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2013年 06月 30日

注目新刊と近刊:ランシエール『アルチュセールの教え』航思社、など

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アルチュセールの教え
ジャック・ランシエール(Jacques Rancière, 1940-)著 市田良彦・伊吹浩一・箱田徹・松本潤一郎・山家歩訳
航思社 2013年7月 本体2,800円 四六判上製324頁 ISBN978-4-906738-04-5

大衆反乱へ! 哲学と政治におけるアルチュセール主義は、煽動か、独善か、裏切りか――68年とその後の闘争をめぐり師と訣別、「分け前なき者」の側に立脚して、存在の平等と真の解放をめざす思想へ。思想はいかに闘争のなかで紡がれねばならないか。

★6月27日取次搬入済新刊。原書はLa leçon d’Althusser(La fabrique, 2012)です。1974年に刊行されたランシエールの初めての単独著の新版になります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には訳者の市田良彦さんによる周到な解題「〈無知な教師〉はいかにして〈僭主〉を教えたか」(299-319頁)、さらに人名索引と、組織・党派名索引が配されています。巻頭の「新版へのまえがき(2011年)」によれば、「再版されるテキストに一切修正を加えなかった。〔・・・〕唯一の変更点は、本書に補遺として収録されている「イデオロギー論について――アルチュセールの政治」というテキストにかかわる。〔・・・〕当時の私は、〔・・・〕注を書き加え、テキストが含むいくつかの命題について書物刊行時〔1974年〕に持っていた留保を明確にした。〔しかし今回の新版では〕当初の付録的な位置に戻してやることにし、1969年に書かれ、翌年スペイン語に翻訳されて刊行されたままのかたちで本書に収めることにした」(16頁)とのことです。

★「第一版序文(1974年)」によれば本書は「ルイ・アルチュセールからジョン・ルイスに授けられたマルクス主義の教え」についての注釈であり(17頁)、さらに「新版へのまえがき(2011年)」によれば「様々に自称されるいわゆる支配批判の中心にある、〔・・・〕知性の不平等論に対し宣戦布告をし」(13頁)、「どんな革命思想も〔・・・〕被支配者たちの能力という前提にもとづくべきである、と宣言した」(同頁)本だと説明されています。さらに本書は、晩年の「偶然性唯物論」以前の、『マルクスのために』(平凡社ライブラリー、1994年)や『ジョン・ルイスへの回答』(『歴史・階級・人間』福村出版、1974年、絶版)といった60年代~1973年の時期のアルチュセールの思想を扱うもので、「そこにはアルチュセール、サルトル、フーコーといった人物、欄外にはドゥルーズ、ガタリ、リオタールといった人物が登場する。彼らは1968年の出来事、さらに五月後の運動と軋轢によって思想と行動に光が当てられて登場する」(同、7-8頁)とも紹介されています。ランシエールは本書以降、「この能力の諸条件と諸形態」の分析に取り組み、『プロレタリアの夜』(1981年、未訳)では「地下に埋められた労働者の解放形態を明るみに出し」、『無知な教師』(法政大学出版局、2011年)では「ジョセフ・ジャコトが知性の解放を宣言した忘れられたテキストに再び光を当て」(同頁)た、と自身の仕事を位置づけています。

★本書はシリーズ「革命のアルケオロジー」の第一回配本。奥付上部に記載された説明文によれば、同シリーズは「2010年代の今こそ読まれるべき、読み直されるべき、マルクス主義、民主主義、大衆反乱、蜂起、革命に関する文献」を集めるもので、「洋の東西を問わず、戦後から80年代に発表された、未刊行、未邦訳、絶版品切となったまま埋もれている必読文献を叢書として刊行していきます」とのことです。続刊予定はまだ明らかではありませんが、期待大、ですね。


国際原子力ロビーの犯罪――チェルノブイリから福島へ
コリン・コバヤシ(1949-)著
以文社 2013年7月 本体2,400円 四六判並製240頁 ISBN978-4-7531-0314-0

帯文より:“安全宣言”は本当か? 原子力ムラの“核”フランス――その“実像”と、“科学の真実”に背いた、世界の原子力マフィアたちの“実態”に迫る。ベラルーシやウクライナの住民や医師の訴えを退け、福島における健康被害もほとんどないと嘯く、国連やWHOも籠絡した“国際原子力ロビー”の正体。彼らの主張は信じるに値するのか? 科学/疫学的な意志への「裏切り」を追究し、未来の生命たちのために、そのシニシズムの構造を仮借なく追跡する。

★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者のコリン・コバヤシさんは1949年に東京でお生まれになり、1970年の渡仏以来、パリ近郊に在住されています。美術家、ビデオ作家、フリージャーナリスト、著述家などの肩書をお持ちで、本書は単独著としては『ゲランドの塩物語』(2001年、岩波新書、2002年渋沢クローデル賞現代エッセイ賞)に続く第二作です。脱原発に賛成であれ反対であれ、国際原子力ロビーの実態と利権体質を暴いた本書は必読です。巻頭にずらりと並ぶ、主要ロビー略称一覧には、JRIA(日本アイソトープ協会)も含まれています。実に様々な団体や実在する人物が出てくるのですが、こんな戦慄すべき「舞台」があったとはほとんど読者は知らないだろうと思います。

★「福島においては、IAEA(国際原子力機関)とICRP(国際放射線防護委員会)が国際原子力ロビーを代表している。要するに、この国際原子力ロビーは、構造的暴力として、無限エネルギーという「(悪)夢」に取り憑かれた、原子力発電所や再処理工場など、関連施設が撒き散らす放射性物質を民衆に押しつけているのである。/巨額を投資し、時代遅れの巨大技術を駆使し、不平等と不公正を撒き散らし、民主主義を破綻させたうえに、放射性物質による大地や水の汚染という取り返しのつかない惨事をもたらす。処理の方法を持たない核のゴミに至っては、気の遠くなるほど未来世代にまで負担を強いる。/そして苛酷事故が起こっても、あたかも現代によくある大事故と同じ、そのなかの「一つ」に過ぎないと見せかけようとしている。最終的には「放射性物質の影響は大したことはなかった」、つまり「被曝問題は存在しない」と公言すること。そしてそれを既成事実とすること。これこそが国際原子力ロビーの本音であり、チェルノブイリでも適用されたやり方である」(「序にかえて」17-18頁)。

★本書は、広瀬隆さんと明石昇二郎さんの共著『原発の闇を暴く』(集英社新書、2011年)と併せて読むと、国内外の原子力コネクションがよりいっそうはっきり理解できると思います。私たちはまさに闇に目を凝らす必要があります。

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クレイジー・ライク・アメリカ――心の病はいかに輸出されたか
イーサン・ウォッターズ著 阿部宏美訳
紀伊國屋書店 2013年7月 本体2,000円 46判上製344頁 ISBN978-4-31401103-7

帯文より:メガマーケット化する日本の「うつ病」。スリランカを襲った津波と「PTSD」。香港で大流行する「拒食症」。変わりゆくアフリカ・ザンジバルの「統合失調症」。科学的知識の普及か? 善意の支援か? 治療のための研究か? それとも金儲けか?――アメリカ版の精神疾患の概念が流入して以後、各国で発症率が急増し、民族固有の多様な症候群や治療法は姿を消しはじめた・・・・。4つの国を舞台に、精神疾患のグローバル化がそれぞれの文化に与えた衝撃と、その背景を追う。

★まもなく発売。原書はCrazy Like Us: The Globalization of the American Psyche(Free Press, 2010)です。精神疾患の「アメリカ化」を、日本を含む4カ国の事例で見た非常に興味深いリポートです。版元さんのプレスリリースでの表現を借りれば、精神疾患の分類や名づけは科学的プロセスという以上に、その時代の医学界の意見によって「つくられる」きわめて社会的かつ文化的試みである、ということを本書は教えています。特に第四章「メガマーケット化する日本のうつ病」では、近年「心の風邪」として広く知られるようになった背景を取材しています。「大手製薬会社のグラクソ・スミスクラインが、日本でパキシルという抗うつ剤の市場を作りだすにあたって繰り広げた活動」(224頁)の一端が明かされています。結構怖い話です。

★「パキシルを日本でヒットさせるためには、「うつ病」と診断された患者向けの小さな市場だけでは不十分であり、根本的なレベルで、悲しみや抑うつ感に関する日本人の考え方に影響を与えなければならない。つまるところ製薬会社の面々は、病気を日本市場に売りこむ方法を求めていたのだ」(231頁)。製薬会社の後援によって2000年の秋に京都で開催された学術会議に招聘された、ローレンス・カーマイヤー博士(カナダ・マギル大学、比較文化社会精神医学)に著者はこう尋ねます。「GSK社が日本のうつ病の概念を変えようとしていることに、どれくらい気が付いていましたか」。博士の答えはこうです。「それはもうあからさまでした。多国籍に展開する製薬会社が、一国のメンタルヘルスの定義を必死で作りかえようとしていました。これに伴う変化は遠い将来まで広く影響を与え、ある文化が人間性をどう考えるか、人々が毎日をどう暮らすかといったことの形を決めてしまいます。こうした企業は、ある文化のなかで長く抱かれてきた病気や癒しの意味を、地球規模でひっくり返しつつあるのです」(236頁)。

★また、多国籍企業の慣習やしきたりを研究するユニークな「役員室の人類学」を研究するカルマン・アップルバウム教授(ウィスコンシン大学ミルウォーキー校)の証言によれば、製薬会社は当時、「薬が使われる、または使われる可能性のある環境全体を変えようとしていた」(266頁)とのことで、教授はこれを「メガマーケティングキャンペーン」と呼んだ、と書かれています。著者はこう補足します。「つまり、製薬会社は日本人消費者の意識そのものを作りだそうとしていたのだ」(同頁)。「アップルバウムが面談した製薬会社の役員は一様に、自らを利益だけで動いている人間だとはみなしていなかったという点にも着目すべきだ。彼らはむしろ、自分たちの作りだす新薬が世界中に科学的進歩という誇らしい歩みを示しているという信念に動かされ、誠心誠意努力していると自負し、自らをうつ病や不安症や対人恐怖症――日本やその他の国で無情にも治療されないままになっている病気――と闘う人間だと称した。こうした信念に基づく確信と、見込まれる利益が何百万ドルもあるという魅力と混ざり合い、大きな力となっている、とアップルバウムには見てとれた。/「彼らは自分たちが世界を救おうとしているとまっすぐに信じているようでした」」(273頁)。

★市場を形成する上でマスコミ(TV、新聞、出版)が果たした役割も小さくなく、〈善意の啓蒙〉に戦慄を覚えます。本書は今や古典となりつつあるマーシャ・エンジェル『ビッグ・ファーマ――製薬会社の真実』(篠原出版新社、2005年)や、デイヴィッド・ヒーリー『抗うつ薬の時代――うつ病治療の光と影』(星和書店、2004年)、同『抗うつ薬の功罪――SSRI論争と訴訟』(みすず書房、2005年)などとともに、ビジネスマンが読んでおいた方がいい「常識」本だと思います。


野性の知能――裸の脳から、身体・環境とのつながりへ
ルイーズ・バレット著
インターシフト発行 合同出版発売 2013年7月 46判上製360頁 ISBN978-4-7726-9536-7

帯文より:脳を超えて、あるがままの世界に開かれる。「人工知能」から「野性の知能」へ。裸の脳を超えて、脳-身体-環境とともにダイナミックに生成する認知世界観へ。

推薦:「ベストセラー小説のように、途中で止められない」(『メタサイコロジー』誌)。「心理学、生物学、ロボット工学、哲学を統合し、動物と人間の認知について、新たな多くの洞察をもたらす」(『アニマル・ビヘイビア』誌)。

★まもなく発売。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。原書はBeyond the Brain: How Body and Environment Shape Animal and Human Minds(Princeton University Press, 2011)です。著者のルイーズ・バレットは、カナダ・レスブリッジ大学の心理学教授で、専門は動物の認知と行動、とくに霊長類の行動と環境・認知のかかわりについて調査研究されているとのことです。本書は人間の似姿と尺度でもって動物を理解しようとするのは間違っているということを様々な角度から論証し教えてくれます。「本書の目的は、人間の性とも言うべき擬人化バイアスを幾分なりともそぎ落とすことにある。こうして人間と動物を対等な立場に立たせれば、動物の行動と心理を、人間自身のそれも含めて、新たな視点から眺めるのに役立つのではないか」(34頁)と著者は述べます。

★「半端でなく巨大な脳を持っているがためのうぬぼれバイアス」(62頁)としての人間中心主義から脱するために、著者は「脳を身体から切り離して捉える」(136頁)ことをやめ、さらに「脳と身体を環境から切り離して考える」(同頁)こともやめなければならないと教えます。脳をコンピュータとして捉えるのを放棄し、脳至上主義を捨てること。そして、身体化され分散化された認知へと向かうこと(分散認知理論)。人間は「言語と文化によって自らの環境を、地球史上例をみないほど変化させてきた」。「人間が提議し、言葉で表現したカテゴリーに、それぞれ自分の環境世界を持ち、独自の身体化された仕方で世界に対処している動物たちがすっぽり収まると思う方がおかしい」。「あるがままの世界に目を向ければ報いがある。世界に「存在する」には様々な方法があることを、大きな視野で受け入れられるようになるのだ」(321頁)。ユクスキュルやギブソンを読まれてきた方には特にお薦めします。


忘れられた哲学者――土田杏村と文化への問い
清水真木(1968-)著
中公新書 2013年6月 本体820円 新書判並製256頁 ISBN978-4-12-102222-6 

カバーソデ紹介文より:西田幾多郎門下の哲学者、近代の可能性を追求した文明批評家、日本画家・土田麦僊の弟、自由大学運動の主導者……、土田杏村(つちだ・きょうそん:1891-1934)。「文化とは何か」を問い、大正から昭和初期にかけて旺盛な著作活動を展開したにもかかわらず、戦後、人々の記憶から消えた。この〈忘れられた哲学者〉に光を当て、現象学と華厳思想に定位する「象徴主義」の哲学を読み解き、独自の「文化主義」の意義を問いなおす。

目次:
第一章 1920年代の思想と文化概念
 I 土田杏村はなぜ忘れられたのか
 II 大正時代と「文化」の意味するもの
 III 文化主義論争と知識人
 著作紹介(1)『流言』『現代哲学概論』
第二章 土田杏村が残したもの
 I 封印された思想
 II 哲学者の主著は誰が決めるのか
 III 『土田杏村全集』の問題点
 IV 土田杏村と務台理作
 著作紹介(2)『生物哲学』『人生論』
第三章 『象徴の哲学』を読み解く
 I 『象徴の哲学』の成立
 II 神秘主義
 III 現象学との交差
 著作紹介(3)『恋愛論』『文明思潮と新哲学』
第四章 文化への問い
 I 遅れてきた文化主義者の登場
 II 新カント主義
 III 左右田喜一郎の見解
 IV 象徴主義としての文化主義
 著作紹介(4)『生産経済学より信用経済学へ』『失業問題と景気恢復』『思想・人物・時代』
第五章 地位のプラグマティズムから文明批評へ
 I 到達点
 II 土田杏村のアクチュアリティ
 著作紹介(5)『自由教育論』『国文学の哲学的研究』
土田杏村の著作
土田杏村についての著作
短い書物のためのながいあとがき

★発売済。著者は明治大学商学部教授で、専門は哲学、哲学史で、ニーチェについての御著書があります。清水幾太郎さんのお孫さんです。土田杏村は著者があとがきで紹介している通り、1920年代に広く読まれていた哲学者で、1930年代半ば(逝去の翌年と翌々年)にはかの第一書房から全15巻の全集が出ていたほどだったのですが、その後は今日に至るまで研究書は個人出版を含めわずか数点のみ、『岩波哲学・思想事典』でも立項されていません。清水さんの本は「哲学史の遠近法を借りて土田の思想を眺め、土田の思想の遠近法を借りて現代を眺める」(6頁)試みで、新書のような手頃な形態では初めての入門書になります。特に、全集に入らなかった著書『象徴の哲学』(佐藤出版部、1919年;全国書房、1948年;新泉社、1971年)には一章が割かれています。

★「文化や文化価値は、個人的なものではありえず、他人と共有されることにより初めて意味を持つもの、そのかぎりにおいて公共のものである。〔・・・〕土田により、すべての文化価値は社会的なものであり、すべての文化価値は、「共同社会理想」として機能することにより初めて価値と見做されるべきものであった。さらに共同社会理想として機能するかぎりにおいて、すべての文化価値は平等に取り扱われねばならぬものであった」(190頁)。「土田は、文化価値の形而上学的階層化〔・・・〕に強く抵抗し、文化価値の数が無限であり、しかもすべての文化価値が平等であることを主張する。〔・・・〕土田の文化主義とは、万人にとり個別の価値の実現のために努力することの意義を強調するものであった」(200-201頁)。「土田の文化主義は、文化価値のかぎりない多様と平等を強調するもの、したがって、文化価値の実現を目指す社会集団のかぎりない多様と平等を強調するものであった」(205頁)。こうした紹介を読む時、杏村がもし現代に生きていたら、インターネットをどう評価するだろうと想像したくなります。ちなみに杏村はテレビがいずれ新聞を駆逐すると1930年代初めに論じていました(220頁)。

★たいへん博識で啓蒙的だった杏村は、平凡社の創業者、下中弥三郎さんとも親交があったそうです(10頁)。彼の文化主義が、百科事典編纂と共鳴する部分を下中さんはお感じだったのでしょうか。また、西田幾多郎は杏村全集の内容見本に寄せた推薦文で、杏村の器用さと多才ぶりを絶賛しています(66-67頁)。なお、「意味的体験における象徴の現象学」として構想された『象徴の哲学』は国会図書館の近代デジタルライブラリーでインターネット公開されています。このほかの著書も多数、デジタル化され公開されています。また、青空文庫でも数編のエッセイを読むことができます。第一書房版全集は紙媒体では日本図書センターで1982年に復刻されたことがあります。


神秘の書
オノレ・ド・バルザック著 私市保彦・加藤尚宏・芳川泰久・大須賀沙織訳
水声社 2013年6月 本体8,000円  A5判上製432頁クロス装クロス函入 ISBN978-4-89176-971-0

版元紹介文より:バルザックが目指した究極の美! 中世のパリで天上界を夢見る二人の異邦人を描いた「追放された者たち」、その卓越した想像力と知力のために寄宿舎学校や現実に耐えられず狂気に陥る青年「ルイ・ランベール」、両性具有の不思議な存在「セラフィタ」。バルザックに大きな影響を与えた神秘思想家スウェーデンボルグの思想を小説化した三篇に、本邦初訳の序文がついた、完全版。バルザックが「私は書いたもののなかでもっとも美しい作品」と語った、『人間喜劇』の極北に位置しながら、『人間喜劇』全体に光を放射するバルザック文学の真骨頂!

目次:
序文(大須賀沙織訳)
追放された者たち(芳川泰久訳)
ルイ・ランベール(私市保彦訳)
セラフィタ(加藤尚宏・大須賀沙織訳)
『神秘の書』をつなぐテーマ――スウェーデンボルグ思想と天使の表象をめぐって(大須賀沙織)
訳者あとがき――地上から天上に貫いて(私市保彦)

★発売済。原書は1831年から35年にかけて書き継がれ発表され、1835年に『神秘の書』の総題のもとに2巻本として刊行されたものです。後年、1840年には『哲学研究』の一部として収録され、さらに1864年に『人間喜劇』の中に組み込まれますが、写実的と言われる作品群の中で『神秘の書』は観念小説として異彩を放っており、バルザックの神秘主義が凝縮された本として有名です。

★少し面倒くさい説明になるのですが、東京創元社版『バルザック全集』全26巻(1973-1976年)には収録されておらず、河出書房版『バルザック全集』全16巻(1934-1936年)の第13巻(1936年;写真は1941年の再刊版)には収録されています。「追放者」河盛好蔵訳、「ルイ・ランベエル」豊島与志雄・蛯原徳夫訳、「セラフィタ」辰野隆・本田喜代治訳。「セラフィタ」はその後、1948年に新城和一訳が東京堂から出版され、1954年には蛯原徳夫訳が角川文庫で刊行され、さらに国書刊行会の「世界幻想文学大系」第6巻として沢崎浩平訳が1976年に上梓されています。角川文庫版は1989年にリバイバル・コレクションで復刊されましたが、現在は品切。活字が古いので若い読者には読みにくいかもしれません。沢崎訳は1995年に新装版が出て、現在も入手可能です。

★「神秘の書」三部作が通しで読める本で現在新刊として入手可能なのは水声社さんからこのたび発売されたこの本のみです。さらに「序文」(9-20頁)は本邦初訳。しばらくは本書が決定版と目されることになるだろうと思います。

★「彼らは〈無限〉の種々さまざまな部分が、生きたメロディーを奏でるのを聞いた。そして、その和音が巨大な呼吸のように感じられるたびに、もろもろの〈世界〉はみなこぞって動きを見せて巨大な〈存在〉の方に傾き、その巨大な〈存在〉は、誰にも分け入ることのできない深い中心から、いっさいを吐き出し、いっさいを自分の方に引き寄せていた。/絶え間なく入れ替わる声と沈黙のこの交替は、永遠に響き続ける聖なる賛歌の拍子のように思われた」(「セラフィタ」391頁)。「光はメロディーを生み、メロディーは光を生んでいた。色彩は光とメロディーであり、運動は〈御言葉〉を備えた〈数〉であった。つまり、そこでは同時にあらゆるものが、音を出し、光を透し、動きを持っていた。その結果、一つひとつのものが互いに浸透し合い、空間の広がりは何一つ妨げるものがなく、〈天使たち〉は無限の深みを駆け巡ることができた」(同、392頁)。ダンテ『神曲』と、スウェーデンボルグ『天界と地獄』とに影響を受けたこの作品の美しさは読者を陶酔へと誘います。

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by urag | 2013-06-30 23:18 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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