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2012年 09月 09日

注目新刊と近刊:『高校生でも読める「共産党宣言」』ほか

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高校生でも読める「共産党宣言」
カール・マルクス+フリードリヒ・エンゲルス著 北口裕康(きたぐち・ひろやす:1965-)訳
PARCO出版 2012年8月 本体1,200円 小B6変型判(172×112mm)並製192頁 ISBN978-4-89194-974-7

序文より:古今東西、名著と呼ばれるものは数多くある――だが、これほど世界を動かし、歴史の動向を左右した書物は他にないのではないか。(齋藤孝)

★発売済。訳者の北口さんは2009年にPARCO出版からプラトンの『ソクラテスの弁明 関西弁訳』を上梓された方で、システムデザイナーとして「株式会社一八八」を経営する実業家でもあります。共産党宣言は1991年のソ連解体以後、新訳や旧訳の再刊などが盛んで、93年に刊行され最近文庫化された金塚貞文訳『共産主義者宣言』をはじめ、直近の5年間には以下の通り刊行ラッシュが続いています。

2008年03月「コミュニスト宣言」三島憲一・鈴木直訳、『マルクス・コレクションII』所収、筑摩書房
2008年11月『彰考書院版 共産党宣言』幸徳秋水・堺利彦訳、アルファベータ
2008年12月『共産党宣言・共産主義の諸原理』水田洋訳、講談社学術文庫
2009年07月『共産党宣言(マルクス・フォー・ビギナー1)』村田陽一訳、大月書店
2009年09月『共産党宣言(まんがで読破シリーズ)』イースト・プレス
2010年07月『新訳 共産党宣言――初版ブルクハルト版(1848年)』的場昭弘訳、作品社
2012年07月『共産主義者宣言』金塚貞文訳、平凡社ライブラリー

「まんがで読破」は別格として、このほかにも『資本論』第一巻が、「マルクス・コレクション」や中山元訳(日経BPクラシックス)で刊行されていたり、マルクスを読み直すネグリのような思想家が注目を浴びたり、資本主義社会の歪みが大きくなればなるほど、マルクスは再召喚され続けるわけです。

★今回刊行された『高校生でも読める「共産党宣言」』は、これまでの新訳と違って、かなり大胆に意訳することによって、見事に宣言を現代に甦らせています。カヴァーにはドイツ語書名が刷られていますが、底本は1888年刊の英語版です。翻訳協力に名田丈夫さんのお名前があります。巻末の訳者あとがきで、本書の翻訳方針が以下のように明らかにされています。少し長くなりますが、大事な箇所なのでそのまま引用します。

「The bourgeoisie cannot exist without constantly revolutionizing the instruments of production, and thereby the relations of production, and with them the whole relations of society.という原文を直訳すれば、「ブルジョアジーは、生産の道具に、それによって生産関係に、それらとともに社会の関係全体に革命的な変化を与え続けていかない限り、存在することはできません。」というような文章になるかと思います。これはこれで普通の文章ですが、マルクスの思想を勉強・研究している人ならば、ここに出てくる〈生産関係〉という言葉は「生産過程において生産手段と労働力とがいやおうなしに結合される仕組み」をさす歴史的社会現象を説明するための中枢概念の一つであるということを理解した上で読むし、書き手の常識レベルもそこら辺にあると思います。しかし、一般の高校生が読むとなると、〈生産〉も〈関係〉も慣れ親しんだ普通の言葉なのに、それがくっついた〈生産関係〉という言葉の裏に、そんな深い概念があるとは思いもよらないことでしょう。なので〈生産関係〉は普通の日本語ではないと判断し、この本では〈「金持ち組」は自分たちが生き残るために、より効率的に、より大量に物をつくる方法を開発し、つねに新しいものにかえていかなければなりません。けれども、そのたびに、それにたずさわっている人々の上下関係や役割、ひいては世の中全体の枠組みは、猫の目のように代わらざるをえません。〉という訳をあてています。これは「正確な」訳ではありませんが「伝わる」訳になっていると思います。〈生産関係〉を〈それにたずさわっている人々の上下関係や役割〉と置き換えるのは全くもって不十分なのは分かっていますし、間違っているというご指摘を受けることも覚悟の上で、だいたい同じことを言っているのであれば読みやすくて理解しやすい文章の方がいいと思っています。「正確」を期するが故に読み難いのであれば、読者に大きなストレスがかかり、読み進めるのが辛くなったり、途中で読むのを諦めたりするような結果になるかもしれません」(185-187頁)。

★すでにたくさんの忠実な翻訳が出ている以上、さらに同じことを繰り返す必要はありません。むしろ、北口さんが試みられたような「こんにちの一般読者の常識」に寄り添った意訳があって然るべきで、長い歴史の中で手垢にまみれてしまって今や意味がほとんど曖昧な記号と化している言葉たちをいきいきとよみがえらせる作業はとても重要だと感じます。「金持ち組(ブルジョア)」「やとわれ組(プロレタリア)」「ひともうけ組(プチ・ブルジョア)」という思い切った訳など、学者にはできない相談でしょう。古えより翻訳が裏切りを伴うことが必然である以上、裏切り行為自体ではなく、いかに裏切るかがポイントなわけです。そんなわけで、本書はここ最近の類書の中でもっとも注目すべき挑戦だと言えるだろうと思います。


マスタースイッチ――「正しい独裁者」を模索するアメリカ
ティム・ウー(Tim Wu)著 坂村健監修・解説 斎藤栄一郎訳
飛鳥新社 2012年8月 本体2,500円 46判上製416頁 ISBN978-4-86410-186-8

版元紹介文より:なぜ日本ではネット時代の新たな「ホンダ」「ソニー」が生まれなくなったか? 米国メディア・情報産業の新陳代謝と成長の秘密。

解説より:スティーブ・ジョブズのような『正しい独裁者』を生むにはどうするべきかの制度設計。つまり「独占の良きコントロール法」で高度な議論をする段階に、米国は進んでいる。それが本書を読んで最もショックを受けた点である。(坂村健)

原書:The Master Switch: The Rise and Fall of Information Empires, Knopf, 2010.

★発売済。著者はコロンビア大学の法律学教授。坂村さんによる解説の紹介文を借りれば「本書は、情報通信・メディア産業の歴史を「独占と自由」という観点から描いた大著である。新しいメディアが誕生した時はオープンでも、品質が重視され体制が整う成熟過程で「有力者」が台頭し彼らが支配するようになる。そういう情報通信・メディア産業の歴史に繰り返し見られる「サイクル」。それが本書の主題だ。その支配力は、誰かがメディアというシステムのマスタースイッチ(主電源スイッチ)を握るようなもの――ということから、この題名が付けられた」(解説「「正しい独裁者」を生むための制度設計」373頁)。

★著者自身は「日本語版へのまえがき」で次のように紹介しています。本書では「小さな発明が、統合の進んだ巨大産業へと変わり、やがて次世代の新たな発明や政府の力で崩壊や破壊に追い込まれる様子がはっきりと描かれている。電話や映画、ケーブルテレビ、コンピュータ、インターネットの源流をたどると、どれも小さな会社が、巨大な独占やカルテルを倒して新しい時代を切り拓いている。日本のハイテク産業は「サイクル」が次の段階へと回転する時期を迎えている。次の段階は破壊的な局面だ。どうすれば創造的破壊が起こるのか。その仕組みを徹底的に理解することが、新たな未来を切り開く鍵となる。/『マスタースイッチ』をご覧になれば、その答えが発見できるはずだ」(8頁)。

★帯文には「日本衰退の原因が嫌になるほど分かる!」とあります。同じく「日本語版へのまえがき」で著者は次のように述べています。「日本は改めて自らの分権化の歴史に学ぶ必要があるのではないか。ところが、成功後の日本は巨大企業=中央集権化を全面的にお手本にし、それが行き過ぎてしまった観がある。そろそろ逆方向の発想も必要だ。もちろん、簡単なことではないが、いろいろな形で少しずつ変化の兆しも見え始めている。通信産業やメディア産業では、日本が今以上に開放的で分権化されたシステムに回帰することが大切だ。そうなれば、これまで埋もれていた発明家や起業家にもチャンスが訪れる」(8頁)。

★日本の「弱さ」については坂本さん自身も指摘しています。「法律の専門家である著者の主眼は「独占と自由」の問題なのだが、技術史の本としても、知らないエピソードもあり、結構面白く読めた〔…〕。〔中略〕本書は米国目線で書かれているので、電子式テレビジョンについては第10章のファーンズワース対RCAのツボルキンの争いのみが描かれ、1926年に電子式テレビジョンを世界で初めて実演した高柳健次郎には触れられていない。走査線40本のブラウン管にカタカナの「イ」を映し出したあの実験だ。技術史の本としては少し不満なところだが、独占と自由の議論においては日本は米国に太刀打ち出来ないのも事実。技術設計は進んでいても、それを社会に出すための法律など制度設計の議論に弱い日本――その不在において、本書は日本の問題も映しだしているのである」(378-380頁)。制度設計や諸々のアーキテクチャについての議論はこんにち日本でも盛んになっています。この国の一時代を担ってきたハイテク企業の没落のニュースが日々、私たちの未来に暗雲を投げかけている現在、本書が指摘するように「歴史に学ぶ」ことが急務である気がします。


ユースフとズライハ 
ジャーミー著 岡田恵美子訳
東洋文庫(平凡社) 2012年9月 本体2,900円 全書判上製320頁 ISBN978-4-582-80826-1

帯文より:抗いえぬ魅力をそなえた男に、絶世の美女なる人妻が激しい恋情を燃やす。拒まれてなお追いすがる恋物語の奥に、神秘主義詩人が示す美と愛の根源。ペルシア古典文学を総括する大輪の花!

版元紹介文より:旧約聖書ヨセフの物語として知られる話にイスラム神秘主義思想を織り込んだ絢爛たる恋物語。

★まもなく発売。アフマド・ジャーミー(1414-1492)は現在のアフガニスタン北西部にある古都ヘラート近郊のジャームに生まれた詩人であり、神秘主義者。訳者の岡田さんはこれまでにニザーミー『ホスローとシーリーン』東洋文庫、同『ライラとマジュヌーン』東洋文庫、フェルドウスィー『王書』岩波文庫、オマル・ハイヤーム『ルバーイヤート』平凡社ライブラリー、など、ペルシア古典文学の翻訳に大きな貢献を成されてきた著名な研究者です。巻末の訳者解説によれば、本書『ユースフとズライハ』は、ジャーミーが晩年に「毎年のように一篇ずつ書き上げ」ていった「神秘主義長編叙事詩の七部作「七つの王座」」の第五作で、ジャーミーが69歳の時の作品。旧約聖書「創世記」にあるヨセフ物語、そしてそれに基づいたコーランのユースフ物語が下敷きとなっています。「身分の高い夫をもつ夫人が秀麗な奴隷を誘惑する――一見通俗な戯れの恋物語と見える男女の話を、ジャーミーは神秘主義の観点からとりあげた」(307頁)とのことです。

★末尾近くの美しい一節をご紹介します。「「知恵は本の中にある。たとえ賢者が墓の中におろうとも」。/本とは孤独における親友、知恵の暁光。それは報酬も恩義も要求せず、いつでもお前に知識の道をひらいてくれる師。皮は隠してお前に真髄だけを馳走し、隠れた思想を無言のうちにお前に伝えてくれる腹心の友。バラの蕾のように花弁(頁)に満ちて、その一枚一枚は真珠を盛った皿。そして本は鮮やかな色のモロッコ革の駕籠のようなもの。その中にはバラ色の肌着をきて、頬に麝香の斑点(つけ黒子)をつけた美女が二百人、みな同じような顔で同じような服を着て向かいあい、互いにやさしく頬を寄せあっている。もしも誰かが彼女らの唇に指をあてれば、何千という珠玉を秘めた物語のために彼女らはやさしく口をひらく」(276-277頁)。

★東洋文庫の次回配本は10月、『新訳 ラーマーヤナ 3』です。
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by urag | 2012-09-09 13:09 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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