2013年 02月 03日

注目新刊:藤田直哉『虚構内存在』作品社、など

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虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉
藤田直哉(ふじた・なおや:1983-)著
作品社 2013年1月 本体2,400円 46判上製336頁 ISBN978-4-86182-424-1

帯文より:10年代本格批評の誕生! 3・11以降急速に政治化するオタク、貧困にあえぐロスジェネ世代……、絶望の淵に立たされる今、高度電脳化世界の〈人間〉とは何かを根源から問う。「世界がSF化した21世紀、筒井康隆の超虚構力が甦る。その可能性から跳躍した藤田の批評は、夢と希望と勇気を与えてやまない」(巽孝之:慶應義塾大学文学部教授・SF批評家)。

目次:
はじめに 虚構内存在との新たなる生の次元にむけて
第一部 なぜ、いま筒井康隆が必要なのか
 第一章 なぜ、いま筒井康隆が必要なのか
 第二章 戦後史の中の筒井康隆――「武器としての笑い」と「楽器としての笑い」
第二部 超虚構理論と虚構内存在
 第三章 超虚構理論とフリードリヒ・フォン・シラー
 第四章 虚構内存在の存在論
 第五章 内宇宙の神話――《集合的無意識》から「文化的無意識」へ
 第六章 感情移入の理論
 第七章 機械化した良識――『朝のガスパール』から『断筆宣言』まで
第三部 虚構内存在の切り拓く新たなる《生》の次元
 第A章 虚構内存在の政治
あとがき

筒井康隆 略年譜

★発売済。早大一文文芸専修を卒業後、東工大社会理工学研究科の博士後期課程に在学中の、SF評論の大型新人による単独著第一作です。「ゼロアカ道場」でも活躍し、現在『ダ・ヴィンチ』誌の「7人のブックウォッチャー」を担当されているほか、『ユリイカ』『SFマガジン』等の媒体で活躍。新書も複数冊進行中とのことです。

★「世界内存在」(ハイデガー)ならぬ「虚構内存在」(筒井康隆)という概念は、「フィクションの中のキャラクター」や「文字に書かれたもの全て」、「メディア越しに「現実」を理解することしかできず、自らの生を支えるために理想や理念、思想などの様々な「虚構」を必要とせざるをえない我々の生」(10頁)を意味しています。その前提となるのが「超虚構理論」で、それは次の三つの特徴があるとのことです。「虚構の中にも存在を感じ、実際に生きている自分も登場人物であると思うかのような人間観」。「現実もまた虚構かもしれず、虚構もまた現実かもしれないという虚構と現実の境界の融解の認識」。「信念や思想もまた虚構であり、人間はその虚構に操作されて内面もあるのかないのかわからない」。高度電脳社会に生きる私たちはすでに「虚構内存在」なのだ、と著者は教えます。

★「虚構内存在」は嘘と偽りにまみれた暗い側面も否応なく有してはいるでしょうが、本書は巽さんが推薦文に書いた通り「夢と希望と勇気を与えてやまない」ものでもあります。「新しい認識が切り拓かれ、そして新しい社会像を提示し、新しい希望を提示し、新しい理念を提示していくこと――フィクションと政治はそのように関係しあってきた。おそらくは、これからもそれは変わらないだろう。〔…〕人類史において未だに開示されていない未曾有の生の次元を切り拓く、奇跡の可能性を探し求めたい。〔…〕政治と文学、虚構と現実の問題を思考し続けてきた筒井康隆のテクストの軌跡から」(16頁)。「超虚構とは、その〔人が生きるために必要な〕虚構を相対化して見る超越的な立場もまた虚構でしかないことを自覚しながらも、その虚構たちの無意味で虚無的な無底性を指し示しつつ、虚構とのあり方を再考するための試みである」(266頁)。

★闇の中の光、光の中の闇、絶望の中の希望、希望の中の絶望。引き裂かれつつも抱きかかえようとする人間のさだめは批評家の宿命でもあります。藤田さんのデビュー作『虚構内存在』は彼の魂が帯びている熱の強烈な輻射を感じさせます。燃えあがる炎をそのまま叩きつけたような書き下ろしです。


新版 テロルの現象学――観念批判論序説
笠井潔(かさい・きよし:1948-)著
作品社 2013年1月 本体2,800円 46判上製480頁 ISBN978-4-86182-423-4

帯文より:フランス革命、ロシア革命、連合赤軍、ポル・ポト、オウム事件、9・11テロ……、なぜ、21世紀の今日に至るまで、人々を解放するはずの思想=観念は、テロと殺掠、そして終わりなき“暴力”を生み出すのか。刊行時代反響を呼んだ作家の原点。連合赤軍事件とパリへの“亡命”という自らの《68年》体験を綴りながら、21世紀以降の未来に向けた新たなる書き下ろしとともに、復活!

目次:
はじめに
序章 観念の廃墟
1 自己観念
 第一章 観念の発生
 第二章 観念の欺瞞
 第三章 観念の背理
2 共同観念
 第四章 観念の矛盾
 第五章 観念の逆説
 第六章 観念の倒錯
3 集合観念
 第七章 観念の対抗
 第八章 観念の転変
 第九章 観念の遍歴
4 党派観念
 第十章 観念の顛倒
 第十一章 観念の簒奪
 第十二章 観念の自壊
終章 観念の浄化
補論 68年ラディカリズムの運命――『テロルの現象学』以後三十年
引用文献
旧版あとがき
文庫版あとがき
新版あとがき

★発売済。作品社より1984年に単行本初版が刊行され、その後1993年にちくま学芸文庫となった著者の代表作が新版として再刊されました。巻末の特記によれば「文章の修正をほどこし、新たに註をつけ、書き下ろし「補論 68年ラディカリズムの運命」を加え」たものとのことです。内容から見て巻頭の「はじめに」も今回新たに加えられたものかと思います。そこには「新版には補論「68年ラディカリズムの運命」を付した。若い読者は、補論を先に読んでから本論に取りかかるほうがわかりやすいかもしれない。68年ラディカリズムが辿った「運命」を再確認するため、新たに書き下ろした補論は旧世代の読者にも読んでいただければと願っている」(2頁)とのことです。この補論は338頁から459頁まで100頁以上もある長いものです。

★「新版あとがき」にはこう書かれています。「若書きの著書を再刊しようと思いたったのは、補論でも書いたような情勢の急迫に促されてのことだ。東日本大震災と福嶋原発事故を転回点として、戦後日本の「平和と繁栄」は終わり「戦争と衰退」の新時代が到来した。その帰結として2012年の、脱原発運動の高揚や日中軍事衝突を予感させた尖閣危機も生じている。〔…〕新たな危機の時代、大衆蜂起の時代を生きるだろう新世代に、68年の私的な総括として書かれた『テロルの現象学』を読んでもらいたいと思った」(475-476頁)。

★また、こうも書かれています。「三十年前には本論部分として、引き続き『テクストの現象学』、『エロスの現象学』、『ユートピアの現象学』を書こうと計画していた。初版の事情で放置されてきた三部作の構想だが、新版『テロルの現象学』刊行を機に、少なくとも『ユートピアの現象学』は完成したいと考えはじめている。/〔『テロルの現象学』が目指した〕観念論批判は〈超越的なるもの〉の現象学として構想された。人間存在の超越的経験を最初から終わりまで全体として記述するのには、〈超越的なるもの〉の第一次元を構成する美的経験(『テクストの現象学』)や、第二次元のエロティシズム経験(『エロスの現象学』)の検討が不可欠であるとしても、新たな大衆蜂起の時代を迎えて緊急に要求されているのは、第三次元の革命経験をめぐる『ユートピアの現象学』ではないだろうか」(477頁)。

★『虚構内存在』と『新版 テロルの現象学』の編集を担当されたのはFさんです。時代に即応した鋭い問題意識とやむにやまれぬ言論への情熱を兼ね備えた、10年代を背負って立つ優秀な若手編集者の一人です。今回の2冊の新刊は文芸書売場の評論・批評棚でも、人文書売場の日本現代思想でも、どちらでも展開できる本ですが、書店さんによっては文芸書と人文書の最前線を横断しうる「批評」の分野をもっと耕したいとお考えかもしれません。この分野は佐々木敦(1964-)さんや東浩紀(1971-)さん、宇野常寛(1978-)さんや濱野智史(1980-)さんなどの書き手によって牽引されてきたものです。従来の棚の縦割り管理では充分にそのネットワークや多様なレイヤーを表現しきれないこの「批評」の分野は、文芸書と人文書の分断を飛び越していく特異点です。この特異点は実は昔から存在していたものなのですが、近年再度見直されつつあると言っても過言ではなく、今後の新しい売場構成の鍵のひとつであることは間違いありません。
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by urag | 2013-02-03 18:07 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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