2014年 10月 05日
珈琲飲み――「コーヒー文化」私論 中根光敏(なかね・みつとし:1961-)著 洛北出版 2014年9月 本体2,400円 四六判並製382頁 ISBN978-4-903127-21-7 帯文より:うかつにも…… 珈琲に、夢中。美味しい珈琲を探し求め、全国の珈琲店をめぐり歩く。やがて、職人が淹(い)れる作品のような珈琲を、いつか自分の手でも、と思いつめ、店で修業するにいたる。やがて、市販の豆では飽き足らず、生豆を仕入れて自家焙煎を始める。やがて、コーヒー農園に渡航しさえする。やがてとやがての間で、次々と浮かぶ謎――「美味しいとは?」「一杯の価格の基準は?」「喫茶店の始まりは?」……。珈琲に、うきみをやつした実体験をもとに、「コーヒー文化」の妙味を、洒脱(しゃだつ)に紹介する。 ★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。内容、造本ともに、洛北出版さんの新たな段階への成熟をひしひしと感じる渾身の一冊です。著者の中根さんはこれまで寄せ場、ホームレス、外国人労働者、差別問題、下層社会といった主題をめぐって研究を続けてこられた社会学者ですが、今回の本はコーヒー文化をめぐる濃密な書き下ろしで、人文社会書の垣根を越え、さらには趣味書の枠組みも飛び越え、ひとつの幸運なピークを獲得しています。それは、たとえ読者が主題に通じていなくても思わず引き込まれてしまう、愛の強度であり情熱=受苦のるつぼです。この愛は主題に対する無類の気遣いと抱擁であるとともに時として読者の常識を傲然と突き放す高みを備えています。 ★「日本茶も紅茶も誰かに淹れてもらったほうが美味しいし、お酒だって、誰かに注いでもらったほうが美味しいのかもしれない。でも不思議と、珈琲だけは、自分で淹れたほうが美味しい、とずっと思ってきた。やがてそれは確信となった。ここまでなら、まだよかったのである。/常軌を逸するのはここからである。〔・・・〕本書はたまたま珈琲に魅了されたことによって、決して尋常とは思われないような羽目に陥った、極私的経験をもとに書かれたのである」(14-15頁)。本書は第1章「喫茶店遍歴」、第2章「モンクでの珈琲修行」、第6章「極私的珈琲行脚」、第7章「夢の途中で」において極私的経験が語られ、第3章「日本における珈琲通の誕生」、第4章「美味しい珈琲とは?」、第5章「スペクタクル化するコーヒー」ではコーヒー文化に対する歴史学的・哲学的・社会学的アプローチが試みられます。著者の求道精神はそのまま旅人のようであり、本書はその旅がまだまだ続いていくことを予感させます。「懲りない人だなあ」と思う反面、「楽しそうだなあ」という余韻が残ります。 近代日本政治思想史――荻生徂徠から網野善彦まで 河野有理編 ナカシニヤ出版 2014年10月 本体4,000円 A5判並製432頁 ISBN978-4-7795-0878-3 帯文より:最前線の思想史の実践。江戸期国学者たちから1970年代の議論まで、近現代の日本を舞台に繰り広げられたさまざまな論争。 ★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。賀茂真淵vs本居宣長から、山本七平vs網野善彦まで、論争から日本思想史を読み解くというユニークな手法のアンソロジーです。論文を寄稿している研究者のほとんどは70年~80代生まれの若手で、巻末には80年前後生まれの三氏、河野有理、大澤聡、與那覇潤氏らによる討議「新しい思想史のあり方をめぐって」が収録されています。編者の河野さんは討議の冒頭で「われわれ同世代の研究者がどのような過程を経て、思想史という学問領域と関わることになったのかを振り返るとともに、今後の思想史「業界」の行く末を考えたい。その際には、高校までの読書や教育といった知的経験も重要ですが、むしろ大学、とくに大学院という「制度」の問題にフォーカスしたい」と述べておられます。書店さんの現場にも80年前後生まれの方が数多くいらっしゃると思うのですが、この討議はここ20年間における時代の目印となる当時の話題書の数々が言及されているので、ぜひ書店員さんに目を通していただきたいです。各論文で言及されている文献情報のほか、巻末に「もっと勉強したい人のための参考文献リスト」もあるので、特に人文書売場哲学思想書コーナーの日本思想棚をつくる上でのヒントとして役立つはずです。 ◎人文書院さんの新刊より 『ラカン 患者との対話――症例ジェラール、エディプスを超えて』小林芳樹編訳、人文書院、2014年10月、本体2,500円、4-6判上製174頁、ISBN978-4-409-33051-7 『新版 象徴哲学大系(I)古代の密儀』マンリー・P・ホール著、大沼忠弘・山田耕士・吉村正和訳、人文書院、2014年9月、本体4,000円、A5判上製322頁、ISBN978-4-409-03079-0 『沖縄闘争の時代1960/70――分断を乗り越える思想と実践』大野光明著、人文書院、2014年10月、本体3,800円、4-6判上製342頁、ISBN978-4-409-24098-4 ★『ラカン 患者との対話』はまもなく発売。10月9日(火)取次搬入です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ECF(École de la Cause freudienne:フロイト大義派)に所蔵されているラカンと患者ジェラール・ルカとの対話記録の翻訳を中核に、ラカン理論の解説と症例ジェラールの解読、そして現代におけるラカン派精神分析の意義をめぐる論考を配した一冊です。帯文に曰く「唯一残るラカンによる臨床現場のドキュメント」だそうで、対話自体は1976年2月にパリのサンタンヌ病院で行われています。「ラカンによる具体的な臨床の手つきが伝わるとともに、自閉症との鑑別が重要な現代の軽症化精神病(普通精神病)に対するラカン派精神分析の原点が示される、生々しいドキュメント」と同じく帯文で紹介されています。ラカンと青年との対話はそれ自体が非常に興味深く、まるで映画か演劇の台本のようです。芝居がかっているというのではなく、映像が読者の脳裏に浮かぶような、雰囲気が伝わってくる対話だという意味です。難解な『エクリ』やセミネールと違って、この対話自体は読みやすいので、「ラカン思想への入門としても最適」と謳われているのも頷けます。 ★『新版 象徴哲学大系(I)古代の密儀』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。『象徴哲学大系』(全4巻、1980~1981年)がリニューアルされます。版元さんの紹介によれば「旧版ではモノクロであった絵画の数々を、刊行部数が少なく貴重な原著初版(1928年)から取り集め、新たに美麗なカラーで収録した待望の新版」とのことです。訳文自体には変更はありませんが、新たに組み直されており、旧版をお持ちの方も買い直したくなる出来栄えではないかと思います。本書の原題は『フリーメーソン・ヘルメス・カバラ・薔薇十字の象徴哲学小百科事典』で1928年に刊行されたのち幾度となく版を重ね、訳書では1962年に記された「第十三版への序」も訳出されています。著者のホールはフリーメーソンの会員で、彼の代表作『人間 密儀の神殿』や『フリーメーソンの失われた鍵』は人文書院さんより82~83年に訳されています。最近なにかと注目されているフリーメーソンですが、ホールの著作はその思想を忠実に伝えるものです(陰謀論的な話題とは無関係)。今後の刊行予定では、第2巻『秘密の博物誌』が11月、第3巻『カバラと薔薇十字団』が2015年1月、第4巻『錬金術』が2015年2月となっています。この新版も間違いなくロングセラーになっていく予感がします。 ★『沖縄闘争の時代1960/70』はまもなく発売。10月9日(火)取次搬入です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書は2012年に立命館大学に提出された博士論文「沖縄の日本「復帰」をめぐる社会運動の越境的展開――沖縄闘争と国家」に大幅な加筆修正を加えたものです。少し長いですが、帯文を引用します。「1972年5月15日、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還された。沖縄闘争とはその「本土復帰」前後の時期においてさまざまな形で、アメリカ軍による占領と日米両政府の政策を批判的に問うた社会的・文化的運動である。本書では具体的に、ベ平連、大阪沖縄連帯の会、竹中労、沖縄ヤングベ平連、反戦兵士、沖縄青年同盟などを取り上げ、沖縄/日本/アメリカという分断を乗り越えようとした豊穣な思想性を、膨大な資料から丹念に拾い上げる。歴史に埋もれた数々の運動を掘り起こし、ミクロな社会運動研究とマクロな国際関係史研究を接続。沖縄問題を、あの島の問題ではなく、私たちが生きるいまこの場所の問題へと転換する、新鋭による歴史社会学の熱き労作」。著者の大野さんは1979年生まれで、現在、大阪大学グローバルコラボレーションセンター特任助教でいらっしゃいます。ご専門は歴史社会学、社会運動論。本書が単独著第一作です。沖縄をめぐる様々な政治的課題が年々重みを増している昨今、問題を沖縄だけのもののように捉えるのは間違っているということを改めて教えてくれる力作です。 ◎作品社さんの新刊より 『ペローとラシーヌの「アルセスト論争」――キノー/リュリの「驚くべきものle merveilleux」の概念』村山則子著、作品社、2014年9月、本体4,000円、A5判上製336頁 ISBN978-4-86182-498-2 『宮沢賢治の謎をめぐって――わがうち秘めし異事の数、異空間の断片』栗谷川虹著、作品社、2014年9月、本体2,000円、46判上製292頁、ISBN978-4-86182-502-6 『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ著、東江一紀訳、作品社、2014年9月、本体2,600円、46判上製344頁、ISBN978-4-86182-500-2 ★『ペローとラシーヌの「アルセスト論争」』は発売済。本書は2013年に東京藝術大学音楽研究科へ提出された博士論文に改訂加筆を行ったものです。前作『メーテルランクとドビュッシー――『ペレアスとメリザンド』テクスト分析から見たメリザンドの多義性』(作品社、2011年)は同大の修士論文ではなかったかと思います。著者は「村山りおん」の筆名で詩集や小説を上梓されておられる作家でもあります。帯文の文言を借りると本書は「太陽王ルイ14世治世下の1674年、古代ギリシアのエウリピデス劇をもとに初演されたキノー・リュリのトラジェディ・アン・ミュジック《アルセスト》。フランス・オペラ成立時期の当作品を巡り、シャルル・ペローたちオペラ擁護派(近代派)とラシーヌを始めとする古典劇擁護派(古代派)とによる論戦を、キイワードを軸に解明する」とのこと。キイワードというのは副題にある「驚くべきものle merveilleux」です。筋書きの真実らしさとともに機械仕掛けの超自然的な演出を追求したことが、古典劇を超えるオペラの革新性と現代性なのだとシャルル・ペローは見ていたと著者は再評価しています。新しい芸術としてのオペラの誕生に迫り、その美学的理解へと読者を誘ってくれる好著です。 ★『宮沢賢治の謎をめぐって』は発売済。1993年の私家版『宮沢賢治の謎――絶筆・最初の歌・法華経との出会い』から3篇、賢治に関する80~90年代の既刊書等から4篇、それらに書き下ろし2篇を加えたものです。帯文に曰く「幻視者にも似た独自の視線から人と世界を見詰める賢治の文学。その核心をなす心象宇宙を精細な作品分析と伝記的検証から重層的に解明する」。巻頭に置かれている「宮沢賢治の「心象スケッチ」と小林秀雄の「蛍童話」」は、賢治の『インドラの網』(角川文庫、1996年)に寄せられた解説を改題したものですが、その中にこんな一節があります。「人々が唯一絶対としている現実が、いかに小さな閉ざされた極所にすぎないか、ほんの少し目を外に向けさえすれば・・・。賢治は、合理的な現実の外の神秘的な広がりに、私たちをいざない、あるいは広大無辺の「心象宙宇(ママ)」から私たちに語りかけます」(13頁)。書き下ろしのうちの1篇「『心象スケッチ・春と修羅』の「序」について――青年と老人の対話」は、副題にある通り仮想対話で、そこで老人は青年にこう説明します。「賢治問題のすべては「心象」の受け取り方にあると思います」(183頁)。私という存在の謎が「心象」に横たわっています。賢治の神秘主義のありように迫る一書です。 ★『ストーナー』は発売済。今年6月に逝去した訳者が息を引き取る前日まで翻訳し、1頁を残して絶筆となった訳書だそうです。アメリカの大学教授で作家だったジョン・エドワード・ウィリアムズ(1922-1994)の小説が訳されるのは本書が初めてのようです。原書は1965年に刊行されており、著名人から続々と好評を得てきた名作です。「これはただ、ひとりの男が大学に進んで教師になる物語にすぎない。しかし、これほど魅力にあふれた作品は誰も読んだことがないだろう」(トム・ハンクス)。「美しい小説……文学を愛する者にとっては得がたい発見となるだろう」(イアン・マキューアン)。「純粋に悲しく、悲しいまでに純粋な小説。再評価に値する作品だ」(ジュリアン・バーンズ)。もしもの場合の後事を託された布施由紀子さんが「訳者あとがきに代えて」をお書きになっておられます。残りの1頁をお訳しになったのも布施さんかと思います。ネタバレは避けたいのでストーリーは書かずにおきますが、物語の主人公ウィリアム・ストーナーと著者自身、そして訳者の生き様との間にあるただならぬ一種の共振に戦慄を覚えます。
by urag
| 2014-10-05 22:20
| 本のコンシェルジュ
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