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2013年 09月 01日

注目新刊:待望の初訳!ランク『出生外傷』、ほか

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出生外傷
オットー・ランク(Otto Rank, 1884-1939)著 細澤仁/安立奈歩/大塚紳一郎訳
みすず書房 2013年8月 本体4,000円 四六判上製288頁 ISBN978-4-622-07782-4

帯文より:人間がこの世に生まれることそのものが外傷の体験である――。ランクが「逸脱者」と呼ばれる発端となった、早期母子関係論のさきがけともいえる重要古典。1924年刊。

カバー裏紹介文より:精神分析の歴史において、オットー・ランクの名は精神分析から離反していった「逸脱者」として記憶されている。/精神分析の開祖フロイトにもっとも愛された弟子と言われていたランクの立場は、1924年に本書を発表したことによって一変した。ある精神分析家は本書をユングの逸脱にも一致する「不吉な発展」とまで評し、フロイトとランクの関係もまた、本書の刊行を境に緊張したものへと変わっていったのである。/本書はランクが、神経症や精神病は「出生時の外傷の再現である」という壮大な試論を描き出そうとしたものである。/精神分析の歴史のなかで十分に語られることのなかった試論、そしてランクが「出生外傷」と呼んだ不安の根源は、今日の精神分析に何を投げかけるのか。ランクの主著にして、今日の早期母子関係論の先駆けともいえる重要古典が、いま明らかになる。

★発売済。ランクのあまりにも有名な主著、Das Trauma der Geburt:und seine Bedeutung für die Psychoanalyse(Wien, 1924)の待望の初訳です。底本はPsychosozial- Verlagの1998年版で、Einleitung(緒言)やEinführung(序論)は割愛されています。ただし、ランク自身によるVorbemerkungは「序文」として訳出されています。本書は師フロイトに捧げられていますが、ほかならぬこの本をきっかけに、ランクはフロイトのもとを離れざるをえなくなります。それは、フロイトが重視するのは父子関係であるのに対して、ランクは本書で母子関係を重視している、とフロイトの取り巻きたちがみなしたからですが、彼ら取り巻きよりランクの方が才知に溢れていたことは明らかであるように思います。

★「出生外傷、すなわち至福の安寧が父によって最初に中断されたことが想起されない限りは、たとえ観察された性交であっても外傷的影響力を持ちえない〔・・・〕。したがって、後になってからの子どものエディプス・コンプレクスとは、子宮内のエディプス状況の直接の後裔、すなわちそれを心理性的に加工したものだということがわかる。さらに言えば、父による中断は、たとえ最初の「外傷」とは言えないとしても、その直接の先駆者と呼ばれるにはふさわしいものであるため、やはり子宮内のエディプス状況こそが「神経症の核となるコンプレクス」だということがわかるのである」(170頁)。フロイト自身も『夢判断』の註で、生まれるということが人間にとって初めての不安体験であり、不安感情の原型である」ことを指摘していたにもかかわらず、また、ランク自身もフロイトへの釈明の手紙で、父親を排除したのではなく「父親にふさわしい場所を与えようとしたに過ぎない」と述べていたにもかかわらず、フロイトの使徒たちはそこにユングと同様の「逸脱」を認め、フロイトをも説得したのでした。

★しかし、ユングやランク、あるいはそこにライヒやガタリも付け加えたいと思いますが、逸脱者たちの想像力は読者を惹きつけてやみません。「文化発展にとっては決定的な、失われてしまった状態を外部に置き換えずにはいられない投影の希求や、母親との同一性を再び復元することを目指す、謎めいた同一化の傾向」(171頁)をめぐるランクの考察は今なお刺激的です。訳者の一人である大塚さんは巻末の解題でこう説明されています。「本書はまさしく「誕生という悲劇」を扱った書物である。さまざまな病の経験を、そして文化や芸術作品、宗教や哲学、すなわち人間を人間たらしめているものを、本書は一貫して子宮の中の状況の、あるいは出生外傷の再体験と見なしている。そうすることによって、この出生という傷つきを抱えながら生きて行くことが、人間が人間として生きて行くということなのだということを描いているのである。〔・・・〕本書は人間の、人間としての悲しさについての考察なのである」(221頁)。本書は出産を否定するものではなく、生まれてくる本人にとっての否応ない体験としての「誕生」について深く掘り下げた書物であり、誕生とそれに続く生の意味が人間にとって謎であり続ける限り、これからも幾度となくひもとかれていくのではないかと思われます。

★オットー・ランク著作既訳書
1986年08月『英雄誕生の神話』野田倬訳、人文書院
1988年11月『分身――ドッペルゲンガー』有内嘉宏訳、人文書院
2006年03月『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ――文学的創作活動の心理学の基本的特徴』前野光弘訳、中央大学出版部
2013年08月『出生外傷』細澤仁ほか訳、みすず書房


哲学探究
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著 丘沢静也訳
岩波書店 2013年8月 本体3,300円 四六判上製カバー装492頁 ISBN978-4-00-024041-3

帯文より:新校訂版テクストにもとづく待望の新訳! 解説=『哲学探究』への道案内(野家啓一)
カバーソデ紹介文より:「私たちは歩きたい。そのためには摩擦が必要だ。ざらざらした地面に戻ろう!」――自らの哲学を、日常言語の働きの理解に向かって大きく転換させたヴィトゲンシュタインの主著『哲学探究』が、清新な訳文によって格段に近づきやすいものとなった。遺稿にさかのぼって新たなテクスト整備がほどこされた新校訂のエディションにもとづく待望の新訳。

★発売済。後期ウィトゲンシュタインの代表作、Philosophische Untersuchungen(1953年)の新訳です。同書はこれまで第一部の藤本隆志さんによる抄訳が、『論理哲学論考』(法政大学出版局、1968年)に収められ、その後、同氏による全訳が『ウィトゲンシュタイン全集8』(大修館書店、1979年)として出版され、さらに黒崎宏さんによる訳解本『『哲学的探求』読解』(産業図書、1994-1995年;合本版、1997年)が刊行されてきました。今回の新訳の底本は、ヨアヒム・シュルテによる編纂でズーアカンプから2003年に刊行された版で、これは2001年に同版元から刊行されたKritische-genetische Edition(批判・生成版)を、それの編纂に関わったシュルテ自身が一般読者向きに編集した版になります。ただし、これらの版では、現在『心理学の哲学』関係の草稿と見なされている第二部が省略されているため、本訳書ではブラックウェル社の第二版三刷(1967年)から第二部を訳出しています。

★現在流通している同書の独英対訳の一番新しい版は2009年にシュルテとハッカーの編纂によって刊行された最新校訂版(ワイリー=ブラックウェル社)であり、同書のドイツ語原文はごくわずかな異同のほかは2003年のズーアカンプ版とほとんど同じだそうです。今回の新訳では第二部について、ブラックウェル社第二版とワイリー=ブラックウェル社新校訂版との異同が訳者による注記で示されています。訳者の丘沢さんによるウィトゲンシュタインの翻訳はこれが二冊目で、かつて断片集『反哲学的断章――文化と価値』(青土社、1981年;新装版、1988年;新版、1995年;改訂新版、1999年)を手掛けられておられます。今回の新訳は『反哲学的断章』以後、光文社古典新訳文庫でニーチェやカフカの新訳を上梓された経験を経ておられるためか、今までにないウィトゲンシュタインの「くだけた」翻訳に仕上がっています。

★訳者あとがきにはこうあります。「ヴィトゲンシュタインは、反哲学または脱哲学の姿勢が魅力的だ。文語体ではなく口語体で、哲学をした」(462頁)。「ヴィトゲンシュタインの文章には、大げさな芝居がない。日常的で、飾り気のない、シンプルなドイツ語だ。ヴィトゲンシュタインの文体は、シンプルであることを追求した結果なのだろう。/岩波版『哲学探究』も、できるだけ日常的で、飾り気のない、シンプルな日本語に翻訳しようとした」(464頁)。「ヴィトゲンシュタインのドイツ語は、ドイツ観念論やドイツ・ロマン派やハイデガーなどとちがって、そんなにむずかしくない。なにしろ、「言うことができることは、クリアに言うことができる。そして語ることができないことは、黙っているしかない」と書いた天才である」(465頁)。

★丘沢さんによるくだけた訳文は、学術論文においてなら引用がためらわれるほど日常的なもので、従来の専門書のイメージを凌駕しています。反感を覚える読者も出てくるのかもしれません。しかし丘沢さんが訳者あとがきに述べられていることはすべて本当のことですから、たとえばノーマン・マルコムの素晴らしい回想録『ウィトゲンシュタイン――天才哲学者の思い出』(板坂元訳、平凡社ライブラリー、1998年)を読んでこの哲学者の等身大の姿に接した読者なら、既訳よりも今回の新訳の方がよりウィトゲンシュタインその人の印象には合っていると感じるのではないかと思います。こうした「冒険」は岩波書店のブランドイメージのある部分を見事に一新した気がします。あえてないものねだりをするならば、この新訳を「岩波文庫」とまでは言わなくても「岩波現代文庫」で出してくれたら(もちろん全一巻本で)、いっそう良かったのに、と思います。

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[徹底解明]タックスヘイブン――グローバル経済の見えざる中心のメカニズムと実態
ロナン・パラン/リチャード・マーフィー/クリスチアン・シャヴァニュー著 青柳伸子訳 林尚毅解説
作品社 2013年8月 本体2,800円 46判上製448頁 ISBN978-4-86182-416-6

帯文より:“脱税”“資金洗浄”など世界経済の負の側面を担うだけの“脇役”ではない。隠蔽されてきた“グローバル経済の中心”である。構造とシステム、関連機関、歴史、世界経済への影響……。初めて全容を明らかにした世界的研究書。図表21点、コラム14点、データ満載。

帯文(裏)より:研究/実態調査を、長年続けてきた著者3名によって、初めて明らかにされる“タックスヘイブンの真実”(1)タックスヘイブンとは、グローバル経済の末端で、不適切な作用をする“脇役”ではない。隠蔽されてきた“グローバル経済の中心”である。(2)タックスヘイブンの役割とは、脱税や資金戦場といった、グローバル経済の“負のエピソード”に留まるものではない。現在、世界を支配する権力者たち(個人、企業、そして国家)の財源を不可視化し、その権力を維持するものである。(3)タックスへいぶんの問題とは、グローバル経済の負の側面(世界的な金融危機や格差拡大)を増幅させるシステムであることであり、したがって経済問題を超えて、我々の時代における最大の政治問題の一つである。

目次:
[日本語版序文]タックスヘイブンの現在
[序文]グローバル経済の中核として機能するタックスヘイブン
第I部 タックスヘイブンの機能と役割
 第1章 タックスヘイブンとは何か?
 第2章 世界経済に及ぼしている影響――その統計的実態
 第3章 タックスヘイブンのメカニズム――媒介機関とシステム
第II部 タックスヘイブンの起源と発展
 第4章 タックスヘイブンの起源
 第5章 大英帝国によるタックスヘイブンの発展
第III部 国際政治におけるタックスヘイブン
 第6章 先進国世界とタックスヘイブン
 第7章 途上国の開発とタックスヘイブン
第IV部 タックスヘイブンの規制と攻防
 第8章 タックスヘイブン規制の歴史的経緯
 第9章 国際的・組織的規制の開始
 第10章 二一世紀世界とタックスヘイブン
[おわりに]グローバル経済における富と権力を問い直す
[日本語版解説]タックスヘイブンと日本企業(林尚毅)
参考文献一覧

★発売済。原書は、Tax Havens: How Globalization Really Works(Cornell University Press, 2010)です。著者のパランはイギリスの政治学者で、マーフィーは同国の公認会計士、シャヴァニューはフランスの経済学者です。シャヴァニューとパランの共著には既訳書『タックスヘイブン――グローバル経済を動かす闇のシステム』(杉村昌昭訳、作品社、2007年;原著はフランスのラ・デクーヴェルト社より2006年に公刊)があります。今回の新刊はそれに続く第二弾です。本書は「フィナンシャル・タイムズ」紙で「初めて本書によって、タックスヘイブンという存在が、包括的に研究・解明されたといって過言ではない。長年、研究・実態調査を続けてきた著者3名によって、この見えざる経済システムと国際政治について、従来の多くの通念が打ち破られ、私たちを震撼させる」と高い評価を受けた本であり、「経済地理学ジャーナル」誌でも、初めての包括的な概説書として評価されているそうです。

★初めての包括的な概説書であることは、著者たちも序文で自認しています。「本書は、世界経済におけるタックスヘイブンの役割と機能に関する最新評価を提供する。また、19世紀終盤から共産主義後の諸国、中東、アフリカの最新のタックスヘイブンに至る、その起源と発展を考察する。さらに、現象の規模に関する最新見積もりを提供し、タックスヘイブンのさまざまな活用を説明し、タックスヘイブンが国家やビジネスに及ぼす影響を分析する。OECDならびに欧州連合(EU)によるオフショア世界への攻撃が及ぼす影響をもって本書を締めくくるとともに、次なる展開を検討する。タックスヘイブンに関する文献は飛躍的に増加してはいるものの、私たちの知る限り、本書はタックスヘイブンに関する、本質的に異なるさまざまな研究や知識を包括的にまとめた初の概説書である」(29頁)。

★序文はこう続きます。「タックスヘイブンについて受け入れられている考えは、その大半が間違いである、というのが本書の主要論点である。タックスヘイブンは、世界経済の末端で作用しているのではなく、現代のビジネス慣行に不可欠な一要素である。さらに、タックスヘイブンは、国家に対する存在ではなく、調和的に存在している。それどころか、租税回避や脱税のための導管であるばかりか、もっと広く金融の世界、組織、国、個人の財源を管理するビジネスに属しているというのが私たちの見解である。タックスヘイブンは、グローバル化した現代の金融制度において最も重要な媒介の一つ、金融不安の主因の一つとなっている」(29-30頁)。

★さらにこうも指摘します。「現代のビジネスは、その大小を問わず、タックスヘイブンに深く組み込まれているが、驚くなかれ、そのことはめったに認識されていない。タックスヘイブンとまったく関与しない国際企業あるいはビジネスは、今日、稀少な存在だ。ところが、タックスヘイブンの影響は、主に間接的にしか感じられず、1980年代以降、世界中で持続的に伸びている貧富の差を示す統計値を通してしか明らかにされていない。金融規制をかいくぐるうえでタックスヘイブンが果たしている役割が表面化したのは、ごく最近である」(35-36頁)。

★そもそもタックスヘイブン(租税回避地)とは何か。本書の訳注ではこう説明されています。「一般には次の三つのうちの少なくとも一つを満たす国とみなされる。非居住者に対する無課税、または無に近い課税。厳しい秘密保持条項と匿名性。簡単・迅速・柔軟な法人設立規則」。著者たちはタックスヘイブンの定義の難しさを指摘し、一章を割いて説明しています(第一章)。タックスヘイブンの実態解明には、関連する統計データの収集の難しさだけでなくデータの解釈の困難さも伴うのですが、著者たちはこう分析しています。「タックスヘイブンが、脱税、租税回避、マネーロンダリング、政治腐敗を促進していることは板がいないが、その額を多少なりとも正確に推計できる人間はいない。そのために、誰一人として、この市場を下支えしている腐敗に取り組むことができずにいる。〔・・・〕資産家たちが、不透明なやり方で資産を世界中に分散させ、それが、政府の深刻なタックスギャップを生んでいる。さらに、多国籍銀行や企業によるタックスヘイブンの濫用が、現代のグローバル化の不可欠な要素となっている」(140頁)。

★事実は小説より奇なり。グローバル経済のグロテスクな実態を暴く本書はまさにその好例の宝庫で、読者の大半は自分たちの預かり知らないところでどれだけの不正や悪知恵が横行しているかを垣間見て、吐き気すら覚えるかもしれません。本書の日本語版解説や、巻末の参照文献一覧では様々な関連書が紹介されていますが、ここに掲載されている日本語文献を集めるだけでもちょっとした「涼しい」書棚ができそうです。お客様にぞっとする体験を提供したいオフィス街や官公庁街の書店さんにお薦めします。なお、一昨年刊行された、ニコラス・シャクソン『タックスヘイブンの闇――世界の富は盗まれている』(藤井清美訳、朝日新聞出版、2011年)でも、パランやマーフィーらの論文が幾度となく言及されているとのことです。なお、シャクソンはイギリスのジャーナリストで、一昨年の春(2011年4月)に独立系メディア「デモクラシー・ナウ」で「オフショア金融とタックスヘイブンはグローバル経済の心臓部」と題した報告を行っています。


名もなき人たちのテーブル
マイケル・オンダーチェ(Michael Ondaatje, 1943-)著 田栗美奈子訳
作品社 2013年8月 本体2,600円 46判上製320頁 ISBN978-4-86182-449-4

帯文より:わたしたちみんな、おとなになるまえに、おとなになったの――11歳の少年の、故国からイギリスへの3週間の船旅。それは彼らの人生を、大きく変えるものだった。仲間たちや個性豊かな同船客との交わり、従姉への淡い恋心、そして波瀾に満ちた航海の終わりを不穏に彩る謎の事件。映画『イングリッシュ・ペイシェント』原作作家が描き出す、せつなくも美しい冒険譚。

★発売済。原書は、The Cat's Table(Knopf, 2011)です。訳者あとがきによれば、本書について「著者自身は「フィクションだ」と明言しているが、その設定には本人の生い立ちと重なる部分が多い。とはいえ、船旅という非日常の空間を主な舞台に、魅力的な人々と風景が次土にあらわれる宝石箱のような物語は、自伝という枠におさまらず、読む者の心をおどらせるスリルとサスペンスとロマンスに満ちている」(306頁)と。そのものずばりの自伝的小説は別にあって、『家族を駆け抜けて』(藤本陽子訳、彩流社、1998年;原書は1982年刊)がそれです。

★原題の「猫のテーブル」とは、上座の反対の「下座」のこと。主人公が船内の食堂で与えられた席です。オンダーチェはテレビ・インタビューでこう語ったと訳者あとがきで紹介されています。「私はセイロンで生まれてイギリスに渡り、それからカナダに移住して、いわば遊牧民のような生活を送ってきた。だから、西洋のなかに存在する東洋というものに関心を持っている。この作品ではアジアの少年たちが、イギリスについて何一つ知らないまま、いきなりそこに放りこまれようとしている。そして人生ががらりと変わってしまう。そんなふうに、誰かがある場所から別の場所へ移っていくというのが、とにかく好きなんだ」(310-311頁)。

★青いカヴァーに銀色の箔の文字という瀟洒な装丁は水崎真奈美さんによるもの。船の影が青い海に浮かぶイメージです。「その夜、彼は11歳で、世間のことなど何も知らぬまま、人生で最初にして唯一の船に乗りこんだのだった。まるで海岸に新たに都市がつくられ、どんな街や村よりも明るく照らされているような感じがした。足もとだけを見つめてタラップをのぼると――前方には何も存在しなかった――やがて暗い港と海が目の前に広がった。沖のほうにはほかの船の輪郭がいくつも浮かび、明かりを灯しはじめている。彼はひとりぽつんと立って、あたりの匂いを吸いこみ、それから人混みと喧騒のなかを抜けて、陸に面した側へ戻っていった。黄色い光が町をおおっている。自分と、あちらで起こっていることが、早くも壁に遮られた気がした」(6頁)。「海が見えなければ怖くも何ともないのに、今こうして海は薄暗がりのなかで立ち上がり、船を取り囲み、僕のまわりでとぐろを巻いている」(40頁)。

★これらは冒頭から前半の海です。物語が進むにつれ、主人公は友人知人たちとともに活き活きと動きます。「船は朝の光のなかへ漂っていった。濃い雲が点々と空に浮かんでいる。航海に出てからこのかた、目にした雲といえば、嵐のとき船の上に厚く垂れこめ、覆いかぶさってきた雲だけだった。〔・・・〕僕たちは、目を大きく見開いて、地中海に入っていった」(145頁)。そして、「事件」が到来し、「少年時代の限られた世界での、無邪気な思いでになるはずだった」(275頁)旅は終わりを告げます。
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by urag | 2013-09-01 22:53 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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