2012年 07月 16日

注目の新訳と再刊書、2012年6~7月:『ゾーハル』ほか

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ゾーハル――カバラーの聖典
エルンスト・ミュラー(Ernst Müller, 1880-1954)編訳 石丸昭二訳
法政大学出版局 2012年7月 本体5,400円 四六判上製492頁 ISBN978-4-588-00976-1
帯文より:ユダヤ神秘主義の源流――一千年以上にわたる民族離散の歴史を背景に、13世紀スペインに出現した作者未詳の伝承テクスト『ゾーハル』(光輝の書)。ユダヤ神秘主義において聖書やタルムードと同列に置かれ、後世のメシアニズムに深い影響をもたらしたこの聖書解釈の聖典を、作家ミュラーによるヘブライ語(アラム語)原典からのドイツ語抄訳に基づいて初めて邦訳。その貴重な解説「ゾーハルとその教義」も併録。

★発売済。原著は1932年刊で、底本に使用されたのは1984年の第二版と2009年の第三版。抄訳かつ重訳ではありますが、モーセス・デ・レオンの手になると言われる原典『セーフェル・ハ・ゾーハル』は2400頁もの膨大な内容で、なおかつ難解であり、ヘブライ語からの日本語訳が出版される望みは低いため、当面は本書より学ぶのがよさそうです。ミュラー訳が底本としたのは1882年のヴィルナ版3巻本。原典が初めてクレモナで印刷されたのは1558年。かのゲルショム・ショーレムによるドイツ語抄訳も存在します(1935年刊)。今回の訳書ではミュラーが1920年に上梓した研究書『ゾーハルとその教義』の本論部分をごく一部省略して訳出し、付録としています。

★「ゾーハル」は1677年にクノール・フォン・ローゼンロートによるラテン語訳『カバラ・デヌダータ』2巻本が刊行されていますが、このラテン語訳を底本としつつ、「ヘブライ語とカルデア語原典を参照」(ママ)した英訳(抄訳)本もあります。1887年に刊行されたその英訳本を日本語に移したのが、S・L・マグレガー・メイザース『ヴェールを脱いだカバラ』(判田格訳、国書刊行会、2000年)です。こちらでは「ゾーハル」ではなく「ゾハール」と表記されており、「隠された神秘の書」「大聖集会」「小聖集会」の抄訳が収録されています。石丸訳の「訳者あとがき」ではこの三書はそれぞれ「シフラー・ディ=ツェニウーサ(秘匿の書)」「イドラー・ラッパー(大集会)」「イドラー・ズーター(小集会)」と表記されています。

★ミュラー訳(ドイツ語抄訳)は内容別にテキストを再構成しているため、メイザース訳(ラテン語訳からの英語抄訳)とどう対照させたらいいのか分かりにくいのが難点です。石丸訳では巻末に、ミュラー訳が底本として使用したヴィルナ版3巻本のどの部分と日本語訳が対応しているのか、ページ数の対照一覧表があるのですが、そもそもヴィルナ版3巻本で、『ゾーハル』を構成する主要書20作品がどういう配置で収録されていたのかが一般読者には分かりません。そうした不便はあるものの、今回刊行された石丸訳のお蔭で私たちはまた一歩、「光輝の書」に近づけるようになるわけで、大きな収穫であることに変わりありません。

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人間論
ホッブズ著 本田裕志訳
京都大学学術出版会 2012年7月 本体3,200円 四六判上製248頁 ISBN978-4-87698-594-4
帯文より:初めて日本語で読む名著。『哲学原本』3部作の中核をなす『人間論』をラテン語原文からの正確な翻訳で提供する。『市民論』(2008年)、本書に続き、『物体論』(近刊)で3部作完結!

★発売済。さる5月に柏書房から出版された伊藤宏之・渡部秀和訳『哲学原論/自然法および国家法の原理』がなければ確かに初訳のはずでしたし、『市民論』は2008年10月刊ですから柏書房版に先行しています。古典的名著の大作の翻訳が相前後して二種類刊行されるというのは、過去にもダニエル・パウル・シュレーバーの回想録やら、ヨハン・ヤーコプ・バッハオーフェンの『母権論』などの例があります。

1990年11月『ある神経病者の回想録』(渡辺哲夫訳、筑摩書房)
1991年01月『シュレーバー回想録――ある神経病患者の手記』(尾川浩・金関猛訳、平凡社;平凡社ライブラリー、2002年12月)

1991年09月/93年07月/95年02月『母権論――古代世界の女性支配に関する研究:その宗教的および法的本質』(全3巻、岡道男・河上倫逸 監訳、みすず書房)
1992年02月/93年04月『母権制――古代世界の女性支配:その宗教と法に関する研究』(上下巻、吉原達也ほか訳、白水社)

こと『母権論(母権制)』については、序論(序説)だけの抄訳も上記の完訳版に前後して刊行されています。

1989年10月『母権論序説』(吉原達也訳、創樹社;『母権制序説』ちくま学芸文庫、2002年05月)
1992年07月『母権論――序論 リュキア・クレタ』(佐藤信行ほか訳、三元社)

こういう場合は、だいたい先に出た方がより多く売れるので、版元の営業マンなら「かぶった」と頭を抱えるところですが、読書人にとっては(出費を別として)古典の比べ読みができるまたとない機会ではあります。今回のホッブズの場合、柏書房版は全一冊という大英断ではあるものの税込二万円を超える高額本ですから、値段の点では京大版も充分拮抗できるはずです。

★今回出版された『人間論』は京大出版会の「近代市民社会の成立を原典から読む」素晴らしいシリーズ「近代社会思想コレクション」の第8巻。これまでに、ヒューム『政治論集』(田中秀夫訳、2010年6月)、J・S・ミル『功利主義論集』(川名雄一郎・山本圭一郎訳、2010年12月)などが刊行されており、第9巻にはランゲ『市民法理論または社会の根本原理』が予告されています。さらに続刊予定にはヒュームの晩年の大著からの抄訳『イングランド史――ステュアート朝』(犬塚元・壽里竜訳)が予告されています。田中秀夫訳『政治論集』の刊行の一年後に『ヒューム 道徳・政治・文学論集[完訳版]』(田中敏弘訳、名古屋大学出版会、2011年07月)が出ていますが、京大でもホッブス三部作のようにヒューム論文集の三部構成をコンプリートする計画はあるのでしょうか。気になるところです。

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自由論
ミル著 斉藤悦則訳
光文社古典新訳文庫 2012年6月 本体1,048円 304頁 ISBN978-4-334-75250-7
カヴァー紹介文より:個人の自由への干渉はどこまでゆるされるのか。反対意見はなぜ尊重されなければならないのか。なぜ「変わった人間」になるのが望ましいのか。市民社会における個人の自由について根源的に考察し、その重要さを説いたイギリス経験論の白眉。現代人必読のもっともラディカルな書である。

★発売済。同じ原典の再訳というのは光文社古典新訳文庫では初めてになるのではないでしょうか。山岡洋一(1949-2011)さん訳の『自由論』が出版されたのが2006年12月。解説は長谷川宏さんでした。それからわずか5年足らず、2011年9月に日経BPクラシックスで山岡訳『自由論』が再刊されます。解説は佐藤光さん。再刊の経緯は版元ウェブサイトにも本の中にも書いてありません。クラシックス版『自由論』には、文庫版についていた山岡さんの「訳者あとがき」が再録されていませんし、新たなあとがきもありません。市場での在庫推移を注意して見ていたわけでもないので、文庫版の品切が先だったのか、クラシックス版での再刊の話が先だったのかも良く分かりません。あくまでも推測ですが、今回の斉藤訳『自由論』が本体1,048円、6年前の山岡訳が514円なので、光文社としては同じ値段で重版をかけるのがきつかった、ということでしょうか。それにしてもわずか6年で同じ文庫から同じ古典作品の新訳が出るというのは少し驚きではあります。クラシックス版山岡訳が文庫版よりさらに手が入っているかどうかは特記がありませんが、読み比べる限りでは手が入っています。山岡さんがお亡くなりになる前に推敲されたのでしょう。その強靭なプロ意識には心底頭が下がります。

★斉藤訳『自由論』の解説は仲正昌樹さん。「訳者あとがき」によれば、担当編集者は中町俊伸さんです。山岡訳の「訳者あとがき」には担当編集者名は挙がっていませんので、中町さんが二冊とも担当されたのかどうかは不明です。しかし、前作よりわずか6年(あるいは光文社のような大会社の経営スパンから見れば6年もの昔、とも言いうるのかもしれませんが)にもかかわらず新訳をあえて出版した文庫編集部の挑戦は、理由がどうであれなかなか肝が据わっています。なお、光文社古典新訳文庫の今後の発売予定の中には、カント『道徳形而上学の基礎づけ』(中山元訳)などが予告されています。中山さんはきっと『実践理性批判』も『判断力批判』もおやりになってくださるに違いありません。

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自殺について
ショーペンハウエル著 石井立訳
角川ソフィア文庫 2012年6月 本体667円 256頁 ISBN978-4-04-408607-7
カバー紹介文より:「すべての人間の一生は、ある精霊が見ている夢。そして、死は、ひとつの目ざめであろう」。欲望や感情など、無限に溢れ出る人間の「意志」が世界を規定し、その意志を実現できない一切の生は苦しみに満ちている、とした偉大な哲学者が、死について深く考察。そこから善人と悪人との差異、生きることの意欲、人生についての本質へと迫る。意思に翻弄される現代人へ、死という永遠の謎を解く鍵をもたらす名著。

★発売済。ずいぶんと久しぶりの再刊ではないでしょうか。やはりTV東京のニュース番組「ワールドビジネスサテライト」の人気コーナー「スミスの本棚」で、今年の4月に本谷有希子さん(劇作家・演出家)がショーペンハウアーの『幸福について――人生論』(新潮文庫)を推薦されてから売上が伸びているという前例を受けてのことなのでしょうか。『幸福について』がこの「青空」カバーになったのは、2005年6月のこと。角川文庫でも同名の文庫がありますが、こちらはまだ再刊されてはいません。今回再刊された『自殺について』は、もともと1955年に刊行されたもの。「名著コレクション」の第7番として1984年に第38版(写真)が出ていますが、それ以後重版していたのかどうかわかりません。今回の再刊では活字が大きくなったほか、編集部による修正はほとんどないようです。解説は岡田尊司さん。内容は第一部が『ノイエ・パラリポメナ(新しい補遺)』第9~13章、第二部が『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余禄と補遺)』第10~14章です。同名の文庫が岩波文庫から斎藤信治訳で出ていますが、こちらは角川版の第一部にあたる箇所の別訳。岡田尊司さんはこのように解説しておられます。「63歳のとき、それまでほとんど無名であったショーペンハウエルは、本書第二部にエッセンスが収められている『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余禄と補遺)』によって、にわかに脚光を浴び、哲学者としても有名になる。第一部所収の『ノイエ・パラリポメナ(新しい補遺)』は、彼の死後出版された遺作であり、もう少し若い頃の作である」(242頁)。訳者の石井さんは解説でこう書かれています。「第一部は、若い時代に書かれたものであろう。第二部は、その戦いに勝ち抜いたおちついた気分がある」(240頁)。私のようなオッサンにしてみると、角川ソフィア文庫がイラスト付きのカバーで再刊しているアラン『幸福論』や、デカルト『方法序説』、フロイト『新版 精神分析入門』などを手に取るのはいささか気恥かしいのですが、文庫のカバーというのは世の移り変わりを映す鏡なので仕方ないですし、今度品切になったらいつ再刊されるか分かったものではないですから、オッサンも買いますよ、ええ。なお、来月(2012年8月)は、スカイエマさんによるカバーイラストでマキアヴェッリの『君主論』(大岩誠訳)が再刊されるようです。私としては角川文庫ならライヒ『性の革命』(安田一郎訳)が再刊されたほうがぎょっとできて楽しいのですけれども。あるいは文学作品でもいいなら、ブレイク『無心の歌、有心の歌』(壽岳文章訳)とか、ベックフォード『呪の王――バテク王物語』(川崎竹一訳)とか、色々あるじゃないですか。

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文学とテクノロジー――疎外されたヴィジョン
ワイリー・サイファー著 野島秀勝訳
白水社 2012年6月 本体5,600円 四六判上製378頁 ISBN978-4-560-08301-7
帯文より:〈美のテクノロジー〉、作家たちの人口楽園。産業社会に反逆した芸術家たちもまた、テクノロジー思考に支配されていた。近代を蝕む〈方法の制覇〉〈視覚の専制〉をあばき、距離と疎外の問題を論じた文化史の名著。

★発売済。新シリーズ「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」の第一回配本です。親本(写真)は1972年に研究社出版から「研究社叢書」の一冊として刊行されています。当時定価600円でした。戻らざる美しい時代。しかし時代は変わっても高山宏さんがいらっしゃる限り、値段は違ってもこうして再刊されます。シリーズ全体を最初から新書判(uブックス)でやってもらえたらというのは行きすぎた願望でしょう。こうしたシリーズをしっかり買い支えたいものです。訳者はすでにお亡くなりになっており、再刊にあたって固有名詞等を一部修訂したとのことです。巻末を飾る高山さんの解説も、「叢書口上」(書名のリンク先で読めます)も、絶好調。パンチが効いてます。今後、同シリーズではグスタフ・ルネ・ホッケ『文学におけるマニエリスム』(種村季弘訳、親本は現代思潮社の2巻本)、エリザベス・シューエル『ノンセンスの領域』(高山宏訳、親本は河出書房新社)、エリザベス・シューエル『オルペウスの声』(高山宏訳、新訳)、M・H・ニコルソン『ピープスの日記と新科学』(新訳)と続くそうで、本当に楽しみです。担当編集者はかの藤原義也さん。国書刊行会で『バルトルシャイティス著作集』を手掛けられた方で、白水社では近年、コリー『パラドクシア・エピデミカ』を担当されています。企画されてきた本にせよ、日々情報収集されている注目の他社本にせよ、ハズレがない絶対の目利きでいらっしゃいます。
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by urag | 2012-07-16 23:35 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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