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2014年 08月 23日

注目新刊:ガザニガ『〈わたし〉はどこにあるのか』紀伊國屋書店、ほか

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〈わたし〉はどこにあるのか――ガザニガ脳科学講義
マイケル・S・ガザニガ著 藤井留美訳
紀伊國屋書店 2014年8月 本体2,000円 46判上製304頁 ISBN978-4-314-01121-1

帯文より:〈あなた〉を動かすものの正体。これまでの脳科学の歩みを振り返りつつ、自由意志と決定論、社会性と責任、倫理と法など、自身が直面してきた難題の現在と今後の展望を、認知神経科学の世界的権威が総括する。私たちは責任ある動作主だ――とはいえ、誰かが脳のなかにいて、判断を下し、レバーを引いていると感じることがある。いったい〈わたし〉の統括責任者は誰なのか? それは脳のなかのどこにあるのか? 英国スコットランドの伝統ある一般公開講座「ギフォード講義」で語られた内容をもとにまとめられた、認知神経科学の父とも言われるガザニガの集大成。

★まもなく発売。原書は、Who's in Charge?: Free Will and the Science of the Brain(Ecco, 2011)です。目次は書名のリンク先をご覧ください。2009年のギフォード講義「肉体を制約する精神の科学」をまとめた本書は、版元紹介文によれば「脳科学の足跡を辿りつつ、精神と脳の関係、自由意志と決定論、社会性と責任、法廷で使用されはじめた脳科学の成果の実態など」を論じたもの。特に原書副題にある「自由意志」が本書の議論の中核にあり、脳科学が従来のコギト(考える自分)やらその存在と時間と自由と倫理にまつわる哲学的基盤をことごとく崩していきかねない科学的知見の進歩がかいま見えてきます。左脳にあるインタープリター・モジュールの統合的機能によってもたらされた「自己=わたし」という幻影。意志を持つ単一の自己、そして、その自己の行動を自由に選択し決定する主体性。最新の脳科学によればこれらは脳の作用であるらしいのです。

★「脳が精神を存在させ、機能させているというのが最新の見解である。つまり「あなた」とは、中央指令センターを持たず、並列分散処理を行う脳なのである。「あなた」という装置に亡霊は入っていないし、謎の部分もない。あなたが誇りに思っている「あなた」自身は、脳のインタープリター・モジュールが紡ぎ出したストーリーだ。インタープリターは組みこめる範囲内であなたの行動を説明してくれるが、そこから外れたものは否定するか、合理的な解釈をこしらえる。/人間の機能性は自動的に発揮される。知覚も呼吸も、血球生成も消化も、それについて考えたりすることなく実行されている。〔・・・〕左半球のインタープリターがストーリーを紡ぐのも自動的なプロセスで、そこから後づけで統一感や目的の幻想が生まれる。ということは、私たちはただ尻馬に乗っているだけ? 自動操縦状態? 私たちの人生と、そこでの行動や思考は、すべて規定路線なのか? そんな・・・。だが脳の仕組みに関する知識を得た私たちは、自由意志を持つことの意味について、問いかけの枠組みそのものをつくりかえる必要がある」(136頁)。

★ガザニガは単純な決定論者ではありません。科学的知見を踏まえつつ、それでもなお「私たちは人間であって、脳ではないのだ」(272頁)という感覚を捨てていません。社会や他者との交わりのインターフェイスへの注視によって、責任や道徳をめぐる脳の進化は説明できるものの、それでも人間の社会的行動のすべてが解明されたわけではないと留保するのです。そのあくなき探究の姿勢は、手っ取り早く答えを欲しがる向きには面倒くさく見えるかもしれません。結局まだよく分かっていないんじゃないか、などと怒らずに探究の過程を順番通りになぞるのが本書の楽しみ方として妥当かと思います。今月は岩波書店さんからクリストフ・コッホ『意識をめぐる冒険』(土谷尚嗣・小畑史哉訳)も刊行されましたし、こうした本こそ人文書売場やビジネス書売場に深みとインパクトを与えるのではないかと想像します。今月ちょうど新書化された、中野信子さんの『脳はどこまでコントロールできるか?』(ベスト新書)が動いている本屋さんなら、その脇にコッホとガザニガをさりげなく置くのも良いかもしれませんね。


赤の書 テキスト版
C・G・ユング著 ソヌ・シャムダサーニ編 河合俊雄監訳 河合俊雄・田中康裕・高月玲子・猪股剛訳
創元社 2014年8月 本体4,500円 A5判並製688頁 ISBN978-4-422-11577-1

版元紹介文より:原寸大の美しく精密な複写が収録された『赤の書』原版が公刊されて5年。以来、より詳細な研究のために、持ち運びに適したテキスト版の刊行を求める声が高まっていた。本書はそうした要望に応え、手頃な大きさと価格で『赤の書』を提供しようとするものである。原版のテキスト、序論、注釈はそのままに、より読書に適した形に本文レイアウトを変更し、携帯可能なサイズにまとめた。ユング理解に欠かせない最重要テキストにじっくり向き合いたい読者にとって必須の一冊。

★発売済。目次は書名のリンク先をご覧ください。原書は、The Red Book: A Reader's Edition(Norton & Company, 2012)です。ドイツ語原文のテキスト版は未刊ですが(英訳版と日本語版しかまだ存在しないようです)、英訳から重訳したものではなく、本の体裁を英訳版に倣ったかたちです。親本はフルカラーの図版付きの大型判で、4年前に刊行されました。4万円を超える豪華本でしたから、約10分の1の値段で発売された今回のテキスト版は図版がないとはいえ、待ち望まれていたものだと思います。私自身そうなのですが、親本は汚すのがもったいなくて頻繁にはひもとかなくなっているのではないでしょうか。テキスト版の刊行にあたって、冒頭にC・G・ユング著作財団のウルリッヒ・ヘルニィさんによる「テキスト版への序」と、巻末に河合俊雄さんによる「テキスト版への監訳者あとがき」が付されています。さらにシャムダサーニさんによる序論および編集ノートのあとには無記名で「テキスト版への付記」と「邦訳テキスト版への付記」が新たに加えられていますが、これは内容的に見て前者がシャムダサーニさんら英語訳版の編集サイドの付記で、後者は日本語版の監訳者サイドで本書の構成について特記したものだろうと思います。いずれ将来的に、カラー図版をも収録した廉価版というのも市場のニーズに応じて出版されるかもしれませんけれども、それまでこのテキスト版を存分に活用しておきたいと思います。


◎平凡社さんの新刊より

井上順孝編『21世紀の宗教研究――脳科学・進化生物学と宗教学の接点』平凡社、2014年8月、本体2,400円、4-6判上製216頁、ISBN978-4-582-70330-6 
樋口広芳『日本の鳥の世界』平凡社、2014年8月、本体3,000円、B5判並製152頁、ISBN978-4-582-52735-3

★『21世紀の宗教研究』はまもなく発売。「サイエンスで宗教はどこまで理解できるのか。進化生物学、比較神話学、脳神経科学の成果を用いて「信じる心」の起原に迫る、最新の宗教研究」と帯に謳われています。収録されているのは、「宗教研究の新しいフォーメーション」(井上順孝:国学院大学教授)、「神話の「出アフリカ」――比較神話学が探る神話のはじまり」(マイケル・ヴィツェル:ハーヴァード大学教授)、「進化生物学から見た宗教的概念の心的基盤」(長谷川眞理子:総合研究大学院大学教授)、「脳神経科学と宗教研究ネットワークの行方」(芦名定道:京都大学教授)、の合計4本の論考です。もともとは日本宗教学会の第72回学術大会の第1日目(2013年9月6日)に國學院大學渋谷キャンパスで行われた公開学術講演会「ネットワークする宗教研究」でのヴィツェル、長谷川、芦名の三氏の講演が元になっており、それらが加筆訂正されて掲載され、さらに司会者の井上さんがまとめ役として一番長い書き下ろしを寄せておられます。芦名さんの発表では社会脳(ソーシャル・ブレインズ)と宗教の関係が取り上げられており、今回ご紹介している上述のガザニガの新刊や、後述のシュタイナーの新刊の議論と交差する視点を得ることができると思います。

★『日本の鳥の世界』はまもなく発売。帯文に曰く「日本の多様な環境に生きる鳥たちについて学ぶことができる最良の本。美しい写真とともに鳥の生活をめぐる様々な話題を紹介」。2014年8月18日(月)から8月24日(日)まで、池袋の立教大学で行われている第26回国際鳥類学会議(IOC2014)の開催記念出版でもあります。IOCは130年もの歴史を持つ国際会議です。まもなく本書本文の全英訳が平凡社さんのウェブサイトからダウンロード可能になるようです。紙媒体の方は美しいカラー写真が満載です。個人的にツボだったのはミゾゴイやヨシゴイの写真。顔を真正面から撮っているのでまるで別の謎の生物に見えてしまうんですね。記事では、特にハシブトガラスの生態の紹介が興味深いです。ゴミ漁りだけでなく、線路への置き石や、ロウソクを盗んだ放火など、習性や理由などがバッチリ写真付きで解説されています。カラスの「知恵」には本当に驚かされます。


◎水声社さんの新刊より

ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーが協会と自由大学に託したこと』入間カイ訳、水声社、2014年8月、本体3,500円、四六判上製287頁、ISBN978-4-8010-0055-1
パウル・マッカイ『アントロポゾフィー協会の進化について』入間カイ訳、水声社、2014年8月、本体2,500円、四六判上製167頁、ISBN978-4-8010-0054-4
エリック・ファーユ『わたしは灯台守』松田浩則訳、水声社、2014年8月、本体2,500円、四六判上製256頁、ISBN978-4-8010-0053-7
フリオ・コルタサル『八面体』寺尾隆吉訳、水声社、2014年8月、本体2,200円、四六判上製240頁、ISBN978-4-89176-955-0
熊木淳『アントナン・アルトー 自我の変容――〈思考の不可能性〉から〈詩への反抗〉へ』水声社、2014年8月、本体5,000円、A5判上製368頁、ISBN978-4-8010-0052-0

★『シュタイナーが協会と自由大学に託したこと』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきの言葉を借りると本書は「シュタイナーが晩年に書き綴った「アントロポゾフィー協会」と「精神科学自由大学」についての手紙、箴言、講演」を一冊にまとめたものです。第一部「協会員への手紙」は、ゲーテアヌムが発行する週刊紙『ダス・ゲーテアヌム』に折り込まれた「協会員のための通信」に毎週掲載されたもので、1923年「クリスマス会議」において従来のアントロポゾフィー協会に代わり「普遍アントロポゾフィー協会」を発足させた経緯や基本的構想が紹介されています。第二部「精神科学自由大学について」は、アントロポゾフィー(人智学)の深化と教育を目的とした自由大学について、入会希望者にその基本的構想と課題を語った講演等が収録されています。さらに付録として「アントロポゾフィー指導原理」の第1項から第78項まで併録しています。クリスマス会議においてシュタイナーは「考えられる限り深い秘教性と、もっとも広い公共性をひとつにつなぐこと」が課題だと話したと言います。この連結こそ宗教の普遍的駆動原理の一つではないかと思われます。シュタイナーを一度も読んだことがない方にとっても、興味深い内容に違いありません。

★『アントロポゾフィー協会の進化について』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者は銀行家としてのキャリアを持ち、普遍アントロポゾフィー協会の理事やゲーテアヌム精神科学自由大学の社会部門代表を務められています。彼の二冊の講演録『秘教性と公共性――アントロポゾフィー協会の「明らかなる秘密」について』(1999年)と『ミカエル共同体としてのアントロポソフィー協会――礎石のことばにおける「私たち」について』(2002年)を全訳合本したのが本書です。巻頭には、自由大学に留学された経験をお持ちで建築論の観点からシュタイナーを研究された複数の著書がある東海大学工学部建築学科教授、上松佑二さんが「まえがき」を寄せておられます。「シュタイナーの多くの講演集が日本語に訳されている今日、「アントロポゾフィー協会」に関するものは少ないので、本書は大変貴重な訳業です」とコメントされています。『ミカエル共同体~』には付録として、クリスマス会議におけるシュタイナーの締め括りの言葉である「礎石のことば」と、上松さん訳によるシュタイナーの「定礎の言葉」(これは上述の『シュタイナーが協会と自由大学に託したこと』には入間さん訳で収録されています)、そしてシュタイナーの黒板絵からの抜粋「黒板に書かれたリズム」が収録されています。

★『わたしは灯台守』は8月27日発売予定。シリーズ「フィクションの楽しみ」の最新刊です。原書は、Je suis le gardien du phare(José Corti, 1997)で、著者のフィクション作品では三冊目です。刊行の翌年にドゥ・マゴ賞を受賞しています。「列車が走っている間に」「六時十八分の風」「国境」「地獄の入り口からの知らせ」「セイレーンの眠る浜辺」「ノスタルジー売り」「最後の」「越冬館」「わたしは灯台守」といった合計9つの短篇と中篇が収録されています。帯文に曰く「世界から隔絶された男の魂の叫びと囁きを、陰鬱でありながらユーモラスに綴る表題作をはじめ、不条理で幻想的、ときには切なくノスタルジックな珠玉」を集めたものです。いずれも印象的な作品ですが、個人的な感想からひとつだけ上げると「国境」と題された作品では、境界は水平にあちらとこちらを隔てているのではなく、垂直にそびえたって階層化し旅人を厳しく拒みます。果てのないこの徒労感はどこか、カフカの世界に似ています。つまり、誰しもが人生で体験しうる悪夢のような現実が、そこには象徴となって表れているように思います。

★『八面体』は8月27日発売予定。シリーズ「フィクションのエル・ドラード」の最新刊です。『八面体 Octaedro』(1974年)に収められた8篇の短篇「リリアナが泣く」「手掛かりを辿ると」「ポケットに残された手記」「夏」「そこ、でも、どこ、どんなふうに」「キントベルクという名の町」「セベロの諸段階」「黒猫の首」の全訳に加え、『最終ラウンド Último Round』(1969年)から3篇「シルビア」「旅路」「昼寝」、さらに同書から実践的な短篇小説論「短篇小説とその周辺」を付録として訳出されています。「短篇小説とその周辺」は上記シリーズの今年2月の既刊書『対岸』の付録「短編小説の諸相」の続篇とも言えるエッセイだそうです。「別次元に投げ出された子供たち〔作家にとっての自分の作品〕は、逆説的な言い方だが、そこで普遍的な存在を獲得するとともに、ストローからシャボン玉を吹き飛ばし終えた語り手の及び知らぬ、河の向こう側へ到達する。あらゆる短編小説の傑作、とりわけ幻想的作品が神経症の産物であり〔・・・〕書くという作家に許された唯一の解決策で悪魔払いをしているかのようだ」(215頁)。今年は著者フリオ・コルタサルの生誕百周年にあたり、記念シンポジウムが2014年9月15日(月)14:00からセルバンテス文化センター東京の地下1階オーディトリアムで開催されます。本書の訳者である寺尾さんも登壇されるとのことです。入場無料。こちらのサイトから予約を入れる必要があります。

★『アントナン・アルトー 自我の変容』は8月28日発売予定。著者の熊木さんは1975年生まれで、現在早稲田大学等で非常勤講師を務めておられます。本書の目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文にはこうあります。「明晰なる狂気のストラテジー、系譜なき〈場〉の詩学。テクスト/俳優、父/子、思考/言葉……〈前のもの〉による〈後のもの〉への支配を自身の〈病〉として引き受けたアントナン・アルトー。初期の書簡から演劇論、そして晩年の思考までをつらぬくものは、先立つ〈起源〉への徹底的な反抗であった。あらゆる系譜を逆転させる戦略的な視点から現代詩への影響を論じた最もアクチュアルなアルトー読解」。日本人によるアルトー研究は論文単位ではともかく一般発売されている書籍単位ではとても少なく、鈴木創士さんの『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社、1995年;現代思潮新社、2007年)や、宇野邦一さんの『アルトー――思考と身体』(白水社、1997年;新装復刊、2011年)くらいしかありません。熊木さんの第一作となる本書は「診断と治療」「残酷の変容」「詩への反抗」の3部構成で、それぞれおおよそアルトーの20年代、30年代、40年代の活動に対応しています。「アルトーの思想の変遷は一言でいえば、自我の肥大であるということができる。しかしこの肥大は時間空間的な位置のずれを同時に引き起こすのである。アルトーにとっては原則として「今ここ」しか存在しない。しかしそこから自我が彼岸や過去、未来などをでっち上げることができるのだ。〔・・・〕彼の自我の肥大は自我そのものの幻想性に対する強い意識のもとでなされたものであり、それは彼の思想的な戦略でもあったのだ」(304頁)と熊木さんは分析されています。
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by urag | 2014-08-23 18:14 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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