2016年 06月 12日

注目新刊:福嶋聡『書店と民主主義』人文書院、ほか

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書店と民主主義――言論のアリーナのために
福嶋聡著
人文書院 2016年6月 本体1,600円 4-6判並製188頁 ISBN978-4-409-24109-7

帯文より:「紙の本」の危機は「民主主義」の危機だ。氾濫するヘイト本、ブックフェア中止問題など、いま本を作り、売る者には覚悟が問われている。書店界の名物店長による現場からのレポート、緊急出版。政治的「中立」を装うのは、単なる傍観である。

★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「序」に曰く「本書は人文書院の公式サイトに毎月ぼくが連載しているコラム「本屋とコンピュータ」を中心に、2014年後半から2016年初頭にかけて、『現代思想』『ユリイカ』、朝日新聞社の月刊誌『Journalism』、ネットマガジン「WEBRONZA」、出版業界紙『新文化』などに寄稿した文章を収録、再構成したものである」とのこと。意見や信条というものを誰しもそれなりに持ってはいても、それをはっきりと口に出したり書いたりしうるかどうかは、特に接客業や小売業の現場ではなかなか困難なことではないでしょうか。そうした困難さと向き合いつつけっして状況から逃げずに実名で発言し続けてきた人間は、この出版業界にそう多くはいません。福嶋さんはそうした少数派の一人です。「朝日新聞」2015年12月2日付記事「報道・出版への「偏ってる」批判の背景は 識者に聞いた」で紹介された福嶋さんの明快なコメント「書店は「意見交戦の場」」(聞き手・市川美亜子)に感銘を覚えた業界人は少なくなかったろうと思います。

★「2014年末からジュンク堂書店難波店で開催していた「店長本気の一押し『NOヘイト!』」に対するクレームを、ぼく自身何件も受けたし、昨秋には、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店での「民主主義」を称揚するブックフェアに絡んだツイッターが「炎上」し、フェアの一時撤去を余儀なくされた。/波状攻撃的に押し寄せる様々な事件についてコメントを求められ、読み、考え、書く中、ぼくは、時代の大きなうねりと書店現場の日常の出来事は、強く相関していると感じた。出版が、時代状況に拠って立ちながら逆にその状況そのものにコミットしていく営為であるのだから、それは当然のことかもしれない」(18頁)。出版社や書店が時代と共にあることは必然とはいえ、特定の一方向からの風を真正面から受けることはしんどい作業です。福嶋さんはそうした風をも追い風に変えようとされています。本書第Ⅱ部末尾には「ブックフェア中止問題を考える」と題した考察が二篇掲載されており、その第1篇「クレームはチャンス」で、福嶋さんは次のように述べています。

★「クレームは、対話の、説明の絶好の機会なのである。〔・・・〕仮に同意を得られなくとも、たとえ議論にもならなくとも、異論を聞くだけで、時に表現の修正も含めて、自らの主張を鍛えることができる」(162頁)。「現代社会をめぐる様々な問題について中立の立場を堅守することは容易ではない。また、それが立派なことでもない。/中立であるためには問題そのものから距離をとらなければならない。当事者でありながら、中立に固執することは、むしろ「不誠実」というべきであろう。そして、民主主義国家の国民はすべて、その国の政治の当事者なのである」(163頁)。「かくして、書店店頭は、本と本、本と人、人と人との「交戦」の現場である」(同)。これは戦いのための戦い、論争のための論争を志向する好戦家や天邪鬼の認識ではなく、分かり合うことを諦めた絶望者の認識でもなく、民主主義を標榜し、そのありのままの手触りを手放すまいとするリアリストの認識です。

★リアリストが考える現実とは、数字だのマーケティングだのがすべてであるような乾いたものではありません。「出版に「マーケティング」があるとすれば、その意味は「市場調査」だけではない。それ以上に「市場開拓」である。出版にとって本来の「マーケティング」とは、議論の場を創成、醸成していくことなのだ」(154頁)。「コンピュータの導入によって自他のPOSデータ=販売記録が速やかに、正確に見られるようになり、便利になった分だけ、書店員はデータに縛られ操られるようになった。こぞって売れ行きの良いものを追いかけるようになり、書店の風景は、どこも変わらないものになってしまった。書店員は、「数字を見て考えている」と言うかもしれないが、売れ数のインプットに応じて注文数をアウトプットするのは、きわめて機械的な作業であり、「考えている」のではない。そのような作業が積み重なって出来ている書店は、今ある社会とその欲望、格差の増幅器になるだけで、決して社会の変換器にはなれない。新しい書物に期待されているのは、社会の閉塞状況を突破するオルタナティブである。過去のデータを追っているだけでは、そうした書物を発見することはできない」(16頁)。

★「縮小する市場とともに低下し続ける数値を元に、それに合わせた仕事をしている限り、出版業界のシュリンク傾向に歯止めをかけることは出来ないだろう。必要なのは信念であり、矜持であり、そして勇気なのである」(183頁)。これをただの精神論だと片づける人がいるとしたら気の毒です。行動する勇気、挑戦する矜持、出会いを恐れない信念が、業界人一人ひとりに問われているのだと思います。

★発売されたばかりの人文書院さんの今月新刊にはもう一冊あります。

1941 決意なき開戦――現代日本の起源
堀田江理著
人文書院 2016年6月 本体3,500円 4-6判上製424頁 ISBN978-4-409-52063-5

帯文より:なぜ挑んだのか、「勝ち目なき戦争」に? 指導者たちが「避戦」と「開戦」の間を揺れながら太平洋戦争の開戦決定に至った過程を克明に辿る、緊迫の歴史ドキュメント。NYタイムズ紙ほか絶賛。

★本書は、Japan 1941: Countdown to Infamy (Knopf, 2013)の著者自身による日本語版です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。堀田江理さんはかのイアン・ブルマさんのパートナーで、ブルマさんがアヴィシャイ・マルガリートさんとともに2004年に上梓した『Occidentalism: the West in the eyes of its enemies』を日本語にお訳しになったのはほかならぬ堀田さんです(『反西洋思想』堀田江理訳、新潮新書、2006年、品切)。『1941 決意なき開戦』は堀田さんの、日本語による初の単独著です。

★あとがきでの説明を借りると「本書は、1941年4月から12月までの日本の政策決定プロセスを追いながら、これらの根本的な疑問に迫る試みとして書かれた。つまり日本側から見た日米開戦の起源が主題」(397頁)。さらに著者はこうも述べています。「歴史に明るい人でさえも、ルーズベルトやチャーチルが、日本に攻撃を仕向けたというような共謀説や、ごく狭い戦術的視点からの論議に固執しがちで、ましてや真珠湾に至る日本の内政問題についてなどは、そのわかりにくさも手伝ってか、あまり語られることはない」(398頁)。

★「アメリカの読者に向けて、「日本側から見た真珠湾」という切り口で書かれたのが本書なのである。しかし、翻訳の機会を得た今回、日本語での出版にどのような意義があるのかも考えさせられた。その中で感じたのは、実際には開戦の経緯を把握し、一定の歴史理解に目指した意見を持っている日本人は、少数派なのではないかということだった。たとえば開戦までの四年間のうち、二年半以上にわたって、日本の首相を務めた近衛文麿のことを、その謎めいた人物像を含め、どれだけの人が知っているのだろうか。同じく、よく悪玉の筆頭にあげられる東条英機が、実は開戦直前に戦争を回避しようとしたことを、どれだけの人が把握しているだろうか」(399頁)。

★「軍部が政策決定権を乗っ取ったから、またはアメリカの対日経済制裁や禁輸政策が日本をギリギリまで追い込んだから、というような一元的で受け身の理由は、それがいくら事実を含んでいたとしても、歴史プロセスとしての開戦決意を説明するのにはまったく不十分だ。スナップ・ショット的な断片を提示することは、全体像を把握することとは異なるのだ。確かに日本は、独裁主義国家ではなかった。戦争への決断は、圧倒的決定権を持つ独裁者の下で発生したのではなく、いくつもの連絡会議や御前会議を経て下された、軍部と民間の指導者たちの間で行われた共同作業だったということを忘れてはならない。同時にそれは、指導層内に全権が存在せず、重大な政策決定責任があやふやになる傾向があった事実を明らかにしている」(399-400頁)。

★「全16章を通して訴えたかったのは、日本の始めた戦争は、ほぼ勝ち目のない戦争であり、そのことを指導者たちも概ね正しく認識していたこと、また開戦決意は、熟攻された軍部の侵略的構想に沿って描かれた直線道路ではなかったことだった。その曲がりくねった道のりで、そうとは意識せず、日本はいくつかの対米外交緊張緩和の機会をみすみす逃し、自らの外交的選択肢を狭めていった。そして、最終的な対米開戦の決意は、「万が一の勝利」の妄想によって正当化された、いわば博打打ち的政策として、この本は解釈している」(400頁)。「本書が、今日に生きる日本の読者ならではの歴史的考察を深めてもらうきっかけになれば、喜ばしいことである」(401頁)。

★なお、本書の原書について著者がインタヴューに応えた「Book TV」での動画(英語)をYouTubeで閲覧することができます。

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★このほか、ここ最近では以下の新刊との出会いがありました。

陳独秀文集――初期思想・文化言語論集 1』陳独秀著、長堀祐造・小川利康・小野寺史郎・竹元規人編訳、東洋文庫、2016年6月、本体3,100円、B6変型判上製函入384頁、ISBN978-4-582-80872-8
ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性――世界システムの思想史』植村邦彦著、平凡社、2016年6月、本体2,500円、4-6判上製232頁、ISBN978-4-582-70352-8
ボルジア家』アレクサンドル・デュマ著、田房直子訳、作品社、2016年6月、本体2,400円、46判上製296頁、ISBN978-4-86182-579-8
親鸞』三田誠広著、作品社、2016年6月、本体2,600円、46判上製400頁、ISBN978-4-86182-585-9
脳がわかれば心がわかるか──脳科学リテラシー養成講座』山本貴光・吉川浩満著、太田出版、2016年6月、本体2,400円、菊判上製320頁、ISBN978-4-7783-1519-1
『(不)可視の監獄――サミュエル・ベケットの芸術と歴史』多木陽介著、水声社、2016年6月、本体4,000円、46判上製376頁、ISBN978-4-8010-0186-2

★平凡社さんの新刊2点『陳独秀文集 1』『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性』はどちらもまもなく発売。『陳独秀文集 1』は東洋文庫の第872弾。全3巻予定で、帯文に曰く「新文化運動、五・四運動の先導者、中国共産党の創立者でありながら、不等にその存在意義を貶められてきた「生涯にわたる反対派」の主要論説を編訳。第1巻は中共建党以前」。陳独秀(1879-1942)の翻訳文集は本邦初。訳者はしがきでは、毛沢東や孫文などと比して日本の中国研究における扱いが不公正であったことが指摘され、「これは中国国民革命の総括をめぐって陳独秀が中国トロツキー派指導者に転じ、自らが創立した中国共産党から除名されたことに起因する」と分析しています。第1巻は陳独秀略伝を巻頭に置き、続いて陳独秀のテクストの翻訳が「『安徽俗話報』の創刊から五・四運動まで」「五・四運動から中共建党まで」の二部構成で収められ、付録として「陳独秀旧体詩選」を併載し、巻末には編訳者の小野寺さんと小川さんによる解説が配されています。第2巻は『政治論集1:1920~1929』、第3巻は『政治論集2:1930~1942』となるそうです。なお東洋文庫の次回配本は7月、趙曄『呉越春秋』とのことです。

★『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性』は帯文に曰く「ローザ・ルクセンブルクと世界システム論者「四人組」――アンドレ・グンダー・フランク、サミール・アミン、イマニュエル・ウォーラーステイン、ジョヴァンニ・アリギ――とを思想的な影響関係でつなぐ鮮やかな系譜学。近代世界のジレンマ、もつれた糸をいかに解くか」と。主要目次を列記しておくと、序章「ハンナ・アーレントとローザ・ルクセンブルク」、第一章「ルクセンブルク――資本主義の不可能性」、第二章「レーニンからロストウへ――二つの発展段階論」、第三章「フランク――「低開発の発展」」、第四章「アミン――「不等価交換」」、第五章「ウォーラーステイン――「近代世界システム」」、第六章「アリギ――「世界ヘゲモニー」」、終章「資本主義の終わりの始まり」となっています。あとがきによれば「関西大学経済学部で私が担当する「社会思想史」の講義では、「世界システムの思想史」をテーマとして、ルソー対スミスの「未開/文明」論争から始まり、マルクスとルクセンブルクを経て世界システム論へといたる世界認識の歴史をたどる試みを続けてきた。この講義の前半部分は『「近代」を支える思想――市民社会・世界史・ナショナリズム』(ナカニシヤ出版、2001年)第二章の再論である。〔・・・〕『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性』は「世界システムの思想史」後半部分の講義ノートをもとにして書き下ろしたもの」とのことです。

★作品社さんの新刊2点『ボルジア家』『親鸞』はともに発売済。『ボルジア家』は訳者あとがきによれば「デュマが1839年から1840年にかけて発表した『有名な犯罪』(Crimes célèbres)のなかの一篇で、悪名高い「ボルジア家の攻防を描いた作品」である『Les Borgia』の全訳。既訳には、吉田良子訳『ボルジア家風雲録』(上下巻、イースト・プレス、2013年)があります。また、田房さんによるデュマの訳書は『メアリー・スチュアート』(作品社、2008年)に続く第二作となります。一方、三田さんの『親鸞』は『空海』(作品社、2005年)、『日蓮』(作品社、2007年)に続く、日本仏教の傑物の生涯を描いた書き下ろし長編歴史小説の第三弾です。三田さんは前二作と本書とのあいだにドストエフスキーの新釈本4点という大作に挑まれており、変わらぬ健筆に瞠目するばかりです。

★『脳がわかれば心がわかるか』は発売済。山本さんと吉川さんのデビュー作『心脳問題』(朝日出版社、2004年)の改題増補改訂版です。帯文に曰く「脳科学と哲学にまたがる、見晴らしのよい・親切で本質的な心脳問題マップ」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。朝日出版社版では四六判の縦組でしたが、今回の新しい版では一回り大きなサイズになり、横組に変更されています。このイメチェンは本書らしさをいっそう引き立てており、心地よいです。巻頭に置かれた増補改訂版へのまえがきによれば、「今回のリニューアルえは、旧版の内容を全体的に見直すとともに、近年の動向を踏まえた増補をも行いました。とりわけ好評だった巻末の作品ガイドは、この間に刊行された関連文献に基づいて大幅にヴァージョンアップしています」とのことです。増補改訂版では終章のあとに補章として「心脳問題のその後」が追加されています。

★『(不)可視の監獄』は発売済。多木陽介さんの単独著としては『アキッレ・カスティリオーニ――自由の探求としてのデザイン』(アクシス、2007年)に続くものです。帯文はこうです。「これまで深く考察されてこなかったベケットと監獄との親密な関係を探究しながら、グローバル化した世界の様々な危機的状況を映し出す〈鏡〉としてベケットの作品を論じる。現代を生きる我々の実存を閉じ込めてきた〈(不)可視の監獄〉を浮き彫りにする、イタリア在住の演出家による渾身のベケット論」。「ベケットと監獄――平穏な客席ではよく分からない芝居」「一人目のベケット――破壊的想像力」「二人目のベケット――技術空間の中の道化」「三人目のベケット――歴史の瓦礫に舞い降りた天使たち」という四部構成。序によれば「本書は、いわゆる一作家の作品研究ではない。むしろ、サミュエル・ベケットの芸術の力を借りて、我々が生きている時代の今一つ不透明な歴史のヴェールを一枚でも剥いで見ようという試みである。〔・・・ベケットは〕誰よりも歴史の深層に流れるエネルギーを繊細に聞き取ることの出来る稀代のシャーマンに思える」と。

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by urag | 2016-06-12 21:48 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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