ウラゲツ☆ブログ

urag.exblog.jp
ブログトップ
2016年 05月 01日

注目新刊:『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」』、『これからの本屋』、ほか

a0018105_1183832.jpg

ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』――第一次世界大戦と『論理哲学論考』
L・ウィトゲンシュタイン著 丸山空大訳 星川啓慈・石神郁馬解説
春秋社 2016年4月 本体2,800円 四六判上製304頁 ISBN978-4-393-32366-3

帯文より:戦場の哲学者の恐怖、欲望、叫び、祈り! 20世紀最大の哲学者ウィトゲンシュタインが、第一次世界大戦の激戦のさなか哲学的アイデアとともにノートに書きとめた線上の現実と感情生活。ウィトゲンシュタインの生の姿を明らかにし、『論考』をはじめ彼の哲学の解釈に多大な影響を及ぼすに違いない『秘密の日記』、世界初の完全版!

推薦文(野矢茂樹氏)より:覗き見趣味と言われてしまうかもしれない。いや、本書を読めば訳者・解説者たちがこの日記を本当にだいじに扱っていることが分かる。事実、だいじなテクストである。ウィトゲンシュタインを理解するためにも、彼の哲学をその根もとのところから理解するためにも。

目次:
はじめに
ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』――1914年8月9日~1916年8月19日
第1冊――1914年8月9日~1914年10月30日
第2冊――1914年10月30日~1915年6月22日
第3冊――1916年3月〔28日〕~1916年8月19日
テクストについて
解説 戦場のウィトゲンシュタイン(星川啓慈・石神郁馬)
第1章 第一次世界大戦
[コラム]大砲と臼砲
第2章 東部戦線
[コラム]探照灯
[コラム]一年志願兵
[コラム]小型砲艦「ゴプラナ」
第3章 トルストイの『要約福音書』
[コラム]機関銃の歴史
第4章 『論理哲学論考』と「撃滅戦」
[コラム]奇襲・突破・撃滅
第5章 ブルシーロフ攻勢前夜
[コラム]弾幕射撃
第6章 ブルシーロフ攻勢の激闘
第7章 『草稿一九一四-一九一六』
第8章 一九一六年の暮れから捕虜になるまで
[コラム]ウィトゲンシュタインと「褒章」
エピローグ
ウィトゲンシュタイン略年譜
あとがき
引用・参考文献

★発売済。前半が日記、後半が解説です。底本については凡例の「使用したテクストについて」に詳しく書かれています。曰く「翻訳に際しては、日記の写真版(以下では原テクストと呼ぶ)と電子版の遺稿集に収められている標準版のテクスト(写真版をもとに暗号を解読した上で、誤字などを修正したテクスト。以下BEEと呼ぶ)、そしてヴィルヘルム・バウムによる翻刻版を参照した。バウムは非常に不鮮明な写真版をもとに校訂したようで、そのテクストには多くの誤りや判読不明とされている箇所が含まれている。しかし現在最も入手しやすいテクストがバウムのものであることに鑑み、翻訳上明白な違いが出るような場合には、註においてバウムの判読の誤りなどを指摘した。BEEの読みは概ね正確であるように見受けられた。手稿自体にある誤記の訂正にも説得力があり、訳者も教えられるとことが多かった」(5頁)。

★日記ではしばしば「仕事をした/しなかった」という記述を目にしますが、これは軍務のことではなく、学問のことであるようです。1914年9月15日の日記にはこうあります。「昨日と一昨日は仕事をしなかった。試してみたが無駄であった。そうした〔学問上の〕事柄の全体が僕の頭にとってよそよそしかった。ロシア軍はわれわれを追い詰めている。われわれは敵のごく間近にいる。僕はよい気分だ。再び仕事をした。今は、ジャガイモの皮をむいている間、一番よく仕事をすることができる。僕はいつもその作業に志願する。僕にとってそれは、スピノザにとってのレンズ磨きと同じことなのだ。〔・・・〕今、僕に、まともな人間になるための機会が与えられているのかもしれない。というのも、僕は、死と目と目を合わせて対峙するのだから」(22~23頁)。同年10月9日には「一日中極めて激しい連続砲撃。たくさん仕事をした。少なくとも、一つの根本的な考えがまだ欠けている」(35頁)。10月9日には「たくさん仕事をした。しかし、前向きな成果はない。あたかも、ある考えがほとんどのど元まで出かかっているかのように思われる」(同)。同月17日には「昨日は非常にたくさん仕事をした。〔学問上の〕結び目がどんどん集まってきたが、解決を見出すことはなかった。〔・・・〕非常にたくさん〔学問的考察の〕素材を積み上げたが、それを秩序付けることができない。しかし、素材のこのような殺到を僕はよい兆候と捉える」(39、40頁)。同月22日には「〔小規模な〕交戦が、この近くで続いている。昨日、激しい連続砲撃。たくさん仕事をした。一日中、立ちっぱなしだった」(42頁)。同月24日には「非常にたくさん仕事をした。確かに、まだ成果はないのだが、かなり確信を持っている。僕はいま、僕の〔学問的〕問題を攻囲している」(43頁)。

★ウィトゲンシュタインは従軍のさなかに初期の主著でありデビュー作である『論理哲学論考』を執筆していました。『論理哲学論考』を著者の生活から切り離したところで読むのとはまったく別種の体験が、日記を読むことで得られる心地がします。ウィトゲンシュタインは戦場において気力を振り絞って「仕事」をし、それを恩寵と受け止めます。むろん、気の滅入る時もあればしばらくずっと「仕事」ができない時もあります。戦争が続くほどに彼の日記は陰惨さを増していきます。先に引用した二年後にはこんな記述があります。1916年7月6日、「先月は、大変な辛苦があった。僕はあらゆる可能な事態についてたくさん考えた。しかし、奇妙なことに、自分の数学的な思考過程とつながりをつけることができない」(118頁)。そしてその翌日、「しかし、繋がりはつけられるだろう! 言われえないことは、言われえないのだ!」(同)。この日記は『論考』の草案と隣り合わせに書かれたもので、その意味では『論理哲学論考』の余白に厳然と存在した見えざる言葉だと言えますし、ある言葉は上記引用のように表現を変えて『論考』へと結実します。日記と同時期の草案は「草稿一九一四-一九一六」として大修館書店版『ウィトゲンシュタイン全集』第一巻に収録されていますので(奥雅博訳)、併読をお薦めします。日記、草稿、そして本書『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』』の解説によって、ウィトゲンシュタインの横顔はいっそう陰影に富んだものとして浮かび上がってきます。


これからの本屋
北田博充著
書肆汽水域 2016年5月 本体1,200円 46判並製206頁 ISBN978-4-9908899-4-4

帯文より:これまでの本屋を更新し、これからの本屋をつくるために“私たち”ができることは何か。

★発売済。大阪屋栗田傘下のリーディングスタイルを絶頂期に電撃退社し、さきごろ某書店に移籍したと聞く北田博充(きただ・ひろみつ:1984-)さんの初めての編著書です。「ていぎする」「くうそうする」「きかくする」「どくりつする」の四部構成。BIRTHDAY BUNKO、飾り窓から、Bibliotherapy、Branchart、文額~STORY PORTRAIT~といった北田さんの手掛けたフェア企画を紹介すると同時に、本屋の未来を考える上で欠かせないキーパーソンへの取材をまとめています。取材や寄稿に応じているのは次の方々です。粕川ゆき(いか文庫)、福岡宏泰(海文堂書店元店長)、根岸哲也(大学職員)、中川和彦氏(スタンダードブックストア代表)、竹田信弥(双子のライオン堂)、辻山良雄(Title)、高橋和也(SUNNY BOY BOOKS)、久禮亮太(フリーランス書店員)。

★本書は北田さんが運営する書肆汽水域(しょし・きすいいき)の最初の単行本でもあります。カバー表3にはこの出版社についてこんな自己紹介文があります。「何かと何かが混じり合う中間点にこそ物事の本質がある。たとえば、大人と子ども、理想と現実、過去と未来。それに、夜と朝の中間点。夜明けの瞬間」。様々な人々の「あいだ」や位相の「境界」に立って仕事をしてきた北田さんらしい命名だと思います。もともとは昨秋、北田さんが花田菜々子さん(蔦屋家電)と共同で制作された無料ZINE『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』に載っていた、西荻窪に想像上で存在する本屋さんの名前でしたが、ついに紙上で現実化したわけです。「夜明け」そのもののように、本書は最初の頁は青く、頁が進むにつれ徐々に薄くなり、最後は白い朝に近づきます。「ぼくは「夜明け」のような本をつくりたいと思っていた。夜の空気と朝の空気が混じり合い、一秒ごとに明るさが変化していく夜明けの瞬間。夜と朝の中間地点」(あとがきより)。内容構成においても造本においてもそれを果たした、ということかと思います。あとがきだけでなく本書にはそこかしこに素敵な言葉やアイデアが満ちあふれているのですが、それは現物をご覧になってからのお楽しみということで。キーワードは「中間地点」すなわちシンボリックに言えば、汽水域です。

★書店人や出版人のみならず、司書や著者や読者も必読と言える本書は、出版社・書店・取次の三つの業務を並行して行っている松井祐輔さん(H.A.Bookstore)が販売の窓口をつとめられています。本書がどこの本屋さんにおいてあるかは、書名のリンク先をご覧ください。また、卸売については非常に明快な取引条件がH.A.Bookstoreウェブサイトに載っていますので、興味のある書店さんはぜひご覧になってください。また、北田さんと松井さんは今月中旬、以下のようなトークイベントに出演されます。

◎北田博充×松井祐輔「「これからの本屋」をつくるために「私たち」ができること――『これからの本屋』(書肆汽水域)刊行記念
出演:北田博充(書肆汽水域)/松井祐輔(H.A.Bookstore)
日時:2016年5月13日(金)
場所:本屋B&B(世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
料金:1500円+1 drink order


★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

しかし、誰が、どのように、分配してきたのか――同和政策・地域有力者・都市大阪』矢野亮著、洛北出版、2016年3月、本体2,500円、四六判並製336頁、ISBN978-4-903127-24-8
異端者たちのイギリス』志村真幸編、共和国、2016年4月、本体7,000円、菊変型判上製520頁、ISBN978-4-907986-24-7
君よ観るや南の島――沖縄映画論』川村湊著、春秋社、2016年4月、本体2,300円、四六判上製272頁、ISBN978-4-393-44417-7

★『しかし、誰が、どのように、分配してきたのか』は発売済。帯文はこうです、「地域有力者による「まとめあげ」。自助、自立、扶養を基調とする日本の福祉では、人々にお金やモノ等を分配するさい、地域有力者による「まとめあげ」が、戦後も行なわれてきた。つまり、ほんとうに支援が必要な人に分配されにくい地域対策が続いたのである。そのため、「スラム化→地域対策→再スラム化→地域対策」という悪循環をたどったのだ。このままではわたしたちは、超高齢社会と住宅老朽化にともない、既視感のある貧困と差別とを、いま以上に経験することになるだろう」。本書は福祉社会学がご専門の矢野亮(やの・りょう:1976-)さんが立命館大学に提出され、昨春博士号を授与された論文「同和政策の社会学的研究――戦後都市大阪を中心に」を全面的に加筆修正したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本文の立ち読みもリンク先でできます。著者は序章で本書の目的を次のように要約しています。「本書が明らかにしたいのは次の点である。第一に、分配の問題である。すなわち国や行政は、厄介で難しい部落への資源の分配をどのようにしておこなってきたのか、という問題である。第二に、アソシエーション(町内会や部落会、隣組組織などの組織態)の問題、つまり分配問題を解決するための媒介者〔メディエーター〕は誰だったのかという問題である。第三に、以上の問題をふまえたうえで、戦後日本社会における同和政策をめぐる「穢多頭=弾左衛門の仕組み」、すなわち「ボスが人びとをまとめあげるシステム」がどのように継承され、いかに変奏されていったのかについて描きだしたい。最後にこうした歴史的文脈における排除-包摂のメカニズムをめぐって、問題提起を試みたい」(17頁)。

★『異端者たちのイギリス』は発売済。帯文に曰く「はみだした者たちの群像史。伝統と革新、正統と異端が争い、なれあい、交錯し、分断しあってきた国。政治家からサッカー選手、軍人、旅行家、ビジネスパースン、そして海賊女王にいたるまで、その近現代史や社会を彩ってきたさまざまな人物群像を通じて、世界に冠たるこの異端の国の全体に肉薄する」。「異端者たちの系譜」「娯楽のイギリス」「イギリスのなかの『異国』」「南方熊楠とイギリス」の四部構成で、32名の研究者が寄稿した骨太なアンソロジーです。イギリス文化史がご専門の京都大学・川島昭夫教授に捧げられた退官記念論集とのこと。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。編者の志村さんは「はじめに」でこう書かれています。「本書が意図するのは、イギリス史上の奇人・変人たちの奇天烈なエピソードを並べ立てることではない。むしろ、数多くの傍流の人々を受けいれ、ときには彼らの力を活用してきたイギリスという社会の豊かさ、そして彼らを通じて、これまで充分に注目されてこなかったイギリス社会の諸側面を提示することこそが目的なのである。一枚岩とは対極にあるような雑多性に焦点を合わせて、イギリス史を描いてみたいのだ」(4頁)。「異端者が多いのは、イギリス社会がその存在を許容しているからであろう。ひととは違う生き方が認められたからこそ、彼らはのびのびと個性を発揮できたのである。それは同質化とは正反対の方向性である。異端的なるものを抑圧し、平準化の圧力をかけてくるような社会に進歩はない。同化させるのではなく、他者は他者のまま野放しにする。そして、スポーツにせよ、科学や技術にせよ、芸術にせよ、きちんと結果が出れば、それでよしとする。つまり、異端を許容する社会とは、壮大な試行錯誤を行う空間であり、その収穫こそがイギリスに、豊かで革新的な歴史をもたらしてきたのではないだろうか」(9~10頁)。本書の第4部「南方熊楠のイギリス」は日本の読者にとっては特に興味深いかもしれません。橋爪博幸「H・P・ブラヴァツキーと南方熊楠の宇宙図」、松居竜五「「東洋の星座」再論」、志村真幸「南方熊楠と『ネイチャー』誌における天文学」、安田忠典「アカデミズムへの羨望」を収録。今月中旬には講談社選書メチエで中沢新一さんの新著『熊楠の星の時間』が刊行されるタイミングでもあり、興味は尽きません。

★『君よ観るや南の島』は発売済。帯文に曰く「『ひめゆりの塔』から『ウルトラマン』『沖縄やくざ戦争』まで。スクリーンに立ちあらわれる沖縄を手がかりに、戦後日本、そして現代のありようを考える社会批評」。全22編を序とあとがきではさみ、巻末には「沖縄関連映画リスト」(1934~2016年)が掲載されています。あとがきにで川村さんはこう書かれています。「映画によって沖縄を表象することは、すぐれて政治的な行為でもある。もちろん、それを鑑賞することも、批評することも、そうした政治性からは逃れられない。とりわけ、沖縄戦後、七十年以上が経過しても、米軍による実質的な占領がまだ終わっておらず、新しい体制での沖縄の米軍基地化が半永久的(今のところは)に持続されようとする現在において、沖縄について何かを語ることは、個人的な、単なる自己表現的なものでは決してありえないのである」(247頁)。こうした立場から本書末尾では川村さんはこう書かれています。「戦争勢力に対する抑止力や、安全保障のためと称して、日本国内に米軍基地が居座り続けることには反対である。その上で、約束されたはずの普天間基地の撤退、変換が速やかに実行されることは、当然であり、必然的なことだと改めてここに明記しよう」(244頁)。
[PR]

by urag | 2016-05-01 01:19 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://urag.exblog.jp/tb/22766056
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 2016年5月下旬新刊『ユンガ...      『季刊哲学』7号=アナロギアと神 >>