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2012年 11月 18日

注目新刊:『捧げる――灰野敬二の世界』河出書房新社、ほか

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捧げる――灰野敬二の世界
灰野敬二(はいの・けいじ:1952-)ほか著
河出書房新社 2012年11月 本体3,000円 46判上製328頁 ISBN978-4-309-27324-2

帯文より:「ハウリングとしびれと静寂の裂け目から、「愛してる」ときこえたような気がした」(原田郁子;クラムボン)。挑みつづける不失(者)――灰野敬二の世界を開示し、そして黙示する、はじめての書。

版元紹介文より:あらゆるボーダーを超え、世界中のアーティストのリスペクトを集める、生きながらの伝説・灰野敬二のすべてを伝えるはじめての書。ロングインタビュー、完全ディスコグラフィーなど。

「はじめに」より(9頁):この本は「灰野敬二の本」か「灰野敬二についての本」なのか、と手に取ったひとは思っているかもしれない。僕はそれに対して、「灰野敬二について」であり、その中で、「灰野敬二が出ている」と答えたい。本でも映画でも、つくりながら、自分の中でどんどん、広がっていって、自分では気づけなかった、自分の他者とのかかわり合い方がうまれて、みんなと仲良くなれて、いろいろな意味をふくめて、楽しかった。僕は楽しくないとやめちゃうから。

「はじめに」より(10頁):僕は表現の場においては非日常をひっぱりだす。非日常になっちゃうのと、非日常をんでここに引きずり出すのとは違うからね。……たしかに、非日常はあるんだよ。日を浴びているのが日常だったら、夜はそのとき非日常なわけじゃない? 現前してないわけだから。僕はそれを意識して、昼間であっても、聴くひとが夜を感じられる音楽をできる自負がある。両方あるでしょう、ってやっぱりいいたいんだよ。ひとは昼を見ていると、夜があるのに昼が正義だと思ってしまう。そして、夜になると、夜が正義だと思う。ここが昼なら、地球の裏側は必ず夜なわけだよね。僕はそれを、表裏一体として、見せるのが表現の使命だと思っている。

目次:
はじめに (灰野敬二)
対談
 音楽を求めて、「音楽」から離れて (ジム・オルーク×灰野敬二)
 せめぎあう両極――言葉と即興 (佐々木敦×灰野敬二)
 生まれ、変わる細胞――生命・身体・場と意識 (後飯塚僚×灰野敬二)
愛・魔術・勇気 世界から見たKeiji Haino (ヒグチケイコ)
ディスコグラフィ (福島恵一)
活動記録
あとがきにかえて――灰野敬二インタヴュー

★まもなく発売。素晴らしい新刊が出ます。版元公式では発売日が11月21日となっていますので、河出さんの通例ではだいたいその二日前には取次搬入済のはずです。特異なミュージシャンとして世界中にファンを持つ灰野さんの単行本というのは、70年代からのその長きに渡る活躍にもかかわらず、本書が初めてのようです。思わず「初出一覧」を探しましたが、どこにもありません。なんと全編書き下ろし、語り下ろし。ディスコグラフィと、ライヴ・パフォーマンスを年代順に記した活動記録を合わせると200頁近くなるのもすごいです。編集を担当された加藤彰さんと松村正人さんにただただ頭が下がります。内容はとにかく「灰野さんは本当に素敵」の一言に尽きます。ありがちな礼讃本というのではありません。普通ならカッコ悪く見えそうなところも含めて灰野さんの発言はその音楽作品同様にすべてカッコイイのです。

★例えば帯の背にある「僕より音楽好きになってみろ」という言葉は、後飯塚僚(ごいづか・りょう:1959-)さんとの対談で出てきます。後飯塚さんは若い頃は土方巽に師事したパフォーマーで現在は東京理科大学生命医科学研究所の教授で老化研究がご専門。興味深い異色対談の中にこんなやりとりがあります(92-93頁)。

 後飯塚:たとえば、熊とパンダがいて、熊は肉食。パンダは草食じゃないですか。熊っていうのは指がものを掴みやすいようになっていて、パンダは親指がいったん退化してなくなって、そこからまだもう一回、竹を掴めるように指が生えてきたんですね。それは竹を食いたかったからなんですよ。それで指をつくったんです。

 灰野:どこまで望むかだよ。自分の話になって悪いけど、僕より音楽好きになってみろ、っていうのはそういうこと。どうしたいかをはっきりさせて、それをどこまで加速させるかだよ。もちろん、僕も六十歳で疲れたとか、そういうのは当然あるけど、年を取ったっていう感覚はまだないね。やっぱり、どうしたいかだと思うよ。アリになりたい。ライオンになりたい。何かをしようとするときって、不自由さを感じるわけじゃない? 少し前の自分とは違うものになること。それが新陳代謝だし、いま、みんなにそれがなさ過ぎるんだよ。学ぼうっていうのは、外から取り入れようとするわけで、そうではなくて、自分がなりたいっていうのは本能とか、そういうもの。アーティストが憧れるのは魔術師で、魔術師が憧れるのは自然だもん。宇宙になってしまいたいとか。それが加速して、よくいうイってしまったとき、こっち側のことを忘れないで、まださっと戻れるか。その素早さだよ。

★ちなみに、知る人ぞ知る存在だったはずの灰野さんの音楽作品が不特定多数の聴衆にさらされた事件のひとつは、90年代前半にタモリの出演するお昼のTV番組「笑っていいとも」の「タモリ・ウンナンの大発見」コーナーで起きました。今では有名な話かもしれません。視聴者から「B'zのアルバムが聞くたびに違う不気味な音楽になってる」という触れ込みで投稿があったCDから流れてきたのは灰野さんの「滲有無(にじうむ)」でした。私は大好きですけどね、「滲有無」。同番組で後日再度取り上げられた時、タモリは「これひょっとして気持ちのいい音楽じゃないの?」と言っていましたが。

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透明なる社会 
ジャンニ・ヴァッティモ(Gianni Vattimo, 1936-)著 多賀健太郎訳
平凡社 2012年11月 本体2,400円 四六判上製160頁 ISBN978-4-582-70344-3

帯文より:来たるべき情報技術社会を透徹した思考で捉え、世界の多元化、脱現実化、コミュニケーションの多チャンネル化のなかで、〈透明なる社会〉の到来という近代啓蒙思想の「強い」理想を、その形而上学的な呪縛や限界から解き放とうとする試み。今日における哲学の使命に賭ける、ヴァッティモ一流の「弱い思考」に貫かれた好著。

版元紹介文より:旗印の「弱い思考」を全面展開し、近代啓蒙思想が奉じる、情報・コミュニケーション技術の発達にともなって成立するとされる「透明なる社会」の到来などありえないことを解いた歴史的名著。

原書:La società transparente, Garzanti Libri, 1989/2000.

目次:
第三版への註記
第一章 ポストモダン――透明なる社会なのか?
第二章 人文科学とコミュニケーション社会
第三章 再発見された神話
第四章 揺らぎの芸術
第五章 ユートピアからヘテロトピアへ
第六章 脱現実化の限界
原註
訳者あとがき

★まもなく発売。シリーズ「イタリア現代思想」第3弾。ヴァッティモの単独著の翻訳としては、『哲学者の使命と責任』(上村忠男訳、法政大学出版局、2011年10月)に続く2冊目となります。共編著書には『弱い思考』(ロヴァッティ共編著、上村忠男ほか訳、法政大学出版局、2012年8月)があります。ニーチェやハイデガーとして高名なヴァッティモらしく、今回の新刊でも随所で哲学者たちに言及し、現代社会の不安定な変化を鋭く抉っています。「メディア社会は、ハイデガー呼ぶところの形而上学という名の先入観に縛られない方向に変容する可能性をもっているのか」とヴァッティモは問います(6頁)。

★ヴァッティモはみずからこう応えます。「(a)ポストモダン社会が誕生するにあたって、マス・メディアが決定的な役割を果たしている。(b)マス・メディアは、このポストモダン社会を、「透明」で、自覚的で、「啓蒙された」社会としてではなく、カオスといっていいほどいっそう複雑化した社会として特徴づけている。(c)まさしくこの相対的な「カオス」にこそ、われわれの解放への希望が宿っている」(12頁)。カオスの中に希望を見る哲学というのは、ヴァッティモならではのしなやかな「弱い思考」の真骨頂だろうと思います。本書刊行から現代のコミュニケーション技術はさらに進展し、マスであるとともにミクロな交通が次々と生まれています。それでも、いまなお本書の基本スケッチは有効であり、幾度となく立ち戻るべき参照点を提示していると思います。


完訳 日本奥地紀行(3)北海道・アイヌの世界
イザベラ・バード著 金坂清則訳注
東洋文庫(平凡社) 2012年11月 本体3,100円 全書判上製418頁 ISBN978-4-582-80828-5

帯文より:旅の目的はアイヌなのか?  函館に渡ったバードは待望の蝦夷(えぞ)=北海道の旅を開始する。アイヌの土地を訪れ、滞在しながら人々と交流を深め、くもりないまなざしで描き出す。

★発売済。全4巻のうちの第3巻。津軽海峡を越え、蝦夷の地に入った著者は本州で感じたことのない「開放的な雰囲気」に満ちた爽快で自由な大気をその土地から感じとって、「私が日本から持ち帰ったもののうち、蝦夷の思い出がある意味で最も素晴らしいものになったのは、これらの魅力のおかげである」(28頁)と、北の自然を絶賛します。しかし函館を過ぎ、アイヌの民の住む奥地へと進むとあまりの険しい道のりに馬は案内人とともに崖を転げ落ち、自らの乗る馬も胸まで泥沼に沈み、馬の首をつたって脱出するなど(75頁)、危険な目にも遭います。旅の終わりごろには青く美しい海も「何とがさつでうるさいこと。ひだすら己れの力を誇示しているかのようであり、むこうみずであり、粗野であり、意固地であり、思いやりのかけらもない!」(188頁)等々と怒りをぶつけます。『日本奥地紀行』が面白いのは、著者がどこまでも貴婦人然として振舞おうとするあまり、行間に漂う悲哀や怒りがどこか滑稽に映ることです。著者はしばしばアイヌの人々に征服者たる和人以上の好感を持ち、彼らの文化を尊重しようとするのですが、一方で和人の従者がアイヌを人並みに扱わないことをありのままに、繰り直し書いています。そのはざまにあって一人のキリスト教徒として自分の感じたままを書こうとする率直さこそ、本書の魅力です。

★東洋文庫の次回配本は12月、『新訳 ラーマーヤナ(4)』です。

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天使の食べものを求めて――拒食症へのラカン的アプローチ
GINETTE RAIMBAULT(ジネット・ランボー)+CAROLINE ELIACHEFF(キャロリーヌ・エリアシェフ)著
加藤敏監修 向井雅明監訳 佐藤鋭二訳 松本卓也解説
三輪書店 2012年11月 本体3,400円 四六判並製430頁 ISBN978-4-89590-421-6

帯文より:食べものを拒み、時には命さえ失ってしまう女性たち。彼女たちは拒食によって別の生き方を訴えているのだ。

版元紹介文より:拒食女性たちを、病的なほどに痩せなければならないという衝動に駆りたてる力とは何なのだろうか? 彼女たちの目的は何なのか? また彼女たちは、どのような星座のもとに、いや、どのような家族神話の中にこうして囚われているのだろうか?/拒食女性は、社会秩序から逃れられない症状を提示しながら、私たちに根本的な問いを投げかけている。「自分は誰? 私の場所はどこ?」と。彼女は、自分が症状を自由にするどころか、症状の中で身動きできない状態であると否応なく意識するとき、初めてこれらの問いを発することができる。/本書では、程度は異なるがいずれも伝説的な4人の人物(オーストリア皇妃シシィ、ソフォクレスが描いたアンティゴネー、哲学者シモーヌ・ヴェイユ、シエナの聖カテリーナ)について語ることによって、この拒食症とは何かの糸口を探っていく。/4女性のうち3人は、彼女たちの症状がまだ精神医学的に分類されていなかった時代の人物である。神経性食欲不振症が認知されてからまだ1世紀しかたっていないのだ。「精神的」疾患というレッテルはショックを与える。しかしさまざまな時代、国、階層を通してみると、拒食症というこの存在様式が時代や場所にかかわらずに出現していることがわかる。/彼女たち一人ひとりは自分の肉体を賭けて、懸命に自分自身の真実を述べようと試みた。ある大義のために犠牲を払うほどの彼女たちの戦闘的な態度は、現代の拒食女性たちの態度に匹敵する。

原書:Les indomptables: Figure de l'anoprexie, Odile Jacob, 1989/1996/2001.

目次:
序文
翻訳者からの提案
第1章 拒食症の神話
第2章 拒食の女帝、シシィ
第3章 アンティゴネーの選択
第4章 シモーヌ・ヴェイユ
第5章 シエナの聖カテリーナ 教会博士
エピローグ
解説 拒食症とは何か (松本卓也)
あとがき (向井雅明)

★発売済。男性よりも圧倒的に女性に多いという拒食症(神経性食欲不振症もしくは摂食障害)が病気として記述されるようになってからおよそ百年程度。数千もの厖大な論文が書かれてきたにもかかわらず、基本原則が共有されておらず総括するのが難しい研究分野だそうです。本書ではまず第一章で拒食症を概説し、続く四章では歴史的人物に見る症例をつぶさに解説します。14世紀イタリアの修道女シエナのカテリーナ(カタリナとも)、19世紀オーストリア=ハンガリー帝国の皇妃エリザベート(エリーザベトとも)、20世紀前半のフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユのほか、物語上の人物ですが、ソフォクレスの描いたアンティゴネーが紹介されます。カテリーナの断食やエリザベートの体重制限、ヴェイユの餓死はそれぞれ歴史的に有名ではありますが、本書では彼女たちの「生きざま」と思想が活きいきと描かれ、その凄絶さは読む者を戦慄させます。ラカン派の文献というと何より難解さの印象が先立ちますけれども、本書はそうした先入観を払拭してくれそうです。原書の題名は直訳すれば「飼いならすことができない女性たち」。訳題にある「天使の食べ物」というのはカテリーナによれば「神の欲望、魂を引きつけ、魂を神と重ねあわすあの欲望」(383頁)とのこと。食べることを拒絶したその強い意志を前に絶句するほかありません。

★同書の監訳者である向井さんが代表を務めておられる東京精神分析サークルでは来月初旬に、以下のコロックを都内で行うとのことです。向井さんは「科学と精神分析」と題して、解説者の松本さんは「拒食症をどのようにみるか」と題してそれぞれ発表されます。

第2回 東京精神分析サークル主催コロック

日時:平成24年12月8日(土)13時00分~18時00分
場所:駒澤大学(世田谷区駒沢1丁目23-1)本部棟 2階 中央講堂

内容:このたび東京精神分析サークルでは、向井雅明代表の著書『考える足―─「脳の時代」の精神分析』(岩波書店、2012年10月)および、翻訳書『天使の食べものを求めて―─拒食症へのラカン的アプローチ』の2 冊の刊行を記念して、ラカン派精神分析に関する講演会を開催する運びとなりました。自閉症、「発達障害」、摂食障害、脳科学といったテーマを通して、上記の2 冊で取り上げられている昨今の科学万能主義、および主体性の不在に対する主体的なものの復権の可能性と意義を、ラカン派精神分析の立場から考えたいと思います。


現代思想 2012年12月臨時増刊号 緊急復刊 imago 総特集 いじめ――学校・社会・日本 
青土社 2012年11月 本体1,238円 A5判並製246頁 ISBN978-4-7917-1252-6

★発売済。「現代思想」臨時増刊号での「imago」緊急復刊は、斎藤環さんの責任編集で昨秋刊行された2011年9月臨時増刊号「緊急復刊 imago 東日本大震災と 〈こころ〉 のゆくえ」以来です。今回の「いじめ」特集でも斎藤さんは土井隆義さんと「若者のキャラ化といじめ」と題した討議を行っておられます。討議はもう一本、森達也+藤井誠二「いじめの「裁き方」」が掲載され、中井久夫、尾木直樹、内藤朝雄といった各先生方のインタビューも載っています。論考は樫村愛子さんによる「いじめの心理学化と集団における暴力(退行)の精神分析」をはじめとする14篇。資料として巻末に、伊藤茂樹さんによる「いじめ問題ブックガイド」があり、書店さんでのミニコーナーづくりにちょうど良いヴォリュームです。「現代思想」の次号(12月号)の特集は「尖閣・竹島・北方領土」。どんな内容になるか非常に楽しみです。今月26日発売予定。
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by urag | 2012-11-18 22:41 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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