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2005年 08月 20日

リンギス日本語訳第二弾!『異邦の身体』

異邦の身体
アルフォンソ・リンギス(1933-)著 松本潤一郎(1974-)+笹田恭史(1969-)+杉本隆久(1975-)訳
河出書房新社 2005年8月刊 本体価格3500円 46判上製354頁カバー装 ISBN4-309-24347-9

■原書:"Foreign Bodies" by Alphonso Lingis, Routledge, 1994.

■帯文より:旅する哲学者リンギスの主著。同時代の思想家たちを横断しながら、多様な方法によって切り開く身体論の異邦な展望。

■本文より:他者の眼に触れられて空洞化した誰かの眼、その光り輝く暗がりを通じて、光と夜が宇宙空間から呼びかける。オルガスムの熱情とナンセンスが、夜の鳥と虫たちの、概念も文法もない情熱的な声に応答する。私たちの身体を静かに漂い落ちてゆく死んだ皮膚の薄片が、すばらしいミクロの世界の腐植土に着地する。分泌物や毒素の中で、眼に見えない存在が互いを探し求め、抱擁する。

■既訳書:『汝の敵を愛せ["Dangerous Emotions". University of California Press, 2000]』中村裕子(1965-)訳 田崎英明(1960-)解説 洛北出版(発行) 松籟社(発売) 2004年9月刊 46上製318頁カバー装 ISBN4-87984-801-8

●日本語訳単行本の第二弾になります。リンギスの魅力は、現象学的思考と詩的エクリチュールの融合にあると私は思います。哲学的でありながらきわめて叙情的な、味わい深いエッセイの数々。そこには、他なるものとの出会いが刻印されています。「旅する哲学者」という称号が、たしかに彼にはふさわしいです。彼の著書が日本の読書界に知られるようになったのはごく最近ですが、翻訳される前からファンがいました。今後、ますます増えることでしょう。

●『異邦の身体』はどこから読み始めてもいい本ですが、たとえば、第5章「照応への強要」は、三島由紀夫の『太陽と鉄』(中公文庫)をとりあげています。「苦痛を共有する共同体」、「死へと開かれた共同体」といったキーワードのもとに、リンギスが三島をどう読んでいるか、興味をそそる一篇です。

●リンギスはメルロ=ポンティやレヴィナスの著書の英訳者でもあります。メルロ=ポンティが構想した「非哲学」を積極的に実践し、レヴィナスの切り開いた倫理学の可能性の地平をジェンダーや異他なるものたちへのまなざしのもとにいっそう遠くまで拓いていったリンギスの功績には、実に大きなものがあるのではないかと私は思います。

●ジェンダーやセクシャリティに対するリンギスのまなざしは独特のものです。『異邦の身体』序文において、彼は次のように書きます。

●「伝統的に「彼(he)」という代名詞は、性やジェンダーを明確にせず、ただ個人を指し示すものとして用いられてきた。文法的には「彼」は無徴の名辞、「彼女(she)」は有徴の名辞と見なされてきた。修辞学上「彼」は男性として徴づけられており、この用法においては女性的なものが無視されている、とフェミニストの書き手は論じてきた。彼(女)たちが促進してきたのは文法上、修辞学上の改革であり、その場合「彼」は男性として徴づけられ、「彼女」は女性として徴づけられる。」

●引用続き(本文では段落がかわって)「しかし個人とはたんに男性や女性であるだけではない。再生産を司る器官が機能不全であったり、それを欠落させていたりする、両性具有的、性横断的、シャム双生児的なものでもある。彼(女)たちはたんに男性ないし女性であるだけではなく、ジェンダー横断的、多数ジェンダー的、非ジェンダー的であり、サイボーグであり、狼人間であり、天使である。彼(女)たちがつくりあげてきたのは、動物、両性具有的有機体、植物、川、機械、精霊、死といったものとともに、種を横断して自らの組織化と官能性を結合させうるような記号論と文化なのだ。「彼」が男性として徴づけられ、「彼女」が女性として徴づけられるような新たな用法が促進されたなら、このような諸個人はすべて傷つけられ、沈黙を強いられてしまう。彼(女)たちを「彼(女)たち」であるがままにしておこう。」引用終り。

●リンギスの言う「フォーリン・ボディーズ」というのは、ジェンダー的身体論のバイナリズム(二項対立観/二元論)から疎外される異他なるものたちを忘却したり無視したりしないこと、をきっと意図しているのでしょう。

●ちなみにリンギスの著書の表紙を飾り、あるいは本文に挿入されている写真の数々は、彼自身が旅の途上で撮ったものです。アーティスティックなものではありませんが、他者との出会いの純粋な喜びや驚き、戸惑いを写し撮っている、印象深い写真群だと思います。
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●遠からず、洛北出版より『何も共有していない者たちの共同体』The Community of Those Who Have Nothing in Common (Indiana University Press, 1994)が翻訳出版される予定です。リンギスはこの『何も共有していない者たちの共同体』の序文で、次のように述べています。「こんにち明らかに私たちは、ますます次のような確信を深めてはいないだろうか? つまり、いかなる共通した民族的類縁性も、言語も、宗教も、経済的利害も持たないような人々の死に、まさに私たち自身が関わりをもっているのではないか、と」。私はこの文章を今まで何度か引用してきました。他者との関わりの自覚を促す彼の言葉は、ヴィリリオの言う「純粋戦争」が常態と化した現代世界において、よくよく噛み締めるべきものではなかろうかと私は思います。

●拙い私訳では申し訳ないので、興味をもたれた方は、洛北出版さんが今週より公開している同書序文の全訳をどうぞご覧下さい。
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by urag | 2005-08-20 13:21 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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