2016年 02月 28日

注目新刊:佐々木中さんの安吾論『戦争と一人の作家』、ほか

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戦争と一人の作家――坂口安吾論
佐々木中著
河出書房新社 2016年2月 本体2,200円 46判上製288頁 ISBN978-4-309-24750-2

帯文より:君はもう堕落している。「戯作〔ファルス〕」を求めた作家・坂口安吾はなぜ特攻を賛美したのか――? あらゆる安吾論を無に帰しながら〈現在〉を撃つ、かつてない思考の雷撃。「爆心地の無神論者――『はだしのゲン』が肯うもの」収録。

目次:
戦争と一人の作家――坂口安吾論
 一 ファルスの定義
 二 初期ファルスの実際とその蹉跌
 三 「吹雪物語」へ
 四 「吹雪物語」の挫折
 五 「文学のふるさと」と芋虫の孤独
 六 「イノチガケ」――合理主義と死
 七 「紫大納言」から「桜の森の満開の下」へ、そしてその彼方へ――消滅のカタルシス
 八 安吾の文体論――「文章のカタダマ」の「必要」
 九 イノチガケの特攻――「日本文化私観」と「特攻隊に捧ぐ」
 十 堕落・政治・独創――「堕落論」「続堕落論」再考
 十一 戦争と美と一人の女と
 十二 ファルスの帰結――明日は天気になれ、もう軍備はいらない
 註釈
ゲン、爆心地の無神論者――『はだしのゲン』が肯うもの


★発売済。季刊誌「文藝」2016年春号に掲載された論考の、続きを含む全体が単行本として早くも刊行されました。分量的に言えば「文藝」掲載分(第八章終わり近く、正確には単行本版107頁の引用まで)は本作の半分でした。安吾の特攻賛美の詳細を小説「真珠」(1942年)に見る第九章にはこんなくだりがあります。「この奇妙な死を前にした「呑気」と「遠足」に、何が瞠目すべき、注意を払うべきものを見出す必要は全くない。ありふれている。世界中でいま現在も繰り返されている光景に過ぎない」(125頁)。このあとの段落にはGHQの検閲によって雑誌から全文削除となった安吾の「特攻隊に捧ぐ」(1947年)からの引用が続くのですが、そのなかには「いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである」という言葉があります。

★佐々木さんの安吾論は、私たちが生きる現代世界に頻発している自爆テロや現代日本の安全保障問題を論じているわけではないにもかかわらず、「今」を生きる読み手の肺腑に冷ややかにそして熱く刺さってくる刃のようなものを有しています。個人的には注375にある次の示唆が、佐々木さんの今後の新作へと続いていくような期待感を持たせてくれます。「ガーンディーの非暴力抵抗はキング牧師のそれとともに実は「暴力」を定義自体を変容させるものであるが、他の機会に譲る」(246頁)。本書に『はだしのゲン』を扱った論考(初出は『「はだしのゲン」を読む』河出書房新社、2014年)が併載されているのもまた非常に印象的です。

★「描き、書き、歌い、踊り、語り、創り、癒し、生き延びていく……藝術のすべてが爆心地で肯定されている。これをナイーヴだと言うのならば、よろしい。愚直で凡庸であると言うなら、よろしい。もう何も言うことはありません。そういう人は、筆を折るといい。言い訳は必要ありません。筆を折るべきです」(278頁)。帯文に「思考の雷撃」とありますが、確かに佐々木さんの文章にはそれを感じます。読んでいる最中には静電気のようなエネルギーがいつの間にか体内に入り込み、読後に世界と再び触れ合う際にバチンと衝撃が走り抜けます。この驚くべき強度こそ佐々木中さんの魅力です。


スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー
ジョナサン・コット著 木幡和枝訳
河出書房新社 2016年2月 本体2,200円 46変形判並製228頁 ISBN978-4-309-20702-5

帯文より:素の私、沈黙している私に出会ってほしい――世界文学、サブカルチャー、エロティシズム、そしてふつうの生活……絶頂期のスーザン・ソンタグと『ローリング・ストーン』誌との、オープンで、重層的で、複雑な会話。

目次:
まえがき(ジョナサン・コット)
スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー
訳者あとがき(木幡和枝)

★発売済。1978年11月にソンタグの自宅で行われたロング・インタヴューを収録しています。このインタヴューは1979年10月に『ローリング・ストーン』誌に三分の一だけ収録され、35年後に全体が単行本 Susan Sontag: The Complete Rolling Stone Interview (Yale University Press, 2013)として出版されました。その日本語訳が本書です。このインタヴューはソンタグの『隠喩としての病』(1978年)や『写真論』(1977年)を上梓した時期と重なります。インタヴューのテーマは多岐にわたりますが、その分「ソンタグらしさ」の幅が示されているように感じます。印象的だったもののひとつを以下に引用しておきます。

★「もっとも早い時期から私が使命感をもってやってきたことのひとつは、思考と感情の区別に反対することだったわ。実際、これがすべての反知性的なものの見方の基盤になっていると思う。心と頭脳、考えることと感じること、空想と良識……私はこんな分断があるとは信じていない。私たちはだいたいにおいて同じ身体をもっているけれど、考えとなると非常に異なるものがあるわ。体で考えるというより、文化が与えてくるさまざまな手立てを通して考える、その度合いのほうが強いと信じている。だからこそ、世の中にはこれだけ多様な考え方があるんだわ。考えることは感じることのひとつのかたちだし、感じることは考えることのひとつのかたち、そんな感じがする。/たとえば、私が行うことの結果が本や映画になる、私ではない事物になるわけで、それらは言葉であれ視線であれ、なんであれ、何かの転写物なのよ。これは、純粋に知性に委ねた工程だと想定する人もいるでしょう。だけど、私がやることのほとんどは直観に動かされているのであって、理性の出番にも負けないほど多い。愛は包括的な了解を前提にしているとは言わないけれども、誰かを愛しているとなれば、ありとあらゆる考えや判断に与することになる。それが実態なのね」(116-117頁)。

★ちなみにインタヴュイーであるコットによるまえがきは、ソンタグの「ボルヘスへの手紙」(1996年)からの引用で締めくくられています。その部分はそのまま出典である『書くこと、ロラン・バルトについて』(富山太佳夫訳、みすず書房、2009年)の版元紹介文の冒頭に引用されている箇所と一緒です。たいへん感動的な一節で、特に出版人・書店人の胸に響く内容となっていますので、ぜひリンク先でお読みください。


これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得
荒木優太著
東京書籍 2016年2月 本体1,500円 四六判並製256頁 ISBN978-4-487-80975-2

帯文より:勉強なんか勝手にやれ。やって、やって、やりまくれ! 16人の在野研究者たちの「生」を、彼らの残した文献から読み解き、アウトサイドで学問するための方法を探し出す。大学や会社や組織の外でも、しぶとく「生き延びる」ための、〈あがき〉方の心得、40選。

目次:
はじめに――これからのエリック・ホッファーのために
在野研究の心得
第一章 働きながら学問する
 どれくらい働いたらいいのか?――三浦つとむ(哲学・言語学)
 終わりなき学びを生きる――谷川健一(民俗学)
 学歴は必要か?――相沢忠洋(考古学)
第二章 寄生しながら学問する
 絶対に働きたくない――野村隈畔(哲学)
 勝手にやって何が悪い?――原田大六(考古学)
第三章 女性と研究
 女性研究者という生き方――高群逸枝(女性史学)
 大器晩成ス――吉野裕子(民俗学)
第四章 自前メディアを立ち上げる
 自前のメディアで言論を――大槻憲二(精神分析)
 評伝の天才――森銑三(書誌学・人物研究)
 言葉を造る――平岩米吉(動物学)
第五章 政治と学問と
 政治と研究――赤松啓介(民俗学)
 市民社会のなかで考える――小阪修平(哲学)
第六章 教育を広げる
 「野」の教育法――三沢勝衛(地理学)
 領域を飛びわたれ――小室直樹(社会科学)
第七章 何処であっても、何があっても
 好奇心が闊歩する――南方熊楠(民俗学・博物学・粘菌研究)
 旅立つことを恐れない――橋本梧郎(植物学)
あとがき――私のことについて、あるいは、〈存在へのあがき〉について

★発売済。著者の荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さんは東京都生まれの在野研究者で、明治大学文学部で博士前期課程を修了されています。ご専門は有島武郎。論文「反偶然の共生空間――愛と正義のジョン・ロールズ」(「群像」2015年11月号)は第59回群像新人評論賞優秀作で、2013年にブイツーソリューションから自費出版され力作『小林多喜二と埴谷雄高』が単著第一弾です。この第一弾はアマゾン・ジャパンのみで販売されていたようですが、現在は品切。古書店やオークションの検索でも引っかかりません。もったいないことです。第二作となる今回の新刊のテーマは副題にある通り「在野研究者の生と心得」をめぐるもの。ここまでのコンボで荒木さんの苦労人ぶりが偲ばれるわけですが、今回の新刊は「かわいそう」などと思いながら読む本ではありません。軽い気持ちで読み始めるとガツンとやられます。言い返されるというわけではなく、本気度が違うのです。時間のない読者はまず本屋さんで本書冒頭にある「在野研究の心得」に目を通してみてください。全部で40項目ある箇条書きで、これにピンときたら本書は絶対に「買い」です。凡百の自己啓発書よりよっぽど面白く読めると思います。この40項目に感銘を覚えない出版人がいるでしょうか。出版人もまた「在野」の人間なのです。

★二年間大学院に通っておられた頃の苛立ちを直截に綴った「あとがき」にはこう書かれています。「研究者が教師であらねばならない、などという意見が間違っていることは直感的には理解できた。学校のなかでしか生きられないほど天下の学問様がヤワなはずないだろ、このスットコドッコイ!」(251頁)。だからこそのこの書名、だからこそホッファーなのです。ホッファーを知らないという不運な、いえそれどころか幸運な方は、説明しませんからまずネットで調べるか、『エリック・ホッファー自伝』(中本義彦訳、作品社、2002年)をお読みになってください。ちなみに荒木さんの本ではホッファーその人を扱っている章はないので、あるいは今後、荒木さんに選者になっていただいて『ホッファー語録』が編まれたら、とも想像します。

★ちなみに荒木さんは、インディペンデントな同人ウェブサイト「エン-ソフ」で2013年に、フランスの哲学者エミール・ブートルー(1845-1921)の著書『自然法則の偶然性について De la contingence des lois de la nature』(1898年)をお訳しになっておられます。この本には古い訳(『自然法則の偶然性』野田又夫訳、創元社、1945年)がありますが、約70年ぶりの新訳です。「元々、訳者がブートルーに興味をもったのは、ブートルーの偶然論を批判的に継承した主著『偶然性の問題』を書いた九鬼周造が、具体的に如何に本書を読んだのか(彼は昭和五年に演習のテキストとしてブートルーの偶然論を選んでいる)、それを知りたかったためだ」とのこと。荒木さんへの注目は今後ますます高まる予感がします。


アートの入り口――美しいもの、世界の歩き方[アメリカ編]
河内タカ著
太田出版 2016年2月 本体1,800円 四六判並製368頁 ISBN978-4-7783-1494-1

帯文より:毎朝流れてくるラジオのような、気持ちのいいエッセイ集。絵画も写真も映画も音楽も、数多くの著名なアーティストたちと交流してきた著者と散歩するアートの世界。アンディ・ウォーホル、パティ・スミス、ウィリアム・クライン、ジャクソン・ポロック、ヴィヴィアン・マイヤー……「私のお気に入り」。

★発売済。著者の河内タカ(かわち・たか:1960-)さんは、1980年から30年間にわたってニューヨークで現代アートや写真を扱う展覧会のキュレーションや写真集の編集などを多数手がけられ、2011ねに帰国後は「amana photo collection」のチーフディレクターをおつとめになっておられます。単独著としては本書が第一作となるようです。目次は書名のリンク先でご覧ください。冒頭部分の立ち読みもできます。本書で取り上げられるアーティストや写真家は多数に上るのですが、その中から個人的に興味がある人物、ゴードン・マッタ=クラーク(1943-1978)による「フード」(1971-1974)に関する紹介を以下に引いておきます。

★「ここは、長く見捨てられていた商業スペースを再利用した簡易食堂で、お腹をすかしたアーティストたちに食事を提供し支援することに加え、この場所を拠点とした新しいコミュニティを作るという試みで、彼流のパフォーマンスとしてのアートプロジェクトであったのです。/この『FOOD』は三年間運営され、マッタ=クラークと彼を支える大勢のアーティストの友人たちが自ら料理をサーブしたりと、この店を盛り立てることに積極的に参加していたといいます。つまり、マッタ=クラークのアートとは、人々が生活する空間やそこに集まるコミュニティをテーマにし、アーティストと観衆の出会いの新たな場を作り上げることだったはずです。また、捨てられた家や空間をアート作品として提示したのも、そこに新たなまなざしを向けさせ価値を見出すといった、それまでのアートになかった画期的な行為だったと思います」(263-264頁)。

★途中を省略して言ってしまうと、マッタ=クラークのパフォーマンスは、リアルな空間の潜在力をいかに最大限引き出し活用するか、という書店業界の課題にとって重要な示唆を含んでいると思われます。さらに言えば、書店による書き手の支援(インキュベーターとしての書店)という点でも、議論の参考になるでしょう。今回の紹介では取り上げた本の書き手が偶然にも全員「在野」であったわけですが、「野に住む者の力」を出版人や書店人が信じることは今後のこの業界にとってたいへん重要であると感じます。鳥のように自由に。

3月2日追記:佐々木中さんはデビュー作『夜戦と永遠』刊行当時は立教大学兼任講師で、小説家デビュー作『九夏前夜』刊行当時は立教大学・東京医科歯科大学教養部非常勤講師と肩書の記載がありますし、現在京都精華大学で教鞭を執っておられるので、「在野であった」という表現は正しくないですね。失礼いたしました。私の胸中の佐々木さん像がアウトサイダー的なイメージであったことは否定できません。お詫びして訂正いたします。

誤)今回の紹介では取り上げた本の書き手が偶然にも全員「在野」であったわけですが、
正)今回の紹介では取り上げた本の書き手は偶然にもほとんどの方が「在野」であったわけですが、
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by urag | 2016-02-28 23:59 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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