vous fous ?』(Gallimard, 1981年)で、これはもともとは1929年に刊行されたものの復刊です。訳者の鈴木大悟(すずき・だいご:1969-)さんは水声社のシリーズ「シュルレアリスムの25時」で『ルネ・クルヴェル――ちりぢりの生』(2011年3月)の執筆を担当されているのは周知の通りで、今回の訳書でも長編解説「小説家クルヴェル、シュルレアリスト」が収められています。解説の末尾では原書の興味深い「誤植」のエピソードが紹介されています。鈴木さんの訳文はしなやかで、クルヴェルの生き急ぐかのような疾走感を味わうことができます。鈴木さんの解説では、クラウス・マンが本書を評して「言葉の厳密な意味ではもとより小説ではなく、むしろ論争的な妄夢、叙事的=風刺的形式をとった異様な幻覚、怒りの爆発、反抗」(『反抗と亡命――転回点2』渋谷寿訳、晶文社、1970年、97頁)と書いたことが紹介されています。

★クルヴェルの作品にはどこか寂しさが付きまとうような印象があります。『ぼくの肉体とぼく』の末尾にこんな言葉が書きつけられています。「如何せん、再びぼくは黙さねばならない。ぼくが神を語ろうとするのは、神に祈る欲求を感じるのは、涜神の味にそそのかされてのことなのだ。かつて、人間としてのみじめさがあまりにも大きかった日々に、恐怖のあまり持たざるをえなかった神の観念を、涜神によって凌駕しようとするからであった」(200-201頁)。「こうしてぼくが自分に打ち勝つとき、あるいはしばしの間そのように思い込むとき、ぼくの勝利は、いわばピュロスの勝利、敗北ほどにも手痛い勝利である。/戦いは終り、喜劇は終った。ぼくはひとり、手はからっぽ。心もからっぽ。/ぼくはひとり」(201頁)。

★そして『おまえたちは狂人か』の末尾付近。「朝がきた。/発熱の船たるベッドは、難破している。/夜明けに開かれたこの本は、夜明けに閉じられようとしている」(174頁)。「流れに逆らわず、港を待ち望まず、というのも、もっとも初歩的な慎み深ささえあれば、神と呼ばれる、永遠を保証する保険会社取締役会会長など、もはや受け入れられるはずもないのだから、死とその隠された地下の流れにしたがって、身を浮かせるのだ。仰向けに浮かぶがいい。/そして、彼方、水平線を通り過ぎる宗教の幽霊船にむかって、ひとつの合図を送ることなく、あてにならないこの船にむかって、ひとつの呼び声もあげることもなく」(175頁)。

★クルヴェルの父親はクルヴェルが14歳の頃、シャンソン歌手を銃殺しその後自らも縊死。クルヴェル自身はその約10年後、「自殺についてのアンケート」で「自殺は解決か?」という問いに「その通り」と答え、さらにそのまた約10年後、「火葬にしてください。うんざりだ」というメモを自分に張り付けて命を絶ったと言います。なお、シリーズ「シュルレアリスムの本棚」ではこの先、アラゴン『放縦』や、スーポー『パリの最後の夜』といった書目が刊行予定だそうです。

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★このほか、最近では以下の書籍との出会いがありました。

『『暮しの手帖』と花森安治の素顔』河津一哉・北村正之著、論創社、2016年10月、本体1,600円、四六判並製183頁、ISBN978-4-8460-1573-2
出版と流通』横田冬彦編、平凡社、2016年10月、4-6判上製352頁、ISBN978-4-582-40294-0
ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』W・B・イェイツ著、栩木伸明編訳、平凡社、2016年10月、本体2,500円、B6変判上製函入280頁、ISBN978-4-582-83740-7
陳独秀文集 2 政治論集1 1920-1929』陳独秀著、石川禎浩・三好伸清編訳、東洋文庫、2016年10月、本体3,300円 B6変判上製函入480頁 ISBN978-4-582-80876-6
西洋美術の歴史4 ルネサンスⅠ――百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現』小佐野重利・京谷啓徳・水野千依著、中央公論新社、2016年10月、本体3,800円、B6判上製688頁、ISBN978-4-12-403594-0

★河津一哉・北村正之『『暮しの手帖』と花森安治の素顔』はまもなく発売。シリーズ「出版人に聞く」の第20弾です。帯文に曰く「語られざる花森安治の実像とその背景に迫る。1957年と69年に暮しの手帖社に入社した著者二人は、1978年の花森安治の死去の直前まで、90万雑誌『暮しの手帖』の編集者として薫陶を受ける」。朝ドラ効果で花森さんへの関心が高まる中、同シリーズが新しい読者層を獲得する絶好のチャンスとなるような気がします。同シリーズで二人にインタヴューしたものは本書が初めて。河津一哉(かわづ・かずや:1930-)さんと北村正之(きたむら・まさゆき:1942-)さんはかつて長らく『暮らしの手帖』に関わられた編集者で、北村さんが設立に加わられた出版社「有限責任事業組合(LLP)ブックエンド」では『花森安治 戯文集』(全3巻、2011年6月~12月)や、『社会時評集 花森安治「きのうきょう」』(2012年3月)のほか、『花森安治集』として「衣裳・きもの篇」(2012年8月)、「マンガ・映画、そして自分のことなど篇」(2012年11月)などを出版されています。

★横田冬彦編『出版と流通』はまもなく発売。シリーズ「本の文化史」の第4弾です。出版流通会社の経営危機や倒産が相次ぐ昨今、この主題をめぐって近世から明治までの歴史的変遷を再確認することは歴史家や業界人にとってのみならず、広く一般読者にとっても有益ではないかと思われます。帯文はこうです。「だれが、なぜ、どんな仕組みで、本をつくり、弘めるのか。利を求めて、教えを正し〔く?〕弘めるために、組織と支配を固めるために、国民を創り出す教育をめざして、本屋が、教団が、本所が、学派が、国家が、刷るばかりでなく写して、売るだけでなく貸して、本を弘める。どこにどんな仕組みが、どんな変化が、どんな規模が働いているか。近世から近代へ、書物の動態」。収録論考は以下の通りです。横田冬彦「総論 出版と流通」、藤實久美子「三都の本屋仲間」、須山高明「地方城下町の本屋」、梅田千尋「「暦占書」の出版と流通」、万波寿子「仏書・経典の出版と教団」、吉田麻子「平田国学と書物・出版」、杉本史子「地図・絵図の出版と政治文化の変容」、稲岡勝「明治初期の学校と教科書出版」、浅岡邦雄「近代の貸本屋」、松田泰代「近世出版文化の統計学的研究」。

★イェイツ『ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』はまもなく発売。『赤毛のハンラハンと葦間の風』(平凡社、2015年3月)に続く、栩木訳イェイツ本第2弾です。前著同様、東洋文庫と同じサイズの函入クロス装の瀟洒な上製本。帯文に曰く「“自伝的小説”初邦訳!! アイルランドとイングランドがせめぎあう、イェイツ文学の“相克の原点”。ノーベル賞作家W・B・イェイツ(1865-1939)初期の恋愛小説と彼の文学のエッセンスを凝縮した精選詩26篇のコラボレーション。波乱の生涯をたどる「読める年譜」付き」。『ジョン・シャーマン』の原典は、『John Sherman and Dhoya』(3rd ed,, Londom: T. Fisher Unwin, 1892)。以下に訳書全体の目次を列記します。

はしがき
Ⅰ ジョン・シャーマン
 第一話 ジョン・シャーマン、バラーを離れる
 第二話 マーガレット・リーランド
 第三話 ジョン・シャーマン、バラーを再訪する
 第四話 ウィリアム・ハワード牧師
 第五話 ジョン・シャーマン、バラーへ帰る
 恋、故郷、大都会――編訳者解説にかえて
Ⅱサーカスの動物たち――イェイツ名詩選
 詩選の余白に
 湖の島イニスフリー
 これからの時代のアイルランドに
 アダムが受けた呪い
 第二のトロイアはない
 飲酒歌
 知恵は時とともにやってくる
 仮面
 赦したまえ、父祖たちよ
 クールの野生の白鳥
 敗れた夢
 猫と月
 一九一六年復活祭
 再臨
 ビザンティウムへ船出して
 塔
 わたしの窓辺の椋鳥の巣
 レダと白鳥
 クール荘園、一九二九年
 クールとバリリー、一九三一年
 揺れ動く
 瑠璃〔ラピスラズリ〕
 不埒で無法なワルじいさん
 ベン・バルベンの下で(抄)
 クー・フリン、慰めを得る
 アメンボ
 サーカスの動物たちが逃げた
年譜でたどるイェイツの生涯
あとがき
引用・参照資料一覧

★『陳独秀文集 2』は発売済。東洋文庫の第876弾です。全3巻予定の第2回配本。第1巻「初期思想・文化言語論集」は今年6月に刊行済です。帯文は以下の通り。「近代中国の大先導者でありながら、不当にその存在意義を貶められてきた思想家の主要論説を編訳。2巻は中共指導者としての活躍期から、逐われてトロツキストに転じるまで」。第2巻は第一部「共産党創設期(1920-1923)」、第二部「国共合作期(1924-1927.7)」、第三部「党最高指導者の地位を逐われて(1927.8-1929)」の三部構成。巻末に懇切な解説が収められています。特にその第六節「成敗を超えて」では毛沢東による「総括」と毛沢東死後の再評価の過程に加え、編訳者の石川さんによる的確な論評を読むことができ、たいへん興味深いです。陳独秀の歩みを知ることは中国共産党の変遷を知ることであると言えそうです。

★『西洋美術の歴史4 ルネサンスⅠ』は発売済。創業130周年記念出版となるシリーズ全8巻の第1回配本。「テキストを主とする西洋美術の通史」(プレスリリースより)で、「現在第一線で活躍する執筆陣が、これまで記述の少なかった地域や時代にまで言及し、最新の着目点を紹介します。作品解説にとどまらない「読んで愉しむ」美術の歴史」(同)と。毎月刊行していく予定とのことです。第4巻の目次はシリーズ紹介のウェブページをご覧ください。カバーソデに記載された内容紹介文は以下の通り。「ジョットの登場で新たな芸術が芽吹いたイタリアでは、ヨーロッパ各地の宮廷を席捲した国際ゴシック様式を経て、自然と古代美術に範をとるルネサンスが幕を開けた。覇を競う君主や教皇の下、フィレンツェやヴェネツィアをはじめ各都市で多彩な才能が花開き、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらの活躍がその頂点を飾る。都市を行き来し、刺激を与え合った芸術家たちの核心的な試みは、どのように結実していったのか」。

★シリーズ「西洋美術の歴史」の編集委員は小佐野重利(東大)、小池寿子(國学院大)、三浦篤(東大)の三氏。内容見本に特記された当シリーズの特徴は以下の通りです。また全巻のタイトルと執筆陣も転記しておきます。

・ミロのヴィーナスからポップ・アートまで、流れを一望。
・作品を生み出した政治的、社会的背景を読み解く。
・当時の人々はどう作品を見ていたのか、同時代のまなざしを追体験。
・これまで記述の少なかった地域や時代に焦点をあて、最新の着目点を紹介。
・絵画や彫刻はもちろん、建築、科学、文学から演劇まで、分野を越えた影響を概観。
・作品解説にとどまらない、「読んで愉しむ」美術の歴史。
・各分野の第一人者による書き下ろし。

第1巻:古代――ギリシアとローマ、美の曙光(芳賀京子・芳賀満)
第2巻:中世Ⅰ――キリスト教美術の誕生とビザンティン世界(加藤磨珠枝・益田朋幸)第3回配本予定
第3巻:中世Ⅱ――ロマネスクとゴシックの宇宙(木俣元一・小池寿子)
第4巻:ルネサンスⅠ――百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現(小佐野重利・京谷啓徳・水野千依)第1回配本
第5巻:ルネサンスⅡ――北方の覚醒、自意識と自然表現(秋山總・小佐野重利・北澤洋子・小池寿子・小林典子)
第6巻:17~18世紀――バロックからロココへ、華麗なる展開(大野芳材・中村敏春・宮下規久朗・望月典子)第2回配本予定
第7巻:19世紀――近代美術の誕生、ロマン派から印象派へ(尾関幸・陳岡めぐみ・三浦篤)
第8巻:20世紀――越境する現代美術(井口壽乃・田中正之・村上博哉)

★なお、中央公論新社さんは河出書房新社さんとともに今年創業130周年を迎えられ、今月以下のイベントが開催予定だと聞きます。

◎トークイベント「出版から考える戦後日本」のお知らせ

日時:2016年10月21日(金)18:40~21:00(受付は18:00より)
会場:関西大学東京センター(JR東京駅日本橋口隣接、東京メトロ大手町駅B7出口直結)

講演:「知の大衆化」再考――全集、新書、文庫の時代 大澤聡(批評家、近畿大学文芸学部准教授)/刊行物で辿る二つの出版社――ごくごく私的に―― 片山杜秀(慶應義塾大学法学部教授)
鼎談:出版と読書の変容 大澤聡、片山杜秀、竹内洋(ファシリテーター、関西大学東京センター長)

内容:河出書房新社と中央公論新社の創業130周年と関西大学の創立130周年を記念するトークイベントが開催されます。長い歴史を持ちながら、今も新しい書籍や雑誌を刊行し続けている同年生まれの2社を中心に、出版文化とは何かを、世代の異なる3人が語り合います。
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by urag | 2016-10-10 22:35 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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