2005年 06月 13日

ダニエル・ヘラー-ローゼン著『エコラリアス――言語の忘却について』

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アガンベンの英訳者として知られている俊英ダニエル・ヘラー-ローゼンDaniel Heller-Roazenの第2作『エコラリアス――言語の忘却について(Echolalias: On Forgetting of Language)』がゾーン・ブックスの1冊として今春刊行されました。第1作『運命の女神の様々な顔――『薔薇物語』と偶然性の詩学』は2003年にジョンズ・ホプキンス大学出版から出版されています。

エコラリアスとは何でしょうか。ラテン語でechoは山彦、laliaはお喋りのことですが、心理学で言う「エコラリア」は、反響的言語模倣、つまり他人の言葉の無意識的な反復を意味します。簡単に言うと「オウム返し」のこと。ヘラー-ローゼンの関心は、前作もそうでしたが、言語や言語活動に向けられています。

個々人の次元であれ、共同体の次元であれ、そこには言語活動の持続と消滅がある。人間は言語を持つ動物であるわけですが、言語は失われることもある、という点に著者は注目しています。

それぞれ短い21の章からなる『エコラリアス』では、習得することも出来れば喪失することもある言語と言語活動の諸相――発話、書記、記憶、忘却――について、古今東西の様々なテクストを召喚しつつ論じています。一つの言葉の衰退は新しい言葉の台頭と背中合わせであり、言語の変遷は文学や哲学や芸術の創造の源泉でもあると言うのです。

ユダヤ思想、アラビア文学、中世の神学と文学、構造主義言語学やフロイトの失語論、現代文学まで、幅広い文献の渉猟にうならされますが、なぜか、アガンベンの著書が参考文献には載っていません。しかし、彼の哲学がアガンベンの影響下にあることは事実でしょう。『エコラリアス』における断章形式的な体裁は、アガンベンの好むそれを思い出させます。

それにしてもなぜカバーが「牛」なのか? ヒントは本書第13章「書く牛」にあります。オヴィディウスの『変身物語』における逸話――美女イオをさらったゼウスが細君のヘラに見つかりそうになって、イオを牝牛に変えてしまう、というあの神話が取り上げられます。

ちなみに前作『運命の女神の様々な顔』については、アガンベンは次のように絶賛しています。「ダニエル・ヘラー-ローゼンの見事な著書は、理論的な慧眼と批評的な感受性の理想型であり、哲学と文献学的言語学が、古典作品の全く新しい読解のためにいかに協働できるのかを鮮やかに証明している」と。

ヘラー-ローゼンは現在、プリンストン大学で比較文学を講じています。英米語はもちろんのこと、フランス語、イタリア語、ドイツ語、古フランス語、古プロヴァンス語、ラテン語、古典ギリシア語、聖書ヘブライ語、アラビア語に堪能だとか。すごいですね。学内の彼の紹介ページはこちらです。(H)
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by urag | 2005-06-13 23:13 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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