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2005年 10月 03日

岩波書店さんよりアガンベン『残りの時』が刊行

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残りの時――パウロ講義
ジョルジョ・アガンベン著 上村忠男訳
岩波書店 05年9月刊 本体2800円 46判上製308頁 ISBN4000018175
■帯文より:新しい思考のはじまり、パウロの言葉で、現代思想の最前線を照らす。よみがえった「パウロの手紙」が、思想史の風景を一変させる。

■カバーソデ紹介文より:パウロ書簡に、新しい法と権力の理念を掘り起こし、その基盤にある時間変容の経験に論理的な表現を与えて、政治哲学と存在論とを架橋しようとする。「残りの時」とは、終末ではなく、祭のあとの時間でもない。それは過去と未来とを分離する「今・ここ」を、さらにもう一度切断することによって現れる、実存と共同性にかかわる異質な次元のことなのだ。パウロが「召命」と名づけたこの次元の経験は、遠くヘーゲルの止揚に、マルクスの階級に、そしてデリダの差延にもその共鳴版を見いだす。ベンヤミンとともに著者が試みる、「メシアニズム」の再生は、世俗化と啓蒙による近代という精神史の常識を揺るがす起爆力をもち、現代の生存と政治の命運に知られざる視野を提供する。

■解説対談「アガンベンの時」(上村忠男×大貫隆)より:〔『残りの時』は〕新約聖書学の分野に文献学的にも深く分け入りながらも、それを同時に内側から突き破って、現代思想の最先端に接合していこうという、じつに大胆な試みであるということができる。〔・・・〕論の密度がことのほか高いうえに、きわめて包括的な視野をもった作品でもあって、〔アガンベンの〕言葉を借用させてもらうなら、〔彼自身の〕これまでの仕事全体がひとつのメシアニズム的な展望のもとで「総括帰一」されています。

●『アウシュヴィッツの残りのもの 〔「ホモ・サケル」第三部〕』(原著1998年、日本語訳=月曜社)と『開かれ』(原著2002年、日本語訳=平凡社)のあいだの2000年に刊行されたのが本書です。アガンベンの著書は一冊ずつが緊密な連環の内に書かれています。本書『残りの時』では、『アウシュヴィッツの残りのもの』で鍵概念になっていた「残りのもの」がその引用原典である聖書(「ローマ人への手紙」)にまで遡って再検討されています。

●言ってみれば、本書はアガンベンの哲学におけるハードコアの一断面を示したもので、『ホモ・サケル』三部作における「残りのもの」をめぐる長大な注釈がこの一書となっていくわけです。アガンベンの諸著作は固定的な主従関係にあるというよりは、面から面への壮大な縦覧として立ち現れます。

●しっとり落ち着いた装丁は、間村俊一さんによるものです。書名が銀の箔押しで、とても綺麗です。間村さんによるアガンベンの本の装丁は、平凡社の『開かれ』に続いてこれで二冊目。『開かれ』もとても綺麗な本です。

●某書店の人文書担当者氏は、本書と、バディウの『聖パウロ』(河出書房新社)を併読していると言っていました。さすがですね。『残りの時』の参考文献には、カール・バルトの『ローマ書講解』(上下巻、平凡社ライブラリー)や、ヤーコプ・タウベスの『パウロの政治神学』(1993年刊、未訳)などが挙がっていました。

●訳者の上村忠男さんと聖書学者の大貫隆さんによる巻末対談「アガンベンの時」は本書の的確な講評になっていて必読です。上村さんは本書と同時に小社から『涜神』を上梓されたわけで、その精力的なご活躍には頭が下がるばかりです。

●今月下旬には、ネグリ+ハートの『マルチチュード』が上下巻でNHK出版から、また、エーコの『美の歴史』が某社から刊行されると聞きます。月刊誌『現代思想』の11月号は「マルチチュード」特集。イタリア現代思想でフェアを展開される書店さんもちらほら出てきました。(H)
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by urag | 2005-10-03 00:24 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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